インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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南ムンバイ、フォート地区にある「ヤズダニ・ベーカリー」。わたしにとって、この界隈を訪れるのは、日本人墓地に並んで儀式のようなものだ。1953年創業のこの店は、パールシー(ゾロアスター教)のファミリーが経営してきた。

2004年4月。わたしが初めてムンバイを訪れたときのこと。タージマハル・ホテルにチェックインして翌朝、蒸し暑い街をさまよい歩いているときに、パンが焼けるいい香りに吸い寄せられて、たどりついた。

看板娘ならぬ「看板老兄弟」。弟と兄が交代で店に立っている。彼らと言葉を交わしたのは数回ずつ。しかし、忘れ難い思い出だ。初めて訪れたときに出会ったのは弟だった。彼から、この古びた三角屋根の建物は、「20世紀初頭、日本の銀行だった」と教えてもらった。壁にかけられているSEIKOSHAの時計は、100年以上、休まずに動き続けているという。
我が家にもSEIKOSHAの掛け時計がある。移住当初、コマーシャルストリートのアンティークショップで買ったものだ。文字盤が手描きの、素朴な時計。今でも我が家で時間を刻み続けている。

店を守ってきた兄弟が他界したことは、昨年、2022年9月の来訪時に知っていた。しかし、今回も気になって訪れた。店の一隅に、3人の遺影。3兄弟だったのか! 他界した日付を見て、胸が締め付けられる。

長男は2021年1月に、三男は3月に、次男は12月に、他界されていた。2021年は、インドにおいてCOVID-19の第2波が猛威を振るった年。三兄弟は、一年のうちに、揃ってこの世を去った。

店内は、昨年よりも荒廃した雰囲気で、古くからの従業員が、パンを販売するばかり。この店の経営は、どうなっているのだろう。ご家族が、引き継いではいないのだろうか? 

決して居心地がいいわけではない。冷房もなく、たいていは蒸し暑かった思い出しかないこの古びた店。しかし、暑い中で熱いチャイを飲み、焼き菓子を食べ、店主と言葉を交わし、時間旅行を楽しむのは、得もいわれず、楽しいひとときだった。

わたしがムンバイに住んでいたならば、再建の手伝いを申し出たいくらいである。今すぐにでも、カフェを開きたい。そう思っている常連客は、きっと少なくないはずだ。しかしながら、この寂れた状況……。ヤズダニ・ベーカリーの行く末が、気になる。

以下、初めて訪れたとき以来の記録の、一部を抜粋して残す。2004年から19年間。個人的な歴史を刻み込む。

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🍞ビスケットの匂いと、正四角柱の食パン。(2004/04/17)

路地裏を歩く。車の往来は少ないものの、しかし人々は多く。バターと小麦粉と砂糖の、甘く柔らかく優しい匂いをたどっていけば、そこには小さなベーカリーが。店頭のショーケースに、恭しく並べられたビスケット。それらをのぞき込んでいると、店の主人らしきおじさんが出てきた。

「君はどこから来たの?」

「アメリカのワシントンDC」

「でも、僕には君が、オリエンタルに見えるが……」

「わたしは日本人だけど、アメリカに住んでるの。夫はインド人よ」

「トウキョウから来たの?」

「東京に、住んでたことはあるけれど、故郷は、日本の南西の方」

「ナガサキ? ヒロシマ?」

「長崎の隣の隣の県よ」

「君の両親は、じゃあ原爆を知っているんだね」

「……ねえ、あの食パンの写真を撮ってもいい?」

「いいよ。でもせっかくなら、あっちのドイツスタイルのパンを撮ったらどうだい? あの時計と一緒に。あの時計は、100年間、動き続けてるんだよ。一日たりとも止まることなく」

数枚の写真を撮らせてもらい、ビスケットを一袋、買った。

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🍞ムンバイの街を巡る。食べる。飲む。語る。買う。/ムンバイ在住時の記録(2009/01/14) 

……夫の弁当のためのサンドイッチ用パン。それから切られていない食パンも買おう。いちごジャムのトースト用に、自分で厚切りにするのもいい。ピタブレッドも買ってみよう。

マドレーヌのような味わいの小さなスポンジケーキはティータイムに。焼きたてのアップルパイもおいしそう! シナモンの香りがよく、レーズンがたっぷりと入った、素朴な焼き菓子である。食べるときには温めて、ヴァニラ・アイスクリームと一緒に味わうのもよさそうだ。

店のおじさんは、しばらくわたしと話をしながら、突然、頭を抱え込んだ。

「ど、どうしたんですか?」

「さっきから考えているんだが……どうしても、どうしても、わからないんだ。君の国籍が!」

そんなに、深刻にならなくても……。

思えば、初めて会った時も、同じようなことを言われた。

「アメリカ……のどこかに住んでいたんでしょ。でも、アメリカ人では、ないんだな」

「アメリカには住んでましたが……日本人です」

「日本人! そうだ。日本人か。いやしかし、日本人というのはたいてい小さいが、君は大きいから、わからなかった!」

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🍞妻は天災なのである。(2012/5/16)

……8年前、初めて訪れたムンバイ。空港からひたすら南下してたどり着いたはコラバ。車を降りれば、目前にインド門。薄汚れた、薄暗い界隈とは裏腹に、圧倒的に、強く優雅な存在感で出迎えてくれたTaj Mahal Palace。翌日、街を歩いて歩いて、いい香りに引き込まれて見つけた、YAZDANI BAKERY。以来、幾度となく訪れた、なじみの店。

市場を訪ねたあと、甘いチャイを飲みたくて、足を運んだ。アルツハイマーだと思っていた店主のおじさん。よたよたと、わたしのテーブルまでやってきて、ファイルを開いてみせてくれる。実はパーキンソン病だということを、彼が見せてくれた新聞の記事で知った。

「一緒に写真を撮ろう」と、スタッフに合図。スタッフたちは、そんなオーナーに手を焼きつつ、世話を焼いている。チャイを飲みつつ、通じない会話。

“人生とは、いかに嵐を切り抜けるか、ではない。雨の中、どうやって踊るか、だ。”

「これは誰が書いたの?」

「僕だよ」

本当に、彼の言葉かどうかは定かではないが、ともあれ。いい言葉だと、ぐっと来ているわたしに、すかさず次のページを見せる。

「これも、僕が書いたんだ」

“誰も火山の噴火を教えてくれない。
誰も津波の襲来を教えてくれない。
誰も火事の発生を教えてくれない。
それらは、「妻」のようなもの。
天災は、ただ、起こるのを待つしかない。”

大笑いするわたしに、おじさんも、大笑い。よたよたと、何を話しているかもよくわからないのに、このおじさん、お元気だこと。来て、よかった。

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🍞目まぐるしく変貌する都市へ。2年ぶり2泊3日のムンバイ旅。(2017/12/03)

……2年以上ぶりに訪れた今日、上のお兄さんが車いすで出勤中だった。パーキンソン病を患っている彼、最後にお会いした3年前よりもかなり状態が悪く、もう話すことはできない。しかし周りのスタッフの助けを借りて、店番をしている。その様子に、いろいろな意味で、心を打たれる。

初めて訪れた十数年前と変わらない店内。チャイを飲みながら、しみじみと眺める。思えば視察旅行の際には、何人ものクライアントをお連れしたものだ。SEIKOSHAの掛け時計。コマーシャルストリートのアンティークショップで見つけた我が家のもそうであるが、これもまた、100年以上、時を刻んできた時計だ。新旧混在極まれる街の片隅で、時間旅行をしているかのよう。

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🍞幸運にも雨は止み。南ムンバイのなじみのエリアを巡る。(2018/07/15)

……2004年の写真は次男。iPhoneで過去のブログをたどり、彼に当時の写真を見せたら大感激の様子。写真を眺めながら、わたしの手を握り、自分の心臓に手を当てて、じっと離さない。このあたりの仕草は、長男とそっくり。

同じ場所で撮影しましょうかと声をかけたら、よたよたと立ち上がり、しかし元気さをアピールしてくれた。

勧められたアップルパイを食べながら、これから先はもう、安否を確認するために、足を運ぶようなものかもしれない、とも思う。いつまでも、お元気でいてほしい。

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🍞約100年前は日本の銀行だった。儀礼としてのヤズダニ・ベーカリー訪問(2019/07/09)

……わたしが壁にかけられた写真を見ていたら、従業員のひとりが「オーナー兄弟はボクサーだったんですよ」という。まさか! と思ったが、納得した。昨年訪れたとき、弟が店番をしていたのだが、カメラを向けられた彼は、ボクサーの構えをしたのだ! 

今日、店番をしていたのは、兄の方だった。2年ぶりの再会。2年前は、少し様子が違ってはいたものの、わたしのことを覚えていて、やたらと手を握ってくれたりしたのだが……。昨日はもう、車椅子に座って、身体を硬直させ、視線は中空を泳ぎ、魂は遠くに漂っていた。「ハロー」といいながら、おじいさんの肩に手をかけても、何の反応もない。

蒸し暑い店内で、時間の渦に吸い込まれるような気持ちで、チャイを飲む。ゾロアスター教のシンボル。ヘリテージサイトに指定された証明。名物アップルパイの看板。古びた食パンスライサー……。初めて訪れた15年前から、なにも変わらない。新しく貼られている「FREE SAUNA & STEAM」の文字に苦笑しつつ……涙が出てくる。

もうお兄さんとは会えないかもしれない。別れを告げて店を去り、界隈を歩く。

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