インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

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    怒涛のような結婚の一連の行事を終えて、本日ホテルをチェックアウトし、デリー宅に戻ってきた。いやはや、濃密な数日間だった。

    3日目の夜は、カクテルとサンギートの夜であった。サンギートとは、音楽やダンスを楽しむもので、新郎新婦や家族、親戚、友人らが集まって、パフォーマンスを披露する。

    新郎新婦の両親によるダンスに始まり、親戚のダンス、新婦友人らのダンス、新郎友人らのダンス……と続く。そして最後に、新郎新婦が踊ったあとは、バンドに合わせて参列者がダンスフロアに押し寄せて、踊る。踊る。踊る……!

    これまでも、パーティなどに参加するたびに、幾度となくこのシーンを紹介してきたが、写真では伝わらない強烈な熱気だ。女性たちの艶やかな衣装も目に楽しい。

    毎度の如く大音響の中、しかし、今回はニューヨーク時代にお世話になった叔父との再会をはじめ、ずっと会う機会のなかった親戚やファミリーフレンドたちとの旧交を温められたことが、本当にありがたかった。

    夫と出会って29年。結婚して24年。来年は銀婚式でもあり……。自分の中の「インド成分」が気づかぬうちに増していることに気づかされる。

    いくら元気なわたしとはいえ、大音響には弱い。翌日の結婚式に備えて体力を温存せねば……と11時すぎに会場を離れた。就寝したのは午前1時過ぎ。実は、翌朝にはチュラ(Chura)・セレモニーにも招かれていた。これは、パンジャーブ地方をはじめとする地域で行われる婚前儀式で、花嫁に「チュラ」と呼ばれる赤と白のバングル一式が贈られるのだ。

    身近な親族の結婚式ゆえ、すべての行事に参加しようと思っていたが、……早朝の起床が辛くて挫折した。しかし聞いたところによると、身近な親類は、サンギートの夜、午前2時半まで会場で踊り、4時過ぎに就寝し、7時ごろに起床して、チュラ・セレモニーに立ち会ったらしい。ひ〜。

    ところでこの日の夜、わたしは京友禅サリーを着用した。わたしはかつて2年度に亘って京友禅サリー (Kyoto Yuzen Sarees) のブランド・アンバサダーを務め、展示会などを実施した。

    しかしながら、インド人女性よりも、インドに暮らす日本人として、わたし自身が、物語を伴って、京友禅サリーを着るのに適した立場であるということもあり、結果、2枚を購入してしまった。

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    赤地に大きな白い牡丹が描かれたものと、この黒地の1枚だ。この半年間に何度も着用しており、すでに見慣れすぎてしまった。他にもサリーはたくさん持っているのだから、ローテーションでヴァラエティ豊かに着ようと思うのだが、お気に入りばかりを手に取ってしまう。あと何枚かほしい……。

    手持ちの古い着物をほどいて縫い合わせ、サリーにするのもいいかもしれない。日本とインドのテキスタイルの融合を、アップサイクルで実現してみようかとも思う。

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    ダンス、結婚式、テキストの画像のようです
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  • 昨夜、2日目にして、結婚式の一連のファンクションが始まった。ゲストが滞在しているホテルには車が手配され、会場までの道のり、他のゲストと言葉を交わしながら赴く。新郎の友人ら多数が、カナダや米国から招待されていて、初めてのインドを楽しんでいるようだ。

    わたしたちの結婚式のときには、夫の大学時代の親友マックスが、米国から来てくれた。当時はまだ古く薄暗かった喧騒のデリー国際空港へ、マックスを迎えに行った深夜のことを今でもありありと思い出す。身長2メートル超の彼を人混みから見つけ出すのは、簡単過ぎた。

    昨夜行われたのは、「Haldi & Mehendi」の儀式。Haldiとはターメリック(うこん)のこと。インド料理で多用されるターメリックは、抗酸化や抗炎症の作用があり、さまざまな用途に用いられる。この儀式では、新郎新婦にターメリックのペーストを塗り、浄化や治癒、美化を促し、悪霊を払う。

    同時に会場では、参加者の女性たちが、随所で手にメヘンディを施してもらっている。結婚式など祝祭のときに、ヘナ (Henna) と呼ばれる天然の染料で、手足に紋様や絵柄を施すもので、邪悪な力から身を守り、幸運を招くものとされている。わたしも控えめに、描いてもらった。

    大音響の音楽が流れる中、ファミリーフレンドと挨拶を交わす。夫の亡母の親しいご友人はテキスタイルの専門家で、話題の共通項も多く、互いに写真を見せあいながら、話が尽きない。

    「Arvindは、妻の作るグラブジャムンが大好きで、一度に10個くらい食べてたんだよ」と目を細める老紳士。たちまち少年の表情に戻る夫。

    インドとは無縁の国で生まれたわたしが、インド人と結婚したことで、夫の郷愁や懐古を共有することの不思議を、改めて思う。

    綴っておきたいことは募れど、ひとまず、写真を残しておく。わたしが着ているのは、昨年、バンガロールで開催されたクラフトフェアVASTRABHARANA で購入したバラナシ・シルクのサリー。テキスタイルに関心のある方は、下部に添付の記録をご覧いただければと思う。

    ちなみにこの展示会初日の開会式で、わたしは日本とインドのテキスタイルに関して話をし、着物や帯の展示も行ったのだった。

    さて、今夜はSangeet。音楽と踊りで満ち溢れる結婚式の前夜祭だ。もうすでに、日々、音楽と踊りと食に満ち溢れている日々ではあるのだが、よりいっそうの、華やぐ夜が待っている。

    最後の写真は、2001年7月、わたしたちの結婚式のメヘンディの様子。子どものころのTanviもまたキュート❣️ わたしの服装は、当時のインドでは露出度が高すぎで、カジュアルすぎでもあった。非常に間違っていた😰

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    1人以上、ヘナ、結婚式の画像のようです

    【VASTRABHARANA 布の展示会 04】日曜日の午後、久しぶりに夫とデート。目的地はまたしても布の展示会

    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2024/10/01/vas4/

    【VASTRABHARANA 布の展示 02】開会式で、布に見るインドと日本の絆を語る

    https://museindia-bxdri.wordpress.com/2024/09/28/vas2/

    極楽鳥花の画像のようです
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    1人以上、ヘナ、笑っている人の画像のようです
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  • 多様性が極まる国家インド。その混沌と複雑な社会を構成する要因に、宗教や地理的条件、言語、コミュニティ、カーストなどがある。

    中でも宗教はインド社会や政治、ライフスタイルを語る上で不可欠な要素だ。80%弱を占めるヒンドゥー教を筆頭に、イスラム教、キリスト教、スィク教、仏教、ジャイナ教、ソロアスター教などが続く。

    それぞれの宗教の祝祭日が、「祝日」として定められ、異教徒同士でも互いに敬意をもって異文化を祝するのが常である。異なるイデオロギーが共存する社会においては、自分とは異なる立場の人たちに敬意を払うことが、調和を保つ重要な鍵のひとつとなる。

    そんなインドの基本的なことすら知らず、初インドが自分の結婚式だった24年前を思い出し、過去の記録を振り返り、なんと無謀なことだったかと、今、改めて思う。

    多様性のインドではあるが、「結婚式が非常に重要で派手である」という事実は、宗教の垣根を越えて、概ねインド全体に見られる傾向だ。年末のインドは結婚式シーズンで、インド各地で華やかな宴が展開される。中でも北インド、我が夫の出自であるパンジャビの結婚式は、群を抜いて華々しい。

    我が友人知人の多くは、毎年この時期、いくつもの結婚式に参加すべく、インド国内を飛び回っている。翻って我が家。家族の盛大な結婚式に招かれるのは、わたしが夫と出会ってこれでわずか3度目だ。

    尤も、ニューヨークで開催された超盛大な結婚式は、わたしはミューズ・クリエイションのチャリティバザールと重なったため、キャンセルした。今思えば行くべきだったと思う特筆すべき催しだった。なにしろ、メトロポリタンミュージアムのテラスや、アメリカ自然史博物館を貸し切っての盛大なものだったのだ。

    なぜ血縁の結婚式が少ないかといえば、夫の家族がインドにしては極めて珍しく「親戚が少ない」のである。夫の父親は一人っ子で、母親は2人兄弟。母親の兄夫婦の一人息子であるAdityaが、夫の唯一にして、たった一人のいとこなのだ。

    即ちAdityaにとっては、夫と義姉のSujataだけが、いとことなる。いとこが何十人、人によっては100人を超えるケースも珍しくないインドでは、本当に珍しい。

    ちなみにインドでは、遠縁の親戚も「いとこ(カズン)」と呼ぶことが多い。「ファースト・カズン」「セカンド・カズン」という言い方で、血縁の距離感を伝えることもあるが、だからといって縁遠いというわけでもない。

    前置きが長くなったが、今回は、我が夫Arvindと兄弟のように育ったAdityaの長女Tanviの結婚式だ。最後にTanviに会ったのは10年以上も前のこと。姉妹ともにすっかり大人になっていることに驚きつつ、祝福の言葉を贈る。

    昨夜は、身近な親戚とファミリーフレンドが、自宅に集まってのカジュアルな集いだと聞いていた。同時に、結婚式で披露するダンスの練習もするという。気軽な気分で訪れたが、すでにもう、祝宴のアクセルは踏み込まれていた。

    Tanviの結婚相手は、彼女が学生時代にバンクーバーで出会ったカナダ人男性。我が家と同様、国際結婚だ。歌い、踊り、飲んで、食べて、もう先日まで滞在していた日本でのライフとはかけ離れたエネルギーの炸裂に、ふと、笑いが込み上げてくる。

    インドにおいて結婚式は両家の両親、特に母親のミッションが超絶だ。諸々の準備に数カ月から半年をかける。花嫁の母であるTanuが、諸々のアレンジメントを仕切っていて、ダンスの自主練動画なども送られてきた。実は日本滞在中に、地味に練習していたのだった。

    彼女は、連日の催しの準備で疲労困憊に違いないはずなのに、歌い踊ってなんともエナジェティック! 

    1人以上、ヘナ、結婚式の画像のようです

    10年ぶり、20年ぶりに再会する親戚やファミリーフレンド。ニューヨーク時代によくしてもらった叔父はじめ、懐かしい人たちと出会えて記憶が巡る。人々は、多忙なスケジュールを調整して、地球の裏側から、結婚式に出席するためだけに、インドへ帰ってくる。

    結婚式という場において、旧交を深め、コミュニティの絆を強固にし、新たな出会いを育む。新郎新婦の門出を祝うのはもちろんのこと、結婚式の背景にはさまざまなストーリーと意義があるのだということを、インドに暮らすようになって学び知った。

    食べ過ぎず、飲み過ぎず、踊り過ぎず、体力を温存しつつ、この機会を楽しもうと思う。

    ◉2001年7月。わたしたちの結婚式の記録。

    https://x.gd/k70nY

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    飲み物、、「FREELANCE ANCE FREEL COCKTAILS PICANTE Tequila, alapenc Coriander,! Coriander,LimaJulea,3uger Juloe, CAPRIOSKA Vorka,limejulice,Sucer.cut ESPRESSO ESPRESSOMARTINI MARTINI vooka,Kahlua,espresso ,espresso shot ELDERFLOWER SPRITZER Gin, Elder ELDERFLOWERSPRITZER in,Elderlower,Proseco.soda flower,Proseco soda WHISKEY Whiskey, White WHISKEYSOUR SOUR imoJuice Lineu Juice, hite gg OLD FASHION Whiskey, Anguatra Whishey,Anguatrab'tter b'tter MOJITO White juice, Sugar, Soda eaves eaves,lime n,Mint|」というテキストの画像のようです
    1人以上、笑っている人の画像のようです
    ベイクドビーンズ、薬、キャンディー、テキストの画像のようです

  • 昨夜、バンガロールからデリーへ飛んだ。約1週間、デリーに滞在する。姪の結婚式に参加するのが目的だ。今夜から5日間に亘り、6つの催しがある。

    昨夜はデリーの自宅に1泊したが、今日から4泊はホテルに滞在すべく、先ほどチェックインした。

    日本とインドの文化やライフスタイルの違いを挙げればきりがなく、結婚式ひとつをとっても語るに尽きぬ多様性だ。インドにおける「結婚式の重要性」は、一言で語るに難い。今回は、少しずつ記そうと思う。

    それはそうと、先月中旬、ブータン旅行の帰路、デリー宅に立ち寄った。バスルームの一部改装と壁のペンキ塗り、そしてカーテンの交換をすべく、店舗を訪れて品々を選び、業者と打ち合わせ、デリー宅を守ってくれているドライヴァー兼執事に指示を出していた。日本にいる間も、リモートで状況を確認していた。

    2020年1月、義父ロメイシュが他界した直後に内装工事をやろうと思っていたが、COVID-19パンデミックに突入して、この作業も延期したままだった。今回、実家1階を貸しているテナントから、壁の再塗装を依頼されたことから、同じタイミングで行おうとわたしたちのフロアも手を加えることにした次第。

    7月はバンガロール旧居のバスルームズ5カ所の壮絶なる改築をし、8月は「日印こども壁画交流プロジェクト」でペンキにまみれ、9月はデリー宅の壁面ペンキ塗りで、10月は日本の実家の片付けで、来月11月はバンガロール旧居の壁面ペンキ塗りを予定……と、もう、わけがわからないが、カオスが日常化している。

    わたしのライフってなんなのだろう……と、脳裏をよぎる疑念を都度、かき消しながら、好むと好まざるとに関わらず、投げられる球を拾って投げ返す……。そんな日々。

    せっかくなので、微妙な変化ながらも成果をアピール(!)したく、Before / Afterの写真を載せておく。古くて使わないバスタブを撤去し、シャワールームにした。最低限の工事ですませたが、なかなかにいい感じだ。

    後半は、バンガロール宅のバスルームの写真。これは完全に破壊して、創造したがゆえ、Before / Afterを記すまでもない。作業中の様子がすさまじい。なにしろ、一部、配管が錆びて水漏れをおこすなどしていたため、壁を掘って配管全てを取り替えねばならなかったのだ。

    「ここは遺跡か!」とツッコミを入れつつの日々だった。

    バスタブを安定させていたのは、膨大な量の「砂」だったらしく、これを搬出するだけでも、超絶なる原始的な作業工程だった。家中にブルーシートを施し、すさまじい埃と砂となんやらかんやらの中で、1カ月余り、よく過ごしたものだと我ながら感心する。

    各部屋、5つのバスルームが、このように絶大なる破壊を経て生まれ変わった。

    この国に住んでいると、諸々のスキルがどんどん向上する。特に「空間創造力」は大いに鍛えられている。よくわからんが、たいへんだけど、こういう作業の工程を見るのは好きだし、完成すれば達成感を得られてうれしい。

    昨日は夫も、生まれ変わったデリー宅が本当にうれしそうだった。ロメイシュ・パパも、きっと喜んでいるだろう。

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    シンク、タオルラック、屋内、引き戸の画像のようです
  • 先週末、1カ月ぶりにバンガロール新居を訪れた。

    すでに数年前には完成予定だったコミュニティの建設。しかし、ご近所さんはじめ、クラブハウスもまだ完成しておらず、猫らを連れてくるにも落ち着かず。二拠点生活を始めて3年。すでにこの「往来するライフ」にも慣れてしまった。

    1カ月も不在だと、インドの家は殊更に、埃が募る。掃除をすませたあと、この日は新居に泊まらず、街中の旧居に戻ったのだが、その前に、今回、日本から運び込んだ大きなスーツケースをひとつ、開いた。

    既述の通り、実家の家具調度品の処分には、頭を悩ませた。悩んだ末に、貴重な書籍だけは船便で送ることにした。小学館の『原色日本の美術』。大きくて重い全30巻のシリーズ。今となっては、貴重な写真や専門的な情報が満載の麗しい書籍は宝だ。

    今回、4箱(インドへの船便は1箱最大20kg)、都合80kg分をインドに送った。ブリタニカの百科事典は、次回、送ることにする。

    グローバルの「グ」の字もなかった幼少時の我が家の環境において、わたしが海外への憧憬を募らせる契機となったのは「学研のこども百科事典」と「ブリタニカの子供百科」、そして西洋絵画全集だった。それらは、わたしにとって、世界への扉だった。

    一方、若いころには関心を持つことがなかった『原色日本の美術』の全集に、今、とても惹きつけられる。生涯をかけて、ゆっくりと紐解きたいと思わせられる内容だ。

    今回、日本でトランク型の大きなスーツケースをひとつ新調した。それは、食器を運ぶためだ。10年前のわたしならば、わざわざインドに送ることを考えなかっただろう。しかし、50代半ばから、日本の伝統工芸の美に惹かれはじめた。一時帰国のたびに、もう使い手のない実家の漆器などを、少しずつインドに運んでいた。

    2年前には母のクローゼットから数々の着物や帯を発掘し、それらをインドに送り、幾度となく、バンガロールで展示会を開催した。漆器や工芸品は、催しを彩る小道具としても場に花を添えた。

    若き亡父は、プロの野球選手を目指していたが、挫折。母と結婚した当初、三輪トラック1台で「起業」し、土木建築の仕事を始めた。その後、「坂田建設」を創業。父のビジネスは、日本の高度経済成長と足並みを揃えるように急成長した。1980年代、広い邸宅を建築し、高価な家具調度品を揃えた。

    思い返すに、その時代は本当に短く、10年にも満たなかった。皮肉なことに、その時代、多感な十代だったわたしは、完全に父親と決裂していた。

    束の間のバブル時代を経験した後、父の事業にも暗雲が立ち込める。大きな自宅を売却し、会社は倒産し、父は60代で末期の肺癌を発症し、66歳で他界した。親の生涯を大雑把に綴るのは、無礼だとも思うが、これもまた事実。

    日本のバブル経済時代には、「豊かなもの」が世に溢れた。そんな時代に、両親が購入した「善きもの」名残が、自宅を売却した後に移転した実家にも残されていて、それらが玉石混交のすなわち「玉(ぎょく)」である。

    スーツケースと緩衝材のプチプチが届いた夜、音楽を聴きながら、一人黙々と、「インドに連れて帰るもの」を選び、包み、詰めた。このスーツケースに入るだけを詰めていこうと決めて。

    親子だけあり、母が選んだものは、わたしの好みにも一致するものが多々あって、選別に迷った。有田焼、伊万里焼、柿右衛門、薩摩焼、小石原焼、よくわからないけれど、とても古いであろう骨董の陶磁器、漆器……。

    切り子ガラスにウェッジウッドのデミタスカップ。家族の団欒が描かれたクリスマスのイヤーズプレート。そしてお正月のおせち料理が詰められた輪島塗の重箱……。両親なりの「理想の家族のかたち」というものは多分あって、しかし、不協和音が奏でられてばかりだったな……と、思いは巡る。

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    新居で、そっとスーツケースを開く。割れた音がしないことに、安心する。ひとつひとつ丁寧に手に取り、梱包を外す。すべてが無傷で、海を越えて来られた。

    包んだときとは異なる、「よく来たね」との思いに満たされる。……ああ、捨てずに連れてきてよかった!

    大黒天さんと恵比寿さんが、大喜びしている。

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    スーツケースの画像のようです
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  • 福岡を離れて42年。日本を離れて29年。

    遂には、わたしの「実家」がなくなった。

    日本へ帰ってくるたびに、父の書斎に布団を敷いて寝た。

    夫が泊まりに来た時には、その狭い床に、布団をびっしり敷き詰めた。

    窮屈で、寝心地悪く、修学旅行みたいだった。

    無数の記憶は前後して、渾然一体と脳裏に刻まれ、何もかもが懐かしい。

    かつてのわたしは、もしも両親がいなくなったら、自分はもう福岡に帰ってくることは、ほとんどなくなるだろうと思っていた。

    それがどうだろう。

    還暦を前にして「人生はロールケーキ」などと言い出し、志向が故郷に回帰しはじめた。

    世界各地を巡った果てに、日本の、九州の、福岡の、福岡市の、東区の魅力が、こんなにも強く胸に迫ってくることになろうとは。

    ヘリコプター、小型飛行船、水上飛行機、たそがれの画像のようです

    人生とは、予測不能の連続にて。おもしろいものだ。

    若いころ、取り憑かれたように旅をしていて、本当によかった。

    これからも、引き続き「東西南北の人」であり続ける。

    家具を取り払ったら、窓が広い。

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    各部屋、玄関を含めれば、福岡市がほぼ300度、見渡せる絶景にて。

    立花山の方向からのぼる朝日。

    名島神社や志賀島の方向に沈む夕日。

    朝な夕なに合掌した。願いを感謝に変えて、心強く進むために。

    大まかな掃除を終えた滞在半ば。

    家の「気」が清浄に整ったせいだろう。

    毎朝のように、小鳥が遊びに来て、朗らかに囀りを聞かせてくれた。

    雲、地平線、たそがれの画像のようです
    雲、地平線、たそがれの画像のようです
    花の画像のようです

    ベランダの植物も、花をつけた。

    ときどき、多々良川の河畔を歩いた。

    飛来する、飛行機の美しさ! 大好きな情景を、眺めた。

    遣る瀬なくて、泣けた。

    たとえ、家がなくなっても、ここは紛れもなく、わたしの原点。

    すべては心ひとつ。

    売却をお願いする不動産会社も決まり、来月には、この家は売りに出される。

    さて、次に帰って来たときには、どこに泊まろう。

    すべては心ひとつ。

    自由だ。

    今回の日本旅は、神様からわたしへの、還暦祝いだった。

    感謝。

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    もしも記録に残さなければ、幻だったんじゃないかと思えるような、このたびの日本滞在だった。

    ここでは、飲食の情景の片鱗を、残しておく。それらを見れば、刹那、そのときの心境を思い出す。

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    「おかえり」という人のない実家にて。

    両親のライフの残骸を片付けながら、一人過ごした1カ月足らず。

    片付けても、片付けても、物が沸き出てきた。

    それらは玉石混交で、ひとつひとつを手に取り確認しながら進む。

    父の生きていた証。わたしの知らない父のライフ。

    母の生きている証。取捨選択を迷いながら多くを捨てる。

    一時は途方に暮れたが、「片付け」の意味を考えながら、片付ける。

    自分がこの先、何を買い、何を消費し、何を残していくべきか、身を以って、考えさせられた。

    「宝の持ち腐れ」という、言葉の意味についても考える。

    お金で買える豊かさとは、なんですか。

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    食事は概ね、自炊だった。母の新居を訪ねたあと、香椎駅前の西鉄スーパーマーケットに赴いて食材を買い、西鉄電車で名島まで帰る。

    香椎駅周辺は、徒歩数分内にさまざまな店が立ち並んでいて、とても便利。それは、東京に暮らしていた20代のころの、独身生活を思い出す日々でもあった。

    キッチンに残された切れにくい包丁と、小さなまな板。ごはんはいつものように、鍋で炊く。最低限の調理器具で、料理をする。それだけで、十分に凌げた。

    日本の野菜は驚くほど、火が通りやすい。豆腐や刺身など、加熱せずともおいしく食べられる食材もたくさんある。薄切り肉も豊富で、諸々、ほぼインスタントに調理ができる。インスタント食品を買わなくてもすでに。

    見栄えのしない料理を作りつつも、お酒やビールの華があって幸せ。

    チャーメン、豆腐の画像のようです
    麺、ステーキ、ラーメンの画像のようです

    洗濯機は母の新居だから、シーツなどの大物以外は、風呂場で洗う。若き日々のバックパッカー時代を思い出す。最低限の衣類を詰め込んでの旅は、安宿での洗濯が重要な「家事」であった。秋だというのに福岡はいつまでも暑く、幸い洗濯物は、すぐに乾いた。

    母はもう、あまり距離を歩けない。しかし、散歩には行きたがる。すぐ近くのお店やレストランへ、何度か赴いた。

    チョコレートバー、お茶、テキストの画像のようです
    豆腐、シイタケの画像のようです

    食事はホームで3食をお願いしているから、お茶の時間のケーキなどを食べるなど。こんなささやかなひとときも、未来の自分にとって、懐かしい記憶となるだろう。

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    ビール、ビール、エール、、「水曜日 UIYOUBI IYOU 曜 のネコ ネ ONE NE GIANSTY N GIAN HITEALE」というテキストの画像のようです
    シャンパン、、「σ で FRANÇOIS FOUCHE BRUT SPARKLINGINE SPARKLING WINE BRUT」というテキストの画像のようです
    ステーキの画像のようです

    今回の旅の食の写真。記録からこぼれ落ちたものを集めた。はじまりは、成田空港到着後、パッとしないターミナル3のフードコート。いつもの通り、うどんを食べる。そしていつもの通りの、むせそうな組み合わせの天ぷら。

    ビール、エール、ビール、テキストの画像のようです
    コロッケ、寿司、テキストの画像のようです
    豆腐の画像のようです
    シャンパンの画像のようです

    そして締めくくりは成田発ベンガルール行きの機内食。これらが最も「映える」食の写真となった。

    寿司、テキストの画像のようです
    飛行機、テキストの画像のようです
  • 南インド。デカン高原。バンガロールの涼風が愛おしい。

    20年暮らしても、毎回、旅を終えて帰ってくると、新鮮に、高原の風が、うれしい。

    元野良のワイルドな我が家の4猫。NORA、ROCKY、JACK、CANDY。

    眼光鋭く野生みを漂わせ、わたしが近づけばみな、逃げる。

    なんでよ。

    そんな、かわいげのない4猫が、かわいすぎる。

    一方、旧居のコミュニティで暮らすHINAは、わたしを見つけるや、走り寄ってきてくれる。

    彼女に不妊手術を受けさせ、その後もしばらくお世話をしてあげたからか、わたしを覚えてくれているのだ。

    ちなみにHINAにも、夫が餌を与えている。つまり彼女もわたしの手料理を食べているので、多分、とても元気。

    🐈

    今週末は、新居で過ごす予定だったけれど。

    昨日の夕方、片付けに行って、数時間、働いてのち、夜。

    猫ら(と夫)の待つ旧居へ戻ってきた。

    いつまでたっても遊牧民の如く、東西南北の人のライフは、定まらずして自由。

    曇天のあとの、夕暮れ麗し、今このとき。

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    ユキヒョウ、チーター、大型のネコ科動物の画像のようです
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  • 福岡の記録を書き終えていないのだが、昨日のことを記しておきたい。

    Nomadic Korean chefを自称する友人のEunyoungが、韓国料理を得意とするインド人シェフGokuとのコラボレーションで、ポップアップのダイニングを開催すると知り、ランチタイムに予約を入れていた。

    会場は、バンガロール市内南部にあるThe Conservatory。同じビルディングには、バンガロールで一時期、注目を集めたラーメン専門店、NARUも入っている。インド人男性による本気度の高いラーメンを、わたしはまだ一度も食べたことはないのだが、人気は絶大だ。

    さて、The ConservatoryのオープンキッチンではEunyoungがテキパキと料理の準備をしている。見慣れた韓国料理とは異なり、ポーションは少なめで盛り付けも工夫されて美しい料理が多数だ。少しずつ、いろいろな味を楽しみたいわたしたちにとっては、とてもうれしい。

    最近はペスカタリアン(魚介類は食べる菜食主義)となっている我が夫。かつてはなんでも食べていたから外食もシェアできて楽しかったが、このごろは、そうはいかない。まずはKombu Cha(爽やかな発酵飲料。昆布茶ではない)で乾杯し、主にはシーフードを使った料理を注文する。

    夫は基本的に辛い料理が苦手なはずなのに、なぜかキムチの辛さはノープロブレム。いずれの料理も旨味が生きて、とてもおいしい。特に、わたしだけのために注文した豚肉料理が格別においしかった。

    ……また韓国に行きたいな🇰🇷

    実はこれまで2度、彼女のご自宅で、おいしい料理をごちそうになっている。彼女は韓国料理だけでなく、日本を含むアジアの料理のアレンジも巧みなのだ。そのときのすばらしいテーブルの様子も記録している。ご覧あれ!

    ◉類は友を呼び、ご縁は続く。90年以上前の「新品」着物を着て、ランチの宴へ。(2025年2月)

    https://museindia-mvosj.wordpress.com/2025/02/13/rui/

    ◉Santé! 7月14日。フランス革命記念日を祝すパーティへ(2025年7月)

    豆腐の画像のようです
    スマイル、ビールの画像のようです
    アンチョビ、寿司、刺身の画像のようです
    ビール、テキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    花、、「製丽 KOREAN BEVERAGE SHOP 2.0 MENU 下 w.i.p w.i.p」というテキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    1人以上、テキストの画像のようです
    卵黄、ラーメン、ポーチドエッグ、魚卵の画像のようです
    ラーメンの画像のようです
    、「5 NOODLE BAR Unitof Gauji Hospitality pitalit GSTIN:2 USTIN:23BPPPK26470ITH 3BPPPK204701ZW PSSAI: 1122223300年04 ခ Welcome 券 ® ಸ್ವಾಗತ # कै ようこそ Please wait Pleasewaittobeseated to be seated # Reservations required ®」というテキストの画像のようです
  • 季節外れの雨が降り続くバンガロール。クローゼットの中が湿気がちで、洗濯をしなおしたり、乾燥機をかけたりと、家事や雑事で時間が流れる。

    夫や猫との暮らしに加え、複数の家と使用人と関わるライフは日々、マネジメント能力が問われる。インドと日本のライフスタイルは異なるから、自分が好むと好まざるとに関わらず、断ち切れない事象も多い。

    ホリデーシーズンとあって、ソーシャルの誘いやイヴェントが重なる。会いたい、参加したい、行きたい……をすべて実現するのは無理だ。昔だったら、もう少し、やりくりをして参加していただろう。

    しかし今は、一人の時間もたいせつ。ゆっくりと、文字を綴る。本のページを開く。よく寝る。よく考える。よく歩く。こうして日本の余韻も、記しておく。そんな時間を、今は優先する。

    日本に一時帰国をしている間、高市早苗氏が内閣総理大臣に就任された。実は新内閣の発足以来、彼女に関する動画を賛否両論ともども、数限りなく見ている。聞いている。小野田紀美氏の動画もまた。

    彼らに懸念する声が少なくないことも知っている。具体的になにがどう問題なのか、わたしはまだ、リサーチ不足かもしれない。しかし現状、わたし個人にとっては、共感する点が多い。何をおいても、彼らの情熱と行動力には心底、敬服する。

    そもそも「保守」とか「右」とかいう言葉そのものに翻弄されることも、情報が濁る理由だろう。

    世界は白黒つけられない「グレイゾーン」に包まれている。「多様性」もまた。多様性の社会では「自分」がなければ調和が取れない。相手の立場を慮りつつも、自分の軸を持つことの大切さを改めて思う。

    日本人が、正々堂々と愛国心を持てず、日の丸に敬意を表せず、「神(神道)」に向き合うことさえも異論される状況に陥った理由を見据え、しかし日本は愈々、「新しい未来」を築かねばならないだろう。

    日本に30年。異郷に30年暮らした今、自分のルーツ、出自、母国を愛することの意味と意義について、強く考えさせられる。愛国心と外交のバランス。

    寺院、テキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    ウィンドチャイム、テキストの画像のようです

    日本経済をして、停滞の30年と言われる。このごろは、そのことに対する見方が、少し変わった。

    日本は第二次世界大戦後、超絶なる速度で高度経済成長を遂げた。そして1990年前後にそのピークを迎えた。確かにその後、バブル経済は崩壊したし、続く負の側面もあるだろう。

    しかし。最近、客観的に母国を見つめるに、この現状をして「停滞」ではなく「維持」とも見えるのだ。人々の服装、食生活、街の様子……。どれをとっても、一見しての「貧しさ」は見当たらない。

    「住んでいないからわからない」「現実はたいへんですよ」と言われるかもしれないが……。求める基準も、望む次元も、人によって異なる。

    そもそも人類は、「物質的な豊かさの成長」をこれ以上求める必要があるのか。発展の果てに、人々の心身は疲れ果て、精神は脆くなり、力が損なわれている。

    いけない。尽きない。

    伏見稲荷大社の画像のようです
    寺院、、「ว 照 和」というテキストの画像のようです

    写真は、10月20日に訪れた名島神社、そして弁財天が祀られている宗栄寺にて。幾度となく記してきたが、名島の海岸は我が原点であり。幼いころに眺めた、今では陸地となった水平線。旅して、旅して、還ってきた。

    ウッドスプーン、テキストの画像のようです
    ‎、「‎お の が 沃 水 र 売 命 財 宝 結 天 증 ananan 5 eranas ሌክ お わ を 市 福 の 命 ل れ 協 を を を 索 表‎」というテキスト‎の画像のようです

    今回の旅では、実家のバルコニーから眺む名島神社が心の寄る辺だった。朝な夕なに合掌し、祈り、感謝した。今回の最後に訪れることができて、本当によかった。

    名島の歴史について関心のある方は、過去の記録をご覧ください。20年間、記してきたTypepadのブログを、閉鎖に伴いWordpressに移行した。一時は諦めたが、執念で移行作業をすませてよかった。

    まだフォーマットを整えてはいないが、読むことはできる。

    ◉歴史深く、個人的なご縁もまた深く。名島界隈を散策し、咲き始めた桜を眺む夕暮れどき。一隅を照らす此れ則ち国の宝なり(2025年3月)

    https://museindia-mvosj.wordpress.com/2025/03/27/fk13/

    ◉濃すぎる日。ナマステ福岡。頭山満と玄洋社。夢野久作、杉山龍丸とインド。そして、我が原風景の名島神社……繋がるご縁。(2022年6月)

    https://museindia-mvosj.wordpress.com/2022/06/08/jpn14-3/

    写真の説明はありません。
    ストーンヘンジの画像のようです
    地図、記念碑、テキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    紙マッチ、テキストの画像のようです
    、「奉 拝 수 和 七 七 年 十 之 月 S B V 社」というテキストの画像のようです
    雲の画像のようです
    雲、たそがれの画像のようです
    雲の画像のようです