インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • 昨日9月16日の夜、約10日ぶりに、バンガロールへ帰ってきた。戻れば忽ち日常の渦に巻き込まれる。今日は雑務を一旦、傍に押しやって、ブータン旅の記録を残す。

    ブータンのパロ国際空港を発ったのは14日(日)。早朝出発だったが5時半にルームサーヴィスを頼み、しっかり最後に軽い朝食を楽しむ。なじみの味となった毎朝のバター茶ともお別れだ。

    小雨が降る中、Six Senses パロの支配人やスタッフが見送ってくれた。ティンプー やプナカ同様、最後に彼らと写真撮影をして別れる。わたしたちのブータン旅行が、あらゆる点においてつつがなく、すばらしいものになったのは、ひとえにこのSix Senses Bhutanのおかげだ。 

    今回、ブータン国内にある5つのリゾートのうち3つを利用したが、すべてにおいて連携が図られ、ロッジを移るに際してのストレスは皆無だった。ガイドのTashiとドライヴァーのDawaは出迎えから見送りまで一貫してわたしたちに同行。宿泊はじめ、朝昼晩の食事やアルコール以外の飲み物、スパの利用(1回)やランドリーなど、すべて含まれるパッケージの滞在は、実に快適だった。

    我が人生の節目の旅ということで、今回は贅沢な旅行をするに至った。ゆえに、わたしがここに記してきたブータン旅行の印象、特に食事情に関しては、一般的ではないだろう。典型的なブータン料理は唐辛子やチーズを多用するとのこと。我が夫は辛い料理が苦手で、匂いの強いチーズも食べられない。ゆえに、それらを除いた料理を注文していた。

    Six Sensesの、素材の旨味が生かされた滋味に富む料理を、わたしたちは大いに楽しんだが、一般的なインド人には、少し「退屈な味」かもしれないとも思う。

    既述の通り、ブータン旅行に際し、外国人には「サステナブル・デヴェロップメント・フィー(SDF)」と呼ばれる観光税が、1人1泊US$100課せられる。これはブータンの自然環境、文化、社会のサステナブルな発展のために活用することが目的とされているらしいが、外国人にとっては、旅行のハードルが上がる一因だろう。

    一方で、オーヴァーツーリズムにより、観光地のライフスタイルが攪拌されている日本はじめ他国の現状を鑑みるに、これはブータンの環境を保護する命綱にもなる政策だとも感じる。

    尤も、かつては今よりも観光に際しての制約が厳しかったようだが、2023年に個人旅行が可能となり、旅行する自由度が増している。それでも、行き当たりばったりの自由旅行は未だに簡単ではない。オンラインで手軽に観光ヴィザ申請はできるようになっているが、あらかじめホテルやガイド、移動手段の手配をしておいた方がよい。

    パロ国際空港は、小規模ながらも、そのロケーションと建築、内装の様子の個性が炸裂していて、忘れ得ぬ空港となった。名もなきパロの山々を(本当に名前が付けられていない)、西へ東へと走るに際し、小高い丘から見下ろす時には、渓谷にいつも空港の滑走路が見えた。

    標高2200m超。高い山々に囲まれており、離発着時の難易度が極めて高いというこの空港は、しかしその緊張感を和らげるかのような、ブータンの伝統的な意匠がちりばめられた、心落ち着く空間が育まれている。

    出発ロビーには、ほぼ全体がアートギャラリーと化しており、ブータンの画家による多彩な情景を眺め楽しむことができた。

    わたしが立っているモダンな曼荼羅を見たとき、やはり運命とは、あらかじめ定められているものなのだろうな……との思いを強くした。わたしが20歳のころに描いた曼荼羅と重なったのだ。

    以前も何度か、ネット上に上げてきた絵。次回アップロードする。

    今回の旅ではまた、1992年に一人旅をしたモンゴルのことがしばしば思い返された。北京からウランバートルまで、商人らが乗る国際列車に36時間揺られて実現した無謀な一人旅。北京からウランバートル、イルクーツクを経て、シベリア鉄道に連なり、モスクワを終着とするその鉄道旅を敢行した若き自分。モンゴルと、ブータンが、折に触れて重なった。

    今回、Tashiが、「自分たちは仏教を、宗教とは捉えていない……」というニュアンスの話をしていた。生きる上での教え、倫理、道徳のようなものであり、たとえば伝統的な祝祭のなかにも、さまざまな教えがある……と。その話がとても腑に落ちた。

    空港の書店で、記念に購入したガイドブックの冒頭ページを見て、彼の言葉を思い返した。そこには、仏教が「宗教」としてではなく、「精神的な遺産」とカテゴライズされていたのだ。一見、ささやかに思える表現が、深い。とても、深い。

    わずか8泊9日のブータン旅行。来し方を振り返る、還暦祝いにふさわしいものとなった。

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    テキストのアート作品のようです
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    、「AT A GLANCE Area(sq.km) Forest Cover 38,394 Arable land 69.71 (Constitution mandatesa minimum sixty percent of Bhutan's total land for all time, Altitude 7.8% Latitude 100 m above sea level in the south to over 7,500 m above sea level the north Longitude 15' North 88 Time zone 10' East Population 6 hrs ahead of GMT 770276 Spiritual heritage National Day Buddhism National Language December National Woman Attire Dzongkha (English is widely used) Kira National Male Attire Gho Currency Capital City Ngultrum (NU/BTN)pegged to Indian Rupee Thimphu Supreme Law of the State The Constitution of the Kingdom of Bhutan」というテキストの画像のようです
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  • ブータンでは、いくつもの寺院で、何度となく合掌し、感謝を伝えた旅だった。

    これまで生きてこられたことに。

    今、こうして此処にいられることに。

    そして、見守られるであろう近い未来に。

    ブータンの帰路、直接バンガロールへ戻らずに、デリー宅へ寄ったのは、内装工事のためだ。……またかよ! である。デリー宅が建てられたのは、わたしと夫が出会って数年後。すでに27年ほどが経っている。2020年1月に義父が急逝したあと、すぐにも改装の予定だったが、直後にCOVID-19パンデミックで延期になっていた。

    その間に、バンガロールの新居ができ、そちらに専心しているうちにも旧居のこれまた老朽化。数カ月前にようやくバスルームズ5箇所の全面破壊と改装工事を終了したが、まだ屋内のペンキ塗りが残っている。

    今年はそれをすませる予定だったが8月の「壁画プロジェクト」で、別の意味でのペンキ塗り(!)。そんな矢先、今度はデリー宅に長年住む1階のテナント(デリー宅は4階だて)から室内のペンキ塗りが必要だとの依頼を受けた。

    さあらばついでに、我々が住む2階もペンキを塗り直そうと夫からプッシュされ、ついでにカーテンの取り換えやバスルームの一部改装などもやることになった次第。3階は義姉家族、4階は義父の後妻が住んでいて、各々、改装などをしているが、2階はわたしたちの仕事である。

    そんな次第で、旅の余韻に浸る間もなく、昨日は実家に近いタイルショップやバスルーム商品のショールーム、カーテン専門店などを巡ったのだった。もはや、慣れ親しみすぎた作業。ペンキのカラーチャートもカーテンのサンプルも、便器もシャワーもなにもかも、時間をかけずにとっとと選択。

    途中で美味イタリアンを食べに行き気分転換を図った。以前、友人から教えてもらった店。ほんと、おいしい。デリー、都会。

    それにしても、インド・ライフにおける繰り返される「破壊と創造」の日常よ! ほとほと、脱力笑いがこみ上げてくる。

    これもわたしのカルマであろう。

    ちなみにバンガロールでは、わたしが全面的に現場監督をする必要があるが、デリー宅は長年、マルハン家で働いてくれているドライヴァー兼執事(!)がいるので、こちらはリモートで指示を出すだけでよい。負担は非常に少ない。今朝も業者が来て、カーテンやバスルームの採寸もすませてくれた。

    🛫

    今日はこれからバンガロールに戻り、1週間後には、またしても1カ月の🇯🇵日本一時帰国である。母の高齢化と認知症の進行に伴い、ここ数年は年に2回の一時帰国だが、前回の「白内障手術」というドラマに引き続き、今回は「ホームへの引越し」と「マンションの売却」というドラマが展開される。

    離れていてもできることを、地道にやってはきたけれど、近くに住む妹も、遠くに住むわたしも、諸々限界を感じていた。そんな矢先、妹のオフィスに近い香椎の便利な場所に、すばらしい「マンション型のホーム」を見つけられたのだ。

    帰国後も、諸々バタバタとはするだろうけれど、すべてはいい方向に向かっている。今回は夫も来月、日本へ来る予定だったが、さすがに混沌がすぎるので、来年に持ち越してもらうことにした。

    父が他界してからの20年間。毎年、一時帰国をし、実家の大掃除やらなんやらを続けてきたけれど、自分自身も年を重ね、この先どうなるのかとの不安は拭えなかった。かつてはダスキンさんに毎週お掃除を頼んでいたが、昨年、要介護1の認定が降りてからは、ヘルパーさんが週2回来てくれるようになり、少しは安心……していたのも束の間、料理をはじめ、諸々、母が自分でできることが急激に少なくなっていく日々。

    ともあれ、Everything will be alright… と、いつも唱えつつ生きている。そしてきっと、うまくゆく。今あることに感謝して手を合わせながら、うまくいくことを信じて日々を過ごしていく。

    もう少し残っているブータン旅の記録は、バンガロールに帰ってから残そう。

    🐈ああ、猫らに会えるのが楽しみだ!

    ‎メジャーポール、ウェルカムマット、‎、「‎おはー พน้า= حقمت OSLO PriceCode:A Sr. Sr.Nc.:7 PriceCode:A Code:A :A Price Quality SRO 53336 Design Plain Shade 3868 IDECOR AURA adecor.com Composition 50% 50%Palyester Palyester 0%Polyester:50%Cott :60% Cotton Weight(GSM) Width(CM) Martindale Washcare care 346 140 35,000kbs .$0チ) OEKO- EKO-TEX® TEX STANDARD ขะธาา 100 100 Enduse 閉国宣 ารอพาย‎」というテキスト‎‎の画像のようです
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    ポーチドエッグ、卵黄の画像のようです
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  • バンガロールからデリーへ飛ぶよりも短い2時間あまりのフライトで、ブータンのパロからデリーに到着した。帰路もあいにく曇天で、ヒマラヤ山脈を見下ろすことはできなかった。また来なさい……ということだろう。

    まだ、気持ちをブータンに残したまま、ランチ前にデリー宅に到着。午後は昼寝などしてゆっくりと過ごした。夜はデリー在住の友人夫妻をお招きし、ブータン旅はじめ、多方面の話題で会話の花が咲く。日本語での会話は、「思い」がダイレクトにすばやく表現できるので、夫には悪いが、途中途中、日本語で話す。

    とても、いい夜だった。

    今日はこれから外出。デリー宅での雑務や買い物をすませ、親戚宅を訪問し、明日のフライトでバンガロールに帰る。その前に、最後の滞在先となったSix Senses パロでの様子なども残しておきたい。

    ティンプーでも体験した民族衣装での「コスプレ」を、パロでも楽しんだ。前回とほぼ同じ色合いを選んでしまい、違いがよくわからない。

    ちなみに我が家の場合、わたしが積極的に写真撮影をしていると思われがちだが、自分たちが映る「記念写真」に関しては、夫の熱量が圧倒的に高い。

    わたしは「撮影には積極的」だが、「撮影される」ときには、そこそこ面倒臭いと思ってしまうのだ。ゆえに旅先では、随所で「一緒に写真を撮ろう!」「美穂、一人で写って!」という夫がいなかったら、わたしは自分の写真がほとんどない状態となってしまう。さんざん、自分の写真を投稿しているので、そうは見えないかもしれないけれど😳

    それにしても、今回の旅は、本当に、幸運が続いた。その最たるものが天候。雨季の終わりで不安定な雨が続くなか、わたしたちがトレッキングをしている間は、ほとんど雨が降らなかった。タイガーズ・ネストを訪れた朝は雨だったが、歩き始めるころには雨が止み、帰路のランチタイムには大雨。しかしランチを終えたころには雨が止むなど。

    本当に、ありがたいことだった。

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    ポーチドエッグ、イングリッシュマフィンの画像のようです
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    雲の画像のようです
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    地平線、雲、木、たそがれの画像のようです
    コロッケ、オッソブーコ、クスクスの画像のようです
  • 現在、小雨降るパロ空港にて、デリーへ飛ぶフライトを待っているところだ。8泊9日のブータン旅行。ティンプー 2泊、プナカ3泊、そしてパロ3泊の旅は、あまりに色濃く有意義で、瞬く間に、しかし濃密だった。

    自然、伝統、文化、宗教、歴史、食……そして人々の穏やかさ、やさしさ……。一つ一つに感銘を受け続ける日々だった。こまめに記録を残し続けてなお、まだまだ書きたいことは尽きず。いつものことだが、旅のあとは忽ち日常に戻り、余韻を記す機会を損ねてしまう。

    フライトまでの短い時間、せめて昨日のことは残しておきたい。

    [Bhutan 05]で記した通り、1964年に海外技術協力事業団(OTCA/現在のJICA)の専門家としてとしてブータンに派遣された西岡京治氏。農作物に乏しかったブータンに、稲作をはじめ様々な農作物をもたらした偉大なる日本人のことを、食事をするたびに思い出していた。

    国王からは「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を与えられたダショー西岡は、59歳の若さで、この地で急逝。ご夫人の意向で、彼はパロの渓谷を見下ろす高台に弔われた。

    昨日の朝は雨が降り続いていたが、午後からはたちまち青空が広がり始めた。ガイドのTashiには、前日から、ダショー西岡の仏塔がある国立種子センターへ行きたいと伝えていた。この日もまた、山の幸に恵まれたランチをすませたあと、車に乗り込む。夫はロッジの近くにあるリンポシェゆかりの洞窟へ瞑想に行くと言うので、わたしは一人で出かけた。

    山々の緑は、雨に洗われてよりいっそう、瑞々しい。ここ数日、自分の視力が向上したのではないかと錯覚するくらい、視界が明瞭だ。

    道中、「これは日本米の水田です」とTashiにその特徴を教わりつつ、豊かな丘陵を飽かず眺める。本当に、美しい。

    丘の上に立つ仏塔に手を合わせ、飛来する飛行機を眺める。あいにく土曜日で、西岡氏の活動の履歴が展示された建物内の見学をすることはできなかった。また、次回、ということだろう。

    西岡氏に、おいしい農作物をいただけたお礼を伝えられただけで、満足だ。

    帰路、パロの小さな繁華街を歩き、アートギャラリーで小さな絵を買い求める。彼方に虹が見える。何もかもが、やさしい物語のような旅だった。本当にありがとう。

    ……インドに戻ってからも、零れ落ちた写真を拾い集めたいと思う。

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    ポーチドエッグ、卵黄、お粥の画像のようです
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    山の画像のようです
    1人、寺院の画像のようです
    2人、寺院の画像のようです
    ‎記念碑、‎、「‎軒 優 国 との 尽 MEMORYOFLATI 。 + ا k و 日 た め ARRE 王 国 の WENTYEIGHTYEARS( YEARS ENTY INBHUTANFORTHE PEOPLEOFTHEKINGDOMOF‎」というテキスト‎‎の画像のようです
    ‎、「‎Syngye 年 A 同 菇 A ኢጵያ CER 近 年 無 現 م ف 開 地 스 田 チ 3 ف L さ 그 れ بم ی ボ‎」というテキスト‎の画像のようです
    地平線、山、雲の画像のようです
    車、、「From the People of Japan jicA Cosm Lapan International ) @ Agaet Cooperaton Cooperation」というテキストの画像のようです
    雲、山、霧の画像のようです
    5人、フタコブラクダ、テキストの画像のようです
    1人、ウィンドチャイム、テキストの画像のようです
    1人、テキストのアート作品のようです
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  • 長いと思っていたブータンの旅も、ついには最終日となった。今日は特に予定を入れておらず、のんびりと過ごそうと思っていたところ、朝から降り続く雨……。インドへ戻る前に心身を整えなさいと、天から言われているかのようだ。

    [Bhutan 08]に記した通り、今回の旅行は、夫からの還暦祝い企画であった。この贅沢な旅を満喫するには、好奇心、体力、食欲、精神力……と、自分自身のコンディションが整っていることも大切だということを再認識している。

    昨日は、人生において忘れ得ぬ大切な一日となった。ブータン旅のハイライトである「タイガーズ・ネスト(タクツァン僧院)」を訪れたのだ。

    旅の前に「タイガーズ・ネストは必見だ」「すばらしい場所」と聞いてはいたが、実はしっかり予習しておらず「そこそこタフなトレッキングにふさわしい服装とコンディションでのぞむ必要がある」ということくらいしか考えていなかった。

    タクツァン僧院は、パロ渓谷の切り立った断崖絶壁、標高約3,120mの場所に立つチベット仏教の聖地で、1694年に建立された。ブータン仏教の重要な巡礼地として知られている。

    そもそもここには、8世紀、ブータンに仏教を伝えた高僧のパドマサンバヴァPadmasaṃbhava(チベットやブータンでは「グル・リンポチェ」と呼ばれる)が、雌のトラの背に乗って飛来したという伝説が残されている。彼は、ここにある洞窟で、3年3カ月3週間3日3時間瞑想して悪霊を鎮めたという。

    朝4時半に起きて軽い朝食をすませ、6時に車で出発。7時前にトレッキングの出発点となる駐車場に到着。聞けばここは標高約2,535m。富士山の五合目ほどだ。そもそも三半規管が弱く高山病を心配していたわたしだったはずだが、大丈夫なのか……? と今更ながらの懸念。

    最初の15分ほどは、息切れと軽いめまいがしたのでスローペースで歩く。しかし、水をたくさん飲みながら歩くうちにも、清浄な空気に浄化されたのか、心身に力がみなぎってくる。幸い、足腰の痛みもなく、登っては休み、登っては休みを繰り返しているうちに、目前に寺院が現れた。

    朝の早い時間、あたりは霧(雲)に覆われて視界が悪く、遥かなる寺院の姿(目的地)が見えなかったことから、ひたすら近い未来を見つめて歩くしかなかった。

    もしも雲がなく、低い位置から彼方の寺院が見えていたら、あまりの高さと遠さに、「あそこまで行くの?!」と、衝撃を受け、どっと疲れていたかもしれない。

    視界が開け、雲間から寺院の姿が見え始めたころ、気づけば、いくつものグループを追い越していて、あたりにはわたしたちしかいない。その静けさがなんともいえず尊い。2時間弱かけて、500mほどの標高を登ってきたことにも驚く。よくがんばった! 

    これまでの人生。わたしは地球各地のさまざまなパワースポットや聖地を訪れてきた。どの地もそれぞれに、すばらしい力と魅力を感じさせ、わたしにエネルギーを与えてくれた。

    このタクツァン僧院は、格別だった。筆舌に尽くしがたい。

    曼荼羅の如き人生の節目、2周目の始点を祝するにふさわしい、絶大なる力を与えてくれる場所であった。

    パドマサンバヴァが瞑想したという洞窟の入り口に設けられた狭い部屋。わたしたち4人が座ると、もういっぱいいっぱいの空間だ。仏像の左手に、洞窟への扉がある。年に一度、開かれるというその扉の前の、石肌そのままの部屋に座して、わたしたちもしばし瞑想する。

    他の巡礼者が来るまでの、静寂の十数分間が、途轍もなく稀有で有難いひとときであった。

    その後、上階の伽藍に移動し、僧侶たちの読経を聞きながら、またしても数十分、祈らせていただく。

    ここにはまた、必ず来たい。次は十年後の古希か。この先も、つつがなく巡礼旅ができるように。足腰を、心身を鍛えよう……と強く思う。

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  • 今朝は、今回の旅のハイライトとも言うべくトレッキングに出かけるため、4時半に起床した。今、ルームサーヴィスの朝食が届くのを待つ間、記録を残している。

    昨日の夕暮れどき、今回の旅3カ所目の宿に到着した。Six Sensesの建築物とその構造、レイアウトは、3つのロケーションそれぞれの特徴を生かし、最大限に自然に溶け込む形で構築されている。どのロッジも、部屋に入ればほんのりと樹木の香りがし、素足に触れる木肌も、手で触れる石壁も、心身に心地いい。

    まるで遺跡のように、地下へ潜った先にあるスパやプール。夫がプールで泳いでいる間、わたしはスタッフに案内されて、庭を散策する。ダイニングで出される野菜の大半を、この庭にある農園で栽培しているという。

    この地に合うものを、試行錯誤しながら、育んでいるのだという。

    素朴にして豊か。当たり前にオーガニックの野菜らを眺めたあとは、食事がよりいっそう、美味しく感じる。ティンプー 、プナカに並び、ここのシェフもまた、素材の旨みを最大限に生かした調理法での料理を提供してくれる。

    自然の恵みに、ひたすらの感謝だ。

    それでは、行ってきます!

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    カラードグリーンの画像のようです
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    スイスチャード、カラードグリーンの画像のようです
    スイスチャード、カラードグリーンの画像のようです
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  • プナカのロッジをチェックアウトした後、旅の最終地点であるパロを目指す。初日に着陸した空港のある街だ。途中、首都のティンプーにあるピクニックグラウンドでランチ。

    ブータンで一般的だという蕎麦に、アヴォカドやサーモンなどをトッピングしたもの。おいしい。

    雨後の緑は鮮やかで、空の青さが突き抜けている。命を持っているかのような、圧倒的な雲の勢いに見惚れる。

    途中、空港を見下ろせる場所で車を止めてもらう。山肌を縫うように低空飛行をする必要があり、世界で最も着陸が難しい空港のひとつとされている。スリリングながらも、空港が好きなわたしとしては、この特殊な環境の眺望を眺められるだけで、ワクワクする。

    今日もまた、ガイドのTashiからブータンのことをさまざまに教わる。道徳、倫理、文化の継承、宗教行事や祭りが果たす役割など……。

    ブータンでは、世界でもよく知られている通り、「国民総幸福量(GNH / Gross National Happiness)」が重視されている。これは1972年に、第4代国王によって提唱されたもので、国の政策の柱になっている。

    この指標をして、海外からの賛否両論や、幸福度の低下などが取り沙汰されている記事を、これまで折に触れて目にしてきた。

    わずか数日ながらも、この国に身を置いたことで、何事においても「一筋縄ではいかない」ということを実感すると同時に、この国の独特な経済成長を目指す、他国に例を見ない在り方(挑戦)に、感銘を受ける。

    備忘録として、以下、在東京ブータン王国名誉総領事館のサイトより一部抜粋する。

    ブータンの社会では、仏教の哲学・倫理的側面の中から、現代の社会にも適用しうる部分を抽出し、憲法や政策の中に取り込んでいる。中でも、ブータン王国憲法第九条第二項に掲げられているGNHという概念はとりわけ重要であろう。GNHの定義は様々に存在するようであるが、一例として「GNHは国家の質を(GNPよりも)総合的に量り、人間社会のより良い発展は物質的な発展と精神的な発展が隣り合ってお互いに補足し合い、強化し合うところに生まれるという信念に基づく」という表現がある。ブータンの国政はこのGNHの理念に沿って進められているのである。

    ◉GNHの4つの柱

    ・持続可能な開発の促進 (promotion of sustainable development)

    ・文化的価値の保存と促進(preservation and promotion of cultural values)

    ・自然環境の保全(conservation of the natural environment)

    ・善い統治の確立(establishment of good governance)

    ◉GNHの9つの領域

    ・教育 ・生活水準 ・健康 ・心理的幸福 ・コミュニティの活力 ・文化の多様性と弾力性 ・時間の使い方 ・良い統治 ・環境の多様性と弾力性

    経済は、「生活水準」の領域に含まれるとされ、絶対的な要素ではないということになる。また、ここでの生活水準とはあくまで国民一人ひとりが営む生活の水準が問題となっているのであり、一握りの人間が富を独占する事態があってはならないことが前提となっている。

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    サクサイワマンの画像のようです
    山、草、、「My Country, My Community, My Family, ..are important Say "NO" to Drugs gsandAlcohol! and Alcohol! Bhutan Food BhutanFoodandDrugAuthorilsy and Drug Authoriby」というテキストの画像のようです
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  • 僧院を出た後は、再び山道を下り、渓谷の底へ。尼寺へ向かう途中、初日に立ち寄った寺院、プナカ・ゾンの前を通過する。このゾンの前では、二つの川が合流する。父(男)川と母(女)川。緑とグレイの異なる色の川が、ゾンのあたりで出合い、一つの川となって、下流へと流れゆく。車窓から、その色の流れを眺める。

    再び蛇行の山道を登り、尼寺を目指す。なんという快晴! 

    わずか数日の間にも、いくつもの寺院を訪れ、いくつもの伽藍で、神聖な気配に包まれてきた。それぞれに、それぞれの麗しさと尊さがあるが、個人的には、この尼寺の伽藍が最も気に入った。

    中央に鎮座する千手観音(千手千眼観自在菩薩)のすさまじさ。無限の慈悲と力をもって、あらゆる衆生を救済するという菩薩。千の手すべての手のひらに瞳があり、こちらを見つめている。あらゆる苦しみを見つけ出し、救いの手を差し伸べてくれるというありがたき姿……!

    わたしたちは、どの寺院に訪れても、少なくとも10分、場所によっては30分ほど、鎮座して祈り過ごしている。ここではいつまでも、心静かに座していたいと思わされた。また来たい。次は10年後の古希かな……とひらめきつつ、尼寺をあとにする。

    途中で人々の暮らしの片鱗を見たく、商店に立ち寄る。品揃えの薄い、殺風景な店内。店の一隅で、女性の店主が機織りをしている。日用消費材は、インドやタイなどからの輸入品も見られる。もちろん、他にも大きめのスーパーマーケットなどがある。後日、タイミングが合えば、立ち寄りたい。

    午後2時を過ぎて宿に帰還。流石に少し、車酔いをしたが、一呼吸ついてランチ。BLTサンドイッチと、付け合せに白菜とゼンマイ。前夜はゼンマイの天ぷらを食べた。野菜も肉も本当にもう、おいしい。大地の力を存分に吸収している味。毎食、満たされた気持ちになる。毎食、ダショー・ニシオカのことを思う。

    その後、昼寝をして目覚めれば、もう夕方。瞬く間に1日は、過ぎてゆく。ガイドのTashiから教わった、国王にまつわるさまざまな逸話を、忘れないように書き残しておきたいが……。

    そろそろ朝ごはんに行ってきます!

    キャンディー、ニューススタンド、テキストの画像のようです
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    寺院の画像のようです
    山、寺院の画像のようです
    寺院の画像のようです
    寺院の画像のようです
    寺院の画像のようです
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    クラブサンドイッチ、ライ麦パン、バゲットの画像のようです
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  • 2人、バイク、草、道路、霧、山の画像のようです

    現在、9月11日の午前7時過ぎ。2001年のこの日、わたしの運命は、大きくカーヴした。あの出来事がなかったら、わたしたちは多分、ここにはいない。いくつもの分岐点を通過してきた人生を思う。

    3泊4日のプナカ滞在を経て、今日は朝食後、宿をあとにして、旅の最終地点であり、旅の始点でもあるパロを目指す。昨日と同様、朝は雨音で目覚めた。今もまだ雨は降っているが、雲の動きは早く、きっとここを出るころには雨も止んでいるだろう。

    朝食のまえに、昨日の記録を簡単に残しておきたい。

    実質2日間のプナカ滞在。どちらの日も、午前中に外へ出て、昼過ぎにリゾートに戻って昼食をとり、そのあとは昼寝をするなど、のんびりと過ごした。ひんやりと滑らかに、肌に心地いいリネンのベッドに潜り込む心地よさ!

    昨日の朝、雨音で目覚める。空には重く雲が垂れ込めている。まだ雨季の名残がある時節ゆえ、雨の日があってもおかしくはない。今日は車での移動にとどまるだろうか……と思いきや、朝食をとっている間にも、みるみるうちに青空が広がり始めた。

    ちなみにSix Sensesプナカのシェフは、インド料理も得意だということで、昨日はマサラ・ドサを注文してみた。これがまた、独特の香ばしさと風味のよさで、非常においしい! 毎食毎食、心身によいものを食べているせいか、肌ツヤがよくなった気がする。

    一方、思いがけぬほどの昼間の強い日射で、腕に少し日焼けアレルギーが出ている。普段は日焼け止めを塗ることはないのだが、ここでは太陽が近い。しっかり日焼け止めを塗らなければ。

    昨日もまた、ワインディングロードのアップダウンを繰り返しながら、僧院と尼寺を訪れた。

    僧院では、ありがたいタイミングで到着し、バターランプに火を灯させていただいた。さらには、僧侶たちが集っての読経が、ちょうど始まったばかりのタイミングで寺院内に入ることができた。

    読経、鈴、銅鑼、太鼓、法螺貝……。さまざまな音の渦の中で、ありがたき精神浄化のひととき。撮影はできないが、音を録音させていただいた。音を聞けば、情景が脳裏に浮かび上がる。

    バンガロールに戻ったら、写真を整理して短い動画を作り、この音をバックグラウンドミュージックに使おうと思う。

    ここでは僧院の外観などを残しておく。

    サクサイワマン、山、雲の画像のようです
    写真の説明はありません。
    花の画像のようです
    木、寺院の画像のようです
    1人の画像のようです
    雲、山の画像のようです
    4人、寺院の画像のようです
    3人、寺院の画像のようです
    7人、、「HAPPY LITTLE MONKS ARTCLUB ART CLUB Joinusinmaking making difference through Art! Welcome our ur donation drive, tribute the fansdomieietnenene artists. bythetouching involvement young monks from Choeten Nyingpo monastery, Punakha during camp. traditional wisdom The unds enerated from auction sa dream will not only showcase their talents and world. participation our here, will cducationfor little monks providing their weekend youngmonks. artworks express immense bfarweveelsslse cost. gratitude entors and artist Their continued support and dedication fuels our htenesaryessro Thanisialtehis rowandlearnin Together, andhope andhopeforabrighter abrighter perpetuateti spirit compassion」というテキストの画像のようです
    アート作品のようです
    インディアン・ペイントブラシ、ベニゴウカンの画像のようです
    寺院の画像のようです
    1人、道路、山、雲の画像のようです

  • 瑞々しい緑をたたえた水田を見渡し、見下ろしながらトレッキングをしている最中、玉置浩二の「田園」の旋律が、脳裏を巡っていた。彼曰く「一番グチャグチャになってたときの経験をまとめた詞」だとのことで、そこに田園の要素はなにもない。

    生きることに苦しむ人たちへの共感と、しかし鼓舞するメッセージのようなその歌のタイトルを、彼はなぜ「田園」にしたのだろう。

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    1枚目の写真はトレッキングのあと、夫がプールで泳いでいる間に一人で楽しんだルームサーヴィス。ラム肉のグリル。マッシュルームとポテトが添えられている。付け合わせに「白菜」を頼んだ。ほんのり「和」の味わいがいい。

    旅の前にバンガロールの空港免税店で購入していたスパークリングワインを開ける。ボトルのデザインで選んだ(!)イタリアのプロセッコ。その黄金色がなんとも言えず、美しい。

    絶品と言わずにはいられないラム肉を味わい、グラスを傾けながら、旅を重ねた20代、30代の記憶が走馬灯のように脳裏を巡る。イタリアのトスカーナ地方、南仏プロヴァンス、スペインのコスタ・ブラヴァ、カリフォルニアのナパ……。

    緑豊かなテラスでの食事のシーンが、次々に思い返されて懐かしい。10年前も、20年前も、30年前も、過ぎてしまえばすべては脳裏の引き出しの中。印象的な経験は、歳月を重ねても色あせることなく、ついこのあいだのことのように鮮明に蘇る。

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    ブータンの農業、すなわち人々の命の源が、ひとりの日本人、西岡京治氏 (1933-1992)によって育まれたということを思うにつけ、感慨深い。以下、Wikipediaからの引用。

    「1964年、 ブータンに海外技術協力事業団(現・国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として里子夫人とともに赴任。赴任当初はインド人が大半を占める農業局から冷遇を受け、試験農場すらまともに用意されなかったという。そのような中、28年間に渡り日本から導入した野菜の栽培および品種改良・荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力する。西岡の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した漸進的なものであった。このため、成果の確実性と定着性において他に例を見ないほどの成功を収め、農法にとどまらず産業・生活の基盤改善に大きく寄与した」

    西岡氏は、ブータンで適切な歯の治療が受けられなかったことが原因で敗血症となり、59歳という若さで他界された。彼はブータンにおいて国葬されたという。彼の存在が、ブータンをして親日国である大きな理由のひとつでもあるようだ。

    今、目前に広がるこの水田の、苗が規則正しく植えられている様子さえも、西岡氏の指導によって育まれたというのだから。従来は、手当たり次第、無造作に植えられていたらしい苗。それを、日本の田植えのように一定の間隔に植えていく並木植(なみきうえ)に変えたのも西岡氏だった。並木植にすると、草取りが楽になり、風通しもよくなり、収穫が4割も増えるのだという。

    彼に限らず、異国で農業を伝え、人々に命の源を与えてきた日本人は少なくない。インドにおける杉山龍丸氏や福岡正信氏の貢献については、過去、わたしもブログに記してきた。ガイドのTashiから、ブータンが農業振興のために図られている政策の一端を聞く。

    自然環境の維持と向上、伝統文化の継承とテクノロジーの調和……。ひとつひとつの話が興味深く、何よりも、歴代国王の「人柄と理念と指導力」が、この国のすべてであるといっても過言ではないほどの影響力だということを知る。

    夕暮れどき、空中ラウンジにて、本を開く。歴代の国王の写真集などを眺めながら、この国の歴史の片鱗を学ぶ。

    綴り残しておきたいエピソードが多すぎる。

    写真の説明はありません。
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