インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    5泊6日の女子旅も、今日が最終日。明日、友人らはインドへ飛び、わたしは福岡へ帰る。今日は一人でソウルの街を巡ろうと思う。本当は訪れたいミュージアムがいくつかあったのだが、あいにくの月曜日。第一希望の場所が閉館で、残念。また、来ることはあるだろうか。

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    さて、日帰りの釜山旅行を経て、昨夜は日付が変わってソウルに到着した。釜山はもう、日本に手が届く距離。直線距離でいえば、ソウルと釜山よりも、釜山と福岡の方が近いのだ。その旅路については、のちに記すとして、今回は、食べ物の写真を載せておく。

    ホテルの朝食では、なるたけ「韓国らしいもの」を選びつつ味わう。金色の「燻製卵」など、物珍しいものもある。チマキや白米など、ごはんものも美味だ。

    ランチやディナーは友人らと。なにしろ、食のルールがそれぞれに異なる「多様性に富んだグループ」につき、注文する料理も注意が必要。日本もそうだが、韓国も、ヴェジタリアンにはかなり難しい国。料理のほとんどに、何かしらの肉類や魚類が入っている。

    ・牛肉も豚肉も魚介類も全て食べられるノンヴェジタリアン
    ・牛肉は食べないノンヴェジタリアン
    ・豚肉は食べないノンヴェジタリアン
    ・チキンや卵は食べる緩めのヴェジタリアン
    ・グルテンフリーのヴェジタリアン……
    これらの要求をすべて満たす店はほとんどない。

    昨日は、2つのグループに分かれてランチを取るなどしつつ、それぞれの楽しめる料理を味わう。ちなみに、インド友らは、すがすがしいほどに、みな食欲旺盛。食事は決して、疎かにしない。インドから軽食類も持参して、車内などで食べる。

    夜のストリートフードなど、食べていないものも含めて、目に留まった情景を切り取った。写真の一つ一つに説明を加えたいところだが、これから朝食だ。行ってきます。食べてきます!

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    今回の韓国旅は5泊6日。今日はこれから、釜山へ日帰り旅行だ。この2日間、色濃くソウルを味わっているが、ホテルに戻れば疲労困憊。1日をゆっくり振り返る時間がない。仕事の連絡だけをすませて、ベッドになだれ込んでいる。睡眠大事。

    福岡に帰ったら、また別の日常が始まって、旅の余韻に浸れそうにないので、せめて写真だけでも、残しておきたいと思う。

    伝統的な家屋と、モダンなアートギャラリーやブティック群が共在する北村にて。ここはのんびりと町歩きが楽しい。
    石塀の模様、レンガの色合い風合い、窓の木枠、瓦の構造、梁の具合……。日本と似ていて、非なる様子が、とても興味深い。北村の伝統的な家屋の特徴だという中庭を取り囲む建築様式は、ケララ州の伝統建築のそれと、よく似ている。
    いろいろと書きたいが、取り急ぎ、写真だけを載せる。

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    李氏朝鮮王朝の創始者である李成桂によって、1395年に創建されたという景福宮。かつては、この周辺に数百棟もの殿閣が立ち並んでいたという。•
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    豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や、韓国併合から30年に亘る日本統治時代(1910 -1945)の影響を色濃く受けた場所が点在するソウルだが、ここもそのひとつだ。

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    景福宮にほど近い場所にある「レンタル民族衣装」の店の前で、旅行ガイド氏と合流。まずは好みのチマチョゴリを選んで、景福宮を訪れる。民族衣装というのは、どうしてこうも、興味深いものだろう。

    レンタルのそれらは、化学繊維のチープな素材で、決して品質がいいとは言い難いが、みな目の色を変えて、真剣に選ぶ。上下の組み合わせが自由だというところも、時間がかかるが楽しいポイントだ。

    わたしは赤やピンクの強い暖色系にしたかったのだが、あいにくやさしい色合いのものが中心だったので、比較的高品質に見える黒を選んだ。履いてきたボトムの上に、ワイヤー入りのペチコートを着用し、その上のチマ(スカート)を履いて、チョゴリ(ブラウス)を着るだけなので、サリーや着物に比べれば簡単だ。

    京都でレンタル着物店に群がる外国人と全く同じ状況。京都の随所で写真撮影をしまくる外国人と全く同じ状況。

    景福宮では、朝の10時に始まった「王宮守門将交代儀式」を見学する。これは、朝鮮王朝時代(1392~1910年)に、王宮で門の開閉や警備、巡回業務などを遂行していた「守門軍(スムングン)」の儀式を再現したものだという。

    衣装の色合い、旗の絵柄などが、チベットのそれと酷似しているね……と、チベット系インド人の友人Dekyiと語り合う。アジア世界のつながり。

    ガイド氏も、ガイド助手氏も、わたしが韓国人だと思ったらしく、親しげに話しかけてくる。わたしが福岡出身でインドに暮らす日本人で、今回初めて韓国に来たのだというと、一瞬、混乱した表情のあとに、親しげな笑顔を見せてくれる。助手氏はわたしが福岡からインドに至った経緯が興味深いらしく、歩きながら略歴を尋ねられた。

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    景福宮の歴史的な背景を教わりつつ、改めて韓国の地理(地政学)について思いを馳せる。中国と日本の間に位置する朝鮮半島。ただそれだけで、この半島は重要な位置だった。逆にそれが原因で、近年、南北が分断されることにもなってしまったのであるが。

    その重要な位置にある国の、首都であるソウルはさらに、「大切な土地」の印象を強く受ける。市内を横切る豊かな川、漢江(ハンガン)。街を取り囲む山々……。海(港)にもほど近い。

    ホテルの窓からは、豊かな緑と摩天楼とのコントラストも鮮やかな景観が見晴るかせる。北岳山を背に、清渓川(チョンゲチョン)を目の前にした景福宮は、 「山を背負い、水を前に置く」という、風水で吉地とされる場所にたたずむ、まさにパワースポットだ。

    古来、この地では、北岳山から吹く風は生命のエネルギーとされ、この風が、街に精気を流すと考えられていたという。どことなく台北の故宮博物院の空気にも似ている。綴りたいこと尽きぬ。

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    自分の写真がやたらと多いが、楽しいコスプレの大切な思い出につき、ご容赦を😸

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    夜の街へ繰り出すべく、友らとロビーで待ち合わせ。バンガロールからデリー経由でソウル入りしていた彼女たち。長旅で疲れているに違いないが、相変わらずみんな元気だ。

    2017年以来、この7年間というもの、彼女たちとは国内外、多くの土地を旅してきた。しかしながら今回は、わたしは福岡から入り、彼女たちはインドから訪れたということもあり、少し奇妙な気分だ。わたしとて、韓国は初めてだというのに、彼女らに対して「東アジアへようこそ……!」という気分になっている。

    実際、福岡国際空港にいるときから、地上係員その他、概ねわたしを韓国人と思う人ばかり。これはニューヨーク在住時にコリア・タウンを訪れたときもそうだった。わたしの顔立ちは、韓国人に近いと思う。自分でもオモニ(お母さん)風情が漂っているなと思う。

    昨夜のパブでも、お店のスタッフは一瞬、わたしを旅行コーディネーターだと思うのだろう、話しかけてくる。わたしは韓国を訪れるのは初めてだが、日本在住時は在日コリアンの人たちとの関わりが深く、韓国と日本の歴史やかかわりについても、多分、詳しい方だと思う。

    このことはまた、別の機会に記したい。

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    梨泰院(イテウォン) 界隈を歩き、カジュアルなパブで、軽く飲むだけのはずが、あれこれと注文してお腹いっぱいになり、そのあとモノレールで南山の頂上へ。思えば彼女たちと初めて香港を旅したときも、こうして夜景を見に行ったものだ。

    ソウルがこのような地形の都市だということを、今回初めて知った。南山は、古くからの歴史が紡がれている土地で、山中には数多くの寺の跡や仏像が点在しているという。

    展望台には、漢陽(ハニャン)都城の名残としての石垣が残る。朝鮮王朝の都だった漢城府(ハンソンブ)の境界を示し、外部の侵入から都を守るために築造された城だという。ここからは狼煙を上げられていたたともある。

    韓国には、日本統治時代の面影や物語が刻まれている。そのような史実をも、自分の目で眺めながら、過ごす5泊6日になりそうだ。

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    玄界灘をひとっ飛び。1時間半でソウルに到着。なんという近さだろう! むしろ仁川(インチョン)国際空港からホテルまでのタクシーの方が、1時間以上もかかって遠く感じた。言葉が通じないけれど、タクシー運転手のおじさんは、名所らしき建物が現れるたびに、説明をしてくれる。やさしい。

    明洞(ミョンドン) や梨泰院(イテウォン) にほど近い、小高い丘の上に立つホテルにチェックイン。異国人なのに、遠い親戚のような親しみを覚えさせるスタッフたち。彼らもまた、とても親切でやさしい。

    部屋のドアを開ければ、色づき始めた山肌が目に飛び込んできて、思わず感嘆の声を上げる。

    長旅の果てにたどり着いた友らと合流する前に、わたしは界隈を散策。

    坂道を歩きながら、なんだろう、この懐かしい様子。かつて名島城(福岡市東区)があったあたりの、遠い日の羽衣台道に似ている。2歳、3歳のころ、母方の祖父とともに、あの羽衣台道を歩いて、叔母の家へと訪れた。

    あのころから、独特の空気感を漂わせていたのだが、それもそのはず、つい数年前に訪れた時に、「羽衣」の由来を知った。

    「名島城のはるか以前に渡来人が住んでいた。その渡来人の衣装に因んだ名(二の丸跡)」

    海に面した福岡市は、本当に歴史が豊かで深いのだということを、そこに果てしないロマンがあるのだということを、今頃になって思うのだ。

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    韓国で初めての買い物は、通りのカフェで買ったカフェラテ。お店のお姉さんの笑顔もやさしい。蓋の口元が非常に飲みやすい😋

    ホテルの前で写真撮影をしているお姉さんたちに、わたしの写真を撮ってもらった。1枚目の写真がそれ。二人はもう、バリバリに加工された写真のような、出来上がったお顔をされていた。これが、韓国美容の極みか! と、感嘆するほどの、陶器のようなお肌と、お人形のような顔立ち。

    少しお腹がすいたので、ホテルのベーカリーでクロワッサンを買い、部屋で食べる。みかんは……福岡の実家から持ってきたもの。

    友らと合流する前に、少し本を読もう。今回は、グループ旅ということもあり、ぎりぎり前日に届いた書籍を2冊持ってきたきり。遅ればせながら、韓国を学ぼう。

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    うみはひろいな おおきいな つきがのぼるし ひがしずむ

    うみはおおなみ あおいなみ ゆれてどこまで つづくやら

    うみにおふねを うかばせて いってみたいな よそのくに……

    こどものころ、千早(現在の名島汐見町)の海辺にて、玄界灘を眺めながら、何度歌ったことだろう。

    海の彼方に、壱岐、対馬。その先に朝鮮半島。

    チューニングするたびに、韓国語放送が流れてくるラジオ。

    砂浜に打ち上げられたハングル文字のゴミにさえ、旅情をかきたてられた。

    海の向こうの異邦を夢見つつ、しかし初めての海外は、飛行機で、米国へ。

    以来、数えきれぬほどの土地を訪れてきた。気づけば、歳月を重ねていた。

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    玄界灘の延長線上にあった、わたしの旅路を確認したくて、本当は船で釜山まで赴くつもりだった。

    点の旅より線の旅。北京からウランバートルまで、36時間の列車旅をしたときのように。

    しかし、船会社のトラブルで欠航となり、結局は飛行機で飛ぶことに。

    ともあれ、生まれて初めての、朝鮮半島。

    あまりにも近くて、あまりにも遠い国だった。

    楽しみだ。

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    福岡国際空港。セキュリティチェックの「昭和感」に唖然としつつ、しかし数カ月前にオープンしたばかりだという「福岡ラウンジ」は快適。

    現在、空港は改築中らしい。

    思いがけず、朝ごはんも充実のおいしさで、よき旅のはじまりだ。

    行ってきます!

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    小中高を過ごした、福岡市東区千早、香椎、名島界隈。いつのころからか、街の様子はどんどん変わってしまい、今となってはもう、懐かしさの欠片が見当たらない。

    セーラー服の裾を翻し、自転車を立ち漕ぎしてかっ飛ばしたあの道はいずこ。

    香椎駅界隈の、なんとよそよそしいこと! 

    今でも、あの無法地帯な自転車置き場や、駅の改札や、チョークで記した伝言板や、篠栗線に乗り換えるために駆け出す友人や、セピア通りの書店や、ヨシダ楽器や、交差するみゆき通りの、友達の家の香蜂饅頭や、スーパーマーケットや、鮮魚店や、八百屋や、手芸店や……。

    軒を連ねた活気ある店舗の、無数の個性ある情景が脳裏を巡るというのに。どうしたのだ、この無機質なビルディングの連なりよ!

    あの、買い物かごを下げた人々が行き交う、あの生き生きとした雑踏は、どこに消えたか。これもまた、無常なる時代の流れ。

    ……今回は、いつもに増して、昭和の情景がしのばれる。

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    買い物に出かけたり、実家の片付けをしたり、髪を切りに行ったり、マッサージに行ったり、天神に行ったり、仕事をしたりするうちに、瞬く間に1週間が過ぎた。

    昔の一時帰国時には、毎日のように友人らに会って飲んで食べたり、出かけたり、本当に元気だったなあ。

    今はもう、連日の外出は無理。そもそも福岡には、友人知人も少ない(と、数日前に気づいた)。ほとんどが自宅での食事。歳を重ねた母と過ごすことが主目的で、年に2回の一時帰国を決めたので、これはこれで、よいことなのだが……。しかも食事はおいしくて幸せでもあるのだが……。

    母が歳を重ねている分、やれやれ、わたしも歳をとったのだ。気分は常時、概ね37歳のつもりだったが、このごろは帰国するたび、浦島太郎のような心持ちになってしまうのだ。遣る瀬ない。

    ……と、珍しく、感傷的になことを綴る夜。久留米絣のことを書きたかったのだが、それはまた後日にしよう。

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    季節外れの台風的な風雨に見舞われた一昨日&昨日の福岡地方。一部でJRが運休したり、県内で避難勧告が出た地域もあるなか、20名を超える方々が足を運んでくださった。まずは、ゲストならびに関係者各位へお礼を申し上げます。

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    わたしにとっては、親戚のような存在の美砂さんと、半年前の一時帰国時に会った際、「何か一緒にやりたいね」と話したことが契機だった。彼女は今年8月、福岡市東区西戸崎に「アレナプルクナ」という旅をテーマにしたギャラリー&ブティックを開業。今回、第一回目のイヴェントとして「旅する朝活セミナー」を企画してくれた。

    パリ在住歴の長い美砂さんは、帰国後もフランスに関わる仕事を続けられている。そんな彼女のご友人をはじめ、DJの相越久枝さんによるcrossfmでの告知を聞かれた方、また元バンガローリアンで、ミューズ・クリエイションのメンバー、さらには我が友人知人やソーシャルメディアをご覧になられた方々が足を運んでくださった。

    熊本から、台風の影響で、途中で何度も止まるスローな新幹線で駆けつけてくれた方もいて、申し訳なくもうれしかった。

    会場が使えるぎりぎりまで2時間弱、毎度のごとく、熱く語る。自己紹介に始まり、インドの多様性や地理的な基本情報、シルクロードを経て日本にもたらされた布の歴史、明治時代に日印貿易の契機となった綿、インド独立運動と手紡ぎ手織り布との関係など……を、極力わかりやすく説明。その後、具体的に、インド各地のさまざまなテキスタイルの歴史や特徴などを、豊富な写真をもとに説明する。

    持参したインドのサリーの1枚は美砂さんに着付けたほか、何枚かを直接、手にとって見てもらう。また京友禅サリーも広げ、その美しさを見ていただく。

    終了後は参加者を募り、館内にあるあるホテル・ニューオータニのレストランでランチ。雰囲気もよく、セミナー後の歓談には非常によい環境。大雨に見舞われたものの、極めて濃密で有意義なセミナーだった。参加された方々にも満足していただけたようだ。インドに対する関心を強めていただけて、本当によかった。

    🇮🇳

    半年前も記したが、わたしと美砂さんとのご縁を綴っておく。

    美砂さんのお母様は、飯塚にて、我が両親の出会いのきっかけを作ってくれた方。美砂さんのお母様のお兄さんが、我が亡父と高校時代、親友だった。

    美砂さんとは、子どものころに顔を合わせたことはあったものの、きちんと話をしたのは、大人になってから。

    1992年、東京。わたしの父から彼女の母親の手に渡っていたらしき、わたしが自費出版した『モンゴル旅日記』。それに影響を受けたという彼女も、東京に住んでいたことから、わたしが当時暮らしていた世田谷区用賀の古びたアパート(竹陣荘!)に遊びに来てくれた。デザインやファッション関係の仕事をしていた彼女はその後、パリに移住。

    1994年、パリ。フリーランスのライター兼編集者として1993年に独立したわたしは、「1年のうち9カ月休みなく働き、3カ月まとめて休暇を取る」という目標を掲げていた。それを有言実行。1年目はパリの美砂さんの家を訪ね、旅の起点として数日間、滞在させてもらった。彼女は、わたしのモンゴル旅日記に影響を受け、モンゴルからシベリア鉄道の旅を敢行していた。

    1995年、パリ。フリーランス2年目のわたしは英国での3カ月の語学留学のあと、パリに2週間近く滞在した。そのときもまた、彼女の部屋に居候させてもらった。

    1996年、ニューヨーク。わたしとアルヴィンドが出会って直後のころ、彼女もたまたま、3カ月ほど、ニューヨークに滞在していた。その数年後にも、ニューヨークへ遊びに来た彼女と会った。

    2012年、バンガロール。すでにフランスを引き払って日本に帰国していた美砂さんが、妹の美陽さんと二人でバンガロールへ遊びに来た。たまたま我が家に立ち寄ったその日は、我が夫の40歳の誕生日会を「1日遅れ」で開催していた。驚くことに、美陽さんは、その日が40歳の誕生日だったので、一緒に祝福した。

    人生の節目節目で、お会いする機会があった彼女。今回も、わたしの人生の大きな節目となるころに、このような機会が実現できて、本当にうれしい。

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    この先の縁や機会は、来るのを待つのではなく、自ら作るべく動く所存につき。わたしのプレゼンテーションの資料は日本語と英語を合わせると、種類も豊富に20テーマほどをクラウドにアップロードしている。プロジェクタで投影できる壁さえあれば、いつでもどこでも語れる。

    次の一時帰国からは、プレゼンの機会を積極的に設けていこうと思う。

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    ◉昨日は母と妹と三人で天神へお出かけ。わが日本家族がしばしば利用してきたホテル・ニューオータニのチャイニーズレストラン「大観苑」へ。ここの五目あんかけ焼きそばを、数十年ぶりに食す。「カレー?」を思わせるソースポットに具沢山のあんかけ。豚肉に魚介類もたっぷりと、食べ応えのある美味ランチであった。

    ランチの後は「大丸」へ。福岡でのデパートといえば「岩田屋」が定番だが、過去10数年、わたしは、大丸にも必ず寄っている。地下の婦人靴コーナー、歩きやすい靴のブランドが充実しているからだ。特に最近は 「ビューフォート」がお気に入り。

    ◉今回の大丸はしかし、靴だけが目的ではなかった。折しも10月29日から11月5日まで、久留米絣の催し「ハク、マトウ。MONPE X HAORI」のアンテナショップが出ていることをInstagramで知り、行かねばと思っていたのだ。

    1500年以上前のインドを源とする絣(かすり)。福岡県南部の筑後地方、久留米周辺で200年以上にわたって織られている久留米絣は、日本の無形文化財でもある。

    木綿の糸を束ね、柄を作るべく紐でくくる。それを天然の藍(インディゴ)をはじめとする染料に浸す。色づいた木綿の束の、紐を解けば、染まっていない白い部分が浮かび上がる。その糸を織機に張って、織るのである。

    何が何だかわからないと思われるだろうが、ともかく、高度な職人技が要されるのだ。

    その起源は「数千年前」に遡る。東南アジアや中央アジア、インドなどで、類似の技術が独自で育まれたという説も見られる。なお、絣の中でも、経糸と緯糸、両方を束ねて染めて織り上げる「経緯絣(たてよこがすり)Double Ikat」は、インドとインドネシアのバリ島、そしてこの久留米など、世界でも極めて限られた場所においてのみ技術が継承されているとのこと。

    だめだ。絞り染めや絣の話になると尽きない。

    わたしが子供のころは、祖母の着物や「モンペ」に代表される久留米絣をして、田舎っぽい和装の印象があった。しかし、インドに移住して絣の歴史を知り、2011年に西日本新聞の連載『激変するインド』に記事を書くべく「久留米絣のふるさと」を訪れたのを契機に、絣に対する印象が変わった。

    わたしが久留米絣の衣類を初めて買ったのは2017年。この大丸にてアンテナショップを出されていた「丸亀絣織物」で、椿柄のジャケットを購入。そのときに5代目の丸山重俊氏と写真撮影をし、丸亀絣織物のInstagramをフォローし始めたのだった。

    軽くて着心地がよい。冬暖かく夏は涼しい。洗濯しても痛まない。色落ちしない。丈夫……。その魅力にすっかり引き込まれた。

    今回は、久留米絣のふるさと、広川町の工房から、丸亀絣織物はじめ池田絣工房、野村織物、坂田織物……と、4つの工房が共同で展開されている。7年前に比べると、格段にデザイン性が向上していて、魅力的な商品がたっぷりだ。

    藍以外のカラフルな色柄も加わり、伝統柄とモダンの融合がなんともいえずいい。我が座右の銘、「不易流行」が、ここにも具現化されている。多少、値段が高くても、着心地よく、長く着られて、愛着を感じられるものは尊いということを、歳を重ねるにつけ、実感する。

    とくに、一年前から着物に目覚めて、中古の着物を眺めることが増えたわたしは、そのことを痛感する。もちろん、カジュアルなファッションも好きで、ついつい体育会系Adidasなどを好んで買ってしまうが、本質は、天然素材で、伝統が生きていて、人々の技術が活かされた衣類が、心身にとって滋養になると考える。

    こうして若い世代が家業を踏襲し、試行錯誤されながら新たな衣の世界を育まれていることを、すばらしいと思う。ちなみにわたしの絣ジャケットは、インドの友人たちにも非常に好評だ。サイズ展開などに課題があるだろうが、モンペやジャケット、トップ……といずれも、インド富裕層マーケットに訴求できるクオリティだと思う。

    昨日は、母の買い物に集中すべく、自分の試着をゆっくりできなかったので、期間中にまた、再訪する予定だ。

    母に買ったパンツ、そしてトップ。しっかりとした風合いながらも、重さを感じず、とにかくかわいい! そしてこれからの季節によいコート。これは母のために買ったが、わたしにも似合うかどうか、確認。一時帰国のとき、わたしも着られるように。

    母も大喜びで、帰宅後は試着会。

    「これは一生ものねえ……」と母86歳。お好きなだけ、長生きされたし。その後はもちろん、わたしが愛用し続ける。

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    *久留米絣関連の記録は、以下ブログや動画に残している。

    ◉伝統を守りながら、新しい試みを続ける人々。オリッサのイカット(絣/かすり)世界(2022/09/08)

    ◉若き起業家たちが受け継ぐインドの伝統手工芸の新しい境地 (2021/08/26)

    ◉日印の「縁」が強すぎる。サリーとテキスタイルの世界ひとつをとっても。(2021/08/27)

    ◉数千年の歴史あるテキスタイルが新たな感性で蘇る。 若手が担うインドの伝統的な手工芸。絣(かすり)や絞り染めなど、日印に共通する技術も。

    ◉列車に揺られ久留米絣の古里を訪ね、藍染め工房へ(2011/09/15)

    ◉熟考の末、オリッサの絣、マスターピースを求む。(2011/08/12)

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    今週の土曜日、福岡市美術館のレクチャールームにて、インドのテキスタイルを軸に、日本とインドの交易の歴史や、インド独立運動と手紡ぎ手織り布の関係など、インドの多様性を象徴するテキスタイル世界を、濃密に語ります! 写真もたっぷり、情報も濃密なセミナーのあとは、参加者に向けてオリジナル資料もシェアいたします。

    さらには! 

    2022年から2023年にかけての数カ月、務めていた「京友禅サリー」のプロモーターを、今後も改めてお引き受けすることになりました。年末年始にかけて、インドでの展開を始める前に、本日、京都から届いたサリーのサンプル4枚も、朝活セミナーに持参します。

    インドから持ち帰ってきた7枚のサリー含め、実際に見て、触れて、その魅力を体験していただけます。性別を問わず、インドに関心のある方には、十分に楽しんでいただける内容です。自分で言うのもなんですが、なかなかに稀有な機会です。ご予定が空いている方は、どうぞお立ち寄りください。

    以下のリンクからお申し込みいただけますが、坂田に直接、メッセージをお送りいただければ、当日のお支払いでもノープロブレムです。

    ◉インドのファッション&ビューティ関連ブログ

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