インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    🇮🇳
    I’m home.
    Welcome home.
    Earlier today, I finally returned home to my husband and four cats waiting for me.
    My cats are, as always, unsympathetic.
    The four weeks in Japan seem like a mirage.

    🇯🇵
    ただいま。
    おかえり。
    本日の未明、ついに、夫と4匹の猫が待つ家に帰ってきた。
    猫らはいつもと変わらず、無愛想だ。
    日本での4週間が、幻のようだ。

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    4週間の福岡滞在を経て、ようやく今日、バンガロールへ帰る。今、成田空港のラウンジにて、長大な記録を書き上げた。その直後、パソコンの妙な不具合で、全部消えた。驚いた。

    今日のところは、多くを語るなということだろう。なにしろ今、やや酩酊状態につき。

    ゆえに、ナマステ福岡2日目の写真だけを載せておく。バンガロールに戻って、今回の稀有な一時帰国と心の旅について、じっくりと記したい。

    初日に着たAshdeenのパールシー刺繍のサリー。そして2日目に着た京友禅サリーにまつわるご縁に満ちたエピソードもまた。

    🌸

    鹿児島、熊本、久留米、東京……。他のご用もおありだったにせよ、予定を合わせて会いにきてくださった方々、本当にありがとうございます。

    一緒に出店してくれた美砂さん、今回もありがとう。

    そしてナマステ福岡主宰者のクマルご兄妹はじめ関係者各位、ありがとうございました。

    🌸

    人間万事、塞翁が馬。

    🌸

    母の白内障手術の伴っての一時帰国だった今回。確かにタフなこともあったが、それを補って余りある有意義。今回の旅でさらに深まった故郷の再発見。それに伴う新たな出会いやビジネス。自らの視点と心境の変化……。29年ぶりの弥生の空。舞い降る桜。

    今年は、人生節目の年であり、日本生活と海外生活が30年ずつと、半分になる年でもあり。

    すべてはカルマ。神の計らいか……とさえ思えるご縁の連なりを実感する。

    実家の掃除中に発見された、さまざまな過去からの声。今まで見つけられなかったのに、出てきた思い出の品々など。

    人生とはずっと種まきの連続で、肉体はさておき、精神は、晩年に花開くものなのかもしれない。最後の瞬間に麗しく開花し、潔く散る桜のように。

    高校時代に国語の参考書にあった大岡信の『言葉の力』というエッセイを思い出す。

    ……ん? 気づいたら、またしても書き込んでいる。今日のところはこの辺で。夫と猫らの待つ我が家に帰ります! 😾😼😺😸🤓

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    4週間の日本滞在、最後の2日間を飾るのは、『ナマステ福岡』。一時帰国を決めた後に、このタイミングで開催されることを知り、参加することにした。

    今回は、福岡一色に染まる、わが日本滞在だ。

    かつてミューズ・クリエイションのメンバーだった友人も手伝ってくれたほか、懐かしき元バンガローリアンの友人たちも来訪。初めてお会いする方、従兄弟や旧友……。

    バンガロールから連れてきた品々を売ることもさることながら、主催者や他のヴェンダーの方々、来訪者……。みなさんと語らうことが楽しかった。バンガロールを目指している若者もいた。飛びたて! と願う。

    🇮🇳

    ところで本日のサリーは、わたしが大好きなパールシー刺繍と絞り染めの組み合わせ。大好きなブランドAshdeenで自分の還暦祝いのために購入した。日本へ来る直前に仕立て上がったので、持ってきた次第。本当は誕生日に着ようと思っていたが、日本の方々に、インドの匠を見ていただきたく、着用した次第。

    「きれいなサリーですね」と多くの方々に声をかけていただいた。大半の方が「日本の生地で作ったんですね」とおっしゃる。インドで有松絞りの浴衣を着ていたら、「バンダーニ(インドの絞り染め)で作ったのね」と言われる。

    わたしが意識的に選んでいるとはいえ、日本とインドのテキスタイルの親和性を思う。

    近々、福岡にはインド領事館が開設される。これからは、より一層、福岡とバンガロールの間でできることが増えそうだ。

    書き残したいこと尽きぬが、明日もまた、早起きして現場入り。今日はこれからお風呂に入って寝ます。

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    長いと思っていた4週間の一時帰国も、ついには残すところ数日となった。最後の週末、明日と明後日は、福岡市の中心地である天神で開催されるインドのイヴェント『ナマステ福岡』だ。

    時間の合間を縫っての地道な準備も完了。インドでは、ミューズ・クリエイション、あるいは個人で幾度となくバザールや展示会をやってきたので、要領はつかめている。しかし、普段とは異なり、今回の作業場は実家の狭い部屋。

    普段は大きなモニターを使っているが、ここではデザイン作業もラップトップの小さな画面。老眼と近視のミックスにつき、画面を押しやったり近づけたりと、試行錯誤しながらの作業だった。しかしながら、そこそこの環境でも、やろうと思えばなんとかなるものだ。

    印刷やラミネートの加工は妹がオフィスでやってくれた。ブランド紹介などは、敢えての手書き。昔、コンピュータがなかった時代、厚紙に切り貼りして、紙芝居的なプレゼンテーションをやっていたことを思い出す。あのころは何もかもが手作業だったなあ。

    🌸

    4月になれど、まだ寒い福岡。明日と明後日はサリーを着るので、少しでも暖かくなることを祈る!
    みなさんとお会いできることを、楽しみにしています💝

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    昨日は、妹の運転で、母と3人、志賀島までドライヴした。

    日本でも有数の陸繋(けい)島である志賀島。両側に海が迫る「海の中道」を通過して、島に至る。先日、バッグ作りを楽しんだ美砂さんのブティックがあるのは、志賀島に向かう途中の西戸崎だ。

    志賀島を最後に訪れたのは、亡父の運転で、だった。日本に住んでいたころだから、少なくとも30年以上前。
    金印に蒙古塚……。志賀島の地理や歴史について、書きたいことは募るが、今日はこれから久々に「自分のためのお出かけ」につき、写真だけでも残しておく。

    海と桜。歴史の豊かさ。

    福岡、最高。

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    以前も記したが、亡父は、前の車のナンバープレートを用いて、自分の存在をアピールする。もう、偶然の領域ではない。妹の車の助手席に座っていると、父の誕生日(7/2)や命日(5/27)、そして野球選手だった時代の背番号(8)が、それはもう、本当によく現れるのだ。

    昨日も二度遭遇。そのうちの1枚は、写真に納めた。母を連れていくまでは、こうしてストーカーのごとく、守護してくれるのだろう。頼むぜ、おやじ!

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    4月だ。

    日本に戻って瞬く間の20日間が過ぎた。今週末の「ナマステ福岡」に参加してのち、来週の火曜日にはインドへ帰る。フライトを変更し、滞在を延長して、当初の予定通り生まれ故郷の熊本などを旅したいという気持ちと、早くインドに帰りたいという気持ちが交錯する。

    Missing home.

    わたしの居場所は、夫や猫らの待つ南天竺バンガロール。今は、あの緑あふれるターミナル2に、早く降り立ちたい。

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    一昨日の日曜日は、ガーデンズ千早で母とランチをすませ、広場で踊りを披露する人々を眺め、愛らしい水引きのイアリングを購入した後、母をタクシーで送り、わたしは引き続き、界隈を歩くことにした。

    1日最低8000歩。鬱屈しがちなときには、1万歩は歩きたい。そうすれば、身体全体に、力が巡る。ガーデンズ千早を出て少し歩くと、母校の千早小学校。校庭に見事な桜の木が見える。

    はるか記憶を遡れば、これはわたしたちが在校時に植樹されたものだ。帰宅後、先日の掃除中に見つけていた小学校の卒業アルバムを開く。

    やはり。このときには、桜の姿はない。かつてはここに、1970年に開催された日本万国博覧会のシンボルだった岡本太郎氏による「太陽の塔」を模倣したものが立っていた。

    ページをめくれば……見つけた! 小学4年生の時のクラス写真。太陽の塔の前で撮っている。左端に、植樹後まもない、細い桜の木が写っているではないか!!

    あのころは、なんと細くて頼りない木だろう、いったいいつ咲くのだろう……と思っていた。

    あれから歳月は確実に流れ、50数年の今、立派な木に成長している。

    年輪も、ロールケーキも、似ているな。巡り繰り返す季節の中で、わたしたちは、芽吹き、育ち、開き、実り、熟し、枯れていく。

    (自分は枯れる気がしないけど😸……いつかは、枯れる)

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    千早小学校を出て、隣接する香椎第一中学校へ。ここには、中学1年の2学期まで通った。入り口に「努力の上に花が咲く」のことばが貼られている。

    わたしの好きなことばだ。高校時代、中村学園と試合をするときに、この言葉を記した黄色いバナーが吊るされていたのを思い出す。

    素朴ながらも心に残る言葉。今、調べてみたら、中村学園創始者の中村ハルさんの遺訓だという。

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    帰路、千早のなみきスクエアの図書館に立ち寄り、郷土のコーナーでしばらく過ごす。背表紙を眺めて愉し。
    尽きぬ。

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    家に戻る前、入口を通過して、多々良川の河川敷まで足を伸ばした。そして、河畔のカフェ”minamo”で、コーヒーを飲む。

    巡る。

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    昨日もまた、母の眼科や歯科に同行する合間、待合室を抜け出しては、近所を歩いた。そこかしこで、桜花は開いている。もう十分だろうと思うほどに写真を撮る。しかし、もう、こんなにも桜を見ることはないかもしれぬと思うと、撮らずには、いられないのだ。

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    青空が広がった昨日の日曜日。しかし、少し暖かくなっていた気温が、再びぐっと落ちて、寒い。家のベランダから見下ろす多々良川沿いの桜並木は、まだ七分咲きといったところ。

    名島神社へ桜を見に行くかどうか迷ったが、今日は母の眼科や歯科やわたしの整体もあり、そうこうしているうちに、瞬く間に日々は流れる。行けるときに行こうと、またしてもコートを引っ張り出し、タクシーを呼んで、赴いた。

    境内は近所の人たちや、ランドセルを背負って記念撮影をする子どもたちなどで賑わっている。一角に青いビニールシートが敷き詰められ、景観が台無しだったが、これもまた、日本の文化か。日本に住んでいたときから、あのブルーシートが嫌だったことを思い出した。

    だからこそ、ワシントンD.C.のタイダルベイスンの、あの水辺に咲き誇る見事な桜並木が、わたしは大好きだったのだ。人々は、ただ、眺め語らい歩いたり、芝生に座ったり寝転がったりして、ひたすらに、花を慈しむ。

    花見のシートは、なぜブルーなのか。桜の風情が破壊される。せめて透明がいいのではないか。あるいは、昔ながらの、ナチュラルなゴザにしてほしいと切望する29年ぶりの日本の花見情景。

    🌸

    名島城趾の臥龍桜は、まだ六分咲き。それでも、低いところから開いていて、母の目線には満開だ。

    先々週、先週と、1週間おきの両眼の白内障手術が終わり、昨日からようやく、保護メガネをせず入浴できるようになった。ゆえに、朝、入浴してもらい、すっきりしたところでの花見につき。メガネをかけずにある程度まで見えるようになった視界に、母の感慨もひとしおのようだ。
    この一瞬一瞬を。

    🌸

    花見のあとは、ガーデンズ千早でランチを取ることにした。今回の滞在中、2020年に誕生したタクシー配車アプリケーションの「GOタクシー」をダウンロード。使えるタクシーが増えていて、車がなくても移動しやすくなった。一人ならば歩くところだが、母と一緒につき、丘の上の境内にある駐車場付近までタクシーに来てもらう。

    その後の記録もまた、個人的に感慨深いので、次に記す。

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    当初は、「母の白内障手術に伴う1カ月の福岡滞在」だったはずが、日々、故郷再発見や大小の偶然が重なって、かつてない心の旅を楽しんでいる。

    わたしの母は9人兄弟、父は4人兄弟。わたしには、いとこが20人いたのだが、ほとんどが離れて暮らしていることもあり、昔から疎遠だ。

    そんななか、母の妹の長男であるタカシくん(9歳下)とは、彼が生まれたときから近所に住んでいて、弟のツトム君含め、幼いころから一緒に遊んでいた(遊んでやっていた😉)こともあり、今でも繋がりがある。

    去年の一時帰国時にも、奥さんのトモちゃんと一緒に遊びにきてくれた。今回は、わたし自身が落ち着かない状況だったことから、連絡はしていなかった。

    すると、昨日、Instagramを見たタカシくんから「姉ちゃんおかえり」とメッセージが届いた。わたしが先日訪れた「地場産くるめ」から、タカシ君の家は徒歩3分だという。なんてこったい! 彼らが久留米に住んでいることをすっかり忘れていた。超ご近所まで足を伸ばしていたとは!

    すぐに電話をしたら、今、福岡市内へ来る途中だという。先日、伯母の家の庭に咲くミモザの花をここに載せた。これまで一人暮らしをしていた91歳になる伯母が、老人ホームに移るというので、連絡をくれたがゆえ、十数年ぶりに会いに行ったのだ。伯母は母の兄の妻。

    長男のヤスジくん(1つ上)は、わたしが小学生のころ、隣に住んでいたことから、小学生のころには毎日のように一緒に遊んでいた。

    タカシくん曰く、引越しや片付けのために、ヤスジくんが東京から来ているので、その手伝いに行くのだという。つまり我が家の近所まで来るわけで、わたしも顔を出すよと伝えたのだった。

    ヤスジくんとは、東京で働いていた時代に数回会ったきり。その後、2004年に父の葬儀に来てくれた際、軽く言葉を交わしただけだった。ゆえに、21年ぶりの再会である。

    片付けがひと段落した二人は、我が家へ遊びに来てくれた。

    「やっちゃん、久しぶり! 元気〜!!!」

    還暦を迎えたやっちゃん(ヤスジくんのことをこう呼んでいた)は、昔の面影を残したまま、タカシくんとともに現れた。魂は瞬時に、家の前の道路でキャッチボールをしていた小学生のころに戻る。その間の50数年間をすっ飛ばして、あのころが蘇る。

    やはり人生は、ロールケーキだ。

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    彼の子どもが30歳、25歳になっていることや、奥さんのことなどを簡単にお聞きするも、あとは現在のこと、伯母のことなどを語り合う。会わなかった数十年間の出来事などは、すべて幻のように。

    何をやってきて、何をしていようが、今、この瞬間、(それなりに)元気で語り合えることが全てなのだと、痛感する。

    整理せねばと思っている写真の山を引っ張り出して、皆で見る。ヤスジくん、タカシくんの写真も次々に出てくる。そして、3歳で他界したヤスジくんの兄、ケイタくんの写真も……。

    実は先日、ケイタくんの写真を数枚発見していて、これは伯母ちゃんかヤスジくんに渡したいと思っていたのだ。

    ケイタくんの死の背景にはまた、時代の影が映っている。何もかもが、幻のように、しかし確実に、人は生まれて、生きて、死ぬ。そして全ては、この瞬間。今。

    2年前に、大切な記憶を書いている。加筆修正したものを、下部に転載する。長いけれど、日本の高度経済成長の時代を映す、意義深い記録なので敢えて載せる。

    タカシくんがユウイチ兄ちゃんにも連絡を取り、LINEのグループを作ってくれたので、昨夜はみなで写真や言葉を交換して、半世紀前を偲んだ。

    生きているうちに、みなで福岡で会おうと約束した。

    タカシくん、連絡をくれてありがとう!

    昭和の写真も、何枚か載せている。

    タカシくんが生まれるまえ、やっちゃんと、わたし、そしてわたしの妹を抱くタカシくんの母(我が母の妹)の写真が、なんともいえず、いい。「吉隈のおばあちゃん」、即ち当時の嘉穂郡桂川町や碓井町の界隈。背後に見えるのは、懐かしきボタ山。

    今はなき、1970年代の香椎花園での写真もまた、たまらぬ。ジーンズが流行しはじめた時代のファッション。わたしはサロペット(オーバーオール)姿、父も母もデニムの上下でコーデしている。「西部警察」風味を漂わす我が父😊

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    1965年(昭和40年)、東京オリンピックが開催された翌年に生まれたわたしは、不便で汚くて貧しかった日本の片鱗を体験した、最後の世代かもしれない。

    なにしろ福岡市東区の自宅でさえ、お風呂にガスが通ったのは1968年あたり。3歳のころだったと思う。それまでは、薪で風呂を焚いていた。近所の山(三の丸団地ができる前の山)に、祖母と薪を拾いに行ったことも覚えている。砂利道が舗装され、海が埋め立てられ、山が造成され、団地が次々に生まれるのを目撃してきた。

    翻って筑豊。

    石炭の採掘の過程で積み上げられた「ボタ山」には、やがて緑が芽生えた。そんなボタ山で遊んだり、廃屋となった銭湯を探検したり、祖母が住む長屋で花火をしたり、虫かごを携えてセミ取りをしたり、赤とんぼやほおずきを愛でたり、界隈を流れる川で精霊流しをしたり……。

    夏ごとに廃れ、徐々に再生する炭鉱町の情景が、わたしの原風景の一つとなっている。

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    前述の「2歳の記憶」というのは、伯父夫婦やユウイチ兄ちゃんをはじめとする親戚らが、炭鉱の町を離れて愛知県の豊田市へ引っ越した夜のことだ。当時、多くの炭鉱関係者が、仕事を求めて故郷を離れた。愛知県豊田市はまた、その目的地のひとつだったと思う。

    あれは、夏の夜だった。どの駅だったのだろうか。薄暗く小さなターミナルの売店の裸電球が、店先の虫取り網と虫かごを照らしている。わたしは片手にチョコボールを持っていた。それをひとつ、ふたつと食べながら、大荷物を抱えた親類たちを眺めている。

    やがて、ホームにSL(蒸気機関車)が轟音とともに入ってきた。伯父や伯母、従兄弟たちが乗り込む。ほどなくしてSLは、凄まじい蒸気を上げ、悲鳴のような汽笛を上げながら、ゆっくりと動き出す。

    その列車を、穏やかで静かだった祖父が、泣きながら手を掲げ、追いかけ走った……。

    夜の駅。チョコボール。SL。取り乱す祖父……。忘れ得ぬ記憶。祖父はその翌年あたりだったか、60代で静かに他界した。

    わたしが生まれた熊本県荒尾市もまた、三池炭鉱の町だった。伯父の訃報に自分の出自を再認識する朝だった。

    🙏我が原点。炭鉱跡、ボタ山、線香花火……。日本の近代産業を支えた筑豊炭田を巡る、個人的な体験。(2023/10/10)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/10/fk01.html

    昨日の朝、愛知県に暮らす2歳上の従兄弟のユウイチ兄ちゃんから電話あった。ユウイチ兄ちゃんと最後に会ったのは、30年以上前のこと。子ども時代は、祖母が暮らす嘉穂郡で、夏休みに会っていた。わたしが愛知まで遊びに行ったこともある。

    「おそらく……」と予感した通り、それは伯父、つまりユウイチ兄ちゃんの父親であり、母の兄の訃報だった。88歳の大往生。歳月は流れど、やさしかったユウイチ兄ちゃんは、「Youtube、見たよ」「元気そうやね」と、笑いながら、昔のままの温もりある声で、妹に接するかのように話しかけてくれる。お悔やみを伝え、「いつかご家族で、インドにも遊びに来てね」と言って、電話を切った。

    その刹那、わたしの最も古い記憶の一つ、2歳の夏の夜の思い出が蘇った。わたしは幼少期の記憶と心情が鮮明に残っている方だが、この記憶は格別に鮮やかだ。

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    我が両親の故郷は、かつて炭鉱で栄えた福岡の筑豊地方。飯塚や嘉穂郡界隈だ。室町時代に遡る筑豊の炭鉱の歴史。明治時代には「殖産興業」を背景に八幡製鐵所が創業したことで、財閥や大手企業が相次いで出資。筑豊の炭鉱は隆盛を極めた。しかし繁栄の裏側には、過酷で劣悪、危険な労働環境に喘ぐ坑夫やその家族の物語もある。

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    1963年(昭和38年)、「三井三池三川炭鉱爆発」という戦後最悪の炭鉱事故が起こった。その2年後の1965年6月1日、わたしが生まれる約3カ月前に、三井山野炭鉱で大規模なガス爆発事故が発生し、237名の死者が出た。この事故の日か翌日に、運悪く、当時まだ3歳だったわたしの従兄弟(ケイタくん)が、バイク事故で重傷を負った。彼は病院に運び込まれるも、そこは炭鉱事故の被害者で溢れかえっており……。

    彼は手当を受けることなく、自宅に返されて、6月3日に、息を引き取った。

    小学生のころ、彼の弟にあたる従兄弟(やっちゃん)から、古い写真を数枚、見せられた。家の中で探し物をしていたときに見つけたというモノクロの写真。血の滲む包帯でぐるぐる巻きにされた幼い子ども。抱きかかえる祖母の絶望的な表情。当時は、痛ましくも恐怖心が心を覆ったが、それもまた、炭鉱の悲劇のひとつであった。

    戦後の高度経済成長に伴い、次々に炭鉱は閉山。上記の事故なども閉山に拍車をかけた。筑豊は、長屋、校舎、銭湯などの廃屋をひとつひとつ残しながら、静かに廃れていった。

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    長いと思っていた1カ月も、すでに半分以上が過ぎた。もう少し日本にいて、一人旅に出かけたい。しかし、早くインドに帰りたいとも思う。複雑な気分だ。

    昨日27日は、折しも亡父の月命日につき。約3年ぶりに、佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへと赴く。隣県とはいえ、鳥栖は福岡県との県境に近く、先日訪れた久留米にも程近い。

    妹が行きたいという海鮮料理の店へ赴くべく、まずはぐっと南下して八女まで行き、ランチをすませて改めて北上、鳥栖へ行くことにした。

    久留米絣の故郷であり、お茶の産地でも知られる八女を過ぎたあたりから、山間の情景が一気に緑豊かになり、田舎の情趣に満ちてくる。あいにくの曇天ながらも、道路の左右には、時折、桜の木々が見られて麗しい。

    2年前、京都を訪れたとき、京友禅サリーの発起人でいらっしゃる竹鼻さんご夫妻に案内していただき、竹鼻さんの運転で「美山かやぶきの里」を訪れた。あのときもちょうど、似たような天気だった。

    桜が終わる時期で、しかし美山へ向かう途中では、時折、桜が見られ、夫がいちいち感嘆し、写真を撮りまくったものだ。そのときの情景を彷彿とさせる、日本の自然美。窓を開ければ、雨に濡れた土や樹木の香りが流れ込んでくる。これもまた、懐かしき日本の匂いだ。

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    道の駅に併設したその店でランチをすませ、道の駅で八女茶や土地の日本酒などを買った後、父が眠っているであろう霊園へと向かう。

    すると、満開の桜が出迎えてくれた。事務所の方によれば、前日、一気に開き、今日が満開だという。なんというありがたきタイミング。

    小雨の降る中、墓の掃除をし、花を添え、線香を焚く。

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    母の両眼の手術を無事に終えられ、メガネをかけることなく、桜を見られるまでに視力が回復したことのありがたさ。この絶妙のタイミングもまた、父の尽力であろう。

    お礼を伝えつつも、「これからも、ちゃんと見守ってよね!」と、強く念を押す。

    父の肺癌が発覚したのは、父が62歳のときだった。母を残して死ねぬと思い続けた父の気持ちが、今、自分がその年齢に近くなってより一層、よくわかる。

    まだまだ死ねない。やりたいことが、たくさんある。

    父と、親しい友人(同じ年)を21年前の同じ時期に亡くして以来、わたしは健康を最優先して生きる道を選んできた。66歳で他界した父の無念を思いつつ、その思いを新たにする。

    心と身体の健全を。

    しばし事務所の方と話し、現在のお墓事情などをお聞きする。行く先々、出会う人々と語り合うことで、日々、今の日本を学んでいる。リアルな交流は、大切な糧だ。

    桜を眺め、霊園に隣接する丘に登り、弁財天様に手を合わせる。ここ数年、合掌をする機会が増えた。気がつけば旅先で、たくさんの、祈る場所に訪れている。

    恵まれている。

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    今日は佐賀県の鳥栖まで、妹の運転で父の墓参りへ。そのことを書き記す前に、昨日の夕暮れ散歩の情景を。

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    丘の上に立つ家を出て、踏切を渡り、国道3号線を横切って、多々良川に並行して北へ歩く。その道をして、「飛行場道」という。この真っ直ぐに伸びる道は、かつて名島にあった「名島水上飛行場」に続く道だ。その途中、右手には、わたしが通った幼稚園がある。

    この飛行場は、1931年、世界一周中のリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が降り立ったことでも知られる。

    わたしは、多々良川が海に流れ出す場所にある名島神社を目指して歩く。子ども時代から我が家にゆかりのある神社。我が心の弁財天が祀られる宗栄寺を擁する場所でもある。

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    名島神社に立ち寄る前、子どものころによく訪れた三ノ丸に隣接する「羽衣台道」に寄り道。今は閑静な住宅地だが、1970年代までは、山の中にぽつん、ぽつんと豪奢な家が立つ、独特の風情が漂うエキゾチックな場所だった。通るたびに、他の場所では感じない「不思議な感覚」を味わったものだ。

    大人になってここに立ち寄り、「はるか昔、渡来人が住んでいた」と記されたサインを見つけて納得した。羽衣台道の羽衣とは、サリーではなかったか……とさえ、思う。

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    このあたりの山の奥に、昔、池があって、幼稚園のクラスメイトだった我が初恋の男子がよくザリガニ釣りに来ていた。今ならば立ち入り禁止になりそうな鬱蒼の森の中の池。一度そこを訪れたとき、足を滑らせて池に足首あたりまで浸かってしまった。それが怖くて、二度と行くことはなかった。

    あの池はどこだろう……と造成された新しい住宅地を抜け、木立の中に入ってみるが、見つからない。もう、埋められたのだろう。

    椿の花が、枯れ草の上に散らばるばかり。

    それにしても、今回の旅。こんなにもたくさんの椿の花を見るのは、生まれて初めてのことだ。

    妹が生まれる前、嘉穂郡に暮らしていた母方の祖父が遊びに来たとき、当時2、3歳だったわたしは、よく祖父とこの山道を越えて、その先にある叔母の家に遊びに行った。路傍に咲く小さな小さな紫色の野の花を、小さな指先で摘んで、いつもやさしかったおじいちゃんに差し出した記憶。

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    名島神社。誰もいない。わたしだけ。昨日投稿したリールは、名島神社の稲荷の鳥居。桜はまだ三分咲きといったところか。しかし2、3日うちには、満開になるのだろう。

    海岸沿いに出れば、夕日が麗しく。神社の一隅では、椿と桜が重なり合って咲いている。

    なにもかもが、夢みたいだ。ここを離れて、下関の大学へ進み、東京で働き、世界各地を旅し、ニューヨークへ行き、ワシントンD.C.やカリフォルニアに暮らし、インドに20年も暮らしている自分のライフのなにもかもが。

    夢を見ていたのだ、と言われても納得してしまいそうな、絶対的な夕日の果てしなさ。

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    梵語が刻まれた塔や魚の形の岩。インドの女神、サラスワティを起源とする弁財天が、蛇らと共に祀られており。

    生まれたときから、子どものころから、飛行機に乗り、海の向こうを目指し、世界各地を旅した果てにインドにたどり着き、そうして原点に戻ってくることが、約束されていたかのようだと、毎日のように、思う。

    自宅でも、片付け物をしながら、古い写真や資料などが発掘される。尽きぬ。

    ……良くも悪くも、因果応報。

    ちゃんと生きたい。強く優しくしなやかに、そして勇敢に生きたい。巡り巡って原点に戻って、心の底から、そう思う。

    🙏一隅を照らす此れ則ち国の宝なり by 最澄

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    インドにいる夫や、4猫らが、幻かと思えるような心許なさもまた、同時に。

    WhatsAppで、夫に撮影した写真を送る。

    「ミホはラッキーだね。こんな季節に日本にいられて」

    本当に。母の世話をすることが目的だったとはいえ、それは娘として、できることをやるのは当たり前のことであり。
    親に対する子どもの在り方について、間接的に示唆を与えてくれたのは、わたしの身近なインドの人々。彼らを通して学んだ親に対する絆の姿。わたしも、できる限りのことを。

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