インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • ずっと伺いたいと思っていたPriyaのお宅へ、ついには火曜日の朝、訪れる機会を得た。コックスタウンにある我々の旧居から、彼女の家があるリチャーズタウンまでは、車で10分もかからない近距離だ。モンスーンの名残で晴れたり曇ったりと落ち着かない天候。しかし彼女の庭は、潤いを含んだ空気に包まれて、いっそうの緑の濃さを見せているようだった。

    年に2回、1月の共和国記念日と8月の独立記念日に開催されているガーデン・コンテストにおいて、Priyaの庭は、毎年受賞し続けているという。珍しい外来種をはじめ、多様性に富んだ植物が配された豊かな庭は、本当に贅沢な場所だ。

    昨今では「ガベージシティ(ゴミの街)」との汚名を持つバンガロールだが、かつてはインドで最も住みやすい土地とされ、ガーデンシティ/エアコンシティと呼ばれていた。しかし、昔からバンガロールが、緑豊かな土地だったかといえばそうではない。乾いた高原地帯だったがゆえ、バンガロールの創始者であるケンペ・ゴウダ1世は、都市形成の際に土地を潤すため、多くの人工湖を作った。

    1700年代にマイソール王国の藩主、ティプー・スルタンが、町の緑化に貢献。実は、バンガロールにある樹木の多くは、海外から輸入された外来種なのだ。市内南部のラル・バーグ植物園を訪れると、その歴史を垣間見ることができる。1800年代の英国統治時代には、バンガロールは駐屯地として形成され 「暮らしやすい町」となった。緑豊かな広い庭の中央に、平屋一戸建ての邸宅(バンガロー)がポツンと立つ。それがこの街の風情であった。

    上空から見れば街は緑に覆われ、道路さえも見えず。真夏でも日光が遮られ、風は木の葉を擦り抜けて軽く涼しく、まさにエアコンシティだったわけだ。Google Mapの衛星写真が見られるようになったばかりのころ、バンガロールを空から見た。今よりも遥かに、緑に覆われたエリアが多かった。当時はスクリーンショット、が撮れず、記録が残せていないのが残念だ。

    そんなバンガロールに変化が見られ始めたのは、1991年のインド市場開放(経済の自由化)以降のこと。

    今世紀に入り、インドのシリコンヴァレーとして、世界の注目を集め、欧米企業が次々に進出。都市化に伴い、人口は急増。2001年の国勢調査時には、500万人を切っていた人口が、現在1400万人を超えている。東京都とほぼ同じ人口だ。わたしが知る過去20年の間にも、街はすさまじい勢いで東西南北全体に拡張し続けている。

    ちなみに人工湖の大半は、インド独立以降の近年、蚊が多発するなどの理由もあり、次々に埋め立てられた。バンガロールはあらゆるインフラストラクチャーが不全だが、水資源にしても然り。雨季には大量の雨が降るのに、効率的な貯水の施設がないから、毎年、水不足が懸念される。

    ケンぺ・ゴウダ国際空港のターミナル2が開港する前、植樹に赴いたときの記録を残している。この空港の植物もまた、古来からインドにあるものだけでなく、日本を含む世界各国から運び込まれたもので構成されている。諸々、詳細を記したいところだが……尽きない。

    我が家の庭は、猫(ROCKY)がハイビスカスなどの蕾を食べてしまうので、花を植えなくなってしまったが、もう少し彩り豊かに手入れをしたいものだと改めて思わされた。新居の庭は来年あたり、造園をする予定だが、日本庭園風にするか、イングリッシュガーデン風にするか、まだまだ悩み中。Priyaの美しい庭にも触発されて、どうなることやら。

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  • バスルームズの改装工事に伴い、日中はほぼ引きこもっていたこの1カ月余り。もう、これ以上、外出を控えるのは嫌すぎる。轟音、騒音、絶大なる埃のプロセスは収束傾向にあり、最後の仕上げ段階に入りつつあることから(しかし、ここからが、長い!!)、現場監督はドライヴァーに任せ、わたしはタクシーで外出だ。

    壁画交流プロジェクトまで1カ月を切り、そろそろ本気出しての準備にかからねばという段階。やることは数多あるが、2012年の創設以降、ミューズ・クリエイションで数々のイヴェントを実現した経験値を生かしつつ、プランニングやマネジメントを行っている。わたしを含め、30名近い実行委員が集まってくれたのは心強い。ただ、かつてと異なるのは、毎週金曜日にメンバーと集い、顔を合わせていたSTUDIO MUSEという場がないこと。現在は、ほぼすべてをWhatsAppグループを利用してやりとりしている。

    逆にいえば、このWhatsAppグループ機能がなく、かつてのようにEメールでのやりとりだったら、スピード感が劣るし、既読か否かもわからず、同じような段取りでイヴェントを実現できたかどうかあやしい。そう思うと、テクノロジーに感謝である。

    月曜日は壁画交流プロジェクトの会場となる市街北部、EKYAスクールByrathi校へ赴き、キャンバスとなる壁の塗装準備を確認する。浅いスカイブルー。ここに子どもたちの絵が描かれる。準備は着々と進んでいる。学校の先生方も、訪れるたびに話が弾み、このプロジェクトが今回に留まらぬ、未来に繋がることを実感させられる。

    EKYAスクールByrathi校を出た後は、進路を南へ。バンガロールへ来訪されている笠井亮平さんとランチをご一緒するために、久々にバンガロール・クラブへ赴く。『インド独立の志士「朝子」』はじめ、インド、南アジアに関するご著書や翻訳本を精力的に出版されているスペシャリストだ。笠井さんとは2022年に初めて東京でお会いして以来、バンガロール、東京、福岡……とお会いしてきた。その度に話題が尽きず、旅情もまたかき立てられる。インドに20年暮らしていても、まだまだ未知の世界の方が圧倒的に多く、いつものように「人生が足りない……」と思わされる。

    🖋話題はインドにとどまらず。今回は「20世紀前半まで」で終了。次回を楽しみに!

    英国統治時代の面影そのままの、コロニアル風情漂うダイニングにて。わたしはシーフードミールス(定食)を、インド風中国料理もお好きだという笠井さんは、チャイニーズを注文されていた。食の歴史もまた外交史に結びつくわけで、これにまつわる話も面白く、インド独自の中国料理世界も深い。わたしは今回、バンガロール・クラブのシーフード・ミールスを初めて食べたが、地味な見た目とは裏腹に、非常においしかった。ご飯が多いな〜と思いつつ、完食。

    日本でいうならば「昭和っぽい」メニュー構成で、チャイニーズにせよ、洋食にせよ、懐かしさをそそるものばかり。デザートは、やはり昔ながらの「カスタード・プリン」を注文。この、高温で蒸したせいで「鬆(す)」が入った見栄えの悪いカスタード・プリンこそが、懐かしの姿なのだ。ちなみに、蒸し器の湯が90℃を超えない温度で蒸すと、鬆は入りません。🍮

    水色の壁を見た後に、再びの水色の壁。ひまわりが映えて美しい。バンガロールは涼風が吹く季節、思えば日本は盛夏なのだな……と余韻に浸って帰宅すれば、未だ、ブルーシートに覆われた我が家。このブルーはうれしくない。来週には、解放されることを願いつつ🤞

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  • 今年もまた七夕がやってきた。我々夫婦の、出会記念日。

    1996年4月。英語を学ぶため1年間の滞在予定で渡ったニューヨーク。語学学校の授業が終わって放課後、ブロードウェイ沿い、リンカーンセンターの向かいにあった真新しい大型書店、BARNES & NOBLEのスターバックス・カフェで勉強をするのが、当時のわたしの日課だった。

    July 4th. 独立記念日の連休最終日。日曜の夜の込み合うカフェで、席を見つけられず、辺りを見回し、ひとつだけ、空いた椅子を見つけた。「ここに座ってもいいですか?」と尋ねた相手が、我が夫。あれから29年。

    映画『ユー・ガット・メール (You’ve Got Mail)』の舞台そのままである。メグ・ライアンとトム・ハンクスである。詳細は割愛するが、まさにあの時代であった。

    ニューヨークに渡った直後から、いや渡米前から、わたしの人生のルートは、インドに繋がっていた。

    土曜の夜は、YPO主催のパーティーへ。ドレスコードはGatsby。米作家F・スコット・フィッツジェラルド原作の『The Great Gatsby』。わたしはロバート・レッドフォード主演の同作を若き日に観た。かつて毎年ニューヨークへ行っていたころ、リンカーンセンターの向かいのホテルから、レオナルド・ディカプリオ主演の同作プレミアが開催されているところを目撃した。そのときの様子は、ブログにも書き残している。インドの超人気俳優(大御所)アミターブ・バチャンが、この映画でハリウッド・デヴューを果たし、このプレミアに来た様子を激写😁している。

    さて、何を着て行こうか……と悩んだ挙句、2001年、デリーで結婚式のファンクション向けに購入したドレスを引っ張り出した。57丁目と七番街が交差するあたりにあった、カジュアルなドレスショップ。Made in Chinaの廉価なものだったが、丈もちょうどよく、シンプルで気に入り購入した。以来、3回ほど着たきり、ずっとクローゼットにぶら下がっていた。ストールは行方不明。黒いパールシー刺繍のストールを取り出す。ビーズが取れたりしているところもあったが、遠目にはわからない。着てみれば、悪くない。

    会場はまさに『The Great Gatsby』を彷彿とさせるデコレーション。マンハッタンの摩天楼、そしてクラシックカー。1枚目の写真をトリミングしながら、あたかも天の川のような星雲が夜空に浮かんでいるのを見て、ハッとした。七夕の出会い記念日を目前に、ニューヨークでの日々が蘇る一枚だ。ちなみにシャネルのバッグ(マトラッセ)は、母から譲り受けた。30〜40年前のものだと思う。母も数えるほどしか使っていなかったはず。父が母に贈ったものであり、先日のVogueのハイティーに引き続き、家族のことをも、思い返す。

    友人たちはみなそれぞれに、Gatsbyな雰囲気満点のファッションでとてもすてき。どこで見つけたの? とエピソードを尋ねるのもまた愉し。

    我がドレスもまた、セクシーだと友人らに褒められる。結婚式のときに買った24年前のものだと言うと、より一層、褒められてうれしい。インド人女性は結婚後に大幅増量する人が少なくないから、結婚後も体重が増えていないと言うだけで、褒められるのだ。ちなみにわたしの場合、結婚したときが最デブであった。

    それにしてもだ。今回、指摘されて初めて気付いたが……背中、むっちゃ広い。これを結婚式数日前のレセプションで着用し、初めてインドの親戚に会ったのかと思うと、冷や汗が出る。あのときは確か、妹に指摘されてストールで隠した気がする。でも、当たり前だが、自分では見えていなかった。今回、この写真を撮ってもらって、初めて知った。😅

    まだまだ封建的なファッションが主流だった2001年のインドで、これを着て親戚や近親者との顔合わせに参上するとは……。本当に、知らないって、恐ろしい。

    2枚目の写真は、当時のもの。亡父も末期の肺癌を宣告されたあととは思えない元気な風情だ。来年は出会い30周年&銀婚式。久しぶりにニューヨークへ行きたいな……。

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  • 8月4日にインド入りする日本の子どもたちは、翌5日から9日までの5日間、EKYA Schoolにて、同校の生徒たちと壁画を描く。そして8月10日は完成披露を兼ねた「日本まつり」を開催する。パンデミック前に毎年開催していた「ミューズ・チャリティバザール&コンサート」の拡大版のような催しだ。ミューズ・クリエイションはEKYAスクールByrathi校と協調して、現在、鋭意準備中。この過程がまた、大切な時間でもあり。

    先日、わたしのソーシャルメディアにてプロジェクト開催の告知をしたが、そのときからさらに出演者、出展者、出店者も増えて、徐々に充実している。近々ポスターを制作し、改めて告知するが、コーラスやダンス、武道などの出し物ほか、日本を伝えるワークショップや展示会もさまざまだ。

    そんな中、個人的に「バンガロール軽音部」にて歌わせていただきたくお願いし、1曲だけ参加させてもらうこととなった。音合わせができるのは、先週と今日の2回だけ。まだ歌詞を覚え切っていないので、来月までには歌いまくって覚えねば。

    若きころは、何度か聞いたら、覚えようとしなくても覚えられていたものだ。それがもう昨今では、飽きて飽きてしょうがないほど、百万回くらい聞いても、覚えられない。しかし1000001回目くらいで、ふと、すべてが覚えられて、当分は、忘れられなくなる。だから、諦めずにそのポイントまで到達せねばならない。このことは、パンデミック時に結成し、Youtubeに何曲もアップロードした「SAREES」の歌の練習のときに気がついた。

    朝な夕なに、庭でウォーキングをするときには、歌う曲を聴きまくる。ある瞬間から、すべての演奏が脳内にコピーされ、シャワーを浴びている時などに、楽曲がパーフェクトに流れ出す……という感じ。そうなると、その演奏に合わせて歌えばよいから、速やかである。

    しかし、そこに到達するまでが、果てしない。記憶の構造はわからない。ともあれ、飽きても諦めずに、1000001回目(大袈裟)を迎えるまでがんばろう。

  • まだまだバスルームズの改築工事が終わらない中、一昨日は久しぶりに、昼間から「おめかし」をしてフォーシーズンズホテルへ赴いた。フィランソロピストのKulsumから、彼女とVogue Indiaの編集長であるRochelleが企画するプライヴェートなハイティーに招待されていたのだ。ドレスコードは、「家族の宝物:過去と未来」。

    家族から受け継いだ衣類はじめ、ジュエリーや小物などを身につけてほしいとのこと。インドにおけるジュエリーの位置付けは単なる「装飾品」に留まらない。歳月を重ねても色褪せず、朽ちることのない宝飾品は、先祖から受け継がれる伝統。匠の職人技を映すものであり、自らの出自やコミュニティの歴史を物語るものだともいえる。

    わたしは、自分のために購入した赤い京友禅サリーを着ることにした。家族から受け継いだ装飾品はは数少ないので、迷うことなくピックアップ。

    パールのネックレスは、前回の一時帰国時に福岡から持ち帰ってきた母のものだ。ビーズ刺繍のハンドバッグもまた、半世紀ほど前の母のもの。濃紺の地色のものと2種類あるが、どちらも気に入っている。指輪はわたしが27歳で独立したとき、母から譲り受けた。拙著『街の灯』(2002年ポプラ社刊)のエッセイのひとつ「ダイヤモンド」で、この指輪のことを描いている。

    バングルは、夫の母方祖母から伝わったもの。2001年7月、デリーで結婚式を挙げた際、インド家族から受け継いだ。ラホール(現在はパキスタン)出自の、百年以上に亘る一族の歴史を共にしてきた22カラットのゴールド。シンプルなデザインがとても気に入っている。わたしは身体の割に手が小さいため、手首にちょうどよく収まった。シンデレラ的である😉

    腕時計は、GRAND SEIKOのHI-BEAT。わたしの父方の祖父が約50年前に購入したもので、フレームが18金の立派な腕時計だ。実家の引き出しに入っていたのを十数年前に発掘した。ベルトはそのときに、銀座三越にフランスの時計ベルト専門店、カミーユ・フォルネで新調した。久しぶりに手に取って、きれいに磨き、準備をする過程は、静かに過去を思い返す、やさしいひとときであった。

    フォーシーズンズホテルの一隅、小さめの会場はとても親密な空気が漂っていた。友人たちが身につけているジュエリーがとても興味深く、そのエピソードを紐解くだけでも、何本もの記事が書けそうだ。「母が結婚式のときに……」とか、「曽祖母から受け継いだの……」といった具合に、ひとりひとりの出自、ルーツ、宗教、コミュニティ、そしてインドの歴史が息づいている。

    ちなみに、ムンバイやデリーで同様のコンセプトのパーティが開かれたなら、その装飾品やファッションの豪奢さはすさまじく、目がやられてしまうこと必至。指が足りないくらいに、大ぶりのプレシャスストーン(貴石)をごろごろと身につけ、肩が凝ること間違いない重量感あふれるネックレスで胸元を飾り、艶やかさ満点の女性たちで溢れかえる。その点、バンガロールは、他都市に比べると、軽やかでシンプルな嗜好の人たち多いから、日本人のわたしでも、違和感なく溶け込める。

    嗜好や志向、スタイルにも、顕著に土地柄が現れるのが多様性の国インドの面白いところでもある。

    今回、声をかけてくれたKulsum(1枚目の写真)や、編集長の若き才媛、Rochelle(3枚目の写真)はじめ、友人や知人らとの写真撮影も楽しい。京友禅サリーは多くの人たちの関心を集め、その美しさを褒めていただいた。ダイナミックな牡丹。本当にお気に入りだ。

    ところで、わたしがインドに移り住んだ2005年、インドの女性誌といえば1959年にThe Times Groupから創刊されたFEMINAが代表格だったが、2007年ごろから、次々に外資系の女性誌が誕生する。

    わたしは2006年から10年以上、日本の広告代理店や調査会社からの仕事で、さまざまな市場調査をしてきたが、当時のコスメ市場やファッションを探るべく、片っ端から女性誌を購入して分析したこともあった。ムンバイにあるVogueの出版元であるCondé Nast Indiaのオフィスにも訪問した。ついこの間のことのように思い出されるが、確か2007年の終わりごろだったか。

    昨日、書斎の大掃除中に、膨大な市場調査資料のファイルを片付けた。いずれも十数年前のものばかり。破棄すべきかとファイルを開けば、高度経済成長を遂げるインド市場の片鱗が、あちこちからこぼれ落ちる。Vogueに言及している記録もあった。捨てられない。ファイルの汚れや埃を拭き取りながら、再び書棚に戻す。

    留まるページ。流れない活字。時代は移り変われども、わたしは、手書きを尊び、紙媒体を愛す。

    思い出は溢れ、綴りたいことは尽きぬが……この辺で。

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  • いつからだろう。夫と二人での外食が減ったのは。米国在住時は頻繁に、インド移住後も少なくとも週に1度は、二人で出かけていたものだ。当時は「行きたいお店」は限られていて、選択肢は少なかった。しかし年々、バンガロールの、いやインド都市部の外食産業は、その数、ヴァラエティ、クオリティ……とあらゆる側面において、急進し続けている。歳を重ねて沈みがちな我々の「外食欲」と反比例するように、選択肢は膨大で、今や完全に胃袋が足りない。

    昨今「外食欲」が減ったのには、別の理由もある。夫のヴェジタリアン傾向だ。2020年に義父ロメイシュが急逝したのを契機に、夫は精神世界への探求を始めた。それに伴い、かつてはさまざまな肉類を食べていた夫の食の嗜好が変化した。魚介類は食べる「ぺスカタリアン」と化し、好物だった牛肉、豚肉、マトン、鶏肉……を食べなくなったのだ。

    出会った当初から、あらゆる点において共通項がなかった我々が、唯一、意気投合できるのが食の嗜好だった。それが損なわれた今、なんともはや……な状況である。最近では平日、ヴェジタリアンのインド料理を作るメイドに来てもらっている。わたしはそれを食べたり、自分のために肉料理を作るなどしている。

    夫婦の食卓。あまりにも刺激がなさすぎる。会話も弾まない。弾まないどころか、ない。

    時には気分転換を……というわけで、数日前、久々に二人で外食に出かけた。このごろは、市内の随所に「話題の新しい店」が点在する。今回は夫のリサーチによりFervorを選んだ。バンガロール市街北部、コックスタウンの旧居からほど近い、コリアン系の店舗が多いKalyan NagarというエリアにあるFervor。

    ローカルの店舗が立ち並ぶ、洗練からは程遠い、喧騒のエリアの一隅に、その店はあった。シェフのAdityaは、トロントのミシュランの星付きレストランで腕を磨き、故郷のバンガロールで初めての店をオープンさせた。欧州料理に独自の創造を加味した料理を提供しているという。先日のIZUMIもそうだが、「小さく始めて大きく伸ばす……」というコンセプトのようだ。

    キッチンで焼かれたサワードウのパン。イーストで発酵された旨味の効いたバターが添えられている。アスパラガス、ソフトシェルクラブ、そしてわたしは鴨肉のグリル……。料理はいずれも、食材の新鮮さが際立ち、洗練されていて、とてもおいしい。惜しむらくは、ワインが飲めなかったこと。

    数カ月前にオープンしたばかりだということもあり、リカーライセンスが取れておらず、アルコールがまだ提供されていない。やむなくKOMBU CHAをオーダーした。このところ、アルコール摂取量が激減したわたしでさえ、この料理にはワインを飲みたいと切望させられた。食後のデザートも非常においしく、スプーンが進む。締めくくりにダブルエスプレッソを……と頼もうとしたが、コーヒーもまだ出していないという。今後、ランチを提供するようになったら、用意するとのこと。

    インドでは一般的な、「ソフトオープニング」という名の、準備が間に合わない開店。インド外食産業のスタンダードにつき、驚かない。しかし、料理がおいしいだけに、ワインとコーヒーがないのは、とても残念だった。どちらもの準備が整ったころに、改めて訪れたい。アルコールもコーヒーも望まない方は、すぐにもお試しを。

    ちなみに改築中の我が家のバスルームズも「ソフトオープニング」中😂

    天井の塗装やら、タオル掛けやミラーの設置やら、一部、洗面台の不足など、とっちらかった状態ではあるが、現状、3つのバスルームでシャワーが浴びられる状態になった。そんなに要らんやろ、という話でもある。最後に残していた主寝室のタイル貼りが今日から始まる。すべてが終わるのは10日後くらいだろう。がんばろう。遠い目。

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  • 気づけば2025年が半分終わっている! 毎月のように旅やら展示会で濃かった昨年に比べ、今年は日本への一時帰国以外、バンガロールにいるという地味な生活だから、長く感じるものだろうかと思っていたが、そうでもないらしい。

    先週土曜のことを書こうと思っているうちにも水曜の夜。今日も今日とて、書き始めると長くなる話題だ。しかし、慌ただしかった本日。1日を穏やかに締めくくるべく、早めにコンピュータの電源を落としたい。というわけで、簡潔に。

    女性シェフのNooreshaによって、2018年に北ムンバイのバンドラにオープンしたIZUMI。わずか16席の小さなレストランから始まったIZUMIの存在は、瞬く間にインドの日本料理愛好家たちに知れ渡ることになる。その後、オープンしたゴア店には、我が夫も訪れたことがあり、おいしかったという話は聞いていた。

    今回、彼女がムンバイからスタッフを率い、食材を持ち込んで、PARTTWO(BIER CLUBの同系列)で3日間のダイニングを提供する旨、PARTTWOのオーナーであるMeenakshiから招待を受けていた。

    ぜひ行きたいと思っていた矢先、YPOが一晩を貸し切るという案内が届いたことから、今回はそちら経由で参加したのだった。シャンパンに日本酒、テキーラと、久しぶりにあれこれとアルコールを楽しみつつ、友らと語り合いつつ、アペタイザーとして運ばれてくる小皿料理や巻き寿司などを楽しむ。

    テーブルでは柔らかなチャーシューと味玉、そしてがっつりの旨味と程よく塩が効いた「とんこつラーメン」を楽しんだ。このスープは本気。かつて一度実施した「とんこつラーメン研究会」。大量の豚骨を10時間以上煮込んだあの情熱と味わいを思い出した。

    キッチンカウンターで、しばしNooreshaと話ができたのは幸運であった。彼女から聞いた話など、あれこれと記したいところだが……。今日のところはこの辺で。ちなみに、彼女はあちこちのメディアで取り上げられており、Nooresha, Izumiで検索すれば、たくさんの関連記事が出てくる。

    ムンバイかゴアを訪れた際には、ぜひともIZUMIを訪れ、今度はじっくりと、料理を選んで味わいたいと思う。

    🍜「バンガロールとんこつラーメン研究会」始動。(2017/07/29)

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  • 8月上旬に開催する日印こども壁画交流プロジェクト。ソーシャルメディアでは2週間前に告知したばかりだが、今年に入って少しずつ、準備を重ねていた。金曜日は、舞台となるEKYAスクールのByrathi校でミーティング。これまで幾度か訪れてきたが、今回は壁画が描かれる壁の準備の進捗を確認する。

    折しも、学校の校舎全体の塗り替え時期と重なっていたことから、壁画となる壁のコーティングや、下地の塗装も速やかに準備してもらえている。薄い水色の具合を確認。この壁をキャンバスに、こどもたちが全身で描く様子が脳裏に浮かぶ。

    画家の西森禎子氏より、あらかじめ参加する20数名のこどもたちの画力を知りたいということで、絵を描いてもらうよう依頼していた。それを受け取り、日本へ発送する。これまで半世紀以上に亘り、「ゼロの誕生」をテーマに作品を手掛けられていた西森氏。彼女からの依頼に基づき、以下のようなリクエストのもと、描いてもらった。その作品の数々を目にして、すでに、心が沸き立つ。絵の裏には説明を書いてもらっているので、背景もよくわかる!

    これら絵を展示するだけでも、一つのプロジェクトになりそうで、すでに、とてもうれしい。一旦、すべてを日本に送るが、またインドに持ってきてもらい、プロジェクト最終日の『日本まつり』にて、展示しようと思う。

    India, where the concept of ‘0’ was born, is a country that reminds us of the ‘birth of life’ since ancient times. With this in mind, please draw a picture you would like to paint based on the following matters.

    1. A natural scene that evokes the image of ‘birth of life’.

    2. The world of Indian epics

    3. Indian folk costumes and traditional life

    4. Festivals and rituals symbolising India

    5. Typical Indian crops (vegetables, fruits and grains)

    6. Animals and birds typical of India

    7. Industry in India (Bangalore) for the future. For example, aerospace, technology, sustainability, etc.

    現在、実行委員会のメンバーも増え、支援金も少しずつ集まり、協力の輪が広がり始めている。EKYAスクールの先生方によると、こどもたちや保護者からの期待が大きいとのこと。Byrathi校だけでなく、他の5校の生徒や保護者たちも『日本まつり』に参加される予定で、みな、とても楽しみにしてくれている。

    「こどもが主役」の同プロジェクトを通して、日本とインドの文化交流が育まれることを強く願う。残すところ1カ月余り。いよいよ本腰を入れる時機だ。近々、新しいフライヤーも作成し、こちらにもシェアする予定。なお、2週間前にシェアした企画書の1ページ目。しかしあれから、後援 (Supporter)も、少しずつ増えている。出展/出店者、演者たちも着実に集まっている。

    💝引き続き、みなさまからのご協力をお待ちしています。

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  • 夫の母は、慢性白血病を患い、40代の若さで他界した。

    夫の父は、急な心臓疾患により、79歳で他界した。

    私の父は、肺がんにより、66歳で他界した。

    みな、意識は、概ねしっかりしたまま、この世を去った。

    翻って、我が母。現在86歳。気づけば結構な高齢者。

    幼いわたしに向かって「美人薄命だから、わたしは早く死ぬの」と、無駄に子どもの恐怖心を煽っていた人が、10月には87歳になる。

    パンデミック時代の引きこもりもまた、認知症の症状を加速させたと思う。

    記憶が崩れゆく親を見守るのは、なかなかに辛い。3月から4月にかけての約1カ月間、母の白内障手術に伴い、一時帰国をした。このごろは、半年おきに帰国しているが、その都度、自分の精神力を試されているような心持ちになる。

    同時に、自分の未来を考える。

    母は1年余り前に認知症で要介護1とされ、今年もまた、それを更新した。週に2回のヘルパーさん来訪と、週に3回のケアセンター訪問。平日はお弁当の宅配を利用している。そして妹の差し入れや料理、サポート。

    母とは毎朝、メッセンジャーで挨拶を交わし、1日数回は監視カメラで動向をチェックし、週に何度かヴィデオコールで話している。そのときには、比較的、普通に話せるのだが……。昨日、妹から、ごはんが炊けなくなった、味噌汁が作れなくなった……と聞いて、これはさすがにショックだった。

    お弁当の宅配は、一時帰国時の3カ月前に開始したばかり。そのときにはご飯と味噌汁を自分で作ればいいからと、おかずだけのメニューを選んでいた。しかしそれも、早晩、見直す必要がある。

    母には、できれば最期まで、自宅で過ごしてほしいと思っている。その願いが、叶うように、ヘルパーさんの来訪を増やすなどした方がいいかもしれない。次の一時帰国は9月下旬。風景は、移ろう。

    まだまだ先のことだと思っていた還暦が、まもなく自分にやってくるのだ。驚くほどの速さでやってきたのだ。母がボケたって、何ら不思議はない。不思議はないけれど、この事実を受け入れて消化して次のステップに進むのには、それなりの気合がいる。

    生きとし生ける人間の、ほとんどの人間が、経験するであろう親の老化と、自分の加齢。これが同時に来るということの、当たり前すぎる、無常。自分の心身、強くあらねばと思う。

    親から離れた土地で暮らしていれば、できることは限られる。その限られた中で精一杯を、自分の悔いが残らぬように、模索し実践し続けるしかない。

    2014年、NORAが我が家に来た直後、母が最後にインドを訪れ、3カ月ほど滞在した。母にとって、NORAは唯一の、親しい猫。今朝、メッセンジャーで写真を送ったら、

    「おはよぅございます

    ノラだ、みんなー、仲良く

    してるねー」

    とメッセージ。一番親しかった自分の妹の名前は思い出せないのに、ノラの名前がスッと出てくる不思議。人生って、なんだろう。

    ともあれ、猫らには、本当に救われている。

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  • 嗚呼。怒涛のバスルームズ改築工事は終わりが見えるようで見えなくて、もう、「人生ってなに?」と問いたくなるような毎日を送っているが、それなりに、元気です。🤯

    夫は現実逃避を兼ねての出張旅@デリー宅。猫らはブルーシートに覆われた異空間に興奮し、特にボーイズは庭に出していても破壊されたバスルームの窓から侵入して家の随所に隠れるなど、更なるトラブルを創造してくれる。本当に、勘弁して欲しい。

    平日の外出は最低限、先週、今週と、日曜日は「日帰り」で新居へ行き、簡単に掃除をして、午後はSTUDIO MUSE(ミューズ・クリエイションの活動日)としている。

    『壁画交流プロジェクト』の最終日に実施する『日本まつり』では、チャリティ・バザールを行うので、そのための作品作り。それに加えて、ステージパフォーマンスの一環として、ダンスも披露する。

    地下の「多目的すぎるホール」。現在の主役は雛人形。彼らに見守られながらのダンス練習。なかなかにシュールな情景だ。

    「初心者でも簡単に踊れるから、気軽にね〜」

    とか言ってる割に、音楽が流れ始めると、本気スイッチが入る我。

    「肘の力、抜いて!」「身体の角度、もうちょっと前に!」

    とか、ついつい指示出しをしてしまう体育会系を許せ。人に教えるとなると、わたしも本気モードとなって、普段よりもテキパキと練習するから、汗が流れる。いい運動だ。

    ともあれ、初練習にもかかわらず、コツを掴んでもらえてGreat! あとは自主練で覚えればノープロブレムという感じ。

    手工芸チームも、自宅作業用に布を選んで裁断してもらったり、書道短冊の短冊作りをしてもらったり、諸々、進展があった。特に、以前、日本で購入していた「コットンパール」の大量の素材が、ようやく形になりそうで、うれしい。

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