インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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まもなく、義父のロメイシュ・パパが他界して1年になる。

今朝は、ヒンドゥー教のPandit(賢者)によってリモートによる儀礼 (havan)を施してもらった。

指定された時間、8時15分。花や果物、お菓子、水など指示されたものを準備して、アーユルヴェーダグラムの一隅にて。

わたしがパパと最後に話をしたのは、1年前の大晦日。このアーユルヴェーダグラムで、だった。

体調を崩していたパパに、「今年のデリーは寒いから、体調が戻ったらバンガロールに来て、暖かくなるまでこっちにいるといいよ」と伝えた。「考えておくよ。ありがとう」と、パパが答えた。それが最後だった。

それから2週間も経たないうちに、容体が急変。夫が駆けつけた時には危篤状態で、一足遅れたわたしは、空港へ向かう途中、パパの死を知らされた。

つい1年前のことなのに、遠い昔のことのような気もするし、まだパパが生きているような気もする。

怒涛のように、葬儀にまつわる諸々を終えたあと、散骨をしに、遠くヤムナナガールまで車を走らせた。

わたしは、パパほど、誰にでも等しくやさしく、いや、若い女性、きれいな女性には特にやさしく、穏やかで、声を荒げず、純粋で、欲のない人を、知らない。

会えばいつもうれしそうに「みほ〜!」と言いながら歩み寄り、力いっぱいハグしてくれた。電話の声は、いつも、朗らかな”Hi Miho!”ではじまり、”All the best!” で終わった。

バンガロールに戻ってからも、夫はさまざまな手続きに追われ、2月は再びデリーへ。実家の掃除などをしつつ、これからは頻繁にデリーに来ることになるだろうと思っていた矢先のロックダウン。

空の旅が途絶え、年に一度の渡米も叶わず、永住権(グリーンカード)の放棄も決めねばならず、いくつかの、ダイナミックな取捨選択を迫られた。

気持ちの整理がつかないまま、現実的な問題を片付ける中、夫もわたしも、去年前半の精神状態は、尋常ではなかったと今になって思う。

ロックダウンの最中、折に触れて思った。パパの死がもしも1、2カ月以上遅れていたら……。わたしたちは、同じインドにいながら、会いに行くことさえできなかった。そして実際、愛する人の死に立ち会えなかった人は、このパンデミック世界では無数にいることだろう。

それを思うと、見送る機会をくれたパパと、わたしたちの命運を、有り難く思う。

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