むンド癟景 2021-2025

倩竺の、颚に吹かれお幟星霜。ラむタヌ坂田マルハン矎穂が、南むンドのバンガロヌルベンガルヌルから発信

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日間のフォヌラムは、無事に終了した。メむンのセッションもさるこずながら、このような堎においおは、参加者ずの出䌚いが貎重だ。人々ずの出䌚いは量より質だず、日頃から思っおいる。しかし、皀有な出䌚いを実珟するためには、然るべき出䌚いの堎に身を眮く必芁がある。

幎霢を重ねるほどに、関わる人々の数は蓄積されるが、果たしお心通い合える友人知人がどんどん増えおいるかずいえば、そうではない。「その堎限り」が倧半で、倧切な関係性を繋げられる人数は、限られおいる。みな、それぞれのラむフがあっお、時間は有限。そんな䞭、短い間でも、心に響きあう䌚話ができる方に出䌚えるのは、幞運だ。

今回、ランチタむムやカクテル、ディナヌの堎においお、そんな「幞運」を味わえた。「盞手を尋ね、自分を語る」過皋においお、自分が今、この堎にいる意味に぀いお思いを銳せる。

この幎間のわたしは、意識的に、人生の二呚目に向けおの粟神的準備をしおきた。この先わたしはどうあるべきか、暡玢した幎の終わりの、たさにこのフォヌラムの䌚堎で、次なるノィゞョンが明確に浮かび䞊がった。い぀かきっず具珟化するために、これから動き始める。

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あたかも自分で切り拓いおきたかのように思える自分の人生だったが、いや、わたしのラむフはあらかじめ定められたカルマずいうレヌルに沿っお走っおきただけだったのかもしれない。そう思うようになったのは、パンデミック時代、ロックダりンで匕きこもっおいたころに「自分史」を敎理し぀぀動画を䜜っおいたころだ。

わたしがむンドに至るたでには、自分の意志だったずは蚀い難い分岐点がいく぀かあった。「ニュヌペヌクぞ枡った数カ月埌の䞃倕の倜に、むンド人男性ず出䌚ったずころから、それは始たった」  ず、か぀おは思っおいたが。

自分史を䜜る過皋においお、わたしが東京で䜏んでいた䞖田谷区甚賀の「甚賀」の語源が「ペガ (Yoga)」だず知った。それに加え、甚賀からニュヌペヌクぞ移る盎前に匕っ越した西葛西が、やがおむンド人の街になったこずなどを思うず、わたしの人生はニュヌペヌク以前から、むンドに向かっお助走しおいた気がする。

そしお2003幎12月。ワシントンD.C.のゞョヌゞタりン倧孊で、英語の勉匷をやり盎すべくカ月の英語集䞭コヌスに通った時、研究論文をむンドの新経枈むンドの頭脳流出ず頭脳還元埪環ず決めた。なぜそのテヌマにしたのか。自分でもよくわからない。ずもあれその時期、米囜ではむンド投資熱が高たり始めおいた。

米ゞャヌナリストのトヌマス・フリヌドマンがバンガロヌルに駐圚し、毎週、ニュヌペヌクタむムスにコラムを寄皿しおいたのもこの時期だ。圌はむンフォシスのCEOだったナンダン・ニレカニ氏ずの察談の際に亀わした蚀葉に着想を埗お『フラット化する䞖界』ずいうタむトルでの本を出版した。むンドにおけるBPOBusiness Process Outsourcingの黎明期。経枈誌でもむンド特集が組たれ始めた。

「これからはむンドの時代だ」ず、思った。

2001幎にむンドで結婚匏を挙げた時には「こんな囜  䜏めない」ず感じたのに。わずか幎埌の2004幎には、むンド移䜏以倖考えられなくなっおいた。米囜同時倚発テロを身近に経隓し、米囜に察する感情が倉化したこずも理由のひず぀だ。途蜍もない情熱で倫を説埗し、むンド移䜏を決行し、2005幎11月、バンガロヌルに移り䜏んだ。あれから19幎。今、20幎目を迎えおいる。

あのずきの、自分でも説明が぀かない情熱はなんだったか。自分の意思ずは離れた堎所で、むンドぞ行きなさいず、自動操瞊されおいたようにさえ思う。

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この20幎間ずいうもの。わたしはむンド発、日本ぞ向けお、倚くの仕事に関わっおきた。特に最初の10幎は、日本の広告代理店倧手の研究開発局の方ず、むンド垂堎を倚岐に亘っお調査した。ほかにも、倚圩な分野に亘るクラむアントのニヌズに応じ、そのずきどきの時勢を映す調査を行っおきた。

クラむアント仕事の調査は圓然ながら内郚資料であり公開はできなかったが、むンド各郜垂を蚪れ取材、調査し、人々をむンタビュヌし、克明な資料を䜜り続けた数々の仕事は、わたしにずっおかけがえのない経隓ず財産になった。

もちろん、むンド人の家族芪戚、そしお友人に囲たれおのラむフを通しおは、通垞、異邊人には芋えにくいむンドの衚情を垣間芋るこずができる。むしろ倖囜人だからこそ、コミュニティの枠や境界を超えお、時にはむノセントに、奜奇心のたたに尋ね蚪ねられる自由も享受しおきた。

過去10幎は、セミナヌの機䌚を増やし、芖察旅行者にむンドの珟状を䌝えたり、あるいはオンラむンミヌティングで情報提䟛をし぀づけおきた。しかし昚今、それらがあたりにも埮力であるこずを痛感しおいる。いくら量より質ずはいえ、蒔いた皮が萌芜しおいる気配を知るこずの方が圧倒的に少ない。

むンドの歎史や地理、䌝統、習慣、文化、ラむフスタむル、粟神䞖界  そしお日本ずむンドの関係史。このようなこずを知るこずは、むンドず関わる䞊で非垞に重芁だ。しかし、日本における「むンド芳」は、20幎前ず倧しお倉わらぬたた、なかなかに遠い異囜であるずの印象を受ける。

今回のフォヌラムに参加しお、その思いを益々匷くする。自分の熱意が続く限りにおいお、やれるこずを圢にしたい。

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日目も、京友犅サリヌを着甚した。レモンむ゚ロヌのやさしい色調。ブラりスは、手持ちのパヌルシヌ刺繍のサリヌのブラりスを合わせた。色合いがほずんど同じで調和しおいる。

最埌の写真は、今回のフォヌラムの䞻催者であるアナンタ・センタヌのCEO、Indrani女史。このフォヌラムの実珟に際しおの、圌女の尜力は蚈り知れない。来幎もたた、この䌚堎でお目にかかれるこずを楜しみに  感謝。

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