

瑞々しい緑をたたえた水田を見渡し、見下ろしながらトレッキングをしている最中、玉置浩二の「田園」の旋律が、脳裏を巡っていた。彼曰く「一番グチャグチャになってたときの経験をまとめた詞」だとのことで、そこに田園の要素はなにもない。
生きることに苦しむ人たちへの共感と、しかし鼓舞するメッセージのようなその歌のタイトルを、彼はなぜ「田園」にしたのだろう。

1枚目の写真はトレッキングのあと、夫がプールで泳いでいる間に一人で楽しんだルームサーヴィス。ラム肉のグリル。マッシュルームとポテトが添えられている。付け合わせに「白菜」を頼んだ。ほんのり「和」の味わいがいい。
旅の前にバンガロールの空港免税店で購入していたスパークリングワインを開ける。ボトルのデザインで選んだ(!)イタリアのプロセッコ。その黄金色がなんとも言えず、美しい。
絶品と言わずにはいられないラム肉を味わい、グラスを傾けながら、旅を重ねた20代、30代の記憶が走馬灯のように脳裏を巡る。イタリアのトスカーナ地方、南仏プロヴァンス、スペインのコスタ・ブラヴァ、カリフォルニアのナパ……。
緑豊かなテラスでの食事のシーンが、次々に思い返されて懐かしい。10年前も、20年前も、30年前も、過ぎてしまえばすべては脳裏の引き出しの中。印象的な経験は、歳月を重ねても色あせることなく、ついこのあいだのことのように鮮明に蘇る。

ブータンの農業、すなわち人々の命の源が、ひとりの日本人、西岡京治氏 (1933-1992)によって育まれたということを思うにつけ、感慨深い。以下、Wikipediaからの引用。
「1964年、 ブータンに海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として里子夫人とともに赴任。赴任当初はインド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されなかったという。そのような中、28年間に渡り日本から導入した野菜の栽培および品種改良・荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力する。西岡の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものであった。このため、成果の確実性と定着性において他に例を見ないほどの成功を収め、農法にとどまらず産業・生活の基盤改善に大きく寄与した」
西岡氏は、ブータンで適切な歯の治療が受けられなかったことが原因で敗血症となり、59歳という若さで他界された。彼はブータンにおいて国葬されたという。彼の存在が、ブータンをして親日国である大きな理由のひとつでもあるようだ。
今、目前に広がるこの水田の、苗が規則正しく植えられている様子さえも、西岡氏の指導によって育まれたというのだから。従来は、手当たり次第、無造作に植えられていたらしい苗。それを、日本の田植えのように一定の間隔に植えていく並木植(なみきうえ)に変えたのも西岡氏だった。並木植にすると、草取りが楽になり、風通しもよくなり、収穫が4割も増えるのだという。
彼に限らず、異国で農業を伝え、人々に命の源を与えてきた日本人は少なくない。インドにおける杉山龍丸氏や福岡正信氏の貢献については、過去、わたしもブログに記してきた。ガイドのTashiから、ブータンが農業振興のために図られている政策の一端を聞く。
自然環境の維持と向上、伝統文化の継承とテクノロジーの調和……。ひとつひとつの話が興味深く、何よりも、歴代国王の「人柄と理念と指導力」が、この国のすべてであるといっても過言ではないほどの影響力だということを知る。
夕暮れどき、空中ラウンジにて、本を開く。歴代の国王の写真集などを眺めながら、この国の歴史の片鱗を学ぶ。
綴り残しておきたいエピソードが多すぎる。






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