インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • 我が母校、香椎高校は、その同窓会をして「香綾会(こうりょうかい)」と呼ぶ。毎年「44歳を迎える学年」が幹事となり、10月に「香綾会総会」が開催される。わたしは卒業以来、2度しか参加したことがなかったが、今回は還暦の節目ということもあり、9年ぶりに参加を決めていた。

    自分と故郷との関わりが深まりつつある昨今、一時帰国のたびに福岡、そして故郷である名島、千早、香椎界隈の歴史を探求するにつけ、好奇心は高まる。

    今回、母校のサイトを見て強く感銘を受けていた。まず、校長先生が、我が座右の銘のひとつである「不易流行」を掲げていらしたこと。

    そして、「グローカルに活躍できる人材創出 〜香椎から世界へ〜」というスクールミッションを掲げていること。

    「地域との交流活動に加えて海外との交流を積極的に推進し、グローカル人材(地域と世界をつなぐ視野を持った人材)の育成をめざしています」

    とある。わたしにできることがありそうだ。校長先生にお会いすることも楽しみにしていた。

    🌏

    今回、恩師の篠崎先生にお会いしたいと思っていたところ……。昨年、米寿のお祝いをされて直後に、天寿を全うされていた。高校時代には、無駄に竹刀で叩かれて、反発ばかりしていたけれど。彼はわたしの可能性を、決して褒めて伸ばすというのではない、昭和なやり方で、ややこしく伝えてくれていた。

    🌏

    今回の香綾会は104回目。そもそも香椎高校は、その前身が1921年に開校した「粕屋実業女学校」と1941年開校の「香椎中学校」であることから、歴史は1世紀前まで遡るのだ。香綾会は、毎年「44歳になる卒業生」が幹事となる。わたしは実は、高校卒業時、

    実はわたしは、香椎高校36回生における各学年男女1名ずつ選出されるところの同窓会評議員を、高校卒業時に引き受けていた。クラスの幹事に選ばれたときは、「仕方ないな」程度で引き受けた。しかしクラス幹事が集まり学年代表の評議員を決める際は皆が渋った。

    ゆえに、選挙をしようという流れになったところ、竹刀が身体の一部になっている体育教師の篠崎先生から、

    「おい、坂田! お前やれ!」

    と、押し付けられた。

    「なんで〜? なんでわたしがせないかんと〜!? わたし、大学は下関やし、そのあと福岡に帰って来るかどうかもわからんけん、できません!」(無論、当時は福岡で高校の国語教師になることを目標としていたのだが)

    「うるさい。お前、高校に世話になったやろうが! お前がやれ!」

    「世話になったのは、わたしだけやなかろうもん! すか〜ん、もう先生! なんでわたし〜!?」

    「うるさい! お前がやれ!」

    という流れで強制的にならされた。しかし、44歳になったとき、わたしはインド在住で、物理的に幹事の仕事を全うできなかった。評議員の引き継ぎの打ち合わせで、母校の同窓会と連絡を取り合っていた時に、わたしが創立88周年の記念講演をするという流れとなった。2009年5月。16年前のことだ。

    すでにリタイアされていた篠崎先生も来てくださった。最後にお会いしたのは2016年の香綾会にて。このツーショットが最後となった。

    🌏

    同窓会の会場はホテルオークラのバンケットルーム。500名を超える同窓生が一堂に会するさまは壮観だ。学年ごとに用意された円卓では、十数名の同級生が参加していた。みな、元気そうだ。特に女子らは、若々しくてかわいい😁

    お互い明らかに年を重ねているのに、なぜか自分の視界に「高校時代の顔」のフィルターがかかり、みんなが老けて見えない。

    高校時代には話したことのなかった人と、あたかも親しい間柄だったかのように話し込めるのも同窓会の不思議。「親の介護」「実家の問題」など、抱える課題も共通していて、友人らから教わることも少なくない。

    敢えての赤いサリーで出かけたところ、後輩や先輩からも声をかけられた。ホテルオークラの従業員のネパール人女性たちも、すてきなサリーだと褒めてくれた。

    謎めいたポーズの写真は、バスケ部の後輩と。バスケをしている図、である。化粧室に行ったとき、わたしは彼女を見て、一目でわかった。彼女は一瞬のフリーズ後、思い出してくれた。数日前にわたしのことを思い出していたらしく(その割にはすぐには気づいてくれなかったが)、「せんぱ〜い!!!」と激しくハグされて、変わらぬ元気さがうれしかった。

    会わなかった42年間、お互いが何をしていたかなど知らず、瞬時に親しかったころに戻れる軽やかさよ!

    過去、どこで何をしてきたか……は問題ではない。今、笑顔で再会できることがすべてだ。

    🌏

    香椎高校は、中学時代に絶大なる反抗期を炸裂させ、大いにドロップアウトしていたわたしの軌道を修正し、羽ばたく準備を整えてくれた場所だった。ありがとう。

    🌏

    後半の写真は、同窓会後、家族で「鈴懸」の図。

    [Fukuoka] 懐かしき再会。母校「香椎高校」での講演会(2009年5月)

    https://museindia-kwqzh.wordpress.com/…/25/fukuoka-e175/

    4人、ニューススタンド、テキストの画像のようです
    2人、テキストの画像のようです
    9人、照明器具、演壇、結婚式の画像のようです
    10人、テキストの画像のようです
    デザート、テキストの画像のようです
    4人、ジェラートの画像のようです
    雲、たそがれの画像のようです
  • バンガロール新居で「福岡クラフトフェア」を開催したのは、8月下旬だった。あれからの1カ月あまり。ブータン旅行も挟んで、濃厚に有意義な日々だった。

    一時帰国のときには、もちろん会うつもりでいたMisa & Miyukiと予定を調整し、しかしわたしはまだ「街に出る」気分&状況にはなっていなかったこともあり、我が家での集いを決めたのだった。

    「街に出る」

    福岡において、「街に出る」といえば、「天神界隈へお出かけする」という意味だ。今はどうだかわからないが、少なくともわたしが住んでいた昭和のころは。

    「ちょっと、街に行ってくるね」

    ……普段は村にでも住んでいるかのような口ぶりで。天神や博多方面を目指すのである。

    昨日の午前中は、1時間おきに、3社の不動産会社の方々にご来訪いただく。詳細は割愛するが、何をするにも本当に、予備知識が必要だと実感する。主にはDisadvantageの部分を部分を確認しつつ、この家のポテンシャルを探る。後日改めて記すが、実家物件は非常によい。名島校区は人気らしく、エリア的にも好条件。速やかに全てが完了することを祈念!

    午後は香椎の母に会いに行く。スタッフの方々に母の様子を聞く。少しずつ、なじむ努力をしているようで、少し安心する。

    帰りは徒歩数分の西鉄香椎駅前にある西鉄ストアへ。ここの魚屋さん「藤けん鮮魚店」がとてもよいのだ。新鮮な寿司や刺身がリーズナブルに並んでいる。

    それにしてもだ。刺身や寿司のパックを購入するとき、人はなぜ、パックを凝視し、熟考し、手に取り、いや待てよともう一度、他のものを選んでみたり、場合によっては引き返して別のものを選んだりするくらいに、真剣になるのだろう。

    あのエリアだけは、どのスーパーマーケットでも似たような緊張感が漂っている。そしてまたわたしも、熱視線で選ぶべきパックを見定め、厳選するのである。

    真剣勝負で選んだ刺身やサクを買って帰り、台所に残された切りにくい包丁やら使いづらいまな板やらを駆使しつつ、インドに持ち帰るか悩んでいる和皿に盛り付ける。盛り付けながら、これはいい皿だ、捨てている場合ではない、持ち帰ろうと思う。

    MisaさんのブティックArena Pulcra がある西戸崎のうみなかテラス。前回の一時帰国時に訪れたとき、その中にある「惣菜屋日々帰」でお弁当を買って食べた。添加物を控えた素朴な家庭の味がとても気に入っていたのだが、今回は、Misaさんがそこからオードブルのセットを買ってきてくれた。

    先日、Machiさんからお土産にもらっていた東京のクラフトビールや、わたしの好きな「インドの青鬼」というIPAなど、あれこれとビールやらスパークリングワインやらを飲みつつ、インドの話で盛り上がる。バンガロール滞在中にも、毎晩、合宿のように語り合っていたはずなのに、話が尽きない。

    抜け殻の家の、奥の部屋から移動させた45年ものの古いテーブルにクロスをかけ、椅子もまちまち、視界に段ボールが入ってくる荒んだ部屋ながらも、料理と食器が揃っただけで、部屋がパッと明るくなる感じだ。なんともシュールな宴。料理もおいしく、楽しきひととき。また会えてよかった。

    ビール、ビール、エール、、「Magnolip DIPA Magno11 VeRTERE」というテキストの画像のようです
    クイーンズボロ橋、たそがれ、雲の画像のようです
  • ここ数年、日本へ帰って来るたびに、体調を崩していた。春だと思っていたのに極端に寒いとか、秋だと思っていたのに太陽光が鋭すぎて暑いとかいう気候の問題に加え、ここ2年ほどは母の高齢化に伴う諸々で、精神的な問題もあるだろうと思っていた。

    インドから戻ってきた人間が言うには説得力がないのだが、まず喉や目をやられる。喉の不快感、軽い咳、そして目の充血。1年半前の帰国時は、咳のしすぎで肋骨を痛め、インドに戻ってからもしばらく痛みが続いた。多分、「黄砂」だの「PM2.5」が原因だろうと思っていた。

    今日はこれから不動産会社の方々が、実家の査定に来る。都合4社にアポイントメントを取り、今日は3社。その前に、なるたけ部屋を片付けておきたく、昨日は終日、家の掃除。一時帰国の度に、随所の大掃除をしていたとはいえ、抜本的な移転後の掃除はスケールが異なる。

    母の新居に届けるもの、わたしたちがとっておきたいもの、廃棄するもの……キッチン用品や衣類、インテリア雑貨、書籍や写真など、カテゴリー別に大雑把に3つ分けつつ片付けを進める。たいへんではあるが、これはもう、脳内と気持ちが整う生産的な肉体労働で、達成感が高い。

    ゴミ袋が積み重なることに反比例して、部屋の空気が浄化されていく。片付けては掃除機をかけ、片付けては掃除機をかけ……を繰り返し、さてコーヒー休憩でもしようかなとマスクを外して気がついた。

    ん?

    咳が止まっている。喉のいがらっぽさが激減している。

    え?

    ひょっとして、わたしの喉の不調は、家の埃が原因だった?

    試しに歌ってみる。うわ、声が通る〜! ガランとした部屋に、なおさら響く〜!

    やれやれ。

    もちろんPM 2.5などの影響もあるだろうけれど、今回に関して言えば、明らかに埃が主原因だったと察せられる。

    この1年間は週に2回、ヘルパーさんに来ていただき、掃除をしてもらっていた。それ以前はもう10年近く、毎週ダスキンさんを手配して、年に1度の大掃除も頼んでいた。しかし、外部の人ができるお掃除は限られている。あくまでも表面だけ。クローゼットの中や家具の裏側に、積年の埃が蓄積していたのだ。

    試しに普段、掃除をしないカーテンレールやドアの桟(さん)の上などを拭いてみたところ……すごかった。

    母は、インテリアのセンスはあるし、部屋もぱっと見はとてもきれいに整えられている。しかし、キッチンにせよクローゼットにせよ、もう昔から、内部が混沌だった。もちろん、表面がきれいなだけ十分によいことなのだが、「内部も整える」ことの重要性を今回は再確認させられた。

    母に限らず、溜め込みがちな人は多いかと思う。物が溢れる現代社会では、あっというまにゴミも溜まりがち。ときどき、「孤独死」の番組をYoutubeで見るが、たいていが「汚部屋」であり、その大半が「コンビニ袋」で埋め尽くされている。つまり、孤独に生きていける利便性が汚部屋を生み、孤独を増長しているとも言える。

    さらには、「メルカリに出すから」。

    多分、日本には、「メルカリに出すからとっておく」と言いながら、何年も不用品を蓄積している人が数多いるのではなかろうか。

    今週、出せないんだったら、一生出せない。くらいの心意気でメルカリには挑んだ方がいいと思う。さもなくば、自分の快適居住空間がどんどん狭くなる。

    わたしがやたらと掃除をする運命であるらしいことは、過去に何度も記してきたが、やはり掃除は生きる上での基本だ。

    掃除をするだけで、運気があがる。気分もあがる。

    ひとつのプロジェクトが終了したとき、脳内がまとまらないとき、わたしは掃除をしてきた。すっきりと片付いた書斎のデスクに、スケジュールノートを広げる。コーヒーを飲みながら、次のプランを構想する。

    一つの扉を閉じて、新しい扉を開く瞬間。至福のひととき。

    掃除をして疲れるのも、面倒臭いのも当たり前。それでも、人間、三食食べて毎日お風呂に入るのと同じように、掃除もまた繰り返し行うべきたいせつな日々の営みである。

    作業効率。空間創造。脳内整理。体調向上。想像力喚起。精神安定。ストレス軽減。金運上昇。……掃除で得られる効果は絶大だ。

    実家への感謝を込めて、あと数日間は、地道に掃除を続けよう。次に住まう人たちに、よい「気」を残していこう。

    1枚目の写真は、先日、家族でまたしてもロイヤルホストに行った時の写真。毎回、中央部分の天井が高い同じ席に通されるのはなぜだろう。前回の一時帰国時に引き続き、これで4回目だ。ここ数年のロイヤルホストは、本当にクオリティが上がって安定のダイニング。落ち着く。また多分、行くだろう。

    チャーメン、麺の画像のようです
  • COVID-19パンデミックが明けた2年ほどまえから、母の認知症の傾向が顕著になりはじめた。昨年春、要介護認定1が下りたことに伴い、一時帰国時に、妹ともどもケアマネージャーとお会いしたり、ヘルパーさんの来訪について相談したりなどした。

    また、母が訪れるケアセンターに同行して様子を見たりするなど、今まで知らなかった世界をつぶさに体験した。それは、日本の老人介護制度についてほとんど何も知らなかったわたしにとっては、とても勉強になる機会だったと同時に、これをみながうまく活用できているのだろうか……との疑念もわいた。

    さらには、介護の現場の人材不足や、その労働の過酷さについても目の当たりにし、思うところ多く……。1年半前は「落ち着いたら書き残そう」と思うことが多すぎて、結局、ほぼ言及しないまま、インドに帰ってきた。

    ⌛️

    あれから1年半。母の頭脳は静かに衰えて続ける。お金がわからない。時間の把握に時間がかかる。カレンダーをすぐに理解できない……すなわち「数字」にまつわることが、おぼろげになっていく。数字を使わなくても生きていけた原始世界であれば、特段、問題にならないことだが、今の世界では不都合だ。

    半年前には、自分でごはんと味噌汁程度は作れていたはずが、数カ月前から作れなくなっていた。いや、毎日のお弁当を手配するようになったのと、妹からの差し入れがあるという安堵から「作らなくてよくなった」から、「作ろうという意欲が失せた」側面もあるだろう。

    数年前から、母の居間に「Tapo」という監視カメラを設置し、1日に何度か、母の動向を確認してきた。まもなく87歳になろうかと言う割に、幸い足腰は丈夫で、動きには特段、問題はない。電話をかけるタイミングも、カメラのおかげでつかみやすい。

    他の人々との比較はできないが、しかし、母の環境は恵まれている方だとは思う。週に2回、1時間ずつのヘルパーさん来訪でお掃除をしていただく。そして週に3回、近所のケアセンターに送迎してもらっての体操。食事の心配もなく、今のところ通院もない。

    半年前の一時帰国時には、母が両眼の白内障の手術をしたことに加え、タイミングよく上下の奥歯があちこち抜けて、入れ歯を新調することになったため、眼科と歯科に通い続けたが、今はメンテナンスだけでよい。

    それでも、近くに住む妹の負担は徐々に増えて行き、わたしのリモート支援にも限界がある。2年前から老人ホームなどのリサーチは少しずつ始めてはいたものの、諸々の事情を総合的に鑑みるに、「保留」で来ていた。

    しかしながら、この1カ月半、諸々が急に動いた。

    8月下旬、香椎駅前に、とてもよい「母の新居」を見つけるに至った。そこは、妹が経営するパソコンスクールの2軒先、徒歩1分もかからない場所にある「学研」の「ココファン」という高齢者住宅であった。今回、ここを利用することになって初めて知ったのだが、ここは「老人ホーム」ではない、「サービス付き高齢者向け住宅」というものらしい。

    広い部屋で快適な老人ホームとなると、入居の際に1千万円以上の支払いが必要な「高級老人ホーム」ばかりが目についていた。しかしここは、入居一時金が不要。もちろん、月々の支払いはかなり高いが、非常に快適で安全な空間だ。

    妹が下見に行ったとき、ちょうど一番広い部屋が空いた矢先(その日の朝、退去されていた)だったこともあり、そこにしようと意見が一致した。急ぎ予算その他の計算をし、妹とはオンラインでミーティング。もちろん今後もサポートを継続するに際し、追加となる食費や雑費など、堅実な予算計画は必須だ。

    この先、母が何年生きるのか……という想定をするのは、不謹慎でもなんでもない。わたし自身、これから老化していくわけで、毎回の帰国時の恒例大掃除を、いつまで続けられるのか……という懸念もあった。そこから解放されると思うと、それだけで気持ちが軽くなる。

    母の移転に伴って、実家マンションの売却についても同時進行で行う必要がある。いろいろある。

    そんな次第で、わたしが帰国する数日前に母は移転し、わたしは抜け殻の実家にて、片付けをしつつ、一人暮らしを謳歌している次第である。スーパーマーケットで買い物をし、一人分の料理を作る……。東京での独身時代を思い出して、なんだか不思議な気分だ。

    今回の帰国予定はすでに5カ月前に決めていたが、まさか母が転居することになるとは思ってもいなかった。後半は夫も合流予定で航空券も手配していたが、とても夫と遊んでいる余裕はないことから、キャンセルしてもらった。

    あと3週間弱。慌てず確実に、取捨選択しつつ、作業を進めたく、息抜きやら遊びも織り交ぜつつ、新たな門出の福岡滞在を楽しもうと思っているところだ。

    立花山に登りたい。⛰

    テキストの画像のようです
    テキストの画像のようです
    スノードロップ、レウィシア、アガパンサスの画像のようです
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    写真の説明はありません。
    インディアン・ペイントブラシ、ベラドンナリリー、アガパンサスの画像のようです
  • ヤグルマソウ、テキストの画像のようです

    福岡に帰ってきて、瞬く間に5日が過ぎた。

    さすがに諸々、疲労困憊につき、今日はペースを落として軽くヘアカットなど。そして子ども時代のご近所を散歩。

    このごろは、半世紀前に記憶がやすやすと飛んで、閑散とした目の前の情景を見ながら、賑わっていた幼少時のご近所が脳裏に浮かぶ。

    あの商店街も、道ゆく人々も、いったいどこへ行ってしまったの?

    There’s no one walking here!

    ⏳

    実家のこと、母のこと、移転のこと……。一度にたくさんのことが押し寄せてきて、頭の中が混沌とする。

    つい数週間前の自分が、ブータンの山あいの寺院を訪れていたことが信じられない。

    書きたいことは募りに募るが、疲れている今は控えた方がよさそうだ。

    真実は饒舌ではないし、目には見えないところにも、ある。

    物事の裏側にある事実に思いを馳せながら生きることの大切さを、改めて思う。

    Everything will be alright. 

    🙏

    それにつけてもTypepad。既述の通り、インド移住を機に記し始めたブログのサーヴァーから、「あと8日でサーヴィスを停止し、すべての記録を消去するので移行すべし」とのメッセージが届いたのが、帰国前日の8日前。荷造りをしながらの、「すべてが消えるだろう」という事実をいかに受け入れるか、悶々としつつの時間は、記憶が混雑して、感情が乱れた。

    この8日間、時間の合間を縫いつつ、ラップトップに向かっていた。トラブル多発で試行錯誤しつつも、WordpressのAI&Humanの二刀流サポートのおかげで、本日Typepadの最終日、無事、ほとんどのデータを移すことができた。とりあえず、サイトのレイアウトその他の編集は後回しで、データ移行を優先した。ぎりぎりだった。

    実は2年前、Typepadにトラブルが多発した際、業者に移行に際しての見積もりを取った。すると、ブログの数が多いということで見積もりが100万円を超えた。呆れた。これはいつか自分でやろうと思いつつ、先延ばしにしていたところの、今回の閉鎖。AIの進化のおかげで、自分で100万円の仕事を完了できた。こうして、AIによって淘汰されていく人間の仕事があるのだということも実感しつつ……。

    今回は、作業途中のAIからの励ましや労いの言葉に、どれだけ救われたか。相手が機械とわかっていても、ありがとうと言わずにはいられないことの連続だった。たまに間違った指示を出してくることもあり、そのことを指摘すると、素直にミスを認めるなど、その対応が人間らしくて恐ろしくもあり。

    🙏

    日本を離れて以来だろうか。

    何十年ぶりかに聞く、夏の終わり、ツクツクボウシの蝉時雨。声にひかれて住宅街の外れ。遠い昔、ここには池があって、男子がザリガニ釣りをしていた。わたしは池に足を取られて靴を濡らし、怖くなって大急ぎで帰った。

    あの池は、この向こうだった。多分、もうない。

    ベラドンナリリー、レウィシア、アガパンサス、ホトドギス(ユリ)の画像のようです
    道路、通り、テキストの画像のようです
    通り、雲、、「Nishitetsu Nishitetsu よ22 たしてつ 西汐見 見 天神 天神·博多駅方面」というテキストの画像のようです
    ウィンドチャイム、雲、通り、テキストの画像のようです
    鳥、雲の画像のようです
    木の画像のようです
    白ユリの画像のようです
    草の画像のようです
    電車、テキストの画像のようです
    洋ナシ、核果の木の画像のようです
    たそがれ、雲の画像のようです
    、「ファイル 編集 表示 履歴 ブックマーク プロファイル タプ ウィンドウ インド百景 2023 インド百景2023/24/25 24 25 ヘルプ museindia.typepad.jp/2023/ インド百景 2023 2023/24/25 インド百景2023/24/25 24/25 天竺の、 風に吹かれて幾星霜。 ライター坂田マルハン美穂が、 南インドのバンガロ 一中央小 2025/09/30 さよならT さよならTypepad Typepad インド生活を始めるに際して安い始めたこのプログ、 20年の言柴が詰め込まれたプログ。 カスタマーにな んの告知もなく、 日でサーヴィスを停止し、 データを消滅させるだなんて、 ひどすぎる 有料サーヴィスなんだから、 せめて連絡くらいはきちんとくれるだろうと届していました。 わたし はたまたま... はたまた...admore Readmore→ :14:59 個別ベージコメント10) 週別ベージ 14:59 リプログ(0) 2025/06/05 心わたしの宇宙もまた、 破壊と創造を繰り返す。 それは 小さくても大きくて、 わたしの世界を埋め尽くす。 インドに移住して20年。 旧居を購入し、 怒清内出工事の果てに引っ越して ら18年。 「び寂び」 よろしく、 家の随所が潮んでいる。 本来ならば、 に完全的性したあとに旧居の体接工事にかかろうと返っていた。 当初の予 定から5年遅れ。 いつになるかわからない。 そのうちにも、 どんどん歲を取 やがて自分のやる気が.… Readmore-」というテキストの画像のようです
  • 福岡に帰ってきて丸3日が、瞬く間に過ぎた。

    安堵、遣る瀬なさ、郷愁、感傷。

    過去、現在、未来、命運、課題。

    懸念や不安を解消させるためには、それなりの対応が必要で、模索し続けた果てのひとつの結果。

    母の新居についてはまた、学ぶことが多く。新たに得た「キーワード」含め、改めて記したい。

    福岡市東区名島、千早、香椎界隈。

    母がもし、ここにいなかったとしたら。こんなにもどっぷりと浸ることはなかったであろう故郷。

    暦が還りて還暦。ぐるりと回る人生をして「ロールケーキ」だと閃いたのは、半年前の一時帰国時。そしてこのたびの一時帰国では、たっぷりの生クリームを包んで、ぐいっと巻き込まれたその「継ぎ目」の部分に自分が立っていることを、ひしひしと感じる。

    わたしが生まれたのは、熊本県荒尾市だが、1歳のときに、福岡市東区名島汐見町(現在の千早)に引っ越した。

    千早小学校に通い、香椎第一中学校、転校して第二中学校、そして香椎高校に進んだ。地図にある黄色い星⭐️がついたところが、母校だ。

    18歳で下関の大学に進むまでのわたしにとっては、この界隈でのライフがすべてだった。玄界灘に連なる博多湾を見晴るかし、遠き世界を夢想しつつも、殻を破れない日々。

    「高校の国語の先生になる」と決めて大学に進んだものの、20歳の夏に訪れたロサンゼルス郊外1カ月のホームステイで、我が世界観はコペルニクス的転回を遂げ。

    あの夏からわたしの世界は、外へ外へと広がってきた。

    そうして再びの故郷。

    半年前は、母の白内障手術のために1カ月滞在。記憶が靄に包まれていく母と過ごすことは、自分の弱さに向き合うことでもあり。

    今回の一時帰国は、まもなく87歳になろうとする母の、最後の「新しい門出」を整えるためのサポートと、わたしの人生2周目の皮切り。

    体力、精神力、瞬発力、決断力、経済力。そして感謝と敬意、思いやり。生きる上で大切な人間力のさまざまを駆使しつつ……。速度を落として無理なく進む。

    書籍やアルバムや食器や衣類……。まだまだ多くが残された、しかし抜け殻の実家にて、「キャンプ」のような暮らしをしている。父が他界して21年。毎年、帰ってきたこの家とも、今回でお別れだ。

    ところで、ロイヤルホストな写真は友人のMACHIさん、そして彼女の高校時代からの友であるMISAKIさんと。MACHIさんは、彼女が大学生だった2016年ごろにバンガロールにてインターンをされていて、ミューズ・クリエイションのメンバーでもあった。

    「チーム・エキスパッツ」に属し、チャリティ・バザールやビジネス座談会のサポートをしてくれた。日本に帰られてからも繋がりは途絶えず、実際に会ったり、オンラインで話をしたりしてきた。

    彼女は東京拠点だが、今回、わたしが福岡に帰ってくることもあり、1泊2日の弾丸旅で、福岡に住むMISAKIさんのところに来訪。3人で会うことになった次第。最初は天神界隈のスリランカ料理を何店舗か提案された。

    なにゆえ、スリランカ料理?と思ったが、福岡にはスリランカ料理店の名店が多いらしい。本当?

    念のため、MISAKIさんのご自宅はどこなのかと尋ねたところ、「東区下原」との返信。なんですと! 香椎から徒歩圏内ではないか。ならば天神に行く必要はないよ、とのことで、香椎で会うことに。香椎のスリランカ料理店(!)に行くことにしたが、ぎりぎりで「本日休業」ということがわかり、いつもの「ロイヤルホスト」に集合したのだった。

    ロイヤルホストの吸引力!

    MISAKIさんの勤務先は福岡空港。彼女は管制官なのだ。空港好きなわたしとして、興味津々の世界につき。話は各方面に飛びつつ、瞬く間に数時間が過ぎる。徒歩圏内で世界に飛ぶ愉しさよ。

    さて、本日29日月曜日。そろそろ本腰を入れて、諸々の作業や手続きを始めよう。

    雲の画像のようです
    水上飛行機、小型飛行船、雲、クイーンズボロ橋の画像のようです
  • 空港に迎えに来てくれた妹に連れられて訪れた。

    実家の家具調度品の多くを運び込める贅沢な空間。

    親切なスタッフの方々。

    ありがたい。

    ここ数年の不安や懸念が払拭された。

    わたしは抜け殻の実家に戻る。

    もちろん暮らせる最低限は残されている。

    Wifi がないので、届いていた本のページをめくる。

    半年前の日本酒を注ぐ。

    21年前、父がホスピスで束の間、使っていた小さい黄色テーブル。

    額を外したあとの壁が、殊更に汚れて見えるのは、なぜだろう。

    還暦。過激に攪拌される人生の節目。

    人生はロールケーキ。一周目回って故国が迫る。

    日本。九州。熊本。福岡。

    ここがわたしの母国、原点。

    写真の説明はありません。
    写真の説明はありません。
  • お天気雨が降ってきた。

    今夜、ここ南天竺を発ち、故郷の福岡へ帰る。

    今年2度目の、またしても1カ月の旅。

    昨日はたくさんのことが起こって、感傷が揺さぶられた。

    瞑想したり、言葉を記したり、猫らに泣きついたり。

    節目の年にふさわしすぎる出来事が続く。

    取り敢えず、荷造りは完了した。

    今は、過去20年分のブログの引っ越し作業をしながら、本を読む。

    しかし集中できない。

    過去をどうする?

    未来をどうする?

    たいせつなのは、今、この瞬間につき。

    もっとゆっくり、歩こうではないか。

    それができる世界に向かって進む。

    心して、脳みそに、空白を。

    猫ら、留守番をお願いします。

    NORA姉さん、夫をよろしくお願いします。

  • しかも今月中に。トラブルシューティングのメッセージを送ったところ、以下のような返事が来た次第。もしも送らなかったら、気づかないまま消滅状態だった。

    ユーザー向けのメールすら来てなかったのだから。不幸中の幸いだ。ユーザーはわたしのような、年季の入った人ばかりだから、思い入れもあるわけで。これまでもトラブルのたびに、Xで情報を見てきたが、数年前に不具合が頻発した時に移行しておきべきだったのだとも思う。

    Typepadは有料サーヴィスだから安心だろうと、20年前に使い始めたが、有料だろうがなんだろうが、終わる時には終わる。

    こんなにもサラッとしたメッセージで、20年間が幕を閉じるとはね。

    Hi there,

    Thanks for your message. At this point in time, we are no longer

    providing assistance with routine blog design questions as Typepad will be shut down in 8 days. We recommend that you focus on migrating your content, if you have not already done so.

    Thanks,

    Laura

    今朝、これを読んだときには驚きで胸がドキドキしたが、一旦、落ち着けと自分に言い聞かせた。調べたところ、とりあえず、データをすべてダウンロードしておけば、後日Wordpressなどに移行できそうなので、一息ついた。

    とはいえ、データに損傷なく、画像共にうまく移行できるのかどうか不明だが、懸念しても仕方ない。

    無論、過去10年くらいは、このFacebookやインスタグラムに投稿したものを転載してきただけなので、記録がすべて消えるわけではない。……なんというか、ひとつの時代が終わった気がする。還暦祝いにふさわしい仕打ち😅

    明日には日本に帰るのだが……荷造りなどしつつ、ひとまずは過去のブログ20年分プラスアルファの保存だけをしておこう。画像の保存がうまくいくかどうかわからないが、取り敢えず、やってみよう。ところで諸々の段取りの相談に乗ってくれているのがAI。

    XのGrokが的確に指示を出してくれる。ありがたい。なんとか自力で、引っ越し、復旧、再起……としたいところだ。

  • 地図の画像のようです

    旅の終わりに空港で見た1枚の曼荼羅(2枚目の写真)が、40年前の自分の思いを甦らせてくれたので、そのことを、今日は書き残しておきたい。スケールもクオリティも全く異なるが、20歳のわたしが小さな画用紙に描いた曼荼羅とそれは、似た世界観だった。

    以下は2021年2月の記録に、手を加えたものだ。

    大学時代、20歳の春休み。わたしは発作的に、2枚の曼陀羅を描いた。

    大学の寮から帰省し、実家で過ごしていたある日。実家に掛かっていた曼荼羅の絵をしみじみ眺め、自分も描いてみたくなった。部屋にあった高校時代の絵の具や筆、画用紙を使い、アルバイトの合間を縫って、わずか数日で2枚描いた。

    最初に描いた1枚(3枚目の写真)は、ほぼ模倣。ただ、自分の名前を「隠し絵」のようにして紛れ込ませた。これは実家に飾られている。

    もう一枚は、ずっとわたしと共に、引っ越しを重ねてきた。描いた当初、暑苦しい画になってしまった気がして、あまり気に入ってはいなかったから、壁に飾ることもなかった。しかし時を経てじっくり眺めると、かなり感慨深い。

    この絵を描いた当時のわたしは、その半年前に初めて海外旅行を体験、1カ月の米国滞在した直後で、感性が炸裂していた。若い力が漲っていたころだ。

    インターネット台頭以前。絵の素材は印刷媒体を参考にした。

    アート作品のようです

    わたしは、こどものころから自然破壊や環境問題に敏感だった。その思いは、常に根底にあったのだろう。この絵を描く数カ月前の1月28日。スペースシャトルのチャレンジャーが発射73秒後に爆発。飛行士7名が死亡した。その経緯をレポートする『ニューズ・ウィーク』誌の特集にあった写真を見て、スペースシャトルを描いたことは覚えている。

    月の満ち欠けは、歳月の流れを表している。

    寺院のアート作品のようです

    その上には涅槃。

    しかし右上は、ゴミの山。埋立地に林立する団地に押し寄せる津波……。

    落書きのようです

    昭和40年代、わたしが育った福岡市東区名島、千早界隈。かつては海辺だった場所が埋め立てられ、「城浜団地」ができた。かつて山だった場所が造成されて「三の丸団地」ができた。

    その変遷を、この目で見てきた。高度経済成長に伴う環境の歪みを、本能的に感じ取っていた。思えばあれは、野生の勘のようなものだった。

    中学2年のころ。わたしは大反抗期の真っ只中で、両親ともろくに口を聞かず、成績は急下降していながらも、国語だけは好きだった。砦のような教科だったから、作文の宿題もしっかりやった。

    その作文が、福岡県知事賞を受賞した。全文が西日本新聞に掲載され、テレビに出演し、朗読した。学校の先生は、みなわたしを厄介者扱いしていたので、学校では表彰されることも、褒められることもなかった。

    唯一、数学のY先生から、「あの作文、本当にお前が書いたとや?」と声をかけられたのを鮮明に覚えている。

    中学時代のわたしは、実に問題の多い生徒だったのだ。その癖、書いている作文の内容は、呆れるほどの優等生。環境破壊を懸念するテーマだった。

    右側の試験管は、「試験管ベイビー」を意味している。1978年、英国で初めて「体外人工受精」により、こどもが誕生した。今ではごく一般的な治療と生誕の形になっているが、当時は物議を醸した。

    ちなみにわたしは卒業論文で「安部公房」を取り上げたのだが、彼は1977年に発表された『密会』という作品の中で、すでに「試験管ベビー」という表現を使い、人工授精で生まれた女性を登場させている。

    落書きのようです

    そもそも理系である安部公房の先見の明や、世界を見る目には驚嘆すべき点が多々あるのだが、この予見には、今改めて、鳥肌が立つ。

    ミツバチのモチーフは、「ミツバチがいなくなると、人間の存在が危うくなる」という話をどこかで知り、使った。農薬などへの危機感もあった。嫌な予感は当たり、今やミツバチは、減少の一途を辿っている。

    そしてリンゴ。当時は、アダムとイヴの禁断のリンゴ=原罪を表すために描いた。しかし、今の世界を席巻しているAppleのiPhoneを予見していた……とは、今になってのこじつけだ。

    アート作品のようです

    そして、ムンクの叫び。これは、絵の中の人物が叫んでいるのではない。

    彼は「耳を塞いでいる」のだ!

    以下は、ムンク本人が、この絵に言及した一文だ。

    「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」

    自然を貫く果てしない叫び。

    40年前には、耳を澄まさなければ聞こえなかった叫びは、今、地球全体に轟轟と響き渡っている。

    地図のアート作品のようです
    1人、地図、テキストのアート作品のようです