インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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今日は佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへ。そのことを書き記す前に、昨日の夕暮れ散歩の情景を。

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丘の上に立つ家を出て、踏切を渡り、国道3号線を横切って、多々良川に並行して北へ歩く。その道をして、「飛行場道」という。この真っ直ぐに伸びる道は、かつて名島にあった「名島水上飛行場」に続く道だ。その途中、右手には、わたしが通った幼稚園がある。

この飛行場は、1931年、世界一周中のリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が降り立ったことでも知られる。

わたしは、多々良川が海に流れ出す場所にある名島神社を目指して歩く。子ども時代から我が家にゆかりのある神社。我が心の弁財天が祀られる宗栄寺を擁する場所でもある。

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名島神社に立ち寄る前、子どものころによく訪れた三ノ丸に隣接する「羽衣台道」に寄り道。今は閑静な住宅地だが、1970年代までは、山の中にぽつん、ぽつんと豪奢な家が立つ、独特の風情が漂うエキゾチックな場所だった。通るたびに、他の場所では感じない「不思議な感覚」を味わったものだ。

大人になってここに立ち寄り、「はるか昔、渡来人が住んでいた」と記されたサインを見つけて納得した。羽衣台道の羽衣とは、サリーではなかったか……とさえ、思う。

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このあたりの山の奥に、昔、池があって、幼稚園のクラスメイトだった我が初恋の男子がよくザリガニ釣りに来ていた。今ならば立ち入り禁止になりそうな鬱蒼の森の中の池。一度そこを訪れたとき、足を滑らせて池に足首あたりまで浸かってしまった。それが怖くて、二度と行くことはなかった。

あの池はどこだろう……と造成された新しい住宅地を抜け、木立の中に入ってみるが、見つからない。もう、埋められたのだろう。

椿の花が、枯れ草の上に散らばるばかり。

それにしても、今回の旅。こんなにもたくさんの椿の花を見るのは、生まれて初めてのことだ。

妹が生まれる前、嘉穂郡に暮らしていた母方の祖父が遊びに来たとき、当時2、3歳だったわたしは、よく祖父とこの山道を越えて、その先にある叔母の家に遊びに行った。路傍に咲く小さな小さな紫色の野の花を、小さな指先で摘んで、いつもやさしかったおじいちゃんに差し出した記憶。

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名島神社。誰もいない。わたしだけ。昨日投稿したリールは、名島神社の稲荷の鳥居。桜はまだ三分咲きといったところか。しかし2、3日うちには、満開になるのだろう。

海岸沿いに出れば、夕日が麗しく。神社の一隅では、椿と桜が重なり合って咲いている。

なにもかもが、夢みたいだ。ここを離れて、下関の大学へ進み、東京で働き、世界各地を旅し、ニューヨークへ行き、ワシントンD.C.やカリフォルニアに暮らし、インドに20年も暮らしている自分のライフのなにもかもが。

夢を見ていたのだ、と言われても納得してしまいそうな、絶対的な夕日の果てしなさ。

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梵語が刻まれた塔や魚の形の岩。インドの女神、サラスワティを起源とする弁財天が、蛇らと共に祀られており。

生まれたときから、子どものころから、飛行機に乗り、海の向こうを目指し、世界各地を旅した果てにインドにたどり着き、そうして原点に戻ってくることが、約束されていたかのようだと、毎日のように、思う。

自宅でも、片付け物をしながら、古い写真や資料などが発掘される。尽きぬ。

……良くも悪くも、因果応報。

ちゃんと生きたい。強く優しくしなやかに、そして勇敢に生きたい。巡り巡って原点に戻って、心の底から、そう思う。

🙏一隅を照らす此れ則ち国の宝なり by 最澄

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インドにいる夫や、4猫らが、幻かと思えるような心許なさもまた、同時に。

WhatsAppで、夫に撮影した写真を送る。

「ミホはラッキーだね。こんな季節に日本にいられて」

本当に。母の世話をすることが目的だったとはいえ、それは娘として、できることをやるのは当たり前のことであり。
親に対する子どもの在り方について、間接的に示唆を与えてくれたのは、わたしの身近なインドの人々。彼らを通して学んだ親に対する絆の姿。わたしも、できる限りのことを。

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