インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    インド移住前の2004年、初めてこのホテルを訪れたとき、緑に満ち溢れた、コロニアル様式の建築物に、忽ち心を奪われた。「ガーデンシティ」の象徴のような場所だなと思った。

    その一年後、今から20年前。バンガロール移住を決めたわたしたちは、住まいが見つかるまでの約1カ月をここで過ごした。だからこのホテルには、思い出も、思い入れも、深い。

    家族や、友人や、クライアントを伴って、何度ここを訪れてきただろう。記憶を辿れば次々に、過ぎし日の光景が浮かび上がる。

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    今日、ミーティングのために、久しぶりに訪れた。朝から夕方までの長丁場ながら、休憩時間やランチタイムに、周辺を歩けるのが心地よく、満ち足りた気分にさせられた。

    21年前の「旅人の木」は、見上げるほどに成長している。インド生活20周年。節目が重なる2025年。

    21年前、旅の直前に、ワシントンD.C.のBarnes & Nobleで買ったトラベル・ジャーナルを開けば、『インド彷徨2004』が、鮮やかに蘇る。時間が伸縮する。

    思いが募って、沈思黙考。

    http://www.museny.com/2004/india1004-00.htm

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    1月12日のジャパン・ハッバ(日本祭り)が終わるまでは、まだ切り替えが難しかった。しかし、終わってからは、じわじわと、しかし確実に、スイッチが、切り替わっている。今年やることを、削りつつ、優先順位を決めている。抱えるなかれ、欲張るなかれ。人生そのときどきのステージにあった生き方を選びたいとの思いを新たにしている。

    ところで写真は昨夜の空。椰子の葉にひっかかる一番星。木枝に紛れる、うっすらと細く、生まれたての月。

    ◉アーユルヴェーダで心と身体のメンテナンス

    かつてのように、リトリート(療養施設)に滞在はしなかったものの、1月中旬以降の8日間、毎日夕方の数時間、オイルマッサージなどのトリートメントを受けた。主には肩こりや腰痛、膝の痛み、めまいなどの軽減、予防のために。また後日、目のトリートメントも受ける予定。やはり、アーユルヴェーダはよい。こんな療法を気軽に受けられる環境が、ありがたい。

    ◉仕事や依頼を厳選する。なんでも引き受けない

    これは勇気のいることだ。興味がないことならば、最初からお断りできるが、興味がある、やってみたい、という気持ちを抱えながら、辞退するのは難しい。しかし、年を重ねて経験を重ねれば、出会う人は当然増えて、リクエストの量も増える。常に心がけている「スケジュール表の余白作り」が難しくなる。

    だから仕事は厳選しようと決めた。後ろ髪を引かれつつ、丁寧にお断りのメッセージを送る。中には、依頼するときには熱心に何度も、しかし断ると返信なし……というケースもあり、なるほど、これはお断りして正解だったと思う。わたしでなくても、よかったのだ。

    人間関係が粗雑になる傾向が、年々加速する。懸念や疑念を打ち消しながら、自分にできることを。

    波乱の歳月を乗り越えて、気づけば今の環境を享受できている。この先はもう、自己実現のためのライフゆえ、自分の得意を生かし楽しめて、未来のために貢献できることを賢明に選ぶ。

    ◉人との交流、アナログに戻る。本質に還る。

    パンデミックの名残もあって、オンラインやZoomやらで、コミュニケーションがとれた気になる。でも、違うのだ。振り返って痛感するのだ。昔は、人と会って、打ち合わせをしていた。電話をかけて、声を聞いていた。相手の気配を常に感じながら、仕事をしていた。それが当たり前だった。

    それがいつのまにか、実際に会ったり、電話をかけたりすることが、時間の無駄とされたり、電話は相手に失礼だとなったりしている。

    先日も書いたばかりだが、敢えて書くならば。わたしたちは、それをやめて、豊かな時間を得ただろうか。利便性追求の果てに、安らぎや幸福を得ているだろうか。

    20代、インターネットがなかった時代のことを思い出す。東奔西走、足を運んで、人と会っていた。会わずしては、仕事にならなかった。今でも懐かしく思い出す。馬車馬のように働いていた時代、取引先や下請けのオフィスを訪れるとき、ときには自腹で手土産を持参して、それを食べつつ、打ち合わせをしたり、語り合ったりした。

    何十年もたって振り返ると、過酷な日々のなかの、しかし同志のような人々との関わりが、愛おしく、思い返されるのだ。仕事の内容そのものよりも、そのときの他愛のない会話や、食べたお菓子や、見聞きする世界のことが、心に刻印されている。

    年を重ね、ライフスタイルも変わり、仕事の内容も変化して、ここしばらくは、公私いずれも多めの人数で集うことが多かった。でも、これからは、お会いしたい人とは、なるたけ小人数で、語り合う時間を持とうと思った。新年から、すでにそれを始めている。そこには、思いがけないご縁や共通項が浮かび上がる。人と出会い、語り合うことで、気持ちが活性化する。なにより、楽しい。

    人との関わりも、丁寧に。旅をするにも、仕事をするにも、丁寧に。速度を落とす。

    ◉発信スローダウン。手書きの記録を丁寧に。不特定多数よりも特定少数の人に、直に伝える。

    先のことはわからないが、ネット上における発信頻度を少し落とそうと思う。もう、世の中に情報が溢れすぎていて、何がなんだかわからない。誰もが瞬時に自分のことばを全世界に発信できる今の世界で。量より質をと思ってきたが、もう、伝えたい人に伝えることも、難しいということを、実感している。いったい何人の人が、今、この言葉まで辿り着いているだろう。

    パラパラと、サラサラと、ザアザアと、流れ落ちるような活字の怒涛の中で、ネットの海の藻屑。本業はライターだと思っていたけれど、もう、それはあまり意味をなさない。

    これまで以上に、手書きのノートを大切にする。そして、ご縁を得た人たちと、会って語り合う。ご縁を辿ってドアを叩いてくれた人たちと、会って語り合うを優先する。

    「はじめまして」「久しぶり」と挨拶を交わし、「またね」「楽しかった」「元気でね」と手を振り別れる。そういう関わりを、大切にしたい。

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    先週は、我が夫の母校であるボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)の集いがあり、わたしも催しに同席した。2011年に、夫がバンガロールにおけるMITクラブを創設。我が家で開催した第一回会合を皮切りに、これまでもさまざまな催しに参加してきた。夫と出会って29年。互いの人生を取り込みながら、紆余曲折と波乱のなかにも、豊かさな経験を享受する歳月だ。

    わたしが初めてMITを訪れたのは、2000年。卒業年(夫は1995年)に合わせて5年に一度開催される一大同窓会(リユニオン)に、わたしも同行したのだ。数日に亘っての多彩なプログラムには、卒業生だけでなく、その家族やパートナーも参加できる。あのときの経験、学び、衝撃は、今でも忘れられない。世界を牽引する人々を生み出す大学の力を目の当たりにした。

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    今回は、MITの南アジア・リユニオンの集いで、関係者がボストンはじめ、各地から集った。

    今回の主目的は、2023年、バンガロールに誕生したSGB / Science Gallery Bemgaluruにおいて、「MITと南アジア」の展示会を実施すること。カルナータカ州政府を筆頭に、IITベンガルール(インド工科大学バンガロール校)など、バンガロール拠点のアカデミック組織や団体によって構築されたこのSGBには、MITも関わっているという。

    夫は数日間に亘って催しに参加していたが、わたしもそのうちの2日、同行した。先週の金曜日には、市内レストランで開かれた集いに参加して人々との社交を深め、日曜日にはSGBへ。インフォシスの初代CEOであるNarayana Murthyのスピーチを皮切りに、関係者らのトークのあと、MITがインドに与えた影響についてをまとめたヴィデオが上映された。Youtubeにも公開されているので、関心のある方にはぜひ、見ていただきたい。

    インドが1947年に英国統治から独立した直後、ネルー首相はじめ国を牽引する人々が、IIT(インド工科大学)を創設した背景には、MITの存在があることはよく知られている。特にIITカーンプル校の設立に大きな影響を与えた。その具体的なストーリーをも知ることができる、非常に興味深いヴィデオだ。

    🇮🇳Revolution on the Ganga – The Making of the Technological Indian

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    🇯🇵書きたいことは募るのだが、今日のところは日本に関わるストーリーを。今から150年前、2人の日本人がMITを卒業していたというのだが、その二人の出自が、なんと福岡藩の出身なのだ。

    去年は卒業150周年ということで、日本のMIT会でも関連の催しが開催されており、サイトにも詳細が記されていた。

    「1874年にMITを卒業する初めての日本人となった本間英一郎氏は、福岡藩士・本間源水の子として生まれ、藩命により土木研究のためにMITへ留学。マサチューセッツ工科大学土木工学部を卒業し、帰国後は海軍省を経て、工部省鉄道局や、鉄道各社にて技師長、社長顧問、取締役などを歴任し、日本の鉄道の発展に大きく貢献されました」とのこと。

    何より興味深いのは、時代背景。明治維新の真っ只中。明治政府が発足したのは1868年。日本が激動の時代を迎えたその時期、彼らは渡米し、1870年、開校まもないMITに入学。そのときには「武士(サムライ)の出自」だったが、在学中に「四民平等」が発令されて、多分、ステイタス変更。いかなる混沌の波が彼らを襲ったことだろう。帰国後の彼らの日本近代化への貢献や、数奇な人生にも心惹かれる。

    今からちょうど120年前には、日本人女性も卒業している。

    SGB含め、諸々、興味深く書きたいことは尽きないが、これからアーユルヴェーダのトリートメント。関心のある方は、ぜひ関連記事をご覧いただければと思う。参考までに、諸々のリンクも貼っておく。

    🚀SGB (Science Gallery Bengaluru)

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    ◉From Samurai into Engineers

    【過去のブログ記事】

    ◉MITの学長招いて月下の宴@キルロスカ邸。作家ラマチャンドラ・グハや元宇宙飛行士のラケーシュ・シャルマ氏とお会いする(2007)

    ◉MITクラブ結成。我が家で第1回会合を開催。夫と出会って広がりゆく我が人生。(2011)

    ◉無常と効率の祖国/夫が創設したバンガロールMITクラブと、キルロスカ邸でのパーティ(2011)

    ◉インターンでインド滞在中のMIT学生らと語る夜。(2013)

    ◉MIT同窓会の夜。七夕、出会い18周年記念の夜。(2014)

    ◉ヴィクラム・キルロスカ氏、急逝。🙏(2022)

    ◉MIT(マサチューセッツ工科大学)インターン生を囲んでの同窓会@4P’S

    ◎マサチューセッツ工科大学の同窓会に同席して(2000年6月執筆のメールマガジン)

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    テクノロジーの超絶進化で、善きものをよりもむしろ、有象無象の情報に埋もれてしまいがちな日常。

    利便性が高まって、人間の仕事は果たして減ったのか?

    便利になった挙句、そこに余裕は生まれたのか?
     
    人々は益々気忙しく、会うことを省き、語り合うを省き、理解し合うを省き、加速を尊び、なにもかも短時間に短縮傾向。

    「パラパラ」みたいな軽くて薄いコミュニケーションが主流となって、浅はかに人を責め、浅はかに人を裏切る。

    礼儀や恩義や道徳を忘れ、神仏を軽んず。人間関係の質を尊ぶよりも、関わる人間の量を問う。

    「その人の本質」ではなく、「その人のステイタス」つまりは肩書きが優先。

    周囲をキョロキョロ見回すばかり、自分自身を見ていない。

    「お金」を目的にして、「お金」を権力や成功や富の象徴に据えるから、心が病む。

    ……こんな趨勢が、こんな循環が、「主流」であっては、よくないと思う。

    資本主義社会というイデオロギーの世の中だから、仕方がないのか。

    ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊、マルタ会談、米ソ冷戦の終結……あの時代からの30年余りで加速した歪みを、今後、この世界はどう糺すだろう。

    1万年に亘るカリ・ユガ(暗黒時代)の、ほんの刹那か。

    🙂

    どんちゃん騒ぎの狂乱の渦の中で、自分の声が聞こえない。

    それは本当に自分の意見か? 誰かの意見の二番煎じじゃないのか?

    騒音の中にあって、自分の水面を揺るがせもせず、静かに深く呼吸をしながら、目を閉じて、自分を見つめよう。

    ああ、しかし! 

    身近な人の、離れた人の、誰かの言葉に惑わされ、疲弊させられ、真偽も定かではなく、放っておけず、心乱れる自分に苛立つも現実。

    生きるとは面倒や手間をひとつひとつ片付けながらの繰り返し。そんなやるせなさをも慈しむ歳月の連なり。
    明けても暮れても、毎日、なにかが起こっては、心乱されることの連続。……だからこそ! 自分の心身を休め、強くするための時間が大切なのだ。

    模索は続く。多分、死ぬまで。

    🙂

    今週のわたしは、8日間にわたり、近所のアーユルヴェーダ診療所に通い、トリートメントを受けている。顕著にどこかが悪いというわけではないが、頸部や肩、腰の疲れ、疲労時の眩暈など、身体のちょっとした不調を整えてもらうために。行き帰りを含めて所要3時間半程度。極力、心身を休めるべく、外出予定は最低限に、オンラインミーティングも控えめに、のんびりと過ごしている。

    トリートメントの作用で、身体がだるく感じることもあり、夜は8時間〜9時間、しっかりと眠る。普段からよく寝る方だが、普段にまして、よく食べ、よく眠る。

    次なるプロジェクトの準備もあるが、まずは自分の心身管理を最優先にしようと決めた。

    🙂

    今年に入っていいニュースのひとつは、我が家に信頼のおける料理人が来てくれるようになったこと。掃除のメイドはいたけれど、移住直後の一時期を除き、これまで自分で料理をしてきた。しかし、我々夫婦のライフスタイルもまた、変化しているわけで、週に3回、「健康的で辛くないインド料理」を作るメイドを雇った次第。我が夫、辛いものが非常に苦手なのだ。

    食生活の変化についても、いつか記したいと思う。

    さて、来週中盤から再起動だ。週末は、取りこぼした作業をぼちぼちと拾い集めつつ、静かに過ごそう。

    🙂

    アーユルヴェーダのことは、これまでも幾度となく記してきたが、膨大すぎるので1つだけリンクを。
    🌱インドの偉大なる伝統医学、アーユルヴェーダ。わたしたちのライフの基盤は、古来からの教えに守られている。

    https://museindia.typepad.jp/fashion/2024/04/ayu.html

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    昨年の終わり、日本のAmazonで注文していた写経のノート。あれこれと比較検討して選んだだけあり、紙質もよく、書きやすい。手本を見ながら書く。唱えながら、書く。

    毎朝、10分程度の瞑想を続けていたが、邪念にまみれて心休まり難く。

    写経であれば、自分に向き合ったひとときを、視覚的に確認できる。何より、般若心経の、根源的な世界の教えを、日々、綴れる。

    心の乱れや、邪念や、集中力のなさが、文字となって現れるので、自分の精神の様子を視覚化できるのがよい。最後の「右為」の一行には、「何のために唱えるのか」を書く。

    日々、そのときどきの願いや、祈りを、綴る。それがまた、よい。とにかく、手で書く。それが大事。

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    般若波羅蜜多心経(玄奘三蔵訳)。大乗仏教の教理が、この短い経典の中にすべて、凝縮されているという。
    今から16年ほど前、ムンバイとバンガロールの二都市に住んでいたころ。リーマンショックやムンバイ同時多発テロやらで、実に心乱れる日々を過ごしていた。少しでも、気持ちを整えたく、一時期、写経をしていた。
    思い返すに当時は、まだ自分の精神が熟していなかった。この経典が指南する意味を、真に理解しようという姿勢が希薄だった。

    今は、あのころとはだいぶ違う。この教えの意味を少しでも理解しようと意識しながら、文字を綴っている。自分の在りように重ねながら。年齢を重ねるとは、こういうことなのだなと、思う。

    経験を重ねて謙虚にありたい。歳月を重ねて思慮深くありたい。若いころには見えなかったものを、見えるようになった今を慈しみながら。

    🖌

    般若波羅蜜多心経は、特に「空(くう)」思想についてを説いている。すべての事象は不変の実体をもつものではない。深い智慧により執着を離れることで悩みや苦しみから解放されるとする。

    これは、仏教というひとつの宗教にとどまらない、普遍的な、人間の真理だと思う。少なくともわたしにとっては、宗教を超えた、精神世界の在り方を指南してくれる言葉の連なりだ。

    言葉にすれば流れていくような、滑らかな表現。しかし、これを真に理解し、自らの生き様に取り入れ、日々生きることの、どれほどの困難か。

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    こうして書いている今だって、インドの日常にありがちな、日常茶飯事のトラブルあれこれが、笑えるくらいに頻発して、「ウキ〜ッ!」っとなっている。今年は極力、怒鳴らないと決めたのに。自動的に声を荒げてしまう哀しみ。

    理想と現実の間(はざま)で、足掻きながら生きている。

    羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経🙏

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    新居が完成したのは2022年5月。しかし、我が家の周辺のヴィラは永遠とも思えるほどに、工事中。ゆえに、平日は猫らのいる旧居、週末は新居で過ごすというライフが2年半、続いている。

    新居と旧居の距離は車で45分程度。移動は特に問題ない。最初はこの小さな「二重生活」がややこしかったが、このサイクルにも慣れた。

    新居には、手を加えたい内装や、造園などのプロジェクトが残っているが、その作業は来年かな……。やきもきしても、仕方がない。今できることを、今ある環境で、楽しもう。

    先月ようやく、隣家その①とのパーティションが取り除かれた。視界が広がった。空が近い。まだ隣家②、隣家③の工事も終わっていないが、少なくとも隣家②も、今年は完成するだろう。

    主がおらずとも、花は咲く。極楽鳥花(ストレリチア)にハイビスカス。ブーゲンビリアが風に揺れる。

    鳥は囀る。

    野良猫らが行き交う。

    デカン高原の涼風が心地よい、ガーデンシティ、バンガロール。束の間の、極楽。

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    新年早々の熱いイヴェント、ジャパン・ハッバを終えて、諸々の雑務を片付ける。さりげない毎日でも、インドならではの「事件」やらなんやらが、起こる。使用人を巡る悲喜交々や、暮らしの「小さな綻び」を繕(つくろ)う日々。

    その一方で、新しい出会いや学びも尽きず。

    諸々、綴り残したいことは溢れるが、まずはこれから、遅い朝ごはん。よい1週間を、過ごしましょう。

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    Muse Creation (NGO) and Kyoto Yuzen Sarees contributed to the biggest Japan festival in India!

    【音楽について】

    バックグラウンド・ミュージックは、アニメ風味をも感じさせる松田聖子の『Kimono Beat』(1987)を選んでいた。Instagramの投稿時、Kimono Beatを検索したら、中島愛というミュージシャンがカヴァーしているのを知った。松田聖子の声にとてもよく似ている。アレンジも、とてもいい。38年前の音楽が、新しく聞こえる……ということで、こちらを選んだ。

    音と映像を組み合わせる時、しばしば「偶然の一致」が起こる。たとえば、以前、歌詞に「勝利」と出てきた瞬間に、映像の中で「勝利」の短冊を掲げた女性が重なるなど。今回もまた、わたしの大好きな牡丹柄のサリーを映したあたりで「振袖から、牡丹が風に舞う……」という歌詞が重なった。

    音と言葉の調和がすばらしい。情景が思い浮かぶ味わい深い歌詞だ。松本隆の世界には、名作が本当に多いなと、時を経てそう思う。

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    2005年、ちょうどわたしがバンガロールに移住した年から、パンデミック時代を除き、毎年開催されてきた日本祭り「JAPAN HABBA」。HABBAとは、地元カンナダ語で「祭り」を意味する。

    当初は、バンガロールで日本語を学ぶインド人学生有志らにより始められたこのイヴェント。日本にゆかりのある様々なヴェンダーが出店するほか、日本をテーマにしたパフォーマンスが展開されるステージ・プログラムも人気で、年々、その規模を拡大してきた。前回の2023年には、6000人を超える来訪者で賑わうインド最大の日本祭りに成長していた。

    当初は、日本のアニメやゲームを契機に日本に関心を持ち始める若者が多かったが、年々、客層の幅が広がり、熱気も増し続けてきた。20周年となった今回は、会場を広大なパレス・グラウンドにアップグレードしての開催だった。

    2012年と13年、わたしはステージの司会を務めた。また、2013年からは、ミューズ・クリエイションとして毎年参加。メンバーによる手工芸品の販売をはじめ、書道短冊や折り紙のデモンストレーション、またステージでコーラスやダンスを披露するなど、積極的に関わってきた。

    パンデミック明けより、ミューズ・クリエイションの活動内容が変わったことから、前回に引き続き今回も、書道短冊の販売に絞り込んだ。1枚100ルピーの短冊が、飛ぶように売れるのだ。これは単に資金調達が目的ではない。メンバーやそのご家族が、インドの人たちと交流しつつ、書いてほしい言葉や名前を選んでもらい、一文字一文字記していく。その過程が有意義なのだ。

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    当初、わたしはミューズ・クリエイションに専念し、場合によってはステージ・パフォーマンスに向けて何らか編成したいと思っていた。しかし、昨年の終盤、京友禅サリーのプロモーター(ブランド・アンバサダー)を再度お引き受けし、JAPAN HABBAで出展することになったことから、今回はその実現に集中した。

    年末と年始にメンバー有志と集って短冊作りをしたり、京友禅サリーのマネキンやら看板やらを発注するなど、お祭りまではその準備に専心していたのだった。

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    前日の夜に現場入りし、マネキンガールズやポール、看板などの荷物を搬入する。そして翌日は朝7時過ぎに現場での準備を開始。幸い好天に恵まれて暑すぎるほど。ミューズ・クリエイションと京友禅サリーのブースを隣同士にとお願いしていたので、すぐに行き来できるのは便利だった。便利だったが……あまりの来訪者の多さに、その2つのブースと途中のお手洗い休憩以外、他の場所を全く見られなかったのが残念だった。

    なにしろ! タイトルにも記している通り1万5000人の来訪者なのである。本当に圧倒的だった。特にフードコートの混雑たるや!

    ミューズ・クリエイションのブースは5時ごろに閉じ、京友禅は6時ごろに閉じた。書道短冊は、有志のみなさんのおかげで800枚以上が売れ、つまり80,000ルピー以上の売り上げとなった。いつものように、慈善団体への寄付や寄付の品の購入などに使わせていただく。

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    2年前に続いて、今回も、京友禅サリーの発起人である京都工芸染匠共同組合の竹鼻夫妻も、京都からお越しになっていた。JAPAN HABBAのスケールの大きさ、そして若者の多さに圧倒されていた。

    大音響で盛り上がる数々のステージ・パフォーマンスの中、声を枯らしながら京友禅サリーの説明をした一日。我が夫や、こちらで働く女性にサポートをしてもらってなんとか乗り切った。

    今回も、日本に関心を持つインドの方々の多さを「視覚的に」時間できる機会だった。企画運営に関しては、今後どうなるのか諸々の課題があると察せられるが、まずは大禍なく、無事に終了できて本当によかった。

    荷物の片付けやら搬出などがあり、すぐに現場を離れることができなかったが、幸いにもぜひ聞きたかった「竜馬四重奏」の演奏を聴くことができたのがラッキーだった! 昼間は講堂で、夜は屋外でのパフォーマンスが行われたのだ。

    満月のもと、疲労困憊だったにも関わらず、大いに盛り上がって本当に楽しかった。濃い一日だった。関係者各位、本当にお疲れさまでした!

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    🇮🇳🇯🇵 JAPAN HABBA@Bangalore 2022 毎年恒例の日本祭り。ミューズ・クリエイションが参加した10年の軌跡をたどるアルバム

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    🇮🇳Fusion of traditional cultures. The harmony between the Japanese ‘Kyoto Yuzen’ and Indian ‘Saree’ is exceptional! Please check the video and the detail information.

    熟練の職人によって、一筆一筆、丁寧に描かれる京友禅。その芸術作品のキャンバスとなっているのは、丹後縮緬(ちりめん)と呼ばれる絹布だ。代表的な着物の技法として、何百年も受け継がれてきたそのテキスタイルが、インドの伝統衣装として新たな生を受けた。プリーツの美しさ、風に靡く麗しさ、そして着心地のよさは格別だ。

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    このところ、しきりに告知している「JAPAN HABBAジャパン・ハッバ2025」のご案内。ハッバとは、当地カルナータカ州の地元言語であるカンナダ語で「お祭り」を意味する。すなわち日本祭り。

    2005年、ちょうどわたしがバンガロールに移住した年から、バンガロールで日本語を学ぶインド人学生有志らにより始められたこのお祭り。パンデミック時代を除き、毎年開催されてきたもので、今回で20回目を数える。ミューズ・クリエイションも創設以来、メンバーによる手工芸品の販売や、コーラスやダンスのステージ・パフォーマンスを披露するなど、毎年、参加してきた。

    年々、その規模を拡大し、数千人の来訪者で賑わうインド最大の日本のお祭りに成長。それだけ日本に関心を持ってくれるインドの人たちが多いという証だ。増加する来訪者に対応すべく、今回は会場を1万人収容可能なダイナミックな場所に変更して開催される。ミューズ・クリエイションは前回に引き続き、書道短冊で参加することにしてたのだが、昨年末、わたしが2年ぶりに京友禅サリーのプロモーター(ブランド・アンバサダー)をお引き受けしたことから、「京友禅サリーのパヴィリオン」も設営することとなった。

    年末年始は、マネキンやトルソー、ポールなどを追加購入したり、看板用のアートワークを製作して発注したりなどの傍ら、12月30日には友人らの協力を得てプロモーション用の動画を撮影するなど、楽しめの仕事をしている。この撮影の背景については、また別途記したい。

    幸い、看板やマネキンのショップは自宅から車で10分以内の至近距離にあり、オンラインでの買い物も便利。今年に入ってからは、主に猫らのいる旧居で、のんびりとした日々を過ごしてきた。

    明日にはミューズ・クリエイションの短冊準備をし、京都からのクライアントをお迎えする……という流れ。

    気がつけば、インドでのイヴェント開催は百戦錬磨状態。とはいえ、いつなにが発生するかわからないため気は抜けない。とはいえ、何が起こっても何とかなる。それがインド。

    とにもかくにも、「臨機応変な柔軟性」と「瞬発力」「工夫する力」があれば、すべてが成功裡……というのがインドライフである。ゆえに、なにはともあれ、やり遂げられればすべては成功。失敗はないのである。だいぶ無茶を言っている気がするのである。

    気分転換に、我が家の4猫の写真など載せてみる。

    Sa8

    Sa11

    世間の猫系投稿に比すると、我が家の猫らは本当に、野生みが強い。顔つきもなんだか鋭い。特に我が家のボス、長女のNORA姉さんは。最近、乱暴者に拍車がかかっているジャイ子改めCANDYも、なぜか悪い顔だし。
    普段、そこそこかわいいボーイズのROCKY&JACKも、カメラを向けられると、険しい表情。なぜ?

    それでも、デカン高原の陽光降り注ぐ庭で、平和に過ごせている彼らは幸せ者である。4猫の中でも、最も人間味の強いNORA姉さんには、本当に、手を借りたいと思うことがしばしばだ。常に「高み」を陣取り、下々のものを睥睨する姿勢。人間だったら、かなり仕事のできる有能なアシスタントとして、わたしをサポートしてくれたことだろう。いや、わたしが使われる立場だったかもしれん。

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