
多様性が極まる国家インド。その混沌と複雑な社会を構成する要因に、宗教や地理的条件、言語、コミュニティ、カーストなどがある。
中でも宗教はインド社会や政治、ライフスタイルを語る上で不可欠な要素だ。80%弱を占めるヒンドゥー教を筆頭に、イスラム教、キリスト教、スィク教、仏教、ジャイナ教、ソロアスター教などが続く。
それぞれの宗教の祝祭日が、「祝日」として定められ、異教徒同士でも互いに敬意をもって異文化を祝するのが常である。異なるイデオロギーが共存する社会においては、自分とは異なる立場の人たちに敬意を払うことが、調和を保つ重要な鍵のひとつとなる。
そんなインドの基本的なことすら知らず、初インドが自分の結婚式だった24年前を思い出し、過去の記録を振り返り、なんと無謀なことだったかと、今、改めて思う。


多様性のインドではあるが、「結婚式が非常に重要で派手である」という事実は、宗教の垣根を越えて、概ねインド全体に見られる傾向だ。年末のインドは結婚式シーズンで、インド各地で華やかな宴が展開される。中でも北インド、我が夫の出自であるパンジャビの結婚式は、群を抜いて華々しい。
我が友人知人の多くは、毎年この時期、いくつもの結婚式に参加すべく、インド国内を飛び回っている。翻って我が家。家族の盛大な結婚式に招かれるのは、わたしが夫と出会ってこれでわずか3度目だ。
尤も、ニューヨークで開催された超盛大な結婚式は、わたしはミューズ・クリエイションのチャリティバザールと重なったため、キャンセルした。今思えば行くべきだったと思う特筆すべき催しだった。なにしろ、メトロポリタンミュージアムのテラスや、アメリカ自然史博物館を貸し切っての盛大なものだったのだ。
なぜ血縁の結婚式が少ないかといえば、夫の家族がインドにしては極めて珍しく「親戚が少ない」のである。夫の父親は一人っ子で、母親は2人兄弟。母親の兄夫婦の一人息子であるAdityaが、夫の唯一にして、たった一人のいとこなのだ。
即ちAdityaにとっては、夫と義姉のSujataだけが、いとことなる。いとこが何十人、人によっては100人を超えるケースも珍しくないインドでは、本当に珍しい。
ちなみにインドでは、遠縁の親戚も「いとこ(カズン)」と呼ぶことが多い。「ファースト・カズン」「セカンド・カズン」という言い方で、血縁の距離感を伝えることもあるが、だからといって縁遠いというわけでもない。
前置きが長くなったが、今回は、我が夫Arvindと兄弟のように育ったAdityaの長女Tanviの結婚式だ。最後にTanviに会ったのは10年以上も前のこと。姉妹ともにすっかり大人になっていることに驚きつつ、祝福の言葉を贈る。

昨夜は、身近な親戚とファミリーフレンドが、自宅に集まってのカジュアルな集いだと聞いていた。同時に、結婚式で披露するダンスの練習もするという。気軽な気分で訪れたが、すでにもう、祝宴のアクセルは踏み込まれていた。
Tanviの結婚相手は、彼女が学生時代にバンクーバーで出会ったカナダ人男性。我が家と同様、国際結婚だ。歌い、踊り、飲んで、食べて、もう先日まで滞在していた日本でのライフとはかけ離れたエネルギーの炸裂に、ふと、笑いが込み上げてくる。
インドにおいて結婚式は両家の両親、特に母親のミッションが超絶だ。諸々の準備に数カ月から半年をかける。花嫁の母であるTanuが、諸々のアレンジメントを仕切っていて、ダンスの自主練動画なども送られてきた。実は日本滞在中に、地味に練習していたのだった。
彼女は、連日の催しの準備で疲労困憊に違いないはずなのに、歌い踊ってなんともエナジェティック!

10年ぶり、20年ぶりに再会する親戚やファミリーフレンド。ニューヨーク時代によくしてもらった叔父はじめ、懐かしい人たちと出会えて記憶が巡る。人々は、多忙なスケジュールを調整して、地球の裏側から、結婚式に出席するためだけに、インドへ帰ってくる。
結婚式という場において、旧交を深め、コミュニティの絆を強固にし、新たな出会いを育む。新郎新婦の門出を祝うのはもちろんのこと、結婚式の背景にはさまざまなストーリーと意義があるのだということを、インドに暮らすようになって学び知った。
食べ過ぎず、飲み過ぎず、踊り過ぎず、体力を温存しつつ、この機会を楽しもうと思う。
◉2001年7月。わたしたちの結婚式の記録。









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