インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

  • 今回のデリー旅の目的だった第4回インド日本フォーラム。今年もデリーのインペリアルホテルで、12月7日、8日に開催された。これは米国アスペン・インスティテュートを母体とするAnantaセンターと、インド外務省共催のクローズド・ドア形式の催しで、我々夫婦は3度目の出席となる。

    一昨年の林外務大臣の来印に続き、今年は茂木外務大臣が来訪されるとのことで、実は楽しみにしていたのだが、残念ながらヴィデオ・メッセージのみだった。高市首相が就任直後から幾度となく口にされている「自由で開かれたインド太平洋(FOIP: Free and Open Indo-Pacific)」に向けた日印の戦略的パートナーシップの重要性などが語られた。

    ジャイシャンカル外務大臣や小野啓一大使によるスピーチなどを経て、今年もまた2日間に亘り、10のセッションが展開された。日印の経済安全保障問題にはじまり、半導体における協調、サプライチェーンの連結強化、原子力エネルギー、二国間協力、デジタル秩序の未来、新エネルギー戦略、防衛イノヴェーションと共同開発、日印人的資本の未来、貿易と投資の潮流……。 

    毎年のことながら、専門外の話を聞き続けるのは非常に労力を要する。予備知識がないセッションに関しては、英語はおろか日本語ですら理解に窮する。しかし一方で、参加者との会話を通して学ぶことはとても多く、機会を逃がすのは惜しい。コーヒーブレイクがもう少し長ければいいのに……とも思う。

     

    初日の夜は、日本大使館公邸での晩餐会に招かれた。夕闇に浮かぶ、その建築物の見事な瓦屋根に圧倒される。車寄せに配された菊花の鉢植え、月を背景にした甍の波、玄関の菊の御紋に心揺さぶられる。会場では、来賓と語り合い、日本酒や和食をいただき、満たされたひとときであった。

    わたしは、2011年9月に東京で開催された「日印グローバル・パートナーシップ・サミット」に出席した。森喜朗元首相をはじめ、鳩山氏、安倍氏、菅氏、野田首相……と歴代首相が勢揃いし、両国から数百名規模の政財界トップが集まる、まさにスケールの大きな日印合同のイヴェントだった。あれから14年が経過した今、当時の記録を読み返しつつ振り返るに、あのころ描かれた華々しいヴィジョンが、どこまで具現化しているのだろうという疑問が沸く。

    2025年現在、日本企業のインド進出は過去最高を記録し、拠点数は5,000カ所を超え、営業黒字見込みは約77%で世界最高水準だという。また従来の自動車偏重からEV、半導体、AI、再生可能エネルギー、金融分野へと投資対象がシフトし、中国に次ぐアジア第2の成長エンジンへと確実に移行しているようだ。

    一方で、課題が多いのもインド。税制や許認可の煩雑さに加え、人件費の急騰、高い離職率、遅延が当たり前のインフラストラクチャー、通関の問題、財閥や家族経営特有のガヴァナンスなどは、日本企業が最も苦戦するポイントだろう。また、意外にもトップの意思決定が早い傾向にあるインドと、時間がかかる日本企業のギャップも、双方の溝を深める一因になっているように思う。

    演壇、テキストの画像のようです
    ‎演壇、‎、「‎ب Dheice enal AMtaira ananla la centre Indja Indja TTHE ι Joyan FORUM 7-8 December 2025 t New Delhi‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    テキストの画像のようです

    今回、日本の中小企業の技術が活かされる潜在的な市場があるにも関わらず、インドにおけるビジネス環境(現場)が日本とは著しく異なる「ハードルの高さ」を訴える方の声は、切実だった。望まれていた公的資金援助もさることながら、官民一体となって、「インド進出徹底ガイド」的なものを作り、広く共有することはできないものだろうか……と思う。

    ビジネスの側面だけでなく、インドのライフスタイルや文化、慣習、そして歴史。せめて1991年にインドが市場開放して以降のマーケットの趨勢など……。

    どんなにシンクタンクや政財界のトップクラスの人たちが交流し、有益な情報を交換しあっても、現場に反映されなければ意味がない。インド進出を計画している大中小の企業。トップから枝分かれして伸びる「現場」。現場すなわち第一線で暮らし働く駐在員やその家族が、この国を理解し受け入れ、健全な環境で任務を遂行してこその、希望ある日印の未来だと思う。

    照明器具、テキストの画像のようです

    たとえば、「日印ビジネス/文化交流インスティテュート」のようなものが創設され、現実的な情報が随時更新され、実践的な「視察旅行」が企画され、若者らの能力と先人らの知恵を共有するなど。

    「インドはハードルが高い国」に違いないが、ハードルの場所やその高さをあらかじめ知っていれば、乗り越える方法は編み出せるはずだ。言うは易し。超超超微力でも、この先、わたしにできることは、ないだろうか……と、いつものように一抹の思いを脳裏に駆け巡らせ、閉会式を迎えた。

    ボタンの画像のようです
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    、「Thd Thdja Jayarn in India THE HE a Joy RUM 7-8 December 7-8Decemhar2025 2025 Fm」というテキストの画像のようです
    照明器具、演壇の画像のようです
    演壇、、「EMBASSY EMBASSYOFINDIA OF INDIA TOKYO Emba Emb」というテキストの画像のようです
    1人以上、照明器具、演壇、テキストの画像のようです
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    、「Sep. Sep.2011 2011」というテキストの画像のようです
  • 瞬く間に師走。

    先月の結婚式から1カ月ぶりのデリーにて、冬らしい「くすんだ空気」に迎えられる。マルハン家勤務30余年のドライヴァー氏の手編みの「チョッキ」と「帽子」が風物詩。ここもまた「ただいま」の場所だ。

    昨晩は2年ぶりに、バンガロールのIVY(コロンビア、スタンフォード、ハーバード大学)とMIT(マサチューセッツ工科大学)の合同アラムナイ(同窓会)に参加した。もちろん、卒業生である夫の妻として。我は非常にマイナーな梅光女学院大学出身につき。

    今年のバンガロールの冬は結構、寒め。月夜のルーフトップは眺めよく雰囲気はいいのだが、肌寒かった。昨夜は若い女性ら数名と話しをした。2000年生まれ……と聞いて改めて、自分がインドで過ごした歳月の長さを噛みしめる。

    インド人の若者らに、インドの現代史やトレンドの変遷を語る自分の不思議なポジション。知らず知らずのうちに蓄積されてきた経験値。

    ここ数日、インドの航空会社Indigoのフライトが諸事情(詳細割愛)で大量にキャンセルされ、各空港で大騒動が起こっている。幸い我々はAir Indiaを予約していたので、速やかにデリーへ来られたのだが。空港の一隅には山ほどのスーツケース。なんと「チェックイン後にキャンセル発覚」という、通常では考えられない事態に陥っていた人も大勢いた模様。

    これらのスーツケースは持ち主の元に後日届けられるというのだが……。ホリデーシーズン、結婚シーズンのインドにて。このトラブルで人生の予定が大きく狂った人がたくさんいる。自分の結婚式に参加できず、オンラインで登場したカップルもいるという。

    背景含め、書きたいことは募るが、明日は早い。

    日本とインドの外交フォーラム。3度めの出席につき。関心のある人は極めて少ないであろうことは毎度、百も承知のうえで、過去のリンクをはっておく。

    ✈︎ところで、意外と知らない方が多いので告知するが、DigiYatra、本当に便利だから、ぜひ活用されたし。顔承認で空港内をスイスイ移動できる。

    クリスマスツリー、テキストの画像のようです
    、「TYYIITYIIT Kempegowda INTURNITONM ARPOIT ppeT NGAU AURU ดน EVERY MEAL TELLS A STORY Don't let it go unfinished ALS ใล」というテキストの画像のようです
    ‎電話、‎、「‎Weather Notes 1 Store Voice Men MAAIW G Settings 守 Google GoogleTransl... Transl... Google Maps mygate Y! f Facebook Yahoo! Messages Photos מ Music Paytm MueH outuk Instagram Paytm Find FindMy My LINE රා daily BBDaily DigiYatra LINE‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    ‎飛行機、地図、‎、「‎鍋 Scan Boarding pass Upload Boarding Image PDF Upload Boarding PDF + أکامم‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    スーツケースの画像のようです
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    マッシーピーの画像のようです
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    写真の説明はありません。

    【2023年の記録】

    ◉THE INDIA JAPAN FORUM 日本とインドの外交フォーラムに出席①

    ◉THE INDIA JAPAN FORUM 日本とインドの外交フォーラムに出席②夫も登壇。12年前の「日印グローバル・パートナーシップ・サミット」を回想。

    ◉THE INDIA JAPAN FORUM 日本とインドの外交フォーラムに出席③【先週、デリーでお会いした松川るい氏について】

    【2024年の記録】

    ◉THE INDIA JAPAN FORUM 2024 日本とインドの外交フォーラム①友好の証ともいうべく京友禅サリーを着用

    ◉ INDIA JAPAN FORUM 2024 日本とインドの外交フォーラム②我が未来のヴィジョンが見えた日

  • ポーチドエッグ、豆腐の画像のようです

    明日から1カ月ぶりのデリー。約1週間の滞在だ。荷造りを始める前に、こぼれ落ちた今週の情景を広い集める。

    年中、過ごしやすい気候のバンガロールだが、今年は例年より気温が低い気がする。室内ではTシャツだが、靴下にサンダル履きという季節感が崩れた服装で過ごしている。今日は曇天で小雨混じり。午後には外出の予定だったが、止めようかな……と思わせる空の色。

    勉強、テキストの画像のようです
    、「Tokyo AIR-INDIA International」というテキストの画像のようです

    火曜日の朝は、ほぼ毎週開催されている女性の勉強会へ。グラフィックデザイナーのSurabi Gurukar によるトークだ。タイトルは、“The Curated Past: Building an Emotional Museum of Nostalgia”

    インド文化の記憶、家族の遺産、日常の失われゆくさまざまを集めて保存し、ノスタルジアを尊ぶ活動をしている彼女。まさに、わたしの志向と重なる。

    この日はインドの「古き良きもの」の中でも、特に「広告」にフォーカスしたプレゼンテーションが行われた。Air Indiaのマスコットであるマハラジャくんはじめ、カルナータカ州マイソールのブランド「マイソール石鹸」の歴史やパッケージングの歴史など。

    個人的には、インド乳製品大手のAmulの広告に「感謝」している。Amulのキャラクターであるアムールガールが、その時々のインドだけでなく世界の時事を毎週伝えるのである。その60年以上に亘る広告は、Amulのホームページからアクセスできる。

    わたしはインド移住当初のトレンド調査の際、その膨大な広告をすべてプリントアウト。ウィットに富んだヒンディー語部分は適宜、翻訳をしてもらい、内容を分析して、レポートに反映させた。文字データを遡るよりも遥かに手早く、時代を捉えることができて、本当に助かったものだ。

    彼女の話で興味深かったのは、かつてエア・インディアがファーストクラス客向けに、サルバドール・ダリが製作した灰皿をプレゼントしていたという事実! ダリらしいシュールなデザインの灰皿は、決して「すてき」とは言い難いのだが、子供のころからダリが好きなわたしとしては、……欲しい!

    ちなみに、その報酬として、ダリは「子象」を所望したという。スペインの自宅に連れて帰ったあとに、動物園に寄贈したとのエピソードがある。

    わたしはダリが好きすぎて、1994年の欧州3カ月鉄道放浪旅の際には、彼の生まれ故郷であるフィゲラスと、彼がガラと暮らした海辺の街カダケスへも訪れた。また、2019年に夫とバルセロナを旅したときにも、フィゲラスへ行き、ダリ・ミュージアム(最高!)を再訪した。記録を見直して、感動を新たにする。ああ、ブログを移行して、本当によかった!

    おもちゃ、、「Please Pleaseremove remov yourshoes your TaHKublи ERO AIR-INDIA anmunanu AIR-INOIR AIR INDIA」というテキストのポップアートのようです

    テキストの画像のようです
    、「Made of white, unglazed ung porcelain, the ashtray composed shell-shaped centre with a serpent twined around perimeter. supported was two surrealist elephant-heads and swan. These supports were based on Dali's S double-image effect. ፍናች 一0四0日 accepted the proposal limited created 800+ ashtrays the he company's first class International Legend that fromA India ran into the lamous atan upscale nvited him over, Their culminated Dali agreeing the ashtray andin signature created surreal ashtray. surabhigurukar」というテキストの画像のようです
    、「The origin of the Mysore Sandal Soap can be traced to World War 1. In 1916 the war blocked the export of sandalwood from Mysore to major Western countries. The king, Maharaja Krishnaraja Wadiyar ۷۷ recelved arare set sandalwood soap Tdtesetcisandaecdsopfm roma foreigner he asked astedDewansSrMVspesn/omabroge Dewan MVisvesvaraya,tomapauta to begin the production 0 such soaps in Mysore. plan Krishna Raja KitraRpaWadyarMV WadyarV MVishwoshwaralah」というテキストの画像のようです
    電車、、「Amul ာဘ် amul_india … Tata Tatarahe rahe mera dil... QC ハッー 000 Amul Amul In good hands! 1,663 likes」というテキストの落書きのようです
    1人以上、、「Amul amul_india … Abe ke liye Alvida... Amul The Taate India India Sayonara Shinzo San (1954-2022) E」というテキストの落書きのようです

    勉強会のあとは、ひとりランチ。久々に4P’sへ。料理を待つ間、テーブルの脇に置かれた「ディクショナリ」を開く。これは、4P’sの世界観や哲学を知るガイドブックのようなもの。食材の産地、生産者のストーリーなどが美しい写真と共に収められている。Gourmet Garden, Green Apron, Araku Coffee…と、我が友人知人らの姿も見られて、とても興味深い。

    また、店舗を創造する建築の過程も興味深い。インドにおいて、「箱(店舗)」を作ることがどれほどたいへんなことか、痛いほどにわかるだけに、写真の向こう側にあったストーリーを思い出しつつ、しみじみと見入る。

    これは、「ディクショナリ/辞書」(言葉の意味を説明)というよりは、「エンサイクロペディア/事典」(さまざまな科目の知識を説明)と呼んだ方がいいのではないか……と思える内容の豊かさだ。

    店舗誕生の背景を知ると、壁やテーブル、食器、ナプキン、料理……と、取り巻く全てを見る目が変わる。

    ともあれ、おいしいランチであった。ごちそうさま。

    地図、、「MaRKeT 4P'S FROM AWARENESS to ONENESS Within each of these products lies a story of people with dreams, feelings and challenges. By listening to, and embracing these stories, we have come to feel sense of "Oneness", which makes us feel grateful and ultimately compassionate towards them. It is this sense of compassion that we wish to share with you, which brings us closer to our vision to Make the World Smile for Peace.」というテキストの画像のようです
    レース、テキストの画像のようです
    パスタの画像のようです
    テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    ‎、「‎ร تة FFEE Espresso Single Double highlight ARAKUSelection osesttothe the espresso celorted bean heveranei hotwate - resulti anot Water Comesfr cofiee imiet piotse akuhabitatic shitations shade, With tuined ท O Siver treese Sarernat Ab vineo. honeya ดนลด and sho sng washea ashed, ocesses. natura COFFEE ARAKU Bengaluru Araku, called caйca coffca নি ooduction over20 รรับ embrace& the freeto toole and has ewater O Oyear ecades sustain- lastw contribute times planted the armers mia uycoTe @ ablea arakucoffeein‎」というテキスト‎の画像のようです
    コーヒーカップ、コーヒーの画像のようです

    🇪🇸[Barcelona 09] ダリの故郷で超現実の芸術世界。そして卓越の昼餐。

    🥛仏教も関わる牛乳の歴史。インド乳製品を巡る食文化の断章

    🍕近々、バンガロールにオープンする日本人経営のピザ・レストランPizza 4P’s。試食会へ。

    🍕遂には、ソフトオープニング。日本人経営のピッツェリア「4P’s」でディナー

  • 若者らに「手書き」を勧めて久しい。

    人に勧めるからには自分もと、日々のジャーナルや日記に加え、今年に入ってからは、筆ペンでの写経もはじめていた。日記や写経は、特に心が乱れたときや、人には言えない憤怒や葛藤、問題を抱えているときに、瞑想のような役割も果たしてくれる。

    ところがここ数カ月、日記を書かない日が増えている。写経も途絶しがちだ。

    時間がないという問題ではない。どうしてだろう……考えて直後、閃いた。不安や不満、吐露せずにはいられないことが、ずいぶん減ったのだ。

    5年日記は、前年、前々年の「今日の自分」を振り返りつつ、今を綴るのであるが、これは自分を知る大切な記録となる。読み返すにつけ、「去年のわたしは何故、こんなことで思い悩んでいたのか」とか「自分も結構、問題あったんじゃない?」などと、自分の行いを顧みることができる。

    だから、継続したいと思っているのだが、このごろは5年日記を開くことなく1日を終えることが多い。ベッドの上で軽く瞑想をして、心地よく横たわる。気づけば眠りの世界……。

    こういう心の平穏が、なるたけ長い時間、続いてくれればいいなと願う。

    般若心経用のノートは、日本から取り寄せた。滑らかな紙。手のひらで、すっと表面を撫でるだけで、心が落ち着く。

    集中力に欠けているときは、字間のバランスが崩れたり、書き損じたりする。それもまた、その時々の自分の心を映す鏡。集中して一気に書き上げることもあれば、中断して、再び筆をとることもある。

    ひとつひとつの行いに、自分の心の状態が見える。

    今日のこのタイトル。英訳されると意味がまったくわからなくなるだろう。しかし、日本語ではすべて、Kamiと発音される。

    紙とは神のようなものではなかったか、と、最近は思う。神話が綴られるも紙。歴史が記されるも紙。芸術が、音楽が、詩が、写真が、地理が、遍く世界が、紙の上で躍動する。

    そして髪もまた、かつての日本では神聖視されていた。インドではスィク教徒の男性が、ターバンの下に生まれた時から伸ばし続けた髪が納められているなど。

    歳を重ねたら昔のようにショートカットの方がいいと思っていたが……この先しばらく、髪を伸ばしたままでいた方がいいかもしれぬ、とも思う。

    ところでMacの「写真」ソフトを立ち上げ、「手書き」で検索すると、手書きの写真が出てくる。それらにざっと目を通すだけで、活字では得られない「自分」を見ることができる。手書きの重要性を再確認したCOVID-19パンデミックのころは、特に頻度が増えていた。

    ランダムに選んだ手書きの写真を、ここに載せてみる。「写真」のファイルに入っているということは、すでに過去、アップロードしたものである。

    7歳のときの日記から、数日前の般若心経まで。ちなみにムンバイの地図はムンバイにも住んでいた2009年のもの。当時、日本からクライアントが来訪したときにコピーを取って渡していた。16年も前のものなので、参考にはならない。

    百人一首の「立ちわかれ……」の句は、飼い猫がいなくなったときに書いて貼っておくと戻ってくるという「おまじない効果」がある。

    我が家のNORAがかつて半野良だったころ、これを貼っていたら帰ってきたことが何度かあった。あと、友人の猫が行方不明になったときにも教えてあげたら帰ってきた。偶然かもしれないが、効果あり😼

    紙もまた、易々(やすやす)と時空を超える。

    神!

    🇮🇳🇯🇵人生を創るNOTE/「手書き」を語り合う/ミューズ座談会シリーズ

    (19分のあたりから、わたしの「手書き」プレゼンの時間になってます)

    テキストの画像のようです
    ‎地図、‎、「‎1973 3月13日はれ はれ わたしは、 いもうとと、 3の丸だんちへいき きまし た、 二の丸たたんちの、 ころ えんに は、 なりすのずべりだい م クだい が、 ありました。 あゆみさんは、 りすの、 すべりだいと、 くきさんと」 のりました。 わ 5 んこて、りすの すべりだい すべりだいとってつき どいとってつしぼうをば ۴٢ した。‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    日記、テキストのイラストのようです
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    日記、テキストの画像のようです
    チケットの半券、テキストの画像のようです
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  • 11月初旬のデリー結婚式から戻って、この1カ月間はバンガロールにて、比較的穏やかな時間を過ごしていた。

    本当はこの時期、旧居の壁のペンキ塗り替えとフローリングの工事をする予定だったが、来年に先延ばしすることにした。今年は、壁画プロジェクトにデリー宅のペンキ塗り替えと、結構なペンキにまみれた年だったからな。もう十分だ。

    水漏れの名残で塗料が剥がれたり、くすんだりしている様子を、昔は不完全に思えて看過できなかった。しかしこのごろは、その風化に「侘び寂び」を見る😄

    経年変化を、「劣化」と見るか、「風情」と見るか。それもまた、心一つ。

    草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 by 松尾芭蕉

    ということで、今年は歳月の流れが確認できる環境をして「風情」と捉え、しみじみ見守ることにした。還暦を迎えた途端、自分が少し、大人になった気がする😸

    先週末は久しぶりに、若者向けの研修会を開催した。インターン生4名。午後2時から、毎度の如く夜更けまで。(注)わたしが引き留めているわけではない。

    坂田マルハン家は、旧居、新居ともに、「時を忘れる竜宮城」なのだが、最近では「量子もつれ」が起こっている気がする。今回は参加者が4名と少なかったこともあり、セミナーを「月光ライブラリ」で行ったのだが、この空間は特に、時空が伸縮する。

    意味不明だと思われるかもしれないが、我が家へ来たことがある人ならば、共感してくれるだろう。

    時の流れは主観的なもの、自分次第だということを、人生の一周が完了してこのごろは、しみじみと胸に迫る。

    過去も現在も未来も、自分の心一つで自由に飛び移ることができ、在りたい自分、住みたい世界は自分が望むことからはじまる……ということを、おぼろげながらも実感している昨今。

    人生の二周目、いい感じの滑り出しだ。

    本、テキストの画像のようです
    鍋料理、フォンデュの画像のようです
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    屋内、リビングの画像のようです
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  • 先週の木曜夜は、ARAKU COFFEEの6店舗目のオープニングに訪れた。2016年にパリのマレに1店舗目をオープン、2021年にバンガロールのインディラナガールに2店舗目を、以降、ムンバイのコラバに1店、パリに2店と新たな店が誕生してきた。

    ARAKU COFFEEは、単なるビジネスとしてのコーヒーブランドではない、偉大なるフィランソロピー、社会貢献の物語がある。創業者のManojと我が夫は、アスペン・インスティテュートを通して十数年前に知り合い、以来、交流が続いている。

    オープニングに招待されたゲストの中には、この日ランチを共にしたコリアンの友人も、フランス領事のハズバンドと共に出席。彼らはわたしが8月下旬に開催した「福岡クラフトフェア」にも立ち寄ってくれるなど、非常にフットワーク軽く、バンガロールだけでなくインド各地に足を伸ばされている。

    共通の友人や知人たちと挨拶を交わしつつ、香り豊かなコーヒーを味わい、素材のよさが滲む軽食を味わう。ManojによるARAKUの現状を聞きながら、改めて彼らの活動に感銘を受ける。コーヒーを育むアラク・ヴァレーの農民各位も店舗に招かれ、役員はじめ関係者から感謝の表彰を受けていた。

    この日はまた、単一区画で栽培され、限定ロットで収穫された限定84個の高品質コーヒー豆「NANOLOT」も発表された。すでに購入が決まったのは、日本🇯🇵と韓国🇰🇷だという。

    ARAKU COFFEEと日本(京都)には深い縁がある。パンデミックのときにわたしはYoutubeチャンネルを立ち上げ、さまざまな企画の動画を作った。友人知人にも協力を依頼したのだが、Manoj には、アラクの背景と日本との関わりを語ってもらった。見応えある撮り下ろし動画を下部にシェアする。また、ARAKUの物語をまとめたブログ記事も転載する。

    1人以上、笑っている人の画像のようです
    シナモンロール、バーブカ、タルト、ターンオーバーの画像のようです

    ARAKU COFFEEの母体は、Naandi Foundationという貧困の根絶と生活向上を志す非営利組織。子どもの教育や安全な水の供給、雇用創出などを支援してきた。Manojは2000年から、アンドラ・プラデーシュ州東部のアラク・ヴァレーにおいて、先住部族の人々のライフを救済すべく仕組みづくりに尽力してきた。

    学校を作り、小規模農家を支援し、土壌の栄養向上と生物多様性を重視し、コーヒーをはじめとする無数の樹木を植林。土地を豊かにし、地球環境を整えながら、先住民族の伝統的なライフスタイルを尊重したビジネスモデルを構築する。さらには、収穫物であるコーヒーを「グローバルスタンダード」に押し上げるべく品質を重視、第1店舗をパリにオープン……。

    ARAKU COFFEEの背景には、インドにおけるフィランソロピー(philanthropy)の実態が象徴的に現れている。フィランソロピーとは、私的な財産や時間・才能を、報酬を期待せずに社会の幸福や公共の利益のために寄付、奉仕する活動のこと。フィランソロピーの特徴は、自発的で継続性のある、大きな社会変革を目指している点が、一過性の資金援助とは異なる。

    コーヒーメーカー、コーヒーカップ、ヤグルマソウの画像のようです
    チョコレートバー、紙マッチ、、「araΚA D Mint&p Pepper Chocolata Mint& 63%D Dark & Orange Chocolate Coffee 72%DarkChocolate NET Dark 75G 72% WT WT XT. ARTISANBAR Orange Chocolate offee 72%DarkChocolate Dark & 72%」というテキストの画像のようです

    以下、Naandi Foundationのホームページから要点を抜粋しておく。

    ◉我々の活動は。どの地域でも「コミュニティが自らの力で脆弱性から強靭性へと変容できる」という強い信念から始まる。まずは「聴くこと」を尊重。文化、歴史、生態系を深く理解するために、徹底的に耳を傾ける。人々の物語を聞き、家族全体とつながり、動植物を観察しながら、少しずつ信頼を構築。このプロセスで最も大切なのは忍耐と共感。

    ◉コミュニティの独自性を深く理解したら、次は、少女、若者、女性、男性を招き、夢の実現への道筋を描く。相互信頼の空気が生まれると、コミュニティは自分たちの価値観を守りながら、我々と共に豊かさを取り戻すために動き出す。この旅には困難が伴う。無条件の信頼、揺るぎない献身、持続的な努力が必要。我々が挑戦を続けられるのは、寛大なフィランソロピーの支援と世界レベルの専門知識があるからだ。年齢、性別、カースト、信条を問わずすべての人が参加できる、地域特有の枠組みをコミュニティと共に作り上げる。知識の共有、能力開発、生態系の保全、そして富の創出だ。

     

    ヘアケア商品、フレグランス、、「wwwarakucfe www.arakucaffe.n SRIGI INDIA araku® COFFET COFFLE NANOLOT DRIGIN NDIA araku® COFFEE COFFEE NANOLOT OT ORIGIN NDIA NOU araku araKи Kи COFFER NANOLOT OT」というテキストの画像のようです
    テキストの画像のようです

    【実績】

    ・2000年以来、25年間、貧困撲滅に取り組む

    ・再生農業で100種類以上の作物・果樹・木材を栽培

    ・3万5千人の女性農家を支援し、無農薬・栄養価の高い野菜を生産

    ・年間5万トンの廃棄バイオマスを1万7500トンの堆肥にリサイクル

    ・61万人の女性が英語・適性・デジタルスキル研修で就労準備完了

    ・100万人の女性と子どもに保健・教育・研究を提供

    ・150万人の生活を再生農業の資材と知識で豊かに

    ・300万人の農村住民に安全な飲料水を提供

    ・2023-24年度に17万1千人の少女に計3,420万学習時間を提供

    ・政府立学校1万校以上の子どもたちに10億食の栄養ある給食を提供

    1人以上、スーツ、結婚式の画像のようです
    1人以上、テキストの画像のようです
    1人以上、結婚式の画像のようです

    ☕️必見動画

    ARAKU COFFEE/ 高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり

    ☕️必読ブログ

    ヤグルマソウ、テキストの画像のようです
    飲み物、テキストの画像のようです
    イチゴ、デザート、、「ADVO alaku म Ku」というテキストの画像のようです
    寿司の画像のようです
    1人以上の画像のようです
    1人以上、テキストのグラフィックのようです
    、「Naandi 25 Hare Farmers Giris urPeople Our Stories Board of Directors Careers Contact Dr.K.AnjiReddy(1941-2013) Dr.K Anji Reddy (1941-2013) (1941- 2013) FoundirgCrarman Founding Chairman Learn Learnmore more Anand Mahindra Chairman and ndL Life Trustee Learn nore 80 Senapathy Senapathy"Kris"Gopalakrishnan "Kris" Gopalakrishnan Lite Trustee earn Learnm more Satish Reddy Life Trustee Learn nore Maganti Rajendra Prasad Life Trustee ManojKumar Manoj Kumar CED&ExfioSscelryTuheEDr」というテキストの画像のようです

  • 小雨降る、静かな日曜日。夫と二人、新居で過ごしている。旧居の猫らが気になるが、ドライヴァーが朝晩、餌をやりに来てくれるので、心配はない。ただ、わたしたちが「猫離れ」できないだけである。

    今週は、濃密ながらもストレスなく「善き時間」を過ごせた1週間だった。今日のうちに、いくつか記録を残しておきたい。

    ほぼ毎週火曜日の朝に開催されている「女性の勉強会」。今年は参加を逸してばかりだったが、今週はタイミングを合わせて参加できた。新たな学びを得た後、インディラナガールへ。ひとりランチは、日本料理店のIZANAGIへ行くことにした。

    普段、家では揚げ物をほとんど作らないので、がっつりと揚げ物が3種揃った体育会系なスペシャルランチを注文。歳を重ねて食欲が落ちたはず……なのだが、完食。おいしかった。

    実はIZANAGIに立ち寄ったのには、もう一つ理由があった。今月末(本日!)に、同店のテラスに日本茶のティールームがオープンすると聞いていたので、様子を見に行ったのだ。オープニング数日前だったが、幸い、店長のHemaがいて、お茶も出してくれるという。図らずも、わたしが同店初めての客となった。

    彼女は、昔から日本に関心があったとのことで、バンガロールにて毎年開催されてきた日本祭り「ジャパン・ハッバ」にも通い、ミューズ・クリエイションのブースを出しているわたしのことも知っていたとのこと。

    日本茶だけでなく、茶器その他に関する造詣も深い彼女は、自ら鹿児島へ赴き数カ月滞在、知覧茶をインドに紹介すべく尽力しているようだ。鹿児島の知覧茶といえば、最近急速にその知名度を高めている。

    【AI氏に確認した概要を要約】

    ●2017年以降、鹿児島県南九州市の「知覧茶」「えい茶」「かわなべ茶」が「知覧茶」に統一され、ブランド力の強化が促進。

    ●海外輸出を見据えて、抹茶の原料となる「てん茶」の生産に注力。PRも積極的。

    ●2023年度の農林水産祭で、知覧茶が最高賞である「天皇杯」を受賞。

    ●2024年、鹿児島県は、長年首位だった静岡県を抜き、荒茶(再加工前の茶葉)生産量で初の日本一となった。

    ●オーガニック茶への注力。特にEUや英国市場向けに、有機知覧茶の輸出が伸長。

    ●知覧茶は、深い緑色で「爽やかなうまみ」が特徴。浅蒸し茶、深蒸し茶といった煎茶はじめ、玉露や玄米茶、有機抹茶など多彩。

    世界的な抹茶ブームはここ数年のうちにも、加速していることを実感する。米国のスターバックスでは、10年ほど前から抹茶ラテなどのメニューが見られていた。以前は人工的な味で決しておいしいとは感じなかったが、昨今では使用される抹茶のクオリティが「本格化」しているようだ。同店に限らず、また飲料に限らず、抹茶がお菓子やコスメなど、多彩なプロダクツに使われるようになったことで、供給不足は否めないようだ。

    インド人の友人らからも、一時帰国のたびに抹茶を買ってきてほしいと頼まれるのだが、福岡市内の複数の茶店舗で、抹茶が不足しているとの声を聞いた。日本の伝統的なお茶が世界に広まるのはよいことだと思うが、廉価で購入して高値で転売している業者も少なからず存在している様子。品質管理含め、販売者側には何らかの基準や倫理が、そして消費者側には、ある程度の商品知識が必要な気がする。

    翻って「KAORI by CHIRAN」。鹿児島の知覧茶製造/販売業者である浜田茶業の直営店につき、高品質のお茶が新鮮な状態で味わえるが強みのようだ。

    先日、デリーを訪れたときに、高級スーパーマーケットで、同社の洗練されたパッケージを目にした。抹茶はじめ、インドの人々が好むほうじ茶や玄米茶、そして玉露など、さまざまな茶葉が並んでいる。

    そもそもインドにおいて緑茶は「健康によい」という認識が強く、カシミール地方の緑茶には、サフランやシナモン、カルダモンなどの身体を温めるスパイスを入れて飲む「Kashmiri Kahwa」というお茶がある。日本の緑茶とは味わいが異なるが、いずれにしても爽やかな風味が健康を想起させる。

    Hemaが鹿児島に数カ月滞在し、お茶の勉強もしっかりされているようで、わたしの知らない専門用語やお茶に関するワードをいろいろと教えてくれた。

    この日、わたしは「玉露」を注文したのだが、約60℃のお湯でじっくりと煎れ、玉露専用の「絞り出し」急須で供してくれた。恥ずかしながら、「絞り出し」という煎れ方があることを、わたしはこの日、初めて知った。これは、茶葉の旨味を最後の一滴まで絞り出すための特殊な急須だとのこと。さらには「玉露椀」と呼ばれる小さめの湯呑で味わう。まるで中国茶のように。

    写真の「片口(かたくち)」は、日本製ではなく、彼女の陶芸家の友人が作った作品だという。なんとも美しい!  次回は抹茶ラテやスイーツなどを試してみようと思う。

    https://www.chirantea.in/

    https://www.instagram.com/kaoribychiran/

  • A Hundred Handsの主宰者であるMalaからの依頼で、昨年に引き続き、今年もまた、Prasad Bidapa率いる本気のモデルたちと一緒に、素人部門で参加することになった。小顔で長身の彼ら彼女ら。同じ人間とはいえ、「種」の違いを感じる。自分が165センチあるとは思えない長身男子を惚れ惚れと見上げてしまう。無駄に笑顔になっている自分を許してほしい。楽しかった。

  • 伝統的な手工芸を継承する。

    自然環境に配慮した製品を育む。

    地方農村の、特に女性たちへ雇用機会を提供する。

    インドならではの多様性を発現させる……。

    インド各地のアルチザンやアーティストが一堂に会しての手工芸品バザール、A HUNDRED HANDS。MalaとSonia、姉妹によって2010年に誕生した非営利の団体だ。

    わたしは、デリー拠点のDASTKARと並んで、開催のたびに足を運んで来た。当初はミューズ・クリエイションのメンバーを案内しながら巡ることも多々あったが、やがてミューズ・クリエイションのブースを出展させてもらったり、着物の展示をするなど、能動的に関わるようになっていた。

    8月に開催した『日本まつり』では、A HUNDRED HANDSに関わるアルチザンたちにも出店してもらうなど、なにかと関わる機会をいただいている。今回もまた、Malaに出展を提案されたが、ミューズ・クリエイションの協力者があまり集まらなかったことから辞退した。

    一方、2年前同様、販売されている衣類や小物を身に纏ってのファッションショーへの出演(!)を打診されていたのだが、こちらは二つ返事でOKした。バンガロールのファッション界の第一人者であるPrasad Bidapa率いるモデルたちとともに参加できるのは、とても楽しい経験だ。

    ショーのスタートは午後6時からなので、4時ごろに会場へ赴く。前回は、オリッサのすてきなサリーを店舗から借りて着用したが、今回は気に入った服があれば購入するつもりだった。あちこちを眺め歩いた挙句、今回もまた、オリッサの木綿のワンピースが気に入って購入。別の店でストールを購入して、派手めにコーディネートした。

    今回は、新しい出店者も増えていて、毎度、見応えがある。ひとつひとつの店舗をじっくり紹介したいところだが、ひとまずはなじみの店、お気に入りの店の写真を撮らせてもらったので、紹介する。30日までの開催につき、バンガロールにいらっしゃる方は、ぜひ足を運ばれることをお勧めします!

    ファッションショー(!)の模様は、次の投稿で😸

    ジンジャーブレッドクッキー、おもちゃ、レース、、「산 God မေ good เาท good good」というテキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    バティックプリントの服、テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    写真の説明はありません。
    ウィンドチャイム、マクラメ編み、テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    、「N HAND H wo HANDWOVEN• VEN. VEN TM W E W पर्ल A WEWEAVE W WEWEAVE WE E E WEAVE O @@pallu.co.in YOUR YOUR PALLU WINGS」というテキストの画像のようです
    1人以上、ココナッツ、テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    カップケーキ、、「Cupcake 90gr soaps 90gm Adelicious, A playful treat for your Cupcakes not for eat them Cupcakesforyoursk :) your shower. skin,do do ₹350」というテキストの画像のようです
    ‎ヘアケア商品、‎、「‎Handerafted by the Heritagebox www.lieritagebox.in Arlisans of India ไลเริมต์ Caramel pwBлe3pa pasd Caramel pweBo pa ဗ. O paweлo p D兰 01 μ3 paweлю McadowMist MEist Meadow Mist Meadow Mist Meadow ر Mousse Berry Mouss Berty Mist Meadow Mist eadow‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    1人以上、テキストの画像のようです
    ゾウ、テキストの画像のようです
    ‎、「‎Nehru, send ไทร์ DEN An E ZA ZATTR T 。ie hietahla tahla Dha ZAKIR and his tabla uncle please Dha Dhin Na PAMes COS ubki For ya Narayanan Shubham es Lakhera AMMA Anupama S.Iyer ت 1135 Srinivasa® RaManujan Numbers FriendofNumbers Friend S 55 SIC DIDA 1ose 1234567890‎」というテキスト‎の画像のようです
  • (ここに掲載している写真は、2022年に撮影したものです)

    わたしたちが、ニューヨークとワシントンD.C.の二拠点で暮らしていた2001年9月11日、米国同時多発テロが起こった。

    わたしたちが、バンガロールとムンバイの二拠点で暮らしていた2008年11月26日、ムンバイ同時多発テロが起こった。

    もう、二度と、あのようなテロを、目の当たりにしたくない。直接の被害に遭ったわけではない。しかし、人生に強い影響を与えられた事件であったには違いない。

    高度経済成長に沸いていた当時のムンバイ。リーマンショックで打撃を受けた直後のテロリスト・アタック。

    なにもかも、過ぎてしまえば淡々と、ノートの1ページに収められてしまう無常。

    前回、日本へ一時帰国する直前の9月下旬に、わたしがインド移住直前から20年間、ブログを書き続けていたサーヴァー(Typepad)が、「あと8日間で閉鎖」と知ったことは、すでに記した。

    カスタマーへの告知もなく、たまたまトラブルシューティングで問い合わせをして知った。膨大な20年分の記録を、複数のブログを、旅の直前に到底、移行できないと一時は諦めた。

    しかしながら、いや、どうにも諦めきれず、旅の前日と当日、そして帰国後の3日間で、Wordpressにほぼ、移行できた。AIのサポートのおかげだ。

    まだレイアウトは整っていないし、リンクなども崩れている。しかし、残されているだけでよかった。

    今朝、ムンバイ同時多発テロのターゲットのひとつだったムンバイのランドマークとも言える「タージマハル・パレスホテル」のことを思いながら、過去の記録を遡った。

    2004年、インド移住前の旅行で初めて泊まった日から、2022年、最後に訪れたときの記録まで。解像度の低い写真から、どんどん画像がクリアになる過程。そのときどきのわたしの心情が、言葉の向こうに透けて見える。

    あのテロでは、日本からの出張者が被害に遭われた。先日、デリーで娘の結婚式を挙げた、我が夫の従兄弟Adityaと、彼らはミーティングをしたあと、ムンバイに飛んだとのことで、彼もひどく、心を痛めていた。

    トライデントホテル(オベロイ)のエレベータで銃撃された二人の日本人の出張者。お一人は、撃たれたあとも、まだ意識はおありだったとのこと。その彼を介抱していたもう一人の男性は、胸ポケットに入れていたメモ帳が銃弾を防ぎ、軽傷ですみ、命拾いをされていた。

    そのインタヴューを日本のテレビ番組で見たときに、運命とはなんなのか……と、強く考えさせられたものだ。実はミューズ・クリエイションで一時メンバーだった方のハズバンドが、当時、被害者の方を病院へ搬送するなど付き添われていたとのことで、詳しいお話もお聞きした。

    出張先での非業の死。本当にむごいことだ。

    過去の記録を紐解きながら、今を思い、未来を見上げる。

    以下の記録の最下部に、タージマハル・パレスホテルに関する記録のリンクをはっている。ムンバイの歴史の片鱗を。

    🇮🇳ムンバイ、心の拠り処。タージマハル・パレスホテル

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    ヒスイランの画像のようです
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    テキストの画像のようです
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    記念碑、寺院、テキストの画像のようです
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    、「ALEGACY WAS BORN THEPASSION THE PASSION, IDEALS AND VISION OF JAMSETJI TATA WENT LONG WAY SHAPING AN OUTSTANDING BUSINESS CONGLOMERATE THAT HAS BEEN CONSTANTLY NOURISHED AND NURTURED HIS FAMILY OFFER CREDENCE To THIS ONE MAN'S NOVEL DREAM, EVEN THE TATA GROUP BECAME THE LARGEST PRIVATE BUSINESS HOUSE INDIA, THE TAJ MAHAL PALACE BELIEVED to HAVE HELD SPECIAL PLACE THE ENTREPRENEUR'S HEART. "ONE MUST FOREVER STRIVE FOR EXCELLENCE OR EVEN PERFECTION, IN ANY TASK HOWEVER SMALL. AND NEVER BE SATISFIED WITH THE SECOND BEST." J.R.D. TATA」というテキストの画像のようです
    記念碑、寺院の画像のようです
    シンクの画像のようです
    、「ジャムシェトジー・ タタノ タ/1839~1904 その後、 綿紡 【インドの産業の父/タタ グループの創始者】 グジャラート州生まれ. パールシー (ゾロアスター教徒)。 +1868年 (29歳) 横工場を操業し、 インド有数の資本家に。 タタは創業当初から、 バールシーの宗教観に基づく企業倫理、 理念が徹底。 教育、 インフラその他、 きまぎまな分野における社会員献事業を続けている。 (54歳) /来日。 日印間での綿花の直接取引を実現 従来はインドの綿花 を英国が買い取り、 日本が購入していた。 英国のP&0汽船に変わって 「日本郵船」 が綿花を運ぶ。 アジア諸国が歌州列強に席巻されていた時代、 1903年/ムンバイにタージマハル・ バレスホテルを設立。 做州中女中國隆配#用的力数書贈用 彼は大きな想鉄所や世界的な教育機関、 ホテル、 水力発電所などをインドに進設す ることを夢見たが、 生前に実規したのはこのタージマパル・ タタ・スチーセインに頂料上一は」 (..) タージ ホテル バレスホテルのみ。 彼 の構想は、 その後、 タタ・スチールやインド理料大学院 ズ・リゾーツ&パレス、 タタ・パワーとして結実した。 英国統治下 「インド人の誇り」 を具現化 This Boaro langing Side Watson Hotel Rare Invitation &Advertising fTaj Mahal Palace Hotel Taj Mahal Palace Hotel ROOBLNY TAJ MAnAE PALACE HoTBE AHAL PblЖKE DOGS AND INDIANS ARE NOTALLOWED DECKMBER LATEST 1896年7月7日、 ジョーで見るために立ち寄ったポンベイのワトソンホテルで ジャムシェトジー・タ 夕は入場を断られる。 「犬とインド人はお断り」 のサインに衝撃を受けた彼は、 最高のホテルを建立す ることを決意。 インドで初めて、 全能理気が使用された超高級ホテルとして1808年に創来、 ドイツ製の エレペータ、 アメリカ製のファン、 トルコバス、 英国人執事などを備えた。」というテキストの画像のようです
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