インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

(ここに掲載している写真は、2022年に撮影したものです)

わたしたちが、ニューヨークとワシントンD.C.の二拠点で暮らしていた2001年9月11日、米国同時多発テロが起こった。

わたしたちが、バンガロールとムンバイの二拠点で暮らしていた2008年11月26日、ムンバイ同時多発テロが起こった。

もう、二度と、あのようなテロを、目の当たりにしたくない。直接の被害に遭ったわけではない。しかし、人生に強い影響を与えられた事件であったには違いない。

高度経済成長に沸いていた当時のムンバイ。リーマンショックで打撃を受けた直後のテロリスト・アタック。

なにもかも、過ぎてしまえば淡々と、ノートの1ページに収められてしまう無常。

前回、日本へ一時帰国する直前の9月下旬に、わたしがインド移住直前から20年間、ブログを書き続けていたサーヴァー(Typepad)が、「あと8日間で閉鎖」と知ったことは、すでに記した。

カスタマーへの告知もなく、たまたまトラブルシューティングで問い合わせをして知った。膨大な20年分の記録を、複数のブログを、旅の直前に到底、移行できないと一時は諦めた。

しかしながら、いや、どうにも諦めきれず、旅の前日と当日、そして帰国後の3日間で、Wordpressにほぼ、移行できた。AIのサポートのおかげだ。

まだレイアウトは整っていないし、リンクなども崩れている。しかし、残されているだけでよかった。

今朝、ムンバイ同時多発テロのターゲットのひとつだったムンバイのランドマークとも言える「タージマハル・パレスホテル」のことを思いながら、過去の記録を遡った。

2004年、インド移住前の旅行で初めて泊まった日から、2022年、最後に訪れたときの記録まで。解像度の低い写真から、どんどん画像がクリアになる過程。そのときどきのわたしの心情が、言葉の向こうに透けて見える。

あのテロでは、日本からの出張者が被害に遭われた。先日、デリーで娘の結婚式を挙げた、我が夫の従兄弟Adityaと、彼らはミーティングをしたあと、ムンバイに飛んだとのことで、彼もひどく、心を痛めていた。

トライデントホテル(オベロイ)のエレベータで銃撃された二人の日本人の出張者。お一人は、撃たれたあとも、まだ意識はおありだったとのこと。その彼を介抱していたもう一人の男性は、胸ポケットに入れていたメモ帳が銃弾を防ぎ、軽傷ですみ、命拾いをされていた。

そのインタヴューを日本のテレビ番組で見たときに、運命とはなんなのか……と、強く考えさせられたものだ。実はミューズ・クリエイションで一時メンバーだった方のハズバンドが、当時、被害者の方を病院へ搬送するなど付き添われていたとのことで、詳しいお話もお聞きした。

出張先での非業の死。本当にむごいことだ。

過去の記録を紐解きながら、今を思い、未来を見上げる。

以下の記録の最下部に、タージマハル・パレスホテルに関する記録のリンクをはっている。ムンバイの歴史の片鱗を。

🇮🇳ムンバイ、心の拠り処。タージマハル・パレスホテル

写真の説明はありません。
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ヒスイランの画像のようです
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テキストの画像のようです
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記念碑、寺院、テキストの画像のようです
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、「ALEGACY WAS BORN THEPASSION THE PASSION, IDEALS AND VISION OF JAMSETJI TATA WENT LONG WAY SHAPING AN OUTSTANDING BUSINESS CONGLOMERATE THAT HAS BEEN CONSTANTLY NOURISHED AND NURTURED HIS FAMILY OFFER CREDENCE To THIS ONE MAN'S NOVEL DREAM, EVEN THE TATA GROUP BECAME THE LARGEST PRIVATE BUSINESS HOUSE INDIA, THE TAJ MAHAL PALACE BELIEVED to HAVE HELD SPECIAL PLACE THE ENTREPRENEUR'S HEART. "ONE MUST FOREVER STRIVE FOR EXCELLENCE OR EVEN PERFECTION, IN ANY TASK HOWEVER SMALL. AND NEVER BE SATISFIED WITH THE SECOND BEST." J.R.D. TATA」というテキストの画像のようです
記念碑、寺院の画像のようです
シンクの画像のようです
、「ジャムシェトジー・ タタノ タ/1839~1904 その後、 綿紡 【インドの産業の父/タタ グループの創始者】 グジャラート州生まれ. パールシー (ゾロアスター教徒)。 +1868年 (29歳) 横工場を操業し、 インド有数の資本家に。 タタは創業当初から、 バールシーの宗教観に基づく企業倫理、 理念が徹底。 教育、 インフラその他、 きまぎまな分野における社会員献事業を続けている。 (54歳) /来日。 日印間での綿花の直接取引を実現 従来はインドの綿花 を英国が買い取り、 日本が購入していた。 英国のP&0汽船に変わって 「日本郵船」 が綿花を運ぶ。 アジア諸国が歌州列強に席巻されていた時代、 1903年/ムンバイにタージマハル・ バレスホテルを設立。 做州中女中國隆配#用的力数書贈用 彼は大きな想鉄所や世界的な教育機関、 ホテル、 水力発電所などをインドに進設す ることを夢見たが、 生前に実規したのはこのタージマパル・ タタ・スチーセインに頂料上一は」 (..) タージ ホテル バレスホテルのみ。 彼 の構想は、 その後、 タタ・スチールやインド理料大学院 ズ・リゾーツ&パレス、 タタ・パワーとして結実した。 英国統治下 「インド人の誇り」 を具現化 This Boaro langing Side Watson Hotel Rare Invitation &Advertising fTaj Mahal Palace Hotel Taj Mahal Palace Hotel ROOBLNY TAJ MAnAE PALACE HoTBE AHAL PblЖKE DOGS AND INDIANS ARE NOTALLOWED DECKMBER LATEST 1896年7月7日、 ジョーで見るために立ち寄ったポンベイのワトソンホテルで ジャムシェトジー・タ 夕は入場を断られる。 「犬とインド人はお断り」 のサインに衝撃を受けた彼は、 最高のホテルを建立す ることを決意。 インドで初めて、 全能理気が使用された超高級ホテルとして1808年に創来、 ドイツ製の エレペータ、 アメリカ製のファン、 トルコバス、 英国人執事などを備えた。」というテキストの画像のようです
テキストの画像のようです
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