インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    インドのデルタ株「第二波」が収まって初めて、昨日は小さな宴を開いた。

    隣接するケララ州やムンバイのあるマハラシュトラ州で、現在、第三波の兆候が見られることから、金曜日になって、ここカルナータカ州も夜間の外出制限が発令された。ゆえに、宴の集合時間を午後5時に繰り上げ、8時には解散という、超ヘルシーな集いとなった。

    常々記しているが、去年3月のロックダウンを機に、インドではEコマースのサーヴィスが益々拡充、食材の「選択肢」も「販売網」も、数年前には考えられなかった利便性の高まりだ。

    昨日は早起きをして、ロックダウン以降、わたしの書斎と化しているダイニングルームを片付けて本来の姿に掃除。その後、しばらくキッチンの篭った。久しぶりにロールケーキのスポンジを焼く。オーヴンを稼働させるのも久しぶりのこと。甘い香りが漂う中、今や不可欠となった日本食材の供給源maindish.inから届いた魚などを捌く。

    ひと段落したところで、90分のオンライン・ダンスレッスン。数カ月前に始めたボリウッドダンス・エクササイズのBOLLYQUEの「1周年記念ダンスワークショップ」に参加したのだ。ダンスの成果は各々撮影し、1本の動画にしてくれるらしい。

    去年はミューズ・ダンサーズとの動画を何本も作ったが、今年は踊る企画がないので、楽しみだ。形になると思うと、目的ができて、練習にもはりがでる。歌と同じで、ダンスも、何度も何度も繰り返して見て身体を動かさないと覚えられない。時間の隙間を見つけて何度も繰り返し踊ることで、エクササイズにはなっていると思う。痩せんけど。

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    昨夜は、久々の集いだったということもあるが、パンデミック下、タフな環境で尽力されていた方もお招きしたので、奮発してお刺身も多め。先日紹介したうなぎ、それから豚バラの料理なども。参考までに以下、記しておく。

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    ◉maindish.inから届いた冷凍の刺身。解凍の方法がポイント。水っぽくならないよう、キッチンペーパーに包んでタッパーなどに入れ、「冷蔵庫」でゆっくり解凍。半解凍の状態で切って、再びキッチンペーパーの上に載せておくと、水っぽくならない。

    ◉うなぎ蒲焼は、我が生まれ故郷の熊本で、すでに味付けされたものが冷凍パック入りで届く。味付けが「控えめ」なところがありがたい。昨夜は愛用マニプールの石鍋で調理。クッキングシートに並べ、「酒」を軽く振りかけて蒸し焼く。

    ◉豚バラ肉は、アラハバード有機農業組合でお米と共に注文したお気に入りの「テンメンジャン」をベースに、醤油や酒、ミリンなどでマリネ。見た目、よくわからないが大根、コンニャクのスライス、GourmetGarden.inの小松菜などが入っている。

    ◉アラハバード産、合鴨製法によるアキタコマチ。昨今の日本のお米は無洗米とか軽洗米があるようだが、これは昔ながらのお米につき、きちんと研ぐ。コツは、しっかり30分以上は水に浸したあとに炊くこと。炊く時の水も多めに。調理器具によっても炊き上がりが異なると思うので、何度か実験して「ベストの炊き方」を追求されることを勧める。このお米、ゲストにも「甘味がある」「おいしい」と、大好評だった。

    ◉トウモロコシは、皮付きのままオーヴントースターでしつこく30分くらい焼く。時間はかかるが、放置していればよいので簡単。たまに皮に引火して炎🔥が上がるので要注意。

    ◉見た目は地味だが、GourmetGarden.inのベルペッパー(Sweet Snacking Peppers)は、実に美味ゆえお試しあれ。まずは何もつけずにかじることをお勧めする。刺身の傍に添えたスプーンレタスやカイワレもGourmetGarden.in。

    ◉久々のロールケーキは抹茶入りクリーム。この抹茶、仕事の関係でいただいたサンプルで、京都のお茶屋さんの本気な抹茶なのだ。インドの乳脂肪たっぷりのビニル袋入り生クリームに、ほんの少しラム酒を入れ、抹茶を加える。贅沢な使いっぷりだ。風味と苦味、甘みのバランスが絶妙で、上出来だった。

    ◉お土産にいただいたSMOORのスイーツ。どれも好みのお菓子にて、うれしい。

    ◉お土産にいただいたアルコール。初めて味わう焼き芋焼酎。ほんのり甘く旨味があって、これもおいしい。

    ……と、瞬く間の3時間。全然、時間が足りないねと言いながらの解散だ。夫と二人だと、料理にもなかなか気合も入らない。しかし、宴を開くとあれば、準備をするのも楽しい。

    みなで食べるごはんはまた格別だな……と、当たり前に集えなくなった今、改めて思うのだ。

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    🌏鰻で世界旅の夕餉。ニューヨーク、熊本、福岡、バンガロール
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/06/unagi.html

    🌾「アラハバード有機農業組合」(AOAC)
    北インド拠点の「アーシャ=アジアの農民と歩む会」を通して、COVID-19で困窮する農村の人々への支援を!
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/06/aoac.html

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    わたしは学生時代、バスケ部だったということもあるが、日本女子チームの健闘は、殊の外うれしい。というのも、ここバンガロールで2017年、2019年と「FIBA女子アジアカップ」が開催され、どちらの年も「大接戦の末」、日本チームが優勝した試合を目の当たりにしたからだ。

    今回出場した髙田真希選手はじめ、本橋菜子、林咲希、馬瓜エブリン、宮澤夕貴、赤穂ひまわり選手が、バンガロールの土を踏んでいたというだけで、親近感が高まる。

    思い出の写真を発掘……。

    前半の写真は2017年。手作りの「日の丸シール」を大量に作って応援に行った。髙田真希選手の笑顔もある。後半は2019年。2年前が遠いなあ。アルヴィンドも一緒だった。

    最後の写真はおまけ。バンガロールにあった日本人バスケットボールチームの元キャプテンKEN-CHANと。わたしはといえば、2回ほどしか練習に参加したことがないのだが、パッと見、あたかもできる風。てか男二人にしか見えない😅

    コートに響くボールの音、シューズが擦れる音……を耳にするや、瞬時に記憶が蘇り、自分が動ける気になるから危ない。こうして眺めているうちにも、ドリブルしながら駆け出したくなる。ほんと危ない。やめて。⛹️‍♀️

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    🏀FIBA 女子アジアカップ 2019🇯🇵日本優勝!!(2019年9月29日の記録@インスタグラム)

    一昨年に引き続き、今年も優勝で四連覇! 中国チームとは接戦で、終盤までどう転ぶかわからない展開だった。なにが驚いたかといえば、観客席を埋め尽くす中国人の応援団。

    バンガロールに、こんなにも多くの中国人がいたのか?! と驚愕するほどだ。声援の息がそろっていて、観衆の迫力は、日本よりも圧倒的に優勢。

    アウェイ感を否めない観客席にて、中国人軍団に負けまいと、元バスケ部の我は叫びすぎた。コート10往復くらい走った気分だ。だいぶ疲労困憊。
    試合全般を通し、中国人選手はみな、比較的落ち着いていて、得点こそ少なかったがミスも目立たなかった。一方、日本チームは、全体に焦りがみられ、シュートミスも少なくなかった。ゆえに、優勢のときでさえも気持ちが落ち着かず、試合全般を通して、ハラハラし続けた。

    その果ての勝利だっただけに、感激もひとしおだ。

    選手のみなさん、本当にお疲れさまでした!!

    試合終了の興奮冷めやらぬ中、スタジアムで会った野坂夫妻と「播磨」で夕食。🍻乾杯のビールがおいしい! 🍚料理もおいしい! 日本チーム優勝を祝してのデザート(パンケーキ風どら焼き)もサーヴィスで供されて、とてもおいしくいただいた。ごちそうさまでした!

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    🇯🇵今年も8月がきた。日本を離れて25年間。わたしは一度も8月の日本に帰国していない。故国の盛夏の記憶は彼方になれど、毎年毎年、同じようなことを、綴り続ける。大切だと思うことは、何度でも、同じことを訴え続ける。

    異国に暮らし、異国を旅するにつけ、なるたけ偏りの少ない視点から、歴史を学ぶことの大切さを実感する。学生時代、日本史にも世界史にも大して関心を持たなかったわたしが、しかし社会人になり、海外旅行のガイドブックを制作する編集者になってからというもの、紹介する国の背景について、学ばざるを得ない状況になった。

    初めての海外取材は台湾だった。そして、シンガポール、マレーシア……。どの国にも大東亜共栄圏の面影が残り、第二次世界大戦が身近にあった。

    あの初めての海外取材から33年。訪れた国は、多分40カ国を超えているが、どこを訪れるにしても、その国の歴史や文化、イデオロギーなどの背景を知ることが大切だと実感する。背景を知らずして、現在を知ることはできない。

    軽やかな観光の楽しみ方を否定するわけではない。しかし、食文化にせよ、芸術にせよ、ライフスタイルにせよ、背景を知ると、よりその国を深く理解することができ、同じ対象を見るのでも、感じ方が大いに異なる。

    さらに言えば、その国に暮らすことになったら、あるいはビジネスをすることになったら、表層的な理解だけではすまされない。

    インド生活が16年目となった今なお、この広大無辺の国インドをはじめ、国々の歴史に学ぶことの多い日々。

    ここ数年のセミナーでは、特に若い世代の人たちに向けて、せめて明治維新以降153年の歴史、概観を、学んでおく方がいいと伝えている。無論、わたし自身、まだまだ勉強不足で、これから学ばねばならないことも多々あるのだが……。

    現在の日本。日韓、あるいは日中の軋轢についても、日米の関係についても、何もかもが、第二次世界大戦の負の遺産が、まとわりついている。

    ……ここでは、8月6日という日に因んでの、過去の記録を以下、転載する。ぜひ、読んでいただきたい。

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    🙏8月6日。広島に原爆が落とされた日。 まずは2014年の記録を転載。 

    ワシントンD.C.に住んでいたころのこと。2004年2月、完成してまもないスミソニアン航空博物館(スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター)を訪れた。スミソニアンの博物館群は、ワシントンD.C.市内にあるが、2003年12月、この別館が、ワシントン・ダレス国際空港の近くに新設されたのだ。特に航空機に関心があるわけでもないわたしが、オープンしたばかりのそこに足を運んだのには、理由があった。

    エノラ・ゲイを、見たかったのだ。

    レプリカではない。広島に原子爆弾「リトルボーイ」を運び、投下したB-29、エノラ・ゲイの「実物」だ。

    あの日、目にした光景は、受けた衝撃は、未だに鮮明だ。以来、毎年この日になると、あのとき記した言葉を、そのままブログに転載してきた。今年もまた転載する。ただし、今年は今までとは違って、少し書き加えておきたいことがある。

    実は先日、百田尚樹の『永遠のゼロ』を読んだ。戦地からひたすら「生きて帰ること」を望み続けていた、一人の優秀な兵士(戦闘機搭乗員)の話である。死なないために、特訓を重ね、神業のような操縦技術を身につけていた彼が、なぜ終戦間際に特攻隊員として死したのか。その一人の男の生き様を、生き延びた戦友らの証言からたどっていく物語だ。

    第二次世界大戦にまつわる史実などの描写については、すでに知っている事柄が多かったが、以下ことは知らなかった。たとえば、神風特攻隊が乗り込んだ戦闘機が「桜花」という名前であったこと、そしてその自爆のための飛行機が、連合国側から、日本語の「バカ」にちなんで、BAKA BOMB(馬鹿爆弾)というコードネームで呼ばれていたことなど。馬鹿爆弾……。思うところ多く、ともあれ、下記に転載する。

    なお、太字による文章は、2014年に加筆した部分だ。

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    ●エノラ・ゲイ (FEBRUARY 27, 2004) 

    思いがけぬほど、その飛行機は大きく、そして美しかった。
    そうして、醜くも、忌々しくもなかった。
    そのことが、何よりも、衝撃だった。

    澄み渡った青空のただ中を、太陽の光をキラキラと反射させながら、
    この銀色の飛行機は、飛んだだろう。
    そうして、胴体をぽっかりと開いて、新しい爆弾を落とし、
    そうして、夥しい数の人々を、燃やしただろう。

    あの朝の、空の下の風景を、ここでは知る術もなく、
    多分知ろうとする人もなく。

    ただ、この飛行機は、半世紀を経て、ナチスの戦闘機や、
    日本の戦闘機を睥睨するように。

    愛らしいほどの、神風特攻隊の、小さな戦闘機などを。

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    ●エノラ・ゲイを見た。(2004年3月発行のメールマガジンより転載)

    夫のオフィスはヴァージニア州のレストンという街にある。DC郊外の、新興ビジネスタウンだ。新しいオフィスビルやアパートメントビルが次々に立ち、ここ数年のうちにも、レストランやショップなどが軒並みオープンしていた。

    さて、先週の金曜日、夫が通勤する車に乗って、わたしもレストンへ行った。夫をオフィスでおろしたあと、そのまま車でショッピングモールなどに出かけ、買い物をしようと思ったのだ。買い物の合間、思い立って、スミソニアンの航空宇宙博物館に立ち寄ることにした。

    そもそもスミソニアンのミュージアム群は、ワシントンDCの町中、連邦議会議事堂やワシントン記念塔などの観光名所がある「モール」と呼ばれるエリアにあり、航空宇宙博物館もそこにある。

    ただ、展示品が大きいだけに、多分、モールの館内ではおさまらなくなったのだろう、去年の末、ヴァージニア州にあるダレス国際空港のそばに、巨大な「別館」が完成したのだ。

    この航空宇宙博物館については、ご存じの方も多いだろう。ここには復元された「エノラ・ゲイ」が展示されているのだ。日本のメディアでもたびたび取り上げられていたのを目にした。広島県被爆者団体協議会の人たちが渡米し、地元の平和活動家らと共に抗議運動をしたとの記事も、インターネットで見た。

    わたしは、もちろん戦後生まれだが、戦争教育はしっかりと受けてきた世代だ。夏休みの登校日には、必ず戦争に関する話を聞かされたり映画を見せられたりした。家族に戦争体験を聞くという夏休みの宿題もあった。

    福岡大空襲を経験した担任教師の話も、臨場感があって、とても怖ろしかった。他の授業のことは忘れていても、先生が、防空頭巾を被って焼夷弾の雨をくぐり抜け、溝の中に命からがら避難したという話は覚えている。

    「原爆の歌」(ふるさとの町焼かれ、身よりの骨埋めし焼け土に……)とか、「夾竹桃の歌」(夏に咲く花、夾竹桃…… 空に太陽が輝く限り、告げよう世界に原爆反対を)とかいう歌は、今でもしっかりと覚えているくらい、繰り返し歌わされた。

    あまりに戦争の話が怖ろしくて、子供のころは夏の入道雲や青空を見るたびに、自分が戦争を体験したわけでもないのに、底なしの恐ろしさや虚無感に襲われることがあった。

    体験したことのない戦争だけれど、自分の国(日本)の痛ましい歴史の断片は、確かに刻み込まれているような気がしていた。

    ハイウェイをはずれ、わざわざそのミュージアムへアクセスするために施工されたらしき、真新しい道路を走った先に、そのミュージアムはあった。駐車場代だけで、一台につき、12ドルも払わされた。まずはそのことに驚いた。

    アメリカの、こんなに土地の有り余った場所で、駐車場代を12ドルも払うとは。無論、スミソニアンのミュージアムそのものは無料だから、多分道路の工事費とかそういうものの赤字を埋めるための、それは駐車場代だろうとも思った。

    広大な駐車場の向こうに、巨大なメタリックの建物が、青空に映えて美しい。上空ではダレス空港に飛来する飛行機が行き来している。わたしは、少し身構えるような心持ちで、車を降り、エントランスへ向かった。

    エノラ・ゲイ。

    わたしの想像の中で、その飛行機は、忌々しく、醜いはずのものだった。罪なき十数万人の命を一瞬にして奪った、残酷な飛行機。それをこれから見るのだと思うと、胸の鼓動が高まった。案内のパンフレットを受け取り、その広大な展示場に出る。

    第二次世界大戦のコーナーは、入館してすぐの場所を占めていた。そこで、ひときわ大きく、格好のいい銀色の飛行機が目に飛び込んだ。尾翼に大きく「R」の文字があり、胴体に「82」という数字と星印がある。

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    その大きな飛行機の周辺に、主翼に日の丸のある日本の戦闘機が数機と、それからナチスのマークが入ったドイツの戦闘機などが展示されているのが見える。

    「1941年、日本軍による真珠湾攻撃を機に、米国は第二次世界大戦に参戦した……。」そういう文章で始まる案内を一通り読んだあと、まずは日本の戦闘機を眺める。

    ※スミソニアンのサイトを調べていて、この戦闘機が、『紫電改』という名であったことを知った。この名前は『永遠のゼロ』を読んで初めて、戦闘機の名前だったということを知った。零戦と並ぶ有名な戦闘機だったらしい。

    カネボウ化粧品が「紫電改」という名の育毛剤を発売したとき「変わった名前だな」と思ったが、まさか戦闘機の名をさしているとは、思わなかった。個人的に、受け入れ難い、センスだ。

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    翼が極端に小さく、飛行機と言うよりは、まるでミサイルみたいに小さな「クギショー」と言う名の戦闘機があった。

    それは特攻隊の乗っていたものだという。説明書きには、「終戦までに5000人のパイロットが特攻(Tokko Attack) によって戦死した」と記されている。

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    ※これもまた、『永遠のゼロ』を読んでわかったのだが、この戦闘機の名前は、クギショーではなく「桜花(Ohka)」であった。なお、Kugishoとは、海軍航空技術廠の略、「空技廠」のことらしい。

    「機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器で、母機に吊るされて目標付近で分離し発射される」「いわゆる人間爆弾である」と、wikipediaには紹介されている。

    さて、エノラ・ゲイはいったいどの飛行機なのだろうと、コーナーをぐるりと回り込んで、息をのんだ。

    最初に目に飛び込んできた、あの銀色の飛行機の操縦席近くに、「ENOLA GAY」という文字が記されているではないか。

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    これが、エノラ・ゲイ?

    わたしは、非常に混乱した。

    なぜなら、エノラ・ゲイは、醜くも忌々しくもなく、むしろそれは、美しく、格好のいい飛行機だったからだ。しかもそれは、想像していたよりもはるかに大きい。

    それは、このミュージアムの大きな目玉、といってもいいほどの存在感だった。勝手に小さな戦闘機を想像していたわたしは、ともかくその大きさにも驚いた。

    エノラ・ゲイのそばには、他の航空機にあるのと同様、その機体名と概要、スペックなどが記された説明書きがあった。

    Boeing B-29 Superfortress Enola Gay

    このB-29というタイプの飛行機が、太平洋戦争でいかに活躍した優秀な航空機であったかが記されている。

    そして、1945年の8月6日、この飛行機が最初の核兵器を日本の広島に投下したこと、その三日後に、同じ機種のBockscarと名付けられた戦闘機が、日本の長崎に二つ目の核兵器を投下したこと、そしてそのBockscarは、オハイオ州デイトン近くの航空宇宙博物館に展示されていること、などが記されていた。

    原子爆弾によって広島の一般市民が何人死んだかは、記されていなかった。

    わたしはエノラ・ゲイの間近に迫り、下から見上げた。全身をジェラルミンで覆われた、軽量で丈夫な飛行機。わたしは、その胴体のあたりを見つめた。あそこの扉が開いて、原爆が投下されたところを想像してみた。

    しかし、ずいぶん昔、白黒写真で見たことがあったはずのB-29と、目の前にある飛行機とが、どうしても結びつかなかった。

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    呆然とした気持ちのまま、今度は階上にあがり、至近距離で操縦席を見た。中の様子が、見えすぎるほどにくっきりと見えた。説明書きによれば、広島に飛んだとき、12人の兵隊が乗っていたという。その様子を想像してみたが、うまくいかなかった。

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    わたしは、エノラ・ゲイを見た瞬間、自分は憎しみや悲しみに襲われるかもしれないと思っていた。でもわたしは、その機体を見て、それを美しいと感じた自分に、驚き、困惑した。

    わたしの周りでは、年輩の男性たちが、熱心にエノラ・ゲイを見ていた。ベテラン(退役軍人)たちだろうか。

    エノラ・ゲイを見たら、もう、あとはどうでもよくなった。エール・フランスのコンコルドとか、フェデックスの古い貨物輸送機とか、パンナム航空の飛行機などが展示された商業用航空機のコーナーを横目で見ながら、出口へ向かった。

    ギフトショップには、エノラ・ゲイのプラモデルや模型さえもが、売られていた。

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    わたしは、日本の被爆者団体の人たちの訴えも、平和運動家の訴えも、至極もっともだと思っていたし、共感もしていた。

    あの夏の朝、このエノラ・ゲイは、広島の青空を、太陽の光をきらきらと反射させながら飛んでいただろう。それが新型原子爆弾というものを落としさえしなければ、それは、きらきらと、優美に飛来する一機の飛行機に過ぎなかった。

    あの日、この飛行機が落としていったおぞましいものの引き起こした惨事を体験している人にとっては、どうしたって、これは忌々しい物体に違いない。けれどわたしは、この飛行機を見ても、憎悪の念が浮かび上がりさえしなかった。

    飛行機には罪がない。

    当たり前のことだけれど、飛行機には何の罪もないのだ。それは「罪の象徴」かも知れないけれど、でもやはり、罪そのものではない。そのことが、実際に、こうして自分の目で見て初めてわかった。罪は人間が創り上げるものであって、人間の中にある。

    核兵器がどんなにおそろしいものか、戦争がどんなに悲しいものか、その避けがたい諍いを、いったいどうすれば避けられるのか、それはいつの時代も、誰かが必ず、問い続けなければならない問題だと思う。さもなくば、世界は、戦争に満たされてしまう。

    しかし、この航空宇宙博物館に、原爆被害の展示をするというのはまた、微妙なずれを感じた。航空宇宙の技術や進歩を展示するこの場所において、戦争の被害を展示すると言うことに。

    わたしは何か、間違ったことを書いているかも知れないが、これが本音だし、正直な感情だ。

    しかし、さておき、エノラ・ゲイは展示されて然るべきであると思う。けれど、エノラ・ゲイがさも、「第二次世界大戦にピリオドを打った英雄」として在るのは、やはり許し難い。

    日本は、世界で唯一、原爆の被害を受けた国であると同時に、敗戦国であり、敗戦した国の言い分が、戦勝国において全面的に受け入れられ、正統化されることは、ほとんどあり得ないことのように思われる。

    では、いったいどうすれば、核兵器の恐ろしさを、客観的に人々へ伝えることができるのだろう。

    この際、日本が「軍事兵器博物館」でも作ればいいのだ。もちろん、現物を展示することはできないだろうから、模型などを展示して、軍事兵器の技術や進歩を見せると同時に、それらの兵器によって、どれほどの人々が、どういう殺され方をしてきたか、を伝えるような博物館。

    今、イラクで行われている戦争で使われている兵器や、それらがイラクの人々に与え続けている影響についても、一目でわかるような。

    しかし、今、書いているだけで、そら怖ろしい博物館になりそうだと思う。子供が見たら、トラウマになるかもしれない。そうならないように、恐ろしさを伝える方法は、ないだろうか。

    ともかく、エノラ・ゲイを見て、わたしは困惑している、ということを、考えのまとまらないまま、しかし今の心境を、ここに書き記しておく。

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    スミソニアン航空博物館 Smithonian National Air and Space Museum
    ➡︎https://airandspace.si.edu/

    エノラ・ゲイ Boeing B-29 Superfortress “Enola Gay” 内部、外観合わせて53枚もの写真が掲載されている。
    ➡︎https://airandspace.si.edu/collection-objects/boeing-b-29-superfortress-enola-gay/nasm_A19500100000

    Kugisho MXY7 Ohka (Cherry Blossom) 22 特攻隊が乗ったクギショー。着陸することがないから車輪がない。
    ➡︎https://airandspace.si.edu/collection-objects/kugisho-mxy7-ohka-cherry-blossom-22/nasm_A19480180000

    Kawanishi N1K2-Ja Shiden (Violet Lightning) Kai (Modified) 紫電改。零戦と並ぶ戦闘機。
    ➡︎https://airandspace.si.edu/collection-objects/kawanishi-n1k2-ja-shiden-violet-lightning-kai-modified-george/nasm_A19830237000

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    戦争反対を叫ぶなら、戦争がどのような状況だったのか、ということを知ることも、大切だと思う。戦争が美化されている云々の意見はさておき、靖国神社の遊就館は、訪れるべき場所のひとつだと、わたしは思っている。

    ステロタイプの意見に惑わされず、まずは自分の目で確かめて、感じて、自分の考え方を、自分なりに、生み出すべきだ。他人の意見に便乗するのではなく。

    情報が手軽に入手できる現代だからこそ、自分の感性、感覚を研ぎすまし、身体を動かして、肌身で経験することを、厭うべきではないだろう。

    【2013年11月/靖国神社を訪れたときの記録

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    ⬆︎クリックして拡大すると、文章が読めます。

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    靖国神社には、東京で暮らしていたころに、一度、ふらりと訪れたことがあった。そのときのわたしは、今に比べ、思うところ浅く、祈るところ浅く。

    日本を離れ、年を重ね、客観的に母国を見るにつれ、そして歴史の断片を学ぶにつれ、他国に干渉される不条理と不愉快。

    今日、きちんと手を合わせ、参拝できて、本当によかった。

    参拝後、立ち寄った遊就館の、その展示の充実ぶりに、驚かされた。ここでは詳細に触れぬが、ともあれ、日本人であれば、見ておくべき、知っておくべきものが、たくさん詰まっていた。1時間程度ではとても消化できない展示の数々である。

    いつかまた改めて、ゆっくりと時間をかけて、学ぶために、知るために、訪れたいと思った。

    なお、東京裁判(極東国際軍事裁判)において、被告人全員の無罪を主張したインド人のパール判事の顕彰碑は、2005年、ここに建立されたという。

    石碑の文字を目で追いつつ、彼の情念が、胸に迫る。

    歴史をもっと、きちんと、学ばなければと、今更のように思う。ともあれ、遊就館で購入した図録を、まずはじっくり読もう。

    🇯🇵靖国神社➡︎ https://www.yasukuni.or.jp/

    🇯🇵遊就館➡︎https://www.yasukuni.or.jp/yusyukan/

    🇮🇳ラダ・ビノード・パール ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

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    〜インド帰国後の追記〜

    遊就館の展示に関しては、ときを改めてじっくりと、一日かけて巡りたいと痛感した。折しも行われていた大東亜戦争七十年展がまた印象深く、ゆっくりと時間を取れなかったことが悔やまれるほどだった。

    米国のスミソニアン航空博物館で、日本の零戦やエノラゲイを見たときの話は、過去にも記した。ゆえに、零戦の展示については、さほどの衝撃を受けはしなかったが、人間魚雷と呼ばれた「回天」を目の当たりにしたときには、あまりのむごさに、泣けた。

    海底深く、こんなものに押し込められて、自爆を強いられた若者ら。どれほどに辛かったことであろう。

    無数の展示の中にあっては、ほんの一隅ではあったが、インドを舞台に展開された「インパール作戦」に関する事項も見られた。いつか必ず、コヒマにある日本兵の慰霊碑を訪れたいと思いつつ、幾星霜。

    ●パラレルワールドが共在するインドを紐解く/セミナー動画

    ①多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念

    ②「広く浅く」インドの歴史(インド・パキスタン分離独立)/インドの二大政党と特筆すべき人物/テロが起こる理由とその背景

    ③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺

    ④明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈後編〉第二次世界大戦での日印協調/東京裁判とパール判事/インドから贈られた象/夏目漱石

    ⑤インド国憲法の草案者、アンベードカルとインド仏教、そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人

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    本を開けば、ついつい寄り道をしてしてしまう。

    新居のコンセプトとは違うけれど、魅力あふれる写真に見入ったり。

    猫らのことは二の次なのに、猫のための記事を読み耽ったり。

    それより何よりフランク・ロイド・ライトの3冊。

    Amazon.inで取り寄せたそれら。

    ページをめくりながら、は〜っと嘆息が漏れる。

    思わず紙面を手のひらで撫でてしまいたくなる写真が次々と。

    そう。オンラインで見るのとは違う。写真集は、表面を撫でたくなる。

    無意識のうちに手が動くそれが、自分の潜在的な嗜好かもしれぬ。

    フランク・ロイド・ライト、全ての本に、

    取り壊された旧帝国ホテルの写真が何枚も掲載されており。

    改めて、無念。

    書きたいことが多すぎるが、今日もこれから外出にて。

    写真だけでも残しておく。

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    😢毎月一度のFM熊本収録。今朝の話題は……苦くもデルタ株。インドはじめ、他国での感染事例、実態や対策は数多く。インドの政府管轄の医療機関が発表した有意義な情報が多々あるのに活用されぬ虚しさ。ラジオでは予防や対策、自宅療養のポイントなどを伝えた。英語の資料含め、要点を日本語化してシェアすべきか。重篤化しての入院では遅く後遺症も残る。自宅療養は感染拡大を加速し、命を落とす人も増える。インドの第二波を知る日本のメディア各位、ここで生かされた有効情報を報道できないものですか?

    🦜インドでデルタ株の脅威を経験。多数の罹患者、重症化者、死者が出た。一方「早急なロックダウン/人々の助け合い/テクノロジーの駆使/信頼できる医療情報共有/慈善活動」により救われた命多数。独居者の多い日本で自宅療養は見殺し同然だ。

    🦜インドで第二波を経験された人ならわかってもらえますよね? 健康な人、若い人も、密じゃなくても次々罹患した。感染したことを周囲に言いにくい日本での自宅療養。約1週間後の「分岐点」で悪化した時には、自分で入院手配など無理。体調不良時は身近な人に知らせて頼ることを勧めます!

    🦜我々夫婦は普段から食生活に配慮、アーユルヴェーダの教えを取り入れつつ健康的な暮らしを心がけ、薬を飲むことも稀。しかしこのデルタ株による第二波は、ワクチンを打つか打たないか迷っている状況ではなかった。ワクチン研究の権威である義兄の提言を信じて早い時期に2本接種。接種済みの高齢者より若者が重篤化、死亡するケースが相次いだのは現実だ。とにかく全てが「瞬く間」だった。

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    バンガロールでアイスクリームといえば、1982年創業のCORNER HOUSEが人気だった。旬の果実などを使った新鮮なアイスクリームだけでなく、チョコレートファッジやサンデーなどカラフルなメニューが揃っている。

    義父ロメイシュ・パパと義継母ウマがバンガロールに来る際、二人は必ず立ち寄っていたものだ。わたしは苺の季節、苺果肉がたっぷりのアイスクリームが好きだった。インドのアイスクリームは大半が、ヴェジタリアン対応で卵を使用していない。その分、濃厚な牛乳のおいしさが際立つ。

    2006年、ムンバイ視察旅行の際に訪れたショッピングモールのフードコートにて。クライアント女史が、「あのアイスクリーム……試してみます。わたし、アイスクリームが好きなんです!」といって購入、一口食べるなり感動されていたのが、1984年ムンバイのジュフ創業のNATURALSのアイスクリームだった。わたしも味見をさせてもらい、その鮮度に感嘆した。

    バンガロールにNATURALSの店舗ができたのは10年ほど前だったか。それからは、MILANO ICE CREAMほか、ジェラート店などもオープンして、バンガロールのアイスクリーム界も充実し始めた。

    それでもNATURALSの「賞味期限は2週間」という鮮度重視の姿勢と、新鮮な果実の味わいが好きで、ミューズ・クリエイションの集いの際にも、盛夏の時期にはまとめ買い、焼き立てのコーンに載せて楽しんだものだ。

    先週、急にアイスクリームが食べたくなり、NATURALSから注文しようとしたところ、NIC (NATURAL ICE CREAM)のサイトが目に飛び込んできた。この店もNATURALS同様、新鮮な素材を使い、防腐剤ほか食品添加物不使用だという。何年か前に一度、食べた気がするが、よく覚えていない。試してみることにした。

    いろんな味を試してみたく、小さなパッケージを7種類注文したつもりが、テンダーココナツ味だけ間違えて大きいサイズを注文。テンダーココナツ味はさっぱりと、NATURALSのそれと似ている。しかし、個人的にはNATURALSの方が好み。

    翌日、人気だというシーソルト・キャラメルを試したところ……これはおいしい! 濃厚すぎる気がしないでもないが、少量ならばノープロブレムと思えるおいしさ。そして昨日はミックスベリーを試した。シーソルト・キャラメルほどの感動はないが、これもなかなかいける。

    残りを少しずつ味見してみるのが楽しみだ。ちなみに数十種類のフレイヴァーがある。果物よりもむしろ、チョコレートやキャラメル、ミルク系が強いのではないかと予測。ちなみにこの他にも、バンガロールにはおいしいアイスクリームやスイーツの店は多々ある……ということを、念のため記しておく。🍦

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    ①ランチ@毎度おなじみARAKU COFFEEで良質の食事を楽しむ

    昨日は、妻が選んだ家具を夫にも確認してもらうべく、「要所要所」を巡った。

    インドで、夫と一緒に「買い物」に出かけることは、ほとんどない。年に一度のニューヨークで、夫は衣服をまとめ買いしてきたこともあり、バンガロールで自分のものを買うことはほとんどなく。米国と、帰路の欧州のどこかで、一緒に歩きつつ買い物……という年中行事ができなくなった今、このようなお出かけは久しぶりだ。

    家具店での記録は②に記すとして、とりあえず、ランチ。夫の友人、マノージが創業したARAKU COFFEE のインド一号店がインディラナガールにオープンしたことは、幾度も記してきた。夫と訪れるのは、オープニング前に招待されたとき以来、初めて。ゆえに、わたしの方が、料理に詳しい。

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    昨日は軽めに、いくつかのお気に入りメニューをシェア。直営のファームで育てられた野菜や肉類。素材からして、非常に良質。

    まずはお気に入りのコールドコーヒー(オレンジやジンジャーなど、ほどよい味付けが効いたものが数種類あり)で乾杯。

    フライドチキンバーガー(メニュー上はサンドイッチとされている)は、「KFCのジンガーバーガーを高級かつヘルシーにした感じ」の味わい。ジャンクフード的な料理を健康的に味わえるところが魅力だ。スコッチエッグもまた、程よい旨味と卵のおいしさ。

    毎度、幸せな微笑みで夫が持っているのは、丼物ではない。桃と濃厚クリーミーヨーグルト(チーズケーキ風)のデザートだ。

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    料理がおいしいのはもちろんのこと、店内のインテリアもシンプルで快適。一隅のライブラリエリアもいい。2階はミーティングルームもある。

    インディラナガールには、他にも魅力的な店は何店舗もあるのだが、個人的には素材のよさと、シェフのラホールの料理力に引き込まれ、ついついこの店が最優先になっている。

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    ちなみにバンガロールは、パンデミックの影響でつぶれた店がある一方、新たな店も次々にオープン。特にチャーチストリートやコマーシャルストリートは、道路がきれいに舗装し直され、遊歩道的な歩きやすさとなっている。改築、新築した店も多い。

    家具選びがひと段落したら、新しいバンガロールの表情を捉えに、出かけたいものだ。

    ☕️紅茶よりも長い歴史。南インドのコーヒーを巡る物語と最新情報
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/library/2021/05/coffee.html

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    ②家具選び。絞り込む前に、夫の意見も取り入れつつ。「交渉時」には人格変貌する夫。

    インドは、テイラーで衣類を仕立てたり、自分好みの家具を作ったり、あるいはソファーやカーテンの生地を選んだり、壁の色を塗り替えたり……と、さまざまな場面で、「カスタム・メイド」が一般的だ。

    もちろん「出来合いのもの」も売られているが、「終の住処」を創るとあれば、多少、手間がかかっても、好みのものを選びたい。創りたい。

    古い家具を修繕するにせよ、新しいパーツを加えて改造してもらうにせよ、あるいは職人に作ってもらうにせよ、完成までにおよそ2カ月はかかる。

    今のうちに発注をして、ある程度のデポジットを支払って作業に入ってもらわねばならない。

    昨日は、大物を発注する3店舗を夫と巡った。

    「このダイニングの椅子、どう? いいでしょ?」

    「悪くないね……。いや、お尻がアンカンファタブル」(まじかよ)

    「このテーブルどう?」

    「僕はこの絵が好きだなあ」(絵はじゃない、テーブル)

    「この書斎の椅子、気に入ったの」

    「ミホ! 書斎の椅子は人間工学に基づいた(なんちゃらかんちゃら)じゃなきゃだめだ!」

    「じゃあ、自分それにすれば? わたしはこれにするから」

    (座ってみる)「ん? これいいね。僕もこれにする」

    ……とまあ、こういう類の噛み合わっているんだか噛み合っていないんだかわからない感じの緩い会話をしつつ。しかし、価格交渉の段階になると、顔つきを一変させる我が夫。いきなり表情が「ビジネス・モード」に切り替わる。

    わたしは基本的に値切るのが嫌いだ。なぜなら自分が仕事で値切られるのがいやだからだ。特に、職人やアーティスト、あるいは貧しい人たちから値切るくらいなら、買いたくないと思うことがある。

    一方、大きな利益を得ているであろう中間業者や企業に対しては、値切るというよりは「価格交渉」という範疇に入る模様で、夫は瞬時に、別人格になるのである。というか、それが楽しいらしい。

    店とのやりとりの様子を克明にレポートしたいくらいだ。思えば彼が米国のMBAに通っていたころ「ともかく交渉する」という課題を受け、それに伴い、不要とも思える交渉をあちこちで展開し、レポートにしていたことがあった。面白かった。度がすぎて「やめてくれ」とも思った。

    今から10年以上前、日本の一大企業がインド企業と「価格交渉をほとんどせぬまま、驚きの価格で」合弁契約を結んだことがあった。夫の周辺では、当時それが話題になっていた。その数年後、その企業は撤退、のちのちまで問題を引きずった。

    いずれにしても、大きなお金を動かす際には、この国の流儀をしっかり調べておくべきで、それもまた「一筋縄ではいかない」業界や土地によってさまざまな相違があるということも、理解しておかねば、痛い目に合う。

    ……というような、我が家の家具ショッピングは、大それた話ではないのだが、そこそこ大物購入に関しては、夫が納得するやり方で任せようと思った次第。

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    などという色気のない話はさておき、インドのあらゆる産業/業界が目まぐるしく変貌、進化する中、「壁紙」や「ソファー&カーテン」などのファブリックの選択肢がまた劇的に増え、クオリティがあがっていることに驚嘆した。

    特に壁紙。新居は白いすっきりとした壁で統一するつもりなのだが、山と積まれた見本のカタログを見ていると、思い切り引き込まれる。ソファーカヴァーの選択肢も多すぎ。

    「ここに一日中座って、選んでいかれるお客様もいらっしゃいます」

    とのこと。そりゃそうだろう。わたしも数時間は、軽く過ごせそうだ。てか、壁紙をどこかアクセントで貼りたいと迷いが増える。モデルのディーピカが美しすぎる。家具選びを通しても、インドのトレンドについて記したいこと尽きず、だんだん市場調査視点になりそうなので、控えよう。

    ……というわけで、今年後半は、家という立体的な創造物を構築すべく、創造力を駆使する日々となりそうだ。

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    ◎家具探しのバンガロール探検。だいぶ絞り込めてきたが、いつまた「第三波」でロックダウンになるかもしれず、時間に余裕がある今、極力、見ておこうと思う。

    昨日はインディラナガールの「新旧の店」を巡る。インドの家具は、一般に重厚だ。英国統治時代から、ティーク(チーク材)やローズウッド(白檀)、クルミ材など、さまざまな天然木(ソリッドウッド)や大理石を配した家具が多いのも理由の一つ。

    ◎我が家の家具は全て、移住当初にインドで調達した。ティークやローズウッドの古い家具は修繕、新しい家具も敢えて「昔の意匠」を取り入れた、マホガニー材のもので揃えた。これらの家具は、美しさは変えず何十年も持つ。

    インドでは、伝統的な家具が受け継がれてきた一方で、過去十数年のうちにも、軽くて廉価な家具が出回り始めた。しかし、2018年にハイデラバードに一号店をオープンしたスウェーデンの家具大手IKEAなどの売り上げが、パンデミックが妨げになっているとはいえ、他国に比して伸びていないのは、インドの伝統的な「住文化」も大きな理由だろう。

    *追記/日本も昔は「婚礼家具」というものがあり、天然木の重厚でどっしりした家具のセットを嫁入り道具に持っていくのが一般的な時代があった……。ということを、先ほどFacebookでコメントをいただいて、思い出した。祖母の家にもどっしりと味わい深い家具があったものだ。

    ◎ここ4、5年の傾向として「レンタル家具」のスタートアップが急成長しているという。米国ではずいぶん昔から家具のリースは一般的で、わたしたちもカリフォルニアに数カ月暮らした時に利用した。インドではかつてなかった「借りる」という文化が各方面で見られ始めたのも、最近の傾向だ。

    実は「レンタル家具」については、今日のランチタイムに夫から聞いて知ったのだった。これまで関心がなかったはずのインド家具業界のトレンドについて、詳細を語り始めたのだ。

    「なに? なんで、そんなに詳しいの?」と尋ねたら、今、投資のためにリサーチしているから。とのこと。夫は投資関係(プライヴェート・エクイティ/ヴェンチャー・キャピタル)の仕事をしている。

    てかさ。なんでそれを先に妻に教えない? 過去2週間、妻は独自の情報収集で東奔西走しているんだが。

    「え? 話さなかったっけ……?」と、しらばっくれる。うるわしくない天然。

    ◎さて昨日は、お気に入りの家具店のひとつ、PETE’S FURNITUREへ。無論、最後に訪れてからは8年ほど経っている。久しぶりにもかかわらず、顔なじみの中国系インド人オーナー、アンジーが、笑顔で歓迎してくれた。

    先日紹介したTHE VINTAGE SHOP同様、ソリッドウッドの古く味わい深い家具がたくさんある。当初、新居には新しい家具を7、8割……と思っていたが、ここにきて、古い木材の味わいとアール・デコのデザインに引き込まれ、割合が逆転しそうだ。

    目に止まった椅子という椅子に座ってみる。座って「立ち上がりたくない」と思える椅子が、いい椅子なのだ。それはサリーを試着していて、「脱ぎたくない」と思えるものがいいというのと似ている(坂田基準)。

    自分でソファーのファブリックを選べるのもいい。傷んだらいつでも張り替えられる。ちなみに我が家の家具は、16年間、張り替えずともさほど傷んでいない。毎週金曜日、ミューズ・クリエイションのメンバーが座ってきた椅子もソファーも、健在だ。ここでもまた倉庫を探検した。ローズウッドのいい椅子を発見してうれしい。

    ◎アンジーがおいしい烏龍茶を出してくれた。彼女はコルカタ出身の広東人系インド人。ハズバンドはムンバイ出身の中国系インド人。

    この店は40年前の創業だが、それ以前の1970〜80年代にかけて、アンジー夫婦は、市街中心部で唯一の中国/アジア料理店を経営していたという。「南京」という名のその店には、日本人常連も多かったとのこと。

    その話を聞いた瞬間、閃いた。

    夫が子どものころ、義父ロメイシュはインド各都市に赴任していたことから、夫と姉のスジャータはデリーの祖父の家に暮らしていた。しかし、折に触れては、赴任地を訪れ、家族で共に過ごしたという。

    ちょうど1980年前後、義父はバンガロールに駐在していた。帰宅後、夫に「南京」の話をした。

    「その店だよ! ぼくがウエイターから、お箸の使い方を教わったのは」

    やはり……!

    アルヴィンドはインド人ながら、箸の使い方が非常にうまい。むしろわたしよりうまい。出会った当初、その理由を聞いた。子供のころ家族で訪れた中国料理店で、ウエイターに教えてもらったと言っていた。両親と姉は関心を示さず、フォークやスプーンを使っていたらしいが、夫は箸を使うのが楽しかったらしい。

    その店のオーナーが、アンジー夫妻だったわけだ。

    ささやかな偶然が、殊の外、愛おしく思える。

    不易流行。温故知新。過去を慈しむ暮らしの中で、新しく学び、知り、絆や縁の「有り難き」を思う。

    ◎なんか情けない表情の1枚目の写真は、別の店。先日紹介したTHE PURPLE TURTLESのインディラナガール店。気になっていた椅子に改めて座り、座り心地を確認中。すごく大きくて重たい椅子なのだが、わたしが座るとあまり大きく見えないのはなぜだろう。😅

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    地理、歴史、文化、自然、精神的土壌、そして自分自身……。

    地球儀は静かに、たくさんの大切なことを教えてくれる。

    くるくると、回しながら、見つめる。

    Geography, history, culture, nature, spiritual environment, and myself …….

    The globe quietly teaches us many important things.

    Turn it around and stare at it.

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    猫がいれば、とりあえず、なんとかなる。

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    去年の1月、デリーに暮らす義父ロメイシュ・パパが急逝した。葬儀などを終えて一度バンガロールへ戻り、2月。諸々の手続きや、家の片付けのためにデリーを再訪した。

    冬のデリーは寒くて空気が乾き、大気も汚染されている。決して過ごしやすいとはいえないなか、無心で片付けをした。今後は、デリーへは頻繁に来ることになるだろうと思われ、キッチン愛用品なども自分の料理に合ったものを買い揃えていた。ところがその1カ月後にロックダウン。世界は閉ざされてしまった。以来、飛行機に乗っていない。

    デリーでは、慣れない乾いた空気にさらされ、すっかり肌が荒れてしまった。夫婦揃って精神的にも荒れていた。しみじみと鏡を見ることも忘れ、荒れた手が、荒れた顔に触れた時、ひどくバサバサになっていることに気づいて愕然とした。鏡を見て驚愕した。こりゃいかん。

    ある日、DASTKARへ赴いた。インド各地の伝統的な手工芸や食品、エコロジカルなものが集まるバザールだ。DASTKARは、ほとんど毎年のようにバンガロールでもバザールを開催しているが、デリーは常設の会場があるのだ。イヴェントがないときでも、なにかしらの店が空いている。

    フロアのマットやキッチン用品、テーブルクロスなど探しているときに見つけたのが、このFirst Water Solutionsのコスメティクスだった。お肌の色艶がいい、わたしと同世代のオーナー女史が、丁寧に商品の説明をしてくれる。彼女の祖母から伝わる処方に基づいた、自然派の化粧品なのだ。

    特に気に入ったのは、PURE 20/ FACE SERUM。その場で試してみたところ、バリバリに乾いていた肌にすっとなじんで、たちまち滑らかになった。本当に驚いた。すぐにまた乾くだろうと思いきや、そのまま潤いっぱなしなのが衝撃的だった。

    バンガロールに戻ってからは、オンラインサイトで探すも、品切れていることもあり、最近は、使わずにいた。先日久しぶりに検索したら、独自のショッピングサイトができていた。うれしくなって早速注文。せっかくなので、アンチエイジングのモイスチャライザー、そして気に入っていたホワイト・ローズとジャスミンのフェイスミストを購入。

    フェイスミストは、やや香りが強めだが、天然自然の豊かな芳香につき、ボディミストにするのもいい。シャワーのあとなどにスプレーすると、心地よい香りで幸せな気分になる。気分転換にもいい。尤もボディ・ミストも別途販売されているのだが。

    ちなみにセーラムやクリームは香りがマイルドなので気にならない。今度はヘアオイルなども試してみよう。おすすめです。インドの自然派コスメティクスに関しては、過去16年間のインド生活で自ら積極的に「人体実験」を繰り返しており、情報は極めて多い。その一部を以下のブログにまとめているので、関心のある方はどうぞ参考にされたし。

    ◉アーユルヴェーダの処方も生きた、インドの自然派コスメ情報まとめ/動画&ブログ(かなりの情報量)
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/library/2021/05/beauty.html

    ◉デリー最終日は、DASTKARの本拠地へ!(2020/02/20)
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2020/2020/02/dastkar.html

    💧First Water Solutions
    ➡︎https://www.firstwatersolutions.com/