

日曜の夜。ホテルLeela Palace にあるSpeakeasyへ赴いた。貸切の店内で、シャンパンを片手に軽食を味わいつつ、しばし友人らと語り合う。やがて、ステージの準備が整い、ミュージシャン、Trilok Gurtuが登場。我々は、思い思いの椅子に腰掛け、舞台を見つめる。
ムンバイに生まれ、現在はドイツを拠点に活動するパーカッション奏者/作曲家のTrilok。インド伝統の打楽器「タブラ」を基盤にさまざまな楽器、非楽器を巧みに用い、ジャズをはじめとするワールドミュージックを融合させた独自の音楽世界を創造。世界各地で多くの人々を惹きつけているという。
彼の演奏に先立って、今年2月、すばらしい音楽を披露してくれたミュージシャンのRicky Kejが、敬愛するTrilokを紹介。特にタブラ演奏において、彼はインド最高峰だと絶賛するRickyの言葉に、控えめな笑顔を見せたものの……。タブラの何たるかをよく知らぬわたしでさえ、その超絶なる演奏には、瞬時に魂を惹きつけられたのだった。
そして彼の「手」に目が釘付けとなった。


「わたしの演奏は……母の手料理のようなものです。母の料理は、目分量でしょう? 今日ある素材を使い、調味料を量ることなく振りかける。全く同じ味を繰り返さない。そういう今日だけの演奏を、わたしもやります」
全く同じ味ではないが、しかしいつだっておいしい、母の味。そういう音楽なのだろう。
彼の紡ぎ出す音は……言葉にし難い。それは、地球上の、自然の中にある音の再現であったり、あるいは太古の歴史を蘇らせるような音だったり……。さまざまな民族の伝統的な音や、ジャズや、ヒップホップや、ジャンルを定め難い音の連なりと広がり。
バケツの水の中に鈴を浸して生まれるシャラシャラという音には、日本の神社の様子が脳裏に浮かび上がった。楽器と定義されるもの以外の道具が紡ぐ独特の音響効果が、とても楽しい。
中でも、蒸気機関車の音には、個人的に、強く心を打たれた。わたしの最古の記憶 ー2歳のころに見た夜の蒸気機関車の情景ー が脳裏に鮮やかに浮かび上がったのだ。暗闇に照らされた彼の白髪が、蒸気機関車から吐き出された白煙に重なった。


我が両親の故郷は、かつて炭鉱で栄えた福岡の筑豊地方だ。
1963年「三井三池三川炭鉱爆発」という戦後最悪の炭鉱事故が起こった。その2年後の1965年6月1日、三井山野炭鉱で大規模なガス爆発事故が発生。この事故の直後、運悪く、当時3歳だったわたしの従兄弟が、バイク事故に遭った。彼は病院に運び込まれるも、炭鉱事故の被害者で溢れかえっており……。彼は手当を受けることなく自宅に返され、6月3日に息を引き取った。
戦後の高度経済成長に伴い、次々に炭鉱は閉山。筑豊は、長屋、校舎、銭湯などの廃屋をひとつひとつ残しながら、静かに廃れていった。
石炭の採掘の過程で積み上げられた「ボタ山」には、やがて緑が芽生えた。そんなボタ山で遊んだり、廃屋となった銭湯を探検したり、祖母が住む長屋で花火をしたり、虫かごを携えてセミ取りをしたり、赤とんぼや鬼灯を愛でたり、川で精霊流しをしたり……。
閉山を経て徐々に再生する炭鉱町の情景が、わたしの原風景の一つだ。
前述の「2歳の記憶」というのは、祖父母が住んでいた嘉穂郡桂川(けいせん)町の情景。炭鉱の閉山に伴い、母の兄弟たちは職を求めて、愛知県豊田市へ引っ越した。当時、多くの炭鉱関係者が故郷を離れた。トヨタ自動車はまた、その目的地のひとつだった。
あれは夏の夜だ。薄暗く小さな桂川駅前の売店の裸電球が、店先の虫取り網と虫かごを照らしている。わたしは片手にチョコボールを持っていた。それをひとつ、ふたつと食べながら、大荷物を抱えた親類たちを眺めている。
やがて、ホームにSL(蒸気機関車)が轟音とともに入ってきた。夕闇に浮かぶ黒いSLは恐ろしいほどに力強く、汽笛の音は、途轍もなく遣瀬なかった。伯父や伯母、従兄弟たちが乗り込む。わたしは、金のエンジェルも、銀のエンジェルもいない、チョコボールを食べ続ける。
ほどなくしてSLは、凄まじい蒸気を上げ、悲鳴のような汽笛を上げながら、ゆっくりと動き出す。列車の窓から手を振る親戚たち。母方の祖父は、穏やかでやさしく、決して感情を顕にする人ではなかった。わたしにとって、おじいちゃんいつもやさしく、穏やかな笑顔の人だった。
そんな祖父が、動き出した列車を、涙を流しながら、小走りで追いかけるのだ。その、祖父の尋常ならない様子が、58年経った今でも脳裏に深く刻まれている。
祖父はその翌々年、静かに、突然、この世を去った。畳に寝かされ、白い布を顔にかけられた祖父。枕元で号泣する祖母。その傍に置かれたご飯茶碗と、ご飯に垂直に刺された1本の箸(枕飯)を、不思議な思いで眺めた。
人の死を、初めて目の当たりにした、あれは4歳の夜だった。









民族の伝統や、愛国心や、地球愛がほとばしる究極の音楽。砂漠の、遊牧の、流浪の旋律、最高!
コメントを残す