インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    花は、咲いては枯れる。

    木々は、芽生えては朽ちる。

    人間も、生まれては、死ぬ。

    我々を取り巻くすべてが、一瞬とて同じ姿はなく、常に変化を続ける。インドにおいては、そのサイクルが身近で、故に、そこに暮らす人間は、頻繁に手を加えねばならない。労力を使って。

    インドに暮らし始めて以来、この20年というもの「工事現場監督」という肩書きを加えたいくらいに、インドの現場に親しんできた。

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    旧居の内装工事、新居の内装工事という大きなプロジェクト以外にも、数年おきに、大小の何かしらの工事に立ち会ってきた。庭づくり、柵づくり、サンルームづくり、バルコニーづくり……と、新たに構築する傍ら、壁の再塗装、しばしば壊れる各所の修繕……と、日本では考えられないくらいの頻度で、なにかしらのメンテナンスを行っている。

    労働者の多くは、地方からの出稼ぎ者で、きちんとした教育を受けていない。故に、自分が望む作業をしてもらうにも、細かな指示や繰り返しの忠告が不可欠だ。目を離した隙に、プランとは異なる世界の構築が始まって、気づいたときには「なんじゃこりゃ〜!」という事態になりかねない。

    ドライヴァーのアンソニーには付きっきりで立ち会ってもらいつつ、わたしも10分、15分おきに確認する。安全管理も大切。どう見ても安全には見えない梯子を繋いでの木登りなど……。ここから天に昇られても困る。

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    ここ数日、わたしは旧居に引きこもっていた。今年は旅行を控え、時間の合間を縫いながら、旧居の抜本的な内装工事をする。バスルームの改築や床の張り替え、壁の再塗装など。加えてカーテンの取り替えやソファーカヴァーの張り替えなどもある。内装に着手する前に、まずは庭から整えようと、椰子の葉の剪定(ダイナミック)や、柵の補修工事をしているのだ。

    ところで、 大阪・関西万博のインド・パヴィリオンの建築が遅れているとのことだが、そうだろうな、としか思えない。ここ10年余りのEコマースの急成長なども手伝って、インドのサーヴィス産業の時間の概念は、かなりグローバル化した点もある。しかし、根本的な「時間の感覚」が、インドは他国と、多分違う。

    時間を守るべきことと、守らなくてもいいこと……の優先順位が独特なのだ。万博会場ですらこれなのだから、インドで日本人のスタンダードを貫くのは至難の業。

    とはいえ、わたしは30歳まで日本で育った日本人。しかも、スケジュール管理は巧みな方である。インドにおいても、試行錯誤してきた。極力、自分のストレスを軽くするように。

    余裕を持たせて詰め込まず、確実なラインで「インド的スケジューリング」を立てつつ、自分もフレキシブルに動けるよう、調整する。なにかしらのトラブルが発生するのがインドだから、予備日をゆったりと確保することが大切なのだ。自分の心身の余裕のためにも。本当に、自分を守ることが大切。

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    ちなみに、スケジュール管理、段取りや休憩の挟み方、労働者への指示の仕方によっては、作業効率が大幅に向上するのもまた、インド。旧居の内装工事をしていたときに、それを学んだ。

    以前も書いたが、常に現場に目を光らせること、しっかりランチの時間をとってもらうこと、そして夕刻の「チャイ&ビスケット休憩」が肝。チャイ休憩で士気が上昇、その後の数時間の捗りが顕著なのだ。🍪☕️

    以前は自分でチャイを作り出していたが(夕方はメイドがいない)、今ではSwiggy(フードデリヴァリー)でチャイやスナックも手軽に注文できる。

    さて、そろそろ内装工事の見積もりなども依頼せねばならない。何もかもが数年遅れで動いていて、わたしのやる気もだんだん落ちている。今年こそはやるぞ!と、自分を鼓舞しつつ……がんばろう。

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    日本からインドへ帰ってきて2週間余り。すでに、何人ものインドの友人知人らと言葉を交わす機会があった。

    今回の長い一時帰国の理由を知る彼らの多くは、わたしが母のサポートのために帰国したことをして、「あなたは恵まれている」「いい機会だったわね」と、異口同音に、ポジティヴな言葉をくれる。

    福岡の、家の中にて。渦中にいるときには、あまりにも繰り返される質問に、つい声を荒げてしまうこともあり……。自責の念も含め、精神的に厳しいと思う事態も多々あった。理屈ではわかっていても、行動が伴わない。未来への不安なども重なって、心の平穏を保つのにも努力が必要。朝の瞑想は必須である。

    「要介護1」という、まだ浅く軽めの母のサポートですら、タフだと感じたが、それは序の口だと認識している。同居で何年も、心身をすり減らしながら介護を続けている人たちが、どれほどたいへんなことか。想像するに、窒息しそうな気持ちにもなる。ともあれ、自分の役割を、今は考える。

    🌸

    今、あの4週間を振り返ると、実家周辺をうろうろしただけだったにも関わらず、故郷再発見を楽しめたし、桜も眺められたし、最後には「ナマステ福岡」にも参加できたしで、精神的に、とても豊かな時間を過ごせたとも思う。

    母の白内障の手術がなければ、実現しなかった4週間だった。

    確かに、友らの言う通り、本当に、ありがたいことなのだと思う。過去は過去として、今と未来を見つめる。それは、自分のためでもあり。

    🇮🇳

    インドにおける家族や親戚のつながり、友人との関わり、ソーシャルな絆は、多分、現在の日本のそれよりも、遥かに濃い。もちろん、いいことばかりではないけれど、少なくともわたしは、そのことで救われてきた。人間の有り様について、考えさせられることも多々ある。

    だから、日本における「親孝行」という道徳的表現に該当するような言い回しを、普段、使わない。わたしが知らないだけかもしれないが。子が親のケアをすることは当然のことだから、敢えて声高に「親孝行」を言う必要もないのだと、わたしは解釈している。

    十数年前、母が70代のころは、インドにも数回招き、都度、2、3カ月、長期滞在をしてもらっていた。夫はもちろん、歓迎してくれる。今なお、母が一人暮らしだと知る友人たちからは、インドに招いて一緒に暮らせばいいのにと言われる。夫もそう言う。

    ありがたい提言だが、率直に言って、簡単なことではない。

    今は、「要介護1」で受けられる介護サーヴィスプラスαでひとまずは暮らせている。妹が近所に住んでいるので、心強い。死ぬまで家で過ごしたいという母の意向に沿えるよう、あとは亡父に願うばかりだ。

    🇮🇳

    写真は一昨日のもの。ミーティングのあと、友人らとLupaでランチをとった。バースデーを祝いつつ、賑やかで楽しいひととき。爽やかなモクテルも、久々のビーフも、おいしかった。

    日本の友らと同席のときには、わたしは多くを語ってしまいがちだが、インドの友らと一緒だと、口を挟む余地が少ない。先日のランチもそうだった。そのギャップが、我がことながら、面白い。

    昔から言われているたとえがある。

    国際会議の場で、優秀な議長とは、日本人を語らせて、インド人を黙らせることができる人物。

    両国の間で生きる者としては、自分の個性すらも把握に戸惑うスタンダードの相違だ。ともあれ、わたしは、インドにいられて、本当によかった。

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    旅人として初めてバンガロールを訪れたのは2003年12月。以来、20年余りのこの街の変貌の様子が、あたかも走馬灯のように脳裏を巡る昨今。ただ、誕生するだけではない。まさに躍るシヴァ神(ナタラージャ)の如く、破壊と創造が繰り返される景観。

    新しいものが次々に誕生する一方で、古き良きものを守ろうとする動きもある。英国統治時代に建築された趣のあるコロニアル建築物もその一つ。1800年代、1900年代初頭の建造物も、数十年前までは、まだ数多く、この街に残っていた。

    緑が生い茂る広大な庭にぽつんと佇むバンガロー(平屋一戸建ての建造物)とは対照的な、建蔽率の高い無機質なビルディングが次々に生えて(!)いる。一方で、たとえ改築や維持に予算や労力がかかったとしても、昔ながらを守ろうとする動きもある。

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    わたしのお気に入りのブティックであるRaintreeやCinnamonもその一例だ。

    さて、最近また、うれしいニュースが飛び込んできた。バンガロールの中心部、英国統治時代からの繁華街だった「コマーシャル・ストリート」の近くに、アートとクラフトのコミュニティセンター、Sabhaが誕生したのだ。

    160年以上の歴史を持つ教育機関の管理下にあった、タミル(南インド)の学校の寂れた古い校舎を再構築し、文化的な空間として再誕させたもの。文化や伝統、芸術、音楽、パフォーマンスなど、創造に関わるさまざまな催しや活動を支援すべく、今後、この空間は提供されるという。

    なんというすばらしさ!

    Muse Creation としても、またOkaeri Venturesとしても、未来、この場を活用させていただくことになるだろう。インド移住当初から、いや、23歳のときに初めてシンガポールを取材し、ラッフルズ・ホテルやグッドウッドパーク・ホテルなどのコロニアル建築に身を置いたときから、かような建築物も好きだった身としては、旧居から車で約10分ほどの場所に、こんなコミュニティが誕生したことが本当にうれしい。

    同団体のサイトに詳細が記されているほか、今後のプログラムなども記載されている。バンガロールにお住まいの方は、ぜひ足を運ばれてはいかがかと思う。

    [Sabha]
    https://www.sabhablr.in/

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    火曜はインディラナガールで午前、午後と2本のミーティングがあった。午前はミューズ・クリエイションのメンバーと、慈善団体訪問や今後の活動についての打ち合わせ……を口実とした懇親会的おしゃべりの時間。幹事の方が選んでくれたのは、TOITというブリュワリー。

    朝からオープンしてるの? と思ったが、朝食メニューから準備されている。わたしがここに来たのは、10年ぶりくらいだ。久しぶりの訪れると、その雰囲気のよさに感じ入る。待ち合わせの朝10時は、当然の如く、店内はがらんとしていたが、気づけば周囲のテーブルは徐々に埋まり始め、ランチタイムには、ほぼ満席。

    平日の昼間だというのに、みなビールを飲みながら雑談なのだか商談なのだかわからないが、会話を楽しんでいる。パソコンを広げているテーブルもあったが、そこにも、もれなくビールが置かれている……。

    自由だ!
     
    初めてパリを訪れた遠い日、平日の昼間から、仕事中だと思しき人たちが、ワインをザバザバと飲む様子を見て、自由だな……と思ったことを思い出す。

    インドは広く、バンガロールはインドの中においては昔からアルコール消費量が多い「パブ・シティ」であることもあり、飲酒に寛大だが、全く異なる環境の都市もあるので念のため。

    ちなみにバンガロールは、インドのビールの代名詞ともいうべくキングフィッシャービールを生産するUB(United Breweries)グループの拠点であり、英国統治時代からビール製造が行われていた。

    歴史を語ると長くなるので割愛。

    現在、バンガロールには70を超えるクラフトビールのブリュワリーが林立しているが、黎明期は2012年。UBシティの向かいにあるBIER CLUB、ホワイトフィールドのWINDMILLS CRAFTWORKS、市街中心部のガルーダモール向かいにあるARBOR BREWING COMPANY、そしてここ、インディラナガールのTOITの計4店が、先駆けであった。……と、話がまた長くなる。

    ミューズ・クリエイションの今後について、改めて思いを巡らすいいミーティングだった。わたしは午後の打ち合わせがあったため、あいにくビールを飲めなかった(このごろは酔いやすく、冷めにくい)が、次回はちゃんとビールを飲みにこようと思う。

    躍るシヴァ神は、霊山アルナーチャラの山道で購入したもの。ちなみに我が夫、現在、アルナーチャラ滞在中。

    ◎無知と邪悪を踏みつぶす。聖なる山の麓にて。小さくも偉大なる「破壊と創造の神」を。(2023/11/24)

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    昨夜は、久しぶりに夜のチャーチストリート界隈へ繰り出した。遠い日のバンガローリアンがここを訪れたら、きっと驚くことだろう。20年前には想像もつかなかった、煌びやかに若々しい夜の街になっている。

    かつては、おすすめのレストランを、簡単に選べたものだ。今となっては、すてきな飲食店が次々に誕生し、それと反比例して外食の頻度は落ち、だから「未踏の地」が大半。こんなところに、こんなお店が?! という機会が増えた。

    昨夜もまた、そうだった。友人Amitの50歳を祝すべくサプライズ・パーティということで、企画した友人から招待を受けた。店名の「DALI & GALA」の文字に目を見張る。サルバドール・ダリと、その妻、ガラの名を冠している。俄然、興味が沸く。

    わたしは、まだ文字が読めるようになる前の2、3歳のころ、自宅の書棚にあった「世界美術全集(山田書院)」を絵本のごとく開いて楽しんでいた。そのときに最も心惹かれたのがダリの絵で、大人になってからもシュルレアリズムへの関心は強かった。

    ゆえに、28歳のとき、欧州を3カ月間、放浪旅したときには、南フランスからペルピニャンを経由して、ダリの故郷であるフィゲラスで列車を降り、「ダリ・シアターミュージアム」(最高!)を訪れた。その後、バスに乗って峻険な崖道を走り抜けた先にあるカダケスという港町で数日滞在した。

    地図を片手に、町外れの小高い丘を越えた先にある港を探し歩いた。そこには、ダリとガラが暮らした家があるのだ。丘の頂上から視界が開け、海を見下ろしたとき、「卵」のオブジェを戴いた家が目に飛び込んできた時の感動たるや!

    そこには、彼がいくつもの作品で描いたカダケスの海辺の情景が、そのままに広がっていたのだ。昔は不便だった。けれど、地図とノートとカメラを携えて、何度も道に迷って迷って迷いながら、西へ東へ歩いたものだ。そしてそれは本当に、豊かな旅路だった。

    ダリのことを書き始めると尽きない。下部に、2016年に夫とフィゲラスを再訪した時の記録を貼っておく。
    ダリに少しでも関心のある方には、ぜひご一読いただければと思う。チュッパチャプスのデザインも彼によるものだ。

    ちなみに後半の写真は、1960年ごろに発行されたであろう、わたしが幼いころに開いた画集。今も「月光ライブラリ」にある。それと1994年の欧州旅の記録ノート。

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    パーティでは、日本への帰国前に会ったきりだった親しい友らと久しぶりに会えて、うれしいひとときでもあった。日本の桜の記憶が遠のき、カタルーニャが迫り、いや、ここはインドなのだと、脳内で時空旅行。

    「DALI MARTINI」と「1926」、2杯のカクテルですっかり酩酊し、あとはペリエで過ごした。すっかりお酒に弱くなったなあ……。

    ちなみに1926年は、ダリが初めてパリへと飛び、その後、ピカソと出会い、シュルレアリズムと出会った年でもある。カダケスには、ピカソとダリの小さなミュージアムがあって、それがファンキーで楽しい場所だったことを思い出す……。今調べたら、AIが「カダケスにはピカソやダリの美術館はありません」と断言している。

    フィゲラスのダリ・ミュージアムに統合されたのかもしれない。

    「1926」。とてもおいしいカクテルだった。また訪れたい。いや、スペインを訪れたい。

    🎨[Barcelona 09] ダリの故郷で超現実の芸術世界。そして卓越の昼餐。(2016)

    🎨The Disintegration of the Persistence of Memory 記憶の固執の崩壊(2023)

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    ハッピー・イースター!

    週末は市街北部、ヤラハンカの新居で過ごすことが多いが、今日の夜、街中が会場のパーティに招かれていることから、今週はコックスタウンの旧居にいる。しかし金曜日はわたし一人、新居に赴き、ゲストを迎えた。
    デリーにて過去2回ほどお会いした彼女。これまでは簡単なご挨拶を交わすだけの「知人」だったが、休暇を利用してバンガロールからマイソールを旅されるとのことで、ご連絡をくれたのだった。

    海外と日本とを繋ぐお仕事に携わられている彼女。サリーがお好きであれこれ買われているという。話が弾む予感しかなかったので、夫を呼ばなかったのだが、それは正解だった。

    🥚

    彼女を午後2時ごろお迎えし、最初はホールで話をしていたのだが、途中でサリーや着物をお見せしたり、月光ライブラリに場所を移し、旅の本などを開いたり……。

    翌朝、マイソールに赴かれる以外、特にご予定はないとのこと。さあればと、お土産にいただいたマハラシュトラ州ナシック産CHANDONのDELICEを開ける。チーズなどのおつまみを準備しておくべきだったと思いつつ、SMOORのお気に入りのケーキに加え、イースターエッグをお出しする。

    微甘くフルーティでおいしいDELICEを飲みつつ、畳み掛けるように甘いお菓子を味わいつつ、杯を重ねるうちにも、気づけば日がとっぷりと暮れている。

    まだまだ話し足りないですね。

    ご帰任の前にまたぜひバンガロールへ。

    また来ますね。

    次回は泊まりで!

    ……などと言い合いながら、大きく手を振りお見送り。高原の夜風が心地よく、満たされた気分だ。

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    人とのご縁の在り方も、人生のステージによって変化してくるものだなと、このごろは切に実感する。

    ミューズ・クリエイションで毎週金曜日を集いの日とし、多くの方々をお招きしていた時代。それはそれで、有意義で楽しい歳月だった。しかしながら、歳を重ねてこのごろは、出会いもまた、量より質だとも思う。
    言葉が通じ合う人、気持ちが通い合う人、意気投合する人との明るい時間を大切にしたい。

    そうして、人付き合いを、丁寧にしたいと思う。

    この身はひとつ。

    唯一無二。

    世界は益々忙しい。人間関係もまた、インスタントに雑な趨勢が平均的になっている。損得勘定ばかりをしていては、やがて自らが虚しくなるだろう。

    相手が誰であろうと、老若男女問わず、ステイタス問わず、善き出会いを大切に。ご縁をいただいた方々を心に刻み、お世話になった方々の恩義を忘れずにいたいと思う。

    さすれば、やがて自らも満たされるだろう。

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    気づけば4月下旬。バンガロールの盛夏は終盤。これから雨が増えれば、気温は落ち着き過ごしやすい時節となるだろう。日本から戻り、しかし日本での出来事をもう少し書き残しておきたいと思いつつ、すでに10日が過ぎた。日々はやさしく、しかし確実に過ぎてゆく。

    🇯🇵

    パンデミック明けより、日本を旅するインドの友らが激増している。ランダムに旅のアイデアを尋ねられることが増え、わたしも個別対応に窮することがあり。今後、「わたしが勧める日本」の資料をまとめる必要があると実感している。

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    木曜日、わたしは友人のMira宅に招かれた。「日本旅行経験者」が招かれてのランチ会だった。
    我が母と同世代のMiraとの出会いは数年前に遡る。わたしが「女性たちの勉強会」のメンバーになり、初めて集いに参加した日のこと。彼女はわたしの方にまっすぐに歩み寄り、旧友と再会したかのような親しみを込めて、両手を握り、挨拶をしてくれた。

    「わたしの前世、一度は間違いなく、日本人だったと思うの」と彼女は言った。その後、初めて彼女の家に招かれた時には、日本の絵画や調度品、漆器などが集められているのを見て感嘆したものだ。

    彼女はインド人だが、顔つきは東洋人のようでもある。こうして写真を見ると、彼女とわたしは親戚のようにも見える。

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    子ども時代、Miraが住んでいたデリーの家の近くに、日本大使館があり、大使館に通勤する日本人女性の姿を毎日見かけていたという。小股でしずしずと歩く彼女たちを見たことが、彼女が日本に関心を持つ契機になったという。

    すでに他界されているハズバンドから、結婚25周年の記念旅行はどこへ行きたいかと尋ねられ、日本と答えたそのときの旅が、彼女にとって初めての日本旅だった。以降、彼女は観光地はもちろんのこと、当時の一般の観光客があまり訪れない場所……福井県の永平寺、広島の宮島、和歌山県の高野山など……にも訪れたという。

    Miraが、広島の呉港で撮影された写真がまとめられた1989年のアルバムを見せてくれた。ハズバンドが造船会社の重役だったとのことで、船の命名式に主賓として招かれたという。Miraが命名者(ゴットマザー)として”MARITIME ETERNITY”と名づけたとのこと。

    翻って、友らの日本旅の話もまた、尽きることない。それぞれに興味や関心が異なるから、日本での旅先や楽しみ方も多様だ。「どこがお勧め?」と尋ねられても、すぐに返答するは難しい。昨今はオーヴァー・ツーリズムで、観光客が溢れかえり、風情が台無しの観光地も多々ある。つい先日、桜の季節に京都を訪れた友人は、京都で宿が取れず、大阪に数泊したという。

    話を聞きながら、常々感じている日本の観光事情の課題や可能性、展望などについて思いを馳せる。

    灯台下暗し。

    異邦人目線で捉えた日本の魅力を、日本の人たちにさえも伝えたいと思う。

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    自分の人生経験を通して、学び得た事柄と、神々の教えとされる聖典や、先人らの知恵とが、合致して腑に落ちることが多くなった昨今。

    若いときに買って目を通したときには、心に引っ掛からなかった漠然とした教え。今読み返せば「なるほど」と膝を打ち、大いに共感を覚える。つまりは、わたしがこれを書いたとしても、共感を覚える人は圧倒的に少ないだろう。

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    それでも、前回「人生はロールケーキ」に関心を寄せてくれた人がいたし、実際に福岡で同世代複数名に話したとき、強く共感してくれる人もいた。自分の心境を刻むためにも、改めて前回書きそびれたことも含め、メモにした。

    「記憶の歪みと記憶の固執」(サルバドール・ダリ的な)や「記憶の上書きは不可能」といったキーワードについて、細かく説明したいところだが、ここでは割愛。

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    今回、日本のアマゾンで買い物をしているときに現れた書籍。この手のタイトルの本は、玉石混交につき、購入は控えているのだが、この本には何やら惹かれて注文した。

    『心を浄化する奇跡の方法 言霊を活かした美しく豊かな人生 』

    著者の森井啓二氏が獣医師でありホメオパシー医学の専門家であることが、関心をかきたてた。内容は極めて普遍的にわかりやすく、しかし「聖典」の真髄を紹介している。日本においては、宗教や精神世界に関する偏見も多々あることから、深く触れるつもりはないが、「心身の健康を保つ」ガイドとして、おすすめの一冊だ。

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    『バガヴァッド・ギーター』とは、インド二大叙事詩のひとつである『マハーバーラタ』の一部をなすヒンドゥー教の聖典の一つだ。「バガヴァッド・ギーター」とは「神の詩」を意味する。インド世界を理解するために、そして自分の精神を理解するためには必読の一冊だと、過去20年間、折に触れて、思い続けてきた。

    しかしながら、何度も頓挫。歳月を重ねて読破できず、未消化のまま今日まで来ている。しかしながら、そろそろ時機が来たような気がして、昨夜、十数年前に購入していた『神の詩』を開いた。これは、サティヤ・サイババによる『バガヴァッド・ギーター』の教えがまとめられた分厚い本だ。

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    冒頭の「序」を読んで、目を見張った。

    「……探求の輪はひとまわりして、はじめの場所に還ってくる……」

    やはり人生はロールケーキ。

    一昨年、夫とのビジネスを立ち上げた際に、Okaeri Venturesとしたことも、そのロゴの文字を「還」にしたことも、すべては必然だった。

    さて、そろそろ、紐解くときが来たようだ。神の詩を。

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    昨日は、1カ月ぶりに新居へ。ドアを閉めていてなお、隙間から入り込んでくる工事現場の埃。ウィークエンドハウスにつき、メイドを雇っていないので、未だ、自分で掃除をする。数カ月に一度、ディープクリーニングを依頼しているので、清潔は維持できている。

    無論、日頃の掃除も、外部に依頼しようと思えば可能。しかしわたしは、自分で掃除がしたい。掃除が好きなのか、と問われれば……好きだと断言できない。しかし、掃除は、いいのだ。

    身体を動かすことで、心身のエクササイズにもなる。無心で拭いたり、磨いたり、水で洗い流したりすることは、瞑想のようでもある。

    禅の修行は掃除からはじまるといわれる。禅寺の朝はまた、掃除からはじまる。掃除によって脳内が整理され、心が調う。

    掃除で汗を流した後、自らもシャワーを浴びてすっきりする。清潔になった空間は、ひたすらに心地よい気で住む人を包み込んでくれる。幸福感が増す。

    🧹

    2022年5月に完成して早3年。「本来ならば」その年に、我が家を取り囲む4軒のヴィラも完成するはずだった。しかしながら、この3年間、工事は遅々として進み、ようやく2軒がほぼ完成した。今年は旧居の改築も行う予定で、旅は少なめ、バンガロールにいる時間が長くなる。

    4猫らにとっては、旧居が世界のすべて。彼らが新居に移住するときが、我々にとっても、新居が本拠地になるときだろう。

    🚶‍♀️

    まだ微妙に時差ぼけで、夜は10時ごろ眠くなり、朝は6時前に目が覚める。健康的ではある。眩い朝日に照らされて、コミュニティを散歩する。3年前に完成する予定だったコロッセオ風のクラブハウスは、まだまだ絶賛工事中。工事中にも関わらず、内部のジムはすでに稼働している。未完成でも動き出す。それがインド。
    翻って我が家の外庭。まだ、何もしていない芝生のままだが、来年あたりはランドスケープを考えよう。今年は内装を完成させる(まだ完成していない箇所あり😅)。

    📚

    わたしが一番好きな場所、それは月光ライブラリ。やっぱり、この空間は最高。ここに座ると、とても懐かしい気持ちになる。昔からの記録や本が並んでいるからだろうか。それだけではない。日差しの具合や空気の漂い方が、懐かしいのだ。

    今回、福岡に関する本を、大量に購入してきた。どれもこれも興味深く、福岡がどれほど日本の歴史にとって重要な土地だったかを学んでいる。表紙を撫で、目次を読み、パラパラとページを捲るだけでも、そのコンテンツの豊かさが指先から伝わってくる。

    日本への一時帰国のたびに、日本の欠片を持ち帰り、この家に配する。インドと日本が共在するこの空間が、本当に愛おしい。大切に、整え、調える。

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    バンガロールに戻ったら、たちまち「胡蝶の夢」のごとく、福岡の4週間が遠くてパラレルワールドを行き交っているかのような心持ちにさせられる。

    すでにインドでの日常は始まっているが、心はまだ、福岡の余韻。

    書ききれていない記録も多々あり、まずは「ナマステ福岡」の前日に、一人訪れた「香椎宮」のことを残したい。

    香椎第一中学校を経て香椎第二中学校に転校、香椎高校が学び舎だったわたしにとって、香椎周辺は青春の思い出に満ちた場所だ。無論、現在は当時の面影は幻。JR香椎駅も西鉄香椎駅もダイナミックに改築され、周辺の商店街や通りは再開発により著しく変貌している。

    当時のわたしにとって香椎宮といえば、「近所にある神社」でしかなかった。千早小学校のころに写生に訪れた以外、参拝した記憶は数えるほどしかない。だから、今になって香椎宮の歴史の深さを知り、心打たれている。

    香椎宮はまた、昨年の秋、夫と共に訪れた「壱岐」とも、神功皇后のご縁で繋がっている。かつて壱岐の勝本町には「香椎(かすい)」という地名があったと知ったときは、鳥肌が立った。

    香椎宮の歴史の深さを知るには、仲哀天皇と神功皇后の歴史を知らねば伝わらない。詳細を記すと長くなるので、要点を箇条書きで残す。

    ◎福岡市東区にある香椎宮は、第14代天皇の仲哀天皇と、その妻である神功皇后を祀る神社。

    ◎香椎宮は、天皇家との縁が深い勅祭社(全国に16社)のひとつでもあり、勅使(天皇の使い)が送られる。

    ◎仲哀天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第2皇子。熊襲(くまそ)討伐のために九州へ赴いたが、諸事情あって早逝。

    ◎仲哀天皇崩御後、神功皇后が棺を椎の木に立て掛けた。すると、あたり一面に椎の木の香りが漂ったことから、この地が「香椎」と呼ばれるようになった。

    ◎今回わたしは初めて、香椎宮に隣接する香椎宮起源の地である「古宮」を訪れ、神功皇后が棺を立て掛けた(棺掛)椎の木「神木 香椎」を見た。

    ◎「神木 香椎」のある杜の奥に立つ「大本営趾」の記念碑のあたりでは、土地の持つパワーを強烈に感じた。

    *以下、大本営趾にある案内が、想像以上に壮大な内容だったので、抜粋する。読みながら、「ほぇ〜」と声が出た。

    「仲哀天皇の大偉業/天皇の大偉業は、実に廣大にして其の一端が神功皇后の三韓征伐である。此の宮が策源地であったために大本営趾として記念碑が建って居る。今日我國が世界の独立國として平和にして文化國として雄飛し居るは実に其の基を開かれた天皇の大偉業による。此故に此宮は平和にして文化國日本の発祥地なり」

    ◎神功皇后は、仲哀天皇の急死後に神託を受けて、男児(第15代応神天皇)を妊娠中、「男装して」三韓征伐(遠征)に。ちなみに香椎宮から北西に位置する黒津の岬にて、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、この地が「名島」と呼ばれるようになった。

    ◎神功皇后は帰還後に糟屋郡宇美町で応神天皇を出産したとされる。その後、壱岐の温泉で応神天皇を産湯に浸からせた。前回の旅で、その温泉を訪れたが「子宝の湯」として知られている。

    ◎享和元年(1801)に再建された本殿は「香椎造」と呼ばれる建築様式で、国指定の重要文化財である。

    ◎香椎宮の近くに武内宿禰(たけしうちのすくね)ゆかりの「不老水」がある。仲哀天皇と神功皇后に仕えた武内宿禰が、献上する御飯に使った水と伝えられている。この水を飲食に使った彼自身は300歳の長寿だったとのこと。わたしは今回、初めてここを訪れた。

    ◎高校時代に、不老水の前を通過したときには薄暗い場所だという印象だったが、今はきれいに整備されている。300年も生きては困るので、100mlほどをいただいた。100歳くらいまで、元気に生きられればと思う。
    ◎香椎宮ではまた、弁財天も祀られている。

    ◎主神/仲哀天皇(国家安寧/世界平和/家運隆昌の神)、神功皇后(外交/子授け/安産育児/芸能上達/土木治水の神)

    ◎配祀/応神天皇(国家繁栄/厄除開運/武運長久/成功勝利の神)住吉大神(清祓/除災招福/海上安全/交通安全の神)

    🌸

    桜が満開のこの時期に、あたかも初めて訪れるかのような心持ちで、この香椎宮を参拝できた幸運に感謝だ。
    去年のわたしは、インド国内はじめ、エジプト、インドネシア、日本……と各地を旅し、図らずも多くのパワースポットを訪れ、神と大地の恩恵を授かった。今回は、故郷の近所にパワースポットが多々あったことを悟り、感無量だ。

    次回は宮地嶽神社や宗像大社へも足を伸ばそう。そして今回、本気で登る予定だった「立花山登山」も実現したい。

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