


もしも記録に残さなければ、幻だったんじゃないかと思えるような、このたびの日本滞在だった。
ここでは、飲食の情景の片鱗を、残しておく。それらを見れば、刹那、そのときの心境を思い出す。



「おかえり」という人のない実家にて。
両親のライフの残骸を片付けながら、一人過ごした1カ月足らず。
片付けても、片付けても、物が沸き出てきた。
それらは玉石混交で、ひとつひとつを手に取り確認しながら進む。
父の生きていた証。わたしの知らない父のライフ。
母の生きている証。取捨選択を迷いながら多くを捨てる。
一時は途方に暮れたが、「片付け」の意味を考えながら、片付ける。
自分がこの先、何を買い、何を消費し、何を残していくべきか、身を以って、考えさせられた。
「宝の持ち腐れ」という、言葉の意味についても考える。
お金で買える豊かさとは、なんですか。

食事は概ね、自炊だった。母の新居を訪ねたあと、香椎駅前の西鉄スーパーマーケットに赴いて食材を買い、西鉄電車で名島まで帰る。
香椎駅周辺は、徒歩数分内にさまざまな店が立ち並んでいて、とても便利。それは、東京に暮らしていた20代のころの、独身生活を思い出す日々でもあった。
キッチンに残された切れにくい包丁と、小さなまな板。ごはんはいつものように、鍋で炊く。最低限の調理器具で、料理をする。それだけで、十分に凌げた。
日本の野菜は驚くほど、火が通りやすい。豆腐や刺身など、加熱せずともおいしく食べられる食材もたくさんある。薄切り肉も豊富で、諸々、ほぼインスタントに調理ができる。インスタント食品を買わなくてもすでに。
見栄えのしない料理を作りつつも、お酒やビールの華があって幸せ。


洗濯機は母の新居だから、シーツなどの大物以外は、風呂場で洗う。若き日々のバックパッカー時代を思い出す。最低限の衣類を詰め込んでの旅は、安宿での洗濯が重要な「家事」であった。秋だというのに福岡はいつまでも暑く、幸い洗濯物は、すぐに乾いた。
母はもう、あまり距離を歩けない。しかし、散歩には行きたがる。すぐ近くのお店やレストランへ、何度か赴いた。


食事はホームで3食をお願いしているから、お茶の時間のケーキなどを食べるなど。こんなささやかなひとときも、未来の自分にとって、懐かしい記憶となるだろう。




今回の旅の食の写真。記録からこぼれ落ちたものを集めた。はじまりは、成田空港到着後、パッとしないターミナル3のフードコート。いつもの通り、うどんを食べる。そしていつもの通りの、むせそうな組み合わせの天ぷら。




そして締めくくりは成田発ベンガルール行きの機内食。これらが最も「映える」食の写真となった。


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