インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    今回、夫が日本に来ると決めたとき、東京へは行かず、福岡周辺を旅することは決めていた。とはいえ、九州とて、広い。どこを旅するか少し悩んだ。かつて九州一周旅で、熊本に宮崎、大分、鹿児島、長崎、佐賀……と、一通りをざっと踏破しているが、圧倒的に魅力ある未踏の土地は多い。

    どこを目指すかと地図を眺めていたとき、「壱岐に行きたい」と思った。今回の韓国旅では、旅の前の想像以上に、九州と朝鮮半島とのつながりを実感したのだが、その中間地点に位置する壱岐や対馬は、その結びつきがつぶさに体験できると思ったのだ。

    同時に、わたしが育った福岡市東区の名島や千早、香椎にゆかりの深い第十四代天皇である仲哀天皇の妻、神功皇后は、壱岐にも関わりがある。先ほど、資料を読んでいて知ったのだが、彼女は妊娠中にも関わらず、三韓征伐(新羅、百済、高麗)を果たした女傑でもあった。

    ほんの数十分、資料に目を通しただけでも、歴史の重みが伝わってくる。

    邪馬台国の時代、中国の史書にて「一支国」と記されていたという壱岐の島。日本誕生の歴史に深く関わり、至るところに古代遺跡が点在し、無数の神社が祀られている、歴史の栄枯盛衰が、すさまじいまでに凝縮された、しかし今は穏やかな島。

    元寇の際には、この島が前線、フロントラインとなった。多くの島民たちが非業の死を遂げたこともあり、関わる史跡が多々、残されている。元寇は、日本史にとって重要な出来事だと思うので、概要だけでも、ウィキペディアの記載ではあるが、わかりやすいので転載する。

    「元寇は、日本の鎌倉時代中期の1274年・1281年に、モンゴル帝国および属国の高麗によって2度にわたり行われた対日本侵攻である。蒙古襲来とも呼ばれる。1度目を文永の役、2度目を弘安の役という。 なお、弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、当時世界最大規模の艦隊であった。」

    調べるほどに、ここに来たいと思った直感は正しかったと確信する。

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    曇天の博多埠頭を出港して約1時間。12時ごろに芦辺港に到着した。旅館からのお迎えの車を待つ間の2時間あまり、軽いランチをすませたあと、自転車を借りてサイクリングを楽しむ。

    壱岐で最も新しいという「壱岐神社」を訪れた後、海に面した「龍蛇神神社」へ。辰年の今年、我が巳年の到来を目前にして、訪れずにはいられない場所であり。少し雨が降ったのは、龍神様から歓迎されたのだと、むしろ感謝する思いだ。

    ちょうど1週間前の日曜日は、対岸の釜山の海東龍宮寺から、こちら側を眺めていた。同じような曇天で、しかしここは釜山ほどの観光地ではなく、この龍蛇神神社はわたしたちしかいなかった。

    諸々、綴りたいが、今は旅館で秘湯に浸かり、すばらしい料理を堪能し、土地の酒を飲み、しかし壱岐に関わる資料を読み漁って衝撃を受けている最中につき、アウトプットはほどほどに、しばしインプットに浸ろうと思う。

    壱岐には3泊4日、滞在する。ゆっくりと、過ごすことに決めて、本当によかった。

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    ここはいい場所ですよ。

    もっと帰って来なさいよ。

    故郷が静かに、そう告げる。

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    今回は、本州へは上陸せず、九州界隈を旅し、最終日は、福岡から成田経由でバンガロールに戻る。

    今日は、香椎浜にあるイオンモール(かつては海だった場所)へ出かけ、天ぷらなどを食べ、ちょっとした買い物をした。母はもう、あまり距離を歩けない。一人で天神に出かけることも難しくなった。

    このイオンモールには、小さな「岩田屋」(福岡におけるデパートの代名詞だった)がコンパクトに入っているのが魅力。

    明日は、夫と旅に出る。お天気になりますように。

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    長いと思っていた約1カ月弱の日本&韓国旅も、半分以上が流れ去った。韓国では、心が浮き草のように揺蕩い、自分の帰る場所はどこだろうかと心許なくなる瞬間があった。福岡に戻ってひと段落。この2、3日は、主には母と自宅で過ごし、片付けや仕事などをしていた。

    昨日の夜は、旅の初旬に実施した「旅する朝活セミナー/日本とインドを結ぶ布」の延長線上で、「インドと世界を語らうディープな夕べ」を実施したのだった。朝活セミナーでは、その後ランチをご一緒した方もいらした一方、時間の都合上、お話できない方々も多く。

    個人的には、このマイノリティな世界を共有できる方々から、わたし自身がお話を伺いたく、美砂さんと共に、語らう夕べを企画したのだった。

    美砂さん以外は、ご挨拶程度の言葉を交わしたことはあるものの、ほとんど初対面の方ばかり。体調不良で参加できない方もいらして、とても残念ではあったが、自己紹介をしながら共通の会話ができる(とわたしが常々思っている)大人10名以内は、理想的な場でもあった。

    東西南北、長期&短期で海外在住経験のある方ばかりが集い、みなそれぞれに、クリエイティヴな世界を経験されている。杯を傾け、おいしいイタリアンを味わいながら、瞬く間に時間は流れた。

    稀有な出会いに感謝しつつ、半年後の帰国時には、また別のテーマでの催しをやろうとのことで、お開きとなった。集ってくださったみなさん、ありがとう。

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    会場となった中央区赤坂にあるイタリアンは、奇しくも半年前に訪れたヘアサロンのすぐ近くだった。予約の時間より早めに到着したため、前回も利用したライブラリーカフェに、昨日も訪れた。旅や食の書籍が並ぶ本棚を前に、背表紙に目を泳がせるだけで、心が旅に出る。

    ふと、一冊の本が目にとまる。開けばなんとも、魅力的なインドの布世界が広がっているではないか! 早速、アマゾンで注文をした。

    ……レストランまでの道すがらの情景が、ソウルと重なる。

    夕方、少し早めに家を出た。住まいの前で、母に写真を撮ってもらう。先日、大丸の久留米絣の展示会を再訪し、何枚かの衣類を購入していた。旅の途中にも、何枚か着用した。このワンピースは、昨日、初めて着たもの。木綿。肌触りよく、着心地がよく、とても気に入った。

    これからは、サリーや着物に限らず、日常着においても、伝統が息づく衣類を、より積極的に身につけようと、改めて思っている。

    🚗

    帰りのタクシーの運転手さん。世代が近そうで、とてもフレンドリーな印象の方だったので、話かけた。運転手さんの話は、そのときどきの町の趨勢を知る上でも、とても興味深いのだ。浮羽出身で、香住ヶ丘に住んでて、今は西区在住だという彼。

    「え? わたし、香椎第二中学を卒業しましたよ!」と言うと、「え! 僕もですよ!」と同窓生であることが発覚。

    年齢は彼の方が4つほど上だったので、被っていないのだが、いきなり「横矢先生って知ってます? 僕、バレー部だったんですよ」と言われて大盛り上がり。横矢先生は、数学の先生であり、バレー部の顧問であった先生なのだ。「知ってますよ! わたし、数学習ってましたし!」

    中学1年の3学期、香椎第一中学から第二中学に転校したわたしは、特に中学2年のころ、非常に非常に問題が多かった。本当にいろいろとあって腐りきっていて、恥ずかしいほどにグレていて、先生方全般と敵対していた。そらもう、いろいろあった。

    大幅割愛。

    苦い日々だったこともあり、中学時代の写真や卒業アルバムは、高校時代にすべて捨ててしまった。しかしながら、当時の先生や友人たちの顔は、今でもはっきりと覚えている。

    町の様子はすっかり変わっても、記憶は色褪せない。

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    2024年11月10日は、インド生活19周年だった。つまり、20年目に突入した。来年は、我が人生の節目祭りだ。そんな最中に韓国旅ができたことは、自分の原点である九州と隣国との関わりを見つめる上で、とても意義深いことだった。

    隣国ながらも、未踏の地だった韓国。今回の旅は、我々夫婦が属するニューヨーク発グローバル組織のYPOにおける、我がフォーラムの友人らとの旅だった。フォーラムでは、1年のうちに国内外それぞれ1回ずつの旅の実施が決められている。これまで、香港やマルタ島、アムリトサルやダラムサラ、ポンディシェリにマイソール……と、さまざまな土地を旅してきた。

    今回は奇しくも、旅先が韓国に決まったことから、わたしは福岡滞在中にソウルへ飛ぶべく、スケジュールを調整したのだった。つまり、フォーラムでの旅がなければ、わたしは多分、この先も韓国へ行くことはなかったと思う。今年は実に多くの、よき旅に恵まれた。旅もまた、ご縁である。

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    ソウルにて滞在したホテルは、紅葉の眺望もすばらしく、居心地のいい場所だった。実家では、簡易ベッドを使っていることもあり、どうにも寝心地がよくない。この5泊、広々としたベッドで眠り、開放的な気分を味わえたのは大いなる気分転換でもあった。

    パンデミック明けより、わたしが一時帰国を年2回に増やした背景は、幾度となく記してきた通り、母の高齢化が理由だ。幸い母は、身体は元気だが、認知症の進行は否めない。家の雑事をやるだけなら、わたしもまだ気が楽だが、朝から晩まで、会話が破たんしがちな母と過ごすにあたっては、精神の平穏を保つことが難しい瞬間も多々ある。

    自分自身の行く末についても、否応なく、考えさせられる。

    自分が歳を重ねれば、親が高齢化するのは当然のこと。友人らもまた、親の健康不安に直面している人たちが多い。そんな中、こうして9人全員がソウルに集い、5泊6日もの旅を共有できたことは、ただそれだけで、ありがたいことであった。

    🇰🇷

    韓国といえば、昨今、スキンケアやコスメが人気で、友人らの中にはスパを訪れた人もいた。わたしは、街歩きを優先したので、美容関係へのアンテナは閉じていたのだが、釜山の駅で列車を待つ間、ドラッグストアでファンデーションの試供品を塗ったあと、やはり試供品のトナーパッドで拭き取ったあとの肌の潤いがすばらしくて感動した。

    正直なところ、わたしはややこしいスキンケアが苦手で、インドでは、たいていローズウォーターをシュッシュッとふりかけて終了している。化粧も軽くパウダーをまぶす程度なので、化粧落としは使わず、ナチュラルな石鹸でざっと洗うだけ。乾燥する時期は、KAMAなどナチュラル系の保湿剤を塗っている。

    パックなども面倒で、ほとんどやったことがないのだが、トナーパッドの威力を目の当たりにして、急に韓国コスメが気になった。あれはなんだったのか。

    帰りの空港で見つけられたら買おうと思っていたが、同じものは見当たらず、代わりに人気だという「カタツムリのパック」を2箱ほど購入した。1回使ってみたところ、あのトナーパッドほどではないが、そこそこ、いい感じな気はする。

    その他、韓国では、いい香りのソリッド・パフュームも購入。空港では香りのよいハーブティーも購入。今回、ソウルのごく片鱗しか見ていないが、「自然のいい香りがするもの」に遭遇する確率が高かったように思う。ハーブティーは、どれもおいしくて気に入った。街の茶苑で買った「日月光白茶」も、台湾の凍頂烏龍茶を彷彿とさせる味わいでおいしい。

    形に残るものとしては、釜山では陶芸作家による藍色のマグカップを買った。ソウルで買った小さなキムチ壺も割れないように持ち帰ろう。そして日々、使おうと思う。

    ✈︎ついに到着! バンガロア。新たしき、日々のはじまり(2005/11/10)

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    季節外れの好天に恵まれてはいたものの、ソウルもまた、暦は晩秋。陽が暮れるのは早く、午後3時を回ったころには、すでに夕暮れの気配だ。日没前にできるだけ、街の情景を脳裏に刻んでおきたく、仁寺道ギル(道)を歩く。ここは昔ながらの骨董品店や茶具店、陶磁器店などと、現代的なブティックやアートギャラリー、飲食店などが混在して調和する、魅力的な通りだった。

    今回の韓国は、グループ旅ということもあり、また日本への一時帰国中という立て込んでいた最中につき、ほとんど下調べをせず出発してしまった。丸1日は自分一人で過ごそうと思っていたので、アマゾンでガイドブックを注文していた。

    今回購入したのは、出発前日にぎりぎりで届いた昭文社のガイドブック。大学卒業の直後に上京し、旅行誌の編集者として働き始めたわたしは、当時から、本来、地図の出版社である昭文社のガイドブックを、比較的、信頼してきた。とはいえ、日本を離れて28年余り。現在の状況はわからないが、「紙の地図」が好きなわたしは、数あるガイドブックから選んだ。

    さすが昭文社。付録として街歩き地図がついていた。この地図をじっくりと眺めたうえで、最後の1日をこのエリアで過ごすことに決めたのだった。既述の通り、月曜日だということもあり、訪れたかったミュージアムが休館だったのが残念だったが、その分、リアルに人々と触れ合う機会を得られた。

    伝統絵画に引かれてドアを開けたギャラリーは、韓国伝統文化大学校(Korea National University of Culture Heritage)の卒業作品展だった。受付に座っている女学生2人に声をかければ、彼女たちも、自身の作品を出展しているという。学生たちは半年から8カ月ほどかけて、作品を仕上げたとのこと。いずれの絵画も、力強く見るものを引きつける。

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    朝鮮の王朝の様子を描いた屏風もあれば、仏陀の生涯を描いた絵もある。二人に、自分の作品の前に立ってもらい、写真を撮らせてもらった。絵の具は天然の染料をも用いているようで、青い色はラピスラズリだという。

    絵に記された書も、自分でしたためたという。若い世代には、ハングル語しか読めない人も多い中、彼女たちは稀有な存在だろう。「韓国伝統文化大学校」そのものがまた、興味深い。

    ちなみに、韓国における漢字とハングル文字を巡る歴史にもまた、紆余曲折のドラマがある。第二次世界大戦後、漢字が使われなくなった背景のひとつに、日本統治時代の余韻を払拭するため……という事実もあるようだ。しかし、この芸術の街を一隅を見る限り、漢字が随所に残されていて、ハングルのフォントの多様性もまた、興味深い。

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    路地を入ったところに、地図で見つけて行ってみたいと思っていた「耕仁美術館」があった。古い家屋を改装して作られたギャラリーが点在する、情趣に溢れた空間だ。ここのギャラリーでも、アーティスト男性ご本人から声をかけられ、言葉を交わす。

    この海は釜山だろうか……と思いつつ眺めていたら、やはりそうだという。新旧が混在するソウルの街並みの絵もまた、心ひかれる。わたしが日本人と知って……だろうか。それとも偶然だろうか。バックグラウンドミュージックに、坂本龍一の『ラストエンペラー』(同名映画のサウンドトラック)が流れてきた。わたしの大好きな旋律!

    映画の内容を思えば、もう、なんとも言えぬ感傷がこみ上げてくる。

    初めての土地なのに、なんなのだ、この心が揺さぶられる時間の連なりは! 単に、歳を取ったせい?! またしても、目頭を熱くしながらギャラリーを出れば、目の前には「ハルモニ(おばあさん)の味」で評判の手作り大振り餃子の店があった。

    急激に空腹に襲われ、餃子3種盛り(豚肉、キムチ、マッシュルーム)を注文。とても大きかったので、食べきれないと思ったのだが、結局、おいしくて完食した。ホテルに帰るのが惜しく、陽が暮れてもなお、うろうろと散策し、最後の1日を楽しんだのだった。

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    昨日、ソウルを離れ、福岡へ戻ってきた。わずか1時間半のフライト。バンガロールからムンバイへ飛ぶような気軽さで、出入国も速やかに、5泊6日の韓国旅は幕を閉じた。

    旅の最終日だった一昨日。わたしはグループを離れて自由行動をした。

    旅の2日目に、みなで訪れた景福宮の東側のエリア、すなわち三清洞(サムチョンドン)や仁寺洞(インサドン)の界隈を、ゆっくり歩きたかったのだ。李朝時代に栄えたこのあたりには、[Korea 05]ですでに紹介した通り、昔ながらの建築物が残っている。今なお、そこに暮らす人々もある中、新しい店舗も点在し、まさに新旧が混沌と、共在している。

    1988年11月。わたしが社会人になって初めての海外取材先は、台湾だった。1987年に戒厳令が解かれ、1988年1月に蒋経国が他界し、同年7月に李登輝が総統に就任した直後。近畿日本ツーリストが発行していたガイドムック(ブックとマガジンを掛け合わせた造語)の『台湾の本』を出版するための取材旅行だった。

    あの過酷すぎたスケジュールと、歴史の重さと、情報の途轍もない広がりに、23歳のわたしは超絶に翻弄された。あの取材が、わたしのキャリアの原点であり、「世界を見る眼」の萌芽でもあった。

    朝鮮半島よりもさらに長い期間、1895年から1945年までの50年間を日本に統治されていた台湾で見たこと、経験したことの密度の高さは、筆舌に尽くしがたかった。今まで無数の土地を訪れてきたが、異国でありながらも、日本人としてのわたしが深い郷愁を感じる国は、その台湾と、そしてここ韓国以外には、ない。……と、今回の旅を終えて、実感している。

    韓国ではしばしば、「胸がいっぱい」になる瞬間があった。

    歴史については思うところ多く、わたしは右も左もなく、白も黒もつけない。若いころには右左、揺れて揺られたころもあったが、今はただただ、中庸だ。だって、歴史は語り手によって、いくらでも塗り替えられる。ただ一つ言えるのは、「異文化への敬意」を忘れないこと。自分がそれを肝に命じていれば、おおよそ、友好は育まれる。

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    わたしは、この5泊6日の韓国旅で、出会う人、出会う人、本当に親切にしてもらった。わたしは職業柄もあって、どんな旅先でも(日本を含め)、出会う人とは何かしら、軽く世間話をしつつ、お店のことや、商品のことなどを尋ねる。小さな一つの質問が、認識を大きく覆したり、新たな発見を与えてくれたりすることが、多々あり、見識が深まる。

    この日もまた、何人もの人たちと言葉を交わした。ほとんどの人が、一般的な日本人と同じくらいに英語を話さない。だからゆっくりと、簡単な単語での交流だから話は浅いが、それでも、伝え合える。

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    朝鮮半島の職人なくして、日本の名窯の歴史はない。ゆえに、韓国ではどうしても、陶磁器を買いたかった。釜山でのマグカップのほかに、伝統的なキムチ壺の「ミニチュア」を買った。わたしが手に持っているのがそれだ。店主曰く、これは蓮の蕾を模しているのだという。

    我が夫の名前Arvindは梵語で「蓮」を意味することもあり、その名にちなんだ事象にはひときわ敏感につき、迷わず買った。

    その店の女主人、そして常連客らしい女性とは、しばらく会話を楽しんだ。常連客が英語が堪能で、アカデミックな雰囲気を湛えていた。

    「ご出身はどこですか?」と尋ねると、笑いながら言葉を濁したので、「秘密なんですね」と返したら、「そうなの」と笑って答えた。彼女はインドへも福岡へも訪れたことがあるらしく、会話が滑らかに進む。室内でも、帽子を目深に被られた、美しい女性。ひょっとすると、著名人だったのかもしれない。

    その後、彼女におすすめのティーハウスを尋ねたところ、伝統的な「韓屋(ハノク)」が連なる北村八景にある店を勧められた。足を運べば、奇しくも「蓮華亭」とある。そしでわたしは、同店おすすめの「ロータス・リーフティー」を注文。干しミカンの茶菓子と共に、味わった。

    喫茶の様子は、台湾の茶藝館の風情とよく似ている。韓国のお茶文化もまた、深く広いということの片鱗を、今回の旅で実感した。

    ……尽きない。この日の写真はまだ残しておきたいので、次に続く。

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    朝のソウル駅から高速鉄道のKTXに乗って約2時間半。釜山に到着した。ランチをすませたあと、海をのぞむ海東龍宮寺へ。晸庵(チョンアム)という僧侶が、この海辺で龍に乗り空を飛ぶ観世音菩薩の夢を見たことから、命名されたという。辰年に訪れるに縁起がよさそうな場所でもある。

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    境内に向かう途中、十二支の石像が並ぶ。十二支は、十二方位の土地を守り、厄除けをして幸運をもたらす守護神のような存在だとのこと。一柱門をくぐり、108の階段をのぼった先に、海東龍宮寺が現れた。

    快晴であればまた、異なった爽快な景観だったに違いない。あいにくの曇天だったが、しかし雨に降られなかったのは幸いだ。

    水平線の向こうに福岡。

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    有史以来、いったい何隻の、何艘の船が、この海を渡っただろう。途方もない交易が、この海を往来してきた。

    中学時代に訪れた、今は埋め立てられている香椎の浜にあった豪邸の廃墟を思い出す。家具などが残されたまま、打ち捨てられた家。クラスメイトと探検をしに出かけた。その家の間取りや、独特の空間は、多分、日本人のものではなかった。すべての広い窓が海に面して、玄界灘に望んでいた。

    遠い日のことが、つい最近のことのように、次々に、鮮明に、思い返される。

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    海東龍宮寺では、ひとつだけ、強く願えば、それを叶えてくれるという。ゆえに、ひとつだけ、強く願った。
    そして、お米を、寄付させていただいた。

    合掌をし、祈ることができることさえも、ありがたく。

    その後、甘川文化村(カムチョンムナマウル)へ。

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    サン=テグジュペリの『星の王子様』がテーマになった観光地。かなりカジュアルな場所ではあるが、子どもや若者らには楽しいエリアだろう。陶磁器のギャラリーで、海の色をしたマグカップを買った。後日、写真を載せたい。

    夕食後、最終の便でソウルへ戻る。ホテルに到着したときには、すでに深夜1時を回っていた。長い1日だった。みな、元気だ。

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    三清洞(サムチョンドン)や江南(カンナム)などを歩き、夜は明洞(ミョンドン)へ。友人らがコスメティクスなどの買い物をする間、わたしは一人別行動。見つけた猫カフェでくつろぐ。至福。

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    初日、三清洞で見つけた手作りメガネ専門店で買ったサングラス。平たい顔族において、さらに低めな我が鼻にきちんと引っかかってくれるフレームを見つけた。

    店の若き女性は、オプティシャン(検眼士)。店は父親が創業し、兄がフレームを作っているという。すべてが唯一無二のハンドメイドで、メガネのツルの木肌が心地よい。

    この文章を綴っている今、最終日の夜なのだが、今回の旅、100%韓国人とみなされている模様のわたしは、このサングラスをかけると益々、コリアン風味が増している。

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    この5日間。本当に、ずっと奇妙な気分だ。

    韓国は「生き別れた肉親」のような国。言葉が通じないのに、ずっと昔からよく知っている気がする。幼少期からの、わたしと韓国(朝鮮半島)との関わりを、じっくりと綴りたい。

    父方の祖父母は、終戦前の一時期、朝鮮半島に暮らしていた。日本統治時代に「京城」と呼ばれていた、ここソウルだったのではなかろうか。祖母から聞かされた朝鮮での、偏見が滲む話を、幼いわたしは違和感を覚えながら聞いた。

    そんな古い記憶も含めて。

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