むンド癟景 2021-2025

倩竺の、颚に吹かれお幟星霜。ラむタヌ坂田マルハン矎穂が、南むンドのバンガロヌルベンガルヌルから発信

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垞滑ずこなめ。垞に滑らかず曞いお垞滑。

確かに、あの滑らかな垞滑焌の湯飲みや急須は奜きで、実家にも、むンドの我が家にもいく぀かある。しかしそれが理由で、今回、垞滑を蚪れるこずに決めたわけではない。それは、じわじわずやっおきた。詳现を綎り始めるず、途蜍もなく長くなるので軜く觊れるに留める。

陶噚の町巡りも楜しかったが、䞻たる目的地は「INAXラむブミュヌゞアム」だった。ここで「䞖界のタむルミュヌゞアム」を芋孊したかったのだ。なぜならバンガロヌルの新居を圩る和補マゞョリカ・タむル発祥の地が名叀屋で、それに関わる䞖界各囜のタむルの歎史が芋られるからだ。

和補マゞョリカ・タむルは、明治40幎代1907〜、日本のタむル産業の瀎を築いたずされる青幎らによっお開発された。英囜補タむルに着想を埗぀぀も、廉䟡で流通しやすい補品は、欧颚建築の流行に䌎っお人気を博したようだ。やがお日本でも、マゞョリカ・タむルを䜜る䌚瀟が増え、東南アゞア各囜に向けお茞出が始たった。

アヌルヌヌノォヌの意匠に固執しおいた英囜メヌカヌに比し、日本は察象囜の奜むデザむンを導入。䞭華圏向けには吉祥果果物、むンド向けにはヒンドゥヌ教の神々の姿が芋られる。シンガポヌルでは、今でもマゞョルカ・タむルが斜された建築物が随所に残る。

ミュヌゞアム内では、我が家にもあるタむルが展瀺されおいる。芪近感だ。それより䜕より、䞀目芋お、たたしおも「オヌマむガヌ」ず声を䞊げおしたった展瀺があった。ちなみに今回最初の「オヌマむガヌ」は犏岡倧仏。

あれは今から29幎前。欧州を列車でカ月旅をした。パリを起点に終着はマドリヌド。バルセロナに滞圚䞭、圓時のボヌむフレンドず合流し、北を目指した。途䞭たでは列車で、そしおフランスずの囜境、ビスケヌ湟を望むサンセバスチャンでレンタカヌを借り、沿岞沿いを走った。

そしおコミヌリャスずいう小さな海蟺のホテルを芋぀け、その景芳のすばらしさに心を奪われ、数泊滞圚を決めたのだった。その小さな海蟺の町には、かのアントニオ・ガりディによる建築物があるずのこずで、ある日の午埌、散歩がおら蚪れた。

その建物は、ひたわりのタむルに芆われおいた。ひたわりが奜きなわたしは、しっかりずカメラに収めた。今でもそのポゞティノフィルムは残っおいる。

そのひたわりのタむルが、展瀺されおいたんですよ

そらもう、諞々の思い出が蘇らないわけがない。だめだ、話が長くなる。

ずもあれ、垞滑はたた、フランク・ロむド・ラむトによる垝囜ホテル建蚭を語る䞊で䞍可欠な堎所。圌がこの地で䜜られる「黄色いレンガ」に惚れたず同時に、難易床の高いデザむンや圢状を望んだ。その芞術家の芁求に応え、すだれレンガをはじめずする倚様な焌き物を䜜ったずいう。それはたた、日本が建築物に焌き物を䜿うようになった契機でもあったずのこず。

ずにかく、展瀺や䞊映物を目にするだけでも孊びず発芋に満ちおいお、尜きない。ただ䞀぀蚀えるこずは、「なぜ、垝囜ホテルはラむト通を砎壊したのだ」ずいうこずだ。いろいろな事情はあっただろう。しかし、完成に至るたでの波乱䞇䞈な背景を知れば知るほどに、残されなかった無念は募る。

このミュヌゞアムではたた、垞滑の「土管䜜り」の歎史を知るこずができたのは倧いなる収穫だった。

日本の六叀窯のひず぀である垞滑の歎史は平安末期に遡る。行こう、江戞時代は酒噚や急須、明、倧正には、土管、タむル、テラコッタなど建築や衛生陶噚が盛んに䜜られおきた。

文明開化により、日本が近代化する䞭、郜垂の地䞭には䞋氎道が敷かれ無数の土管が埋められた。文字通り、日本の近代化を「瞁の䞋」で支えたのが垞滑の土管だったのだ。
  ず綎れば尜きぬ。

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🇯🇵日本から来たした 欧州発、日本経由むンド。旅するマゞョリカ・タむル。
Made in Japan. From Europe, India via Japan. Traveling majolica tiles.

https://museindia.typepad.jp/library/2021/09/tile.html

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