インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • Df20

    師走は敢えて、走らず歩こうと、デリーから戻ってのちは、丁寧に過ごす日々。

    世界は概ね、加速していて、この時代。時間どろぼうに覆われた地球。

    半世紀前に誕生した、ミヒャエル・エンデの『モモ』が見たら、多分、目を回すだろう。

    「人間には時間を感じとるために心というものがある。」

    年末年始は、旅をしない。何十年ぶりかに、『モモ』を紐解こう。

    この1週間。iPhoneの「写真」に残された写真を拾ってみる。

    1. “I am calling you…”と、思わず口ずさんでしまう情景。1987年公開の映画『バグダッド・カフェ』を思い出す。馬車馬のように、無我夢中で働いていた20代のころ。仕事は辛く、ボーイフレンドにふられて寂しく、休日の楽しみは映画を見ることだった。映画館で。レンタルヴィデオで。あのころ見た無数の名画の数々が、わたしの感性を育ててくれた。『バグダッド・カフェ』も、そのひとつ。

    Df2

    2. デリー最後の夜の食卓。パパ(義父ロメイシュ)の写真を眺めながら。遺影に使ったこの写真は、パパが最後に我が家へ遊びに来た時に撮ったもの。夫と二人のツーショットを食卓で。だから、彼の目は、わたしを見ている。パパが急逝して5年も経ってしまった。でも、いつも近い。

    Df11

    3. 北から南へ飛ぶ途中の西。短時間のフライトは窓際がいいけれど、少し長いと通路側を選ぶ。窓際を選べばよかったと小さく後悔する、夕暮れの上空景色の麗しさ。

    Df9

    4. 地図を見るのは楽しい。飛行機の中で見る地図は格別に楽しい。最近では、地図の見方にもいろいろな選択肢があり、それも楽しい。昔は「ハートを射抜かれた白い巨人」が地図の上を動くばかりだったのに。

    Df3

    Df13

    5. 6. ベンガルール国際空港ターミナル2に到着すると、本当に、ほっとする。レンガや緑やアートが「おかえり」と、やさしく迎えてくれる。友人の作品を眺めつつ「ただいま」と言う。

    Df5

    7. 鉄筋を包み込む、防炎加工のある竹筒は、全部を繋ぐとバンガロールからムンバイまで到達する長さなのです。

    Df7

    8. クリスマスも、間近に迫りて。我が家にも、飾らねば。

    Df12

    Df6

    9. 10. 1月12日(日)に開催されるジャパン・ハッバ(日本祭り)の準備。久々にミューズ・クリエイションの活動を新居にて。お祭りの説明をオンラインで受けながら、書道短冊作りをしながら、時におやつやランチ休憩を挟みつつ。2012年から2020年までの8年間は、毎週金曜日、旧居を開放して集っていた。10名、20名、30名……多い時には40名近く……楽しかった。若かった。振り返れば信じがたいことをやってきた。自分で自分がよくわからない。

    Df19

    Df16

    11. 12. Calling You…は、新居のディープ・クリーニングの一コマであった。未だウィークエンドハウス状態の新居はメイドがおらず。日頃はエクササイズと称して自ら掃除をしているが、天井の蜘蛛の巣やら、埃やらなんやらを完全に掃除するのは不可能。年に数回、ディープ・クリーニング軍団を手配しているが、10数名の男子らに指示を出すのもなかなかのエネルギー。もちろん、彼らは掃除のエキスパートと称されてはいるが、納得いかぬ点が多々あり。同じ会社の同じチームをリクエストして、毎回、坂田マルハン式クリーニングを教育&伝授している。少しずつ、向上している……気がする。

    Df14

    Df10

    13. 14. 主人(あるじ)不在の庭に咲くハイビスカスの健気さよ。

    Df15

    15. クリスマスツリーを新居の玄関先に設置。移住翌年の2006年に近所の古いモールで買った。当時の記録を紐解けば、懐かし。オーナメント、増えるどころか、減っている。ある時期、猫らが飛び乗って壊されたもの多々あり。来年あたり、もう少し心を込めて飾るべし。
    https://museindia.typepad.jp/blog/2006/12/post_1.html

    Df18

    16. クリスマスツリーに飛び乗ったのは、ボクです。

    Df4

    17. 8年前のJackです。かわいいです。

    Df8

    18. 今でも非常にかわいいです。

    Df17

    19. 韓国は釜山で購入したマグカップ。いい色。いいサイズ。いい持ち心地。韓国旅も、楽しかったなあ。

    Df1

    20. 久々、料理の写真@旧居の日常。雰囲気のいいものは新居に運び込んでしまい、旧居はなにかしら、宙ぶらりん。テーブルクロスとマットと食器がもう、バラバラの取り合わせだが、イワシとエビのフライが非常においしかった。インド産日本米であるところの谷藤米もおいしい。日本の味が、五臓六腑に沁み渡る。

  • 469862439_18437082895074607_7494753055858806382_n

    469862439_18437082895074607_7494753055858806382_n

    最終日。時間に余裕ができたので、『Ashdeen』へ赴いた。わたしは2年前に、京友禅サリーのプロモーターをつとめた際、DASTKARの創始者であるLaila Tyabjiとデリーでお会いした。それがご縁で、オーナーのAshdeenともお会いする機会を得ていた。

    その後も、わたしがデリーで京友禅サリー展示会を開催したときや、ムンバイ店でも、タイミングよくお会いしてきた。Ashdeenは、ハイデラバードやコルカタなど他都市でも展示会を開いてご多忙だ。今、デリーにいらっしゃるだろうか……と思いつつ連絡したところ、ちょうどその日の午後、デリー店にいるという。

    せっかくなので、印日フォーラムで着用した京友禅サリーをお見せするべく持参した。うえの2枚が今回撮影した写真だ。店内のディスプレイとも見事に調和している。関心のある方は、ぜひ過去の記録をご覧いただければと思う。

    🥻

    インドにはさまざまな伝統的な技法を用いたテキスタイル、サリーが存在する。そのなかでも、特にわたしが大好きなのが、パールシー刺繍のサリーだ。2008年から2年に亘り、我々夫婦はバンガロールとムンバイの二都市で生活をしていた。その時期、サリー専門店や展示会で、何枚かを購入した。十年以上経った今も、しばしば着用しているお気に入りだ。以下、以前も記したが、一部転載する。

    パールシーとは、今から1000年以上前に、ペルシャ(現在のイラン)からインドに移住したゾロアスター教徒のこと。西暦651年に、イスラム教徒から迫害された彼らの末裔は、やがて西インドのグジャラート州に辿り着いた。

    ペルシャから運ばれた神聖な火を崇めることから、拝火教とも呼ばれる。寺院には、ゾロアスター教徒以外は立ち入ることができず、基本的には同族との婚姻が一般的。インドにおいて、極めて少数派の宗教ながら、タタ財閥を筆頭に、社会的に影響力が強いコミュニティでもある。

    タタ財閥の創始者であるジャムシェトジー・タタが綿貿易会社を創設、1893年、東京を訪れた彼は渋沢栄一と会い、日印定期航路の開設を提案、同年に神戸=ボンベイを結ぶ日本郵船の航路が誕生した……といった、歴史的な背景を綴れば尽きない。坂田のセミナー動画でディープに触れているので、関心のある方は、ぜひご覧いただきたい。①〜⑤まで、ぐっと見ていただきたい。

    🥻

    パールシー刺繍に話を戻す。以下は、2年前、初めてAshdeenにお会いした時に聞いた話を一部転載する。
    世界史の授業で出てくる「三角貿易」の話をご記憶だろうか。主に17〜18世紀にかけて、英国により展開された貿易構造のことで、3つの国や地域が関係する大西洋での貿易を指す。

    Ashdeenは、自分の出自を探るべく、イランや中国を旅し、パールシー刺繍についての研究をしてきた。彼によると、英国、インド、中国(清)が、綿織物、茶、阿片(アヘン)の取引をしていた時代、パールシーの商人たちは、広東に赴き、積極的な貿易をしていた。

    中国の精緻な刺繍(汕頭/スワトウなど)を目にした当時の貿易商らは、妻たちのサリーに刺繍を施すことを思い立つ。インドから約5メートルの絹布を持ち込み、広東の職人に刺繍を施してもらい持ち帰る……。

    艶やかな刺繍のサリーは、瞬く間にパールシー女性たちの心を惹きつけた。やがて男たちには任せられぬと、女性たち自ら広東へ赴き、自分たちの好みを伝え、パールシーと中国の「折衷」デザインが誕生していったという。主には、サリーの両端に施すボーダー部分の刺繍物が普及したようだ。

    Ashdeenの説明を受けながら、中国の伝統や自然、言い伝えなどが反映された見事なサリーを眺める。一つ一つのモチーフに、物語がある。

    彼が『Ashdeen』を創業してから12年。この間にもビジネスは着実に拡大し、職人たちも10倍以上に増えたという。昨日掲載したデザイナーズ・ブランドの伝統衣装にも見られるが、インドでは、伝統的な手工芸を守りながら現在のデザインに反映すべく「不易流行」のコンセプトが確実にある。自国の手仕事を慈しみ、守り、未来に継承することは、とても大切で、尊い。

    🥻

    さて、わたしが今回、『Ashdeen』を訪れたのは、他でもない、自分のサリーを注文するためだ。2年前から、ここで赤いサリーを注文することを決めていた。赤にも、いろいろある。直接お会いして、色見本を拝見して、色、そして柄を決めたかった。これまで『Ashdeen』のパールシー刺繍が大好きだと言いつつ、実はバッグを1つ購入したことしかなかった。遂には、サリーを注文できたことがうれしい。

    来年の誕生日に着ることが、楽しみだ。

    🇮🇳🇯🇵 パラレルワールドが共在するインドを紐解く① 多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念

    🥻京都とKYOTOが出合う。Ashdeenを訪ね、パールシー刺繍の歴史や、日本とインドの関わりを知る至福のひととき。(2022/11/3)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2022/11/as.html

    🥻Ashdeen。夢のように美しい刺繍……! パールシー刺繍専門店へ。(2022/10/30)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2022/10/ad01.html

    🥻パールシー刺繍の専門店『Ashdeen』で優美な衣装を眺め楽しむ(2023/06/03)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2023/06/ashdeen.html

  • H3

    H7

    H6

    5泊6日のデリー滞在を終えて、昨夜、バンガロールへ帰ってきた。本来ならば、デリー宅の片付けなどを完全にすませるべく、そこそこ長期の滞在をしたいところ。しかし、冬は寒く、夏は暑いデリー。バンガロールの快適な気候に甘やかされてきた身にとって、この過酷な気象条件には、つい二の足を踏んでしまう。

    2020年1月に、義父が急逝。その直後にパンデミック時代に突入したこともあり、デリー宅の抜本的な片付けや内装工事もペンディングのまま5年の歳月が流れようとしている。「やらねば」と思うだけで、不毛なストレスが蓄積されるので、「まあ、機が熟した時にでも」というくらいの緩さで生きよう。

    🇯🇵

    今回は、The India Japan Forumに出席し、義理の継母と食事をし、伯父夫妻の家へ遊びに行く以外に予定を入れていなかった。そんな旅の数日前に、デリー界隈に暮らしている友人のAkikoさんから、久しぶりにお話ししたいとのメッセージをいただいた。

    わたしがデリーに行くことは、どこにも書いていないはず。偶々のタイミングだったようで、フォーラムを終えた翌日に、ランチをご一緒することにしたのだった。場所は、Akikoさんにお任せしたところ、我々夫婦の住まいがある南デリーのPanchsheel Parkの南、クトゥブ・ミナールの近くにあるイタリアンCAARAを提案された。

    CAARAがあるのは、THE DHAN MILL (https://thedhanmill.com/)と呼ばれる複合施設。かつては倉庫街だったところに、高級ブランドやモダンなインド・デザイナーズ・ファッションのブランドが軒を連ねている。わたしの好きなブランドもあちこちに! いつのまに、こんなところに、こんなすてきな場所ができていたのだ……?! と、驚きつつも、うれしい。

    この日はもう、Akikoさんとの話に夢中で、美味ランチを楽しんだ後に散策するものの、ファッションに集中できる気持ちではなかったので、次回のデリー来訪時に、じっくり探検したいと思う。

    🇮🇳

    ところでわたしがAkikoさんと初めて出会ったのは、彼女がバンガロールで働き始めたばかりの2012年2月のこと。東大のバンガロール事務局開設の式典の場で挨拶を交わした。

    2012年のあの日に感じたことが、今、思い描く未来に連なっている。そして、2003年の思いが、現在に連なっている。今読み返せば、未熟な考察も散見され、異論もあるが、それはそれ。過去の自分に再会するも面白い。

    ◉東大バンガロール事務所開設と、2003年のメールマガジンで書いたこと。(02/28/2012)
    https://museindia.typepad.jp/2012/2012/02/edu.html

    Akikoさんとは、初対面以降、あまり接点はなかった。しかし、COVID-19パンデミックにおけるロックダウンのころ、バンガロールに残る数少ない日本人として、彼女は積極的に、ミューズ・クリエイションの活動に関わってくれた。中でも2020年10月に開催した、オンラインでのミューズ・チャリティフェストを思い出せば、閉塞感と先の見えない心もとなさが同時に蘇る。

    閑古鳥が鳴くレストランを借りての「ほぼ無観客ライヴ」。Akikoさんの長男のSeijiさん(ドラマー)と共に、インド人のギタリストとベースに参加してもらって、「No Borders」というバンドを組み、ONE OK ROCK(ワンオクロック)のコピーを演った。

    12月には、ひっそりと、友人が経営するCinnamonの一室を提供してもらい、ミューズ・チャリティバザールも実施した。今、当時の動画を紐解けば、胸がきゅっと締め付けられる。あのころ、共に活動したメンバーたちは、大切な同志だ。

    Akikoさんとは、その後も、彼女の人生の節目にお会いし、語り合う機会がいくつかあった。そして今回は、2年ぶりの再会。今回はまた、二人にとって節目のタイミングであった。成長したSeijiさんの写真を見せてもらって、そのハンサムっぷりに目を見張

    子供はみんな、たちまち大人になる。

    ロックダウンに入った直後、独学で動画を作り始め、1年余りで100本以上の動画をYoutubeにアップロードした。今思えば、あの情熱もまた、意義深いものだった。

    今、久しぶりに、当時の動画を見直した。あのころの心許なさが蘇ってきて、泣けてくる。😿 同時に、コロナ太りで「長州力」風味が漂っていた自分の姿にも泣けてくる。

    それより何より、Seijiさんのキュートさよ💓 大人になっても、「削除してほしい!」なんて、言わないでほしい。逆に、貴重な動画になるかもしれぬ。藤井風の、子供時代の動画みたいに。このごろは、すっかり動画作りから遠ざかってしまったが、これもまた、時の過ぎゆくままに。

    H8

    H1

    H2

    H4

    H5

    H9

    🇮🇳🇯🇵 Wasted Nights/ ONE OK ROCK, スタジオで初練習@Music House(Sep. 2020)

    🇮🇳🇯🇵 デカン高原の片隅で。ほぼ無観客ライヴ&Youtube動画試写会@1Q1 (Oct. 2020)

    🇮🇳🇯🇵Memories of Muse Charity Tiny Bazaar 2020/ 小さなチャリティバザールの、小さな思い出@シナモン (Dec. 2020)

  • A1

    2日間のフォーラムは、無事に終了した。メインのセッションもさることながら、このような場においては、参加者との出会いが貴重だ。人々との出会いは量より質だと、日頃から思っている。しかし、稀有な出会いを実現するためには、然るべき出会いの場に身を置く必要がある。

    年齢を重ねるほどに、関わる人々の数は蓄積されるが、果たして心通い合える友人知人がどんどん増えているかといえば、そうではない。「その場限り」が大半で、大切な関係性を繋げられる人数は、限られている。みな、それぞれのライフがあって、時間は有限。そんな中、短い間でも、心に響きあう会話ができる方に出会えるのは、幸運だ。

    今回、ランチタイムやカクテル、ディナーの場において、そんな「幸運」を味わえた。「相手を尋ね、自分を語る」過程において、自分が今、この場にいる意味について思いを馳せる。

    この1年間のわたしは、意識的に、人生の二周目に向けての精神的準備をしてきた。この先わたしはどうあるべきか、模索した1年の終わりの、まさにこのフォーラムの会場で、次なるヴィジョンが明確に浮かび上がった。いつかきっと具現化するために、これから動き始める。

    🇮🇳

    あたかも自分で切り拓いてきたかのように思える自分の人生だったが、いや、わたしのライフはあらかじめ定められたカルマというレールに沿って走ってきただけだったのかもしれない。そう思うようになったのは、パンデミック時代、ロックダウンで引きこもっていたころに「自分史」を整理しつつ動画を作っていたころだ。

    わたしがインドに至るまでには、自分の意志だったとは言い難い分岐点がいくつかあった。「ニューヨークへ渡った数カ月後の七夕の夜に、インド人男性と出会ったところから、それは始まった」……と、かつては思っていたが。

    自分史を作る過程において、わたしが東京で住んでいた世田谷区用賀の「用賀」の語源が「ヨガ (Yoga)」だと知った。それに加え、用賀からニューヨークへ移る直前に引っ越した西葛西が、やがてインド人の街になったことなどを思うと、わたしの人生はニューヨーク以前から、インドに向かって助走していた気がする。

    そして2003年12月。ワシントンD.C.のジョージタウン大学で、英語の勉強をやり直すべく3カ月の英語集中コースに通った時、研究論文をインドの新経済(インドの頭脳流出と頭脳還元/循環)と決めた。なぜそのテーマにしたのか。自分でもよくわからない。ともあれその時期、米国ではインド投資熱が高まり始めていた。

    米ジャーナリストのトーマス・フリードマンがバンガロールに駐在し、毎週、ニューヨークタイムスにコラムを寄稿していたのもこの時期だ。彼はインフォシスのCEOだったナンダン・ニレカニ氏との対談の際に交わした言葉に着想を得て『フラット化する世界』というタイトルでの本を出版した。インドにおけるBPO(Business Process Outsourcing)の黎明期。経済誌でもインド特集が組まれ始めた。

    「これからはインドの時代だ」と、思った。

    2001年にインドで結婚式を挙げた時には「こんな国……住めない」と感じたのに。わずか3年後の2004年には、インド移住以外考えられなくなっていた。米国同時多発テロを身近に経験し、米国に対する感情が変化したことも理由のひとつだ。途轍もない情熱で夫を説得し、インド移住を決行し、2005年11月、バンガロールに移り住んだ。あれから19年。今、20年目を迎えている。

    あのときの、自分でも説明がつかない情熱はなんだったか。自分の意思とは離れた場所で、インドへ行きなさいと、自動操縦されていたようにさえ思う。

    🇮🇳

    この20年間というもの。わたしはインド発、日本へ向けて、多くの仕事に関わってきた。特に最初の10年は、日本の広告代理店大手の研究開発局の方と、インド市場を多岐に亘って調査した。ほかにも、多彩な分野に亘るクライアントのニーズに応じ、そのときどきの時勢を映す調査を行ってきた。

    クライアント仕事の調査は当然ながら内部資料であり公開はできなかったが、インド各都市を訪れ取材、調査し、人々をインタビューし、克明な資料を作り続けた数々の仕事は、わたしにとってかけがえのない経験と財産になった。

    もちろん、インド人の家族親戚、そして友人に囲まれてのライフを通しては、通常、異邦人には見えにくいインドの表情を垣間見ることができる。むしろ外国人だからこそ、コミュニティの枠や境界を超えて、時にはイノセントに、好奇心のままに尋ね訪ねられる自由も享受してきた。

    過去10年は、セミナーの機会を増やし、視察旅行者にインドの現状を伝えたり、あるいはオンラインミーティングで情報提供をしつづけてきた。しかし昨今、それらがあまりにも微力であることを痛感している。いくら量より質とはいえ、蒔いた種が萌芽している気配を知ることの方が圧倒的に少ない。

    インドの歴史や地理、伝統、習慣、文化、ライフスタイル、精神世界……そして日本とインドの関係史。このようなことを知ることは、インドと関わる上で非常に重要だ。しかし、日本における「インド観」は、20年前と大して変わらぬまま、なかなかに遠い異国であるとの印象を受ける。

    今回のフォーラムに参加して、その思いを益々強くする。自分の熱意が続く限りにおいて、やれることを形にしたい。

    A2

    A3

    2日目も、京友禅サリーを着用した。レモンイエローのやさしい色調。ブラウスは、手持ちのパールシー刺繍のサリーのブラウスを合わせた。色合いがほとんど同じで調和している。

    最後の写真は、今回のフォーラムの主催者であるアナンタ・センターのCEO、Indrani女史。このフォーラムの実現に際しての、彼女の尽力は計り知れない。来年もまた、この会場でお目にかかれることを楽しみに……感謝。

  • Zz16

    Zz2

    Zz12

    今回のデリー訪問は、昨年7月に引き続き、インディア・ジャパン・フォーラムへの出席が目的だった。前回同様、2日間に亘ってインペリアル・ホテルで開催されたこの催し。米国のグローバル組織「アスペン・インスティテュート」のインドにおける関連組織「アナンタ・センター Ananta Centre」と、インド政府外務省との共催によるクローズドな催しだ。

    会場には、政治、外交、ビジネス、シンクタンクなど、日本やインドに関わる各方面のエグゼクティヴ各位が集う。出発前に、当該サイトで、登壇者や参加者の学歴、職歴などを拝見する。優れた履歴の方々に紛れるわたしは、毎度のことだが野良猫(野良犬)のようでもある。ここにわたしが出席できている理由は、夫Arvindがアスペン・インスティテュートのリユニオンで、主催者側の関係者だからだ。

    せっかくの機会につき、普段のわたしの興味関心からは、比較的遠めのテーマであれ、今回も参加させていただくことにした。また、わたし自身の得意分野が未来に繋げられるよう、少しでも痕跡を残したく、京友禅サリーを着用して参上した。

    わたしは、2022年末から2023年初旬にかけて、京都の伝統工芸である「京友禅」の技法にて描かれた「京友禅サリー」のプロモーターをお引き受けし、バンガロールとデリーで展示会を開催した。今回また、およそ2年ぶりに新作のプロモーションをお引き受けすることとなったことから、お預かりしているサリーを実際に着用して出席したのだった。

    京友禅サリーのことについては、また別途、記したい。

    Zz1

    Zz4

    「アナンタ・センター」のサイトによると、フォーラムの目的は、「日印の協力を強化すべく、意見を交換し、相互信頼を築き、将来の協力のための共同アジェンダを策定すること」とある。https://indiajapanforum.in/

    第3回となる今回のフォーラムでは、2日間で計9つのセッションが開催された。前回、Arvindはモデレーターとして登壇したことから、少々、慌ただしかったが、今回は登壇しないのでリラックスしている。
    初日の一昨日は、インドのJaishankar外務大臣とアナンタ・センターのCEOであるIndrani女史による開会セッションから始まった。その後、インド・ブータン王国駐箚(ちゅうさつ)特命全権大使の小野啓一氏によるスピーチと続き、セッションが開始。

    小野啓一氏は、大使館のソーシャルメディアで拝見していたが、今回、参加される方々のバックグラウンドを予習した際、小野氏の奥様の小野日子(ひかりこ)氏のことを知った。現在、駐ハンガリー日本国大使でいらっしゃる。わたしは、ご夫妻と同じ年齢ということもあり、奥様が当時、女性外交官としてキャリアを構築される際のご苦労などが記された記事を拝見し、リアルに感嘆した。

    ちょうど、我々夫婦がワシントンD.C.に住んでいた時期、小野日子氏は同地で出産されたというエピソードも目に留まり、お話を伺いたい思いに駆られた。

    さて、昨年と同様、国防や安全保障、インド太平洋におけるパワーバランス、Quad (クアッド/日本・米国・オーストラリア・インド4カ国の戦略対話)、半導体やクリティカルミネラル(脱炭素社会の実現に不可欠な鉱物資源)、インド市場への投資の展望、日印の経済協調……といったテーマのセッションが延々と続く。
    また、今回もインド財務大臣のNirmala Sitharaman女史が登壇された。今年2月、 YPO主催のイヴェントで、Sitharaman氏の話を聞く機会があった。そのときの話について、かなり克明に記録を残しているので、関心のある方はご一読を。

    🇮🇳「熱い湯に浸すと、風味や色が滲み出るティーバッグのように」。インド財務相、ニルマラ・シタラマン(Nirmala Sitharaman)氏の話を聞く午後。
    https://museindia.typepad.jp/2023/2024/02/nirmala.html

    🇮🇳🇯🇵THE INDIA JAPAN FORUM 2023 日本とインドの外交フォーラムに出席①
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/07/ji.html

    🇮🇳🇯🇵THE INDIA JAPAN FORUM 2023 日本とインドの外交フォーラムに出席②
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/07/ji2.html

    Zz6

    Zz9

    Zz13

    Zz10

    Zz14

    Zz8

    Zz11

    Zz5

    Zz7

    Zz15

  • De12

    De5

    De8

    約10カ月ぶりのデリー。本来ならば、デリー宅にも長期滞在してやるべきことがあるのだが、今年は国内外の旅が多いのに加え、日本滞在を優先していたこともあり、すっかりご無沙汰してしまった。

    前回の1月下旬来訪時はジャイプル旅が主目的で、その前に立ち寄った。今回は、明日と明後日に開催されるカンファレンスがメイン・イヴェント。本来ならば少しゆっくり過ごしたいところだが、つい先月、劣悪な大気汚染が取り沙汰されたこともあって5泊の滞在だ。

    De11

    De19

    De10

    De17

    De16

    De1

    De18

    バンガロール(ベンガルール)のケンペゴウダ国際空港は、未だにじわじわと開業中で、訪れるたびに、新しい場所が生まれている。自分の拠点の地の空港が、このように魅力的であることが、とてもうれしい。

    今回のフライトは、Air Indiaに吸収合併されたVistara。インドで初めて国内線に乗ってから20年余りたつが、この間のインド航空業界の栄枯盛衰と変貌、進化もまた、めまぐるしい。

    インド初のローコストキャリアだったAir Deccan。 続いたSpice JetにIndiGo。インドバブル経済の申し子とも言うべく今はなきKingfisher Airlines。好きだったのに消えてしまったJet Airways…。何もかもが、流れゆく。

    久々に、インドの機内食を食べながら、似たようなメニューだったJet Airwaysを思い出す。2008年から2年に亘って、ムンバイとバンガロールの二都市生活をしていたころは、月に最低2回は往来していたものだ。若かったなあ……。

    De13

    De4

    De14

    De6

    デリーの上空から地上を眺める。地形からしてもう、南と北とは、全く異なる風情だ。幸い、数週間前よりも格段に、大気の状況が好転しているようで、青空が見渡せる。よかった。

    今回、カンファレンスの会場がデリー北部のコンノートプレイスということもあり、最初の2泊はホテル滞在。チェックインをすませたあと、昔ながらの繁華街であるコンノートプレイスを歩く。

    デリーは、国旗が大きくて、モディ首相が随所に見られる。ここは、インドだなあと、異国に来たような心持ちで。

    De7

    De20

    De15

    De9

    De2

  • Sa2

    今年の8月下旬に、ミューズ・クリエイションの関係者とニューアーク・ミッション (New Ark Mission ~ Home of Hope~」を訪問した。そのときに、同団体が未曾有の危機に陥っていることを知った。

    8月31日。折しもわたしの誕生日を祝うべく、旧居からバンガロール北部のナンディ・ヒルのリゾートに向かう途中、ニューアーク・ミッションを訪れ、寄付金を託した。自分の誕生日に社会のために何かをすることは、インドでは珍しいことではない。

    創設者のRajaは、今年に入ってから極度のストレスにさらされ続け、心身ともに参っている。そんななかでも、笑顔で誕生日を祝福してくれた。うれしかった。

    その後、わたしたち夫婦の働きかけから広がった支援も多くあり、現在に至っている。そのことについては、ブログに経緯を記録し続けているので、関心のある方にはぜひ、ご覧いただきたい。

    Sa1

    先週の土曜日。夫の属するサットサンのグループが、ニューアーク・ミッションを訪れた。そのときに、12月2日がRajaの誕生日であることを知り、みなで前倒しの祝福をしたという。

    週末を新居で過ごし、旧居に戻る月曜日は、奇しくも12月2日。少し遠回りになるとはいえ、旧居と新居の中間地点に位置するニューアーク・ミッション。この地の利もまた、ご縁だと思う。お祝いに立ち寄ることにした。前日、ネットで花を注文。少しでも気分が明るくなるように、ひまわりを選んだ。

    そしていつものように、願いを込めて「希望」の文字。希望の家が、これからも希望の灯に照らされ続けますように。

    🙏

    一緒に写真に映っているのは、日本から休暇&リモートワークで3週間、バンガロールに滞在しているKanaeさん。彼女は今からちょうど10年前、学生時代に短期インターンシッププログラムでバンガロールを訪れていた。

    その数年後、今度は引率のアシスタントとして、学生らとともに、バンガロールを再訪。我が家で開催した若者向けセミナーにも参加された。常々、わたしが若者向けセミナーで話している「裸一貫の自分を思え」という言葉が、彼女の心に残ったという。うれしい。

    そしてちょうど1年前、彼女が学生たちを率いてバンガロールを訪れた。当初は年末のセミナーだけを依頼されていたが、わたしは彼らにどうしても、慈善団体訪問を経験してほしく勧めた。結果、新年早々1月3日に、他のミューズ・クリエイション有志にも声をかけて訪問したのだった。

    そのときの経験は、学生らだけでなく、Kanaeさんにとっても強い衝撃だったとのことで、同団体の苦境に際し、何らかの形で動きたいという。

    先週、彼女と会って話をしたときに、ニューアーク・ミッションを再訪したいとのことだった。前回の訪問に参加した学生たちにも声をかけて集めた寄付金を、自分の手で渡したいという。とても、すばらしいことだと思う。

    もしも時間があるのであれば、同団体を何度か訪れて、手伝わせてもらってはどうかと提案した。自分がどんなに微力だと思っていても、動いてみなければわからない。ささやかでも、自分が経験したことが、未来につながるかもしれない。

    彼女は月曜日から帰国までの5日間、午後数時間を同団体で過ごすことを決めたという。初日、彼女が訪れるタイミングとわたしの来訪が一致したので、RajaやアシスタントのDivyaに紹介したのだった。

    現場に身を置くからこそ、見えてくることは無数にある。そしてその経験は唯一無二のかけがえのない財産になるはずだ。彼らにとって、だけではなく、Kanaeさんの未来にとっても。

    奉仕は他者のためだけではない。自分の代わりに行ってくれている人への感謝。そして、自分のためでもあるということを、実感してほしい。

    目を配り、気を配り、心を配って、世界を見る。自分自身もまた、鍛錬されるに違いない。その経験を、日本の若者たちに伝えてほしいとも思う。

    彼女とは、わたしもまた、今後ご縁があるだろう。彼女が得た経験を、わたし自身もまた、未来、シェアしてもらいたい。

    2

    ◉New Ark Mission Home of Hopeミューズ・クリエイション専用ブログ
    https://museindia.typepad.jp/mss/new-ark-mission-home-of-hope/

  • スクリーンショット 2024-12-28 午前12.35.46

    先週は本当に、のんびりと過ごした。週末は新居にて。久々の新居は、まだ周辺ヴィラの建築が遅々として進まず。クラブハウスも未完成。こちらメインのライフは、いつになったら実現するのだろう。

    かつてはこのプロジェクトをして、「バンガロールのサグラダファミリア」などと冗談めかして言っていたが、バルセロナのリアル・サグラダファミリアは2026年に完成予定。本気で、いい勝負になってきた。やれやれ、長生きせねばな〜。

    かような旧居と新居の2拠点ライフも2年半。この宙ぶらりんな暮らしにもすっかり慣れてしまった。とはいえ、あっちでもこっちでも福岡でもデリーでも、片付けばかりをしている気がする。たった一人二人の人間が暮らすのに、どうしてこうも、「家事」は尽きぬか。

    🇰🇷

    ところで、先月の韓国旅は、「心の旅」「魂の旅」でもあった。その後の壱岐でもまた。幼少時に名島の海岸から望んだ玄界灘のその向こう。20歳のときに初めて太平洋を一気に超えて米国へ飛んで以来、この身近な「海外」を訪れることはなかった。

    今、旅を重ねた挙句の、原点回帰ともいうべく旅をしている間ずっと、心は覚束なく彷徨っていた。特にインドの友らと旅をしていたせいもある。

    わたしは、バンガロールに家があり、夫がいて、そこが拠点で、そこで出会った友人らと韓国に来ている。しかし、わたしの故郷福岡はここから目と鼻の先。人々は、わたしをして、インドから来たとは思わず、「親しき隣人」の体(てい)で、フレンドリーに接してくれる。

    🇯🇵

    果たして、わたしの帰る場所は、どこなのだ? 

    すでに記してきた通り、我が故郷の界隈は、わたしの幼少時からの面影をほとんど残さず、新しい街に変わってしまった。懐かしい情景は脳裏のなかに巡るばかり。

    そんな矢先、壱岐島を訪れて心が満たされたのは、豊かな自然や、昔ながらの情景が、たぶんあまり変わらずに、残っているからであろう。福岡ではなく長崎ではあるけれど、日本における我が第二の故郷にさせてほしいとさえ、今は思う。

    🇮🇳

    そんな混沌の思いを抱えつつ、成田からバンガロールへ戻る。デカン高原の風に吹かれれば、たちまち、ここが「ただいま」の場所。囚われることなく自由に。

    帰る場所。そこはわたしが定まれし処。

    結局はすべて、わたしの心一つなのだろう。

    👘

    ……ところで、先月のサントリー主催の「着物ファッションショー」開催に際し、わたしに声をかけてくれた、バンガロール・ファッション界の第一人者Prasad Bidapa氏。彼が後日、ファッションショーについてDeccan Herald紙に記事を書いていた。

    わたしが過去1年間に集めた母の着物を含む中古ながらも高品質な着物や帯、羽織のことなどや、インドと日本のテキスタイルのつながりなどについて、言及している。とてもすばらしい記事を書いていただいて光栄だ。わたしの写真はないが、わたしの浴衣や母の羽織、父の浴衣、中古で買った銘仙の羽織を着たモデルの写真が美しく掲載されている。

    👘

    記事の最後を見て苦笑した。Designer: Miho Sakata Malhan というクレジットが入っている。わたし、デザイナーだったっけ? 社会人になって、編集者になって、それからライターになって……以来、さまざまな仕事を兼業してきた。かつては、広く浅くあれこれやる自分に対し、「絞り込めない弱み」を感じていた。「器用貧乏になるな」と言われたこともある。

    *****
    器用貧乏/なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。(三省堂 新明解四字熟語辞典)
    *****
    実に嫌な言葉だ😅

    30歳で渡米したころ、「器用金持ち」になってやる。と、思った。

    無論、わたしはこれまで、「お金」に執着をしたことはない。「やりたいことを実現するための資金調達」には心血を注いできた。この二つは全く異質だ。お金について語りたいことは多々あるが、ともあれ。

    人間、いろいろな個性がある。わたしは、あれこれやってみたいし、そこそこ、多様なことをそつなくこなすことができた。だから、肩書きがばらついていても、それはそれでいい。面白いではないか。

    他者から見えるわたしと、わたしから見えるわたしはまた、異なる。これからも、自分がおもしろいと思うことを、たいせつに、続けていこうと思う。

    469106780_18435397792074607_3350364128547089751_n

    着物ファッションショーに参加された女性ライターもまた、別の新聞にて取り上げてくれている。参考までに記事のリンクを貼っておく。

    ◉Celebration of Japanese textile heritage and sustainable fashion

    ◉Deepavali’s Dhamaka

  • Sa1

    旅から戻って数日後には、身体の帰還に心も追いついていた。しかしながら、福岡、韓国旅、壱岐旅、福岡と、濃厚なる玄界灘周辺の放浪を楽しんだ果てには、心身を十分に休めたかった。

    火曜日に、毎週恒例の女性たちの勉強会へ行くために外出した以外は、今週はずっと引きこもり。オンラインミーティングとゲストをお招きする以外は、ほぼ自宅。猫らとスローに過ごしていた。

    😼

    我が家の4猫。上から長女NORA姉さん、長男ROCKY、次男JACK、そして次女CANDY。この4猫の性格と生き様については、人間に反映できる次元で興味深く学ぶところ多い。書きたいことは数多あるが、長くなるのでまたいつかの機会に。昔は猫専用ブログも書いていた。だいぶ面白かった。

    【マルハン家の4猫】
    https://museindia.typepad.jp/alice/

    我々夫婦の不在中はドライヴァーとメイドが世話をしてくれているので食事その他は問題ない。しかし、普段は独立独行な彼らとて、我々が長期不在となるとそれなりに情緒は不安定になる。そもそも、CANDY改めジャイ子を保護したところから、平穏が崩れた。

    攻撃的な彼女は誰彼構わず、突進し、喧嘩をふっかける。瀕死の状態で保護された彼女の生命力は、この性格があってこそ、だったのだと思う。ガリガリにやせていたのが、日々ガツガツと食べて、みるみるうちに丸くなった。しかし性格は鋭いまま今日に至る。

    すでにシニアなNORA姉さんは、朝、しばし庭に出る以外は、夫の書斎で日がな一日を過ごす。気位の高さと厳しい風情は10年前から変わらない。その他3匹は日中外にいて、ROCKYは夜、書斎へ。JACKは庭か、わたしの書斎にいる時間が長い。CANDYは、サンルームを占拠しつつ、庭でも我が物顔で過ごす。

    JACKとCANDYは、普段から、取っ組み合いの喧嘩をすることがあったが、我々の不在中、かなり激しいバトルを展開したようで、抱き抱えたら、双方肌が傷だらけ、瘡蓋があちこちにできていた。JACKは毛艶が悪くなり、ひどく甘えん坊になっている。

    非常に心が痛む。ゆえに極力、彼と一緒に過ごしている。今日になってようやく、毛並みも表情も、元気を取り戻してきた。また来週はデリーへ行かねばならない。週末は新居へも行かねばならない。家を離れるにつけ、後ろ髪を引かれる。

    今後は、ドライヴァーに頼んで、JACKとCANDYが庭で鉢合わせしないよう計らわねばと思う。

    Sa2

    Sa3

    霜月も残すところわずか。師走は目の前だ。そしてまた、新しい年が来る。今年のわたしは、本当に、豊かな時間を過ごしたと、今しみじみと振り返る。旅も、仕事も、遊びも、奉仕も……。

    これまでの人生、わたしは長期的なプランを立ててこなかった。せいぜい、1年間の大まかなプランを立てるだけ。

    27歳で会社員生活を辞めてからというもの、年初に予期しないことが年末には起こることの連続だった。だから、1年先を見据えるだけで精一杯だった。

    しかし来年からは方針を変える。

    残された人生。行きたい場所を絞り込む。やりたいことも絞り込む。そして、夢想ではなく実現するために、動く。我が人生に残された時間の限りを意識して、元気なうちにできることを。

    だから今まで以上に、健全な心身を育む努力をしたいと思う。しっかり食べて、しっかり動き、しっかり寝る。

    さて、今夜は日本米を炊いて、具沢山の味噌汁でも作ろう。米麹なども日常的に取り入れはじめている。日本の発酵食品、本当にすばらしい。

    Sa4

    1枚目の写真は先ほどの、バンガロールの薄暮。この街の空が、本当に好きだ。ランチの写真は、外出時にお気に入りのブティック群CINNAMONに立ち寄ったときのもの。心が落ち着く場所。

  • S5

    S7

    福岡を起点に、韓国、壱岐を旅した今回の一時帰国は、本当に豊かだった。

    半年前の一時帰国時は、母の介護サーヴィスの開始に伴い、諸々の手続きやケアセンターの見学、ケアマネージャーはじめ関係者との打ち合わせなどを優先していた。

    初日から咳が出て止まらず、肋骨や腰も痛み、3週間、ずっと体調が悪かった。自分が思っている以上に、精神的なストレスを感じていたのだと思う。

    前回の教訓を経て、この半年間、毎朝10分間の瞑想と、例のなかやまきんに君の世界一簡単な筋トレ10分間を続けてきた。この積み重ねは、かなり成果があるように思う。

    もちろん、無理をせぬよう毎日7、8時間の睡眠を取り、体調管理には気を配った。何をするにも、健康第一。バンガロールに戻って数日経つが、今週はあまり予定を入れず、緩く猫らと過ごす時間を確保している。

    🌈

    福岡最後の日は、母と夫と3人で、香椎のロイヤルホストでランチ。母の記憶は混沌と曖昧さを増して、彼方の思い出は鮮やかに蘇り、新しい出来事は止まらず流れる。

    今回、母と過ごした16日間は、人間の生き死にについて、考えさせられる出来事の連続でもあった。人は生きる過程で必ず、枯れていく。偉業を成し遂げた人たちでさえ、心身は衰えゆく。

    自分の忘却に気づいた時の不安。

    文字がうまく綴れない。漢字が出てこない。諦めと絶望。

    目がよく見えないから、パッケージが読めない。料理ができなくなる。

    耳が聞こえないから、会話がわからない。話の辻褄があわなくなる。

    視覚や聴覚の衰えと、認知症との密接な関係についても、身に染みてわかった。

    正直なところ、この先のことを考えると不安はある。しかし、妹は実家から車で10分程度の場所に住んでいて、常々、足を運び、母と外出もしてくれている。

    介護保険のサーヴィスにより、ヘルパーさんが週に2回、それぞれ1時間ずつ来てくれ、部屋の掃除などをしてくれる。また、ケアセンターへは週に2回、送迎付きで赴き、体操などをしている。

    多分、恵まれた環境だと思う。

    今回、幸いにも、帰国の序盤に眼鏡店へ赴いた際、新しい補聴器に出合え、母の耳の聞こえが向上したのは、本当にありがたいことだった。なにしろ最初の2日間は、補聴器をしていてなお大声で話すしかなく、どうしたらいいのかと途方に暮れる思いだった。

    これまで使っていた補聴器の専門店では、適切な対応をしてもらえず、これが限度だろうと諦めていた。ところが、眼鏡を新調するために妹夫婦が行きつけの「眼鏡市場/福岡筥松店」に行ったとき、補聴器の案内が目に止まった。

    補聴器とは、どのブランドも五十歩百歩だろうと思っていたのだが……。全然違った! AIの台頭により、補聴器が格段に進化していたのだ。音量その他、諸々、コンピュータで微調整ができ、雑音なども適宜、排除される。店長さんとスタッフの方々が、検眼や耳の検査を、入念にしてくださったおかげで、母の聴覚は格段に向上し、大声を出さずにすむようになった。

    これは本当に、ありがたかった。

    確かに補聴器は高価だが、何よりも優先すべき必要な機器だと実感した。こういうものが、もっと廉価で多くの人に普及できればいいのにと思う。そうすれば、耳が不自由な人だけでなく、周囲の人々のストレスも大幅に軽減される。

    母を見ながら、自分の20年後、30年後を思う。

    身体を大切にしよう。足腰を鍛えよう。手書きで文字を綴り続けよう。読書をしよう。旅を続けよう。強くやさしく寛大であろう……。

    🌈

    出立の朝。父の遺影に手を合わせたあと、名島神社に向かって拝もうとベランダに出た。すると、名島神社のあたりからうっすらと、しかし確実に、半円の虹がかかっていた。

    ありがたきお見送り。

    また来年、帰ってきます。

    S4

    S6

    S3

    6a01287573b46a970c02e860de2e41200b-800wi

    S2