
(ここに掲載している写真は、2022年に撮影したものです)
わたしたちが、ニューヨークとワシントンD.C.の二拠点で暮らしていた2001年9月11日、米国同時多発テロが起こった。
わたしたちが、バンガロールとムンバイの二拠点で暮らしていた2008年11月26日、ムンバイ同時多発テロが起こった。
もう、二度と、あのようなテロを、目の当たりにしたくない。直接の被害に遭ったわけではない。しかし、人生に強い影響を与えられた事件であったには違いない。
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高度経済成長に沸いていた当時のムンバイ。リーマンショックで打撃を受けた直後のテロリスト・アタック。
なにもかも、過ぎてしまえば淡々と、ノートの1ページに収められてしまう無常。
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前回、日本へ一時帰国する直前の9月下旬に、わたしがインド移住直前から20年間、ブログを書き続けていたサーヴァー(Typepad)が、「あと8日間で閉鎖」と知ったことは、すでに記した。
カスタマーへの告知もなく、たまたまトラブルシューティングで問い合わせをして知った。膨大な20年分の記録を、複数のブログを、旅の直前に到底、移行できないと一時は諦めた。
しかしながら、いや、どうにも諦めきれず、旅の前日と当日、そして帰国後の3日間で、Wordpressにほぼ、移行できた。AIのサポートのおかげだ。
まだレイアウトは整っていないし、リンクなども崩れている。しかし、残されているだけでよかった。
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今朝、ムンバイ同時多発テロのターゲットのひとつだったムンバイのランドマークとも言える「タージマハル・パレスホテル」のことを思いながら、過去の記録を遡った。
2004年、インド移住前の旅行で初めて泊まった日から、2022年、最後に訪れたときの記録まで。解像度の低い写真から、どんどん画像がクリアになる過程。そのときどきのわたしの心情が、言葉の向こうに透けて見える。
あのテロでは、日本からの出張者が被害に遭われた。先日、デリーで娘の結婚式を挙げた、我が夫の従兄弟Adityaと、彼らはミーティングをしたあと、ムンバイに飛んだとのことで、彼もひどく、心を痛めていた。
トライデントホテル(オベロイ)のエレベータで銃撃された二人の日本人の出張者。お一人は、撃たれたあとも、まだ意識はおありだったとのこと。その彼を介抱していたもう一人の男性は、胸ポケットに入れていたメモ帳が銃弾を防ぎ、軽傷ですみ、命拾いをされていた。
そのインタヴューを日本のテレビ番組で見たときに、運命とはなんなのか……と、強く考えさせられたものだ。実はミューズ・クリエイションで一時メンバーだった方のハズバンドが、当時、被害者の方を病院へ搬送するなど付き添われていたとのことで、詳しいお話もお聞きした。
出張先での非業の死。本当にむごいことだ。
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過去の記録を紐解きながら、今を思い、未来を見上げる。
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以下の記録の最下部に、タージマハル・パレスホテルに関する記録のリンクをはっている。ムンバイの歴史の片鱗を。
ムンバイ、心の拠り処。タージマハル・パレスホテル



















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