インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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🇯🇵明日、インドの人たちに向けて、日本の伝統や文化を語る。本来は、昨年の師走に開催した着物とサリーの比較展示会に加えて、雛人形や漆器など、日本的なものを展示しつつ、文化背景を説明するにとどめる予定だった。

しかしながら、せっかくの機会。主催者側もとても楽しみにしてくれているので、どこを切り取ってもいいように、いつものように多めに資料を準備する。

先週末は新居へ赴き、掃除をした以外はほとんどデスクワークと資料整理。わずか1時間話すために、多くを調べて検証し、それを編集して形にする。たいへんだが、おもしろい。その過程こそが編集者の仕事であり、醍醐味でもある。

ここ数年、英語でも複数のテーマでプレゼンをしてきたこともあり、すでに作っている資料から引っ張ってきて再構成しつつ、体裁を整える。

参考資料として、祖母の若きころの写真も活用。1920年代。今から約100年前。久留米絣をはじめとする着物の柄の美しいこと!

さらには、日本の七福神のうち、大黒天、弁財天、毘沙門天はインドの神様由来。その背景を調べつつ、自分の好きな弁財天=サラスワティについて調べているうちにも、神社(神道)系と寺院(仏教)系とがあり、少々混乱。調べ始めたら諸々、濃い!

「神仏習合(混淆)」「神仏分離」「廃仏毀釈」……いずれも、概念や大まかな歴史は知っていた。しかし! 一つ一つを掘り下げて検索してみると(インターネットありがとう。今の時代に感謝)、衝撃の実態が次々に。特に「廃仏毀釈」はすさまじい。2枚目の写真。

これを見た瞬間、「これ、どこ?! 見に行きたい! 鎌倉? 鶴岡八幡宮の多宝塔? こんな建築物があるの?!」と衝撃を受けた。日本を離れて28年。知らないことだらけだ……と資料をたどれば。

なんと、廃仏毀釈で破壊されていた。以下、Wikipediaではあるが、信頼性が高そうな記事なので転載させてもらう。

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江戸幕府崩壊後、1868年3月13日に「神主を兼帯していた僧侶に対して還俗する旨の通達」が明治政府から出され、また1870年に大教宣布がなされると、鶴岡八幡宮においてもいわゆる廃仏毀釈の動きが始まった。 同年中に多宝大塔などの仏堂は破壊され、仏像、仏具、什宝、経典なども破壊・焼却処分されるか散佚した。(Wikipedia)
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そもそも、「鶴岡八幡宮」は、「神仏習合(混淆)」を経て、「鶴岡八幡宮寺」と称されていたのだよな……。

神宮寺。神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。

「廃仏毀釈」によって破壊された尊き文化遺産が無数にあったことを知って、愕然とする。その救済に尽力した人物のひとりが米国マサチューセッツ出身のアーネスト・フェノロサで、その友人が岡倉天心で、ゆえに彼はボストンにゆかりがあり、さらに岡倉天心はタゴールと親しくて、でもって晩年、タゴールの親戚の女性と恋に落ちるなど、話がインドに戻ってきてもう、芋づる式にも程がある。

そこに、先日来の古代エジプトのあれこれが、日本の神道とシンクロナイズして、おもしろさエンドレス。軽く書くつもりが、ついついここでも書き込んでしまう。いかん。

ちなみに、破壊された鶴岡八幡宮の多宝塔の写真は、イタリア生まれのイギリスの写真家、フェリーチェ・ベアトが撮影したもの。彼は1863年から21年間横浜で暮らしたという。

いろいろと、考えさせられることの多く。日本人の精神的土壌についても。

今日中に資料を整理し、夫に英語の校正をしてもらって、明日にのぞむべし。マネキンガールズも2名出動しての、楽しい展示会&トークになる。がんばろう💪

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