
先週末、1カ月ぶりにバンガロール新居を訪れた。
すでに数年前には完成予定だったコミュニティの建設。しかし、ご近所さんはじめ、クラブハウスもまだ完成しておらず、猫らを連れてくるにも落ち着かず。二拠点生活を始めて3年。すでにこの「往来するライフ」にも慣れてしまった。
1カ月も不在だと、インドの家は殊更に、埃が募る。掃除をすませたあと、この日は新居に泊まらず、街中の旧居に戻ったのだが、その前に、今回、日本から運び込んだ大きなスーツケースをひとつ、開いた。
既述の通り、実家の家具調度品の処分には、頭を悩ませた。悩んだ末に、貴重な書籍だけは船便で送ることにした。小学館の『原色日本の美術』。大きくて重い全30巻のシリーズ。今となっては、貴重な写真や専門的な情報が満載の麗しい書籍は宝だ。
今回、4箱(インドへの船便は1箱最大20kg)、都合80kg分をインドに送った。ブリタニカの百科事典は、次回、送ることにする。
グローバルの「グ」の字もなかった幼少時の我が家の環境において、わたしが海外への憧憬を募らせる契機となったのは「学研のこども百科事典」と「ブリタニカの子供百科」、そして西洋絵画全集だった。それらは、わたしにとって、世界への扉だった。
一方、若いころには関心を持つことがなかった『原色日本の美術』の全集に、今、とても惹きつけられる。生涯をかけて、ゆっくりと紐解きたいと思わせられる内容だ。


今回、日本でトランク型の大きなスーツケースをひとつ新調した。それは、食器を運ぶためだ。10年前のわたしならば、わざわざインドに送ることを考えなかっただろう。しかし、50代半ばから、日本の伝統工芸の美に惹かれはじめた。一時帰国のたびに、もう使い手のない実家の漆器などを、少しずつインドに運んでいた。
2年前には母のクローゼットから数々の着物や帯を発掘し、それらをインドに送り、幾度となく、バンガロールで展示会を開催した。漆器や工芸品は、催しを彩る小道具としても場に花を添えた。

若き亡父は、プロの野球選手を目指していたが、挫折。母と結婚した当初、三輪トラック1台で「起業」し、土木建築の仕事を始めた。その後、「坂田建設」を創業。父のビジネスは、日本の高度経済成長と足並みを揃えるように急成長した。1980年代、広い邸宅を建築し、高価な家具調度品を揃えた。
思い返すに、その時代は本当に短く、10年にも満たなかった。皮肉なことに、その時代、多感な十代だったわたしは、完全に父親と決裂していた。
束の間のバブル時代を経験した後、父の事業にも暗雲が立ち込める。大きな自宅を売却し、会社は倒産し、父は60代で末期の肺癌を発症し、66歳で他界した。親の生涯を大雑把に綴るのは、無礼だとも思うが、これもまた事実。
日本のバブル経済時代には、「豊かなもの」が世に溢れた。そんな時代に、両親が購入した「善きもの」名残が、自宅を売却した後に移転した実家にも残されていて、それらが玉石混交のすなわち「玉(ぎょく)」である。
スーツケースと緩衝材のプチプチが届いた夜、音楽を聴きながら、一人黙々と、「インドに連れて帰るもの」を選び、包み、詰めた。このスーツケースに入るだけを詰めていこうと決めて。
親子だけあり、母が選んだものは、わたしの好みにも一致するものが多々あって、選別に迷った。有田焼、伊万里焼、柿右衛門、薩摩焼、小石原焼、よくわからないけれど、とても古いであろう骨董の陶磁器、漆器……。
切り子ガラスにウェッジウッドのデミタスカップ。家族の団欒が描かれたクリスマスのイヤーズプレート。そしてお正月のおせち料理が詰められた輪島塗の重箱……。両親なりの「理想の家族のかたち」というものは多分あって、しかし、不協和音が奏でられてばかりだったな……と、思いは巡る。

新居で、そっとスーツケースを開く。割れた音がしないことに、安心する。ひとつひとつ丁寧に手に取り、梱包を外す。すべてが無傷で、海を越えて来られた。
包んだときとは異なる、「よく来たね」との思いに満たされる。……ああ、捨てずに連れてきてよかった!
大黒天さんと恵比寿さんが、大喜びしている。








コメントを残す