インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

ずっと伺いたいと思っていたPriyaのお宅へ、ついには火曜日の朝、訪れる機会を得た。コックスタウンにある我々の旧居から、彼女の家があるリチャーズタウンまでは、車で10分もかからない近距離だ。モンスーンの名残で晴れたり曇ったりと落ち着かない天候。しかし彼女の庭は、潤いを含んだ空気に包まれて、いっそうの緑の濃さを見せているようだった。

年に2回、1月の共和国記念日と8月の独立記念日に開催されているガーデン・コンテストにおいて、Priyaの庭は、毎年受賞し続けているという。珍しい外来種をはじめ、多様性に富んだ植物が配された豊かな庭は、本当に贅沢な場所だ。

昨今では「ガベージシティ(ゴミの街)」との汚名を持つバンガロールだが、かつてはインドで最も住みやすい土地とされ、ガーデンシティ/エアコンシティと呼ばれていた。しかし、昔からバンガロールが、緑豊かな土地だったかといえばそうではない。乾いた高原地帯だったがゆえ、バンガロールの創始者であるケンペ・ゴウダ1世は、都市形成の際に土地を潤すため、多くの人工湖を作った。

1700年代にマイソール王国の藩主、ティプー・スルタンが、町の緑化に貢献。実は、バンガロールにある樹木の多くは、海外から輸入された外来種なのだ。市内南部のラル・バーグ植物園を訪れると、その歴史を垣間見ることができる。1800年代の英国統治時代には、バンガロールは駐屯地として形成され 「暮らしやすい町」となった。緑豊かな広い庭の中央に、平屋一戸建ての邸宅(バンガロー)がポツンと立つ。それがこの街の風情であった。

上空から見れば街は緑に覆われ、道路さえも見えず。真夏でも日光が遮られ、風は木の葉を擦り抜けて軽く涼しく、まさにエアコンシティだったわけだ。Google Mapの衛星写真が見られるようになったばかりのころ、バンガロールを空から見た。今よりも遥かに、緑に覆われたエリアが多かった。当時はスクリーンショット、が撮れず、記録が残せていないのが残念だ。

そんなバンガロールに変化が見られ始めたのは、1991年のインド市場開放(経済の自由化)以降のこと。

今世紀に入り、インドのシリコンヴァレーとして、世界の注目を集め、欧米企業が次々に進出。都市化に伴い、人口は急増。2001年の国勢調査時には、500万人を切っていた人口が、現在1400万人を超えている。東京都とほぼ同じ人口だ。わたしが知る過去20年の間にも、街はすさまじい勢いで東西南北全体に拡張し続けている。

ちなみに人工湖の大半は、インド独立以降の近年、蚊が多発するなどの理由もあり、次々に埋め立てられた。バンガロールはあらゆるインフラストラクチャーが不全だが、水資源にしても然り。雨季には大量の雨が降るのに、効率的な貯水の施設がないから、毎年、水不足が懸念される。

ケンぺ・ゴウダ国際空港のターミナル2が開港する前、植樹に赴いたときの記録を残している。この空港の植物もまた、古来からインドにあるものだけでなく、日本を含む世界各国から運び込まれたもので構成されている。諸々、詳細を記したいところだが……尽きない。

我が家の庭は、猫(ROCKY)がハイビスカスなどの蕾を食べてしまうので、花を植えなくなってしまったが、もう少し彩り豊かに手入れをしたいものだと改めて思わされた。新居の庭は来年あたり、造園をする予定だが、日本庭園風にするか、イングリッシュガーデン風にするか、まだまだ悩み中。Priyaの美しい庭にも触発されて、どうなることやら。

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