
COVID-19パンデミックが明けた2年ほどまえから、母の認知症の傾向が顕著になりはじめた。昨年春、要介護認定1が下りたことに伴い、一時帰国時に、妹ともどもケアマネージャーとお会いしたり、ヘルパーさんの来訪について相談したりなどした。
また、母が訪れるケアセンターに同行して様子を見たりするなど、今まで知らなかった世界をつぶさに体験した。それは、日本の老人介護制度についてほとんど何も知らなかったわたしにとっては、とても勉強になる機会だったと同時に、これをみながうまく活用できているのだろうか……との疑念もわいた。
さらには、介護の現場の人材不足や、その労働の過酷さについても目の当たりにし、思うところ多く……。1年半前は「落ち着いたら書き残そう」と思うことが多すぎて、結局、ほぼ言及しないまま、インドに帰ってきた。

あれから1年半。母の頭脳は静かに衰えて続ける。お金がわからない。時間の把握に時間がかかる。カレンダーをすぐに理解できない……すなわち「数字」にまつわることが、おぼろげになっていく。数字を使わなくても生きていけた原始世界であれば、特段、問題にならないことだが、今の世界では不都合だ。
半年前には、自分でごはんと味噌汁程度は作れていたはずが、数カ月前から作れなくなっていた。いや、毎日のお弁当を手配するようになったのと、妹からの差し入れがあるという安堵から「作らなくてよくなった」から、「作ろうという意欲が失せた」側面もあるだろう。
数年前から、母の居間に「Tapo」という監視カメラを設置し、1日に何度か、母の動向を確認してきた。まもなく87歳になろうかと言う割に、幸い足腰は丈夫で、動きには特段、問題はない。電話をかけるタイミングも、カメラのおかげでつかみやすい。
他の人々との比較はできないが、しかし、母の環境は恵まれている方だとは思う。週に2回、1時間ずつのヘルパーさん来訪でお掃除をしていただく。そして週に3回、近所のケアセンターに送迎してもらっての体操。食事の心配もなく、今のところ通院もない。
半年前の一時帰国時には、母が両眼の白内障の手術をしたことに加え、タイミングよく上下の奥歯があちこち抜けて、入れ歯を新調することになったため、眼科と歯科に通い続けたが、今はメンテナンスだけでよい。
それでも、近くに住む妹の負担は徐々に増えて行き、わたしのリモート支援にも限界がある。2年前から老人ホームなどのリサーチは少しずつ始めてはいたものの、諸々の事情を総合的に鑑みるに、「保留」で来ていた。
しかしながら、この1カ月半、諸々が急に動いた。
8月下旬、香椎駅前に、とてもよい「母の新居」を見つけるに至った。そこは、妹が経営するパソコンスクールの2軒先、徒歩1分もかからない場所にある「学研」の「ココファン」という高齢者住宅であった。今回、ここを利用することになって初めて知ったのだが、ここは「老人ホーム」ではない、「サービス付き高齢者向け住宅」というものらしい。
広い部屋で快適な老人ホームとなると、入居の際に1千万円以上の支払いが必要な「高級老人ホーム」ばかりが目についていた。しかしここは、入居一時金が不要。もちろん、月々の支払いはかなり高いが、非常に快適で安全な空間だ。
妹が下見に行ったとき、ちょうど一番広い部屋が空いた矢先(その日の朝、退去されていた)だったこともあり、そこにしようと意見が一致した。急ぎ予算その他の計算をし、妹とはオンラインでミーティング。もちろん今後もサポートを継続するに際し、追加となる食費や雑費など、堅実な予算計画は必須だ。
この先、母が何年生きるのか……という想定をするのは、不謹慎でもなんでもない。わたし自身、これから老化していくわけで、毎回の帰国時の恒例大掃除を、いつまで続けられるのか……という懸念もあった。そこから解放されると思うと、それだけで気持ちが軽くなる。
母の移転に伴って、実家マンションの売却についても同時進行で行う必要がある。いろいろある。
そんな次第で、わたしが帰国する数日前に母は移転し、わたしは抜け殻の実家にて、片付けをしつつ、一人暮らしを謳歌している次第である。スーパーマーケットで買い物をし、一人分の料理を作る……。東京での独身時代を思い出して、なんだか不思議な気分だ。
今回の帰国予定はすでに5カ月前に決めていたが、まさか母が転居することになるとは思ってもいなかった。後半は夫も合流予定で航空券も手配していたが、とても夫と遊んでいる余裕はないことから、キャンセルしてもらった。
あと3週間弱。慌てず確実に、取捨選択しつつ、作業を進めたく、息抜きやら遊びも織り交ぜつつ、新たな門出の福岡滞在を楽しもうと思っているところだ。
立花山に登りたい。![]()









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