インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    6月10日月曜日。N女史とのランチをすませ、また近い将来の再会を約束してホテルに戻り、界隈で軽く買い物などすませたあと、夜は、ホテルから徒歩圏内にある豆腐専門店へ。昨年の東京で初めてお目にかかった京子さんと、夕食を共にする約束をしていたのだ。

    店選びは京子さんにお願いしていたのだが、その後、医療に詳しいインドの友人から「咳が出るときは、たんぱく質を多めに摂った方がいいよ。乳製品は避けてね」とのアドヴァイスを受けていた。咳は治まりつつあったものの、豆腐料理を食べることは心身によい、いいタイミングであった。

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    昨年の秋の一時帰国の際に「着物の美」に目覚めたことは、この半年あまり、幾度となく記してきた。福岡市天神の新天町にあるリサイクル着物店で、麗しくも廉価な着物を目にして驚き、その日、母のクローゼットで半世紀前の大量の着物を発掘して狂喜した。

    さらには、名古屋で有松絞りの里を訪れ、東京の松屋銀座(百貨店)で開催されていた「きもの市」へ足を運んだ。わずか2週間の間に、日本のリサイクル着物市場の実態を垣間見て、驚くと同時に「なんと、もったいない!」との思いに駆られた。世界広しといえど、これほどまでに豊かで価値のあるテキスタイルが、二束三文で売られたり、処分されているところがあるだろうか。

    日本の高度な伝統技術や美学が息づく「古き良き着物」を、インドの友人知人らに見せたいと思った。

    着物に関しては全くの素人で、未だ着付けも自分でまともにできない身だが、この半年間でいくつものイヴェントを開催、日本の伝統文化をインドに紹介することは、我がライフワークの一つになろうとしている。そんな転機となった前回の帰国時。松屋銀座の「銀座のきもの市」にて、わたしの関心をひときわ引いた着物や帯が並んでいた店が「壱の蔵」だった。

    「着物とサリーの比較展示会」でも、特に注目を集めた「源氏物語絵巻」の袋帯や、弁財天が織り込まれた金色の袋帯なども、この店で買ったのだった。その日、わたしは他の催しに参加するため、オリッサ州で織られた精緻なイカット(絣)のサリーを着ていた。地味な色合いながらも、上品で美しい、我が一張羅だ。最後の写真がそれである。

    そのとき、着物をモダンに美しくお召しになった女性に声をかけられた。それが、京子さんだった。着物関係のお仕事もされている京子さんは、「壱の蔵」のお手伝いもされていて、その日、サリー姿のわたしに関心を持ち、お声をかけてくださったのだった。その場では軽くご挨拶と簡単な立ち話をしただけだったが、その後、ソーシャルメディアを通してご活動や、着物の着こなしの美しさなどを拝見していた。

    京子さんは、かつて大手広告代理店に勤務されていて(N女史とは別の企業)、10数年前にはバンガロールにも出張にいらしたことがあるという。共通の友人もいて、世間は狭いものだと思う。着物や茶道はじめ、日本の伝統や歴史にも話が及んで楽しい。同世代ということもあり、「これから」に関する会話にも通じ合うものがあり、旧知の知人のような心持ちで、楽しいひと時を過ごした。

    あの日、あの時、声をかけていただかなかったら、生まれなかったご縁。しかし、お声をかけていただいたからこそ、今回もまた「芋づる式」の出会いや発見がある。

    インドは基本的にソーシャル(社交)重視の世界で、人々が極めてフレンドリーに関わり合い、日常的に交流が不可欠だ。一方の日本では、インドに比べると人付き合いにもなにかしらの「敷居」を感じがちである。しかし、今回は改めて思った。国籍を問わず、自分が「お会いしたい」と思う方々には、積極的にお声をかけしようと。

    正直なところ、今回は福岡滞在中のミッションで頭の中がいっぱいで、東京でのことを、あまり計画できなかった。それでも、お一人、お一人と、短いながらも丁寧に言葉を交わせて、豊かな時間を過ごすことができた。

    京子さんとのご縁もまたありがたく、今後はオンラインで日本とインドを繋ぐ企画などでもご一緒しようということになった。頻繁に帰国できるわけではないので、実際にお会いできる人は限られている。パンデミック時代を思い出し、これからは改めてオンラインも活用しつつ、日本との関わりを深めていければと思う。

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    【写真】最初の2枚。京子さんの着物とも、豆腐料理とも、カラーコーディネーションが絶妙!😸 残りの写真は、すべて去年の秋、京子さんとお会いした日に、銀座で撮影したもの

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    今日は日本滞在最終日。明日のフライトでバンガロールへ戻る。早起きをしてパッキングを8割方すませ、スーツケースの残りスペースを確認。最後の買い物の目安をつけて、ひと段落しているところだ。

    この時期の、日本の夜明けはこんなに早かった……? と驚く東京での日々。4時半ごろに、カーテンの隙間が明るんでいるのを見て驚いた。昨夜、カーテンをしっかり閉め忘れていて朝日に起こされ、5時半に目覚めてしまう。二度寝をしようとゴロゴロしたが、結局は早起き。

    荷造りをすませてシャワーを浴び、先日みちるっちから教わったおすすめの朝瞑想の動画を見ながら十数分の瞑想。今日で3日目。非常にシンプルながらも集中できるメソッドで気に入った。「なかやまきんに君の世界で一番楽な筋トレ」同様、10分程度がわたしにはちょうどいいようだ。

    外出の前に、ここ数日の記録を少しずつ残しておこう。

    ⛅️

    花曇りの月曜日。この日はランチと夕食の約束があるのを除いては自由だった。今はほとんど回復したが、この日もまだ咳のあとの腰痛や肋骨の痛みが残っていたので、近場のお店でお会いすることにしておいてよかった。

    ランチはホテルから徒歩5分ほどの場所にある盛岡の冷麺のお店。ここで7年ぶりに、かつて大手広告代理店のR&D (研究開発局)に在籍されていたN女史とお会いする。わたしのインドにおけるリサーチ(市場調査やインタヴューの仕事)において、最も頻度高く高濃度なお仕事を共にさせていただいたのがN女史だった。

    2006年半ばから、N女史が早期退職されるまでの10年余り。数え切れないほどのお仕事をいただいた。バンガロールはもちろんのこと、デリーやムンバイは何度も出張。コルカタやチェンナイへ赴いたこともあった。テーマは多岐に渡り、ライフスタイル調査に伴う家庭訪問(富裕層/中間層/貧困層)、世代間の意識調査のためのグループインタヴュー、Eコマース黎明期の企業訪問や調査、FMCG(日用消費財)やコスメティクス市場、食生活の変遷……。軽く振り返るだけでも枚挙に暇(いとま)がない。

    これらの調査に伴う、膨大な資料は、わたしが編集しレポートを作成してきた。無数の紙の資料が、今でも書斎の本棚にファイルされて並んでいる。中でも、1991年のインドの市場開放から25年にわたっての、インドのさまざまな側面をテーマごとに整理した「トレンド年表」は圧巻。自分たちで作成しておきながら言うのもなんだが、あれほどまで綿密に、インドの消費現場の推移をまとめて「書籍仕立て」にした人は、インド人ですらいないと思う。

    2013年ごろにプロジェクトを開始し、そのときに一気に20数年分を調査してまとめ、以降は毎年、アップデートしていった。N女史がリタイヤされたあとも自分で継続して作成しようかと思った時期もあったが、あまりにも作業量が多く(丸1カ月はかかる)、趣味でやるには無理があった。

    ともあれ、お受けしてきたすべての仕事が、徹頭徹尾、今のわたしの糧になっている。

    🇮🇳

    まだ小さく古かったデリーの空港でお出迎えして以来、N女史は毎年のように、多い時では年に複数回、インド出張にいらした。インド料理が大好きで、インドの伝統工芸品にも関心を持たれていたことから、ビジネスの領域を超えて、疲れ知らずで多岐に亘る市場調査をしたものだ。

    インドに限らないが、しかし特にインドは「今だけ」を見て、自分たちの価値観や尺度で判断したのでは、諸々、大きく見誤る。歴史や文化、習慣、価値観……日本人とは大いに異なるライフスタイルを調査した上で乗り出さなければ、自爆しかねない業種も少なくない。2010年ごろにどっと波が押し寄せ、さ〜っと引いていった時代があったが、今も同じような景色が見られるが故、尚更にそれを感じる。

    同じ進出するでも、背景を知っていたうえでストラテジーを練れば、何も知らないよりもはるかにリスクを抑えることができる。それも「ちょっとしたことで」ということが多い。これを知っていれば回避できたのに、作戦を少し変更したらうまくいったかもしれないのに……というような。

    だめだ。朝っぱらからまた、込み入ったことを書いている。

    N女史とは仕事以外でもアーユルヴェーダやヨガなどの話題でも共通項があり、家族のこと、今後の生き方など、過去を振り返りつつ現在を報告し合い、未来を語る……という、しみじみと熱いランチタイムだった。

    冷麺は、思ったよりもかなり歯ごたえがあり、噛み切りにくいスパゲッティのようであった。とはいえ、もちもちと、おいしく食べ応えがあった。昔だったら「これだけ?」と思ったに違いない、上品なボリュームの焼肉も、柔らかく旨味が効いて、とてもおいしかった。
    次はバンガロールでお会いしたい。

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    日曜日は、ホテル界隈を軽く歩く程度で、特に買い物などもせず、のんびりと過ごした。ミュージアムなど行きたい場所もあったのだが、連日、出回っていては疲労回復できない。夕刻になって、友人のみちるっち(Michiru Shimanoさん)と会うために代々木上原へ。

    メイクアップアーティストのみちるっちとは、渡米直後の1996年に初めて会って以来の付き合い。当時は彼女もニューヨークに住んでいて、一緒に仕事をしたこともあったが、基本、遊び友達であった。飲みに行ったり踊りに行ったり、元気だったな〜。

    あれから28年。わたしの一時帰国に合わせて、数年に一度、会ってきた。同世代ということもあり、そのときどきで、関心のあるテーマに共通項もあり。昔から、ヨガや瞑想をライフに取り入れ、インドの精神世界にも詳しい彼女。パーソナルな世界観を、料理を食べつつ共有する。

    この先、どう生きるのか。心身のバランスを調えることの難しさなども、課題のひとつにつき。互いの経験を分かち合い、学び合う、いい時間だった。

    写真は、みちるっちが携わっているオーガニックな自然派コスメティクスブランドのMiMCの商品。みちるっちに紹介されて以来、わたしは口紅やアイブロウペンシル、パウダーなどを愛用している。今回、新商品をいくつかいただいたので、試してみようと思う。

    話に夢中ではあったが、食事も楽しんだ。蕎麦屋さんのコース料理、おいしかった。次はインドで会おうね。

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    🥢手打ち蕎麦と和食 楽
    https://sobatowasyoku-raku.com/

    💄ロックダウン中に実施したみちるっちとのインスタライブ2本。コロナ太りで顔がパンパンしているなか、インドの自然派コスメを熱く語る暑苦しさ😹

    💄インド自然派メイクアップ・コスメ。坂田の雑なメイク実演動画

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    20代、東京時代。大学を卒業して上京した。わずか8年間があまりにも濃密で、若き日の努力や模索や蹉跌の尊さを思う。

    当時の銀座は、「大人の街」で、滅多に足を運ぶことはなく。お気に入りの場所は表参道だった。

    日本を離れて28年。一時帰国の東京では、渋谷、品川、六本木……と、そのときどきで滞在場所を変えてきたけれど。この10年余りはずっと銀座。いつしか、この街が好きになっていた。そして最近では、碁盤の目の街並みが、マンハッタンを彷彿とさせ、自分の中で、「五番街」「六番街」「レキシントン」と、勝手に命名しつつ歩いている。

    今回はかつてなく、インバウンドの外国人の多さが顕著で、むしろそれが心地よく、もう5年も訪れていない事実がそうさせるのか、しばしばマンハッタンを歩いているような錯覚に陥る。

    今朝、日比谷公園を歩きながら「小さなセントラルパークみたいだ」などと思ったり。

    街も人も生きていて、呼吸をしながら変わりゆく。

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    働けど働けど、手取り11万円だった新卒編集者時代。仕事は過酷で貧乏で、世間はバブル経済に浮かれている中、不健康極まりないライフだった。それでもあの時代があったからこその、今のわたし。

    25歳のとき。転職を試みるも貯金がなく。せめて蓄えを増やそうと、仕事のあとに夜のアルバイトをした。日比谷シャンテ・シネ(現在のTOHOシネマズ シャンテ)の1階にあったCAFE GARBO。今は人気のチャイニーズレストラン。周囲には東京ミッドタウンもできて、当時の面影からは一変している。

    しかし、ここを歩くと、あのころのことを鮮やかに思い出す。概ね、殆ど、辛く苦い日々だったが、未来は遥かに未知数だった。

    ちなみに日比谷シャンテ・シネでは、味わい深い映画が上映されていて、東京時代の後半、経済的に余裕がでてきたころには、よく観に来ていたものだ。あのころのわたしは、映画館で、レンタルビデオで、どれほどの映画を見ただろう。当時観た無数の映画もまた、今のわたしを育んでくれている。

    思い出は、尽きず。

    今回の滞在先は、2年前のパンデミック明けに泊まったThe Gate。利便性高く気に入っている。1週間の滞在も、明日が最後。明後日には夫と猫らが待つバンガロールへ帰る。

    今回の日本。諸々、思いが去来する。こうして綴って反芻して、自分の経験を客観視して、心を調える。

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    3週間の日本滞在もいよいよ終盤だ。昨年秋の日本旅は、新幹線で名古屋に立ち寄り、犬山城や明治村、常滑や有松など、あちこちを精力的に旅をした。今回は福岡、東京の二都市定点。旅行前は、夫も途中で合流したいと言っていたが、今回は一人旅にしておいてよかったと、つくづく思う。

    すでに遠い記憶になりかけているが、濃厚なエジプト旅の余韻冷めやらぬまま日本へと旅立ち、心身の軸が揺らぎがおさまらないまま今日まで来ている気がする。この数日間、東京で友人知人らと会い、語り合うことで、とっ散らかっていた想念や感傷が、少しずつ整理されている。

    🌸

    福岡に滞在中、ミューズ・クリエイションの元メンバーから声をかけられて、8日に同窓会をすることになっていた。わたしのソーシャルメディアを見て気づいてくれ、都合が合う方がいらっしゃれば……という緩い招集の結果、ミューズ・クリエイション以前の友人含め、バンガロールに関わりのある方々かが集まってくださった。

    午後2時半からのお茶の部。そして午後6時半からのディナーの部。どちらも本当に、楽しい時間だった。COVID-19ロックダウンの際に大量の動画を作ったが、そこに登場してくれたメンバーも少なくない。久しぶりに見返すなどして懐かしい。

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    ◉幹事を申し出てくれた早紀さんは、パンデミックの際に流行ったClubhouseを契機に知り合った。2年前の東京で、彼女のハズバンドの薫さんと共にお会いし、昨年はご夫婦でバンガロールにも遊びにいらした。慈善団体のニューアーク・ミッションを訪問。早紀さんにヒップホップのダンスを教えてもらい、動画撮影も楽しんだ。

    ◉廣瀬家は、家族4人で登場してくれた。20代半ば、新婚さんで帯同赴任していた妻のかす美さんは、2児の母。子供たちもすっかり大きくなっている。夫のけんちゃんとは先日バンガロールで再会した。帰任されてもなお、ご縁のあるご家族。

    ◉夫婦揃って積極的にミューズ・クリエイションの活動に参加してくれた野坂家。お茶の部ではハズバンドとご長男が参加。折り紙マスターの野坂氏は、ジャパン・ハッバ(日本祭り)でも、折り紙指導で活躍してくれた。

    ◉社会人1年生となった藤田杜(もり)さん! 名古屋から新幹線に乗って会いに来てくれた。わたしにとっては「姪」のような存在であり、彼女はわたしを「第二の母」と言って、日本やインドで折に触れて会いに来てくれる。会うたびに成長している彼女の姿を見るたびにうれしい。3月は母の夕子さんと弾丸旅でバンガロールへ「就職決まりました報告」に来てくれた。今回、ついには社会人となったので、名刺交換をしているところ。
    https://museindia.typepad.jp/2023/2024/03/mori.html

    だめだ。一人一人のエピソードが次々に蘇ってついつい綴りたくなり、超長編になってしまう! 夜の部は短めで失礼。

    🍻夜の部は、我がバンガロール時代初期の2006年ごろから帯同赴任されていた美加さん。ミューズ・クリエイション初期、働く女性たちによる「働き組」のメンバーとしてイヴェントに参加してくれた真依子さん。2年間の短い期間ながら、積極的に活動してくれた瑠美さん、九州沖縄県人会仲間であり、パンデミック残留組としてストレスフルな時代、静かにミューズ・クリエイションの活動を共にした小幡さん、バンガロールで大学生活を送りつつ慈善団体訪問やセミナー、そして飲み食いの集いに積極的に参加していた吉田さん……。思い出が次々に蘇る。

    そして、2020年、インドがロックダウンに入ってまもない大変な時期に、在ベンガルール日本総領事としてバンガロールに駐在されていた杉田明子さんも参加してくださった。

    杉田さんが赴任された際、女性の総領事がいらっしゃることを嬉しく思い、Kindleでご著書を拝読するなどしていたのだが、その後もロックダウンは続き、お会いする機会がなかった。2022年に開催された天皇誕生日のレセプションで初めてご挨拶をさせていただいたときには、すでにご帰任が決まっていらした。その後、2度ほどお目にかかる機会があったが、今回はじっくりとお話ができて光栄だった。

    🇮🇳

    滞在時期も、滞在の経緯も、それぞれに異なる人同士が、「バンガロール」「ミューズ・クリエイション」をキーワードに、ひと時を共にするということは、稀有なご縁だと思う。たとえ数時間の会合でも、なにかしら意味のある、たいせつな関わりの場。ここで出会った人たち同士がまた、新たな交流を紡いでくださればと願う。

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    自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の手で触れて、そこではじめて良し悪しや好き嫌いを判断する。ライター、リサーチャーという職業柄、もちろん情報収拾はオンラインに頼るが、最終的には「自分で体験すること」を重視している。ゆえに、どこに行っても「歩く」ことになる。

    今回は、咳は収まったものの、その余韻で背中や腰が痛く、残念ながら加齢を実感している。「年齢は、単なる数字♡」などというコピーが巷で聞かれるようになって久しいが、そんなこたぁない。もちろん、心はいつまでも瑞々しくありたいが、心や魂の「乗り物」あるいは「借り物」として肉体は、確実に老化していく。ゆえに、先走る気持ちを抑えつつ、身体を労らねばならない。

    東京2日目は、浅草まで出かけたものの、人とは会わずに自由行動。心身ともにスローに動くことを心がけた。3日目の一昨日は、午後のお茶と夕食の二部制で、ミューズ・クリエイションの同窓会がある。ゆえにランチタイムまではのんびりと、日比谷公園でも散歩しようかなと思っていた。

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    今回の日本旅では、「浴衣の購入」がミッションのひとつであった。前回の一時帰国は秋だったが今回は初夏につき、浴衣が店頭に並ぶ時期だ。いくつかの呉服店で「浴衣」を探したが、しかし今回も無理だと半ば諦めていた。というのも、出来合いの浴衣は、機械のプリントによるモダンなものが多数。インドで日本の伝統的なテキスタイルを語る人間が着るには不都合だ。

    もちろん、絞りや絣など、伝統工芸の浴衣もあるが、それらは反物を購入して仕立てることになる。となると1カ月から数カ月かかるとのことを、数軒の店で言われた。しかもお値段が跳ね上がる。諸々、不都合。

    リーズナブルな浴衣に紛れて、ときどき有松絞りの高品質な浴衣も見かけたが、わたしにはサイズが小さく、柄もいまひとつ。ゆえに、前日の浅草で購入した単衣(ひとえ)のリユース着物を浴衣風に着ようかと考えていた。

    ところが、2日目の夜、立ち寄った呉服店「ティロワール」で、魅力的なチラシをいただく。またしても、ビンゴなタイミングで開催されているセールだ。この呉服店の店主とは、2年前の一時帰国の際に言葉を交わしたことがあり、Instagramなどもフォローしていた。しかし、この催しのことは告知されいなかったので知らなかった。

    店頭で対応してくれたスタッフの女性が、この会場ならば浴衣が見つかるかもしれないとチラシをくださったのだった。場所は日本橋付近。……これは同窓会の前に行くべきだろうか……。いや、行くしかあるまい。と、ショッピングバッグを肩にかけ、いざ出陣したのだった。ちなみにこの前日、浅草へは「空のスーツケース」を携えて出かけた。まさに爆買いのツーリスト状態。なにしろ着物や帯は重いから、とてもじゃないが、持ち歩けない。

    👘

    果たして! その会場は、宝の山であった。

    スタッフの女性の方のサポートを得て、いろいろと教わる。着物世界の常識を、わたしは今、学びはじめたばかりだから、恥も外部も捨てて、お尋ねするしかない。着物用語を少しずつ耳にすることでなじんでいき、自分の言葉になる。その過程もまた、楽しい。

    その結果! 身長165センチ、厚みあるボディの我がサイズにぴったりの有松絞りの浴衣が見つかったのだ! ちなみに有松絞りの浴衣は4枚ほどしかなかったが、どれもがなぜか、大きめサイズだった(これらは新品。売れ残りだったのか)。インドでも映えそうな華やかな色合いのものを選んだ。絞りのサリーと同様、絞りの浴衣は身体に軽くフィットして着心地がいい。これならば、イヴェントの際にも着やすい。

    さらには……! 数ある着物の中から、「わたしはここにいますよ!」と呼びかけてくる一枚があった。……辻が花! なんと艶やかな美しさ! これはかなり高価であるに違いない。それよりなにより、サイズはわたしには小さかろう。しかし、気になる。ちょっと試着してみたいと広げてもらったところ……大柄なわたしにぴったりの寸法! しかも古めのリユースなのでお値段も想像していたよりはるかにお値打ち!

    そして試着してみたら……非常にお似合い!!

    スタッフの方々は楚々と対応される上品な呉服空間において、ジーンズ&Tシャツ姿で乱入し、あれこれ尋ねまくり、いちいち感嘆の声をあげ、「非常にお似合い」と自画自賛する自分は、だいぶ違和感だったと今振り返って思うが、いやもう、これは一期一会にもほどがある出会いだと思った。

    これはもう、浅草寺の大吉を引いたおかげだと確信した。そのことを対応してくださった女性に話したら、浅草寺のおみくじの大吉率は非常に低く、凶が多いのだとか。結構、有名な話らしく、昨日も同窓会で同じ話を聞いた。かくなる次第で、稀な大吉99番を引けたことは幸運だった。

    ちなみに1枚目の写真が辻が花だ。帯は商品なので折れないから幅広のまま巻いていただいている。自分はサリーが似合うとは自負していたが、着物もなかなかに似合うんじゃないかと確信した今回の旅。インドに帰ったら、本気で帯の結び方を特訓して、いつでもどこでもササッと自分で着付けられるようになろう。

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    実は来月、某イヴェントにて日本を語るミッションがあり、そのときに着物か浴衣を着ようと思っている。前回インドに持ち帰ったのは、母のお下がりが大半、どれも小さめだった。今回、自分に合う寸法のものを得られて、本当によかった。

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    以下、昨年の日本旅で名古屋の有松を訪れたときの記録

    🇯🇵【名古屋情景⑨】〈有松絞り-1〉インドから伝わった絞り染めが日本で花開く。江戸時代に栄えた有松を訪ねて。
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/10/ar.html

    🇯🇵【名古屋情景⑩】〈有松絞り-2〉100種類を超える「有松絞り」のごく一部をご紹介
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/10/arm.html

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    以前からわたしの記録をお読みの方はご存知の通り、わたしは前回の一時帰国時まで、着物をきちんと着たことがなかった。ところが昨年秋の福岡で、着物のすばらしさに開眼。実家で半世紀ほども眠っていた母の着物を発掘し、インドへ送った。

    そして、この半年余りの間に、

    ①着物とサリーの比較展示会 
    ②着物とサリーの比較展示会(追加) 
    ③手工芸品バザール(A HUNDRED HANDS)での着物展示 
    ④茶事と着物の催し 
    ⑤老舗宝石店での日本の伝統文化に関するプレゼンテーション

    ……と、振り返れば実に5回も、イヴェントを実施していた。

    いずれの催しも、多くのインドの人々に関心を持ってもらえた一方、わたし自身、自分の身体の寸法に合った着物を持っておらず、浴衣も高校時代に作ったものを含め2枚しかない。

    インドでイヴェントを催す際、袷(あわせ)の厚みある着物は暑すぎる。ゆえに今回の旅では、浴衣、もしくは単衣(ひとえ)の夏用着物などを入手するつもりであった。もちろん仕立てるのが一番だが、予算も時間もかかる。まだまだ着物初心者ゆえ、「数多く見て審美眼を養う」ことを目的に、ひとまずは、たまたまこの時期、開催されていた着物のリセール展示即売会に予約を入れ、赴いたのだった。

    写真は「たんす屋/夏の祭典」の会場で撮影したもの。会場の方々にあれこれと丁寧な説明を受けつつ、それぞれの着物の背景を学ぶ。学んだすべてを記録に残したいくらいだが、あまりにも情報量が多すぎるのでここでは写真を載せるにとどめる。

    1枚目の写真は、会場でひときわ目を引いた「キモノアール KimoNoir」で試着させていただいた1枚。上質の古い着物を、熟練の職人が1枚1枚丁寧に、黒く染め上げて生まれ変わらせた芸術的な作品だ。一度着られたきり、タンスの肥やしになっている艶やかな振袖などをアップサイクル、全く異質の美が誕生している。

    パーティなどにも映えそうだが、今回は「直球の伝統的な手工芸品」購入を優先すべく見送り。しかし、こうして写真を見るに、振袖でも問題なく似合っている気がする。

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    このほか、初めて実物を目にした「辻が花」に見入る。辻が花とは、安土桃山時代を彩った着物の技法で、「多彩な絞り染め」を基調としている。絞り染めに「絵」や「刺繍」などが施された非常に艶やかな着物だ。

    1986年にダイアナ妃が来日された際に贈られたもので、その場でおもむろに羽織られている姿が写真に収められている。最後の写真がそれだ。これを契機として、「辻が花」が海外でも知られることになったとのこと。

    会場では、テーブルランナーにリメイクできそうな豪華な帯や、自分のサイズにあった総絞りのカラフルな着物を購入。その後、スタッフの方のいざないで、展示会場の近くにある「MEGAたんす屋 浅草着物」へ場所を移し、そちらで羽織や単衣のリユースを購入した。

    今回、目に留まったのは「銘仙(めいせん)」という技法。ヴィヴィッドな黄色い絣の羽織に目が釘付けとなり、そこにあったもう1枚と共に購入。いずれも大正から昭和初期にかけて作られたであろうものだが、そのデザインの斬新さがたまらない。調べてみるに、柄は従来の和風のものにとどまらず、アールデコやキュビズムなど西洋芸術の影響を受けたものが多いとか。その誕生の背景もまた、面白すぎる!

    ……と、諸々深みにはまっている。兎にも角にも「ストーリー性のあるもの」を見つけるのが楽しく、友人らから購入を頼まれて羽織を探していたにも関わらず、自分のコレクションにしたいと思うものばかり。インドに戻ってひと段落したら、目録でも作りたいくらいだ。

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    東京滞在は1週間。今回ばかりは、「自分一人の時間」を確保したく、今日は丸ごと自分のために。半年前の一時帰国時に「着物」に目覚めたものの、着物まわりの小物類を揃えておらず、もう少し整えようと、東京では着物デーを設けることにしていた。

    折しも、リユース(中古)着物の専門店が、予約制で展示会をしていることを知り、福岡にいる間に予約をしていたのだった。場所は浅草。予約時間より30分ほど早く到着したので、浅草寺へ立ち寄る。

    大勢の外国人観光客に紛れて、わたしもすっかりインバウンドなツーリストと化している。記念撮影をしている人たちにお願いして、写真を撮ってもらうなど、ワンダフルなジャパンを満喫だ。

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    おみくじを引く。一番から百番まである観音御籤。

    99番。大吉。

    わあ、うれしい! と思った刹那、初めて浅草寺へ来ておみくじを引いた時のことを思い出した。あれは上京してまもないころ、いや就職活動のために大学4年の夏休み、1カ月東京に滞在したときのことだったか。当時のボーイフレンドと一緒に訪れ、おみくじを引いた。

    「凶」だった。

    「凶」を引いたのは、多分、後にも先にも、このときだけだった気がする。

    次に訪れたのは、2002年。夫と結婚した翌年に出版された拙著『街の灯』のセールスと結婚報告を兼ねた日本旅のときだ。あのとき、わたしはおみくじを引いただろうか。引いたとしても、多分、吉とか中吉とか、そういうあたりさわりのないものだったはず。

    「大吉が出たからといって油断をしたり、また高慢な態度をとれば、凶に転じることもあります。謙虚で柔和な気持ちで人々に接するようにしましょう。また凶が出た人も畏れることなく、辛抱強さを持って誠実に過ごすことで、吉に転じます……。」

    と、善き心得も記されている。結局は、何が出ようと、我々は我々が在るがように、なっていく。しかし今回は、単純に、直球で、「大吉」がありがたくうれしい。

    ここでおみくじを引くのは、もう、これが最後だろう。このまま生涯、大吉気分で人生を過ごしたい。

    お線香を買い、護摩木を買い、線香の煙を浴びるだけ浴びて、お参りをする。境内の中にあるひっそりとした「浅草神社」にも立ち寄って手を合わせる。

    図らずも、心して拝む時間を得ることができて、よかった。

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    この何年かは、福岡から東京までは新幹線で途中下車をしつつの旅が多かった。だから、福岡空港から羽田に飛ぶのは、本当に久しぶりのこと。

    朝、妹が車で空港まで送ってくれた。道中、母の諸々が速やかに決まったのは、父のお陰だよね〜と話していた矢先。信号待ちの車のナンバープレートが父の誕生日、7月2日。その隣の車が、「母サンキュー」とでも言わんばかりの、父の好きな番号「8」が並ぶ。

    妹からは、ことあるごとに、父の誕生日のナンバーが近くに停車するとの話は聞いていた。正直なところ、半信半疑だった。わたしは父が亡くなって20年。そんな偶然は一度もなかったのだが、これはさすがに驚いた。

    父が、母を残してこの世を去ることの無念はいかばかりだったか。ゆえに母を守護するかのごとく、福岡界隈を飛び回っているのだろう。

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    フライトが遅れてランチタイムを遥かにすぎた。ホテルへ行く前に空港で食事をすませようとレストラン街を歩けば、またしてもロイヤルホストが目に入る。どうしたことか、今回は、ロイヤルホストがマイブーム。もちもちのスパゲティがおいしくて、これまた驚き。なにかの勘違いだろうか……と思うくらいに、今回はロイヤルホストの評価が爆上がりだ。

    ✈︎

    ホテルは、2年前に滞在したTHE GATE。ロビーの雰囲気がマンハッタンを思わせて気に入ったのだが、時期によっては異様に値段が高くなる。インバウンドの激増で、東京滞在のホテル探しも至難の技だ。

    夕食は「SAREES」でおなじみ恵美子さんと、いつもの「化学調味料不使用」なヴェトナム料理店へ。前回と同じ、明るいウエイトレスの彼女が、今回も担当してくれた。

    実は今回の旅、咳が出ていたのでアルコールは一滴も摂取しておらず、楽しみにしていた日本酒が飲めずに無念。今は咳も収まったが、まだ体調が完全ではないので、ノンアルコールビールで我慢。これはこれでおいしくて、料理もいつも通りおいしくて、満足である。

    二人で心ゆくまで語り合い、いい夜だった。

    東京での1週間。詰め込みすぎず、自分の時間も大切に、ご縁のある人に会い、気ままに過ごそうと思う。

    🎵SAREES
    https://www.youtube.com/playlist?list=PLtS91Qr_YL52GlmYstYNRvxpPny8s6HdX

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    6月6日朝。荷造り、朝食をすませ、コーヒーを飲んでいる。昼のフライトで東京へ飛ぶ。家を出るまでの時間を使って、記録を残したい。

    今回の福岡滞在は、本当に、学び考えさせられることの多い2週間弱だった。

    日本の社会の仕組みの一端について。介護保険の仕組みの善し悪し、その有効活用の困難さについて。人間が生まれ死にゆく過程について。自らの命運の鍵を握ることが難しくなった、晩年を生きる人々の尊厳について。

    そして、近い将来、自分もまた確実に、衰えていくことを予感しながら、親を支える人々の在り方について……。

    ひとつひとつを丁寧に記録しておきたいが、今は諸々未消化。また折に触れて文字にすることになるだろう。

    🍃

    今回、85歳の母が、「要介護1」と認定されたことにより、介護サーヴィスを受けられることになった。これは家族にとって、ありがたく安心できるシステムだ。しかし、これを実際に利用するに際しての手続きが、実はかなり煩雑で、わかりにくいということが、いざ利用する段になって初めてわかった。

    結論からいえば、わたしたちは、非常に運良く、物事を進めることができた。最早、亡父の計らいだったとしか思えないほどに、この10日間でほとんどの枠組みが整った。

    それもこれも、介護の鍵を握るとされるケアマネージャー(ケアマネさん)との出会いが決め手だった。

    帰省する前、妹と共に、実家界隈のいくつかのケアセンターを訪問し、ケアマネージャーと面談をするなどして、「自分たちで探す」ことを覚悟していた。役所からは「リスト」はもらえるものの、おすすめの場所を絞り込んで教えてもらえるわけではない。

    今回、訪問先にアポイントメントを入れようと、妹がたまたま問い合わせた施設の方から「この方は、本当におすすめですよ」と、ケアマネージャーKさんを推薦されたことから、ひとまずKさんにお会いすることにした。

    Kさんを実家にお招きし、母、妹と4人で顔合わせをし、諸々のすり合わせをする。この方にお願いすれば安心だ……と確信した。その場で当方の要望や条件などもお伝えし、Kさんが勧めるケアセンターを利用することにした。

    わたしも現場を見ておきたかったので、母と一日体験をしてきた。このときのことはまた別途、記したい。

    結論からいえば、週に1回のデイケアセンターへの訪問と、週に2回(各1時間)のヘルパーさんのサーヴィスが決定し、Kさんと、ケアセンターの代表者、そしてヘルパー斡旋業者の方との「担当者会議」にて諸々の契約を取り交わし、「印鑑」を押し、利用料の銀行引き落とし手続きの準備もすませて、スタートラインに立つことができた。

    今日は早速、ヘルパーさんが来てくださる。これまでは週に一度、「ダスキン」にお掃除をお願いしてきたが、これを機に終了。ヘルパーさんは掃除だけでなく、買い物の代行などもしてくださるし、何より話し相手にもなってもらえるのが助かる。

    母にとってはもちろんのこと、わたしや妹にとっても、新しいことばかりで、諸々、戸惑いは否めないが、今はひとまず、新たなステップを踏み出せることに感謝する。思うところ深く浅く、重く軽く、気持ちを整えるのに努力が必要だが、多かれ少なかれ、誰もが通る道。心して、臨むべし。

    今回、母の介護サーヴィスのあれこれを手配するに際し、「他の人たちは、いったいどうやっているのだろう」と、幾度となく、思いを馳せた。一人っ子の人や、両親、あるいは両親と義両親を見なければならない人や、時間に余裕のない人や、家族の協力を得られない人は……いったいどうやって、この状況を乗り越えるのだろう。

    人間の、生まれて育って生きて死ぬことの、なんとややこしいことだろう。

    つくづく、しみじみ、考えさせられる。

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    今回、母とは天神へお買い物……の機会もなく、結局は近場でランチをすますこと2回。母も妹も、このところ路線変更(軌道修正?)をしているロイヤルホストに好意的。先日も記した通り、わたしも気に入っており、昨日は、都合3度目のランチだった。デザートも分け合い楽しむ。これがまた、おいしくてうれしい。てか、よく食べる家族。

    ロイヤルホストのオニオングラタンスープが好きだった父を偲びつつ……。

    帰路、名島神社に立ち寄り、併設の名島弁財天/宗栄寺にて、我が心の弁財天様に手を合わせる。

    ありがとうございます。よろしくお願いします。

    🍰

    最後の3枚は、西鉄名島駅前にオープンしたばかりの、パティスリー「PRESQUE EGAL(プレスク・エガル)」。店内には、見目麗しきフランス菓子が並ぶ。ホテル日航福岡でシェフパティシエを務めていた渡辺氏が、今年、自らの店をここに開業されたとのこと。渡辺氏は香椎出身で、実家は香椎の商店街で練り物店(亡父がお気に入りの店だった!)をされていたという。彼はまた、我が母校と同じく香椎第二中学校卒業だとのことで、親近感を覚える。

    ここのお菓子、わたしは、まだ1種類しか食べていないのだが、とてもおいしかった。「上質のお菓子」を所望する母にとっても、この駅前のお店の誕生は朗報。楽しみが増えてよかった。

    店名のPRESQUE EGAL。どういう意味だろうと調べたら、フランス語で「ほぼ同等、ほぼ同じ」という意味だった。次回はこの店名の由来について、尋ねてみようと思う。

    ✈︎さあて! 東京での1週間。無理せずぼちぼち、楽しもう! 行ってきます!

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