インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    💐5日前、インド移住16周年記念の日に買った花が元気でうれしい。蕾が多かった百合が、日々、芳香を放ちながら、少しずつ開いていく。

    このごろは、フラワーアレンジメントをしてくれるショップも増えていて、贈り物含め、折に触れて利用している。しかし、近所の花屋の花々もいい。ちなみに今回は、ドライヴァーのアンソニーに買ってきてもらった。店の写真を撮影、WhatsAppで送ってもらい、わたしが選ぶ。

    移住当初には考えられなかったお買い物の方法が、今では日常。歳月は流れる。さて、久しぶりに晴れ間が見られる今日。新居のファブリック類を選びに出かける。これは自分で見て触れて選ぶべし。

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    このごろはもう、呆れるほどに降り続く季節外れの雨。友人夫妻に招かれてランチへ赴くころ、久しぶりに青空が見えた。空気が輝き、視界が開けて清々しい。

    「マンガロールの家庭料理を食べにおいで」と言われ、二つ返事で誘いを受けた。我が家の近所にある「マンガロール・パール」という老舗で、肉や魚が豊富な料理を食べたことがあるが、家庭料理を味わったことはない。インド料理は家庭の味が格別なのだ。

    マンガロールはバンガロールと同じカルナータカ州ながらも、ケララ州にほど近いアラビア海に面した土地。わたしたちは、5年前にケララ州のべカル(Bekal)を旅した際、マンガロール空港を利用したものの、目的地へ直行したためマンガロールを知らない。

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    友人夫妻は子供のころからバンガロールに暮らしているが、出自はマンガロールのクリスチャン。食卓には、マンガロールのクリスチャンコミュニティで食されるという、イディリに似たサナ(Sanna)という米粉を発酵させて作った蒸しパンをはじめ、豚肉、鶏肉、魚、エビなどのノン・ヴェジタリアン料理、そしてバナナやドラムスティックのカレー、ナスのマリネ、きゅうりのライタなどのヴェジタリアン料理が並ぶ。

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    我が夫が「辛いものが苦手」だということを知り配慮してもらっていたので、味付けもマイルド。どれも非常においしい。個人的には、プランテーション・バナナのカレーや、ココナツ風味が効いたナスのマリネが、初めての味わいでとてもおいしかった。

    招かれたゲストを含め7名と小人数だったこともあり、昼間からワイングラスを片手に、語り合いながらの心地よい午後。大人数で踊って賑やかなパーティも楽しいが、こうして小人数で意見を交換し合うパーティは、わたしにとっては特に有意義。インドの文化、ライフスタイル、ビジネス……さまざまに、話ができる機会でもあるからだ。

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    コーヒーテーブルに置かれていたチェティナード料理の本からも話が広がる。お隣タミル・ナドゥ州のチェティナードは、壮麗で豪華な宮殿や邸宅が残されている歴史豊かな土地で、THE BANGALAというホテルの料理が格別らしい。

    わたしがチェティナード料理のことを知ったのは、今年ClubHouseで知り合った真更薫さんに教わってから。以前、「知らずに」バンガロールの店で食べたことはあったが、THE BANGALAの料理は別格で、とにかくすばらしいとのこと。友人夫婦も太鼓判を押す。

    チェティナードには、先日から度々記しているところの「和製マジョリカ・タイル」をふんだんに使った邸宅もあるようで、近い将来訪れたいと思っていたところ、友人らからも「絶対に行くべき」と強く勧められる。

    本当に、インドは魅力が無尽蔵で、困ってしまう。来月は近場を旅する予定だが、未だ行先定まらず。どこへ向かうのだ我々は……!🇮🇳

  • ◉Malyavanta Hill
    ➡︎https://hampi.in/malyavanta-hill

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    【はじめに】

    *今回、全5回に亘り、2021年9月24日から27日にかけての、カルナータカ州ハンピの旅をレポートしています。他の記録もぜひご覧ください。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/hampi-journey/

    *この [HAMPI 06 完結編] では、以下の項目から、②に関する記録を残しています。

    ①数十億年前/生まれたばかりの地球の姿が残る場所。地質学の視点 

    ハンピ一帯の「岩盤」や「奇岩」は、地球上で最も古い露出面のひとつ。地球が誕生した時、とてつもなく巨大な花崗岩の山だった一帯が、数千万年(数十億年という説もある)に亘って、日射しや嵐、風、雨といった自然の力に浸食で、徐々に形を変えた。石が積み重なったのではなく、自然という「彫刻家」によって造形された奇岩なのだ。

    ②数千年前/神話の世界。インドの二大叙事詩の一つ『ラーマーヤナ』における主要ポイント 

    『ラーマーヤナ』とは、古代インドの長編叙事詩で、インド人の多くが知っている重要な神話だ。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並んで、インド二大叙事詩とされている。北インドのコーサラ国を去らねばならぬ運命に陥ったラーマ王子とシータ姫、ラーマの弟ラクシュマンを巡る物語。現在のスリランカである「ランカ島」に住む10の頭を持った悪魔ラーヴァナによって、シータ姫が誘拐される。姫を救うべくラーマとラクシュマンは鬼退治に行くのだが、途中、このハンピで絶大なる助っ人、猿の神様「ハニュマーン」と出会う。この『ラーマーヤナ』に因んだ場所がハンピには数多くあり、我々夫婦も稀有な経験をした。

    ③数百年前/世界規模で栄華を極めたヴィジャヤナガル王国の王都 

    ハンピは、14世紀から16世紀中頃にかけて隆盛を極めたヴィジャヤナガル王国の王都だった。宝石やスパイス、布などさまざまな貴重品が交易されるバザールが存在。当時の都市遺跡は各所に散らばり残っているが、中心部の「一部」がユネスコ世界遺産に指定されている。

    ④現代/鉱山と鉄鋼業。オリンピック選手養成施設。自然保護区など 

    ハンピ界隈の地中には、鉄鉱石が眠っており鉄鋼業が盛ん。日本との関わりも深い。今回、YPO主宰での旅だったこともあり、鉄鋼大手ジンダルの幹部であるメンバーの計らいにより、製鉄所や鉱山の見学をした。さらには、ジンダルによって設立されたオリンピック出場選手の養成施設も訪問。2020東京オリンピックに出場した選手にも会って話を聞けた。この他、今回は訪問しなかったが、ハンピには動物(熊)や植物の自然保護区もある。

    ⑤滞在したラグジュリアス・ホテルやYPO主催のパーティの記録など 

    ハンピはすばらしい土地ながら、いかんせん、観光インフラが整っていない。ニューヨークタイムズの2019年版「訪れるべき旅先52選」で、ハンピは2位に選ばれた。これを機に、徐々に海外からの旅行者にも対応すべくインフラが向上すると思われたが、まだまだホテルや飲食店の選択肢が少ないのが現状。ヒッピー時代の名残が強い。しかし、我々が滞在したホテルも数年前に誕生するなど、徐々に環境が整い始めているようだ。

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    ⬆︎ラーマ王子が4カ月間滞在、瞑想を続けた祠にて、束の間。瞑想をする我々。

    ◉インドがインドである理由が見えてくる『ラーマーヤナ』の神話世界 

    わたしがハンピで一番好きな場所。それは前回、2018年の旅の際、偶然、訪れるに至った Malyavant Shri Raghunath Temple と、その背後に隣接する Sri Parasanna Virupaksheswara Swamy Templeだ。

    前回の旅では、友人とKRSMAワイナリーに足をのばしたあと、一足先にハンピを離れた友人を見送り、わたしは引き続き滞在した。ユネスコ世界遺産の観光ポイントを巡っている時、物売りの少年からガイドブックを購入。パラパラとめくった際、1枚の写真が目に止まり、「ここに行かねば」と思った。そして、その日の夕暮れ時、赴いた。

    この場所の魅力を受け止めるには、『マハーバーラタ』と並ぶ、古代インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』の物語を知っておくに越したことはない。

    紀元3世紀ごろに成立したとされるヒンドゥー教の神話『ラーマーヤナ』(全7巻)。元、盗賊。転じて詩人となったヴァールミーキが、古代コーサラ国のラーマ王子の伝説を編纂したとされている。

    古代コーサラ国(現在のアヨーディヤ)のラーマ王子は、諸事情あって国から追放される。弟のラクシュマンと、妻のシーター姫と三人で旅をしているときに、シーター姫が、ランカ島に住む魔王、ラーヴァナに誘拐されてしまう。姫を取り返すべく、ラーマ王子とラクシュマンが旅する中、力強い助っ人に出会う。それが、猿の神様、ハニュマーンだ。

    『ラーマーヤナ』の第4巻、キシュキンダーの巻は、ハニュマーンの生まれ故郷であるキシュキンダー、即ち現在のハンピが舞台となっている。『ラーマーヤナ』については、今回の旅記録の冒頭 [Hampi 01] にも記しているので、ぜひ後半を再読のうえ、この記録を読み進めて欲しい。

    [HAMPI 01] ハンピ旅序章/地球創生から現代まで。複数の次元を時間旅行
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/10/hampi01.html

    *神話と現実が交錯しながら、今に連なるインド。2018/03/26
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2018/2018/03/hampi04.html

    以下の地図は、ラーマ王子一行が、コーサラ国(アヨーディヤ)から、姫を誘拐した悪魔が住むランカ島(現在のスリランカ)に至るまでの足跡を辿ったものだ。

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    なお、アヨーディヤは、ヒンドゥー教とイスラム教の間での聖地争いが延々と続いてきた場所。この件についてもかつてブログにまとめているので、ぜひご一読を。

    🇮🇳アヨーディヤーの判決を巡っての覚書と経過(2019/11/09)
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2019/2019/11/ayodaya.html

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    ◉どうしても、夫を連れて来たかった、一番お気に入りの場所へ 

    この日、夕方からYPO主催のミュージック・パフォーマンスがあるのはわかっていたが、どうしても夫を、この寺院がある丘に連れてきたかった。ここからの夕景がすばらしいのに加え、ラーマ王子と弟のラクシュマンが、シータ姫を助ける道中、ここに立ち寄り、ハヌマーンと出会ったという、極めて重要なスポットであることを、前回の訪問時で知ったからだ。

    そんなに大切な場所にも関わらず、ここはユネスコ世界遺産のヘリテージサイトから外れていて、観光客も少ない。あのガイドブックを読まなければ、そんなエピソードを知ることすらできなかった。

    夕刻、ヴィルパクシャ寺院を訪れたものの、大雨に降られたことから、ホテルに戻った方がいいのではないかと夫は言うが、雨は止むかもしれないと思った。

    *[HAMPI 04]ユネスコ世界遺産。数百年前に栄華を極めたヴィジャヤナガル王国の面影を残す都市遺跡
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/10/hampi04.html

    予感は当たり、その丘に到着するころには雨が上がり、彼方にほんのりと、虹が出ていたのだった。

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    右側のガイドブックが、2018年に少年から買ったもの。この本のおかげで、ここにたどり着くことができた。

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    ここは、他のサンセット・ポイントとは異なり、石段などを登らずに、車で高台にたどり着けるのが魅力でもある。ただし、「いたずらな猿」と「盗みを働く人間」が発生するらしく注意が必要。特に猿は、携帯電話などを奪うらしい。

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    ……と、早速、バイクに置かれていたカバンを開け、書類を散らかしている猿らに出迎えられる。叱って、ハニュマーン!🐒

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    入り口の門の背後にある展望台。ここからは「360度」の光景が見晴るかせるらしい。つまり、日の出も日の入りも拝むことができるのだ。次回の旅では登ってみたいと思う。

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    前回の訪問時と同様、この日も二人の僧侶がマイク越しに『ラーマーヤナ』を読経していた。聞けば、14年前からずっと、24時間、途絶えることなく唱え続けているとのこと。14年前、何を契機に始まったのか、その理由を知りたかったのだが、聞けずじまいだった。次回の訪問時には知りたいと思う。

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    実は我が夫。かつては信心深さはほとんどなく、スピリチャルなことも、非科学的なことも、ほとんど信じなかった。わたしの祖母が、霊的な力を持つ人だったことから、折に触れてその類の話をすることもあったが、信じる様子もなかった。

    ところが昨年の1月に義父ロメイシュ・パパが他界した直後、彼の親しい友人にスピリチャル・リーダーのMoojiを紹介され、リシケシに会いに行ったのを機に、彼の志向が大きく変わった。以来、日々、オンラインで彼の話を聞いており、週に一度、サットサンにも赴いている。「サットサン」とは、サンスクリット語で「真実を探求する仲間」を意味する。

    義父の急逝に伴う苦悩とさまざまな手続き。パンデミック。米国永住権の放棄……。仕事以外にもストレスの多い出来事を片付けねばならず、夫婦揃って精神的に滅入っていた。そんなとき、夫は、Moojiを通して、信仰や、精神世界への関心が芽生えたようである。毎朝の瞑想も、彼の心を少なからず平穏に導いている。

    ゆえに、かつては決して率先して訪れなかった寺院へも、積極的に、踏み込んでゆく。妻はといえば、幼少時から少なからずスピリチュアルな経験をしてきたこともあり、この世、現世で、なるたけ情緒が偏りなく平穏に保てるよう「調和」「均衡」を心がけている。ゆえに、夫がバランスを崩さないように、見守ってもいる。

    人には、そのときどきで、立つべきステージが用意されているものだな……。と漠然とながらも思う。

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    寺院の裏手にまわり、塀に設けられた小さな入り口をくぐり抜けると、目前に広がる光景。白い寺院を戴いた巨岩の前に祠がある。これが、2000年以上前からあるという Sri Parasanna Virupaksheswara Swamy Temple だ。ガイドブックでこの写真を見た瞬間に、心を奪われたのだ。

    この場所で、ラーマ王子とラクシュマンは、ハニュマーンに出会った。折しもモンスーンの時期だったことから、シータ姫をランカ島へ出陣するまでの4カ月間を、ここで過ごしたという。

    手前の岩には、いくつものナンディとシヴァリンガが彫られている。岩の裂け目からは絶え間なく水が注ぎでているとのことだが、ここは自分たちの飲み水を得るべく、ラクシュマンが矢を放って、裂け目を作ったとのこと。

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    ここからの夕景は、やはり見事で、夫も感嘆している。

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    夕日が沈み、人々が去ってなお、名残惜しく薄暮の空を眺めていた。……と、夫が祠に入って、グルにプジャー(儀礼)をしてもらっている。

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    夫のスマートフォンの画面には、ロメイシュ・パパの写真。なんでも今朝、マルハン家の宗教儀式をしてくれているデリーのグルから電話があり、パパのプジャーをするようにと言われていたらしい。ゆえに、グルに頼んで、マントラを唱えてもらっていたのだった。

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    ラーマ王子は4カ月間、毎日ここで瞑想していた。ラーマ王子が追放されたことで、父のダシャラタ王は深い悲しみに苛まれ、遂には亡くなってしまう。父親の訃報を受けたラーマ王子は、この洞窟で、父親を弔ったという。グルからその話を聞いて、鳥肌が立つ思いがした。

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    神話の世界と現実とが交錯して、脳内が混沌としている。わたしは来るべくして、ここにたどりついている。その思いだけは、確かだった。

    ◉旅の終わりに。帰路に着く前に、再び立ち寄る 

    最終日。折しもシヴァの祭礼の日。夫もわたしも、どうしても最後にこの寺院を訪れておきたく、ホテルをチェックアウトしたあと、帰路に着く前に、再訪した。まず、手前のMalyavant Shri Raghunath Templeを訪れたところ、グルの話を聞かせてもらえることになった。

    ……が! ヒンディー語による会話で、わたしは何がなんだかさっぱりわからず。夫は通訳をしてくれず、わたしも聞きたいことを尋ねられず、このときほど、ヒンディー語ができればよかったと思ったことはない。

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    やがて昼食の時間となり、わたしたちも施しをいただいたのだった。そしてしばらくのあいだ、境内を巡った。彫られている神々、モチーフ、すべてに意味が込められているだろうことが見て取れて、眺めるほどに尽きぬ。

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    石塀に掘られた動物や魚のモチーフは、どこかしら愛嬌のある表情でかわいらしい。

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    蛇(龍?)と満月、ウサギのモチーフにも、何らかのストーリーがあるらしいということも、今回いろいろな資料を確認して知った。日本人が満月の中にうさぎがいる……ということも、何かしら関係があるのではないかと思う。

    岩壁に描かれたウサギと月に関する記事
    ➡︎https://www.newindianexpress.com/opinions/2021/may/15/lunar-eclipse-and-the-intelligent-rabbit-in-hampi-2302604.html

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    何人かの僧侶が交代で、昼夜を問わず延々と、途絶えることなく14年間の間、マントラを唱えて続けている。

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    この場所に関する資料は少ないものの、動画や記事を発見して目を通したところ、益々、関心が高まった。ハンピには、いや、インドのあちこちには、このような神秘と呼ぶにふさわしい、稀有で有り難き場所が、存在している。現代を生きる自分の在り方を、教えてくれるような力ある場所。一箇所でも多く、身を置いてみたいものだと思う。

    ここにはまた、来ます。必ず。

    【関連情報】 

    ◉Malyavanta Hill
    ➡︎https://hampi.in/malyavanta-hill

    ◉岩壁に描かれたウサギと月の物語
    ➡︎https://www.newindianexpress.com/opinions/2021/may/15/lunar-eclipse-and-the-intelligent-rabbit-in-hampi-2302604.html

    ⬇︎以下は2018年に一人で訪れたときの写真

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    2005年11月10日。16年前の昨日、我々は米国からバンガロールに移住した。

    当時のブログ『今しばらくは、インドにて』を紐解けば、いつまでも色褪せない写真が次々と、たちまちの時間旅行。「バンガロール」を英語の発音に合わせて「バンガロア」と表記していたのも懐かしい。

    旧空港の雑踏、混沌、喧騒。大量のスーツケース(大半が夫の衣類)を携えて、チェックインしたタージ・ウエストエンドは、緑豊かなオアシスで。怒涛の如くインド生活を軌道に乗せていった日々。

    嫌がる夫を説き伏せて、自分でもよくわからない熱情で、インド移住を遂行した。

    「半年間はお試し期間」と言いながら、自らをなだめる夫を傍目に、ぐいぐいとこの地での暮らしを構築してきた妻。「何かに取り憑かれていた」としか思えないパワーだった。

    本当に、いろいろなことがあった。これからも、いろいろなことがあるだろう。

    探るほどに奥深く、知るほどに、知るべきことの多さを知る。

    16年前よりも、経験は増えた。知見も深まった。それでも、まだまだ「序の口」でうろうろしている気がするほど、「尽きなさ」を与えてくれるインドという国。退屈するいとまがない。

    昨日、夫に尋ねた。

    “Do you remember what day it is today?”

    少し考えてから、彼は答えた。

    “The day we came back to India.”

    僕たちが帰ってきた日。

    彼がインドに “came back” (帰ってきた)という表現をしたのは、初めてのことだったから、ハッとした。そして、その「帰ってきた」にわたしも含まれているのだと言うことに、しみじみと、心を打たれた。

    ……これからも、よろしくお願いします。インド 。

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    🇮🇳『今しばらくは、インドにて。』バンガロール移住当初のブログ
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/blog/

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    今月末でちょうど勤続10年となる我が家のドライヴァー、アンソニー。我々夫婦のバンガロールでの暮らしは、車の運転だけにはとどまらない、彼のサポートによっても、ずいぶん助けられている。今日、彼は休みを取り、家族で教会へと赴いている。

    今から4年前の今日、キリスト教の聖地の海で他界した長男をしのぶ礼拝のために。

    どんなに歳月が流れても、痛みが和らぐことなどないだろう。あの日のことを思い出すと、胸が迫る。訃報の電話に動揺し、頭が廻らず、当時、熱中していたゼンタングルを、ひたすら描いた。

    以下、4年前の記録を転載する。最下部には、日本在外企業協会刊『月刊グローバル経営』に寄稿した記事の写真も載せている。インドにおけるキリスト教についての概要が、おわかりいただけるかと思う。

    訃報を聞いた後、わたしはアンソニーがすぐに仕事に戻れるとは思わなかった。しかし、翌週から、彼は勤務を再開した。何かをしていなければ、耐え難かったのだろう。しばらくは、彼が運転に集中できるだろうかと心配でもあった。しかし、そもそも非常に運転がうまく、決してホーンを鳴らさず、危険なことはしない人である。杞憂に終わったが、しかしその後、折に触れて話をするたび、彼がどれほど、自分を責めているかということが、わかった。

    毎年この時期、家族や親戚全員で、お隣タミル・ナドゥ州の海辺にあるキリスト教の聖地へ赴いていた。それを取りまとめるのは、アンソニーの役目だった。しかし、その年、長男は試験があるからと旅に行くことを拒んだ。行きたくないと何度も言った。しかしアンソニーは、長男だけを残して行くことはできない。勉強道具を持参して同行しなさいと息子に同行を強制した。

    その挙句の、長男の死。

    アンソニーと結婚するためにキリスト教に改宗したそもそもヒンドゥー教徒だった妻は、神を責めた。夫をなじった。

    周囲からの憐憫も苦痛で、責められることにも慣れ、アンソニーは相当に苦しい日々を送っていた。わたしはただ、

    「決して自分を責めないで。あなたは悪くない」

    とだけを、繰り返し告げることしかできなかった。折に触れての、長男を巡る会話は、兎にも角にも遣瀬なかった。途轍もない苦しみを抱えながら、まさに十字架を背負いながらも、日々努めて明るく過ごしている彼を尊敬する。

    ……ともあれ、以下の記録、お読みいただければ幸甚だ。

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    ◎インド生活で学んだ、使用人と雇い主との関係性。

    10年に亘る米国生活を経て南インドのバンガロールに移住して12年が過ぎた。夫の故郷ニューデリーで2001年に結婚したときには、まさか自分がこの国に「住みに来る」ことになろうとは思わなかった。

    2003年ごろから徐々に、インドの経済やライフスタイルが変貌を遂げているニュースを見るにつけ、住んでみたいと思うようになった。投資関係の仕事をしていた夫は、当初に抵抗を示していたが、「半年はお試し期間」などといいつつ2005年11月に移住したのだった。

    先日、11月10日で、ちょうど12周年を迎えた。

    わたしがインド移住を希望した理由はいくつかあった。その一つが、使用人のいるライフスタイルである。北インド、パンジャブ地方出身の男性は一般に甘やかされて育ち、勉強や仕事ができても自分の身の回りのことができない人が少なくないらしい。

    我が夫も例にもれず。仕事をする傍ら、料理や掃除などの家事ばかりか、日曜大工的なことまでもわたし一人が担うことに、淡い懸念を抱いたわたしは、インドであれば使用人のいる暮らしができる、自分一人が抱え込む必要がなくなると判断した。

    最近でこそ、若い世代は核家族が増え、使用人のいない家庭も増えたが、一昔前までは、富裕層の家庭が複数の使用人を抱えるのは一般的なことであった。デリーの夫の実家には、もはや「執事」のような存在の勤続数十年のドライヴァーがいる。

    彼なしでは、義理両親の生活は成り立たないほどだ。親戚の家にしてもしかり。買い物だけでなく、銀行振り込みなど金銭に関わることまでも、任せている。一方で、義理両親は彼らの生活を保障している。子供達の学費は全面的に支援してきた。数年前には、長女が大学に進学。サイエンティストを目指しているという。

    翻って我が家。現在、勤続6年のドライヴァーとメイド、そして庭師が出入りしている。ドライヴァーは、運転だけでなく、日常の買い物やちょっとした日曜大工など、家の雑事を引き受けてくれる。家の鍵を託しているので、我々の不在時には猫の面倒を見に来てもくれる。

    安全で的確な運転をしてくれるだけでなく、非常に誠実な人柄だということもあり、我々夫婦は信頼を寄せている。娘が1人、息子が2人、そして妻の5人家族。ドライヴァーの平均的給与よりは多めを渡しているとはいえ、3人の子供を育てるには厳しい。

    ゆえに、彼らの学費支援は6年前から続けている。

    昨年、長女が美容学校を卒業して、ビューティーサロンで働き始めた。次は長男が、来年、大学進学か就職かを決める時期だった。大学進学ならば、長男ともきちんと話をした上で、学費支援をすることにしていた。

    ところが、それが叶わなくなってしまった。いや、その必要が、なくなってしまったのだ。

    ◎我が家のドライヴァー、アレキサンダー一家のこと。

    年に一度、我が家のドライヴァー、アンソニー・アレキサンダー(重厚感あふれる名前!)とその一家は、1週間ほどの休暇を取り、故郷タミル・ナドゥ州の海辺の町、ヴェランカニへ赴くのが恒例だ。

    我々夫婦がNORAを飼い始めた当初、アンソニーはわたしに苦笑しながら言った。

    「マダム。僕は悪魔には対応できても、猫はダメです。苦手なんです。ひっかくから」

    ところがROCKY、JACKと、我が家の飼い猫が増えるにつれ、彼もまた、いつしか「猫煩悩」になっていた。そしてついには数カ月前、野良猫インヤンが生んだ4匹の子猫のうち、2匹を引き取って行った。猫らは家族5人に溺愛されている。

    旅行を前にして、アレキサンダー一家の懸念は、「不在時の猫の世話」だった。妻は心配のあまり「旅行に連れていく」とまで言っていた。

    我が家のNORAが友好的な性格であれば、サンルームで預かってもいいのだが、なにしろ彼女は外部に対して極度に厳しい。「抗議の粗相」をされる可能性が高かったので、申し出なかった。結局は、ペットホテルに預けることになった。

    猫のワクチン代や手術代などを我々がサポートすることは、あらかじめ決めていた。日常の餌代などは、彼らが出している。しかし、わたしに影響されたのか、

    「キャットフードだけでは猫にとってよくないので、妻がチキンや魚を料理しているんです。猫の食費がかかりすぎて困ります」と嘆いていた。

    「過保護にしすぎる必要はないからね。普通は市販のキャットフードだけでも十分なんだから。そこいらの野良猫は、チャパティとかダルとか食べてるよ。我が家は特殊なの。過保護なの。真似しなくていいから!」

    という話をしたこともある。

    *   *   *

    彼の妻は、そもそもヒンドゥー教徒の生まれであった。しかし敬虔なクリスチャンのアンソニーと出会い、恋に落ちた。「異教徒結婚」をしたことにより、彼女は自分の家族との縁を絶たれた。思慮深くおとなしく、とてもやさしげな女性である。

    初めて会った時から印象はほとんど変わらず、子供達はどんどん大きくなっている一方で、少女のような雰囲気を残している。長女とは姉妹のようにさえ見える。

    彼女は他人と関わるのが極度に苦手だとのことで、友達がいないという。家を守り、家族のために働くことが彼女の生き甲斐でもあるようだ。一度、我が家のメイドがいなくなった時期に、彼女に来てもらえないかとアンソニーに頼んだが、外で働くのは無理だとの返事が返ってきた。

    前述の通り、彼ら夫婦には3人の子供がいる。長女アリス19歳、長男アンソン17歳、そして次男アルウィン15歳。

    妻が次男のアルウィンを身ごもった時の話を、以前、聞いたことがある。

    第三子の懐妊に、彼ら夫婦は動揺した。経済的にも、子供は2人で十分だと思っていたのに、図らずも妊娠してしまったからだ。彼は行きつけのドクター(クリスチャン)に中絶を依頼した。しかしドクターは、母体の体調がよくないのですぐには手術できないという。

    結果、彼女は中絶のタイミングを逃した。

    後日、ドクターが故意に搔爬を避けさせたと知った夫婦は憤慨し、ドクターに詰め寄るも、出産する以外、道はなかった。

    生まれてきた子は、色白で(インド人にしては)、とてもかわいらしい男の子であった。夫婦はこの命を殺そうとしたことを、深く悔いたという。

    ドクターが「もしも本当にこの子を望まないのなら、わたしが引き取ります」と言ったそうだが、もちろん、そんなことはしなかった。

    このドクターの行動の善し悪しはさておいて、そのような経緯で、アルウィンはこの世に生を受けたのだった。確かに一般のドライヴァーとしての給与だけでは、とても3人の学費や生活費を賄えない。

    子供のいない我々夫婦にとっては、次の世代を「間接的に」育てるという意味において、ドライヴァーだけでなく、過去のメイドの子供、庭師の子供も含め、学費支援を続けてきたのだった。

    学費支援だけではない。使用人との間には、適度な距離感を保たねばならないと心得てはいるものの、移動の車中、世間話をすることも、たまにある。彼から相談とも悩みともつかない子供の話を聞くことも少なくない。

    子供たちが中学生になったあとの数年間は、反抗的な息子らに手を焼いていた。わたしには子供がいないが、そこそこの知識があるし、何より自分が子供の時のことをよく覚えているから、彼らの心理は理解できる。

    折に触れて、自分にわかる範囲での提言をしてきた。直接の関わり合いがなくとも、3人の子供たちは、わたしにとって、姪や甥のような距離感なのかもしれない。

    ◎理不尽で、むごすぎる、死の知らせ。

    水曜の夕方、猫らをペットホテルに預けたあと、アンソニーは我が家に立ち寄った。ちょうど年に一度の健康保険の更新時期だったので、その小切手を渡していたのだが、「小切手を現金化できました。ありがとうございます」と知らせに来てくれた。

    そして、その日の夜の列車で、彼ら家族5人とアンソニーの母親、総勢6人はヴェランカニに赴いたのだった。

    「気をつけて。よい旅を!」

    と言いながら、最後に彼の顔を見た時、一抹の「寂しい感情」が、胸の底に波打った。あとからの、こじつけではない。旅行前の楽しい感じが、漂っていなかったのだ。

    のちになって、メイドのマニが同じことを言っていた。

    「マダム、わたしは最後に駐車場でアンソニーに会った時、なんだかとても嫌な感じがしたんです。胸がざわざわするような。まさかこんなことになるなんて……」

    *   *   *

    彼らがヴェランカニに到着した翌朝、長女アリスから電話があった。

    「上の弟のアンソンが、波に飲まれて行方不明になりました。5人の従兄弟たちと遊んでいて、みんな波に飲み込まれました。4人は戻ってきましたが、アンソンだけが、もう2時間以上探しているけど、見つかりません。父や親戚がみんなで探していますが、見つかりません。発見までに2、3日かかるかもしれません」

    要約すれば、このような内容だった。

    彼女は努めて冷静に話していたが、どれほど動揺していたことだろう。

    遺体が見つかったわけではない。どこか浜辺にでも打ち上げられて助かる可能性もあるかもしれないと、続報を待った。

    正直なところ、彼らが毎年訪れている場所が、海辺だとは知らなかった。出発前には「今はサイクロンの時期だから気をつけてね」などと話をしていたのだが、まさか海で泳ぐとは思いもよらなかった。

    この時期の海、危険だから泳いではいけないと誰も言わなかったのだろうか、そもそもスマトラ沖大地震の時、南インドの東側沿岸部は甚大な被害を被っているはずで、海への畏怖はあったのではないか……。

    いろいろな思いが巡った。

    昨日、歯医者を訪れた時に、やはりクリスチャンであるドクターにこの話をした際に知ったのだが、ヴェランカニはインドのクリスチャンにとって聖地ともいえる場所らしい。海に面して、有名な聖母教会があり、多くの巡礼者が訪れるのだという。

    2004年のスマトラ沖地震のときには、津波で多数の巡礼者が死亡、インドでは最も被害の大きかった町だったとのこと。

    「僕の家族は敬虔なシリア正教の信者だけれど、僕はそもそもから宗教を信じてないよ。母を喜ばせるために、子供の頃から教会に行ったりしていたけれど。今回のことだって、そうでしょう? 巡礼に行った先で子供が死ぬなんて! 津波で大勢が死んだ時、犠牲者の大半は巡礼者だった。それをして、司教は言ったんだよ。その死には、意味があるって。たとえば子供の死に、どんな意味があると思う?」

    自分の子供を喪った時に、そこに意味があったとして、喪失を埋めてあまりあるものなど、なにひとつないはずだ。

    この巡礼地の海では、以降も毎年、多くの人々が溺死しているという。地元の人たちは耐えかねて、標識を立てかけたり、ヴォランティアでライフガードをしているとの話もあるようだ。

    こんな時期の、そんな海で、なぜ? 一緒に遊んでいた従兄弟には、地元の子がいたはずなのに、なぜ止めなかった? 親だってもっと注意すべきだったのでは……? 

    腹立たしくなるまでに浮かんでくる疑念さえも、虚しい。アンソニーはじめ、周りの人たちはもう、防げたはずの死を防げなかったことを、とてつもなく悔いているはずだから。

    そして翌金曜日の朝。

    電話の着信画面に、「Antony」の文字。息も詰まるような思いで電話をとれば、電話の向こうで、彼が号泣している。長男アンソンの遺体が上がったという。そのことだけを絞り出すような声で伝えて、あとは大きな泣き声。そして唐突に、電話は切れた。

    その直後、わたしのWhatsAppに、遺体の写真が送られてきた。砂浜に横たえられた遺体は、うっすら鼻血が出ていたものの、そのときはまだ、眠っているかのように穏やかだった。

    水死体ほど悲惨なものはないと聞く。遺体がひどく傷む前に見つかったのは、せめてもの救いだったかと思う。

    金曜の夜、再びアンソニーから電話があった。今夜、柩と共に、列車でバンガロールに戻るという。明日の午後、教会で葬儀をし、その後、墓地に埋葬するとのこと。涙を堪えつつ報告してくれる。

    もう、かける言葉がない。

    そして土曜の午後、夫と二人、葬儀の行われる教会へ赴いた。棺の中に花に埋もれて横たわるアンソンの、しかし露出した顔の部分が、遠目にどす黒く変化しているのを認めて、とても正視できない。最後のお別れの献花のときには、棺を直視せず、傍に花を置くので精一杯だった。

    昨日、メイドのマニに聞いたところによると、彼女は葬儀の前、土曜の朝に彼らの家を訪問したという。遺体は全身に黒ずみ、顔も傷だらけで、後頭部からは血が流れ続けていたという。

    とてもアンソンとは思えず、誰か別の人の遺体じゃないかとアンソニーに問うたとのこと。

    たとえきれいな状況で打ち上げられても、時間と共に遺体はひどく変化するものらしい。きちんとした病院ならば、きっと身体を包帯でぐるぐるに巻いてくれたはずだ。いやインドでは、そういうことはしないのだろうか。

    愛すべき家族の、悲惨な姿を目にすること。いかばかりの、苦痛か。

    ◎果たして、これから先、いったいどうなるのだろう。

    使用人を抱える習慣がない日本人に、「雇用主と使用人」の人間関係を理解するのは少し困難かもしれない。他人でありながら、他人にあらず。場合によっては、家族や親戚以上に、相手のことを知っている。なにしろ6年間も毎日顔を合わせていれば、相手のことが身近になって当然である。

    もはや、他人とは呼べない縁で繋がっているドライヴァー一家と、我々はこれからどのように関わっていくべきなのか。

    こんな悲劇を前にしては、金銭的支援など、どうにも軽すぎる。軽すぎるがしかし、最低限できることは、まずそれだ。

    しかしそれ以外にできることを、あまり思いつかない。

    アンソニーはどんなに辛くても、仕事がある。仕事をしているときには、他に注意を向けられる。アリスにも仕事があり、アルウィンには学校がある。

    懸念は専業主婦で家にいつづける妻だ。せめて2匹の猫らが、彼女の心を少しでも、慰めてくれればいいのだが……。

    ただただ、静かに見守ることしかできそうにない。

    わたし自身の悲しみではないのだから、考えすぎたり、ため息をついたりするのはよそうと思いつつも、昨夜までは本当に、打ちのめされていた。今朝になって、少し、気持ちが持ち直したので、今、こうして記録を残している。

    やるべき仕事も待っている。わたしがあれこれと思い患ったところで仕方ない。ただ、悲しみというのではない、「気の毒すぎてたまらない」という心情に、ずっしりと引きずられてしまった。

    葬儀のとき、アリスに「どんなに食欲がなくても、とにかく、ちゃんとご飯を作って、食べなきゃだめだよ」と言ったのが、唯一、意味のある言葉だったように思う。

    一度、おすそ分けをしたら、とても喜ばれたケーキやプリンなどを作って、これからはときどき、渡そうと思う。

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    以下、Instagram/ Facebookに残した記録を転載。

    ●11月9日(木)午後

    我が家に勤続6年の頼りになるドライヴァー、アンソニー。昨日の夜から、妻と子供たち(女1人男2人)を連れてタミル・ナドゥの故郷へ休暇に出かけた。

    1時間ほど前、長女から悲痛な電話が入った。家族みんなでビーチで遊んでいたところ、長男が高波に飲み込まれ、もう何時間も行方不明だとのこと。アンソニーとは直接、話をしていないが、捜索してもらえている様子はない。警察からは、2、3日待たないと……と言われたとのこと。

    なんということだろう。気の毒すぎる。

    天候が不安定なこの時期の海は、危険だ。日本であれば「お盆過ぎの海は入ってはならない」といわれるが、タミル・ナドゥにはそういう言い伝えのようなものは、ないのだろうか……。一昨日、「サイクロンの影響で天候が不安定だから気をつけて」という話をしたばかりだったのに。周りの人は、海へ行くことを止めなかったのだろうか……などと、思い煩ったところで、やりきれないだけだ。

    あまりのことに、どうしていいのかわからない。どこか浜辺に打ち上げられて助かるということは、ないのだろうか。そう願いたい。生きていて欲しい。

    ●11月10日(金)朝

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    ドライヴァーのアンソニーは休暇を取り、一昨日から家族5人で故郷のタミル・ナドゥへ赴いていた。昨日、海辺で長男が行方不明になったとの知らせを受けた。そして今朝、遺体が見つかったとの電話。アンソニーが、電話の向こうで泣き崩れている。大声で泣いていて、もう何を言っているのかもわからない。

    17歳。来年は大学進学か、就職か、考えていた矢先。

    奥さんは、大丈夫だろうか。長女は、次男は……。

    アンソニーは、家族思いで、心配性で、ときどき感情が乱れるけれど、妻は、いつも安定のやさしさで夫と子供らを見守っている、そんな家族だ。猫嫌いだったアンソニーが、慈愛深くなり、2匹の子猫を引き受けた。今回の旅も、不在時の猫を人に任せるのは心配だからと、ペットホテルに預けに行っていた。

    信心深く、「善良」を絵に描いたような、いい家族なのだ。もちろん、ちょっとしたあれこれはあったけれど、そういうことを補ってあまりある、本当に善き人たち、なのだ。

    どうして、こんなことになってしまったのだろう。今はちょっともう、言葉がない。どうしていいのかもわからない。どうして彼らに、こんなにも地獄みたいな試練が与えられなければならないのだろう。

    ●11月10日(金)夜

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    メメント・モリ。死を思え。

    ポルトガルのエヴォラの、サン・フランシスコ教会の納骨堂は、壁面が人骨で覆われていた。あの教会を訪れたのは、まだ30歳を過ぎたばかりのころだった。

    死を思えども、死はまだ、遠いところにあった。不意に訪れる若き死が、至るところに在ることを、知っていてなお、「肌身には」感じられなかった。

    しかし、生きていくにつれ、身近での火災、大小のテロ、身内の病死、友人の事故死、抗いようのない天災……。歳月を重ねるごとに、生き死にの関わりも増えていった。

    そして思う。

    生きている人は「紙一重」の違いで生きている。死んだ人は「紙一重」の違いで、死んでいる。

    思慮浅く、冒険心が勝る若いころには、危険を危険とも思わずに、無謀なこともしてきたものだ。だから、若い人たちに、無茶をするなとは言いたくない。けれど、こうして若い死を目の当たりにすると、浅はかな好奇心が、一瞬の揺らぎが、致命的になることを、案ぜずにはいられない。

    人の命の、強さ儚さ。激戦地で生き延びる命。難病を克服する命。漂流から生還する命。無数の強い命がある一方で、突然、ストンと暗幕が落ちるみたいに、消える命。

    *   *   *

    死を詳らかに人に示す国は、多分、インド以外にもあるだろう。しかし、その露骨さという意味で、この国は極めて特異かもしれない。新聞に遺体の写真が掲載されることも、珍しくない。最近は少し減った気がするが……。無論、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、スィク教と数多くの宗教が混在するこの国では、多数派や平均値を語りにくい。一概にはいえない。

    それでも、たとえばまるで祝祭のように、派手に太鼓をかき鳴らし、遺体を神輿に乗せて練り歩くヒンドゥー教徒の葬儀の様子を初めて見たときには、呆然と言葉を失した。

    そんな精神世界が根付いているせいなのか。

    今朝、アンソニーから「遺体が見つかった」との連絡があったあと、WhatsAppで、長男の写真が、届いた。遺体が翌朝に見つかることは、かなり稀なことだと聞く。遺体がすぐに戻ってきたのは、せめてもの、救いだったか。

    彼はただ、泳ぎ疲れて眠っているようかのように、静かに、海辺に横たわっていた。上の写真は、遺体の向こうに広がる砂浜と、水平線だ。

    今日は週に一度の、ミューズ・クリエイションの集いの日だった。お茶の時間に、メンバーにこのことを話しつつ、みなで、生死の狭間の出来事などを語りつつ、申し訳なくも、少し重い午後。なにしろアンソニーは、ミューズ・クリエイションのあれこれを、サポートしてくれている大切な助っ人でもあり。

    夕刻、アンソニーから電話があった。これから列車で、遺体をバンガロールまで運ぶという。そして明日の午後、教会で葬礼を営む。

    心の底から気泡のように、いろいろな言葉が浮かんで、漂っては、消え、漂っては、消え、を繰り返している。

    ●11月11日(土)午後

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    [Sad News 別れの礼拝]

    Antony, who is working for us as a driver about 7 years, and his family (wife, daughter and two sons) took the holiday to go to his hometown in Tamil Nadu on this Wednesday.

    I got phone call from his daughter, who is 19 years old, around noon on Thursday. According to her, one of her brothers, Anson 17 years old is missing in the sea. We are very confused and upset, but we couldn’t do anything.

    Antony called me yesterday morning. He was crying over the phone. He just told me that they found Anson’s body. He could not speak anything other than that.

    When five relatives’ boys were playing in the beach together, suddenly huge wave caught them, and they were washed away. Four people were exhaled from the sea, but only Anson had been swallowed.

    The family came back to Bangalore late last night. Arvind and I went to the mass which was held in the Holy Ghost Church in Richards Park this afternoon.

    They are truly a wonderful family. Why was such a cruel fate given to them? I have no words to say.

    石造りの、簡素ながらも厳かに麗しい教会で、アンソンの葬儀は行われた。祭壇には、白い花が飾られている。紫色の法衣を纏った神父は、夫にもわたしにもわからないこの土地の言語、カンナダ語で、参列者に語り続ける。

    カラフルなサリーや、シャツを身につけた参列者は、何度か立ち上がり、賛美歌を歌う。耳覚えのない、朗らかに長調の、カンナダ語の賛美歌。「ハレルヤ」という言葉だけが、ぽつぽつと、浮かび上がってくる。

    最前列の、頭を丸めたアンソニーと、妻と、長女と、次男の姿が、揺らいで見える。

    高い天井を仰ぎ見ながら、この国に遥か遠い昔から息づいているこの宗教への、篤い信仰心を持つ人々に囲まれながら、この理不尽な事態を呑み込めない。

    なぜ、こんな季節の海に入ったのか。

    未然に防げたはずの死。ゆえに、後悔や、罪悪感が渦巻いて、一層の苦しみとなっていることだろう。

    時計を巻き戻したいと、絶望的に念じているだろう。強く念ずれば、巻き戻せるような気さえする。けれど、決して、巻き戻すことはできない。

    多分、190センチ前後はあったに違いない、アンソンは細身で長身の青年だった。長い棺に横たわり、花に埋もれて、しかし正視するに難く。

    最後のお別れをして、墓地へ向かう彼らを見送る。

    この6年間。わたしたちにできる限りの支援を、彼らにはしてきたつもりだ。それはもちろん、アンソニーが誠意を持って、わたしたちのために働いてくれていて、彼の働きが、とても大切であるからに他ならない。

    インドにおいて、久しく使用人(ドライヴァーであれ、メイドであれ)と関わり続けるに際しては、多くの日本人にはきっと、俄かに想像しがたい、特殊な人間関係がある。家の鍵を預け、家のさまざまを、任せる。夫の実家や親戚の家には、勤続20年、30年を超える使用人が、彼らの暮らしを支えている。

    我々夫婦とアンソニーの家族とはまた、主従関係でありつつも、「持ちつ持たれつ」なのだ。他人と割り切れる存在ではない。

    書棚にある、アンソニーの子供たち記録ファイルを開く。この6年間。それぞれの子らの学費の内訳や、向こう5年の予算表などを眺めつつ、「2018年:アンソンは大学進学か就職」と書かれたメモが、胸に刺さる。

    これから先しばらくは、違う意味での支えが、必要になるだろう。時間が解決してくれるような類いの悲劇ではない。決して癒えることのない痛み。

    わたしたちにできることを、丁寧に考えていかねばと、思う。

    *   *   *

    今、アンソニーのWhatsAppを見たら、プロフィール写真がアンソンの写真に差し替えられていた。添えられている言葉に、絶句する。

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    I am proud of my son. Thank you God.

    ……神様!!!!

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    ●継続しているドライヴァーを巡る熱い旅路。
    (過去、我が家が見舞われたドライヴァーを巡るトラブルの歴史)

    ●日米印スタッフ共作。バイクCMの撮影を巡って。
    (アンソニーがいたからこそ、引き受けられた仕事の記録)

    ●大停電/初潮/泣く庭師/ゴアまで「0km」探検
    (使用人にまつわるエピソードなど)

    ◉日本在外企業協会刊『月刊グローバル経営』に寄稿した記事(2018年4月号)

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    【はじめに】

    *今回、全5回に亘り、2021年9月24日から27日にかけての、カルナータカ州ハンピの旅をレポートしています。他の記録もぜひご覧ください。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/hampi-journey/

    *この[HAMPI 05] では、以下の項目から、①に関する記録を残しています。

    ①数十億年前/生まれたばかりの地球の姿が残る場所。地質学の視点 

    ハンピ一帯の「岩盤」や「奇岩」は、地球上で最も古い露出面のひとつ。地球が誕生した時、とてつもなく巨大な花崗岩の山だった一帯が、数千万年(数十億年という説もある)に亘って、日射しや嵐、風、雨といった自然の力に浸食で、徐々に形を変えた。石が積み重なったのではなく、自然という「彫刻家」によって造形された奇岩なのだ。

    ②数千年前/神話の世界。インドの二大叙事詩の一つ『ラーマーヤナ』における主要ポイント 

    『ラーマーヤナ』とは、古代インドの長編叙事詩で、インド人の多くが知っている重要な神話だ。ヒンドゥー教の聖典の一つであり、『マハーバーラタ』と並んで、インド二大叙事詩とされている。北インドのコーサラ国を去らねばならぬ運命に陥ったラーマ王子とシータ姫、ラーマの弟ラクシュマンを巡る物語。現在のスリランカである「ランカ島」に住む10の頭を持った悪魔ラーヴァナによって、シータ姫が誘拐される。姫を救うべくラーマとラクシュマンは鬼退治に行くのだが、途中、このハンピで絶大なる助っ人、猿の神様「ハニュマーン」と出会う。この『ラーマーヤナ』に因んだ場所がハンピには数多くあり、我々夫婦も稀有な経験をした。

    ③数百年前/世界規模で栄華を極めたヴィジャヤナガル王国の王都 

    ハンピは、14世紀から16世紀中頃にかけて隆盛を極めたヴィジャヤナガル王国の王都だった。宝石やスパイス、布などさまざまな貴重品が交易されるバザールが存在。当時の都市遺跡は各所に散らばり残っているが、中心部の「一部」がユネスコ世界遺産に指定されている。

    ④現代/鉱山と鉄鋼業。オリンピック選手養成施設。自然保護区など 

    ハンピ界隈の地中には、鉄鉱石が眠っており鉄鋼業が盛ん。日本との関わりも深い。今回、YPO主宰での旅だったこともあり、鉄鋼大手ジンダルの幹部であるメンバーの計らいにより、製鉄所や鉱山の見学をした。さらには、ジンダルによって設立されたオリンピック出場選手の養成施設も訪問。2020東京オリンピックに出場した選手にも会って話を聞けた。この他、今回は訪問しなかったが、ハンピには動物(熊)や植物の自然保護区もある。

    ⑤滞在したラグジュリアス・ホテルやYPO主催のパーティの記録など 

    ハンピはすばらしい土地ながら、いかんせん、観光インフラが整っていない。ニューヨークタイムズの2019年版「訪れるべき旅先52選」で、ハンピは2位に選ばれた。これを機に、徐々に海外からの旅行者にも対応すべくインフラが向上すると思われたが、まだまだホテルや飲食店の選択肢が少ないのが現状。ヒッピー時代の名残が強い。しかし、我々が滞在したホテルも数年前に誕生するなど、徐々に環境が整い始めているようだ。

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    ◉ガイドブックに載らず、ドライヴァーさえも知らなかった場所へ 

    今回の旅は、YPO主催のスタディ・ツアーで日数も限られていたこともあり、プログラムのうえではハンピの雄大な自然を探訪する時間はなかった。1日長く滞在することにしていたわたしたちは、鉱山見学をし、川辺でのランチ・パーティを終えて皆に別れを告げた後、とある村を訪れることにした。

    実は前日、アーティストでありフォトグラファーである友人のタンヤが、現地のガイドにあれこれ聞き出して、景観がすばらしい場所を見つけたと写真をシェアしてくれていた。それを見た瞬間、これは行かねば! と思った。

    タンヤと出会ったのは今年に入ってから。友人宅のパーティで話をしているうちに、意気投合した。パールシー(ゾロアスター教徒)出自の麗しく若き彼女。作品を見るや、わたしの好きなサルバドール・ダリやルネ・マグリットを彷彿とさせる世界観。彼女のギャラリーを見に行くと決めた直後にロックダウンとなり、そのまま互いに予定が合わぬままだった。

    💝TANYA METHA
    ➡︎ https://tanyamehta.com/

    さて、WhatsAppでタンヤに当該の場所を確認したところ、以下のリストが届いた。今回、わたしが行きたいと思った場所は、一番最初に記されている場所。他の場所は以前、足を運んでいるところもある。

    Hampi places for boulders (巨岩/巨礫の景観が楽しめる場所)

    Mallapur village/ Vani Bhadreshwara Temple
    Anjanadi parwad
    Malyavanta raghunatha
    Hemakutta hill
    Vitalla temple
    Lotus mahal/watch tower
    Matanga

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    ◉鉱山見学のあと、ダムを眺めつつ、マラパー村へ 

    ジンダルの鉱山がある場所から、目的地「マラパー村 (Mallapur village)」を目指す。ハンピに詳しく、かつてはガイドブック『ロンリー・プラネット』の取材をコーディネートしたことがあるというドライヴァー氏さえ、その場所を知らない。こうなったらGoogleマップだけが頼りだ。観光地にもなっているダムを通過して、車を東へと走らせる。

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    牧歌的な光景を眺めながら、ひとけの少ない道を走る。整備された用水路の如き川を眺めつつ、細い道の先へ。

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    山間の、いくつかのカーブをやりすごした果てに、見通しのいい場所に出た。前方にユニークな形状の巨岩が見える! 無論、ハンピでは至る所で、このような巨岩が転がってはいるのだが、間近に迫って歩いたり、写真を撮ったりするとなると、場所を選ばねばならない。ここは足場もよく、いかにも訪れやすい。

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    間近に迫ると、その圧倒的な存在感と迫力に感嘆する。

    「ミホ、岩の真下に行くのはやめて! 万一、岩が落ちてきたら危ないから!」

    真顔でそんなことを言う我が夫。つくづく、天才となんとかは紙一重。偉大なる天然。

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    しばし雄大な景色を眺めた後、目的地である寺院を目指す。

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    丘を上り詰めた先に、巨大な牛、シヴァの乗り物「ナンディー」が鎮座しているのが見えた。この姿を目にしただけで、心が逸(はや)る!

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    果てしのない歳月の流れを経験してきた太古の岩。雨水に穿たれ、風に削られ、日差しにヒビを受け、気が遠くなるような緩やかさで、今の姿を見せている。

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    小高い岩山の上にある小さな寺院。

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    日が陰り始めたころ、僧侶が「こっちへおいで」といざなってくれる。するすると、猿のような身軽さで、岩を伝い登る僧侶。

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    なかなかにチャレンジングなボルタリングではある。登ったはいいが、降りれなくなる可能性を考慮しつつ、足場を確認しながら登る。

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    アスレチック系のセンスがほとんどない夫。「わたしのあとについてきて!」と言っても、もたもたして、要領を得ず。見かねた僧侶が救いに行く図。長生きしないとな、わたし。

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    目前に広がるは、壮大な光景。

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    今、まさに沈まんとする太陽。なんという贅沢な夕景だろう。

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    岩の下には、水滴によって穿たれたのであろう穴。何万年、何百万年……? 途方もない。

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    太陽が地平線の彼方に落ちた瞬間、それまで英語を話さなかった僧侶がひとこと、

    “Closed”

    今日という日が、閉じた瞬間。

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    日暮れてなお、離れ難く、途轍もない磁力のようなものが引きつける場。

    しかし街灯なき夜道は危ない。後ろ髪を引かれる思いで、車に乗り込む。

    ここでキャンプをしたい。夜空を眺めながらここで眠りたい。そんなふうに思える場所だった。

    「ぼくはこれまで、何度となくハンピに来たというのに、なぜこんなにもすばらしい場所を知らなかったのだろう。本当に惜しいことをした。今日は僕をここに連れてきてくれてありがとう」

    ドライヴァー氏からも、何度も感謝された。この場所を教えてくれたタンヤ、彼女にも本当に感謝だ。

    * * * 

    ハンピを訪れる予定のある方には、ぜひともこの丘を訪れて欲しい。

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    わたしたちは訪れなかったが、Mallapur villageには、奇岩のユニークな遺跡も残されている模様。足をのばしてみるといいだろう。

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    ➡︎ https://www.deccanherald.com/content/611704/hill-dwarves.html

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    インドは祝祭続きにて、世間も自分も浮き足立つ日々が続いた。ディワリを終えてひと段落。せめて今週からクリスマス前までの1か月余りは、「褌の紐を締め直す」気分で過ごさねば。

    お祭り気分をひとまず締めくくった昨夜は、友人の新居で誕生日会を兼ねたパーティ。気心知れた、親しい友人たちばかりの集まりは、いつも以上にリラックス。

    ダンスタイムに、@Bollyqueのレッスンで習った “Chill Bro”をがっつり踊った。先日、STUDIO MUSEで動画を公開した、あの踊ったりバナナを食べたりしているダンスだ。

    インド友らのほとんどは、老若男女問わずダンスが好きで、何につけても踊りまくるが、フルに「振り付け」をマスターしての踊りを披露する人も珍しかろう。

    ティーンエージャーの子どもらに「アンティ! クール!」と言われて、いい気になるなど、完全にエンターテイナーと化した夜。今後さらに、人気の曲の振り付けを複数マスターしておきたいものである。

    子どもら、といえば!

    「誕生日のお祝いに、僕たち、花火を打ち上げてくるよ!」……と言って、外へ出た。最後の動画、彼らが打ち上げた花火である。カフェ・コーヒーデー本社の前庭で打ち上げた花火を、キングフィッシャータワーから眺めているアングル。

    「花火師か!?」

    と驚くなかれ、先日の『教えて! みほ先輩!』のディワリを伝える動画で紹介した、あの巨大なご家庭用打ち上げ花火。眞代さんが、「それ、ひとつですか?!」と驚愕したあの花火。あれより少し大きいものが存在しており、それを打ち上げたとのこと。

    なんでも、一度点火したら、30発だの60発だのが、連続して打ちあがるらしい。……知らなかった😅 そら、大気汚染も深刻化するだろうよ。

    バンガロールは、高原の風のおかげで、さほど空気の悪さを感じないが、デリーはじめ北部の都市では、この時期、健康に悪影響を与えるレベルの大気汚染だ。

    年に一度のお祭りだから、騒ぎたいという気持ちもわかるが、環境汚染を促進しているという側面も看過できない。世の中、一筋縄ではいかぬことばかりだ。

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    花火動画はこちら

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    ヒンディー語教師のYoutuber、眞代さんと始めたコラボ企画。2回目の今回は、ディワリの話題をレポートした。

    まずはA面、眞代さんの動画をご覧の上、坂田のB面をご覧ください。

    しゃべりまくるみほ先輩の言いたいポイントを、巧みに編集する眞代さんに敬服。どちらもお見逃しなく!

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    わたしたちは夫婦二人暮らし。子どもはおらず、親戚も少ない。この時期多い結婚式にも、今年は招かれていない。さらには年に数回の海外旅行も一切していない。過去8年間、週に一度オープンハウスにしていたSTUDIO MUSEもなければ、年に何回ものイヴェントも開催していない。

    にもかかわらず、なんなのだろう、この歳月の流れのはやさといったら! 

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    昨日は月に一度のYPOフォーラムメンバーとのミーティング。ITCガーデニアのミーティングルームは、天井が高く広々としていて快適だ。家族や親戚が多く、子どもたちのいる彼女たちの話を聞きながら、夫に手を焼いている自分は「甘いな」と、つくづく思う。エネルギーをもっと、有効に使わねば。

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    ミーティングのあと、夫と合流すべくバンガロール・クラブへ。英国統治時代に誕生した由緒ある社交スポーツクラブ。会員になるには条件が多く、更には数十年待ち……という中、バンガロール移住直後には家族会員に、その数年後に正会員になれたのは、昨年他界した、義父ロメイシュ・パパの手配のおかげ。

    2003年の終わり。初めてバンガロールを訪れ、ここでファミリーフレンドに会ったときのことなどを思い出す。目を閉じれば、瞬時にあのひとときに戻れるほどに、このクラブの風情は変わらない。変貌著しい都市の只中で、ずっと変わらない場所があるということの、得も言われぬ安心感。懐かしさ。

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    ライブラリに入り、書籍の背表紙を眺めているだけでも、胸が迫る。わたしの生涯。理想や希望はさておいて、現実的に、なし得ることは、どれほどだろう。

    夕暮れどき、夫とともに、義姉スジャータの一家が暮らすIISc(インド理科大学院)のキャンパスへ。ここもまた、初めて訪れた時と変わらぬ、鬱蒼の緑に包まれて、まるで森林公園のようである。

    彼らとも久しぶりの再会。甥のナヤンと一緒に花火をする。インド移住前年、2004年のディワリは、家族親戚みんなが集まり、ここで花火をした。初めての爆音花火爆竹に驚愕し、インド、よくわからんと思ったあの夜を思い出す。

    ロメイシュ ・パパも元気だったな。

    花火を終え、食事をし、ナヤンと語り合う。7歳になった彼。地球環境問題や、動物や、宇宙に関心があるという。

    この間まで、口数の少なかった彼が、あっという間にわたしの語彙力を上回っている。「それ、どういう意味?」と尋ねるアンティ。まずいぞ。

    「ぼくは毎晩8時15分に寝て、5時45分に起きるんだ。まず、歯を磨いて、果物を食べて、それから少し、自転車に乗る。そして朝ごはんを食べる」

    「ぼくは、身体にいいものをしっかり食べて、たくさん寝る。なぜなら寝ている間に、細胞がどんどん成長するからなんだ」

    立派だ、ナヤン。

    若い人たちは、ぐんぐんと伸びる。

    未来を生きる若い人たちのために、横にしか伸びぬ我は、どんなにささやかでも、自分ができることを続けようと、改めて思う。

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    ヒンドゥー教の新年、ディワリー。日程はヒンドゥーの暦で定められ、毎年、10月から11月の約5日間に亘って祝される。今年は今週が該当する。日本が大晦日から三ヶ日にかけての正月を休暇とするのと同じような感覚だ。

    アーユルヴェーダをもたらした健康と薬学の神様を祝い、悪魔退散を祝し、そして昨日の「ラクシュミー・プージャー」がそのハイライトで、今日、新年を迎えた。

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    ラクシュミーとは、美や富、幸運、豊穣などを司る女神。日本の吉祥天の起源でもある。2枚目の写真、先日紹介した約100年前に日本で作られたところの「和製マジョリカ・タイル」のモチーフとなっているのがラクシュミー神。

    睡蓮に立ち(あるいは座し)、4本のうち2本の腕で幸福の象徴である蓮華を掲げている。残る1つの腕でプルーナ・カラシャと呼ばれるココナツの実とマンゴーの葉を載せた壺を持ち、もう一つの手からは、金貨がこぼれ落ちている。背後で象が共に祝している絵柄もある。

    ラクシュミーは「清潔な家」を好んで訪れるとされているため、人々はディワリーの前になると大掃除をする。新しい家電や家財道具を調達し、「新品の一張羅」で着飾るのもこの日。ディワリーは一年で最も消費が見込める時期であることから、ディワリーセールが盛大に開催される。

    ディワリーはまた、家族や親戚が集う大切な時期でもある。米国のサンクスギヴィングデー同様、帰郷する人たちで空港や駅が混雑する。友人知人や仕事関係の人たちには、お歳暮よろしくインド特有の甘いミルキーな菓子類などを贈答し合う。このごろは、ギフトの選択肢も増えたが、今でも主流はお菓子やナッツ類だ。

    ディワリーの数日前から、街路はクリスマスさながらのネオン(電飾)で彩られる。つい先日のニュースでは、石炭不足で電力供給が危ういと報道されていたインドだが、いったいどうなっているのか、思うほどに、きらびやか。

    🇯🇵日本から来ました! 欧州発、日本経由インド。旅するマジョリカ・タイル。
    ➡︎ https://museindia.typepad.jp/2021/2021/09/tile.html

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    多くの家庭の玄関先が、ラクシュミーに立ち寄ってもらえるようにと、「コーラム」あるいは「ランゴーリ」と呼ばれる色粉で描かれた吉祥紋で彩られ、いくつものディヤと呼ばれるオイルランプで光を配する。

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    そしてハイライトは、子どもだけではなく、大人も一緒になって楽しむ花火や爆竹。日本のそれとはスケールが格段に違う「空爆か!」と思えるほどの爆音や、炸裂音が一晩中、市街を包む。むしろラクシュミーが逃げるのではないかと思わずにはいられない、騒々しさだ。

    去年の1月、義父ロメイシュが他界したことから、昨年のマルハン家は喪に服し、ディワリーの夜は静かに過ごした。今年は一昨日開かれたパーティに参加すべく、会場のホテルに1泊、束の間ステイケーションを楽しんだ。友人らの多くは、すでに国内外の旅行を復活させているが、我々夫婦はまだどこにも行っていないので、せめてもの気分転換である。

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    さて、ホテルから戻った昨日、ラクシュミー・プージャーの当日は、Youtubeでの新企画『教えて、みほ先輩!』の収録をすべく、市街に爆音が響き始める中、いそいそとサリーに着替えてセッティング。ギフトでもらった「花火詰め合わせセット」などの説明などしつつ、リアルなインドの息吹を伝えるべく、今回も語った。近々、眞代さんが編集してアップロードしてくれるので、改めて告知したい。

    昨夜のバンガロールは、季節外れの雨が降り始めたため、爆音に邪魔されることなく、平和に就寝できた。この日、爆音で心を病む野良動物やペットたちにとっても、幸いだったと思う。無論、花火の残りを消化すべく、今夜も賑わう可能性はあり。

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    新型コロナ禍を経験してのディワリーは、これまで以上に、思うところ多い。人生は不確かなことばかり。きっと多くの人が、何もかもが面倒になったり、どうでもいいと思ったりを繰り返していることだろう。

    人は、人それぞれに、問題を抱えて生きている。それでも、投げやりにならず、希望を失わず、気を取り直して、自分を鼓舞して、未来を信じて生きるしかない。投げ出したら終わり。生きているからには、ちゃんと生きないと。そんな思いを新たにする、ディワリー、新年だ。

    遍く旅路に光あれ! (『ロングホープ・フィリア』 by Amazarashi)

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    遍く旅路に光あれ! (『ロングホープ・フィリア』 by Amazarashi)