インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

  • かつては毎年5月ごろにニューヨーク、10月ごろに日本に帰国するのが恒例だった。わたしたち夫婦が出会い暮らしたニューヨークは、わたしにとって大切な故郷のひとつでもあり、しばしば訪れたい場所だった。もちろん、グリーンカード(米国永住権)を保持し続けるための実質的な理由もあった。

    しかし、COVID-19パンデミックで海外に出られない間、我々のグリーンカードは失効。ライフの優先順位も大きく変わった。2019年を最後に、以来、米国の土を踏んでいない。

    その一方で、2023年からは、年に2回、日本へ帰るようになった。最大の理由は母の高齢化に伴うもので、特にこの1年半は、介護保険の利用開始や、白内障手術など、実質的なサポートが必要だったことから、福岡の滞在がメインとなっていた。

    そして今回の一時帰国。日程を決めたときには、母が転居することを想定していなかったので、旅の後半は夫も合流して国内旅行をするつもりでいた。しかし、旅の直前、我が還暦の誕生日前後に、「節目」がどっと迫ってきた。

    母の一人暮らしが困難になりつつあることは理解していた。しかし、いわゆる「老人ホーム」への転居には抵抗があった。一方で、理想的な場所は入居一時金が極めて高い。情報収集は少しずつ始めてはいたものの、保留のままだった。

    春の一時帰国以降、母のライフが急速に困難になりはじめたことで、妹とも相談し、ホームの下見をしてもらっていた。最終的な決定は、わたしが帰ったときに……と考えていたが、たまたま妹のオフィスのすぐそば、徒歩1分以内の場所に「サーヴィス付き高齢者向け住宅」が見つかった。

    詳細は[Fukuoka 04] にて記したので、ここでは触れないが、ともあれ、偶然にも広く快適な部屋に空きがでて、速やかに移転できたことは、奇跡的だった。この1カ月弱、何度となくホームを訪れたが、スタッフの方々の対応もたいへん親身で、ありがたい。

    新築で清潔感に溢れる館内。朝、昼、晩と、おいしそうな料理が提供してもらえる。介護保険を利用し始めた当初からのケアマネージャーさんのサポートを継続できるのも心強い。これまで通りのヘルパーさんが週に2回来訪され、家事をサポートしてくれる。また週に3回は、ケアセンターへ送迎付きで体操に行っている。

    この1年余りの諸々のセットアップは、決して簡単とは言い難く試行錯誤の連続ではあるが、諸々が整いつつある今は、本当に、大きな肩の荷が一つおりた思いだ。

    ステーキの画像のようです

    母の誕生日を祝ってからバンガロールに帰るつもりで、10月21日発のフライトを予約していた。まさか、こんな形で母の87歳を祝うことになろうとは思わなかった。

    10月20日の朝は、実家の売却をお願いすることになった不動産会社との契約を結ぶべく、香椎の妹のオフィスにて、ミーティングが入っていた。秋とは思えぬ暑さが続いていた福岡。最終日にしてようやく、涼風が吹き始め、秋らしい青空が広がっている。

    オフィスに直行するのは惜しく、実家を早めに出て名島から千早を経て、香椎宮まで歩く。今回の諸々を「神様」に感謝したく、香椎宮で手を合わせた。

    ミーティングのあと、母を連れ出して、またしてもロイヤルホストでバースデーランチを楽しむ。わたしはオイスターなメニューを、母はがっつり肉料理を。大した食欲の持ち主なのだ。

    写真の説明はありません。

    食後、妹の運転で母をケアセンターに送り届けたあと、ほど近い名島神社へ。実家から、朝な夕なに手を合わせて祈った名島神社。今回は訪れる機会がなかったので、最後にどうしても、お礼の挨拶をしておきたかった。

    我が原点の海を望む名島神社のことは、次に綴りおく。

    ラーメン、コロッケ、、「須川里穂 製作者: 作通美 作品名:ま」というテキストの画像のようです
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    伏見稲荷大社の画像のようです
    ウィンドチャイム、伏見稲荷大社、、「时 財 天」というテキストの画像のようです
    寺院、、「ATUA 고 月 2 G 昭 和 112 士 ۱ 年」というテキストの画像のようです
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    ウィンドチャイム、寺院の画像のようです
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    伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
    伏見稲荷大社の画像のようです
    伏見稲荷大社、テキストの画像のようです
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    木の画像のようです
    記念碑の画像のようです
  • 昨日の早朝、3時近くにバンガロールに到着。ロサンゼルスからのフライトが遅れたため、同じ機材を使っての成田発ベンガルール(バンガロール)行きが遅れ、さらにはトンボ帰りとなるベンガルール発成田行きも遅れる。

    2時間もの遅れは珍しいのではなかろうか。

    幸い、フライト中に数時間寝られたが、朝の到着はなかなかに辛い。夫も猫らも眠そうに起きて迎えてくれた。

    ただいま。

    昨日は荷解きをしたり、マッサージを受けたりと、いつもと同じ旅を終えての習慣をすませる。日本に滞在していたことから、今回は完全にスルーしていたが、インドは絶賛ホリデーシーズン。ヒンドゥー教のお正月であり光のまつりでもあるディワリ休暇の只中でもあり、自宅には友人らからのギフトも届いている。

    お礼のメッセージを送ったり、友人らとキャッチアップをしているうちにも、1日が瞬く間に過ぎていく。

    でもって! 来週火曜からは、またしても旅。デリーで開催される姪の結婚式に参加するためだ。インドの人々の結婚式にかける熱意とその重要性は、それを経験した人にしか理解できないであろうスケールだ。

    4日間に亘って、5つのファンクション(催し)が用意されている。すなわち5種類の派手めな服が必要となる。近い身内とあって、親戚でのダンスにも参加せねばならない。

    インドの結婚式とは、来賓者もド派手がウェルカムゆえ、華やかなサリーなどを用意するつもりだが……。すでに今年、着尽くしている感のある還暦記念サリーを持っていくことになるだろう。

    たくさんサリーを持っていても、結局、超お気に入りばかりを着てしまう。もう本当に、中途半端に気に入ったものを買うのはやめて、もんのすごく気に入ったものだけを買う習慣をつけねばと思う。実家の母の衣類を片付けていて、身に染みて実感した。

    🇯🇵

    さて。前置きがすでに長いが、日本旅の名残を。いつも、旅の終盤の記録はおざなりになるのだが、今回の旅は我が人生の大いなる転機にもなった「心の旅」でもあり。決して華やかな紀行ではないが、少しずつ、書き残しておきたい。

    [Fukuoka 07]の、香椎高校の同窓会の記録にも記した通り、10月14日に母校の香椎高校を訪れた。もちろん、校長先生にはアポイントメントを入れていた。香椎高校は今、新しい校舎が建設中で、わたしたちの学舎は近々取り壊される。

    いいタイミングで訪れることができたと思う。

    村嶋校長、松尾副校長、菱谷教頭に迎えられ、校長室にてしばしの歓談。前回も記した通り、現在、同校は、「グローカルに活躍できる人材創出 〜香椎から世界へ〜」というスクールミッションを掲げている。

    「地域との交流活動に加えて海外との交流を積極的に推進し、グローカル人材(地域と世界をつなぐ視野を持った人材)の育成をめざしています」

    との言葉をホームページで目にして、わたしにできることは必ずあると確信した。

    「国語の先生になって、香椎高校に戻ってくる」と決めて卒業した。あれから42年。随分と遠回りをしたが、ようやく、母校のために貢献するときが来たように思う。

    まだ、具体的に何かが動き始めたわけではないが、わたしにできることを先生方にお伝えした。アイデアが次々と浮かび、尽きない。その片鱗をお伝えできただけでも、わたしにとっては意義深く、ありがたいひとときであった。

    母校もまた、わたしが帰ってくる場所のひとつなのだと思うと、温かく、うれしい。

    【写真】

    ◎高校へ伺う前に、すぐ近所にある不老水へ。前回、春の旅に引き続き、今回も清らかな水をいただく。

    ◎校内で、わたしが立っているのは、部室の前。ここは、高校時代と変わらない建物だ。

    ◎新校舎の壁には美術部の作品が随所に展示されていた。若冲の模写が圧巻だった。

    ◎今回の旅も、ロイヤルホスト三昧。ロケーション、メニューのバラエティ、広々とした空間……。非常によい。カキフライもハンバーグもおいしかった💓

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    キリモドキ、木の画像のようです
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    地図、テキストのアート作品のようです
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    コロッケ、スコッチエッグの画像のようです

  • ああ、福岡とバンガロールの直行便が飛んだら、もっと気軽に帰ってこられるのに。

    福岡から成田への便は少なく、羽田経由は荷物が多いがゆえ面倒で、朝のフライトで成田入り。ランチタイムに到着するので、ラウンジで食事をし、買い物などして、あとは書き物でもして過ごそう……と思いきや! バンガロール行きのフライトが2時間近い遅れで夜9時ごろの出発。

    ほとんど丸一日を乗り継ぎで過ごす。

    しかし考えようによっては、このワン・クッションも悪くない。今回の旅は殊更に。福岡以外のどこへも行かず、買い物もほとんどせずにいたので、空港で気ままに過ごすのもいいものだ。

    ✈︎

    福岡にいながらにして、起伏に富んだ日々を過ごしたこの1カ月足らず。10月18日は、「福岡キャリア・カフェ」が3周年記念として主催していた鳥取三津子氏(日本航空株式会社代表取締役社長執行役員 グループCEO)の講演に赴いた。

    「福岡キャリア・カフェ」とは、「福岡県女性人材育成のためのネットワーク形成事業」によるもので、様々な分野でキャリアを積んだロールモデルとの出会いを提供するネットワークだ。

    まだバンガロールにいたときに、たまたま告知を目にし、ちょうど帰国時に開催と知ったことから「これは行かねば!」と申し込んでいた次第。会場となっている「ワン・フクオカ・ビルディング」のカンファレンスルームは300名を超える女性たちで埋め尽くされていた。

    テーマは「JALグループのDEI戦略と自身の歩みについて」。鳥取氏は、まずJALグループ全体の現状や展望についてお話しされたあと、ご自身のキャリアと社長就任の経緯やご自身の状況などについてお話しくださった。

    大企業に勤務した経験のないわたしにとって、お話しのすべてが興味深く未知の世界であり、重職に就かれている方々の責任の重さについて、思いを馳せる。

    ちなみにDEIとは、「Diversity(多様性)」、「Equity(公平性)」、「Inclusion(包括性)」のこと。お聞きしたことは、いつもの如くメモしているので、記事が書けるくらいであるが……。そろそろシャワーの順番が回ってくるので、一旦、筆を置く。🖌

    1枚目の写真は、講演が終わったあとに立ち寄った福岡市役所前で開催されていた「筑後川のめぐみフェスティバル」にて。JALの講演だけに、赤に鶴のサリーを着ていった。こういう場では、見た目で声をかけていただける機会が増えるので、サリーは便利である。今年はこの還暦な赤いサリー2枚の着回しがメインで飽きてはいるが、インパクトは強いのだ。

    柳川名産のい草のティーマットを買ったり、回転焼きを食べ歩きして楽しんでいたところ、「甘木絞り研究会」のお姉様方に声をかけられる。そう。わたしのサリーも本場インドのバンダーニ(絞り染め)が施されているがゆえ。

    今となっては名古屋の「有松絞り」が有名だが、そもそも日本における絞り染めは、大分の「豊後絞り」が有名だったのだ。今となっては風前の灯となっている豊後絞りを現代に復活させた女性もいらっしゃるということも、以前、調べて学んでいた。

    しかし、甘木絞りのことは、この日初めて知った。甘木でもまた、江戸時代後期から昭和20年代半ばまで、絞り染めが大いに栄えていたという。久留米絣に博多織、甘木絞り……。福岡県のテキスタイルを巡る旅もやってみたいものだ。

    テキストの画像のようです
    、「YogaSleeping Sleeping Mat Yoga Igusa IgusaFlower Flower Place --- RPOY 運 ご売 柳 ー နှ့တဲ 川もん」というテキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    ‎、「‎ELGALA 一日 --.-- · 42 朝倉市 甘木り研究会 م لمه‎」というテキスト‎の画像のようです
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    バティックプリントの服、テキストの画像のようです

  • 1人以上の画像のようです
    、「The Journey of My Life From Japan to India, via riat athe he FromJapanto.india,viatheUS US JS Miho Sakata 日本 本とリカ合業国線 リカ合衆国様 民時」というテキストの画像のようです
    1人以上、、「The TheJoum Jourr From FromJapar Japar ife IS 本発アメリス WJ」というテキストの画像のようです

    一昨日、10月16日の夜は、先日も記したところの、福岡にて、働く女性を支援する多彩な活動を続けられている村山由香里さんから声をかけていただき、「天神キャリア塾」にて講演をする機会を得た。その名からして、比較的、若い女性を対象としたビジネスキャリアに関する学びのだろうと思っていたのだが、実際は「関心のある遍く人々」が参加できるとのこと。

    天神にある関家具のオフィスをお借りしての小規模でアットホームな集いだということがわかったので、当日のオーディエンスの構成に応じて、フレキシブルに話を進めようと考えていた。使用したのは、以前から使っていた日本語/英語を併記したわたしの「自分史」の資料だが、最後にアップデートしたのは2年前。当時と今とでは、かなり大きな心境の変化があった。

    人生2周目最初の講演。しかも故郷での開催ということもあり、先日より幾度か記している「人生はロールケーキ」と、「福岡とインド(バンガロール)を結びたい」というわたしの思いを、最後シェアすべく、資料を拡充した。

    約60分にわたしの半生をぐっと詰め込んで話す。その後、30分間の質疑応答。そして60分のソーシャルタイム。参加者の方々との会話も濃密で、プライスレスな2時間半だった。きっと参加されていた大半の方々が、それを実感してくださったと思う。本当に楽しい夜だった。

    ターツボード、地図、テキストの画像のようです

    わたしにとって、お一人お一人の背景を尋ね、理解しながらソーシャルを楽しめる理想的な人数は、「十数名」である。多くの方々に来て欲しいという思いがある一方で、20名を超えると会話が一方通行になりがち。理想的なのは、参加者も自己紹介ができ、深いネットワーキングができるのは、15名前後だ。

    今回は、学生から60代の先輩方まで、ヴァラエティ豊かなバックグラウンドの方々が集い、言葉を交わした。告知にわたしの学歴は記されていなかったのだが、「わたしは香椎高校出身です」「夫が香椎高校卒業生です」「香椎高校から徒歩1分のところに住んでます」「香椎高校で英語教師をしていました」と、香椎高校祭りだったのには驚いた。

    香椎高校に近い下原にお住いの方もいらっしゃる。また、最近「久留米絣」を通してすっかり愛着を覚えている久留米の方もご来訪され、講演後の会話が各方面で弾む。村山さんが用意してくださった軽食をいただきながら、感慨深い。

    わたしは、世界各地を旅し、人生の半分を異郷に暮らし、さまざまな経験を重ねたからこそ、故郷のすばらしさや魅力を「客観的に」見出すことができる。ずっと暮らしていると、見慣れすぎていて「当たり前」になってしまうのが普通だ。そこにわたしは、一石を投じたい。

    わたしならではの、唯一無二の視点を、大切に磨きながら、今後、活用していこうと考える。

    「福岡=バンガロール」の姉妹都市化、そして直行便就航は、わたしの人生2周目の一大(二大)目標だ。何様だ、と言われそうだが、微力でも、地位や立場がなくても、地道に声をかけ続けることが大切なのだ。概ねゼロから、踏み出す一歩こそ偉大。

    絵空事ではなく、この二都市の共通項や魅力を大いに引き出しながら、双方に暮らす人々に地道に働きかけていこうと思っている。

    今回の福岡滞在では、会う方、会う方に、伝え続けている。

    福岡が、東京と大阪に次いで、札幌、名古屋と肩を並べがちな立場であると同様、バンガロールもデリー、ムンバイに次いで、コルカタやチェンナイと肩を並べがちである。

    また福岡市民が福岡の見どころや魅力をあまりアピールせず、「太宰府?」と、隣の市の名前を言ってしまうと同様、バンガロールも「マイソール?」とお隣の市を挙げる点に共通項がある。どちらにも、十分に歴史的にも文化的にも、訪れるものを引きつける魅力に満ちてるというのに!

    ところで3枚目の写真は、大学時代の同級生と共に。彼女と最後に会ったのは十数年前。

    最近、ソーシャルメディアから離れているらしく、わたしの動向を知らなかったらしいのだが、たまたま今日、この会合を知り、場所を確認したら、彼女のオフィスの真向かいだったとのこと! 講演に参加する時間はないけれど、一瞬、会いに来てくれた。元気に活躍されているようでうれしい。

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    実は木曜日には、西日本新聞社を訪問し、インドに関心をお持ちの記者の方にもお会いしていた。わたしは2007年から2012年までの5年間にわたり、西日本新聞に『激変するインド』という記事を月に一度、寄稿していたのだが、その記事を、彼女はお読みになっていたとのこと。今年は福岡市にインド領事館も開設され、福岡とインドの距離はぐっと近くなる気配だ。

    わたしにできることを、模索しながら進む。

    実り豊かな機会をいただいたことに、感謝。🙏

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    子供、、「先祖 先祖~両親、祖父时~ ~両親、 祖父母~ Before Iwas Beforelwasborn... born... 1. My father asa child. 2. My paternal grandmother (left end) 3 3. 3. Paternal grandmother's faith. The Japanese Buddhist Nichidatsu Fujii who the founder the Nipponzan-Myohoji Myöhöji has been to India and had friendship with Mahatma Gandhi. 4. Paternal grandparents' wedding. 554 SE CHILDHOOD 0 0~7 0~7yearsold 7 years old」というテキストの画像のようです
    子供、テキストのグラフィックのようです
    、「High School 15~ 15~18yearsold 18 years old 吹っ切れた高校時代。 将来は国語の高校教師を志望 Happier High School Days felt Initially when entered high school, strong inferiority complex. That high school not where wanted to go, but gradually my school became more enjoy Ibelonged to the basketbal! club. hurt my legs and back but did have courage quit the club. became member ofa hard rock band, and was charge fthe keyboard. It was very fun experience. decided become high school Japanes Japanese language teacher in the future. HEAVY MECAL MEGILFANTAGY ၈.၁၇၇」というテキストの画像のようです
    ‎、「‎囚われちゃ駄目だ。 の め 切 他 夏日漱石 「三四郎」 (1908) より‐ -部抜粋。 る 然 あ も か た て t 真 ف प す 傾 た。 た ج 尤 る に わ た、 た。 ه 出 1 人生を変えた20歳の夏。 The summer in the U.S. that changed my life 教職の道を選ばず age 20, Istayed in Los Angeles suburbs for a that time, my values changed 180 degrees. felt less motivated to back my hometown and become school teacher the future. 人生観が180度、 変わる。 aAPAKAT Jupan Tavel Duncau パスポートの有効期限が切れる前に、 いろいろな国を旅したいとの思いが顔き上がる 将来、 どんな仕事をすべきなのか。 不透明な進路‎」というテキスト‎の画像のようです
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  • 毎日が、濃い。

    意図して予定を詰め込んでいるわけでも、ましてや生き急いでいるわけでもない。しかし、気づけば、濃い。

    このたびの日本滞在は1カ月近くもあるから、実家はじっくり片付ければよいと思っていたが、甘かった。片付けても片付けても、次から次に、奥から出てくる両親のライフの証。父はまだしも、母はまだ生きている。何もかも捨てるわけにはいかず、仕分けをしては捨てる。仕分けをしては捨てるの繰り返し。

    この数週間、いったいいくつの、ゴミ袋を捨てに行ったことだろう。

    数日前、釣りの帰りに成果の「イカ」🦑を持参してくれた心やさしき従兄弟が、

    「美穂姉ちゃん、これ、あと一週間で終わらんよ」

    と、微妙な笑顔で言いながら、去って行った。

    やめて。

    実家の片付けをしながら、わたしはこれから、どう生きるかを、問い続ける。

    何を求め、何を手放し、何を残すのか。

    2020年、義父ロメイシュが他界したときも、義祖母の名残が残った家の片付けがたいへんだった。しかしインドは使用人がいるので、ある程度のことは、指示をすればすむ。もちろん、指示をするにも状況把握が必要ではあるのだが。

    昨日は、母校である香椎高校を訪れ、校長、副校長、教頭、3人の先生方とお話をさせていただく機会を得た。詳細は、後日改めて、書き残す。

    ともあれ、高校卒業時に「国語の教師になって、母校に戻ってきたい」と思っていた自分が、果てしなく遠回りをして40数年後、こうして母校に戻り、絆を結びなおそうとしていることを、不思議に思う。

    神功皇后と仲哀天皇あってこその「香椎」「名島」という地名に深く関わる自分と、ここ数年の、帰郷のたびの「故郷再発見」が、日々、ぐいぐいと迫ってくる。

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    香椎高校での有意義な懇談のあと、香椎駅界隈で所用をすませ、またしてもロイヤルホストまで赴き、一人ランチをすることにしていた。すると妹から連絡があり、合流できるということで、一緒に食事をすることに。

    美味ミックスフライ定食を食べながら、自分が今、気になっている「志賀海神社」の話をし、次回の一時帰国時にはレンタサイクルで志賀島を一周し、島に3箇所ある志賀海神社を訪れるつもりだと話した。車がなければ不便なので、今回は見送るつもりでいた。

    そもそも、まだ実家の諸々は、終わっていない。ランチのあとは、ガーデンズ千早の無印良品に赴き、母の新居のためのさまざまを追加購入するつもりでいた。

    ところが車で来ていた妹が「これから行こうよ」と提案してくれた。買い物は帰りにでもできる。志賀島は、さほど遠くもないからと出かけることにした。かつては、和白あたりを経由して左折せねばならなかったのだが、今は照葉(てりは)と名付けられた埋立地を突っ切って海の中道へ到達し、陸繋島である志賀島へ赴けるようになったのだ。

    志賀島に入る直前に、すさまじい豪雨が降り出した。「龍神様が歓迎してくれているのだな」などと自分に都合よく解釈する。

    しかし車を止め、境内に入るときにはパタリと雨が止んだ。石段を登り、ひとけのない静かな境内に入るや、涙があふれてくる。いったいどうしたことなのか。歳を重ねるとは、いちいち感傷的になることなのか。

    海を望む「遥拝所」の鳥居越しに、神功皇后が三韓へ出兵される際に祈願した対岸を眺め、由来する「亀石」を眺めていたとき、ちょうど神職の方がお通りになったので、お声をおかけし、お話を聞きした。

    すると、奇しくも昨日が、年に一度の、亀石を祝する日であり、昨日の早朝、神功皇后が祈願されたという海向こうの海岸に渡って祝事を行ったとのことだった。

    香椎宮における10年に一度の勅祭に赴いたことといい、こうして偶然にも、志賀海神社の年に一度の大切な日に訪れたことといい、「呼ばれている」と思わずにはいられない。

    志賀海神社の歴史は途轍もなく古い。志賀島は、博多湾の海上交通の要衝であるため、海の守護神として「海神の総本社」「龍の都」と称されている。御祭神は、海の底を司る「底津綿津見神」、海の中程を司る「中津綿津見神」、そして海面を司る「表津綿津見神」の綿津見(わたつみ)三神だ。

    もう、このくだりを知っただけで、遥かなる気持ちになる。

    「阿曇族」のこと、神功皇后にまつわる対馬の鹿の角のこと、浦島太郎伝説との関わりなど、調べるほどに興味深く、綴るに尽きぬので、今日のところはこの辺で。

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  • インド帰国まで残すところ1週間。長い残暑を経て、ようやく秋風が流れ込み始めている。とはいえ、まだ半袖を着ているけれど。

    1996年に日本を離れて、まもなく丸30年。

    「ただいま」と言い続けてきた「実家」が、なくなる。

    「片付け」と称して、こうして1カ月もの間、この家で「一人暮らし」ができたことは、神様からの還暦祝いだったように思う。1歳から18歳までのわたしが過ごした、名島、千早、香椎が一望できるこの場所で、さまざまを振り返る日々。

    毎朝、毎晩、多々良川の河口、博多湾に面した場所にある名島神社の杜に向かい、合掌する日々。なんという絶景の、すばらしい家だったろうと、今更ながら感じ入る。

    家のことをお願いする不動産会社も、ようやく決定した。好条件の物件とはいえ、査定に来てくださった4社、それぞれに、親身に熱心に提言をしてくださった。どなたにお願いしても、きっとうまく進めてくださるだろうと思えるほどに。

    不動産会社の方々とのエピソードだけでも、ご縁や奇遇、豊かなストーリーに満ちていた。

    まだまだやることは山積していて、あと1週間が勝負。とはいえ、少しは自分の仕事のミーティングなどもいれたく、今週はスケジュールをしっかり調整しつつ、よりたいせつに日々を過ごしたい。

    土曜日は、すでに記した通り、ガーデンズ千早にて母のアッセンデルフトやトールペインティング、デコパージュの作品を販売すべくお店を出した。ガーデンズ千早を運営する「高橋グループ」代表の高橋氏とは、2018年にバンガロールで(!)初めてお会いして以来、懇意にさせていただいており、その後も一時帰国時に、何度かお会いしていた。

    今回、大量の母の作品をどうすべきか頭を悩ませていた矢先、ハンドメイド・デイズという催しが開催されていることを知り、出店申し込みの締め切りが過ぎていたにも関わらず、お願いのメッセージをお送りしていた。するとちょうど、土曜日にキャンセルが出たということで、1つのテーブルを提供していただいた次第。

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    わたしの両側に立っている長身なお二人。奥が高橋氏で、手前がイヴェントなどを総括されている甲斐氏だ。今後も、千早を中心とする地域社会を盛り上げるべく、わたしもインドからお手伝いすることになりそうで、楽しみだ。ガーデンズ千早の詳細は下記に残している。

    [DAY 07-1/ Fukuoka] 幼少時の思い出多き「千早」にて。インドとのご縁を育むために@ガーデンズ千早

    https://museindia-mvosj.wordpress.com/2022/06/01/jpn07-3/

    レース、テキストの画像のようです
    レース、テキストの画像のようです

    春の「ナマステ福岡」、そして8月末のバンガロールにおける「福岡クラフトフェア」に引き続き、MISAさんが搬入や搬出、販売のお手伝いをしてくれた。海の中道にご自身のお店もあるので、途中にそちらへ行き、また戻ってきてくれるなど。とても助かった。

    途中、叔母(母の妹)夫婦や、子ども時代を共に過ごした従兄弟と彼の奥さん、実家の上階にお住まいでずっとお世話になっていたご近所さん、そして不動産会社のお兄さん(今回お願いできず!)……と、思いがけない方々も立ち寄ってくださり、とても楽しい時間だった。

    母の作品やインド小物も、ほんの少しではあるが販売でき、しかし周囲のお店であれこれと買い込み、出店代と買い物で売り上げは雀の涙となったが、プライスレスな楽しい時間を得られてありがたかった。

    まだまだ片付けは終わらず、母の作品の半分程度はインドに送るつもりだが、それでもまだ、たくさん残っている。どなたか、引き取りたい……という方がいらっしゃったら坂田までDMください。母の作品を処分するのはあまりにも惜しい。最終的には中古品引き取り業者に依頼することになるのだが、その前になんとかしたく。

    夜は香椎のイタリアン「OLIVE」にて、妹夫婦から還暦祝いをしてもらう。バッグに潜ませていた「還暦ファッション」で記念撮影。この帽子、なぜか友人らから「似合う〜」と褒められるのだが、この日も褒められた。今まで帽子が似合うと言われたことは一度もないのに。

    還暦帽子が似合うと言われても、今後、被れないのに。

    褒められて、微妙。

    今年いっぱいは、機会があったら被ろうと思う。引き続き、還暦祝いを受け付けます!😹

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  • 4人、伏見稲荷大社の画像のようです

    日本滞在も残すところ10日となった本日10月10日かつての体育の日。秋の服に袖を通すことなく、スーツケースに詰め込むことになりそうだ。

    今日は2件の不動産会社と2度目のミーティング。それ以外は家に籠って片付けや、明日のバザールの準備をしようと思う。

    ⛩

    昨日は少し早起きをして、母の新居へ赴く。抜け殻の実家には洗濯機がないので、衣類は手洗いしているが(幸い暑いのでよく乾く!)、ベッドリネンなどはさすがに浴槽で踏み洗い……も困難なので、新居の洗濯機で洗うのだ。

    洗濯機を稼働させて直後、「あら、もう出かけるの?」という母に手を振り、香椎宮へ。

    昨日10月9日、香椎宮で「10年に一度」の勅祭(ちょくさい)が行われたのだ。前回の一時帰国時に、香椎駅に貼られていた告知で初めて知った。今回の帰国と重なったこともあり、関心はあったものの、優先順位はさほど高くなかった。

    記念碑、、「F」というテキストの画像のようです

    しかし、前日に父が好きだったという呑山観音を訪れたこと、そして実家の片付けをしているときに、父が一時期、香椎宮の「氏子総代」をしていたことを知り、これもまた節目の為すべきことと思った次第。今回、片付けをしながら、わたしの知らない亡父の側面が、「紙の記録」を通して、ハラハラと落ちてくる。

    今回、比較的ゆっくりと片付ける時間をとっていたことを、改めて幸いと思う。

    さて、勅祭である。これは天皇の命によって行われる、皇室ゆかりの伝統的な行事だ。勅使(ちょくし)と呼ばれる天皇の使者が神社に遣わされ、天皇からの幣帛(へいはく/お供え物)を捧げ、祝詞を奏上する。 この勅祭が行われる特定の神社をして「勅祭社」と呼ばれるのだが、なんと全国に約8万あるとされる神社の中で、わずか16社(伊勢神宮除く)しかないのだ。

    しかも九州は、この香椎宮と大分県の宇佐神宮だけだという。前回の一時帰国時にも桜を愛でに訪れて、諸々記したが、香椎宮、ご立派! なのである。詳細は、前回の記録をご一読いただきたい。ブログの引越しをして、本当によかった。まだ体裁は整っていないが、ひとまず読めるのでノープロブレム。

    [Fukuoka 22] 桜を愛でつつ、香椎(かしい)の歴史の深さに心が震えた。椎の木を仰ぎ、不老水を飲む。https://museindia-mvosj.wordpress.com/2025/04/11/fk22/

    1人、バンの画像のようです
    テキストの画像のようです

    香椎宮の参道を歩く。途中、香椎参道の香椎宮の前と、国道3号博多バイパスを結ぶ高架ができていた。つい先月、開通したらしい。その下を潜れば、頭上に「雲」とある。神棚の上の天井に「雲」と記すのと同様の意味だろう。「神様の上には天(雲)しかありません」という、神への敬意。

    このようなはからいが、近代的な建築物にもきちんと施されているところに、日本の精神性とその美を感じる。

    伏見稲荷大社の画像のようです
    ウィンドチャイム、伏見稲荷大社の画像のようです
    4人、寺院の画像のようです

    9時半から開始とあったが、早めに到着したので、境内を散策する。この日は招待客以外の一般見学者は本殿に立ち入ることはできないため、来訪者は勅使をお出迎えし、本殿へ入られるお姿を見送ることになる。

    どこで待機するのがいいだろうとウロウロした挙句に決めた場所がとてもよく、勅使が車から降り、幣帛を調え、本殿へ向かって進むご様子を間近で眺めることができた。

    空は青く澄み渡り、涼風がすり抜け、雅やかな音があたりを満たす。目頭が熱くなる。

    香椎宮の勅祭は、西暦737年ごろから不規則に始まり、1925年(大正14年)から10年周期に定められ、今回は110回目だったという。10年後の10月9日、わたしはどこにいるのだろう。ともあれ、生涯少なくとも一度、この場に身を置けたことに感謝する。

    1人以上、テキストの画像のようです
    2人、テキストの画像のようです
    6人、伏見稲荷大社の画像のようです
    テキストの画像のようです

    帰路、参道にある「Nanの木」で遅めの朝食を。おいしいコーヒーとホットサンド。幸福な朝であった。

    令和七年勅祭(臨時奉幣祭)/香椎宮公式チャンネル

    伏見稲荷大社の画像のようです
    寺院、木の画像のようです
    雲、テキストの画像のようです
    クラブサンドイッチ、バゲットの画像のようです
  • 1カ月弱の福岡滞在も瞬く間に半分が過ぎた。今回こそは小旅行に……と思っていたが、次回までお預けだ。その分、福岡市の実家界隈にて、前回同様「歴史探訪」をしたいと思っている。

    昨今ではGoogleマップが本当に便利。特にサテライト(人工衛星から撮影された航空写真モード)の地図を見るのが好きで、福岡界隈の上空を自宅にいながらにして眺められる。

    いくつもの興味深いポイントがあるのだが、数日前、「伊野天照皇大神宮」と「呑山観音寺」が目に止まった。ここは香椎からも車で30分余り。行きたい。実はわたしは日本の運転免許証をはるか昔に失効しているので、今回、国際免許証を取得してきた。時間があれば、レンタカーを借りてドライヴしようと思っていたのだ。今のところ、優先順位が低くなってしまったが。

    昨日は妹に会い、不動産会社4社との「第一回ミーティング」の進捗を報告したあと、多々良川沿いにある肉屋さん経営の「眺めのいいレストラン」にてランチ。その後、母を連れて「眼鏡市場」へ補聴器チェックなどに行く予定だったが、ランチのあとに少し時間があったので、篠栗にある呑山観音へ行こうということになった。

    妹曰く、父がしばしば呑山観音へ行っていたという。

    篠栗には四国のコンパクト版とも言うべく霊場がある。その名もずばり、「篠栗四国八十八箇所」。詳細を説明したいところだが、割愛。

    国道をはずれ、山麓の道に入った瞬間から、異次元へ突入したような空気に包まれる。つづらおりの山道を抜けると、神無月にしてまだ暑い下界とは打って変わり、山の涼しい空気が流れ込む。雲が山頂をたゆたい、なんとも幽玄なる景色……。やがて段々畑なども目に飛び込んでくる。

    「ここ、ブータンやん!」

    と、騒ぎながら、その美しい情景に見惚れる。道中には、随所に霊場があり、石仏なども目に飛び込んでくる。

    時間がなかったので、ゆっくりする余裕はなかったのだが、途中で「ちょっとここで降りたい!」と妹に車を止めてもらった。

    なんとそこには、わたしと同じ年(昭和40年)に生まれた弁財天様がいらした。

    呑山観音は、ほんの入り口周辺をお詣りするにとどまったので、改めてゆっくり訪れたい。

    母方の祖母は人生の後半にして、お不動さん(不動明王)の啓示を受け、信仰の道に入った。記せば長大になるので割愛するが、祖母は何度もこの霊場を巡り、滝行をしていたとの話も聞いている。

    諸々の思いが渦巻く。

    ここ数年のわたしは、図らずも、「パワースポット」に足を運ぶ機会が増えていた。エジプト、インドネシア、インド、ブータン、日本……。自分自身が、充電⇆放出を繰り返しながら循環しているような気がしてならない。

    それにしても、福岡、最高じゃないか! コンパクトな四国にコンパクトなブータン!

    呑山観音寺周辺の敷地は広く、とても10分程度で参拝できる規模ではなかった。ここはまた必ず訪れたい。あるいは、四国のお遍路さんに関心を示していた夫とともに、1週間ほどかけて、八十八箇所を一緒に巡るのもいいかもしれない。

    福岡界隈の魅力発掘&体験が、わたしのミッションの一つではなかろうかと改めて思う昨今。楽しい。

    記したいことは募るが、取り急ぎの備忘録として。

    ちなみに2枚目の写真は、多々良川沿いのレストランからの情景。この界隈は14世紀「多々良浜の戦い」の舞台となった場所で、川向こうの緑の丘は「足利利尊氏本陣跡」である。

    ……歴史が濃過ぎて、勉強がとても追いつかん。

    地図、テキストの画像のようです
    寺院、テキストの画像のようです
    ウィンドチャイム、寺院、テキストの画像のようです
    ウィンドチャイム、伏見稲荷大社の画像のようです
    伏見稲荷大社の画像のようです
    寺院の画像のようです
    写真の説明はありません。
    テキストの画像のようです
    寺院の画像のようです
    記念碑、寺院の画像のようです
    雲の画像のようです
    写真の説明はありません。
    ビール、エール、ビール、テキストの画像のようです
    寺院、記念碑の画像のようです
  • 月曜日は、今回の一時帰国で初めて「街(天神)」へ赴いた。福岡にて、働く女性を支援する多彩な活動を続けられている村山由香里さんとお会いするためだ。

    2012年に、当時、村山さんが女性部委員長をされていた福岡県中小企業家同友会にて、講演をさせていただいた。また、村山さんが以前発行されていた働く女性対象の情報誌『アヴァンティ』に、1年間(2013年)、毎月連載を寄稿していたこともある。

    ●アヴァンティに寄稿した記事(12本)

    http://www.museindia.info/museindia/avanti2013.html

    ●[Fukuoka] 福岡滞在も瞬く間に1週間経過。盛況だった講演。(2012年の記録)

    以来、この10年余りは、お目にかかる機会はなかったのだが、今回、久しぶりにお会いすることに。待ち合わせは、今年4月に開業した「天神ビッグバン」を象徴するONE FUKUOKA BLDGのホテル19階のTHE KITCHEN。

    「天神ビッグバン」とは、福岡市が2015年から推進する福岡市中央区天神界隈の大規模都市再開発プロジェクト。ここ何年は、帰国するたびに、街の様相が変化しているさまを目にしてきた。

    THE KITCHENからの眺望のすばらしいこと! 博多湾を一望し、福岡市全体を見渡せそうな広がりだ。天井が高く開放的な空間で、サングリアなどいただきつつ、ほろ酔いで会話も愉しく、瞬く間に時が流れる。夕暮れどきの景色もすばらしいことだろう。

    🇯🇵

    このたび、村山さんが主宰されている「天神キャリア塾」で、急遽、講演をさせていただくことになった。

    「福岡発、東京、ニューヨーク経由インド」

    世界を巡って40年、故郷の魅力に目覚めるまでの旅路

    わたしが初めて米国を訪れたのが20歳。ニューヨークに渡ったのが30歳。インドに移住したのが40歳。そして今年が還暦ということで、海外でのキャリアをお話しするにはいいタイミングでもある。

    こちらは老若男女問わず、どなたでもご参加いただけるとのこと。ご都合の合う方はぜひ、お申し込みください💝

    雲、高層ビルの画像のようです
    3人、木、、「CHANEL」というテキストの画像のようです
    高層ビルの画像のようです
    、「Peatix Create event 10月のゲスト講師は、 インド在住20年の坂田マルハン 美穂さん。 0日まで福岡に滞在されているということで急選、 決ま りました。 現 坂田さんは、 香椎高校、 梅光女学院大学 梅光学院 大学) 出身。 東京で編集プロダクションや広告代理店で 海外旅行誌の編集に携わった後、 1996年にニューヨー クへ。 日系の出版社で現地採用勤務後、 Muse Publishing, を起業。 2001年に夫の故郷のデリーで挙 式。 ワシントンに移金主205年にバンガロールに移住。 2007年より5年間、 西日本新聞 「激変するインド」 連載。 2012年にMuse Creation (NGO) を創設し、 社会 貢献活動も本格化。 日本とインドに関わる多彩なプロ ジェクトに関わっています。 パンデミック明けからは、 主に日本とインドの歴史や文化、 伝統工芸 (テキスタイ ル) に関連した 「不易流行」 をコンセプトとする活動を 強化、 また学生インターンなど若者支援も行っていま す。 テーマは、 「福岡発、 東京、 ニューヨーク経由インド」 世界を巡って40年、 故郷の魅力に目覚めるまでの旅路。」というテキストの画像のようです
    ハート、コーヒー、コーヒーカップの画像のようです
    たそがれの画像のようです
  • 実家の移転に伴い、アッセンデルフトやトールペインティング、デコパージュの作家である我が母、坂田幸子の作品を販売します。

    母の作品は筆の運びも生き生きと芸術的。部屋の雰囲気を華やげてくれるものばかりです。ご都合の合う方はぜひ、お立ち寄りください。

    インドのかわいい手工芸品も用意してお待ちしています💝

    ‎ディッシュラック、‎、「‎۱۱ W I V (ب‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    ジンジャーブレッドクッキー、、「DECK THE HALLS ※ CALL 楽」というテキストの画像のようです
    テキストの画像のようです