インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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🎂昨日のランチタイムは、夫の姉スジャータの誕生日を祝うために、インド理科大学院(IISc/ Indian Institute of Science)のキャンパスへ赴いた。久しぶりに訪れるここは、バンガロールが「ガーデンシティ」と呼ばれていたころの面影を残し、緑豊かな公園のよう。初めて訪れた2003年12月から、時が止まったままのような様子に、心が和む。

スジャータの夫ラグヴァンは、分子生物物理学(molecular biophysics)の研究者であり教授でもあることから、一家は30年近く、キャンパス内に暮らしている。ラグヴァンは、HIVやインフルエンザをはじめ、SARSやCOVID-19に至る、ワクチン研究の第一人者でもある。

インド理科大学院は、1909年、インドがイギリス統治下にあった時代に、タタ・グループの創業者であるジャムシェトジー・タタによって創業された。ゆえに、地元では、「タタ・インスティテュート」と呼ばれることも多い。

パールシー(ゾロアスター教)の財閥であるタタ・グループは、綿貿易会社として創業した当初から、社会全体の成長や健全性を尊ぶ企業理念によって、成長してきた。

日本との関わりも深い。当時、英国の船舶会社(P&O汽船)の独占に苦渋を強いられていた中、ジャムシェトジー・タタは、日本郵船から2隻の貨物船を借り、廉価で日本へ綿花を輸出する道筋を立てた。1894年のことだ。このあたりのことは、わがインドライフ・セミナーでも詳しく説明している。

インドの経済を向上させるためには、科学の研究開発や高度な教育が重要だと信じていた彼は、教育機関の設立を計画していた。1893年、日本からシカゴへ向かう途中の船上で、偶然にもスヴァーミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヒンドゥー教の指導者/社会活動家)と出会い、語り合う。その出会いが契機となって、このインド理科大学院が誕生したのという。

……ということは、今、ネットで情報を確認していて、初めて知った。非常に興味深いことから、備忘録として残す次第。

さて、週末は別邸でのんびり過ごすべく(のんびりして、自分)、そろそろ出かける準備を始めよう。

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◉Raghavan Varadarajan
➡︎https://en.wikipedia.org/wiki/Raghavan_Varadarajan

◉2003年の我がインド旅。研究室を見学したときの記録なども。
➡︎http://www.museny.com/mihosakata/album-03india15.htm

◉パラレルワールドが共在するインドを紐解く/セミナー動画
明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺

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