


旅の終わりに空港で見た1枚の曼荼羅(2枚目の写真)が、40年前の自分の思いを甦らせてくれたので、そのことを、今日は書き残しておきたい。スケールもクオリティも全く異なるが、20歳のわたしが小さな画用紙に描いた曼荼羅とそれは、似た世界観だった。
以下は2021年2月の記録に、手を加えたものだ。
大学時代、20歳の春休み。わたしは発作的に、2枚の曼陀羅を描いた。
大学の寮から帰省し、実家で過ごしていたある日。実家に掛かっていた曼荼羅の絵をしみじみ眺め、自分も描いてみたくなった。部屋にあった高校時代の絵の具や筆、画用紙を使い、アルバイトの合間を縫って、わずか数日で2枚描いた。
最初に描いた1枚(3枚目の写真)は、ほぼ模倣。ただ、自分の名前を「隠し絵」のようにして紛れ込ませた。これは実家に飾られている。
もう一枚は、ずっとわたしと共に、引っ越しを重ねてきた。描いた当初、暑苦しい画になってしまった気がして、あまり気に入ってはいなかったから、壁に飾ることもなかった。しかし時を経てじっくり眺めると、かなり感慨深い。
この絵を描いた当時のわたしは、その半年前に初めて海外旅行を体験、1カ月の米国滞在した直後で、感性が炸裂していた。若い力が漲っていたころだ。
インターネット台頭以前。絵の素材は印刷媒体を参考にした。

わたしは、こどものころから自然破壊や環境問題に敏感だった。その思いは、常に根底にあったのだろう。この絵を描く数カ月前の1月28日。スペースシャトルのチャレンジャーが発射73秒後に爆発。飛行士7名が死亡した。その経緯をレポートする『ニューズ・ウィーク』誌の特集にあった写真を見て、スペースシャトルを描いたことは覚えている。
月の満ち欠けは、歳月の流れを表している。

その上には涅槃。
しかし右上は、ゴミの山。埋立地に林立する団地に押し寄せる津波……。

昭和40年代、わたしが育った福岡市東区名島、千早界隈。かつては海辺だった場所が埋め立てられ、「城浜団地」ができた。かつて山だった場所が造成されて「三の丸団地」ができた。
その変遷を、この目で見てきた。高度経済成長に伴う環境の歪みを、本能的に感じ取っていた。思えばあれは、野生の勘のようなものだった。
中学2年のころ。わたしは大反抗期の真っ只中で、両親ともろくに口を聞かず、成績は急下降していながらも、国語だけは好きだった。砦のような教科だったから、作文の宿題もしっかりやった。
その作文が、福岡県知事賞を受賞した。全文が西日本新聞に掲載され、テレビに出演し、朗読した。学校の先生は、みなわたしを厄介者扱いしていたので、学校では表彰されることも、褒められることもなかった。
唯一、数学のY先生から、「あの作文、本当にお前が書いたとや?」と声をかけられたのを鮮明に覚えている。
中学時代のわたしは、実に問題の多い生徒だったのだ。その癖、書いている作文の内容は、呆れるほどの優等生。環境破壊を懸念するテーマだった。
右側の試験管は、「試験管ベイビー」を意味している。1978年、英国で初めて「体外人工受精」により、こどもが誕生した。今ではごく一般的な治療と生誕の形になっているが、当時は物議を醸した。
ちなみにわたしは卒業論文で「安部公房」を取り上げたのだが、彼は1977年に発表された『密会』という作品の中で、すでに「試験管ベビー」という表現を使い、人工授精で生まれた女性を登場させている。

そもそも理系である安部公房の先見の明や、世界を見る目には驚嘆すべき点が多々あるのだが、この予見には、今改めて、鳥肌が立つ。
ミツバチのモチーフは、「ミツバチがいなくなると、人間の存在が危うくなる」という話をどこかで知り、使った。農薬などへの危機感もあった。嫌な予感は当たり、今やミツバチは、減少の一途を辿っている。
そしてリンゴ。当時は、アダムとイヴの禁断のリンゴ=原罪を表すために描いた。しかし、今の世界を席巻しているAppleのiPhoneを予見していた……とは、今になってのこじつけだ。

そして、ムンクの叫び。これは、絵の中の人物が叫んでいるのではない。
彼は「耳を塞いでいる」のだ!
以下は、ムンク本人が、この絵に言及した一文だ。
「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」
自然を貫く果てしない叫び。
40年前には、耳を澄まさなければ聞こえなかった叫びは、今、地球全体に轟轟と響き渡っている。


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