インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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英国統治時代、この都市は今よりも遥かに、整然と、美しかった。

壮麗な建築物、優雅な街並み……当時の記録動画を見ると、欧州の古都のようにさえ、見える。

1947年8月のある日、インド亜大陸のパンジャブ州とベンガル州は、東西に分断された。そして、東側はヒンドゥー教徒が多数のインドとして、西側はイスラム教徒が多数のパキスタンとして、印パ(インド・パキスタン)分離独立をすることになった。

このあたりの経緯は、坂田の「インド・ライフスタイルセミナー」のYoutube動画でも詳細を説明しているので、関心のある方にはぜひご覧いただきたい。ムンバイについても、かなり詳しく言及している。

さて、分離独立の際、西に住むヒンドゥー教徒は東へ、東に住むイスラム教徒は西へと、着の身着のままの移住を余儀なくされた。それは、歴史上、他に例を見ない、短期間での人民大移動だった。その際に展開された暴動、殺戮の歴史もまた凄惨だ。

パンジャブ州の西から逃げてきた移民たちの一部は、ボンベイ(ムンバイ)を目指し、住み着いた。更には、地方からの出稼ぎ労働者や家族なども、スラムの拡大に拍車をかけた。スラムの定義は広く、家屋の状況も千差万別だが、基本的には、水道や電気、衛生管理などの基本的なインフラストラクチャーが整っていない住宅がスラムとされる。

そもそも国有地だったところもあるなど、管理者は曖昧。何十年も家賃が変わらず廉価なところもあるがゆえ、誰も引っ越さない。ムンバイのスラム居住者は、ムンバイ人口の約半分を占めるとも言われる。毎年、モンスーンの時期になると、必ず古い建物が倒壊し、死者が出る。

故に、ムンバイは、超絶に家賃が高い高層ビルディングと、青いビニルシートに覆われたスラム街とが、モザイクのように共在している。

危険な住宅に暮らす人々に対し、行政が退去を言い渡しても、行く場のない彼らは拒絶する。「自分は、この家とともに死ぬ」と叫び訴える人の記事を、ここに住んでいた銃数年前に、新聞の記事で目にした。なんとも言えぬ気持ちになったものだ。

近年では、国家スラム開発計画が立ち上げられ、インフラストラクチャーが整え始められていると聞く。実態は、どうなのだろう。調べてみなければ、わからない。

ただ、わかるのは、混沌のスラムは今も歴然とここに在り、そこを行き交い暮らす人たちは、極めてタフだ、ということだ。

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