インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    バンガロールから成田までの直行便で帰国……。しかし、そこから福岡への乗り継ぎが、毎度なかなかの体力勝負。バンガロール発の国際線は、たいていの航空会社が「地味な機材」を用い、「最果てのゲート」を使われることが多い。

    日本行きにしても然り。かつては香港やシンガポールを経由していたが、香港空港など、ターミナルの端から端まで10分以上も歩かされ、ラウンジなどを使う時間もなかった。しかも、乗り継ぎ時間が短いことから、しばしば乗り遅れる人もいた。

    それに比べれば、まだましか……と思いつつも、ターミナル2からターミナル3に移動すると、どっと疲れる。福岡までのJETSTARには、毎度、あれこれ問題があるのだが、詳細は割愛。JALとJETSTARが提携しているので使っているが、次回はPEACHにしようかと思う。

    何より、ターミナル3が「残念」なのだ。落ち着いて食事ができる店もないので、フードコートでうどんやたこやきを食すのが常。まあ、うどんはそれなりにおいしいからいいのだけれど、長いフライトの後の、初めての日本食は、もう少し落ち着いたところで食べたいものだ。

    さらには、セキュリティチェックを通過した先で、温かいコーヒー1杯でも飲みたいところだが、品揃えの薄い売店が1つあるだけで、コーヒーショップすらない。閑散とした待合ロビーで搭乗を待つ。PEACHはターミナル1だから、まだ、ずっといいはずだ。

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    半年前の一時帰国は、介護保険がおりたばかりの母の、介護プランを活用すべく、あれこれと手配やらケアセンター訪問やらで、福岡滞在は瞬く間に過ぎていった。途中、わたしは体調を崩して咳が止まらず、アルコールも飲めず、なかなかにタフな滞在だった。今回は、前回よりも気分的に楽だし、体調も悪くない。この調子で無理なく楽しく過ごしたいものだ。

    バンガロールに戻るのは11月24日。その間に、旅もある。夫アルヴィンドの来襲もある。今回は東京にいかず、九州界隈で過ごす。秋の情景と味覚を楽しみつつ、日々を大切に過ごしたい。

    *上空写真。黄色い丸で囲んでいるあたりが実家。多々良川を望む、眺めのいい部屋。

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    深夜。空港にて。日本へ飛ぶべくフライトを待っている。パンデミック明けから、年に一度の一時帰国を2度に増やした。年を重ねた母に会うのが目的だ。気分的には、3、4カ月に一度、帰っているような気がする高頻度。前回の旅で購入した昆布やら海苔やら和風だしやらを使い切れていないのに、もう帰国。今回は、ちゃんと考えて買わねばな。
    バンガロールを離れる前に、どうしても記しておきたかったことを、フライトまでに書き上げたい。

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    毎回毎回、慈善団体を訪問するたびに、経験を書き記してきた。それはもちろん、多くの人に知ってもらいたいこともあるが、自分自身の気持ちを整理するうえでも、大切なプロセスだ。失敗は繰り返さない程度に覚えておくべきだが、いやなことは忘れてもいい。ゆえに、いやなことを書き残すことは滅多にない。

    しかし、心動く善きことは、極力、書き残したい。関心を持ってくれる誰かと、分かち合いたい。

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    8月下旬、ミューズ・クリエイションが慈善団体のニューアーク・ミッションを訪問し、同団体が未曾有の危機に瀕していることは既に記した。8月31日、自分の誕生日には、寄付金を募るべくフライヤーを作り、ソーシャルメディアに投稿するほか、友人知人にも直接、WhatsAppでメッセージを送った。何人かの友人たちが、賛同し、寄付をしてくれた。

    その約1カ月後、夫のサットサンのグループと共に、ニューアーク・ミッションを訪問した。グルが強い衝撃を受け、グループ全体が支援に関わることを約束された。同団体支援に賛同する人たちのためのWhatsAppグループが作られ、バックグラウンドも多様な国内外の約70名のメンバーが集まった。

    各々が、得意分野を活かして、数々の支援の「仕組み」をたちまち構築。現在、サポートの輪が広がり、危機的状況から少なくとも当面は、落ち着きを取り戻せるに至っている。夫にも日々、各方面から問い合わせがあり、海外送金の方法、合法的な寄付、CSRの支援などを実施している。

    1カ月余りでで、80万ルピーを超える寄付が集められた。より寄付をしやすくするよう、「Ketto」にて募金支援のサイトも作られた。こちらでも、現在120万ルピーが集まっている。ニューアーク・ミッションでは、1カ月に最低150万ルピーの運営費が必要なことから、金銭に限らず、物品、食品を含め、継続性のある支援方法も、同時に模索されている。

    サットサン(生き方を探求する同志らの集い)のサンガ(仲間たち)は、不定期で、ニューアーク・ミッションの訪問を開始している。土曜の午後も、我が夫を含め、彼らは訪問した。わたしは新居で帰国の準備をし、旧居へ戻る途中に、遅れて立ち寄った。ニューアーク・ミッションは、ちょうど新居と旧居の中間地点にあるのだ。これもなにかの、ご縁だと思う。

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    この日、普段の本部と女性の棟がある場所ではなく、そこから2キロほど離れた男性の棟を訪れた。わたしがここを訪れるのは、2011年に訪れて以来2度目、13年ぶりのことだ。

    薄暗い道を抜けた先にある。13年前よりは少しよくなったが、やはり、匂いが気になる。広場に、無表情の、数百名の男性たちが、夕食が配膳されるのを待っている。決して、心安い情景ではない。無理に笑顔を作りながら、合掌しながら、挨拶をしながら、広場を横切り、台所へと向かう。ラジャとサットサンのメンバーも、そこにいる。

    これから、夕食の配膳を手伝うのだという。今日は、たっぷりのごはんがある。おやつの差し入れもある。高血圧で体調不良だったというラジャが、サットサンの仲間らと2時間ほど過ごして、元気を取り戻していた。笑顔のラジャを見て、安心する。

    この薄暗い場所で。死に瀕した人たちを救い続けて。この心細すぎる夜に……。配膳を手伝いながら、刹那、ナーグプルの佐々井秀嶺上人のことを思い出す。深夜、月明かりを頼りに村へと車を走らせていたときの、あの心細さ……! 堪えきれず、助手席に座る上人に、後部座席から声をかけた。

    「心細くはないですか」

    「そりゃ心細いですよ。しかしね、菩薩道は地獄道。わたしは地獄の道を行くんです」

    佐々井上人の言葉と、かつて聞いたラジャの言葉が重なって脳裏を巡り、呆然とした思いに駆られる。叫びたくなる。
    仏教も、ヒンドゥー教も、キリスト教も、イスラム教も、スィク教も、ゾロアスター教も、ジャイナ教も……。あらゆる宗教、飢え苦しむ人々を救済し、支え合って生きる人たちがいる。

    書きたいことは募り、尽きない。

    どんなに小さな種でも、一生懸命に撒き続けていれば、自分の気づかないところで発芽し、花を咲かせ、実をつけ、また種を生むのだということを、この短期間で目の当たりにしている。

    もしも、あのときニューアーク・ミッションを訪問したいというリクエストを受けていなければ、わたしたちは8月下旬に訪れなかった。

    もしもあのとき、「キッチンの食料が少ないですよね……」との声をきかなければ、わたしはスタッフに、その欠乏の理由を聞かなかった。彼らは、わたしが質問して初めて、窮状を伝えてくれたのだ。

    ひとりひとりの、ちょっとした行動や、気づきや、突っ込んだ声かけが、大きなうねりを生むのだということを、今回、目撃している。このことを通しても、どんなささやかなことであれ、無駄なことはないということを、改めて思う。だから、自分は無力だなどと、思ってはならない。誰もが、何かに、誰かに、気づかないところで、影響を与えているのだ。

    お金を寄付することだけが、有意義だとは思わない。社会の中で、人とサポートし合いながら暮らすことについて考える過程で、誰もが、何かをできるのだということに思いを馳せる。関心を寄せてくださった方々に感謝したい。

    ◉こちらのKetto寄付のサイト、国内外からも募金可能につき、シェアをお願いします。

    ◉佐々井秀嶺上人とナーグプルを巡る記録

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    バンガロールにおけるファッション界の第一人者であるPrasad Bidapa。テキスタイルのプロモーターとして、またキュレーターとしても、各方面で活躍されている人物だ。彼と初めてお会いしたのは、パンデミック時代の3年前。マハラーシュトラ州に息づく古来インドのChandrakalaサリーに関する催しだった。

    以来、何度かお会いしたが、中でも今年2月のA HUNDRED HANDS のバザールにて、彼が主催するファッションショーに、「モデルで」参加させてもらったのは、とても楽しい経験だった。アッサムのサリーのうえに日本の絞りの羽織を着るという、日本とインドの伝統ファッションの融合。いずれも、以下、記録を残している。

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    今回、Prasadから連絡があったのは、10日ほど前。JWマリオットホテルにて、サントリー・ウイスキー季(Toki)のプロモーションをするので、25日金曜日に着物でファッションショーをできないかという打診だった。日本への一時帰国が間近なこともあり、先週はホスピス訪問以外の大きな予定を入れていなかった。とはいえ、準備期間は短い。その上、何度も記しているが、わたしが着物に目覚めたのはわずか1年前で、まだ自分で着物の帯を結べない。浴衣の半幅帯はなんとか結べているが。

    とはいうものの、わたしはこの1年間、着物に関するイヴェントを何度も開催し、バンガロールにおいては、和装スペシャリストな状況となっている。本気な方々からのツッコミが入りそうだが、それはそれ。伝統衣装を文化交流に昇華していると思えば、有意義だ。スケジュール表を見つめる。スケジュール表をぐいっと見つめる。

    なんとかなる。それに、どう考えても楽しそうだし、未来にも繋がる。お受けすることにした。

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    月曜日にPrasadを新居に招き、手持ちの和服を見てもらい、当日の流れをざっと決める。女性モデル5名。男性モデル2名。マネキンガールズ4名。着物と帯を、それぞれに、ひとりで着付けることは、どう考えても無理。マネキンガールズには着物を着せ、女性4人には、派手な羽織をモダンに着こなしてもらう。そして、女性1人には、わたしの有松絞りの浴衣を、男性2人には、亡父の浴衣を着てもらうことにした。

    浴衣を着た3人には、裾がはだけないように、歩き方や所作を指導。自分はうまくできなくても、指導はできるのだ。結果、彼らは丁寧に、雰囲気よく、歩いてくれた。

    蓋を開けるまで、何がどうなるかわからないのがインドのイヴェント。常にフレキシブルに対応できるように、諸々、多めの準備を心がけている。着物や帯、帯締めや帯紐などの小物類も、ありったけ車に詰め込んで午後2時ごろにホテルへ。ホテルだけあり、準備のための部屋を用意していただけたのはありがたい。しかし、くつろぐ余裕はない。

    まずは会場へ赴き、マネキンを組み立て着物を着せる。ポールに帯を飾る。今回は、Prasadのスタッフが力仕事を手伝ってくれたので助かった。

    その後、モデル着用の羽織などを選ぶ。着物ファッションショーに続いて、和風テイストのデニムブランドUNのショーがあるのだが、このモデル男性ら数名も、羽織を着て出たいと言い出す。女性用なんだけど……。

    ここはインド。楽しく日本の伝統服に親しんでもらうのがいいだろうと、予備を取り出す。男性モデルの一人が素肌に羽織りたいと言い出したときは流石に迷ったが、「肉体美」アピールをしたい模様。OK, OK。集合写真で、わたしの右隣に立っている男性だ。結果、わたしの着物とナイスなコーディネーションだ。

    多めに持参していた帯締めは、ストールとしてUNのデニムに合わせることになった。これもなかなかにCoolだ。

    わたしの着物は、前回の一時帰国の際に購入した単衣(ひとえ)の新品中古。わたしが所有する着物はすべて袷(あわせ)なので暑い。今後は、単衣の着物か良質の浴衣を探そうと思う。

    準備やリハーサルやモデルらの着付けを手伝ったあと、ほぼ休むまもなく自分の着付け。半幅帯でお茶を濁す。丈が短すぎる、お端折りが歪んでいる、裾が広がっている……など、写真で見るとツッコミどころ多々あるが、ようやった。

    ファッションショーの前に、10分ほど、着物トーク。これらの着物や帯の多くが、半世紀以上、実家のクローゼットに眠っていた母のものだということや、浴衣もまた父のものだということなど。古い写真は、1972年8月31日。我が7歳の誕生日のときの1枚だ。父がこのとき着ている浴衣を、今、インドの若者が着ている。写真は色褪せても、着物は色褪せない。父がよく着ていたので、ところどころがすり減ってはいるが、それはそれで風情がある。

    書きたいことが募るが……。今夜、日本へ出発につき、この辺にしておく。

    🥻途轍もなく深いインドの衣文化。時空を超えて、伝説や神話から紡がれるサリー(2021/08/25)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2021/08/saree.html

    🥻遂にはファッションモデル・デビュー?! テキスタイルに滲む家族の系譜を思う。(2024/02/07)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2024/02/ah02.html
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2024/02/ah03.html

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    季節外れの大雨が降り続いていたバンガロール。火曜日、まるで雨間を縫うように晴れたひととき、バンガロール市街東部、ホワイトフィールドにあるホスピスを訪問した。

    わたしは、2010年に初めて訪れて以来、今回6度目の訪問だった。どの団体でもそうだが、訪問するたびに、新たな発見や学びがある。特に今回は、それが顕著だった。一昨年、同じ敷地内に建築されたカルナシュラヤ緩和ケア教育研究所(KIPCER)の存在が、その印象を強めていた。

    これまで通り、ホスピスとしての機能を果たす一方で、緩和ケアの教育、研修、啓蒙活動が本格化されていた。国内外の大手医療機関とも提携。膨大なケースの記録を活用しつつ、質の高い緩和ケアを目的とした研究活動なども行っているという。

    今回、新たに知ったことで、書き残しておきたいことがたくさんあるのだが、明後日から一時帰国につき、諸々、立て込んでいる。一方で、今回も参加メンバーが、みなさんそれぞれに思いのこもった感想を送ってくださったので、それをシェアしたい。

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    以下、同団体の概要については、箇条書きで残しておく。

    💝KARUNASHRAYAに関する覚書

    ①末期がん患者の無料緩和ケア提供
    ②末期がん患者のための無料訪問介護サーヴィス
    ③看護補助者養成プログラムの実施 
    ④緩和ケア教育研究所として、次なるステージへ*

    ◎ホスピスとは、がんの治療の段階で、薬の効果が得られなくなった、即ち回復の見込みがない患者たちを受け入れるための施設。

    ◎ホスピスでは、病気から回復させるための治療をするのではなく、苦しみを和らげるための緩和ケア(Palliative Care)を行っている。

    ◎緩和ケアを施すことにより、患者のQuality of Life(ライフの質)を高く保ち、Dignity(尊厳)を守るための手助けをする。

    ◎インドで初のホスピスは1985年にムンバイで創設された。ここはインドで2カ所目。1994年にトラスト創設、1995年に訪問介護サーヴィス開始、1999年に病棟建設。バンガロールでは唯一、無料で患者を受け入れている。2022年に緩和ケア教育研究所を創設。

    ◎非営利団体のホスピスというと、設備が不完全な場所を連想されやすいが、ここはでは緩和ケアに関する最先端のプロフェッショナルな医療を提供している。

    ◎職員には給与を支払い、勤務状況を管理し、一般の病院と変わりのない環境を整備している。

    ◎現在、KARUNASHRAYAのベッド数は72床。常に60床以上が占有されている。過去30年間で約29,500人の命を見送ってきた。

    ◎ドクター7名(交代で回診)、カウンセラー7名(交代で回診)、ナース約100名、そのほか、運営や管理に携わるスタッフ約40名が働いている。

    ◎ナース、およびヘルス・アシスタントには6カ月の研修を受けてもらう。宿泊施設や食事などはすべて提供。毎日、死に直面する精神的に負担の大きい仕事ゆえ、随時休暇を与えつつ、交代制で勤務する。

    ◎訪問介護に関しては、3つのチームを擁し、バンガロール市内3カ所を拠点に、要請があった家庭への投薬やケアを行うべく訪問。スラムでもどこへでも、訪れる。

    ◎年間約9,400万ルピー(約15億円)ほどの経費がかかる。すべては寄付金(CSR約30%、個人約70%)から賄われている。(2019年時点)

    ◎KARUNASHRAYAで使用される電力は、太陽光発電で100%、賄っている。

    ◎患者の約60%が貧困層。40%が中流層以上。遍く患者に対し、等しく無料でケアを提供。入院の過程で病状が緩和した人には、状況に応じて自宅に戻ってもらうケースもある。入院中の患者の関係者からは寄付を受け付けていない。

    ◎KARUNASHRAYAで就労経験のある看護師は、将来、ここで培った経験や知識を、他の病院で生かすことがができる。

    ◎KARUNASHRAYAでは、子どもの患者を除いては、概ね、病状を伝える。その人が亡くなる前に「wish」すなわち「願い」を実現させる時間を提供するために。そのために、カウンセラーがケアを行う。

    ◎KARUNASHRAYAでは、あらゆる宗教の人を受け入れている。もしも患者やその家族から、特定の宗教の僧侶や司祭を呼んでほしいと依頼されれば招くが、公共の場での儀礼や祭祀は禁じている。

    ◎死を前にした人たちの願いを叶えることができるよう、スタッフは極力、努める。

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    【過去の訪問記録】
    KARUNASHRAYA / The Bangalore Hospice Trust~

    【感想①】

    美穂さん。この度はホスピス訪問の機会を設けてくださりありがとうございました。事前に過去訪問記事は拝読していましたが、完全に寄付だけで運営されているホスピス、到着するまではどんな場所なのか未知の世界。不安も混ざっていました。ですがいざ敷地内に入るとそんな気持ちは無くなりました。風が吹き抜ける、広くてとても静かで美しい穏やかな場所。患者に寄り添った配慮が伝わる建物のつくり、設備。清潔そうな病室も、全てカーテンで仕切られプライバシーが守られている様子でした。

    中でも印象的だったのは各ベッド横の壁は扉になっていて、全て通路に繋がっている設計。それは患者さんが亡くなられた時、他の患者さんの目に触れずに済むようにその扉から通路へ運ぶため。他の患者さんの死への恐怖を与えずメンタルが守られるための配慮から。そして全てのその扉は通路に向かって並んでいて、ベッドを運び出した後そのまま霊安室へ直行出来る導線になっているというお話を伺い、患者さん、ご家族、そこで働く方々、全ての方に対して死に面しているホスピスならではの工夫や配慮があちこちに詰まっていることを感じました。

    まさにここは死を迎えるための場所なのだなと、けれど死を受け入れている場所ならではと言いますか、不思議にも穏やかさをも感じました。美穂さんが死に直面した時に人はどう感じどう在りたいかを考えさせられる場所、と綴られていた意味が分かったような気がします。

    ドクターと同じ人数のメンタルカウンセラーがおられて、患者さんの痛みを取るだけではなく心のケアに力を入れているというお話にも感銘しました。そして、昨今ではここで生涯を閉じられた方の臨床やデータを未来へと繋げる新しい取り組みをされているとのこと。今を救うだけではなく、活動を通して何かに貢献されていることが素晴らしい。

    訪問後に美穂さんが教えてくださった、宗教や思想が根本にある慈悲の心から発展するビジネスは、日本にはあまり馴染みがないが、インドにはたくさん存在するというお話。無知な私なのでわからない事が沢山でしたが、このお話を聞いて今日見聞きした事にもストンと腑に落ちた気持ちでした。

    患者さんからはお金は貰わないけれど助けたい。ここは貧困があるインドだから。助けを求める人がいて、助けたい人がいて、その気持ちを支援したい人がいて。そんな気持ちの連鎖で成り立っているのですね。今回美穂さんと友人のおかげでチャリティーにも参加する事ができて良かったです。

    ここで生涯を閉じられた方々のストーリーをまとめた本が出版されているそうで、その本を通して微々たる何かにでも繋がるならと、読んでみたいと思います。40を過ぎて初めて見て聞いて悩み知ることがたくさんです。ありがとうございました。(バンガロール在住歴2年/43歳M)

    【感想②】

    この度は貴重な機会を頂きましてありがとうございました。学生時代にコルカタのマザーテレサの施設「死を待つ人々の家」でボランティアをした経験がありますが、その時のインドのホスピスのイメージとは全く違う施設でした。人間の尊厳を持って、最後のひと時をどう過ごすかという事を考え、理念だけではなく、システムや、学術的にも飛躍させ、また、すべて無料で提供されているという事に驚きました。団体として常に進化し続けている事も、美穂さんの長年の訪問実績からうかがい知る事ができました。

    訪問後の美穂さんのお話、時に、フィランソロピーについては大変勉強になりました。私の最初のインドとの関わりはNGOの活動でしたが、その時の経験で経済活動と融合させたいという思いでインドで起業したりしましたが、インドの方にこの話をする際に、ポカーンとされる事がありました。

    社会課題がすぐ近くにあるインドでは、事業とは、何か社会課題にプラスの影響を与えるべきものであるという認識があるため、日本のような、援助活動と、経済活動とが切り離された感覚ではないのだろうなと感じておりましたが、本日の訪問後の美穂さんのお話で、フィランソロピーのお話を伺い、自分自身、大きく納得した部分があります。

    次回は、家族を含め、また訪問させて頂きたいと思っています。今回は訪問に際して、アレンジから、歌唱、通訳、最後のふりかえりまで、本当にありがとうございました。(ホワイトフィールド在住/S.K)

    【感想③】

    ホスピスへの訪問は国内外ともに初めてでした。日本ではもしかするとなかなかできないことかもしれない。患者さんの心情を考えると難しいであろう。そんな中このような経験をさせていただき、美穂さん、施設関係者の方々に感謝いたします。

    “ホスピス”の私のイメージはガンで死を迎える前の病院。精神的にも肉体的にも辛く悲しく暗いイメージを持っていました。こちらの施設はとても綺麗でインドとは思えない、リゾート地のようでした。施設は大きい訳ではなかったです。70ベットぐらいだったと思います。そのため末期患者だけが施設にいらっしゃるとのこと。そのほかの患者さんの状態に合わせて訪問医療を取り入れている点から優しさを感じた。死にゆく人を見るのは、健常者でも精神的に辛い。患者さんからしたら、もっと大きいものであろう。

    そして驚いたのが、最近カンファレンス施設を建てたと話していた。ここは未来を見据え、多くのがん患者が過ごしやすくするための研究施設だった。

    見学を始めると創設者の方の優しさがあちらこちらにありました。病室の作り、霊安室の位置や池を囲んでの風通しよく水のサウンドや模様しものの音が病室に届くように考えられた病室の配置。印象に残っているのが、手の絵が至る所に描かれていたことです。“手当”というイメージなのかなと想像していました。とにかく患者さんへの配慮の気持ちがあふれた施設。患者さんをサポートするスタッフ至るまで優しさが溢れ出ていました。

    私たちは見学の時に“ふるさと”を合唱しましたが、スタッフの顔はみんな明るかった。死と隣り合わせの職場にも関わらず。働きやすいのであろうことがわかった。その明るいスタッフに見てもらえる患者さんはおそらく幾分か精神を和らげれるであろうと想像しました。

    叔父を数年前に肺がんで亡くした時、叔父は病院で最期を迎えましたが、やはりとても痛そうで苦しそうで精神状況も良くありませんでした。子供にも時間は命と教えています。今回の経験で私も時間はずっとは続かないことを改めて心に留めて後悔のない日々。最後の時にいい人生だったと思えるように過ごしたいと思う1日でした。今回一緒に訪問した皆様や施設関係者の方に感謝いたします。ありがとうございました。(バンガロール在住歴1年3カ月)

    【感想④】

    人生で初めてのホスピス訪問、良い意味で想像していたものと違いました。スタッフの方や美穂さんも仰る通り、実際に足を運んで自分の目で見てみることは大切だと痛感しています。死ぬ間際まで辛い思いをして延命治療することが果たして正なのか。最期まで人間としての生き方を尊重する、本施設の考え方に感銘を受けました。また、death doula(亡くなる人や家族のケア・サポート)という新しい概念も初めて知ることができました。もし自分に機会が巡ってきたら、ターミナルケアに携わることができるかもしれない、と今までの人生では考えていなかった新しい分野を開拓するきっかけになりました。(バンガロール在住歴1年半/内海)

    【感想⑤】

    私自身、ホスピスを訪問するのは初めての経験でした。過去の記録を読み、暗いイメージとは違う穏やかな所であろうとは思っていましたが、想像以上に清潔で温かい雰囲気で、それを維持する為の建造物などハード面、スタッフによるソフト面での様々な気遣いを説明して頂きとても勉強になりました。

    患者さんのQOLを向上させる為に、個人の希望を聞いて出来る限り叶えてあげたり、患者さんの家族のメンタルケア、ホスピスで働くスタッフのメンタルケア、などそこまでケアしてくれさらにすべて無償だとのことで驚きました。あまりに素晴らしい施設と感じ、入居希望者でいっぱいになってしまうのではと聞いてみたところ、在宅している方への訪問ケアもされているとのことで患者さんを断ったことはないとの返答にただただ感嘆するばかりでした。

    無償のホスピスとしてはバンガロールで一つのみとのことで、理想的な施設であってもやはり終末期医療でホスピスを選択するのは日本と同じくインドでもまだ浸透しきれてはいないのだなと感じました。見学させてもらった後に、自分でもこんな穏やかな場所で最期を迎えられたらいいなと思いつつ、子供の為にギリギリまで闘ったほうがよいのか。もし親がホスピスに入りたいと言ったとしたら、もう少し頑張ってほしいという欲がでてきてしまわないか。色々と葛藤もでてきました。死に方を考える、とてもいい機会を頂いたような気がします。(バンガロール在住歴1年/2児の母)

    【感想⑥】

    私自身、15年前に弟を癌でなくしており、当時お世話になったのが東京のホスピスだった。ホスピスの印象は「暗い」と「温かい」。死に向かい日々弱っていく姿を見て現実を受け入れるのは酷で辛いことだったが、寄り添う看護師さんの温かさに救われたことを覚えている。

    生きている時に何ができるか、弟の分まで精いっぱい生きられるか。当時考えていたことを、今回の訪問で改めて思い出すことができた。施設の方に案内していただき、この施設が「患者と家族のEmotional Pain」に重きを置いていることがよく分かった。

    ・カウンセラーをドクターと同じ数だけ置く。ナースは100名以上
    ・建物のコンセプトはOpennessとComfort(吹き抜ける風、水辺の噴水の音)
    ・プライベートドアでプライバシーを保つ
    ・精神的に弱る患者の邪魔しないよう、宗教は建物内に入れない(外に多様な宗教のShrineを置く)
    ・「最期の願い」をできる限り叶える
    ・食べたいものを食べたい時に提供

    こうした温かい配慮により、患者とその家族は、最期までの時間を穏やかに有意義に過ごすことができるのだと思う。私のホスピスの印象が「明るい」と「温かい」に塗り替えられた。

    身近にある癌の脅威。罹患しても手遅れになっても、最期まで人としての尊厳を保てる場所があることは救いだ。当施設は現在は研究や教育の場としても重要な役割を果たしているとのことで、更に世界中で発展することを願う。

    苦しんでいる人からは一切費用を取らないという設立者の意思に感銘を受けると同時に、寄付することが当たり前のインド社会には学ぶものが大いにあると思った。美穂さん、貴重な機会をありがとうございました。(バンガロール在住歴1年半/女性)

    【感想⑦】

    夫の駐在についてバンガロールへ来て半年以上が経過。未だにインドのことを十分に理解できておらず、(正直なところ)どちらかといえばネガティブな印象が強い日々の中で、それでもインドの様々な面を見てみたい、もっと知りたい、と考えていました。そのような中、「ホスピス」・「緩和ケア」等、これまで日本でも触れたことのない分野で、マルハンさんに引率いただき、Bangalore Hospice Trustを訪問させていただく機会を得ました。

    末期癌患者の人々に無償で緩和ケアサービスを提供している施設とは? マルハンさんのブログに事前に目を通していたものの、実際に自ら訪問し、その場を見学し、スタッフの方から直接お話を伺うことで、その理解が一気に深まりました。なるべく運営経費を抑えるため太陽光発電で電力を賄い、風通しがよい構造でひんやりとした石造りの建物。専門医師およびカウンセラーのチームが配置され、身体的な痛みだけでなく精神的な痛みの緩和、患者を支える家族の精神的なケアなどのサービスがすべて無償で提供されている施設。

    しかし私にとって特に印象的だったのは、ヒンドゥー教徒が人口のマジョリティを占め、ヒンドゥー教の祭や儀式が日常生活の随所で見られるインドにおいて、この施設内は宗教色がなく、信仰の違いを問わず患者を受け入れ、また施設内に宗教的なものは持ち込まない(特定のスペースを除き)方針である点でした。すなわち、苦しむ人を助けたい気持ち、他人のために何かをしたいと思う気持ちは、人種や宗教に関係なく、インドであれ日本であれ、世界共通で人々が持つ気持ちであること。そしてこの施設で働く人々は、まさにこの良心や善良な心に沿って行動されているであろうことに思いが至りました。

    このためか、見学後は重苦しい気持ちになるどころか、何かとても穏やかな、不思議と清々しい気持ちになりました。それでは自分は何ができるのか?何をするのか?それはこれから考えていきたいと思います。(バンガロール在住7カ月/真理子)

    【感想⑧】

    Hospiceに訪問するのは初めてのことで、最初は死と直結するような場所、しかも外国人が訪問をすることに多少抵抗がありました。しかし事前に頂いた過去ブログなどの情報のおかげで、そのようなプレッシャーは多少軽減されました。また、情報による伝達以上に、実際に足を運ぶことがいかに大切かという事も、今回のMuse Creation の訪問から学んだことでした。

    Karunashrayaの設備は聞き及んでいた通り素晴らしく、全てはここに来られる方々の心と体の傷を癒すために設計されていることがよく理解できました。施設の外は通常のインドの雑踏があるのに、ここは光と水と緑がうまく溶け合い、そこにいるだけで心が癒される・満たされる空間でした。

    医者の患者に対するケアは痛みの軽減だけでなく、専門医による心理的負担の軽減も行われていること、また家族の喪失感に対するケアも理解されており、非常に高度で総合的な終末期ケアが行われていました。

    スタッフの入院患者への対応についても、心遣いを感じ取ることができました。私達が説明を受けている最中も、声が中に聞こえないよう絶えずドアを閉めることに気を配られており(私はインドでこのような配慮を行える人をあまり見かけたことがありませんでした。入院したことのある総合病院でもです)、恐らくどの国でも難しい宗教の取扱についても深く考えられ、病棟には宗教に関するものを一切もちこまない、これが人の権利を平等に取り扱ううえで現状、最善であると感じられました。

    また限られた予算(寄付や私財)でやりくりするだけでなく、事業継続のための新しいチャレンジを継続し、さらに拡大を続けていること、将来の終末期医療への次世代の育成についても貢献していることを知り、大変感銘を受けました。

    人間が死と向き合う施設で、人としての生きる意味、今ある環境に感謝し、自分たちが社会に貢献できることを日々考え、行動したいと思いました。(インド在住歴4年半/女性)

    【感想⑨】

    訪問してみて本当によかったです。大抵この様な施設は有料と思っていましたが、寄付金で成り立っていて、誰でも無料で利用可能と言うことにまず驚きました。私は色々なことを知っていても、人々の問題やこういった支援について知っていて共感しても、それだけです。

    今回行ってみてもうまく周囲に伝えられないので、次は身近な人を連れて一緒に参加したいです。その積み重ねで共感してくれる人が増え、次に繋がるといいなと思いました。

    情報はたくさんあります。自分から取りに行かないと埋もれ、本を読むのさえ辛い時はたくさんの文字がただの景色になります。行って見るのが早いです。百聞は一見にしかずを改めて感じました。また、他のバンガロール在住の日本人方とインドと日本について考えるのも良い時間でした。(バンガロール在住歴1年未満)

    【感想⑩】

    末期ガン患者のホスピスということでもっと暗い感じを想像していましたが、日常と天国の間の空間でした。ここで死を受け入れる準備ができるなら幸せなんじゃないかと思える場所でした。インドって街は汚いしルールは守らないし、日々ストレスですが、ビジネスと社会貢献が結びついている点は日本より素晴らしいかも…と思います。

    今年の5月から6月にかけて、老衰で弱っていく母を看取りました。特に病気もなく、3月にコロナに感染してから隔離されたことで認知が進んで食欲や気力が減退しました。食べて欲しい、とこちらがお願いしても怒っても本人が気がない以上どうしようもなく…。命の終りを本人が決めているのかなと思いました。

    亡くなってから半年経った今も、最期の判断はあれで良かったのか考えます。そんなことも訪問しながらずっと思い出しておりました。(バンガロール在住1年2カ月/Yuk)

    【感想 (11)】

    今回初めてミューズ・クリエイションに参加させていただき、初めて慈善団体を訪問するという貴重な経験をさせていただきました。きっかけは、ホスピスがどういう所か、という興味よりも、インドとはどういう所か、ということにとても興味があったからです。

    この半年で私が目にしているインドは街が汚いとか、そんな所を見て嫌悪感を抱いておりましたが、このような素晴らしい施設を作り、継続し、さらなる発展を目指している事に感動いたしました。一方で、先日旅行で訪れたバラナシでは、路上で寝ているたくさんの人々が車窓から見えました。ここバンガロールでも、脇道に入るとそれが家だとは思いたくないような暗くて狭い建物がたくさんあります。そのような人々の生活がどうしたら改善されていくのか、まだまだ疑問は尽きないので、これから自分の目で見て考えていきたいと思います。(バンガロール在住歴6カ月/女性)

    【感想(12)】

    私の祖父は白血病でなくなりました。私が小学生低学年の時です。いつも通り学校で過ごしていると、祖父が亡くなったから帰宅するようにと伝えられました。祖父がガンで入院していることは知っていました。しかし詳しいことは伝えられず、病院へのお見舞いも行けませんでした。お通夜、お葬式と別れの場はありましたが、泣いている従妹や兄弟の横で、私は悲しむこともできず喪失感だけを感じていました。

    私が祖父の死を強く感じたのは、1カ月ほどたってからです。毎日一緒に過ごしていた家のどこにもいなくて、もう話せないんだ、死んじゃうってこういうことなんだと、すごくすごく悲しくなったことを覚えています。

    今回訪問させていただいたホスピスでは、ガン末期の方の肉体的な緩和ケアだけではなく、患者さんと家族の精神的なケアも行い、死にどう向き合えばいいのかを一緒に考え実践している場なのだと教えていただきました。敷地内は緑と水と自然の光に満ちた場所で、陽気な音楽も流れていました。まったく死や恐怖、暗い印象を受けることなく、優しい時間が流れていました。

    もし祖父がここで最後の時間を過ごしていれば...と考えずにはいれません。このホスピスは患者だけでなく、看取る側の家族にも大きな救いになると感じました。

    そして私自身の人生もそろそろ折り返し地点。私たちは死を迎える存在でありながら、健康で日々の生活に追われていると、その事実を忘れてしまいます。そしていざ死が迫ったらと想像すると、不安や焦燥感に押しつぶされそうになります。特に私たち日本人は確固たる宗教観もなく、平均寿命が延びたことで死が身近でもなくなり、自然と死を受け入れる土壌が薄れている、と私は感じています。だからこそ、今回の訪問では改めて死生観について考えさきっかけと、多くの学びを得ることができました。

    今回訪問を受け入れて下さったKarunashrayaの皆様、そして企画してくださった美穂さんに、貴重な機会をいただきありがとうございました。(バンガロール在住歴1年半/2児の母)

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    我が父が他界してからの20年間は、年に一度、一時帰国をしていた。しかし、パンデミック明けからは、年に2回、帰るようにしている。福岡に暮らす母になるたけ会っておきたいというのが理由だ。今日、10月20日で86歳になった母。少々、物忘れが増えたようだが、それでも元気で一人で暮らせていることを、ありがたく思う。

    一方で、年に2回の一時帰国となると、数カ月に一度帰っている気がするくらいに、高頻度に思える。前回、買い込んできた日本の食料品(昆布や海苔、高野豆腐などの乾物系)を、つい1年分くらい買ってしまい、使いきれぬまま、まだ残っている。計画的に買わねばと心する。

    さて、一時帰国の直前は、予定を入れていなかったはずが、諸々の波が打ち寄せてきて、To doリストが厚くなる。ともかくは、優先順位を明確に、自分にやさしく無理せずに……を心がけているのだが。ジャーナルをめくれば、書いておきたかった出来事やエピソードの□が☑︎されぬまま、過去に取り残されているのを眺めて、それも気になる。

    先日は、カルナータカ州の伝統玩具「チャンナパトナ」の写真を発掘して記録を残したが、もう一つ、やはり看過できない出来事を、遅くなってしまったが、残しておきたい。

    🇮🇳

    10月9日、インドの大財閥タタ・グループを20年以上に亘って率いたラタン・タタ氏が死去した。86歳だった。

    タタ氏は、インドで最も国際的に認知されたビジネスリーダーの一人でもある。

    この訃報を知ったとき、わたしはモルディヴ旅の途中だったので、じっくりと向き合うことができなかったが、ぜひとも氏について、知っていただきたく、ここに情報源をシェアしたい。

    2014年7月、日経新聞の「私の履歴書」にて、ラタン・タタ氏の生涯が30回に亘って連載された。彼自身のことだけでなく、インドの優れた大財閥であるタタ・グループの背景、パールシー(ゾロアスター教)コミュニティの人々の歴史などが、非常にわかりやすく記されている。

    彼の幼少期から10年前の76歳になるまでの生き様が、極めて率直に飾り気なく、具体的に描写されており、取材、執筆された方の力量にも感銘を受けた。なお、明治時代の日印綿貿易の経緯はじめ、ご自身の日本や日本人との関わりについても、交友関係含め、触れられている。

    ラタン・タタ氏自身が言及されている通り、あまりプライヴェートを語らない人物だったようだが、ビジネスだけでなく、「元カノ」の話なども忌憚なく記されていて(若干、ツッコミどころがあるところも人間味があって興味深い)、起伏に富んだ内容だ。

    わたしは10年前当時、この連載すべてを印刷してファイルに綴じ、今でも書棚に置いている。今回、日経新聞がタタ氏の訃報を受けて、当該記事をオンライン上にまとめていることを知り、改めて読み返した。わたし自身が、この連載でのエピソードをもとにリサーチをして日本とインドのライフスタイルセミナーの資料に色を添えたことも思い出した。

    そして何より、彼の、いやパールシーのコミュニティにおける「慈善」や「社会奉仕」の精神に、改めて、感じ入る。連載を読み返して、心新たに、わたしも学び生きようとの思いだ。新聞の写真は、2024年10月10日のTimes of India。紙面が追悼に溢れていた。

    米国留学時に航空機の操縦を学び、優れたパイロットでもあったラタン・タタ氏は、ここバンガロールで2年に一度開催される「国際航空ショー」でも、自ら操縦桿を握ってきた。そのことについても、以下のブログに残している。

    わたしはムンバイとバンガロールの二都市生活をしていたころ(2008-2010)、同氏をムンバイ空港でお見かけしたことがある。記事にある通り、取り巻きの方などつけておらず、おひとりだった。……にもかかわらず、群衆の中に立っていらしてなお際立つ、それはそれは強い存在感を放たれていた。オーラがあるとはこのことか……とも思った。

    氏を巡る物語は尽きない。

    ラタン・タタ氏のご冥福を、心からお祈りします。🙏

    🇮🇳

    インドに暮らし働く方には、ぜひとも読んでおくことをお勧めする内容だ。

    🖋ラタン・タタさん「私の履歴書」まとめ読み タタ・グループ名誉会長(日本経済新聞)
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOKC1054T0Q4A011C2000000/

    🖋日経新聞[私の履歴書]連載を読んで。ラタン・タタ氏に、よりいっそうの敬意を覚えた。(坂田のブログ)
    https://museindia.typepad.jp/indiamedia/2014/08/tata.html

    ✈︎国際航空ショーの中の戦争。お元気ラタン・タタ。(2011/02/12)
    https://museindia.typepad.jp/2011/2011/02/tata.html

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    ヒンドゥー教の新年を祝する光のお祭り、ディワリ。今年は10月31日だが、昨夜は一足先に、ディワリを祝うパーティが開かれた。わたしは今月末から1カ月弱、一時帰国するので、今年はディワリの花火や爆竹の大騒ぎからは免れそうだ。

    パーティには、夫婦揃って、先日、アートスクールで開催されたテキスタイル・バザールにて購入した衣装で出かけた。黒地に金糸のサリーは、シックながらも艶やかで、着心地もよく、とても気に入った。夫のチカンカリ刺繍が施されたクルタも、手刺繍のやさしさが上品でいい感じだ。

    出会う友らに、“Happy Diwali!”とあいさつをし、グラスを交わす。もう、ディワリなのだ。季節の起伏が浅く、記憶に区切りをつけにくいバンガロールに暮らしていると、時の連なりが茫漠。

    もう、(インドは)年末なのだ……。という事実をすんなりと受け入れられず、“Happy Diwali!”に違和感を覚える。

    煌びやかな会場、豪華な料理……。ファッショナブルに着飾った友人ら。この華やかなライフもまた、インド。
    昨夜のハイライトは、Bismil Ki Mehfilのライヴだった。ボーカルのBismil は5歳のころからスーフィー音楽の指導を受け、18歳でBismil Ki Mehfilとしてプロデビュー。インドだけでなく、海外でもライヴを重ねる人気ミュージシャンだという。

    彼の背景についてを、わたしは全く知らなかったが、彼の歌声とバンドの演奏を耳にした瞬間、一気に引き込まれた。伝統とモダンを巧みに織り交ぜた音を奏でるバンドがまた、本当によかった!!

    2018年、ラジャスターン州のジョードプルにて毎年開催されている聖なる音楽祭に訪れたことを思い出す。本当に、魂が揺さぶられる音楽の旅だった。

    わたしはさまざまなジャンルの音楽を好むが、中でも、この中央アジアや欧州に連なる「北西インド界隈」の音楽が、ことのほか好きだ。夫の出自であるパンジャブの音楽を聞いても血が騒ぐ。

    スーフィー、ジプシー……流浪の音楽の、哀愁を湛えつつも力強い旋律。踊らずにはいられない。

    スーフィーについては、ぜひとも過去の記録をご覧いただきたい。そして、音楽が好きなインド在住者には、ぜひとも、この毎年恒例の音楽祭へ訪れることを、お勧めする。来年も、2月中旬開催予定だとのこと。7年ぶりに、行こうかな……。

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    会場の随所に、写真撮影の「映え」スポットが用意されていた。中でも、額縁のスポットが気に入り、友人夫妻らも撮影してあげた。非常にすてき。

    黒いジャケットの好青年は、我が友人Dekyiの息子であるKunzang。HAPPY TOPIAの創業者だ。今年7月、ミューズ・クリエイションで彼を招き、話を聞いたことは、記録に残している。19歳の若きアントレプレナーの話は実に読み応えがあるので、ぜひ目を通していただければと思う。

    👨‍🍳北インドの軽食チャート。ヨーグルトの代わりに新鮮なブラッタチーズを使ってみました! と、シェフが作ってくれたけど。これはヨーグルトの酸味が欲しいぞ! 普通でいいぞ!😉

    🌏聖なる音楽に浸り続けた。ラジャスターン州ジョードプル紀行(2018/02/28)

    🌏最先端のテクノロジーを無数のカプセルに込めて。19歳のアントレプレナーが描く、インド5000年の歴史を継承する未来。(2024/07/16)

    ◉日曜日の午後、久しぶりに夫とデート。目的地はまたしても布の展示会VASTRABHARANA

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    バンガロール近郊、マイソールへ向かう途中に、チャンナパトナ (Channapatna)という村がある。ここは、木工玩具の故郷で、いくつかの工房がある。その一つであるマヤ・オーガニックは、ミューズ・クリエイションが毎年、ミューズ・チャリティバザールを実施していた時代に、何度か出店してもらったことがある。100%自然素材を使い、職人によって一点一点手作りされた安全な玩具として、日本でも販売されている。

    今回ご紹介するのは、ミューズ・クリエイションと同じ2012年に創業したVarnam Craft。先月、イヴェントの帰りにインディラナガール店に立ち寄った。この店には、チャンナパトナの玩具やアクセサリー、小物類などのほか、天然素材の衣類なども販売されている。

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    木工玩具は、100%天然の木材を用い、ターメリックやインディゴなどの天然染料を用いて一つずつ、手作りされている。艶やかな表面は、ニスを使用しているのではなく、葉っぱで丹念に磨き上げてツヤを出す。非常にクオリティの高い商品ながら、手頃な価格帯で販売されている。先日のモルディヴで、わたしが身につけていた赤いネックレスとブレスレットは、Varnam Craftで買ったもの。軽くて付け心地がよい。

    チャンナパトナの木工玩具の歴史は18世紀に遡る。マイソール王国の支配者、ティプー・スルターンが、ペルシャから職人を呼び寄せ、チャンナパトナの職人に技術を伝承させたというのが起源だ……ということは、以前、マヤ・オーガニックを招いて実演・展示即売会をしたときに学んでいた。

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    さらには今回、Varnam Craftの店頭で新たな事実を知った。会計を待つ間、店内に貼られていたチャンナパトナの歴史を伝えるイラストを眺めていたところ……その1枚に、「1904年、マイソールのマハラジャが、漆加工の技術を学ばせるべく、地元の職人Mian Bavasmiaを日本に送った……という記述があったのだ。一瞬「万里の長城?」「中国?」なイラストだが、どうやら日本である。

    びっくりして、店の人に声をかけたところ、日本の人形に着想を得た人形もあるのだとのこと。「手足がないのが特徴なんですよ……」と、見せてもらったところ……。こけし?! 日本とインドの関係史を語る資料に、また新たなネタが増えてしまった。つい、こけし風のカップル(王と妃)を購入した
    Mian Bavasmiaは、日本で学んだ技術を、帰国後、チャンナパトナの工房の現場に反映させたとのこと。彼はきっと、1893年に綿貿易を目的に就航したボンベイ=神戸の航路(日本郵船)を利用して日本へ行ったのだろうな。インドの産業の父、ジャムシェトジー・タタと、日本の資本主義の父、渋沢栄一との間で取り決められ、就航した航路。神戸発、香港、シンガポール、コロンボ、ボンベイ……。夏目漱石も、ロンドンへ行くときに利用したはずの航路。

    だめだ、話が長くなる。

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    ロンドンといえば、わたしがロンドンに行くたびに立ち寄る場所のひとつにV&A (Victoria and Albert Museum)がある。ここは、インドや日本など、アジア各地の歴史を辿れる展示物も豊かなのだ。このミュージアムには、チャンナパトナで作られた「ティプーのトラ」が展示されている。写真は、2017年、ピンク・フロイド展が開催されていたときに訪れたときのもの。

    18世紀、英国がインド侵攻を進める中、ここ南インドのマイソール王国の支配者だったティプー・スルターンは、生涯をかけて、英国に徹底抗戦した。他の藩主たちが英国統治を受け入れる中、最後まで英国に妥協することなく、戦い抜いて殉死した英雄として知られている。彼をして、「マイソールのトラ」と呼ぶ。

    「ティプーのトラ」とは、すなわち、ティプー・スルターンのことである。トラが欧州人に襲いかかる姿を模した大きな自動楽器で、動かすと、虎が唸り、男が悲鳴を上げるらしい。側面はパイプオルガンになっている。英国が戦利品として持ち帰ったとのこと。

    大英博物館にせよ、ロンドン塔にせよ、このV&Aにせよ……どれだけの財宝や芸術品を、英国はじめ欧州人は、勝手に持ち去ったことか……と、話がまた長くなる。

    ティプー・スルターンの生き様は非常に興味深い。Wikipediaに日本語でも大まかな生涯が記されているのでリンクを貼っておく。

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    🌸職人技が生きるフェアトレードの天然木工玩具★マヤ・オーガニックを招いて。(2018年4月)

    [Tipu’s Tiger]

    [Channapatna Toys]

    [ティプー・スルターン]

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    途切れなく、息継ぎもせず、深く深く、昨夜から、耳鳴りの如く、

    降り続ける雨。

    南天竺(みなみてんじく)バンガロール。

    年に何度か、こういう日がある。

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    雨音に紛れる、車のホーン、ポリスの警笛。

    きっと外は、渋滞だろう。今日はこれから、お出かけなのに。

    早めに家を出るとしよう。

    ☔️

    わずか半年前は、水が足りない乾いた夏だった。

    今年はじめての雨を待ち焦がれ、わずかな雨にも歓喜した。

    そんな、つい最近のことさえも遥か。

    速度を落とせ。

    速度を落とせ。

    速度を落とせ。

    ゆっくりと、深く静かに、呼吸せよ。

    猫らに倣って。

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    Soul Festivalのプログラム。結局は「おばあちゃんの知恵」的なことだったり、民間療法だったり、東洋医学の教えだったり、アーユルヴェーダ的伝承医学のようなものの「ありがたみ」を、再認識させられるような、内容だった。

    それらが、「科学的に検証された」「実証例がある」という点において、世間的評価が高まる。道理ではある。

    59年間、生きてきた中で学んだことを、わたしも何かしら、話すことができると思った。わたしは専門家でもなければ、著名人でもないが、自分や周囲の人々の経験を通して学んだことは、無数にある。不遜ながらも。かれこれ1年間、実施していないが、『インドでの食生活と健康管理』のセミナーは、関心のある人に向けては、再開したいと思う。

    The Power of Eightの著者であるLynne McTaggartのトークとグループでの実践は、興味深かった。8人が集まり、輪になって手を繋ぎ、10分間。不具合のある一人のために7人が祈り(与える)、1人が癒される(受け取る)。これは、自分の周囲の人に声をかけて、今後、実践したいと思えるメソッドだった。

    いずれにせよ、原始回帰。裸足で過ごすことが、本当に心地よい。

    🐾

    2000年3月14日、わたしの父は小細胞肺がんの第4期(末期)を告知された。知らせを受けた翌日、わたしはニューヨークの紀伊國屋書店へ赴き、手に入る限りの、がんに関する書物を購入。1週間ほど集中的に勉強し、その後、レポートをまとめた。それは、自分の心身の健康を見つめる契機となった出来事でもあった。ホームページ上にそのレポートが残っている。24年前のものだが、今でも通用する点が少なくない。

    父は当時、62歳だった。抗がん剤治療と、個人的に模索した免疫療法が功を奏して、回復を見せた。2001年7月には、インドまで、わたしの結婚式にもきてくれた。しかしながら、その後、入退院を繰り返し、2004年5月、66歳で他界した。若かった。

    今回、がんの治療に関するセッションなどもあったがゆえ、ここにシェアする。

    💪坂田泰弘 肺がん克服のための道しるべ(2000年3月)

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    Barosでの静かな2泊とは異なり、Soneva Fushiでは、ワイルドに自然に触れ合いつつもラグジュリアス、友人らとのパーティ・ナイトも賑やかに、起伏に富んだ5泊6日のモルディヴ滞在だった。

    おしゃれをするのも楽しいが、そもそも体育会系のわたしは、Tシャツに短パン、もしくはジーンズやジャージが「ソウル・ファッション」(坂田の造語)につき。裸足で島内をうろうろし、海に入っても、雨に降られても、平気な服装でいることが、とても気分がよかった。

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    惜しむらくは、どうにもわたしの三半規管が弱すぎること。どんなに気を紛らわそうとしても、曇天の船に揺られると、たちまち頭痛と眩暈がする。帰路、島から船で水上飛行機の発着地点まで、そこから水上飛行機にてマレ空港まで、そしてマレからバンガロールまで……と乗り継ぐ。

    海にポツンと足場が浮かぶだけの「水上飛行機の空港」では、立っているだけでも辛かった。今、思い出すだけでも眩暈がしてくる。これさえなければ、シュノーケリングほか、もっと多くのアトラクションが楽しめたのにと残念だが、贅沢は言うまい。

    久しぶりのビーチリゾート……。いい旅だった。

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    「あおいあおい空だよ 雲のない空だよ サモアの島 常夏だよ〜♪」

    小学一年生のとき、「今月の歌」で習った歌。この歌を通して初めて、わたしは「南の島」の存在を知ったように思う。その年の夏休みの出校日。生徒たちは暑い体育館に集い、映画を見た。無人島に漂着した子どもたちが、試行錯誤しながら、島での暮らしを整えていく様子が描かれていた。『十五少年漂流記』の、日本語実写版のような内容だったと記憶する。強烈に、心惹かれた。

    大人になってからも、トム・ハンクスの主演映画『キャスト・アウェイ』(Cast Away)を見たときには、好奇心を掻き立てられたものだ。

    わたしが若者向けのセミナーで、常々語っている「18の提言」のうちのひとつに、「裸一貫の自分を思え」がある。そもそもは、大学時代に読んだフランクルの名著『夜と霧』や、映画『Life is Beautiful』に強い影響を受けたうえでの言葉だ。いずれも、ナチス・ドイツによるユダヤ人強制収容施設でのホロコースト体験に基づいて描かれた作品である。

    衣類や持ち物すべてを奪われ、みなと同じ服装をさせられたとき。自分はどう生き延びるか。

    南の島に放り出されたとき、自分は、どう生き延びるか。

    「裸一貫の自分を思え」とは、そういうことを念頭においている。

    実際にはそういう局面に陥らないことが一番だし、軽々しくたとえるべきではないかもしれない。それでも、敢えて、考えるときには、その状況を連想する。『Life is Beautiful』の主人公のような生き様と死に様を尊敬する。

    大自然の中に放り出されるような旅をするにつけ、地球の偉大さと自分の儚さ、同時に強さ、自分の小ささ、同時に大きさに、思いを馳せてきた。モンゴルのゴビ砂漠はじめ、米国のモニュメントヴァレーなど壮大なる国立公園の数々……。人生の宝だ。

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    昨日もまた、目覚めるなり窓を開け、海に出る。裸足の暮らしが心地よい。新鮮で豊かな朝食のあと、アーユルヴェーダやホメオパシーに関わるトークに参加しようと思ったが、一人でジャングルを巡ることにした。他のゲストはみな自転車で移動していたが、敢えての徒歩。曇りがちの天候が幸いして日焼けの心配もなく、暑さも気にならない。

    水上コテージを見学したり、島内のオーガニックファームを眺めたり。

    途中、スパでトリートメントを受け、リラックスした後は、しばし読書などして、また夕暮れどき、島を歩く。島の反対側にあるレストランからの眺望はまたすばらしく。たまたま友人も一人でくつろぎに来ていたので、写真を撮り合う。

    海にせり出したハンモックに横たわり、雨が降り出すまでの30分ほどだろうか。ひたすら波音を聞きながら、海風に吹かれながら、雲の流れを眺めながらのひとときが、本当に、最高だった。スパもいいが、ここに横たわっている方がむしろ、心身が癒される気がした。

    我が終の住処、デカン高原の只中にあるバンガロールには海がない。ゆえに、海成分をしっかりと吸収しておこうと思う。

    諸々、設備が整ったラグジュリアスなリゾートにて綴るには場違いな内容だと思われるかもしれぬが、それはそれ。若きころのバックパッカーな魂と冒険心は、今もまだわたしのなかに残っているようだ。
    足の裏が少し痛いけれど。裸足で歩くのは、本当に、気分がいい。

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