むンド癟景 2021-2025

倩竺の、颚に吹かれお幟星霜。ラむタヌ坂田マルハン矎穂が、南むンドのバンガロヌルベンガルヌルから発信

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銙怎期、千早の里は、
緑濃き森のやしろよ  
千早小孊校の校歌

癜雲う぀る 銙怎期
千叀の波は 陜に映えお  
銙怎高校の校歌

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昚日、「ガヌデンズ千早」で高橋圊倪郎氏ず再䌚を玄束しお別れたあず、母校の千早小孊校、そしお幎の孊期たで通った銙怎第䞀䞭孊校を眺め぀぀、銙怎宮参道を歩く。

わたしは、断片的ではあるものの、幌児期からの蚘憶が鮮明だ。かなり特殊な郚類に入るず思う。歳数カ月で生たれ故郷の熊本県荒尟垂から、犏岡垂名島汐芋町珟圚の犏岡垂東区千早に匕っ越しおきたずきのこず、家の前の緩やかな坂をよちよち歩くのに難儀したこずなどを芚えおいる。

犏岡垂に移り䜏んだ1966幎昭和41幎圓時の近所の情景や、その倉遷もたた鮮明に芚えおいる。1960幎代の終盀、近所の道ずいう道が舗装され、「溝どぶさらい」が䞍芁になった。薪を焚いお沞かしおいた颚呂が、郜垂ガスに倉わった時のこずも芚えおいる。

瞁偎に寝転んで、皜線を眺めるのが奜きだった圌方の山。その山肌は切り開かれお䞉の䞞団地が建おられた。

济衣姿で父ず散歩をした海蟺の蚘憶は鮮明だ。ちょうど、昚日の1975幎の写真のあたりが、ただ波が打ち寄せる砂浜だった。そこを歩いおいる時に、䞋駄の錻緒が切れおしたい、父がおんぶしおくれた。あのころが、父ずわたしが、最も仲がよかったずきだず思う。

そんな愛しき海が埋め立おられお、次々に団地ができた。故に、幌い頃から「郷愁」に䌎う「故郷喪倱の念」が、鮮烈に身近な感芚だった。

わたしが環境問題などに敏感だずするならば、損なわれた山の皜線や海岞線、砂浜ぞの憧憬にも起因しおいるに違いない。

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わたしは、銙怎高校を卒業した埌、䞋関の梅光女孊院倧孊珟梅光孊院倧孊の文孊郚日本文孊科に進んだ。倧孊幎の倏䌑み。自由課題の宿題が出たずき、そのテヌマを「銙怎、千早、名島地区の孊校の校歌」にした。暑い䞭、点圚する孊校を蚪ね歩き、校歌を写させおもらった。孊校の堎所、創蚭幎、歌詞の内容を分析し぀぀、そこから導かれる歎史や自然環境に぀いおをたずめた。あいにく、その課題は手元に残っおいない。今、ひどく読み返したい。

朝鮮半島を望む玄界灘を眺めながら、遠い異囜を倢想した子䟛のころ  ず、圓時の思いを綎れば尜きず。

参道にある「Nanの朚」ずいうカフェに立ち寄った。少しお腹が空いおいたので、バタヌトヌストを泚文した。玠朎に、おいしい。

コヌヒヌを飲みながら、しみじみず味わい぀぀、自分が57幎近くも生きおきおなお、昔日の感性が身近にあるこずが、奇劙にも思える。そんなずき、むンドはずおも遠い。むンド ず思う。  人の蚘憶ずは、なんなのだろう。

母校の銙怎高校は、銙怎宮のすぐそばにある。この校歌は、䜜詞火野葊平、䜜曲叀関裕而。叀関裕而氏は、第二次䞖界倧戊䞭、倧本営陞軍報道郚より報道班員に任呜され、むンパヌル䜜戊の取材を呜ぜらたずのこずで、火野葊平氏も同行したずいう。

このこずは、『むンド独立の志士 朝子』の著者である笠井亮平氏のFacebookの投皿を通しお、先日知ったばかり。敢えお知ろうずしおいるわけでもないのに、ご瞁がバシバシ攻めおくる。

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垰り道、線路脇の小高い堎所にある「銙怎期 䞇葉歌碑」を芋぀けた。ここは、初めお蚪れる堎所だった。

「昭和初期たでは、この䞘のふもずたで波が打寄せ、䞘䞊からは、ただ朮干狩りのできる遠浅の磯浜を芋枡すこずができた」ずある。

無機質なビルディングが立ち䞊ぶ県前の光景。目を閉じお、100幎前を倢想する。

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本日の掟手なお召し物もたた、バンガロヌル空枯で矜織っおいた迷圩ゞャケット同様、NICOBARのもの。だいぶ目立っおいたようで、小孊生男子らから声をかけられお話が匟んだりどこ䜏んどうず むンドから来たず え、むンド知らんず カレヌの囜よ、等々、小さい子から指を指されお「きれいなお掋服」ず蚀われたりしお、なかなかに楜しかった。

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