インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    🌏1993年、フリーランス・ライターとして独立した直後の私は、新大久保で四カ国語(日中英韓)の情報誌『We’re』の編集をしていた。編集長は在日コリアン女性のSAKAEさん。彼女の姉は早逝した芥川賞作家の李良枝さんだ。当時、編集部で出会った在日外国人たちと関わる中、学んだことは尽きぬ。

    🌏あれから30年近く経っても、日本の在日外国人に対する処遇は良くなるどころか悪化している。今日、入管法(出入国管理及び難民認定法)改正案が見送りになった。しかし、問題が解決するわけではない。「外国人技能実習制度」に伴う酷い事件も、あとを絶たない。あちこち矛盾だらけだ。

    🌏外国人を雑に扱う制度。島国根性を標榜し無碍に扱う一部日本人。海外との穏便な交流なくして日本の安泰はない。日本は食糧自給率ですら4割弱。国境を越えて我々は支え合いながら生きている。地球儀を眺めよ。牛久入管に収容された難民申請者の信じ難い実態を捉えた映画の予告編。必見。

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    USHIKU 牛久 比類なき不正義
    ➡︎https://www.ushikufilm.com/

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    ミューズ・クリエイションのチーム歌。改めミューズ・クワイアのメンバーだったヴァイオリニストの恵美子さんと昨年始めた「SAREES」。7曲目の今回は、やはりクワイアのメンバーだった亜沙美さんが、ピアノ伴奏を引き受けてくれた。インドを離れてなお、遠隔に住む3人が、こうして一つの曲を仕上げ、形にできるご縁。

    今回の選曲は、インドにCOVID-19の第二波が襲いかかる前に決めた。昨日、歌いながら、今の世界の状況を思う心に染み入る。

    アヴェ・マリア。「聖母」にまつわる個人的な物語で思い出すのは、ドレスデンの聖母教会。1991年、1994年、そして2018年。過去3回、訪れたドレスデンの、聖母教会を巡る物語を、写真と共に紹介している。聴いて、読むのは忙しいかもしれないが、ともあれ、楽しんでいただければと思う。

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    ◉1991/ドライヴ旅の情報誌の取材で、初めて訪れたドレスデン
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    ◉1994/欧州3カ月一人旅のノートから
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    ◉1994/欧州3カ月一人旅のノートからIMG_5956
    ◉2018/夫と欧州旅の途中で
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    【ドレスデン旅の記録ブログ/ぜひご一読ください】

    ◉27年越しの念願。遂には、奇跡の光景をこの目で。
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2018/旅ドイツ/

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    無数の国を旅し、無数の教会を訪れてきた。そして無数の聖母マリアに出会ってきた。中でも忘れ得ぬ場所。旧東ドイツ、ドレスデン。

    ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合してまもない1991年。旧西ドイツのフランクフルトから、旧東ドイツのベルリンまで、ドライヴ取材をした。滑らかな旧西のアウトバーン(ハイウェイ)は、旧東に入った途端、ガタガタの舗装路に。

    かつて栄華を極めたドレスデン。第二次世界大戦時の爆撃の傷痕を残し。あまりにも緩やかな時の流れ。灰色の街の中央には、異様な存在感を漂わせた瓦礫の廃墟があった。

    3年後の1994年。わたしはひとり、欧州を列車で3カ月間、放浪した。ドレスデンに立ち寄った。そして、瓦礫の廃墟があった広場を訪れ、驚愕した。

    廃墟は他でもない、かつてドレスデンを象徴する聖母教会で、だから人々は、「同じ姿に戻す」ために、再建を始めていたのだ。

    聖母教会。正式名称、フラウエン教会。予定よりも早く、2005年に完成していた。以来わたしは、ずっとずっと、再訪を望んでいた。そしてついに実現した2018年。欧州旅の途中、プラハから列車でドレスデンへ。

    ツヴィンガー宮殿の前にあるホテルにチェックイン。寒風吹き荒ぶ街を、逸る心を抑えながら、市街中心部へと歩く。

    24年前、瓦礫の山だった場所。そこには、圧倒的な存在感で、そびえ立つ聖母教会があった。史上最大の、立体的なジクソーパズルは、確かに完成していた。

    言葉なく、滂沱の涙を流す妻を、不思議そうに眺める夫。

    礼拝のあと、キューポラを駆け上る。「膝が痛いんじゃなかったの?」と夫。痛みなど忘れるほどの、込み上げる衝動だった。

    フラウエン教会の奇跡。それは奇跡のひとことでは片付けられない、国境を越えて、人々の、祈りと願いと希望の象徴だった。

    聖母教会の頂にある英国から贈られた「和解の十字架」。十字架を作った鋳物師は、ドレスデンを空爆したパイロットの息子だった。それは「偶然」から生まれた、「数奇な縁」だった。

    LOVE & HOPE, NO BORDERS.

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    【MIHO着用のサリー】

    ◎2007年、ムンバイへ出張に行った時、タージ・マハルパレスホテルのグラウンドフロアにある老舗テキスタイル&サリー店で購入。クライアント女史をアテンドしつつ、気がつけば取材の合間の買い物が増えていたのも良き思い出。ブラウスは、2015年にバンガロールで開催された手工芸品展でコルカタの職人から購入した。ブラウスは後ろからの見え方が決め手。サリーとは異なる色柄のブラウスを着ることで、印象が変わって見えるのもサリーの楽しさだ。

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    【これまでのSAREES♪サリーズ】

    (1)『いのちの名前』/映画「千と千尋の神隠し」より/“The Name of Life” from Spirited Away

    (2)『ユー・レイズ・ミー・アップ』You Raise Me Up/DIWALI SPECIAL ヒンドゥー教の新年「ディワリ」。

    (3)『カブトムシ』Kabutomushi/ Beatle by Aiko

    (4)『Your Song 僕の歌は君の歌』 by Elton John, Lady Gaga 

    (5)『灰色と青』by 米津玄師 (+菅田将暉 )

    (6) 『旅路』by 藤井風

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    さっき、日本の友人から、私によく似た女優さんの写真が届いた。無論、その1枚が似ているだけで、他は似ているなどと申し上げるには憚られる美しい、黒沢あすかというお方。

    確かに、この写真に関しては、つい最近、発掘していた9年前の自分と似ていると思う。2012年。ミューズ・クリエイションを立ち上げる契機の一つとなった、慈善団体訪問時の一枚。

    そして思い出す。わたしに似ている誰かのことを。

    中学時代から言われてきた「坂田、小林聡美に似と〜!」。

    そう。『3年B組金八先生』、そして『転校生』。彼女が登場するたびに、クラスメイトたちから、「似とう」と言われてきた。彼女とわたしは同じ1965年生まれというのも親近感を覚えさせる。

    無論、彼女は小柄な方のようなので、実際に並ぶと似ていないのだろうけれど、こちらはもう、未成年のころから勝手に親近感を覚えている次第。

    やがて濃い顔の三谷幸喜と結婚されたときには、我が夫(インド人)に似てないか? とさえ思ったくらいだ。そして離婚されたときには、必要以上に、寂しく思った。

    小林聡美で思い出すのは、他でもない、この動画。それまでダンスをやったことがないという当時33歳の彼女が、南インドでいきなりダンスに挑戦するという番組動画だ。

    1995年に公開された『ムトゥ・踊るマハラジャ』は、日本でも大ヒットした。無論、これはマハラーシュトラ州ムンバイ(ボンベイ)発の、ヒンディー語によるボリウッド映画ではなく、南インドのタミル・ナドゥ州で制作されたタミル語による映画。スーパースターなラジニ・カーントが主演だ。

    この映画のヒットを受けて、きっとこの番組も制作されたのだろう。

    インド映画のダンスは、その場で振り付けが決められることが多い。ダンサーたちは、師匠の指示に従い、臨機応変に踊らねばならない。プロのダンサーですらたいへんなことなのに、ダンス未経験の小林聡美が、それをやってのけている様子が捉えられている。

    ほんとね、すごいの。ほんと、必見。

    当時のインドの様子も伝わる。

    「その場で調整しながら形にしていく」……という、trial and error、すなわち試行錯誤のインド世界は、映画界だけでなく、遍く場面で共通している。COVID-19共生世界の今もまた。

    最後の回で、関根勉とふざけて「ダンスの番組を……」なんて話をしていたが、本当にやって欲しかった。というか、今でもやってほしいくらい。

    小林聡美さん……インドに来て欲しい。一緒に踊りませんか?

    *完成系の⑤から見てもいいかも。

    「超アジア通 インドは踊る」①

    「超アジア通 インドは踊る」②

    「超アジア通 インドは踊る」③

    「超アジア通 インドは踊る」④

    「超アジア通 インドは踊る」⑤

    おまけで、壮絶に懐かしい動画を発見。わたしも15歳だった……😭 超グレとった……😂

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    みなさんからのご支援は、確実に命を救っています。そのことをお伝えするための、これはレポートです。

    ミューズ・クリエイションが関わる慈善団体の中から、今のところ日本からの寄付がしやすいところを含め、4団体を紹介しています。中でもOBLFは、ミューズ・クリエイションの創設前から坂田が個人的に関わり、創設後、メンバーと初めて訪問した団体。のちに我が夫も役員として運営に協力しています。

    本来、OBLFは、貧困層子女の教育支援や、女性たちの職業支援を目的としていますが、COVID-19禍においては、食料品や医療用品などの物資提供も実施してきました。

    今回、第二波によるロックダウンに入った直後から、寄付金を募り始めたところ、「多くの日本人を含む」各方面からの資金が集まっているようです。その額は、役員たちの予想を大きく上回るもので、当初の予定よりも多くの救済が実現可能になっています。スタッフらの尽力と適切な手続きもまた、目を見張るものがあります。

    数日前から患者の受け入れを開始している第1センターは、COVID-19感染者用のベッド50床、酸素供給やUPS(電力供給安定装置)などが可能な医療器具を備えています。近隣の病院と提携し、ドクターやナースの手配もすべて整えられ、最低限の設備ながらも、すでに命が救済されています。

    第2センターは、COVID-19感染者用のベッド50床に加え、妊婦や子ども向けの隔離施設20床も備える予定。施設の確保、重機を設置するための工事、備品の手配などが、ロックダウン下の現在も、ヴォランティア・スタッフによって迅速に進められています。

    💕なお、現在米国在住の創設者アナミカ、そしてバンガロールで久しく運営に携わるルビーから、日本人からの寄付が相次いでいることに感謝するメッセージが、わたしの元にも届いています。みなさんからのご支援は、確実に命を救っています。ありがとうございます。

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    <strong*以下、担当者からのメッセージ(5月13日)を日本語訳してシェアします。

    わたしたちの、最初のCOVIDケアセンター(CCC#1)が現在、稼働しています。昨夜遅くから、センターは地元の医療機関や政府病院から受け入れの要請をされた患者を受け入れています。母親と2歳半の女児、二人とも陽性の結果か出たとき、わたしの心はとても痛みました。

    この第1センターは、2、3日のうちに埋まってしまうでしょう。支援者と現場のチームによる尽力とハードワークは、筆舌に尽くし難いものです。

    第2センター(CCC#2)の準備も予定通りに進んでいます。センターの場所が決定したので、現在、必要な許可を得るための手続きを詰めています。その間、施設に必要なインフラ設備の計画と調達を行っています。従って、このセンターも、1週間から10日以内の迅速さで、運用可能になるでしょう。

    酸素生成プラントの準備も、順調に進んでいます。メーカー、サプライヤーを確定し、発注書を作成しました。試運転と運用開始には6〜8週間かかります。また、この重機を設置するために、準備せねばならない作業があります。

    (貧困層に対しての感染予防に関する)意識向上と教育の啓蒙活動の準備も整っています。現在、ロックダウン下につき、状況を見つつ実施時期などを判断します。

    「希望は、いいものだ。多分、最高のものだ。よきものは、決して滅びない」(『ショーシャンクの空に』)

    Our first Covid Care Center (CCC#1) is now operational. Since late last evening, the centre has been receiving patients referred by the local primary health centres and taluk level govt hospitals. Images below will give you a sense for the intake…and yes, my heart broke to see a 2½ year old baby girl who has come in along with her mother, both of whom have tested positive.

    This centre will scale over the next day or two, and should be reaching its full capacity very quickly. Incredibly hard work and heavy lift by our implementation partners – Enablers United – and teams on the ground!

    We are on track with our second CCC (CCC#2). The location has been identified and we are on our way to securing the necessary permissions; we have also, in the meantime started planning & sourcing the infra items needed, so that we can operationalise this centre also quickly – within the next 7-10 days is what we are hoping for.

    The Oxygen Generation Plant is also on track. We have finalised the manufacturer/supplier and have placed the purchase order. This will take 6-8 weeks to commission and operationalise; and there is work to be done in between to get the site ready to have this heavy equipment be placed.

    And our groundwork to prepare for the awareness & education sessions is almost fully in place; We are gauging the situation closely given the full lockdown currently, and will take a decision quickly.

    “Hope is a good thing, maybe the best of things. And no good thing ever dies!”…The Shawshank Redemption

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    この動画は、10日前、施設準備中に進捗を報告するために撮影されたもの。参考までに。

    *寄付は引き続き、お受けしています。他の団体も徐々に追加する予定です。改めて以下のブログをご覧いただければ幸いです。

    【拡散希望】インドを支援🇮🇳信頼のおける寄付先紹介 by ミューズ・クリエイション (NGO)
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/mss/2021/05/donation.html

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    😸坂田マルハン美穂が発信する各種情報源へのリンク集
    ➡︎https://lit.link/museindia
    🌸COVID-19共生ポータル/インド生活に便利な情報源リンク集
    ➡︎https://lit.link/musecreation

  • 2001年9月11日。米国同時多発テロが起こった時、我々夫婦はニューヨークとワシントンD.C.の二都市生活を送っていた。

    2008年11月28日。ムンバイ同時多発テロが起こった当時、我々夫婦はバンガロールとムンバイの二都市生活を送っていた。

    どちらのテロも、極めて身近に経験し、思うこと尽きぬ。わたしの言葉は、いずれも、自分が肌身に経験したことに基づいて、考えを巡らせ、表現してきたということを、敢えて記しておきたい。

    善し悪しを結論づけられないことが、世界には満ち溢れている。ただ、自分はどうありたいか、と思うとき、諍いや、傷つけ合うことの少ない場所で暮らし続けたいと思う。人と関わるからには、共に食べて飲んで、話して笑って、歌って踊って、楽しみたい。一人でいるときには、心静かに穏やかに、働き、学び、伝え、ときに助け、助けられ、さらには猫らを慈しみながら、できれば笑顔で過ごしたい。

    そのために、自分ができることを、日々、つとめて、やっている。

    * * *

    インドがこの状況にあって、さまざまな取材の依頼が届く。9/11から今年でちょうど20年。あのときよりもはるかに、「雑な形」でのメッセージが届く。嘆かわしくも不安が勝る。

    「誰彼構わず雛形メールを送りつける人たち」が取材し、自分の持っていきたい方向に「再構成される報道」と、「あらかじめ相手を知ったうえできちんと取材依頼」をし、「なるたけ現実に即したバランス感覚のある報道」。その玉石混交を、読み手はどれほど見極められるだろう。

    この件については言いたいことが尽きぬので、この辺にしておく。

    わたしはインドに住んでいるが、特にインド映画のファンだというわけでも、よく知っている方でもない。しかし、心に残る好きな映画は、もちろんたくさんある。そんな中でも、インドに関わる人には、いつも勧めている複数の映画がある。その中のひとつが、『MUMBAI MERI JAAN』。

    見るに耐え難い、辛いシーンの多い映画。エンターテインメントではない。ただ、この国の抱える「闇のかけら」と、その一方の「光のしずく」を、多分、見ることができる。

    以下は、2009年12月のブログから転載したもの。内容に手を加えず、ほぼそのままに転載する。10年以上の歳月が流れ、今、読み返すに、映画のシーンが蘇って泣けた。自分で言うが、よく書けている。

    ぜひ、読んで欲しい。

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    映画『MUMBAI MERI JAAN(ムンバイ・メリ・ジャーン)』2009/01/24

    ようやくインドでも公開された『スラムドッグ・ミリオネア』を明日、見に行く。しかしその前に、先日もここで記した映画『MUMBAI MERI JAAN』についてを、記しておきたいと思う。

    『MUMBAI MERI JAAN(ムンバイ・メリ・ジャーン)』。英訳すると”MUMBAI MY LIFE” という名の、ムンバイを舞台にしたこの映画。物語の軸になっているのは、2006年7月11日にムンバイを襲った列車連続爆破テロだ。

    『MUMBAI MERI JAAN』は2008年8月に公開された。劇場へ見に行くタイミングを逸し、先日DVDを購入して鑑賞し、ムンバイの現状を巧みに表現してると深く感銘を受けた。

    先ほど夫とともに再び観て、そのよさを再認識した。ムンバイをよく知らない人には、一度観ただけでは理解しにくい映画かもしれない。しかしながら、インドやムンバイに関心のある方には、ぜひ観ていただきたい映画だとも思う。

    ボリウッド的な「歌って踊って」の要素は一切なく、テーマも重いが、ショッキングなシーンを抑え、心の機微を描いた、非常に冷徹な映画だと感じた。残念ながら日本では上映されていないようなので、ここであらすじを紹介しようと思う。

    普段、映画について詳細を語ることはしないのだが、この映画については例外である。今後観る予定のある人は、内容がわかってしまうので、お読みにならない方がいいだろう。

    * * *

    映画を語るその前に、ひとこと。インドを語るとき、幾度となく使う言葉に「貧富の差」「階級やコミュニティの違い」「宗教の違い」「言語や生活習慣の違い」などが挙げられる。

    しかしながら、「貧富の差」の実態を知らない相手に、その有り様を伝えることは簡単ではない。テロの背景にある「異教徒が共存する世界」についても、何がどのように共存しているのか、知らない人にとってはイメージするのは難しいだろう。

    折しもオバマが大統領就任宣言で口にした。米国は、キリスト教徒とイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教の人々らから成る国であると。たとえばマンハッタンを闊歩しているとき、そのことを、少しは肌で感じることができるかもしれない。

    しかし、「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」と呼ばれるニューヨークのそれよりも、より多くの素材、そして濃厚な味付けで構成されているのが、ムンバイにおける「るつぼ」である。

    このブログを久しく読んでいる人であれば、少しはイメージできるかもしれない。しかし、まったくインドを知らない人が、「異教徒が共存する世界」という言葉から、いったい何を想起するだろう。そのことを思ったとき、せめてこの映画についてを説明してみたいと思ったのだった。

    * * *

    2008年7月11日、ムンバイ市内を襲った列車連続爆破テロ。一等車ばかりが狙われたこのテロで、200名を超える人々が殺され、700名以上が負傷した。

    ストーリーはこのテロを軸にした、境遇の異なる5人のムンバイカー(ムンバイ人)の日常を、巧みに編み込みながら展開される。5人のバックグラウンドの差異は、ムンバイの一部を象徴しているようでもある。

    この映画は、ヒンディ語で作られているため、わたしは英語字幕に頼って見た。会話が早く、読むのが追いつかない箇所も多々あり、内容を完全に理解しているとはいえない。また、一部記憶違いなど、事実誤認があるかもしれぬ。

    ともあれ、本筋を理解していただくに大きな影響はないだろうと判断の上で記しているので、細かな突っ込みはご容赦いただきたい。まずはそれぞれの登場人物のバックグラウンドについて説明する。

    * * *

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    ルパリ(ソーハ・アリ・カーン)
    ムンバイのニュース番組のレポーター。若くて美しい、才色兼備の女性。市内高級アパートメントの高層階に、家族と暮らす富裕層の一人娘だ。ジャーナリストとしての矜持を持ち、現場からのレポートも歯切れがよく、社内でも彼女の仕事に対する評価は高い。

    あるとき、自宅でフィアンセとともに、自分がレポートするニュースを見ていた。ある村で、夫を失った女性にマイクを向け「今のお気持ちはどうですか?」と尋ねる彼女に、フィアンセは、君は美しいし、レポートもうまい。しかし、不幸な人に向かって、どういう気持ちですか、と尋ねることには同意しかねるといったことを告げる。

    ルパリは予想しなかった彼のコメントに動揺し、憤慨する。

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    トゥカラム(パレーシュ・ラワル)
    引退を目前にした警察官。汚職や闇取り引きの多いどろどろとした社会にあって、「事なかれ主義」を通して来た。不義を黙認し、トラブルを避けるようにしながら、任務をこなし、大した手柄もないまま35年が過ぎた。横柄で態度の大きい警察官が主流を占めるなか、しかし温厚で人当たりがよく、人柄に温かみがある。

    しかし、彼の部下であり、ともにパトロールを続けている若手のスニールは、トゥカラムに敬意を表しながらも、その弱腰の姿勢を受け入れられない。スニールは、理想と現実の狭間でストレスをためつつも、愛妻とともに近々休暇を取って旅行に行くのを楽しみにしている。

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    スレーシュ(ケイ・ケイ・メーナン)
    敬虔なヒンドゥー教徒。中流層の下、低所得者層の上、といった位置づけか。コンピュータの販売業をしていたが、現在は失業中で、借金取りから督促を受ける日々だ。しかし特に働きもせず、なじみの食堂で仲間ら4人とつるんで過ごす日常を送っている。

    ムスリム(イスラム教徒)を毛嫌いしている。

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    トマス(イルファン・カーン)
    自転車にポットやカップを載せて路傍で商売をする、ミルクコーヒー屋。一週間の収入が1200ルピー(2500円)ほどの低所得者であり、質素な家屋に妻と娘と3人で暮らす。仕事がないときも、自転車で市街をうろうろとしていることが多い。

    あるとき、路肩のチャイ屋で高級車に乗る富裕層の若者に遭遇する。店主に対する横柄な態度をとるその若者は、会話をしている相手の話が気に入らないのか、高級機種の携帯電話を地面に叩き付け、自動車で踏みつぶして去る。その姿をチャイにビスケットを浸して食べつつ、呆気にとられて眺めるのだった。

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    ニキル(R. マダヴァン)
    国際的なソフトウエア会社に勤めるビジネスマン。そこそこに豊かな生活をしているが、環境問題に対して非常に真摯な姿勢を貫いており、自動車の排ガスは環境汚染に結びつくからと列車で通勤している。ちなみにインドにおいて、列車やバスなど公共の交通機関で通勤する富裕層は少ない。

    ドアは開いたまま、満員時は乗客がぶら下がるようにしたまま移動する通勤電車は、主には中流層、低所得者層の移動手段である。ニキルは普段、若干料金が高い一等車の車両で通勤している。臨月の妻、両親とともに暮らしている。

    * * *

    7月11日午後6時過ぎ、ムンバイ市内と郊外を結ぶ南北に伸びる満員の通勤列車にて、わずか11分の間に7つの爆弾が次々に爆発、209名が死亡し、700人以上が重軽傷を負った。警察によれば、実行犯はラシュカレトイバ及びイスラム過激派組織であるSIMI (Students Islamic Movement of India) とのことである。

    実際に起こったこのテロを主軸に、映画のストーリーは展開される。あくまでもフィクションだが、しかし非常に現実味を帯びた内容で、実際に彼らのような人物が存在していても、なんの不思議もないリアルさがある。

    テロを機に、登場人物たちの身の上に、どのような変化が起こったかについてを、以下で紹介する。彼らの行動を巧みに交錯させながら、映画は流れていく。それは異なる色の糸できれいに織り上げられた一枚布のようでもある。

    彼らの数日を追うことで、ムンバイの現状がいかなるものかが、伝わると思う。

    * * *

    ルパリ:レポーターの彼女は、テロの直後、ずたずたに破壊された列車から死傷者が運び出される中、現場に駆けつけて果敢にレポートをする。その後、オフィスに戻ってボスや同僚とともに報道の戦略会議を開く。視聴者に対して、いかに興味深く”interesting”にレポートするかが決め手だと力説。

    被害者の家族などを取材して、生前の写真などとともに、土曜夜9時半のプライムタイムに、センセーショナルに報道しようと、意気込む。

    しかし、会議の途中、弟から何度も電話が入る。彼女のフィアンセが行方不明だという。フィアンセの写真を片手に、町中の病院を奔走する彼女。オフィスでの戦闘的な表情とは裏腹に、不安と恐怖とが入り交じり、緊張感に満ちている。

    目に飛び込んでくるのは、手足を失った人々や、血だらけで廊下に放置された人々の姿……。

    とある病院の前で、同僚のレポーターが現場からの報道を続けている。そこにボスから連絡が入り、「2分」だけでいいから、簡単に今の自分の状況を話してほしいと依頼される。いたたまれない気持ちでマイクに向かって心境を吐露する彼女。一刻も早く、フィアンセの消息を知りたいと告げる。

    ようやく到着したのは、遺体収容所。身体がずたずたに引き裂かれ、身元の判明できない遺体が転がった薄暗い部屋に導かれた彼女。フィアンセが履いていたベージュのストライプ入りのスニーカーが目に飛び込んで来た。

    覆われていた布がはがされる。付け根から下の「脚だけ」が、無惨にも転がっていた。崩れ落ちるルパリ。

    深い嘆きに包まれた彼女は、外に出ることもなく数日を自宅で過ごす。涙が止めどなく流れ落ちる。ある午後、印刷屋から包みが届いた。ルパリとフィアンセの結婚式のための招待状カードだった。滂沱の涙を流す彼女。

    茫然自失の日々を過ごしていたある日、ボスと同僚のレポーターが訪れる。家にこもっているばかりではなく、動き出さねばと励ますボス。しかし、真の用件は、彼女の身に起こったストーリーを、30分のドキュメンタリーとして報道させてほしいという依頼だった。

    彼らの言葉を、うつろな精神状態で聞きながらも、プロとしての矜持もあるのか、承諾する彼女。後日、レポーターとカメラマンが、再び自宅を訪れて撮影は開始される。冒頭で、自己紹介と、今回のテロでフィアンセを失ったことなどを、ルパリ自身が説明するべくカメラに向かうが、うまく話せない。

    何度も何度も撮り直される。20テイクを超えて、しかしついには泣き崩れ、「できない」と訴える。

    その後、夜、母親がテレビを見ているとき、偶然、自分の娘のストーリーが番組になっているのを見つける。弟とルパリも気づき、母親とともに、無言で画面を見つめる。

    二人が婚約式を行っている時の映像や、過去の写真、結婚式の招待状など、思い出のシーンが次々に映し出さる。そして、泣き崩れるルパリの映像が大写しに映し出される。

    二人の写真が稲妻のように引き裂かれる映像などが流れるなど、非常にセンセーショナルに、しかもエンターテインメント性を帯びた語り口調とで紹介されていく。

    これまで自分自身が行って来たことと、今、自分の身の上にふりかかった悲劇との狭間とで、言いようのない憤りと悲しみに襲われるルパリ……。

    トゥカラム:テロの直後、部下のスニールとともに市街をパトロールする。テロのために休暇が返上になったスニールは不機嫌で、テロ当日の夜にも営業をしていたバーのオーナーにも難癖をつける。

    袖の下(賄賂の札束)を受け取ったものの、山分けを示唆するトゥカラムに首を横に振り、現金の受け取りを拒否する。

    日常のストレスのうえに、テロが起こり、楽しみにしていた休暇もだめになり、さまざまな悲しみがこみ上げているスニールに、トゥカラムは、「制服を着たまま泣いちゃダメだ。泣くならトイレに行って泣きなさい」とやさしく諭す。

    抵抗ができそうにない貧しい人たちには、ちょっとした不都合を見いだしただけで平気でビンタを食らわすスニール。感情的になりがちなスニールを、トゥカラムは戒めるが、「わたしはこれから35年間も、あなたのようではありたくない」と、暴言を吐いてしまう。そして二人は、それぞれに、うなだれる。

    あるとき、深夜の車内で麻薬を吸っている若いカップルを見つけ、暴行を加えながら厳重注意するスニール。その青年の父親は有力な政治家だった。警察に怒鳴り込んでくる政治家。彼に頭が上がらない上司から、厳しくたしなめられるスニール。

    またしても憤慨に打ち震えるスニールに、トゥカラムは過去のエピソードを話す。以前、ある男の所持品から大量のコカインを見つけたことがあった。しかし、それらは「砂糖だ」ということで処理された。なぜならその男が政治家だったからだ。

    退職の数日前、同僚たちとお別れのランチを食べるトゥカラム。しかし隣席のスニールは相変わらず元気がない。「泣くのなら、トイレで泣きなさい」と諭すトゥカラム。トイレに立つスニール。直後、トイレから銃声が轟く。

    みなで体当たりをしてドアを開ければそこには、銃を抱えて座り込むスニール。天井には穴があき、自殺は未遂に終わっていた。トゥカラムはスニールを抱きしめ、二人して、泣く。

    スレーシュ:テロの現場付近に居合わせた彼は、負傷者の救出に手を貸す。悲惨な現状を目の当たりにして、テロリストへの憎悪を深める。いきつけの食堂に出入りしている若いムスリムの男ユースフが、テロの当日から姿を見せなくなったことから、ユースフがテロに関わっているのではないかとの妄想を抱く。

    ある夜、友人らとつるんでいたところ、ムスリムの老人が自転車で通りかかる。「おまえの鞄に入っているものは、爆弾か?」と、酒を片手に絡むスレーシュ。老人は鞄の中の「パン」をスレーシュに見せる。しかしそのパンを食べながらも、しつこく絡みつづけるスレーシュ。

    そこに二人の警官、バイクに乗ったスニールと、後部座席に乗ったトゥカラムが現れる。事情を聴取するトゥカラムに対して悪態をつき、突き飛ばして倒してしまう。激怒するスニール。仲間たちと逃げるスレーシュ。

    仲間たちからは、お前の妄想だと諭されても、ユースフを疑うスレーシュ。彼の自宅を見つけ出し、友だちのふりをして母親に彼の消息を尋ねる。

    ある日、街角でユースフを見つけた彼は、バイクに乗る彼を、やはりバイクで追跡する。ユースフは黒衣(アバヤ)に身を包んだガールフレンドと、ハジアリ(イスラム寺院)でデートをしているだけだった。

    そのハジアリで、コンピュータ販売の仕事をする知り合いに偶然会い、セールスの仕事に興味があるならすぐに連絡をしてくれと名刺を渡される。友人から「仕事が見つかってよかったじゃないか」と言われるが、「ムスリムと仕事をする気はない」と吐き捨てるように言う。

    ニキル:友人と共に列車に乗ろうとしたところ、ホームで顔見知りのセールスマンが声をかけてきた。煩わしく思いつつも彼の巧みな誘いにのって、話を聞くことになる。友人はいつものように1等車に乗り込んだが、ニキルはセールスマンが2等車の切符しか持っていないことから2等車に乗る。

    列車が動き始めてほどなくして、1等車が爆破される。血みどろの現場で、呆然と線路に座り込むニキル。

    帰宅後、心配症で臨月の妻にはもちろん、両親にも、自分が爆破された列車に乗っていたことを告げることができない。それからというもの、事故のシーンが何度も脳裏をよぎって不安にさいなまれる。

    1等車に乗っていた友人は、命はとりとめたものの、右腕を失っていた。見舞い先の病院で、慟哭する友人を前に、呆然とするニキル。以来、列車に乗ることがままならず、タクシーを利用し始める。

    街を歩いていても、どこかに爆弾が落ちているのではないかと過度に恐怖感に囚われ、悪夢を見る。いたたまれなくなり、診療所を訪れたところ、女性のサイコロジストから「恐怖感を抱くことは、決して珍しいことではない」と言われる。

    また、テロの経験を誰かに話したのか、と尋ねられる。自分の中に恐怖を抱え込んでいるニキルに対して、ドクターは「恐れることは、いけないことではないのよ」とやさしく諭す。

    一時帰国している米国在住の友人夫婦からは、米国に移住するべきだと何度も誘われる。今すぐ引っ越して、アメリカで出産すれば、子供はアメリカの国籍を取れるよ、とも言う。たまにインドが恋しくなるけれど、アメリカの暮らしはすばらしいと力説する彼ら。

    車を買うことに対しても、米国へ移ることも対しても、心が揺れはじめている。

    トマス:テロ後のある日、新品の白いパンツに黄色いシャツという一張羅の服を身に付け、やはり美しいサリーをきた妻と、着飾らせた娘を連れて、ショッピングモールへと赴く。

    モールを初めて訪れる妻と娘は、エスカレータに乗るのも初めてで、うまく乗ることができない。自分たちの貧しい暮らしとは異なる世界に戸惑いながらも、妻と娘は大喜びだ。

    トマスは彼女らを香水売り場に連れて行く。たくさん並んだ試供品をふりかけて、いい匂いだろうと家族にも試させる。はしゃいでいるところに、店員がやってきて、買うつもりはあるのかとトマスに詰め寄る。トマスはしばしばここを訪れて試供品を使っていたことから、店員に目をつけられていた。

    1本の香水が10,000ルピー(約2万円)を超えることを知って愕然とする夫婦。「誰も買わないでしょ?」と問うトマスに、「みんな買っている!」と断言する店員。店員はマネージャーを呼び、マネージャーは警備員を呼び、無理矢理モールの外へつまみ出される家族。

    泣き叫ぶ娘。激しい屈辱を覚え、やり場のない怒りに襲われるトマス。

    モールへの憎悪、富裕層への恨みを静かに募らせたトマスは、それから数日に亘って、警察に電話をかけ、あちこちのショッピングモールの「爆弾予告」を始める。電話をした数分後、ショッピングモールから大勢の人々が慌てふためいて逃げる様子を見て、世界を撹拌しているのは自分だとの思いで、愉快さをかみしめる。

    しかしあるとき、爆破予告をしたモールで人々が逃げ惑う様子を見ていたとき、心臓発作で倒れ込む老人とその娘の姿を見て、我に返る。タクシーで病院に向かう彼らを自転車で追いかける。

    誰かの命を奪うところだったという事実に、自分の愚行を思い知り、自責の念にかられるトマス。病院を訪れ、老人の容態を確認するなど、気に留めずにはいられない。

    * * *

    やがてテロから1週間が過ぎた。テロ以前とは多かれ少なかれ、異なる心境に置かれている人々。登場人物のエピソードを通して、ムンバイが抱えている「問題点」が浮き彫りにされて来た。そのことについても、それぞれに箇条書きで記したい。

    ルパリ:家に閉じこもり、悲嘆に暮れる日々だが、テロから一週間後、街に出る。呆然とした思いで街を徘徊する。

    と、突然、サイレンが鳴り、町中の動きが止まった。1週間前の同時刻に起こったテロの死者を追悼するための、2分間の黙祷を促すサイレンだった。

    街角でレポートするTVクルーの姿から目を背ける。静止する街に、一人たたずむルパリ。

    ・テロの様子を、エンターテインメント的に報道するメディアの在り方。
    ・被害者の心に土足で踏み込むような、配慮のない取材態勢など。

    トゥカラム:退職の前夜、路上でスレーシュを見つける。突き飛ばされたことをとがめるのではなく、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の、延々と続く終わりなき諍いの不毛さを、押し付けることなく、淡々と説く。

    互いを憎しみ続けているのでは、永遠に戦いは終わらないと。

    そして退職の日。同僚たちの前で、自分の警官人生を振り返ってのスピーチをする。背後には、自殺未遂のあと姿を見せていなかったスニールが、私服姿で、彼の話を聞いていた。

    オフィスを出る間際、スニールを認めて抱擁するトゥカラム。感極まって泣き出す二人。スニールに、「許してくれ」と泣きながら言うトゥカラム。その直後、出口へ向かう廊下で、1週間前のテロの死者を悼むべく、動きを止める。

    ・汚職、賄賂など、諸悪が横行する政界、公務員(警察、役所)の実態。
    ・理想と現実の狭間で苦悩し、やがては悪に染まりゆく人々の心。
    ・非暴力で、人の心を動かすことの重み。

    スレーシュ:突き飛ばした警官、トゥカラムから、責められるのではなく、不毛な諍いをするべきではないと諭され、頑にイスラム教徒を毛嫌いしていた心が氷解しはじめる。

    ハジアリで出会ったムスリムのコンピュータ会社に赴き、仕事をもらう。前金としてまとまったお金を受け取ったことで、借金の返済もできた。

    いつも出入りしている食堂への「つけ」も返し、給仕の少年にチップを渡す精神的な余裕も生まれていた。

    食堂で作業をしていたら、隣のテーブルに自分がテロ犯だと思い込んでいたユースフが座る。顔をそむけるスレーシュに対し、親しげに「マッチを貸してくれ」と声をかけるユースフ。フレンドリーなユースフは、自分と彼のためチャイを二つ注文する。

    世間話を始めた二人。自分がいかに偏見に基づいた行動をとっていたかを認識するスレーシュ。やがていつもの仲間もやってきて、二人が親しげに話していることに驚くが、しかしあくまでも自然に、5人は打ち解けて話を始めるのだった。

    1週間前のテロの同時刻、食堂に居合わせた人々は、みな起立して黙祷する。

    ・異なる宗教間に起こる不毛で無駄な諍い。
    ・思い込みの恐ろしさ。

    ニキル:テロから一週間後、オフィスで仕事をしているところに、妻が出産間近だとの連絡が入る。病院へ行こうとタクシーを捕まえるが、渋滞がひどくて1時間半はかかるという。電車の方が早いと勧められて駅に向かうが、テロ以来、列車には乗れなくなっていた。

    しかし、不安を押し殺し、必死の思いで列車に乗り込む。途中で突然、列車が止まった。驚いて他の乗客に声をかければ、「1週間前の、今、テロが起こったのだ。死者に黙祷を捧げるため、列車は停止した」と言われる。

    しんと静まり返った列車のなかで、人々の顔を静かに見回しながら、さまざまな情念が去来する。涙をこぼしながらも、やさしみと安堵のほほえみが浮かぶ。

    ・著しく汚染されている環境に対する警告。
    ・テロのあとに襲いかかる、精神的なダメージ。
    ・米国(先進諸国)へ移住するインド人の心理。
    ・過度の恐怖心にさいなまれることの不毛さ。
    ・苦しみを誰かに吐露することの必要性。

    トマス:心臓発作を起こした老人のことが頭から離れない。再び自転車で病院を訪れたところ、ちょうど退院するところだった。

    病院の前で、しかしなかなかタクシーを見つけられない老人とその娘に、タクシードライヴァーを呼んで、「あなたのタクシーです。どうぞ乗ってください」と促す。大急ぎで、露店の花屋で買った一輪のバラの花を、窓から老人に向けて差し出す。

    ほっとする思いで自転車をこぎながら街を行くと、警官に呼び止められる。事情がわからずに、ひたすら謝罪するトマス。しかし、ポリスは「静かにしろ」と言うばかり。落ち着いて周囲を見れば、みなが動きを止めて、テロの被害者に向けての黙祷しているのだった。

    ・著しい貧富の差。貧しい人々の暮らしぶり。
    ・富裕層の、一部若者の、スポイルされた態度。
    ・近年次々に誕生しているショッピングモールへ訪れる低所得者層の実情。
    ・爆破予告など、愉快犯の存在。

    * * *

    ……ずいぶんと、長くなった。

    なお、この映画では、登場人物が心情を語るシーンはほとんどない。表情や様子で、心の動きが表現されている。

    すなわち、ここに記している登場人物の心情は、あくまでもわかりやすく内容をお伝えするために、わたしなりの解釈で記したもので、それが真実かどうかは、不確かだ。

    ともあれ、ムンバイのイメージの断片を、掴んでいただけたらと思う。

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    *1991年から1993年にかけて、東京都新宿区大久保のアパートの一部屋を編集部に、さまざまな国籍やバックグラウンドを持つ人が集い、出版していた在日外国人向け情報誌『We’re』(「わたしたち」「我們」「WE」「우리」)

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    🌸PODCAST/ ぜひお聞きください🌸

    ◉インドの現状を伝える報道のダブルスタンダード

    今に始まったことじゃない。インドという多様性の巨大国家が、偏った報道のされ方で、その負の部分が強調されてきたこと。わたしが米国に住んでいたころのニューヨークタイムズなど、インドに限らず「新興国」と定義された国の、奇習や社会問題など、負の側面が取り上げられることが常だった。2003年、トーマス・フリードマンがバンガロールに駐在し、この国のIT事情や新経済の実態をレポートし始めたころから、風向きは徐々に変わったが。

    しかし、このCOVID-19の第二波が襲ってからは、報道モラルの偏りが目に余る。火葬場の上空、瀕死の病人。今度は聖なる川に浮かぶ遺体か……。

    インドのメディア規制が緩いが故か、センセーショナルな写真を撮り世界に拡散する諸外国メディアのダブルスタンダード。ロイターなどが配信する写真は、瞬く間に世界各国のメディアに利用される。

    そういう報道が日々、日本でもなされ、インドは阿鼻叫喚の巷か。そこにあるのは、死ぞ。この国に対する敬意はないのか。同じことを他の国でやっているか。たとえば2001年9月11日。あのとき、米国は瞬時に、ビルから落下する人や遺体の写真をメディアに載せぬよう報道規制した。この国には、そのような配慮の対象外のようである。

    インドは今、報道規制に対応できていない。インドが撮らせてくれるから、報道していいのか? なぜ偏って酷い場面ばかりを切り取る? 

    報道されている側面は、確かに現実だ。しかし、それが9割ではない。この国の、この苦境の中、日々、助け合いが広がっているからこそ、平常心でいられる。希望が持てる。瞬く間に自助、互助の輪が広がり、民間の力で救済が展開されていることを、なぜ報道しない? 回復者が多いことを、ワクチン接種がどんどん広がってきたということなども。希望より絶望が、魅力か。

    一介のライターが、こんな場所で、日々記すも虚し。しかし、どんなに小人数でも、誰かの目に止まればとの思い。

    この動画は、4月下旬に収録された、インドのジャーナリスト会議。彼らの声を聞くべし。あなたにメディア関係の知り合いがいるのなら、シェアしてほしい。見せてほしい。英語がわからない? さあらば、海外の報道をするなかれ。

    ◉16年前のカルチャーショックは、インド人に対する一部日本人在住者の態度

    米国での10年間の生活を経て、16年前にインドに移住したときの一番のカルチャーショック。それは他でもない、日本人コミュニティの、少なからず駐在員やその家族の、インド人を見下す態度だ。他所様の国で、食い扶持を稼がせてもらっておきながら、その国の人間に対する無礼は、我が夫にまで及び、心底憤慨したことも一度や二度ではない。

    折に触れて、ブログなどにやんわりと実情を記し、少なくともここ10年ほどは、直に不快な思いをさせられることは減った。自分が「日本人」というだけで、なぜインド人に対して不遜で傲慢な態度を貫けるのか、理解の域を超えるケースも多々見てきた。それでも、都度、若者らにセミナーを実施するなどして、異なる視点の必要性を説いてきた。

    日本という島国は、その歴史的背景や地理的背景により、「異文化間コミュニケーションを苦手とする」のは仕方のないことだと思う。しかし、今の世界、鎖国しては生きられない。海外との協調が不可欠だ。少なくとも、異国に関わる人、あるいは社会的影響力大きい「情報発信者」は、自分の発信する内容を吟味する必要がある。学ばねばならない。そういう時代になっている。

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    ◉『ナマステ・カレーポリス』の、何が、どのように、問題だったのか

    さて、それでなくても、日本におけるインドの報道の「悲惨な部分の偏り」の閉口していた矢先。ご存知の通り、インドは今、全国的に厳しい状況が続いている。そんななか、日本人Youtuberらによる、インドに対して無礼な動画が拡散された。

    その動画は何百万人ものインド人の目に触れるところとなり、何万ものコメントが寄せられた。その大半が、ネガティヴな反響。普段、人に謝罪を要求する国民性ではないインドの人々が、動画を消せ、謝罪せよと、ひっきりなしにコメントを寄せている。

    2、3日放置されていた状況に業を煮やしたインド人たちが、インドの日本大使館に通報をし、日本大使館がFacebookを通して謝罪文を発表する事態となった。

    ◉インド文化を侮辱?日本人の「カレーポリス動画」が物議 現地大使館にも苦情、遺憾表明
    ➡︎https://news.yahoo.co.jp/articles/9a898b9c1f07214221419e42cff5a03dc3a539e1

    それにしても、なぜここまで炎上したのか。通常であれば、「ステロタイプだ、仕方ない」と多くのインド人が取り合わなかったことも予測される。その大きな理由は、この動画に、200万人を超えるインド人フォロワーを持つ、日本人のYoutuberが出演していたことだろう。

    ヒンディー語が話せ、インドの人たちにフレンドリーな彼の動画は、多くのインドの人々を惹きつけ、ファンを獲得してきた。その彼が、インドを蔑み馬鹿にするような動画に出演したのだ。裏切られたような思いが、怒りを増長させる。

    彼は、インドに暮らし、ヒンディー語を巧みに話せていながらも、この国の文化的歴史的背景を学んでいなかったのだろう。そして、「炎上商法」で知られるようなグループと共に作品を仕上げる過程でも、その内容がどれほどの問題を孕んでいるか、想像できなかったのだろう。

    日本国内では許されることでも、国境を超えると、国際問題にさえ発展することがある。いや、インド人ですら、祖国を喪う形にさえなる。

    インド人の著名な画家、M.F.フセイン。インドの近代アートに貢献した巨匠で「インドのピカソ」とも呼ばれてきた。しかし彼は2006年、ヒンドゥー教の女神を「裸身で」を描いたことから多くのヒンドゥー教徒の怒りをかい、亡命を余儀なくされた。ドバイと英国を行き来する生活の果て、ついぞ母国の土を踏むことなく、2011年に他界している。
    https://en.wikipedia.org/wiki/M._F._Husain

    今回、「この動画の、どの部分が悪かったのかわからない」という日本人の声を多く目にした。問題点がはっきりしなければ、同じ間違いが繰り返される可能性がある。この対談(というがわたしがほぼ、一人でしゃべっているが)では、わたし個人の経験から、何がどのように問題だったのか、その背景にはなにがあるのか……についてを、語っている。

    異論は覚悟のうえ。25年に亘りインド人と関わり、インド人を家族とする「ひとりの日本人の声」に、耳を傾けてほしい。日印間に限らず、日本人が異文化とコミュニケーションを図る際に心得ておいたほうがいい視点についても、言及している。

    *今回語った内容に関連する情報をシェアしようと下部に添付していたら、呆れるほど膨大な量になった。情報攻撃か、と自分で突っ込みたくなるほどだが、同時に、それだけいろいろな問題がつながっているということでもある。読む気も見る気もしないだろうが、せめてこの動画制作に関わった各位には、くまなく見てほしい。

    ♨️炎上動画の事情がわからない方のために。このYoutuberが要点をまとめてくださっている。これだけ見ると、コメディだが……。要点がつかめすぎて、笑えない事態なんだけど笑える。

    ***********************************

    🌿5月9日(日)の午後、急遽Clubhouseにて、この件を語った。聞き手になってくれた大森美樹さん、どうもありがとう。以下、音声とコンテンツ

    🌸PODCAST/ ぜひお聞きください🌸

    0:00〜
    インドのCOVID-19第二波の現状
    ・互助の精神の強さ。宗教やコミュニティ、貧富の差の垣根を超えて助け合う
    ・次々に「テクノロジーを駆使した」アナログなサポート
    ・感染者数は報道されているよりも、もっと多いはず
    ・重篤化する人の割合は低いが、圧倒的に人口
    ・去年の状況とは全く異なる変異株の威力。身近な感染者の状況が違う
    ・感染力が高い/重篤化すると治癒までの時間がかかる
    ・あらゆる年齢層の健康体が罹患する
    ・ワクチン接種の実情
    ・的確に情報が回り始めており、徐々に悲痛な叫びが減ってきた

    6:30〜
    ・ピリピリした空気のなか、保護猫グループはほのぼのとしている
    ・インドの野良動物事情

    9:00〜
    🔥炎上動画についての話題開始
    ・坂田個人の異文化交流。海外生活25年
    ・東京フリーランス時代に『We’re』という四カ国語情報誌の編集
    ・海外生活で自分が受けてきた差別問題
    ・911直後、インド人たちが米国で受けた差別

    17:30〜
    ・「ナマステ・カレーポリス」ストーリーの説明

    25:00〜
    ・この動画の何が問題だったのか
    ・無知→冒涜
    ・インド人に対する甘え→傲慢な見下し
    ・家族や宗教に対する考え方など
    ・日本国内では炎上商法が看過されても、海外で通用しない
    ・食文化の冒涜 食べ物に対する粗末感
    ・1947年の印パ分離独立以降から、宗教間の軋轢が暴動、テロの原因
    ・絶妙な均衡を保ちながら、多様性の国が一つの国。奇跡的な存在

    *インドで人気の日本人Youtuberが出演していたことがより物議を醸す

    48:00
    ・よりによって、インドが苦境に陥っているときに、不快な動画を投下

    50:00
    ・偽善ではない。せめて善を装いましょう。「装善」

    56:00
    ・この動画によって起こりうる負の連鎖
    ・わたしたちは、どう在ればいいのか

    ***********************************

    📻トピックに出た話題に関連するブログや記事、関連情報など 

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    🇯🇵わずか1週間で準備完了! 日本がテーマのヴァレンタインズ・デー
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2021/2021/02/valentines.html

    ◉いかなるときにも揺るがぬ猫愛。猫煩悩ご近所WhatsAppグループで和む日々。
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2021/2021/05/cat.html

    ◉在日外国人向け四カ国語情報誌『We’re』(1991〜1993)
    ➡︎https://www.thirdeye.jp/magazines

    ◉李良枝李 良枝(イ・ヤンジ)『由熙』(ユヒ、유희)で第100回芥川賞を受賞
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E8%89%AF%E6%9E%9D

    ◉インドで延々と続いてきた宗教の争い
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2019/2019/11/ayodaya.html

    ◉北東インドの若者たちの悲哀
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/indiamedia/2012/05/my-entry.html

    【拡散希望】COVID-19禍のインドをへ支援をお考えの方、こちらをご覧ください
    🇮🇳信頼のおける寄付先紹介 by ミューズ・クリエイション (NGO)

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    *『We’re』最終号(1993年12月)。28歳の坂田とその文章。
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    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

    ◉坂田がインドで発信を続ける背景
    ➡︎http://www.museindia.info/museindia/bangalore-intro.html

    ◉異国に暮らし働くことについて。坂田の個人的な体験と、伴う私見
    ➡︎http://www.museindia.info/museindia/bangalore-personalmatter.html

    わたしは、1988年に海外旅行誌の編集者となり、以来、海外取材を重ねてきました。1996年に米国へ移住してからは、20年以上に亘り、海外に暮らす日本人関わり、その心の問題に、思いを巡らせる機会がありました。思い返せばわたし自身、経験を重ねるに伴い、物事の見方や考え方が変化してきたように思います。私事ながら、この項では、今のわたしがミューズ・クリエイションを創設したり、日本人の駐在員夫人と活動を共にしはじめた契機となった出来事のいくつかを、書き残しておきます。

    CONTENTS
    ●永遠の夏。シンガポールの日本料理店にて(1989年)
    ●焼き餃子を巡る記憶。北京の中国料理店にて(1991年)
    ●人の死に思う。異国に暮らし働くということ(2012年)
    ●ハドソン川を渡れなかった駐在員夫人たち(1999年)

    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

    【インド・ライフスタイルセミナー/インドを発信する方には、ぜひ見ていただきたいシリーズ】

    ●パラレルワールドが共在するインドを紐解く/セミナー動画

    ①多様性の坩堝インド/多宗教と複雑なコミュニティ/IT産業を中心とした経済成長の背景/現在に息づくガンディの理念

    ②「広く浅く」インドの歴史(インド・パキスタン分離独立)/インドの二大政党と特筆すべき人物/テロが起こる理由とその背景

    ③明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉人物から辿る日印航路と綿貿易/からゆきさん/ムンバイ日本人墓地/日本山妙法寺

    ④明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈後編〉第二次世界大戦での日印協調/東京裁判とパール判事/インドから贈られた象/夏目漱石

    ⑤ インド国憲法の草案者、アンベードカルとインド仏教、そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人

    【インドの富裕層、アカデミック層の人々についても知ってほしい】

    みな我々夫婦の友人、知人です。去年のオンライン・イヴェントに協力してくれた尊敬すべき人々のなかの、ごくごく一部です。動画概要欄にも彼らのことを記しています。

    ●ドキュメンタリー/久しぶりに集った盟友8人。親日派の彼女たちに聞く日本旅エピソード(インド富裕層のライフ)

    ●多文化の国インドに生きる/父はスィク教徒、母はキリスト教徒、夫はヒンドゥー教徒……シブの物語

    ●神戸で生まれ育ったムンバイ在住のインド人女性たち/日本唯一のジャイナ教寺院を神戸に建立/おいしい豆腐が食べたいあまり、ムンバイで防腐剤不使用の豆腐を販売

    ●高品質オーガニックコーヒーを生産するソーシャルアントレプレナー。アラク・コーヒー創業者マノージが語る日本との関わり

    ●インド初、酪農家を支援し、乳製品の品質向上を目指すスタートアップ、ミルク・マントラ。ソーシャル・アントレプレナーシップのその背景

    【上記対談の中で出てきた話題の関連動画】

    ●「バンガロールのゴミ問題」に向き合おう! 地球環境の負担を減らすためには、先進国、新興国を問わず、まずは「捨てるゴミ」を減らすことが重要。

    ●インド各地から108のヴェンダーが集結。手工芸品バザールの様子をレポート

    ●インドにおける新型コロナウイルス感染症の現状と背景(2020年6月1日)

    ●ミューズ・クリエイション8周年記念動画 ①創設背景 ②慈善団体訪問 ③イヴェント

    Miho2020.002のコピー

    【2007年から5年間、西日本新聞に毎月連載した記事66本からピックアップ】

    この古い記事を、敢えて今、シェアする。日本人がインドに対して持つイメージは、10年以上前からほとんど変わっていない……というよりも、何も伝わっていないだろう。伝わる必要もないのだろう。一方、この10年の間にも、筆舌に尽くし難い、インドライフは変貌を遂げてきた。

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    ⬆︎「イタ飯」という表現は編集者がつけたもの。わたしは嫌いな表現なので念のため。
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    WhatsApp。今や、インドの家族や親戚、友らとのやりとりに不可欠なアプリケーション。日本でいうところの、LINEのようなもの。

    直接の電話も含め、「現代の」日本人からは想像し難いであろう「社交」「コミュニケーション」を大切にする……というか、それが自然の行いであるインド。情報交換その他は、目まぐるしい。

    去年、ロックダウンに入った直後は、その事態の不確かさも手伝って、「信頼し難い情報」や、「噂レベルの話題」が多く流れてきた。しかし、第二波に見舞われている今。少なくともわたしの周囲においては、COVID-19に関する不確かな情報が激減した。

    生死に関わる情報を求める人たちに対し、速やかに助けの手を差し伸べる。家族や親戚、友人を大切にするお国柄。友人の父親や家族のことも、身内のような真剣さで、情報を共有し合う。

    日々、緊迫する情報が行き交う中、決してCOVID-19の話題を出さないグループがある。ご近所の猫親グループだ。我が家の界隈は、3つのアパートメントビルディング(プルヴァ・カーネーション、パーク、アイリス)群が集まっている。

    我が家のカーネーションは野良猫に厳しい人がいて、これまでもトラブルがあったのだが、パーク&アイリスは動物愛護な人々が多く、野良猫もしっかりと世話をしている。ちなみにインドには動物の殺処分はなく、「野良動物に餌を与えるのは人間の義務」となっていて、その件もClubhouseで何度か語った。

    そんなこんなで、住民がみなで面倒を見ている猫らの写真が、日々、シェアされてくるのである。わたしは夫に誘われて入っているが、投稿しない。夫が積極的である。なにしろたいへんな猫煩悩につき。

    ともあれ、ここに逃げ込めば、和む。和むのだ。というわけで、ここにシェアする。

    なお、マルハン家の猫事情は、ずっと放置しっぱなしのブログ「うさぎのアリスの猫レポート」改め「吾々はインド猫である」にまとめている。だいぶ面白い。近々、空白期間の記録を転載して、猫ブログを充実させたいと思いつつ……。

    ともあれ、「野良猫に餌を与えるのはインド国民の義務?!」といった衝撃的かつ興味深い記事も記しているので、興味のある方は、下記、ご覧ください。

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    【インドにおける野良動物の話題に言及した過去のブログなどのリンク】

    😸吾々はインド猫である。(旧うさぎのアリスの猫レポート)
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/alice/

    🙀野良猫に餌を与えるのはインド国民の義務?!
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/alice/2017/09/india.html

    😼『わくわく動物ランド』だもの。動物との共存感があふれるインドの日常
    ➡︎https://museindia.typepad.jp/2011/2011/05/bangalore-%E3%82%8F%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8F%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%A0%E3%82%82%E3%81%AE.html

    🐘CUPA: Compassion Unlimited Plus Action
    
動物保護施設団体。クリニックの運営ほか、野良犬、野良猫の里親斡旋
    ➡︎http://www.museindia.info/museindia/bangalore-charity10.html

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    🌙わずか二輪の月下美人。

    人間がCOVID-19に翻弄され始めて約1年半。この異変に気づいている動植物も存在するのかしら……。そんなことを思う昨夜。

    インド移住後、毎年この時期は、ニューヨークを訪れていた。年に一度の「里帰り」であり、グリーンカード(永住権)保持のためでもあり。

    夫はまた、勤務する会社の本社訪問や、親戚や友人らに会うなど、米国への数週間の旅は、とても貴重なルーティンだった。

    ここ数年は、経由地のロンドンに降り立ち、英国やフランス、アイルランドなど欧州旅もセットにしてきた。

    そんな日々が幻のよう。

    この時期、年に一時期のみ開花する月下美人が開く。旅のタイミングに重ならぬよう祈ったことさえ懐かしい。開花のときには、友人らを招いて「月下美人鑑賞会」を開いてきた。

    これまでは、2、3夜にわけて、少なくとも、一度に十輪以上は、花をつけていた。しかし、去年はわずかに数輪ずつ。

    そして昨夜。

    1日の終わりに、庭を散歩しているときに、ふと、芳しい香りに気づいた。そうしたら、暗く沈んだ緑の中に、2輪だけがひっそりと咲いているのが見えた。

    「今年も、見る人があまりいないようだから、とりあえず、2輪だけ、咲かせましたよ」とでも、言わんばかりの。

    季節の変化に緩い高原都市バンガロール。それでも4月5月の盛夏には気温があがり、毎年のように「今年は冷房を買おうかな」などと思ってきた。

    バンガロールはそもそも、エアコンシティと呼ばれる涼しい土地にて、緑に囲まれた平家一戸建てのバンガロー(邸宅)などに住んでいれば、冷房など不要だったのだ。

    我が家はグラウンドフロアで庭もある。だから冷房なしでも凌いできた。特に暑いのは数週間程度。

    ところがね。気づけば今年は、夏が来ない。ず〜っと風が心地よく、空気が軽く、暑くないのだ。無論これが、従来のバンガロールの姿なのだが。

    本当にね。いろいろと、いろいろと考えさせられることの多い、この混沌の世界にて。

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    すべての道は天竺に通ず。全く異なるバックグラウンドを持つのに、どこかしら共通項がある二人。ともかくは、聞いて! 

    ◉対談日/2021年4月28日
    ◉出演/大森美樹、坂田マルハン美穂

    🕊楽しいインド案内人アンジャリ 〈美樹さんのホームページ〉
    関連ブログ「やがてマサラ/楽しいインド案内人が生まれるまで」
    ➡︎https://note.com/anjali_masala

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    ✏️ミューズ座談会シリーズ/人生を創るNOTE*「手書き」を語り合う

    ✏️世界を旅し、海外に暮らし働く/坂田の半生を語る動画

    🇮🇳坂田がニューヨークでインド人男性と出会い結婚した経緯

    🇨🇳対談で出た話題の関連情報

    ◉中国残留日本人
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%AE%8B%E7%95%99%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

    ◉『大地の子』(山崎豊子著)
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90

    🇮🇳子ども時代からの宿命か。坂田とインドとの、恐るべき「インド縁」

    ◉小学校1年生と6年生のときの担任、即ち入学と卒業を見届けてくれたのは、「わたしはインド人ではありません」の引頭先生。

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    ◉隣のインド人 BY 戸川純/大学時代によく歌っていた

    ◉坂田が東京在住時に住んだ場所、用賀の語源はヨーガだった……
    🙏眞福寺 瑜伽山
    用賀の赤門寺と呼ばれる真福寺は、およそ四百年前に創建され、鎌倉時代この地に真言密教をおさめる瑜伽(YOGA)道場があったと言われている。
    ➡︎http://yoga-shinpukuji.jp/

    ◉坂田が東京在住時、用賀の次に住んでいた西葛西は、その後インド人タウンと化した……
    ☕️西葛西にインド人が集中する歴史的な理由(よい記事です。ご一読を)
    ➡︎https://president.jp/articles/-/29322?page=1

    Map
    🇲🇳モンゴル旅日記/復刻版(1992年)
    ➡︎http://www.museny.com/tabimuse/mongol/mongol.htm

    Cover
    🇺🇸インド移住の直前に。アメリカ大陸横断6300kmのドライヴ旅行(2005年)
    ➡︎http://www.museny.com/2005/gowest00.htm

    🇮🇳坂田がインド移住を決めるに至った語学学校の研究論文『インドの新経済』(2003年12月)
    Georgetown University Center for Language Education and Development
    ➡︎英語(オリジナル) http://www.museny.com/india/economy.htm
    ➡︎日本語 http://www.museny.com/india/economy-j.htm

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    ◉頭脳流出(2003年11月18日の記録)

    学校も残すところ1カ月弱、ファイナルのプレゼンテーションのためにオーダーしていた本が、今日届いた。インドのBrain Drain(頭脳流出)に関する専門書。新しい本のはずなのに、どうして古びてるの?  しかも、紙が……。濡れた枯葉を乾かしたような、何とも言えない匂いがする。……率直に言って、臭い。1999年に印刷されたこの本。インドで印刷された本。製本が悪い本。

    それはそうと。ページをめくりながら、続出する難解な図式やチャートに呆然としているわたしに、「ミホ、その本、全部読むつもり? 無理だと思うなあ」と、傍らにいた夫が、憎々しい一言。夫の国のことを知ろうとしている健気な妻に、まったくもって、失敬である。が、図星である。せめて、序章と、結論だけでも、読もうと思う。

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    ◉達成感(2003年11月24日の記録)

    8月末から通い始めた学校も、あと2週間ほどで終わる。ファイナルの研究論文(Research Paper)を、今日、おおよそ、書きあげた。はじめはアジアのブレイン・ドレイン(頭脳流出)について書くつもりが、途中でインドのブレイン・ドレインにかわり、調べているうちに、書いているうちに、結局は「インド経済のこれから」というような内容になった。3カ月半前には、決して書きあげることなどできなかったであろうことが、今、できる。いつからでも、始めれば、実るのだと言うことをも、学んだ。英語で書いたり読んだりが、苦手だったのに、最近は、なんだか楽しくさえ思える。これからも、ずっとずっと、鍛え続けていこう。

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    ◉インド経済のこれから(2003年12月2日の記録)

    8月末から通い始めた学校も、まもなく終わる。偶然、3つのクラスのプレゼンテーションが一度に集中。あらかじめ、少しばかり準備を始めてはいたものの、今週はもう、たいへんな事態だ。

    初日の今日は「インド経済のこれから」。最近、米国メディアはインド経済について次々にとりあげ始め、いいタイミングで、多彩な記事を得られた。使ったことのなかった「パワーポイント」というプレゼンテーション用のソフトウエアを使い、インドの教育機関、米国のインド市場への動き、ブレインドレイン(頭脳流出)からブレインサーキュレーション(頭脳循環)へ推移している実態、そして私的見解が少々入った、将来への展望、などを、まとめる。

    4カ月前には到底できなかったことが、今、できる。自分が成長しているのがわかる。たいへんだけど楽しい。クラスメイトの大半は今日が最後のプレゼンだったから、みんなでランチに出かけた。わたしはまだまだ。