インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • MCFmovie093.001

    🌸NY編のテイラー・スイフトから一転して、ワシントンD.C.編はアンジェラ・アキの『サクラ色』。今回はヴァイオリニストのEMIKOさんにも参加してもらい、わたしはサリーを着ていないがSAREESによる演奏だ。

    『サクラ色』は、アンジェラ・アキがワシントンD.C.で暮らしていたころの、物事がうまくいかなかった時代を回顧して描いた楽曲で、このサクラは、ポトマック川畔の桜のことだという。この時代のことを自ら「桜色の時代」だったと表現しているとのこと。

    ポトマック河畔、タイダル・ベイスンに咲く桜は、1912年、当時の東京市長だった尾崎行雄が、日米友好の証にワシントンD.C.へ贈ったもの。第二次世界大戦の際にも守られてきた桜の木々は、ポトマック河畔だけでなく、市街の随所で咲き誇っている。

    Tidal-mas

    Tidal-mas

    🌸20年前の7月18日。我々夫婦はインドで結婚式を挙げた。その後、10月にニューヨークで披露宴をする予定だった。しかし、9月11日、世界同時多発テロが起こり、世界は暗転する。披露宴はもちろん中止だ。わたしは人生の優先順位を見直し、「遠距離結婚」をやめて、2002年1月にワシントンD.C.へ引っ越した。ようやく軌道に乗り始めていたミューズ・パブリッシングの仕事を縮小することは、とても辛かった。しかし、テロの後には炭疽菌事件なども起こり、不安が尽きなかった。

    動画内でも触れているが、「命」を巡る重い事態も重なった。父や友人の闘病、自分たちには授からない命の問題。さらには、ワシントンD.C.エリアを舞台に、スナイパー事件(連続狙撃事件)。世界を見れば、アフガニスタンやイラクを舞台にした、理不尽な対テロ戦争……。

    P4060116

    P4060116

    P4060116

    P4060116

    P4060116

    振り返るに、新婚生活は、精神的にきつい出来事が多かった。激しい腰痛や、冬になると原因不明の咳などにも悩まされるなど、体調も悪かった。もちろん、いいことも楽しいことも、少なからずあったけれど、当時を回想するときにはきまって、一抹の遣瀬なさ、心細さに、心がぎゅっと締め付けられる。

    思えば到底、新婚生活とは思えない、惑いの多い日々の中、夫との口論の際に「英語の勉強をやり直す」と決め、2003年の終わりにジョージタウン大学の集中コースに3カ月通った。研究論文のテーマには『インドの頭脳流出と頭脳循環/インドの新経済』を選んだ。さまざまな情報をあたるうち、「これからはインドの時代だ」と確信した。

    結婚式のときには「こんな国、住めない」と思っていたインドへ、自ら住みに来た自分の決意を。

    嫌がる夫を絶大なるしつこさで、1年がかりで説き伏せて、インドに至らせた意味不明の衝動を。

    よくやったね……と、当時の自分を褒めてやりたい。

    いろいろあるが、少なくともこの国インドは、「しっかり生きねば」と思わせてくれる。何もかもが面倒くさくなることもあるけれど。この世に生を受けたからには、誰もが「ちゃんと生きよ」という使命を受けているのだと、友の死や、インドでの生活で、学ぶのだ。

    さて、何もかもが面倒くさく思えてしまう昨今。過去を振り返り、褌の紐を締め直す気分で、がんばって生きよう。

    K0403flag

    K0403flag

    K0403flag

    Sumiko6

    Sumiko6

    Sumiko6

    Sumiko6

    Sumiko6

    🇺🇸海外生活25周年企画② アンジェラ・アキの『サクラ色』by SAREES

    🇺🇸夫との出会い25周年記念企画NY編① テイラー・スイフト入る。
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2021/2021/07/ny.html

    🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く① 
    福岡&下関での子ども〜学生時代/20歳で初めての海外。ドメスティックな環境から海外へ飛び出した経緯など

    🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く② 
    東京での旅行誌編集者&ライター時代/バブル期の極貧生活、旅の日々、歴史を学ぶ重要性、フリーランス独立の経緯など

    🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く③ 
    ニューヨークで現地採用から出版社起業/インド人男性との出会い/就労ヴィザの自給自足/日本語フリーペーパー発行

    IMG_0797

    IMG_0797

    IMG_0797

    IMG_0797

    IMG_0797

    IMG_0797

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 190330821_10222964217111055_2893897155012878471_n

    190330821_10222964217111055_2893897155012878471_n

    *耐えがたい矛盾の横行。延々と続く福島の原発問題と、東京オリンピックが謳う「復興」 

    日本を離れて25年の歳月が流れた。2011年3月11日の、絶大なる天災と人災。母国へ寄せる信頼の気持ちが、大きく崩れた。何一つ解決せず、苦しむ人が大勢いる中、「アンダー・コントロール」という「虚言」のもとに、オリンピックが誘致された。それから、現在に至る混沌。

    海外に暮らす人間が、母国について何か口を開けば、たちまち叩かれがちだ。そんな趨勢を知っていてなお、憂いを、伝えずにはいられなかった。日本という極東の島国を離れ、異国に暮らし、地球を俯瞰しているからこそ、見えることもあるのだが、それを理解してくれる人は、極めて少ない。

    190173960_10222964216791047_5784691143013731817_n

    190173960_10222964216791047_5784691143013731817_n

    190173960_10222964216791047_5784691143013731817_n

    これらの写真は、今年5月27日に、わたしのFacebookやInstagramなどのソーシャルメディアにシェアした写真だ。ことばを添えずに写真だけ。今、確認したところ、反応してくれた人は、Facebookに1人。Twitterに1人。Instagramに10人。

    そもそもわたしの発信に関心を持ってくれる人は極めてマイノリティ。そもそもから反応は少ないが、その中でもひときわ、関心を持たれなかった投稿だ。しかし、今わたしが最も伝えたいことは、こういうことなので、敢えて書き残したく、過去の記録も転載する。ごく小人数でも、共感してくれる人の存在があることを信じて。

    *戦地に散った竹内浩三のことばは、「残念なことに」色褪せない。 

    わたしは、東京オリンピックの開催を、誘致している時点から反対してきた。もちろん、その背景は福島の原発問題がある。そのうえ、パンデミック下においても、オリンピックが開催されようとしている趨勢をして、『日本が見えない』という竹内浩三のことばが、幾度となく蘇った。

    戦時中の日本はひどかった。今は本当にいい世の中になった……。とは言い難い。異なる類の、しかし似たような異様な狂気の匂いを、母国に対して感じずにはいられない。

    竹内浩三は、1921年(大正10年)5月12日、三重県伊勢に生まれた。子どものころから漫画や映画、詩作に勤しんだ青年は、1945年4月9日、フィリピン・ルソン島バギオ北方にて、23歳の若さで戦死する。

    わたしが初めて彼を知ったのは15年前。当時、「竹内浩三」の名は、ネット上にあまり見られなかった。ところが先ほど調べて驚いた。折しも今年5月12日は、彼の生誕100周年であった。新聞記事などにも取り上げられているので、ぜひご一読いただければと思う。

    ◉竹内浩三生誕100年、ゆかりの地で顕彰の動き 三重 (朝日新聞/2021年5月20日)
    ➡︎https://www.asahi.com/articles/ASP5M7HP7P5FONFB014.html

    ◉伊勢の詩人・竹内浩三生誕100年記念事業サイト
    ➡︎https://kozo-takeuchi.club/

    D79832-1-231606-0

    以下は過去のブログに記した関連記事の転載だ。

    ◉東京裁判/ 日本国憲法/ 竹内浩三(2006/05/03)

    先日、毎年恒例のニューヨークへ行った時のこと。マンハッタンの紀伊國屋を訪れた折、バーゲン対象となっていた山積みの本の中から、「環」(藤原書店)という名の学芸総合誌を買った。「占領期再考」という特集が目にとまったのだ。

    非常に興味深い原稿が連なる中、「竹内浩三、遺作新発見」という記事に吸い寄せられた。最初、彼の人となりを知らぬまま、一部掲載されている、彼の詩、短編などに目を通し、深い共感と感嘆を覚えて後、彼の略歴を知って驚いた。太平洋戦争にて、23歳の若さで他界したとのこと。

    「ある老人の独白」という短編小説などは、ほんとうにおかしみがあって、すばらしい。もっと彼の作品を読みたいと思う。

    ところで60年前。1946年の今日、東京裁判(極東国際軍事裁判)が開廷した。そうして翌47年の今日、日本国憲法が施行された。

    6a01287573b46a970c01287573cc77970c-800wi

    ◉骨のうたう(2006/05/16)

    5月3日、竹内浩三という人のことをブログに書き残しておいた。彼の作品をどうしても読みたくなり、先日、amazon.co.jpにて全集を注文した。

    ニューヨーク時代は紀伊國屋書店や旭屋書店があったので、日本で買うよりもかなり割高とはいえ、店頭で買うことが多かった。しかしワシントンDCに移ってからは、このamazon.co.jpをよく利用した。

    確かに送料はかかるが、本の単価や一度に送る冊数、配送期間などを調整すると、送料が幾分「割安」になることもあり、便利である。今回は、竹内浩三の全作品集『日本が見えない』をはじめ、日本で話題の本、インド関係の本などを選んだ。

    ウェブ上からだと、どういう本が「わたしを呼んでいる」のかが鋭く伝わってこないのが玉に瑕。去年の2月、インド移住前に、やはり日本からインド関連の書籍を取り寄せたが、多くが「インド経済を読み解く」ためのガイドブック的なもので、概要などに目を通す限りでは、どれも似たり寄ったりの気がしてならない。どの本がいいのか、手に取ってぱらぱらとめくり、確認できないのが残念だ。

    さて、それらの本が、今日、届いた。一番早い便を頼んでいたのだが、それでも予想よりはやく、週末を挟んで中4日で届いた。まずは、一番欲しかった本を開く。竹内浩三の、そのユーモアに満ちた漫画や、小説や、その一方で戦地からの本音の、矛先が向かってくる。一篇を、ここに転載したい。

    ●骨のうたう

    戦死やあわれ
    兵隊の死ぬるやあわれ
    とおい他国で ひょんと死ぬるや
    だまって だれもいないところで
    ひょんと死ぬるや
    ふるさとの風や
    こいびとの眼や
    ひょんと消ゆるや

    国のため
    大君のため
    死んでしまうや
    その心や
    苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
    こらえきれないさびしさや
    なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
    白い箱にて 故国をながめる
    音もなく なにもない 骨
    帰っては きましたけれど

    故国の人のよそよそしさや
    自分の事務や 女のみだしなみが大切で
    骨を愛する人もなし
    骨は骨として 勲章をもらい
    高く崇められ ほまれは高し
    なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
    絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
    それはなかった

    がらがらどんどん事務と常識が流れていた
    骨は骨として崇められた
    骨はチンチン音を立てて粉になった

    ああ 戦死やあわれ
    故国の風は 骨を吹きとばした
    故国は発展にいそがしかった
    女は 化粧にいそがしかった
    なんにもないところで
    骨は なんにもなしになった。

    ●日本が見えない

    この空気
    この音
    オレは日本に帰ってきた
    帰ってきた
    オレの日本に帰ってきた
    でも
    オレには日本が見えない

    空気がサクレツしていた
    軍靴がテントウしていた
    その時
    オレの目の前で大地がわれた
    まっ黒なオレの眼漿がんしょうが空間に
    とびちった
    オレは光素(エーテル)を失って
    テントウした

    日本よ
    オレの国よ
    オレにはお前がみえない
    一体オレは本当に日本に帰ってきているのか
    なんにもみえない
    オレの日本はなくなった
    オレの日本がみえない

    ※竹内浩三死後、50年以上が経過しているため、著作権は消滅しており、転載自由とのこと。

    終戦前に、戦地で命を落とし、戦後をしらない彼が、この詩をしたためていたことこそに、驚き、胸が潰れた。昭和22年三重県庁の公報によると、1945年4月9日、「陸軍兵長竹内浩三、比島バギオ北方1052高地にて戦死」。23歳だった。

    スクリーンショット 2021-07-11 午前11.28.24

    ◉竹内浩三:飯屋/ 雲/ ワルツ/ ソノツトメヲハタセ(2006/05/23)

    先日、日本から取り寄せた本を、折を見て、あれこれと、読んでいる。最も心を奪われているのは、やはり一番欲しかった竹内浩三の全集『日本が見えない』だ。

    前回、彼の詩、「骨のうたう」を転載するにあたり、彼の「ホームページ」とおぼしきサイトにアクセスし、著作権のことについて念のため問い合わせた。通常、作者の死後50年が経過している場合、著作権は消滅するが、彼の作品はお姉さんである松島こう子さんが所蔵しているらしく、一応確認したかったのだ。

    ホームページの担当者曰く、著作権はフリーとのこと。また、お姉さんの松島こう子さんも、多くの人に彼の作品を読んでほしいと思っていらっしゃるようなので、積極的に「転載」を勧めていただいた。

    英訳までも依頼されてしまったが、それは大変な任務につき、安請け合いはできない。が、いくつかの詩は、自分なりの感覚で、英訳をができたら、とも思う。

    わたしは、編集者、ライターという職業を経て来ている割に、読書数が少ない。わたしは、熱心な読書家ではない。一番読んでいたのは、小学校へ上がる前の数年間と、大学時代ではなかろうか。

    東京時代は、日々の仕事に追われていて、仕事以外で活字を読むのが辛く、本を読む時間があれば、寝ていたいと思っていた。

    米国に移住してからは、日本語の書籍が手に入りにくくなったうえ、日本語の本を読むよりも英語の本を読んで、英語力を身につけるがいい、などと思っていて、結局はどちらもあまり読まなくなった。

    故に、多くの作家の文体を知る訳でもなく、多くの作家の傾向を知る訳でもない。そんな数少ない情報の中からでも、敢えて言うならば、この竹内浩三と言う人の「言葉」「感性」「情緒」「発想」「在り方」が、途方もなく、我が琴線に触れる。すばらしい、という賛辞の言葉よりも、むしろ共感。

    遠い時代に、ずっと自分より若くして死した人への。

    ●街角の飯屋で

    カアテンのかかったガラス戸の外で
    郊外電車のスパァクが お月さんのウィンクみたいだ
    大きなどんぶりを抱くようにして ぼくは食事をする
    麦御飯の湯気に素直な咳を鳴らし どぶどぶと豚汁をすする
    いつくしみ深い沢庵の色よ おごそかに歯の間に鳴りひびく
    おや 外は雨になったようですね
    もう つゆの季節なんですか

    ●雲

    空には
    雲がなければならぬ
    日本晴れとは
    誰がつけた名かしらんが
    日本一の大馬鹿者であろう

    雲は
    踊らねばならぬ
    踊るとは
    虹に鯨が
    くびをつることであろう
    空には
    雲がなければならぬ
    雲は歌わねばならぬ
    歌はきこえてはならぬ
    雲は
    雲は
    自由であった

    ●筑波日記(二) 1944年5月8日

    隊長室へ入る作法と云うやつはなかなかむつかしい。ノックする。戸をあける。まわれみぎをして、戸をしめる。またまわれみぎをして、けいれいして、中隊当番まいりましたと云う。まわれみぎは二度するだけだけれども、なんどもくるくる廻るような気がする。そして、それがワルツでもおどっているようでたのしい気さえする。その場で、入ったものと、出ようとするものとがかさなって、二人でくるくるまわりをやるなどは、たのしいものである。

    ●1944年6月14日 手紙(姉の三女、松島芙美代宛) 筑波

    オ前ガ生マレテキタノハ、メデタイコトデアッタ。

    オ前ガ女デアッタノデ、シカモ三人メノ女デアッタノデ、オ前ノオ母サンハ、オ前ガ生マレテガッカリシタトイウ。

    オ前ハセッカク生マレテキタノニ、マズオ前ニ対シテモタレタ人ノ感情ガガッカリデアッタトハ、気ノドクデアル。

    シカシ、オ前マデガッカリシテハ、コレハ生マレテコンホウガヨカッタナドト、エン世的ニナル必要モナイ。

    オ前ノウマレタトキハ、オ前ノクニニトッテ、タダナラヌトキデアリ、オ前ガ育ッテユクウエニモ、ハナハダシイ不自由ガアルデアロウガ、人間ノタッタ一ツノツトメハ、生キルコトデアルカラ、ソノツトメヲハタセ。


    【竹内浩三の詩が読めるサイト】

    ➡︎https://kozo-takeuchi.club/his_poem

    最後に。『日本が見えない』に並んで、先日から脳裏を巡る歌。

    高校時代に聞きまくったオフコース。昨日、大好きだった『秋の気配』を聞きたくなりネットを探したら『生まれくる子供たちのために』が出てきた。当時の私には、すんなりと心に入ってこなかったのだが……。

    40年の歳月を経た今、強烈に心を揺さぶられる。母国に歌いたい。

  • 210817287_10223247099822946_3136963281879353006_n

    2014年7月。NORA姉さんが我が家を住処と決める前の我々夫婦。猫にほとんど興味がなかった。

    「庭のネズミ対策に、猫、飼ってもいいかもね」

    などという無礼を平気で口にするような人間だった。

    「猫の餌? 人間の残り物でいいんじゃない?」

    などという無知を平気で口にしてもいた人間だった。

    ところがご察しの通り、我々はほぼ数週間後には「猫の虜」となった。当初は近所で購入するドライフードを食べさせていたが、徐々に「高級物」に移行。やがて「Farmina N&D」が定番となった。

    あるときROCKYが体調を崩した。食欲がなかったとき、わたしが焼いた牛肉やチキンのレヴァーだけは、食べた。

    病院で検査を受けた結果、心臓疾患があることがわかり、日々の投薬が必要となった。それを契機に、手作りの猫餌作りを始めたのだった。ほとんど加工食品を食さない我々。人間が手作り食で健康ならば、猫らとて同じこと。薬に副作用があることも聞いていたから、「できるかぎりのケア」をしたいと思った。

    210817287_10223247099822946_3136963281879353006_n

    210817287_10223247099822946_3136963281879353006_n

    とはいえ100%を手作りにするのはたいへん。ゆえに市販の餌3に対し、手作りの餌7程度の割合で与えている。猫が食べられない食材などもあるので、専門書を購入して勉強した。

    214791804_10223247099662942_8624524104697511715_n

    214791804_10223247099662942_8624524104697511715_n

    野菜の残り、ご飯などの残りは冷凍して猫用に。肉や魚類は、ど〜んとまとめてFreshtohome.comで購入し、一気に1ヶ月分を作って冷凍庫に入れる。我が家では、人間は冷凍した食品をほとんど食べないので、猫餌で埋め尽くされている。

    お気に入りのアイスクリーム、NATURALの容器が保存に好適。かつてミューズ・クリエイションの毎週金曜の集いで、メンバーのおやつに出すこともあったので、パッケージはたくさん保存されているのだ。パーティのときなど、氷を取り出そうと冷凍庫を開けたゲストは一様に「美穂さんたち、こんなにアイスクリーム食べるんですか?!」と驚愕していたものだ。

    食材は、人間の餌と差別化したく、廉価なものを選びつつも、栄養価は高く、多分おいしい。今日の肉類は、丸鶏、レヴァー、ハツ、白身の小魚、イワシなど。その他、雑穀や野菜の残り、豆類、カボチャなど、そのときどきで家にあるもの、余っている食材を活用する。全ての食材を加熱し、さましたあと、ブレンダーで粉砕する。

    肉&魚の割合が5割を切ると、猫らはあからさまに不満そうな顔をする。一口二口食べて、す〜っと離れたりする。……悔しい。

    214318770_10223247099382935_7991711699601590468_n

    214318770_10223247099382935_7991711699601590468_n

    今日は非常に奮発して、7割近くを肉&魚にした。これは絶対にうまいはず。確信はあったが、まずは確かな舌を持つグルメNORA姉さんに味見をしてもらった。男子らは、周囲に餌を撒き散らしながらガツガツと食べてすぐ走り回り吐いたりするが、NORA姉さんは上品に味わい、周囲にこぼさないばかりか、お皿もきれいに舐めるなどお行儀がよい。

    彼女はまた、「腹八分」を心得ているため、食べすぎることもなく、理想的な体型を保っている。尊敬する。そんなNORAが、今日の料理はたちまち平らげた。猫専属シェフ、肉体労働が報われる思いだ。

    猫餌作りの参考書、及び、動物病院でもらった猫用カルテノート。母子手帳状態。そろそろ猫もワクチンを接種せねば。

    212582449_10223247099902948_4921662508201868579_n

    212582449_10223247099902948_4921662508201868579_n

    212582449_10223247099902948_4921662508201868579_n

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 210158650_10223237954114309_5588868185087244150_n

    記念日続きのお祭りシーズン突入のマルハン家は、節目の年とはいえ、いちいち祝するのも手間なので、インド結婚記念日をそこそこちゃんとやろうということにして、昨夜は軽め。普段はマハラーシュトラ州ナシック産のスパークリングワイン、Chandonで満足のところ、昨日はいただきもののシャンパーン、Moëtを開けた。ふむ。やはり香りが微妙に上品でおいしいのだ。

    ……と、乾杯には気合を入れたが、料理はといえば……。餃子と焼売と小籠包を足して3で割ったような、雑な我流料理。おなじみ韓国料理店アリランのニラや大豆モヤシを軽く茹で、近所のポークショップの豚バラ肉と共にブレンド。ニンニク、生姜、茅乃舎のだし、コーンパウダー(片栗粉代用)、塩胡椒、酒、みりんなど、毎度、適当に投入して混ぜる。

    214885252_10223237954554320_8255551179115557093_n

    いつだったか手抜きの焼売作りをやっている動画を見て以来、気に入っている料理法を応用。クッキングシートの上に、スプーンですくった具を、ぺ、ぺ、ぺ、と並べて、その上に餃子の皮を被せて形を整え、ひっくり返してフライパンに載せて焼くという荒技。写真は、ひっくり返している途中。具の部分が焼けるとハンバーグ風の見栄えになって、食欲をそそる。

    餃子を包むのが面倒な時にはこれがいい。というか、味わいもなかなかいけるのだ。食事はこれとお吸い物で終了という、ハレの日とは思えぬ手抜きであったが、ふふふ。デザートが充実していた。Lavonneのおいしいフレンチ的スイーツをSwiggy経由で注文していたのだ。配達途中、若干ダメージを受けてはいたが、そこそこ大丈夫。

    212711252_10223237954834327_651475955517620254_n

    212711252_10223237954834327_651475955517620254_n

    夫の好物エクレアをはじめ、チーズケーキやオペラ、ココナッツミルク系ムースなど。贅沢にも5種類を少しずつ切り分ける。かなりリッチ(濃厚)かつ甘めなので、少量で満足。それなりに、めでたい感じの夕餉であった。
    ついでに、撮り溜めていた食べ物関係の写真を。

    212711252_10223237954474318_3306156102247522873_n

    212711252_10223237954474318_3306156102247522873_n

    🥣以前も紹介したが、このごろはオーガニックのオートミールと好みのナッツ類で、自家製グラノラ風を作る。最初はオーヴンで焼いていたが、フライパンで煎るのでも十分にいける。ほんと、おすすめ。シリアルの上に、スイートライムやザクロ、イチゴを軽く煮詰めたソースなどをかけて、朝からおいしい。

    214820035_10223237954274313_8676580693644084216_n

    🍝先日、オンライン・クッキングで使ったDiSanoのスパゲッティが余っていたので、玉ねぎをじっくりとカラメル状に炒め、バジルのペストを加えたシンプルなパスタを。先日も記したが、こういうシンプルなものがとてもおいしかったりするのだ。付け合わせのトマトは酢と砂糖でマリネしたもの。これもまたさりげなく美味。

    211609538_10223237954314314_6974226234756234628_n

    215567967_10223237954874328_4365484871276019408_n

    ☕️先日、久しぶりにインディラナガールへ赴いた際、またしてもARAKU COFFEEに立ち寄った。ムンバイで人気のレストランMASQUEを経営し、ARAKUのフードメニューも監修するデキる女性アディティも来ていて、久しぶりに挨拶を交わす。ちなみに彼女が着ていたTシャツがかわいかったので褒めたら、その夜、Facebookのポップ広告にそのブランドのTシャツが出てきて驚いた。最近のアルゴリズムは人の心まで読むのか😅 

    🍔それはそうと、シェフのラーフルが、お勧めの料理を提案してくれる。新作のパンプキンスープとフライドチキン・バーガー。デザートも食べていけというが、一人で食べ尽くしては夕飯が食べられなくなるので次回に。ここの料理は、食材もすべて高品質。パンもキッチンで焼いていることもあり、どれも安心のおいしさだ。フライドチキン・バーガーは、秀逸の味わいだった。また食べたくなってきた。

    213120594_10223237954434317_4513063263338201341_n

    🥻蛇足だとは思ったが、昨日の坂田のテイラー・スイフトなファッション😅 服について関心を持たれていた方、数名いらしたので、説明しておく。上はサリー用の既製ブラウスをMyntra.comで購入。これはダンスの際に着用していたものと違い、伸縮性がないので、大きめを購入して脇を軽く縫った。サリーブラウスだけあり、丈が短いので、最初はそのまま、腹を出して撮影したのだが、静止画はまだしも、動くと見苦しかったため、下にタンクトップを着た。ボトムはデカトロンのスポーツ用スコート。インドはこういう「仮装」に便利な服が廉価かつ種類豊富に揃っているので、ほんと、楽しい。

  • IMG_0624

    🇺🇸今朝は月に一度のFM熊本収録。本日七夕は、夫との出会い25周年記念日なので、わたしたちの出会いのエピソードを話した。思えば、わたしがなぜインドに至ったのかは、過去14年で一度も触れなかった話題につき。

    我々夫婦の出会いの話を聴いていたDJの長木さんが、「メグ・ライアンみたいですね」とおっしゃったが、その通り!😹
     
    我々が出会ったアッパーウエストサイドは映画『ユー・ガット・メール』の舞台で、撮影する光景を見たこともある。夫と相席になったスターバックス・カフェのある「バーンズ&ノーブル」という大型書店は、トム・ハンクスが経営する書店のモデルになっていた。また、わたしたちがこの映画を見ていた映画館に、映画の中の主人公二人が映画を見に行く……というシーンもあって、観客は大いに盛り上がったものだ。

    このたび、波乱に富んだ25年を大雑把に振り返るべく、3曲の歌で表現することにした。本日は、NY編を公開。画像は若者向けセミナーの資料を転用。写真はSATC以外、坂田が過去撮影したもの。次回はワシントンD.C.編。こちらはSAREESのEMIKOさんがヴァイオリンを演奏してくれるので、しっとり聴かせる系にする予定😼

    『ウェルカム・トゥ・ニューヨーク』。かなり聴きまくって練習したが、難しかった……。若干「圧」「熱」&「厚」のあるテイラー・スイフト入ってます😅

    人生で「今日の自分が一番若い」から、やりたいことは「今やる」のだ。

    ちなみに衣装は、先日紹介した「スポーツウエア」と同じ流れ。スコートはスポーツショップのデカトロン (Decathlon)、トップはサリー用のブラウスをMyntra.comで購入。サリー・ブラウスだけあって、最初は腹回りを露出して録画したが、流石に見苦しかったので、下にタンクトップを着て撮り直した。

    インド、特に南インドでは、潤沢な腹部贅肉の露出はノープロブレムだが、わたしは日本人だからな。と、自分に言い聞かせる。このブラウス、ロングスカートを履いたら、パーティなどにも着て行けそうだ。

    *表紙写真は、当時住んでいたアパートメント・ビルディングの屋上から撮影したもの。辛いとき、この屋上に来て、マンハッタンを眺め、エネルギーを充填した。彼方にワールドトレードセンターと自由の女神が見える。

    208759363_10223230626491123_4810268547241482167_n

    IMG_0631

    七夕は✈︎777を回想する日でもあるようなのでニヤニヤ笑う猫わたしも便乗。Welcome to New York動画で不採用になったこの写真。20数年前、ミューズ・パブリッシング起業直後にコンチネンタル航空を取材、「BOEING777」の操縦席に座らせてもらった。うれしかった〜!

    ◉七夕。出会い記念日@ニューヨーク。延々と、ロングバケーション。そして、わたしが今、インドにいる理由。(2020年七夕の記録)

    107102402_10220524766006302_5020520728613090749_o

    107102402_10220524766006302_5020520728613090749_o

    7月7日。我々夫婦の、出会い記念日だ。出会って24年。毎年、律儀に思い出すニューヨークでの日々。折しも、今朝見た日本のニュースで、『やまとなでしこ』が20年ぶりに再放送されていると知った。目にした瞬間、You’re everything〜〜♪と情感を込めて熱唱してしまう。

    107615836_10220524767406337_4550123555069081294_o

    ※以下、去年の今日の記録を、ほぼ転載。

    1996年4月下旬。1年間の語学留学目的で、わたしはニューヨークを訪れた。当初は、語学学校で出会った日本人の年下男子と、2ベッドルームのアパートメントをルームシェアしていた。今思えば、なかなかに、先端だ。

    その彼が、家に引きこもりがちだったので、わたしは極力、外に出て、勉強をするようにしていた。一番利用していたのが、アッパーウエストサイドのリンカーンセンターの向かい、ブロードウェイ沿いにあった大型書店、バーンズ&ノーブルにある、天井が高く雰囲気のいい、スターバックス・カフェだった。当時、スターバックス・カフェは米国でチェーン展開を始めたばかりで、おしゃれで知的な雰囲気を漂わせていた。

    わたしはここで、語学学校の宿題をしたり、テーブルをシェアした人たちとの会話を楽しんだ。それもまた、英語の勉強になると思っていたからだ。夜のブロードウェイの写真の、正面中央の建物がそれ。左手にリンカーンセンターがある。

    1996年7月7日、日曜日。7月4日の独立記念日から連なる連休の最終日。この日のカフェはいつになく、混雑していた。カフェラテを片手に、空いている席を探したところ、唯一空いていた席が見つかった。空いた椅子を目指してテーブルをかき分けるように歩き、「ここに座っていいかしら」と尋ねた相手が、アルヴィンドであった。

    机には、書類の山。テーブルがとっちらかっていたので、他の人は避けていたに違いない。当時はラップトップを持参する人よりも、本や書類、ノートを携えている人の方が、圧倒的に多かった。アルヴィンドは当時、大学を卒業して、ニューヨークのコンサルティング会社、マッケンジー(マッキンゼー)&カンパニーに勤務していた。たいへん「ギーク」な雰囲気を漂わせていた。一方の彼は、わたしのことを、なぜか「君は、学校の先生なの?」と尋ねてきた。そういう風に、見えたらしい。

    最初は英語力が覚束なかったわたしをして「ソフト・スポークン」(話し方が穏やかな人)だと思い込んでいたようだ。歳月の流れに伴い、我が英語力が上達、なにかと饒舌で厳しい口調に変化したときに、ようやくわたしの本性を知ったようであるが、時、すでに遅し。

    折しも当時、日本では『ロング・バケーション』というドラマが流行っていた。我々の事情を知っている友人から、「キムタクが24歳で、山口智子が31歳なんだよ! 同じだね!」などと連絡がきたものである。そう。我々は、出会ったときには23歳&30歳で、直後に誕生日を迎えたのである。ロング・バケーションなのである。

    1998年からHBOで放送された『SEX AND THE CITY』はまた、マンハッタンが舞台の、ライヴ感あふれるプログラムであった。キャリーをはじめとする主人公たちは、わたしと同世代でもあり、ライフスタイルこそ異なれど、親近感を覚えた。ライターのキャリーが使っていた黒地に白いリンゴのラップトップも、同じものを使っていた。

    1999年に公開された、トム・ハンクス&メグ・ライアン主演の映画『ユー・ガット・メール 』はまさに、我々の生活圏内が舞台だった。トム・ハンクスが経営していた大型書店の撮影は、我々が出会った書店で行われていたし、メグ・ライアンが経営する小さな書店は、近所のチーズ専門店が使われていた。撮影現場に出くわしたこともある。

    忘れられないのは、わたしたちがその映画を見ていた映画館での出来事。劇中の二人が、映画を見に行くシーンで、入っていく映画館が、今まさに、自分たちが映画を見ている映画館だったのである。館内の観客が、一斉に歓声をあげたものだ。

    松嶋菜々子による「残念ながら、あなたといると、私は幸せなんです」のセリフで有名な、2000年に放送されたドラマ『やまとなでしこ』も、忘れられない。同ドラマは、ニューヨークに住んでいてなお、日本語放送で見ることができた。堤真一が留学したMITはまた、夫の卒業校でもあり、わたしも数カ月前に彼のリユニオンに同行して赴いたばかりだった。なにかしらシンパシーを感じた。

    しかし彼らがニューヨークの教会で結婚式を挙げている様子を見て「で、わたしたちは、いったいいつ、結婚するんでしょうかね」と、嘆息をついたものだ。わたしから結婚を切り出したのは、このドラマの最終回を見た直後だった。

    わたしたちは、出会って結婚するまでに、5年かかった。今思えば夫もまだ若かったし、仕方ないっちゃ仕方なかった。むしろ、インドの結婚事情を知るにつけ、国籍は違うし、年齢も妻が上だしで、よく結婚に踏み切ったものだと思う。

    ともあれ我が人生、今も『ロング・バケーション』のようなものかもしれない。それはそうと、当時は「婚礼衣装を着て走る」シーンが、多かったな(笑)

    106153023_10220524766486314_6537194372484371821_n

    106153023_10220524766486314_6537194372484371821_n

    106153023_10220524766486314_6537194372484371821_n

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 212817859_10223213807870668_6953977207195133556_n

    20歳のとき、初めて訪れた海外は、アメリカ合衆国だった。

    あの、ひと夏の経験が、わたしの人生を、大きく変えた。

    それから10年後、ニューヨークへ渡り、

    30代を、米国で過ごした。

    学び、暮らし、出会い、働き、起業し、結婚し、旅した。

    かけがえのない10年。

    7月4日。アメリカ合衆国、独立記念日、おめでとう!

  • MIHO05

    [インドはステキなものであふれている。略して「#インステ」シリーズ]

    💃週に1、2回、続いているBollyqueのダンス。写真では「姿勢のよさ」で厚みあるミディアム・デブをごまかしているが、動くと実態が明るみに。「腹絞れ!」と思いつつも、なぜフィットしたものを着用しているかというと、ダンスをしているときに「もっさりした服装」だと、自分の動きがよくわからないからだ。

    以前の動画では「ボクササイズ?」と間違われたので、今回は少し「かわいい感じ」の動きを15秒。😅
    ➡︎https://www.instagram.com/p/CQ3NTcxtOZY/

    💃「大きな鏡のあるスタジオでリアルなレッスン」ならまだしも、パソコンの画面を遠目に見つめながらの練習。プロジェクタでスクリーンに映し出したりもしてみたが、室内が明るいと先生の姿が見えないし、暗くすると自分の姿が映らない。いろいろややこしい。

    画面の中で動く小さな自分を目視すべく、フィットする服が欲しい。しかしスポーツウエアは「化繊もの」が多い。そんな中、閃いたのだ。既製のサリーブラウスがいいのではないかと。

    そもそも、サリーのブラウスとは、サリーの布に「共布(ともぎれ)」として付いてきたものを、自分のサイズに合わせてテイラーに縫製してもらうのが一般的だった。ところが十年ほど前から、レディ・メイドのサリーブラウスが出回り始めた。当初は華やかなものが多かったが、やがてカラフルな伸縮性のある綿製品が普及し始めた。かつてインドではあまり見られなかった「いい感じの立体裁断もの」が劇的に増え始めたのも、わずか十数年前のことだ。

    以前、ミューズ・クリエイションのダンサーズと『PINGA』を踊ったときに、みなとお揃いで購入したこともある。あのときは、メンバーと共にコマーシャルストリートを歩いて、店探しをしたものだ。

    さて、今回はサイトをあたってみたところ、出てくる出てくる。最初はAmazon.inにて「Lサイズ」を買ったが、小さすぎて「XL」に交換😭。「絞れ、自分!」と思いつつも、数日内に商品交換をしてもらえるサーヴィスがありがたい。

    ところで 短い丈にスパッツというのは、腹回り&お尻が露出しすぎて、流石に無理。欧米人やインド人は、足の付け根が生まれついた時から「ハイレグ」な人が多く、コマネチ・ライン(!)が美しいので、多少太っていてもいい感じに見えるのが羨ましい。というわけで、スコートでかわいらしく隠そうではないか作戦

    🏃‍♀️これさ〜。絶対いいアイデアだと思うんだが、選択肢が少ないのだな〜。世間のフィトネス・ファッションはなぜスコートをもっと作ってくれないのだ。

    これはピンクのトップに合わせてデカトロンのサイトで購入した。グレイのライン入りも買った。いろんな色柄があるとトップに合わせられて楽しいのにな。腰の動きがひらひらとして見えるので、ダンスの練習にも好適だと思う。巻きスカートみたいなシンプルな構造で、ウエストをマジックテープみたいにフレキシブルにしていれば、サイズもフリーでいけるし着脱しやすい。

    なお、今日はフィトネス以外の情報も多い。ダンスの中に、「クリシュナの横笛」と、「蓮の花」を表現するインドの伝統舞踊の動きがチラッと入っていたことから、笛を吹くポーズである。またラジャ・ラヴィ・ヴァルマの絵画については、芋づる式情報の極み。巨大な芋が掘り起こせる動画のリンクも貼っているので、ぜひご一読&ご視聴いただければと思う。

    🌺DECHATHLON, Myntra, Amazon.in and others

    スコート(Skort)は、フランス発のスポーツブランド、デカトロンのインドのサイトで購入したが、ファッションサイト大手のMyntraAmazon.inほか、さまざまなサイトで見つけられる。ただし、需要が少ないせいか商品数は少ない。サリー用の伸縮性があるサリーブラウスも、検索すればあれこれと出てくる。これはAmazon.inで購入した。色の選択肢も豊富。

    スクリーンショット 2021-07-02 午後9.31.05

    スクリーンショット 2021-07-02 午後9.31.05

    🌺LAVOS

    すでに2回紹介した毎度おなじみLAVOS。通気性がよく、快適な着心地の「竹の繊維」で作られたコンフォートウエアのブランド。伸縮性にも富んでいて、とても動きやすい。今回は七部丈のレギンス「カプリ」とソックスを着用。タンクトップやショーツなど下着も本当にお勧め。
    ➡︎https://www.lavosperformance.com/

    IMG_0047

    🌺PUNAM FLUTES

    インドの伝統的な横笛、バーンスリー。吟遊詩人的な存在に憧れ、慈善団体など訪れたときにも、笛をさっと吹けたらいいなあと思って購入したが、即座に挫折。竹製の笛は、吹いていると竹の焼けた匂いがする。野趣あふれる楽器。

    詳しくはWikipediaに任せる。
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC

    PUNAM FLUTES
    ➡︎https://www.punamflutes.com/

    IMG_0054

    🌺ラジャ・ラヴィ・ヴァルマ作、芸術の女神『サラスワティー』

    絵画を通して、神々の姿を具現化。遍く人々に版画で芸術の世界を広めた伝説のインド画家ラジャ・ラヴィ・ヴァルマの生涯。彼の物語についても、『深海ライブラリ』にまとめた。ぜひともご一読いただければと思う。あまり興味がない人も、以下の動画はぜひ見て欲しい。

    🇮🇳インドの神々を描いた伝説の画家ラジャ・ラヴィ・ヴァルマ
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/library/2021/07/raja.html

  • スクリーンショット 2021-07-03 午前11.20.03

    20代半ば、東京。大学時代から付き合っていたボーイフレンドに振られ、仕事だけが心の寄る辺だったころ。心開ける友人もおらず、唯一の娯楽は映画鑑賞だった。劇場で、自宅で。いったい何本の映画を見たことだろう。あのころ見た無数の映画もまた、今のわたしを育む大切な糧。

    行きつけのレンタル・ヴィデオショップでふと手にした『パーマネント・バケーション』。モノクロのクールな映像に、ハートを射抜かれた。心を奪われた。

    『ストレンジャー・ザン・パラダイス』『ダウン・バイ・ロー』『ミステリー・トレイン』『ナイト・オン・ザ・プラネット』と立て続けに借りた。見た。どの映画にも、決して忘れることのないシーンが、いくつも鏤められている。

    俳優たちの、強烈な個性。やりきれない音楽。不確かな未来と、目の前に延びる道……。語るに尽きぬ。

    今から25年前のちょうど今頃。マンハッタンに暮らし始めたばかりのわたしは、コロンバスサークルの地下鉄駅を歩いているとき、人混みのなかに見覚えのある男性を見つけて、足を止めた。周囲の誰もが、気に留めていないようだった。

    流れる人混みのなか、立ち止まるわたしと、やはり立ち止まり、向かう方向を確認している彼の時間だけが、一瞬、止まったかのように見えた。黒い衣服に身を包んだ、シルヴァーヘアの長身の男。紛れもなく、ジム・ジャームッシュだった。

    その情景は、わたしの人生において、忘れ得ぬ強烈なワンシーンとなった。

    わたしは、ニューヨークにいる。そう強く思った瞬間でもあった。書籍も、映画も、音楽も……芸術は、人生を豊かに育む。旅に出られない今だからこそ、映画で心の旅をすることは、きっと有意義だ。

    JIM JARMUSCH Retrospective 2021。劇場へ、見に行きたい……。

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 206147581_10223200983510067_8597693589262835260_n

    206147581_10223200983510067_8597693589262835260_n

    夢みたいなひとときだった。

    毎年この時期、2、3回、「一夜だけ」開花する月下美人。

    日没と共に開き出し、深夜には閉じてゆく。

    十年ほど前、義姉スジャータから何枚かの葉っぱを譲り受けた。

    それを地面に無造作に挿していたのが、徐々に広がった。

    毎年、友人らを招いて観賞会をしていた。

    パンデミック世界に入った去年はなぜか、数輪しか咲かなかった。

    今年も、先月に数輪、咲いたきり。それでおしまいだと思っていた。

    ところが再び蕾をつけて、7月1日、昨夜は十数輪が、一気に開花した。

    高原の風に乗って、庭が芳しい香りに包まれる。すばらしい情景だ。

    インドでは、天地創造の神ブラフマー(梵天)にちなんで、ブラフマー・カマル(ブラフマーの蓮華)とも呼ばれる。

    神聖で清浄なる、麗しき花。

    一輪を摘み、枕元に置いて寝た。パンデミックになって初めて、8時間ほども、一度も目覚めず熟睡できた。

    香りに包まれ、心身が浄化されたようである。

    「好転の兆し」を感じた夜。その片鱗を、あなたにも。

    *動画も見てね。

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • MIHO3

    204222989_10223190748054187_4935635182859902069_n

    204222989_10223190748054187_4935635182859902069_n

    今年は「節目の年」。まさか毎年恒例のニューヨーク行きが2年も実現できない世界になるとは、思いもよらず。ともあれ、今の自分を記し続けよう。

    ◉6月30日/結婚20周年記念日@アメリカ合衆国
    ◉7月7日/出会い25周年記念日@ニューヨーク
    ◉7月18日/結婚20周年記念日@ニューデリー
    ◉8月9日/アルヴィンドの誕生日
    ◎8月15日/日本終戦記念日&インド独立記念日
    ◉8月31日/美穂の誕生日

    米国在住時、2000年にホームページを立ち上げ、同時にメールマガジンの発行を開始した。当時からの記録はインターネットの深海に沈んでいる。

    先日『深海ライブラリ』というブログを新設した。昔の記録を、ときどきすくい上げて、蘇らせるための。歳月を経て、読み返して感じ入る記録も少なくないが故。

    今日は、結婚記念日を振り返るべく、20年前の記録を発掘して記載した。結婚式よりむしろディナーの記述が克明。我が感性、ほぼ変わっていないことに呆れつつも、もはや微笑ましい。このときの写真が、なぜか1枚もない。フィルム用のカメラとデジタルカメラの移行期だったこのころ、データの保存が覚束なく。CDに焼いて保存していたデータの最古は2002年。それ以前はZIP DRIVEだ。

    ……と思い立って、クローゼットから化石を発掘! ZIPドライヴだ。100MBとか。250MBとか。DTP(デスクトップ・パブリッシング)黎明期。これでよくもまあ、フリーペーパーなど発行して保存していたものと感心する。いまだに、「メガ」を大切にする自分の習性は、このころに培われた。今じゃ無駄な写真を鬼のように撮影しているけれど。特に猫ら。

    210043986_10223190747974185_4342671725079181973_n

    210043986_10223190747974185_4342671725079181973_n

    210043986_10223190747974185_4342671725079181973_n

    210043986_10223190747974185_4342671725079181973_n

    結婚式のファイルは案の定なかったが、その前後の写真などが、ほんの数十枚ずつ入っている。住んでいた高層アパートメントビルディング(52階建て)の屋上から撮影した2000年11月の写真に息が詰まる。

    我々のインド結婚記念日の2カ月は、米国同時多発テロの20周年でもあり。思いが募りすぎて具合が悪くなりそうなので、今日のところはサラッと去る。

    今日の夕飯どうしよう。

    ✈︎『深海ライブラリ』の「坂田マルハン夫妻の結婚式@アメリカ編🇺🇸」結構おもしろいので、ぜひご一読を。
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/library/2001/07/ny048.html

    209569335_10223190747934184_2238380811801330478_n

    209569335_10223190747934184_2238380811801330478_n

    209569335_10223190747934184_2238380811801330478_n