今日から10日余りの旅に出る。
緑と芸術とテクノロジーとサステナビリティが見事に調和した最高のターミナルから。
鳥瞰。
好きなアートの一つ。各地の空港の形をしている。
そばに記された経度緯度で、どの空港かがわかる。
方位記号の北がMなのは、アーティストのイニシャルが、わたしと同じでMSだから😻
午前4時40分発のフライト。眠すぎるを通り越した。よい旅になりますよう。
天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信
望んでいた雨は降らず、乾いた午後。
猫らも、人間らも、だらけ気味。
しかし素足で庭を歩けば、緑の潤いが心地よい。
マンハッタンで51階建ての18階に住んでいたころ。
斜め上のアパートメントが火事になった。
New York Timesにインタヴューされた記事が、今もアーカイブに。
その数年後、911が起こった。
いろいろあった。本当に、いろいろあったなあ。
そんな個人的な体験を経て「地面に近い場所」に住もうと決めた。
ロックダウンのときには、猫らと庭に救われた。
2007年には、わたしの背丈ほどしかなかった椰子の木が、
ぐんぐん、ぐんぐんと、伸びて伸びて、天を刺す。
このごろは、蝶らも遊びに来る時節。
ハンターJACKが巧みに捕獲しようとする。
やめて。
今夜、旅に出る前に、もう一度、雨を見たいなあ。☔️
📰4 KILLED FLEEING BLAZE IN HIGH-RISE (Dec. 24, 1998)
https://www.nytimes.com/1998/12/24/nyregion/4-killed-fleeing-blaze-in-high-rise.html
🌏1985年。初めて海を越えたあの夏から幾星霜。海外旅行誌を制作する仕事に携わり、旅の魅力に引き込まれ、公私に亘って海外を目指した20代。30代でニューヨークに移ってからも、旅する日々は続いた。
気がつけば、インドに移り、歳を重ね、もうあのころの「渇望するような」旅への好奇心は薄れてきたけれど。それでも、未知なる土地への関心は、今なお尽きない。
旅の下調べは、ある程度必要だが、事前に多くの写真を眺めて予測をつけることは、敢えて避けている。今となっては全世界的に、情報は溢れ、世界各地津々浦々の写真や映像が手軽に入手できる。しかし、その利便性がわたしたちの感動に「水を差す」こともある。想像力に、制限がかかる。
わたしが日本で編集者をしていた時代、わたしが知る限りにおいて、欧米のガイドブックは写真がほとんどなく、文字情報が中心だった。写真を多用する日本のガイドブックに比べると見た目は地味ではあったが、読み物としての価値があった。
「昔の」ロンリー・プラネットやミシュラン・ガイドブックなどは、日本語訳が出版されていたこともあったが、今は多分、廃刊になっているはずだ。中でも「昔の」ミシュラン・ガイドブックは本当にすばらしかった。今でもその内容は色褪せない。写真の日本語版は、1990年代に発行されていた日本版の一部。大切な書籍ら。
……と、旅の話になるとまた、書きたいことは尽きぬ。
月曜深夜の出発を控え、必要な荷物などをピックアップすべく、昨日の午後、市街北部のヤラハンカにある新居へ来た。今年の夏は、暑く乾いているバンガロール。水不足も深刻で、市民は節水を心がけている(はず)。旅の前に一度でいいから、雨が降ってほしい……と願っていたところ……。
新居に到着してほどなくしたら、急に雨雲が迫ってきて、束の間ながらも大雨が降ってきた! 乾いた土が濡れる匂い、雨の匂い、ざわめく木々の葉……最高! 雨に打たれて踊るインド映画のなりたちは、この雨への渇望と感謝が源だ。
雲は浅く狭く、十数分ほどで雨は止んでしまったけれど。After the Rain。空気は澄んで緑は輝き、今朝の空気も清々しい。ちなみにバンガロールは、雨雲の分布が非常にユニーク。隣町は大雨なのに、こちらはカラカラに乾いている……ということもよくあるのだ。
たとえばザアザア降りの空港に降り立って、数キロも走らないうちに、雨の余韻もない光景が広がるなど。昨日もまた、市内のほとんどは雨が降らず、北部など一部限られた場所だけだったらしい。全バンガロールに降り注いでほしいものだ。
🌏思えば、パンデミック明けの海外旅は日本ばかり。インド国内旅と日本旅で完結していたということに気がついた。2019年を最後に、4年以上も、異国旅を経験していなかったことに思い当たり、なんとも言えぬ心持ち。まだまだ未知の世界は多く。再訪したい既知の世界も多く。あふれる情報に蓋をして、目を閉じて、自分の行きたい場所はどこなのか、見たいものは何なのか、改めて問うてみよう。
子供のころ、絵画全集や百科事典を開いて、異国への旅情を育んだように。
😺後半の写真は旧居にて。猫らと蝶々🦋
◉昨日は、コマーシャル・ストリート界隈でミーティングを終えたあと、MG(マハトマ・ガンディ)ロードにある行きつけの眼鏡店へ仕上がった眼鏡やコンタクトレンズを受け取りに行った。この界隈の変化もまた著しい。米国在住時の2003年に初めてバンガロールを訪れたときの旅記録を遡ると、当時のMGロードの写真が出てくる。最後の写真がそれだ。まだメトロも開通しておらず、喧騒に満ちていたはずが、長閑な情景に見える。
◉MGロードの南、並行して東西に横たわるチャーチ・ストリートを西へ歩き、ミュージアム・ロードと交差するあたりに数年前誕生した商業ビルディング「1 SOBHA」へ。目指すは、ここにあるケララ料理店だ。実は先日、アーユルヴェーダ診療所を訪れた際、主治医から、彼の故郷であるケララ州カリカット(現コーリコード)の老舗名店「PARAGON」を勧められていたのだ。
以前、一度だけ、日本人女性のグループ「さくら会」のランチで訪れたことがあったが、そのときは、周囲の人たちとの会話に集中していたこともあり、確かに料理がおいしかったものの、吟味できていなかった。もしも「ミールス」(南インド料理における定食。ちなみに北インドは「ターリー」と呼ばれる)があれば、一人でも楽しめると思い、エントランスで尋ねたところ、あるという。ヴェジタリアンとフィッシュの2種類。わたしは迷わずフィッシュを選択した。
◉カリカットは、アラビア海に面した港町で、古くはスパイスや綿織物などの交易で栄えていた。インド産の平織りの綿布をして、キャラコ、あるいはキャリコ(calico)と呼ばれるが、この地名カリカットに由来する。
◉1939年に創業したPARAGONは、マラバール地方特有の料理に、アラブ料理のエッセンスを加えた独特のメニューが魅力だという。フィッシュミールスのほかに、PACHA MANGA JUICEも注文。スパイシーなロウ・マンゴーのジュースで、夏場におすすめのヘルシーなドリンクだという。スパイスの風味が豊かだが辛くはなく、とてもおいしい。南インドはまた「米」が豊かで、実にさまざまな種類のお米が食されるが、ケララ州にしても然り。丸みのある粒のMatta Riceも一般的で、少し赤みがかっていることからレッドライスとも呼ばれる。ご飯の量が多すぎやしませんか? と思われそうだが、日本米のような粘りや重量感がなくサラッとしているので、軽く食べ尽くせる。
どの料理も丁寧に作られている味わいで、とてもおいしかった。が、次回は複数名で訪れ、何種類かの料理をシェアしたいと思った。
◉ランチのあと、階下のフードコートを探索。おしゃれな風情にまたしても、時の流れを実感する。そして最も込み合っている店舗を見て感じ入る。というのもこの店、わたしが初めてバンガロールを訪れたときに、オートリクショーのドライヴァーに勧められて訪れたローカル食堂、SAMRATの店舗だったからだ。わたしがインドで初めて、おいしいドーサを食べたのもこの店だった。以来、幾度となく、訪れてきた。当時の旅記録を見てみれば、ちょうど20年前の6日後のことだ。今の内装よりも、この頃の方が風情があったな……などと懐かしく思われる。
◉ところで先日から、どうも看板のカンナダ語が巨大化している気がしてならない。調べてみたところ、今年に入って条例が強化され、「カンナダ語60%表示」が義務付けられている模様。なるほど、英語の看板が撤去されたままのところがあったのは、入れ替えが間に合っていない店だったというわけだ。ローカル言語や文化を重んじることに異論はないが、どうにも極端な気がしないでもない。看板業者を繁盛させている気がしないでもない。
🥎毎日毎日、書きたいことは尽きない。キャッチャーがいないのに、投げまくるピッチャーのようだと思うこともある。しかし、わたしの気づかないところで、静かにそっと、球を拾ってくれている人もあるだろう。なにより、綴ることは自分の記憶を整理し、脳みそを活性化し、ライフを調えるのに役に立つ。継続は力なり。ところでバンガロールの都市の背景、以下のサイトに簡単にまとめている。バンガロール在住の方は、ぜひお読みいただければと思う。
🇮🇳知れば楽しい。バンガロールは、こんな都市(バンガロール・ガイドブック)
http://www.museindia.info/museindia/bangalore-background.html
月曜日の朝、ミーティングのためインディラナガールへ。南北に伸びる目抜き通りの100フィートロード。かつてはこの通り沿いに、ポツポツと飲食店やブティックがあるばかりだったが、わたしが知る限りにおいても、20年前から恒常的に、いつもどこかで工事が行われている。
今は亡き、義父ロメイシュがバンガロールに「単身赴任」していた1980年代。インディラナガールは、「森の中の住宅地」という風情だったという。当時デリーに暮らしていた夫は、学校が休みのときなどバンガロールを訪れていたというが、インディラナガールは夜になると闇に包まれ、怖いくらいに静かだったと言う。その面影、今は幻。
この10年余りで変貌が著しいのは、100フィートロードに交差して東西に横たわる12th Main。かつてはしばしば、Kerala Ayurvedaの診療所に通っていたこともあり、馴染みの通りでもあった。当時、目ぼしい店といえば、ヴェトナム料理店のPhobidden Fruitと、アイスクリームのCorner House、今はなき、お気に入りだったパールシー料理店のDaddy’s Deliがあるくらいだった。しかし気づけば、通りの左右にレストランやカフェ、ブティックが林立している。
まずはランチを……と、予約をいれていないにも関わらず、12th Mainの西端に位置する4P’Sへ。一人だからカウンターが空いていれば……と思ったが、予想通り満席とのこと。仕方ない……と、目星をつけていた近くの新しい店Conçuでランチを取ることにした。ハイデラバード拠点のこの店。オーダーメイドのケーキを作る「ケーキブティック」として誕生した模様。ショーケースにはおいしそうなスイーツが並んでいるが……この日はマッシュルームとチーズのサンドイッチを注文。揚げたてのフライもおいしく、ハイデラバードにてオリジナルで作っているというKOMBU-CHAも、甘味控えめでさっぱりした味わいだ。
食後は、12th Mainを東へ歩く。FabIndia、Nicobar、Jayporeなど、なじみの店舗に立ち寄りつつ、最後にThe Shop(https://www.theshopindia.com/)でショッピング。1969年デリー創業のこのブランド。コンノート・プレイスの店舗に初めて足を運んで以来、お気に入りのテキスタイル店のひとつだ。バンガロールには、中心部に一度、開店したことがあったが、数年後に閉店。このインディラナガール店はパンデミックのあとにオープンした。衣類はじめ、テーブルやベッドリネン、インドと欧州のセンスが融合した華やかで楽しいテキスタイルが魅力だ。
このエリアのガイドマップを作るとしたら、常時改訂をせねばならないな……と思いつつ。そういえば、5年前にミューズ・クリエイションで作ったGoogleオリジナルマップも放置したまま。誰か、改訂作業に協力して欲しいものだ。『バンガロール・ガイドブック』からアクセスできます。https://lit.link/en/bangalore
🇮🇳楽しみながら濃密インプット。「百聞は一見に如かず」の視察旅行、実践編。2022/09/22
https://museindia.typepad.jp/2022/2022/09/info.html
🇮🇳インディラナガール。12th Mainが熱いのだ。2018/04/25
https://museindia.typepad.jp/eat/2018/04/12th.html
今年初の海外旅行を1週間後に控え、諸々の準備。対外的なミーティングは最低限に、主には身体のメンテナンス。NURAの健診やアーユルヴェーダ主治医からの診察、そしてメガネやコンタクトレンズの新調……。老眼の進行で見えづらくなっていたにも関わらず、久しく同じメガネを使い、遠近両用コンタクトレンズを使用していた。緊急性がないだけに、つい後回しにしてしまいがちだが、日々の暮らしの質を大きく変えるものでもあり。昨今、読書に集中できないのは、目の問題が一因だと感じ、しっかりとした読書用眼鏡(老眼鏡)も注文した。
ボディケア……といえば、かつてはスパやビューティーサロンに通っていたが、最近はすっかりUrban Company (旧Urban Clap)に頼っている。月に数回のフルボディマッサージ、そして数カ月に一度のペディキュア。といっても、エナメルは塗らず、お手入れをしてもらうのが目的。昔はよく塗っていたが、このごろは爪が痛みやすいので「素」が基本。
マッサージの際には、ベッドをはじめ、使用するオイルや使い捨てのシーツ、下着類など必要なものはすべて持参してくれる。ネイルケアにしても然り。ゆえにこちらは何を準備する必要もないが、わたしは自分の好みのオイル(アーユルヴェーダ)を準備している。
Urban Companyの創業はつい数年前だ……と思いきや、調べてみれば2014年。もう10年も経っていたとは! マッサージにフェイシャル、ネイルケア、ヘアカットにメイクアップなどのサーヴィスをはじめ、家電の修理、部屋の掃除、ペンキ塗り、ペストコントロール(害虫駆除)など、多彩なサーヴィスを展開している。
インドでは、親戚や友人知人はもちろんのこと、使用人、業者、各種修理人……と、他者を自宅に「気軽に招き入れる」のが一般的。そんな社会的背景だからこそ伸び代のあるビジネスモデル。サーヴィス開始以来、瞬く間に事業は拡大していた。
もちろん、高級ホテルのスパなどで、雰囲気を楽しみつつトリートメントを受けるのもいいものだが、自宅に来てもらえるのは時間の大幅な節約にもなるし、よりリラックスできる。廉価なのも魅力だ。1枚目の写真は、ペディキュア・スパを受けているところ。とっ散らかって見苦しい写真で失礼。このように、必要な道具を一式、持参で来てくれるのだ。ちなみに2枚目の写真は別の日に撮影したもの。エステティシャンらのクオリティも概ね高く、安心して任せられる。
ところでパンデミック時代に数多くの動画を作ったが、インドの美容についても語っている。また、インド系Youtuberの眞代さんとのコラボレーション『教えて! みほ先輩!』シリーズでも、インドの自然派コスメや美容関係について、語っていたことを先日思い出した。久々に見ると、商品の栄枯盛衰が顕著で、すでにお勧めできないプロダクツもあるのだが、非常に面白い(自分で言う)のでご覧いただければと思う。
◉インド自然派メイクアップ・コスメ(2020年7月撮影動画)坂田の雑なメイク実演。日本のMiMCのコスメも愛用。オーガニックなハーブ使用のヘアカラー
◉インドには高品質オーガニック・スキンケア製品が沢山!?インドの美容とスキンケアについて「教えて!みほ先輩!」
昨日は夫と共に、NURAでの健康診断の結果を携えて、アーユルヴェーダ診療所へ赴いた。アーユルヴェーダとは、5,000年以上の歴史を持つインドの伝統医学。サンスクリット語のアーユス(生命、長寿)とヴェーダ(科学、知恵)がその語源だ。人間を精神面、肉体面からホリスティック(総合的)に捉えつつ、健康的な状態に導く。ここカルナータカ州のお隣、ケララ州がアーユルヴェーダ発祥地で、無数の診療所や関連施設がある。バンガロールにも、大規模な病院や滞在型の施設、診療所などが多々ある。
わたしは約15年前に、視察旅行でケララにある診療施設を数カ所訪れた。当時は、欧米、特にドイツ語圏からの患者を受け入れているところが多く、アーユルヴェーダと歯科治療がパッケージになったメディカルツーリズムのシステムも構築されていた。数カ月から半年と、長期に亘って滞在する患者も多い。西洋医学では完治できない疾患や後遺症(精神疾患含む)に苦しむ患者を受け入れ、母国の主治医とオンラインでカルテを共有しつつ、治療を施す様子に感嘆したものだ。
我々夫婦は、2009年の終わりから10年以上に亘り、毎年年末年始に、バンガロール郊外のホワイトフィールドにあるAyurvedagramという療養リゾートに約1週間滞在、心身のデトックスをして新年を迎えてきた。アーユルヴェーダは、専門医による問診、脈診、触診により、個々人の体質を見極めてもらう。オイルマッサージや生活習慣、食習慣の改善、生薬の処方などにより、健全な心身状態へと導かれる。わたしの『インドでの食生活と健康管理』のセミナーでも、冒頭で詳しく言及している。
🏀
わたしは中学時代にバスケットボールで腰痛を発症して以来、久しく悩まされてきた。20代、30代と悪化の一途をたどり、米国在住時は整体、カイロプラクティック、鍼灸などさまざま試した。しかし決め手となる治療法には辿り着けず、年に数回、ぎっくり腰のような状態になった。40代に突入後、将来を懸念しつつのインドに移住。しかし、バンガロールに暮らし始めた直後にアーユルヴェーダのオイルマッサージを受け始めてから、わずか半年程度で、痛みに苛まれることがなくなった。
しかし去年の後半から、更年期や老化に伴う、異なる原因による腰痛が再発している。デスクワークも不調の一因だ。現在は、カルシウムやヴィタミンDを意識的に摂取し、軽い筋トレも始めるなどして改善を試みている。
わたしの母もまた、アーユルヴェーダの恩恵を受けたひとり。2010年夏、膝を痛め、日本のドクターからは、手術以外の治療法はないと言われ、ヒアルロン酸による応急処置を受けていた。母から手術をするとの旨、電話で聞いたとき、まずはアーユルヴェーダの治療を受けてから考えて欲しいと伝えた。バンガロール空港に降り立ったときの母は、杖をつき、歩き方も覚束なかった。しかし、約1カ月足らずの生薬による治療で完治。杖なしで歩けるようになった。その後、2014年に来訪した際に数週間のトリートメントを受けたきり。10年が経過し、85歳になる現在も自力で歩けている。
食生活にしても然り。わたしはインドに移住して以来、極力、素材を丸ごと食する、すなわち「ホールフード(whole food)」を調理して食べてきた。野菜はなるたけオーガニックのものを。調味料はシンプルに、素材の味を生かす。
母の滞在中には、母にもそのような食生活を勧めてきた。幕内秀夫著の『粗食のすすめ』も読んでもらった。コスメティクスなども、インドの自然派プロダクツを送るなどして、かなりインド化している。また食材は、過去20年近く、福岡の産地直送の有機野菜を扱う宅配サーヴィスを利用している。そのおかげか、85歳になる今も、「薬を1錠も飲むことなく」一人で生活している。もちろん、視覚や聴覚に衰え、物忘れはあれど、それは誰もが直面する老化であり、特筆すべき問題ではない。
家族以外の友人知人たちも、アーユルヴェーダに救われた人たちは数多くいる。ありがたいことだ。
この写真は、診療所の一隅に祀られていたアーユルヴェーダ(ヒンドゥー医学の神様)であるダンヴァンタリ (Dhanvantari)。ヴィシュヌ神の化身でもある。
過去15年に亘ってわたしたちの心身を診てくれているドクターが、アーユルヴェーダグラムを辞めて、故郷のケララに拠点を移されたことで、わたしたちの年中行事も途絶してしまった。ドクターは1カ月に1、2回、この診療所にいらっしゃることから、約2年ぶりにドクターからの診察を受けることにしたのだった。
NURAの検査結果を見てもらいながら、さまざまな提言を受ける。ドクターは決してアロパシー(西洋医学/対症医学)を否定するわけではなく、症状に応じて両方の選択肢を提言してくれるところが、個人的に気に入っている点でもある。パンデミック以降、ここ数年はデトックスをする機会がなかった。今年の後半は時間を作って、ケララ州の療養所へ赴き、久しぶりに全身をリフレッシュしようと決めた。
診察を終えたあと、お気に入りのCINNAMONを訪れ、中庭のカフェでランチ。わたしが先日のモールで食したパスタとほぼ同じものを、夫が注文。昔から、食の嗜好が似通っているのだ。食事のあと、ブティックですてきなシャツを見つけた夫はショッピング。さて、来週は海を越えて、未踏の国へ旅に出る。そろそろ準備を始めなければ。
昨日は、ミューズ・クリエイションのメンバーと共に、またしてもショッピング・モールへ。わたしのコーディネーションでモールを探検することになっていたのだ。参加者は、学生3名、駐在員夫人5名、女子(10歳&5歳)、わたしの計11名。ちょうどいい人数だ。
目的地は、昨年終盤に開業したバンガロール最大のショッピング・モール「Phoenix Mall of Asia」。わたしは、開業の直後に一度訪れたきり。当初は半分程度の店舗しかオープンしていなかったが、現在は高級ブランドのフロアを除き、大半が稼働している。ショッピング・モールにありがちなフードコートだけでなく、独立店舗の飲食店が充実していることでも評判だ。
異国で買い物をするに際しては、ブランドや商品の知識がないと、何を選んでよいかわからないケースが多々ある。生鮮食品の品目にさえも、予備知識の有無によって食卓の豊かさが変化する。まずはスーパーマーケットを巡った後にランチ休憩、その後、モール内の店舗を巡ることにした。
ツアーを開始する前に、約10分ほどインドの消費市場の変遷を説明。買い物に関心があるという10歳の女子にもなるたけわかるように、歴史を含め、概略を説明する。
①1947年のインド・パキスタン分離独立以来の社会主義的政策と商品の傾向
②1991年の市場開放、自由経済による外資の流入(ソビエト連邦の崩壊と資本主義世界への移行)
③IT都市としての、2000年ごろからの急速なバンガロールの都市化
④2005年ごろから増え始めたショッピングモールとその構成の変遷
⑤「インドならでは」の価値観が反映されたブランド、人気商品の傾向
……と、要約すると堅苦しい印象だが😅 このあたりをわかりやすく説明した後、スーパーマーケットの探検開始。午前中とあって、祝日ながらも人は少なく、広々とした店内をゆっくりと巡る。みなさんからの質問に答えつつ、わたしのお勧めの商品などもあれこれと紹介。気づけばあっというまに2時間が経過。そこからイタリアン・レストランでランチ。わたしはマッシュルームとクリームのフェットチーネを(クリーム&塩分控えめで)注文したのだが、パスタも味付けも、想像以上においしかった。
店舗巡りは、フロアごとに攻めていく流れに。ファッション、コスメティクス、ジュエリー……と、あらゆるジャンルの店が並ぶ中、特筆すべき店のバックグラウンドや特徴を次々に紹介、お勧めのブランドは店内に入り、商品など具体的に説明する。今回は、途中で自由解散としていたので、子どもたちは早い段階で離脱かな……と思いきや、10歳のお嬢さんが好奇心旺盛で、スーパーマーケットでもコスメティクスのショップでも、なかなかに的確なコメントを発していた。大人もさることながら、子どもたちが偏見なく審美眼を養っている様子を見るのは、非常にうれしいものだ。
ちなみに5歳のお嬢さんは、男子学生の一人をロックオン💘。ほぼ「初デート」状態で、楽しそうだった。11時集合で、気づけば5時近く。解散後も、自分の買い物などをして、すっかり長居をしてしまった。もう一人のインターン大学生も、購買意欲に火がついたとのことで、8時ごろまでモールで過ごしたという。みな、とても有意義な時間を過ごせたと思う。
我々夫婦がバンガロールに移住直後の2005年11月時点。大型ショッピングモールといえば、2004年創業のForum Mall (現Nexus Mall)とBangalore Central、2005年創業のGaruda Mallの3箇所だけだった。消費市場が大きく変化を遂げ始めた当時から10年ほどは、日本の広告代理店やメーカー、リサーチ会社などからの依頼による、バンガロールはじめ、各都市の視察コーディネーションや市場調査の仕事が多かった。
また、1991年の市場開放以降のインドのトレンド年表を作成するという一大プロジェクトに関わり、相当な時間とエネルギーを投じて情報収集をし、膨大な資料を作成した。ゆえに、移住後の20年間はもちろんのこと、それ以前の情報を把握していることから、いつでも過去の事例を引き出すことができる。今となってはそれら過去の仕事の経験が、すべて宝となっている。
しかしながら……。残念なことに、日本企業の多くは、視察やリサーチに時間や予算を投入しないのが一般的。さらには止むを得ないことかもしれぬが、「現在のトレンド」だけを追いがちだ。そこには大きな落とし穴がある。
インドに限ったことではないが、「点(現在)」ではなく「線(歴史/過程)」を見なければ、多くを見誤る。社会的な背景や、文化、習慣を知ろうとしなければ、同じ場所にたとえ100回足を運んでも、インドに何年住んでも、本質を見抜けない。わたしとて、約20年住んでなお、情報の更新や軌道修正はフレキシブルに行っている。昨今ではもう、トレンドを追うことすら不可能なほどに「新しさ」が怒涛のように押し寄せる日々だ。ともあれ、持ち得る自分の知識や経験値を今後ももっと活かしたい、足腰が元気なうちは、視察コーディネーションの仕事も積極的に継続しようとの思いを新たにした一日でもあった。
ところで、店舗の看板に併記されているカンナダ語についても、背景となる物語がある。かつてYoutuber眞代さんとのコラボレーション動画で語ったので、シェアしたい。
◉インドが世界一の英語大国へ?インドの驚きの言語事情!「教えて!みほ先輩!」
昨日は、夫の買い物に付き合って、ホワイトフィールド近くにあるショッピング・モール「Phoenix Marketcity」を訪れた。パンデミック以前は、年に一度のニューヨークで夫の衣類を買うのが定番だった。しかし、2019年を最後に、米国を訪れていない。もちろん、折に触れて何かしらは買っていたが最低限。ちょうどいいサイズのズボンを購入するのが一番のミッションである。ズボンの類は試着して、丈を切るなど手間がかかるゆえ、時間に余裕があるときに……ということで、昨日、二人して出かけたのだった。
モールに2時ごろ到着し、ランチを食べた後、あれこれと店舗を巡り、途中コーヒー休憩を挟んで、さらにあちこちを巡り、帰るころには日が暮れて8時! 都合6時間もモールにいたことになる。愕然とする。夫との買い物。それは忍耐力と根気強さを試される時間。いろいろと書きたいエピソードが山ほどあるのだが、自動翻訳機能に勝手に「誤訳」されると不都合なので、大幅に割愛。
過去20年に亘っての、インドにおける消費傾向の変遷に思いを巡らせ、その劇的な変化に感じ入る。滅多に買い物に出かけない夫の、20年前から止まったままの「消費者物価指数」を強制的にアップデートしつつ。テキスタイルの品質も変化し、かつてなかった新素材もあれこれと誕生している。とめどない。
ともあれ、この日のミッションはとりあえず完了。疲労困憊。ほんと、お疲れ様でした。自分。