インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    先週の台湾に続き、日曜日の昨夜(日本時間午後10時、インド時間午後6時半)は、1989年、社会人2年生、2度目の海外取材先だったシンガポールとマレーシアを語った。台湾と同じく、近畿日本ツーリストの出版事業部が発行していた「旅のガイドムック」シリーズの取材。大日本帝国軍の占領下「昭南島」と呼ばれていた時代の歴史を皮切りに、当時のシンガポールの観光、ホテル、食、ショッピングなど、話題は多岐に亘った。

    小さな多様性の島での2週間は、東西世界の諸々を、わたしに教えてくれた。某日本料理店の取材時、「日本人が海外で働くに際して大切な話」を、当時のマネージャーに聞いたエピソードは、今でも大切な思い出。その後も取材や個人的な旅行で、何度かシンガポールとマレーシアを旅したが、一番最初の経験は、最も強い印象を脳裏に焼き付ける。思い出は、上書き不可能なのだ。というわけで、夜間外出禁止令が発令されたバンガロールから、魂の旅を90分の断片を、ここに。

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    🌻永遠の夏 Singapore (July1989) 〜2019年に記した記事〜

    初の海外取材先である台湾からの帰国後は、それまで以上に苛酷な仕事が待っていた。寝ても覚めても編集作業に追われる日々が続いていたころ。新年明けてまもない寒い朝、昭和天皇崩御のニュースが届いた。昭和が終わり、翌日から平成がはじまった。バブル経済のピークを迎えていた当時の日本は、不自然に浮かれていた。街ゆく若い女性たちは、ワンレングスの長い髪にボディコンシャスなワンピース、高級ブランドのハンドバッグを携え煌びやかだ。安い衣類に身を包み、概ね疲労していたわたしにとって、そんな浮世の趨勢は、遠くから聞こえる太鼓の音のようだった。

    台湾のガイドブックが校了した直後、一息つくまもなく、シンガポールとマレーシアの取材を命じられた。どんなに多忙でも、海外出張に行けることは、うれしかった。取材前に不可欠なのは情報収集。書店や図書館で関連書籍を入手し、未知なる国の情報を得る。観光事情に関しては、都内にある各国の政府観光局を訪れ、地図やパンフレットなどを収集した。

    シンガポールに関する知識がほとんどなかったわたしにとって、得られる情報すべてが新鮮だった。シンガポールもまた台湾同様、大日本帝国の影響を受けていた。シンガポールは1819年、イギリス東インド会社の書記官だった英国人トーマス・ラッフルズの上陸を契機に、大英帝国による植民地時代が始まった。第二次世界大戦中の1942年に英国支配は終焉。代わって大東亜共栄圏の構築を目指す日本軍による占領が始まり、シンガポールは「昭南島」と改名された。シンガポールを象徴する高級ホテル「ラッフルズ・ホテル」は接収後、「昭南旅館」と呼ばれ、日本陸軍将校の宿舎となった。同国の日本統治は、1945年8月の日本の敗戦まで続き、以降は再び英国の支配下に戻った。完全に独立したのは1965年、わたしが生まれた年のことだ。

    シンガポール取材は、年上の男性編集者と外部カメラマン2名の計4人が2班に分かれて行われた。シンガポールは、東京23区より少し大きいくらいの国土面積であることから、全容を把握しやすく、移動は比較的、楽だった。観光地やレストラン、ホテル、ショップなどを片っ端から取材したのだが、年上の男性編集者が、「おいしいとこ取り」をしていた。人気店の大半を自分が担当し、残りをわたしに回していたのだ。今、当時のガイドブックを開けば、「チリクラブは、ほんと旨い」とか「フィッシュヘッド・カレーは最高」とか「ペーパーチキンは絶品」とか「あのチキンライスは抜群」といった彼の言葉が、30年経ってなお、忌々しくも鮮やかに思い返される。

    残念な記憶の一方で、シンガポールでは目に映るものすべてが、日本と同じアジアの国とは思えぬ多様性に満ちていて、興味深かった。英国統治時代の影響を受けたコロニアル様式の白亜の建築物が目を引く一方で、漢方薬の香り漂うチャイナタウン、山積みの唐辛子やスパイスが店頭を賑わすリトルインディア、モスクからコーランの旋律が響くアラブ・ストリート……と万華鏡のような街並みに心を奪われた。当時は古びた建物ばかりで、それがエキゾチシズムをより強くしていた。香水の匂いが漂う、冷房の効いたショッピングモールが林立するオーチャードロードを歩くよりも遥かに楽しかった。

    フランス、イタリア、スイス、ロシア、中国、インド、タイ、ヴェトナム、韓国、メキシコ、マレー系のニョニャ料理……と、世界各地の料理店の存在も、この国の多様性を物語っていた。ホウカーセンターと呼ばれる屋台街の喧騒、シーズンだったドリアンの強烈な匂いも記憶に鮮やかだ。英国統治時代の名残を映したハイティーがまた、魅力的だった。ランチとディナーの間のティータイムに、ケーキやスナックを楽しむ習慣だ。取材当時、ラッフルズ・ホテルが改装中だったので、やはり英国統治時代の面影残すグッドウッドパーク・ホテルのハイティーを取材した。しかし、この取材は写真撮影だけで、味わうに至らず。

    結果的に、この取材では、深く心に残る味覚に出合えなかった。ただ、忘れ得ぬエピソードをひとつ、残しておきたい。

    とある日本料理店を取材したときのことだ。ランチ営業を終え、傾き始めた陽光が差し込む店内で、従業員がカーペットに掃除機をかける中、黒いスーツに身を包んだ店長に話を聞いた。一通り取材を終えたあと、多分わたしは、「海外でのお仕事はたいへんですね」といったことを、口にしたのだと思う。すると彼は淡々と、話を始めた。彼は赴任当初、ローカル・スタッフが時間にルーズで、仕事が遅いことに不満を持っていた。事あるごとに従業員を叱責していたあるとき、マレー系マネージャーに言われたのだという。

    「あなた方は数年間だけ、この暑い国で働いて、成果を出せればそれでいいでしょう。しかし、僕たちは生涯、永遠の夏の中で過ごすんです。あくせく働いては、いられません」

    「永遠の夏」という言葉に、店長は、我に返った。自分たちの価値観を押し付けていたことを顧みる契機になり、諸々を改善したのだという。「永遠の夏」は、23歳のわたしの心にも深く刻印された。今でもシンガポール取材を象徴する大切な思い出として、心に在る。

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    ✍️以下、話題に出たトピックの情報源など

    ◉日本占領時期のシンガポール/昭南島
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%99%82%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB”>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%99%82%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB”>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%A0%E9%A0%98%E6%99%82%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB

    ◉ラッフルズ・ホテル/「昭南旅館」とされ陸軍将校の宿泊施設となっていた
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB

    ◉ラッフルズ・ホテル RAFFLES HOTEL
    https://www.raffles.jp/singapore/

    ◉グッドウッド・パークホテル GOODWOOD PARK HOTEL
    https://www.goodwoodparkhotel.com/ja

    ◉チャンギ博物館/第二次世界大戦時、日本占領下の様子を知ることができる場所
    ➡︎https://www.visitsingapore.com/ja_jp/see-do-singapore/history/history-museums/changi-museum/
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AE%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8

    ◉旅人の木/トラヴェラーズ・パーム
    ➡︎http://www.museny.com/2004/india1004-57.htm

    ◉マラッカ海峡/太平洋とインド洋を結ぶ海上交通上の要衝
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E6%B5%B7%E5%B3%A1

    ◉からゆきさん/19世紀後半、東・東南アジアで娼婦にさせられた日本人女性
    ➡︎https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%93

    🇯🇵からゆきさんを語っている歴史の動画
    【インド発、世界】パラレルワールドが共在するインドを紐解く③
    明治維新以降、日本とインドの近代交流史〈前編〉

    ●2004年、坂田、初のムンバイで引き寄せられる縁
    ●ジャムシェトジー・タタ/1839~1904
    ・英国統治下「インド人の誇り」を具現化
    ・ホテルの逸話とムンバイ同時多発テロ(2008年11月26日)
    ムケーシュ・アンバーニ邸とヴァーストゥ・シャーストラ
    ●渋沢栄一/1840〜1931
    ●「綿」で結ばれた、インドと日本のビジネス
    ●岡倉天心/1863〜1913
    ●ラビンドラナート・タゴール/1861〜1941
    ・1916年、タゴールが初来日した際の写真
    ・ラビンドラナート・タゴール「果物採集」より

    ◎明治維新以降の、日本とインドの交流史、断片②

    ●からゆきさん 〜人身売買〜(40分ごろから)
    ・島木ヨシ/1886年〜
    ​・ムンバイの日本人墓地 1908年(墓標は1891年〜1935年)

    ●藤井日達/1885〜1985
    ・ムンバイの日本山妙法寺
    ・坂田の父方祖母と、父と、日蓮宗。そしてインド
    ・藤井日達上人と、わが祖母(坂田政子)
    ・坂田とムンバイの日本山妙法寺、そして日本人墓地
    ・ムンバイ郊外、見晴らしのよい「カンヘリ仏教遺跡」偶然、見つけた「南無妙法蓮華経」
    ・ダラムサラにて、ダライ・ラマ法王14世と面会

    🌏前回の部活の記録/ Clubhouse✈︎忘れ得ぬ世界旅🌏001
    1988年の台湾。日本統治時代の名残。昔日の味や光景。

    https://museindia.typepad.jp/2021/2021/04/taiwan.html

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    バンガロールは盛夏を迎え、我が家でも蚊が増え始めています。夏が過ぎてモンスーンの時期が到来し、雨が降り始めると、更に蚊が大量に発生。つまりこの先、数カ月間は、デング熱を発症するリスクも高まります。

    「デング熱」は他人事ではありません。

    我々夫婦は、2015年に罹患しました。その年は、我が家界隈に「デング熱ウイルスを持つ蚊」が大量発生していたようで、ご近所さんも複数名、入院しました。

    日本人とて、例外ではありません。かつて、ミューズ・クリエイションのメンバー始め、わたしが身近に知る限りでも軽く10名以上が罹患しています。

    症状は、個々人によって異なります。飲んではいけない解熱剤を服用するなど、初期の対応を誤ったため、重篤な症状に陥った人もあれば、駐在生活中に2度も感染した人もいます。

    その年、その年で、多い少ないの傾向はあるものの、ほぼ毎年、誰かがどこかで、患っているデング熱。防ぐ方法は「蚊に刺されないようにする」以外にありません。

    とはいえ、蚊から完全に隔離されるのは難しいものです。日頃から体調管理を心がけ、万一、デング・ウイルスを持った蚊に刺されても発症しないだけの基礎的な免疫力を持っておくことが望まれます。

    なお、わたしがデング熱を発症したのは、狂犬病注射を打った直後かつ、更年期障害で体調が悪い時期と重なりました。弱っているときほど、注意が必要だったと思われます。

    【デング熱とは】

    ●ネッタイシマカなどの蚊によって媒介されるデングウイルスの感染症。4つの血清型(1 型、2 型、3 型、4 型)に分類され、たとえば1型にかかった場合1型に対しては終生免疫であるが、他の血清型に対しては感染の可能性がある。

    ●2度目以降の感染時には重症化する確率が高い。比較的軽症のデング熱と、血小板の輸血を必要とする重症型の「デング出血熱」とがある。

    【デング熱の症状】

    ●感染から3〜7日後、突然の発熱で始まる。頭痛や眼窩痛、筋肉痛、関節痛を伴うことが多く、食欲不振、腹痛、便秘を伴うこともある。

    ●喉の痛みや咳など、風邪やインフルエンザに見られるような症状は、あらわれない。

    ●最初の発熱から2、3日後、発熱が一時期おさまるものの、再び熱が上がるケースがある。発症から3〜4日後より、身体にかゆみを伴う発疹が現れる。

    ●これらの症状は1週間程度で消失するが、その後、倦怠感が続いたり、髪が抜けたりなどの後遺症が続くこともある。

    【デング熱のまぎらわしくて困る点】

    ●熱が出たからと、すぐ病院に行っても、診断できない。発熱から3、4日たたなければ、デング熱であるとの診断が下せない。

    ●自宅で水分補給をしつつ、様子を見るしかない。ただし、迂闊に市販の解熱剤を飲んではいけない。症状を悪化させるものがあるので、注意が必要(下記を参考に)。

    【坂田がデング熱に罹った際に気づいたポイント】

    *発熱した当初は、まさかデング熱だとは思わなかったが、薬を飲まなかったこと、ココナツウォーターやエレクトラルなど、大量の水分を摂取していたことが、軽症の理由のひとつかもしれない。

    *デング熱は、風邪やインフルエンザとは異なり、咳や喉の痛み、下痢などの症状がない。つまり、高熱が数日続いているにもかかわらず、喉の痛みや咳、鼻水などがない場合、デング熱の可能性あり。

    *アスピリンや日本のロキソニンに含まれる解熱剤の成分は、デング熱の症状を悪化させるので要注意。

    *高熱が出た際は、最初の対応が重要。すぐに解熱剤を飲むのではなく、まずは大量の水分(ココナツウォーターやエレクトラル、新鮮な果汁など)を摂取して安静に。熱が2、3日以上続く場合は、病院へ。食欲がなくても、滋養のあるチキンスープ、バナナやリンゴなどの果実、ヨーグルトなどを食べて体力が落ちるのを防ぐ。

    *デング熱は数日発熱が続いたあと、一旦、平熱に戻る時間帯がある。治ったと油断させておいて再び発熱するのが紛らわしい。

    *デング熱を発症すると、血小板の数値が下がる。血小板数値は平常が13万から35万程度。10万以下になると血が止まりにくくなる。5万を切ると自然に鼻血が出たり皮下出血が始まって紫色の斑点が出たりする。3万以下では腸内出血や血尿、2万以下になると生命も危険になることから、輸血が施される場合もあるという。坂田は5.5万程度でとどまった。

    *血小板の数値を上げるらしいとドクターに教わったものは、キウイ、ザクロ、パパイヤの葉のジュース。最近ではパパイヤの葉のサプリメントも販売されている。上の写真は、我が家のパパイヤ。

    ◎インド生活10年目。デング熱発症と入院の記録【軽症編】 (←CLICK!)

    2005年5月、坂田がデング熱で入院した際の記録。デング熱とは関係のない記録も盛り込まれており冗長ではあるが、具体的な疾患の経緯を記録しているので、参考になる点は多いかと思う。ぜひご一読を。

    ◎デング熱から身を守れ! 蚊よけスプレー&クリーム (←CLICK!)

    各ブランドから、蚊よけスプレーが販売されている。上記の記事を参考に。なお、2021年現在、蚊対策の製品は増えており、ハーバル系のものも含め、選択肢は多い。
    https://www.amazon.in/s?k=MOSQUITO+HERBAL&ref=nb_sb_noss_2

    【蚊対策に便利なグッズ】

    *立体的な蚊帳(我が家でも愛用)
    https://www.amazon.in/s?k=MOSQUITE+NET&ref=nb_sb_noss_2

    *蚊殺生用ラケット(各種あり)
    https://www.amazon.in/s?k=mosquito+racket&crid=1AYD8BAU7HU25&sprefix=MOSQUITE+RA%2Caps%2C283&ref=nb_sb_ss_sc_1_11

    【蚊に刺されないようにするために】

    インドの伝統服というのは、蚊を避けるに、理にかなっていると思われます。長袖のクルタ(トップ)、足首のしまったズボン(チュリダー/パジャマ)など。蚊は足元を攻めてきます。黒い衣類に近寄ってくるので、蚊の多い場所では避けた方がいいでしょう。スパッツの上から刺してきます。忌々しいです。外出時は、抗菌剤、マスク、そして蚊除けスプレーを必携で。

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    🌾2年前まで、我が家の「日本米」は、年に一度のニューヨークで調達するカリフォルニア産コシヒカリの「田牧米ゴールド」と、一時帰国時の日本でランダムに購入するお米によって、賄われていた。

    しかし、空を飛べない昨今。あらゆる海外調達の在庫が尽きたあとは、すべてをインド国内で調達している。日本米の調達先は、北インドのウッタル・プラデーシュ州にある「アラハバード有機農業組合」だ。昨年より、ここで生産されている合鴨製法のあきたこまちなどが、我が家における「日本食」の主食。滋味にあふれるおいしさで、満足している。

    【アラハバード有機農業組合】
    http://ashaasia.org/aoacindia.org/aoac/

    お米は従来、ル・クルーゼの鍋で炊いていたが、先日、DASTKARの手工芸品バザールで、新しく円柱状の「炊飯用」の石鍋を購入して以来、その炊け具合のよさに感動し、毎回、利用している。北東インドはマニプール産の石鍋は、インド移住当初から愛用していたが、炊飯専用鍋を購入するのは初めてだった。

    さて、アラハバード有機農業組合からは、月に一度、注文票がメールで送られてくる。オンラインで購入できないのは不便だと思う一方、時節に応じた情報を届けてもらえるのは、今となっては、懐かしい感じでもあり、つい最後まで読み入ってしまう。

    特に、「編集後記」は、担当の方の心がこもっていて、これまでも何度か、感銘を受けつつ読んだ。

    今回は特に強く、わが琴線に触れた。

    ロックダウンから一年経った現在。思い通りにことが運べないなか、日常生活を営む上で不可欠なものは、美味しい「食べ物」と「言葉」だと思うとされたあと、「言葉」についてを記されている。

    ご自身にとって、力となっている「言葉」として、詩画家の星野富弘の「渡良瀬川」にある描写が引用されていた。

    子どものころ、渡瀬川の岸辺で遊んでいた星野氏は、うっかり川の中央まで流されてしまった。元いた岸に戻ろうとするも、流れは激しく、あがけばあがくほど、水を飲み、溺れかけた。……と、ある瞬間、「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」と気づき、方向転換をし、下流に向かって泳いだ。ほどなくして、足をおろすと、川底は股ほどの浅さだったというお話だ。

    「流されている私に、今できるいちばんよいことをすればいいんだ」という言葉は、この通信メールを通しても、わたしの心を揺さぶった。

    揺さぶったと同時に、実は数カ月前から書こうと思ってそのままになっていたエピソードを、改めて思い返させられた。

    🐦わたしは、Twitterのアカウントを開設してはいたものの、10年ほど、あまり使っていなかった。発信源が増えすぎたというのもあるが、Twitterの中の「暴言」や「毒」が目に飛び込んでしまい、情報の取捨選択が難しくなったからだ。

    しかし去年、イヴェント告知に伴い、ミューズ・クリエイションのアカウントを新規で設置したことで、ここ数カ月、個人のアカウントも見直し、使い始めている。今では、フォロー先を見極められるようになり、ストレスはないが、最初の数週間は、うっかり「見るんじゃなかった」的なつぶやきを目にすることが続いた。

    気軽に言葉を発信できるがゆえの危険性は、わたしが敢えて言うまでもない。酩酊しての独り言であれ、寝ぼけたときの暴言であれ、一瞬にして活字となり、世界中を駆け巡る。暴言や誹謗中傷の応酬が、閉塞感に満ちた世界に蔓延して、誰かの心を深く突き刺す。昨年は、それが理由で自害した人も多かったように思う。

    そんなニュースを目にするにつけ、思い出すのは、高校時代、大学受験用に購入した参考書だった。

    📕わたしは、もちろん、すべての教科書の類を保存しているわけではないが、大切な本は、ずっと一緒だ。この参考書にあるいくつかの作品(の抜粋)は、教科書にある作品と重複するものも含め、今でもわたしの心に残っている。

    『セメント樽の中の手紙』(葉山嘉樹)、『野火』(大岡昇平)、『羅生門』(芥川龍之介)、『舞姫』(森鴎外)、『山月記』(中島敦)、『走れメロス』(太宰治)、『ぼろぼろな駝鳥』『レモン哀歌』(高村光太郎)、『永訣の朝』(宮沢賢治)、『はじめてのものに』(立原道造)、『言葉なき歌』(中原中也)……。

    今、パラパラとページをめくりながら、3つ4つ、例に挙げようとしたら、次々に、当時の心に染みた文章が飛び込んでくる。

    中でも最も深く心に残っているのは、標題の大岡信による『言葉の力』だ。

    わたしは、寡黙である一方で、饒舌だ。饒舌な時、とても口が悪くなる時がある。やれやれ、高校時代にこれを読んで反省したはずなのに、未だに言葉が悪いのだ。本当に心に刻まれているのかと、自分に突っ込みたくなるが、ともあれ、この文章に、心底、感銘を受けたのだ。

    無論、言葉のたとえ……というよりは、「桜色の出どころ」の事実に驚愕した、といったほうが正しいかもしれない。

    鉛筆の線は、高校時代のわたしが、雑に引いたもの。わたしが「得も言われぬ」という表現を好んで使うようになったのは、この文章に起因している。関心のある方は、短い文章につき、お読みいただければと思う。

    天に唾すれば我が身に返る。

    自分の吐く言葉は、自分が吐かれて心地よいか。改めて問いながら、生きたい。

    🌸 🌸 🌸

    『言葉の力』大岡信

    人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとは限らない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものだはなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。

    京都の嵯峨に住む染織家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、はなやかで、しかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。

    「この色は何から取り出したんですか」

    「桜からです」

    と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。

    実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続いてこう教えてくれた。この桜色は一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。

    私はその話を聞いて、体が一瞬ゆらぐような不思議な感じにおそわれた。春先、間もなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裡にゆらめいたからである。花びらのピンクは幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいていて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの先端だけ姿を出したものにすぎなかった。

    考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことのない活動の精髄が、春という時節に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかしわれわれの限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身の色として見せてくれると、はっと驚く。

    このように見てくれば、これは言葉の世界での出来事と同じことではないかという気がする。言葉の一語一語は桜の花びら一枚一枚だといっていい。一見したところぜんぜん別の色をしているが、しかし、本当は全身でその花びらの色を生み出している大きな幹、それを、その一語一語の花びらが背後に背負っているのである。そういうことを念頭におきながら、言葉というものを考える必要があるのではなかろうか。そういう態度をもって言葉の中で生きていこうとするとき、一語一語のささやかな言葉の、ささやかさそのものの大きな意味が実感されてくるのではなかろうか。美しい言葉、正しい言葉というものも、そのときはじめて私たちの身近なものになるだろう。

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    ✏️Instagram投稿の文字量は最大2000文字。削って調整しています。

    書きたいことが多すぎるインドライフ。放っておくと、あっという間に3000文字ぐらいになってしまう。ライターという職業柄、冗長な文章は避け的確に。と思うが難しい。なにかにつけて「注釈」が必要なインドのせいだ。ということにする。

    さて、バンガロールは、今日から10日間、午後10時から午前5時まで、夜間外出禁止。ワクチン接種が加速する一方で、感染者数も急増しており、まだまだ先行き不透明だ。そんな中、ぎりぎりのタイミングで、昨夜は友らとミーティング&ディナーを楽しんだ。

    毎月恒例のYPOフォーラム・ミーティング@OAKWOOD, UB CITY。8人中6名はバンガロール在住だが、残る二人はマイソールとコインバトールから駆けつける。みなそれぞれ公私に亘り、多忙な日々を送る中、月に一度、集うのがルール。

    わたしがこのフォーラムに参加して、4月1日で丸4年。彼女たちとの付き合いが5年目に入ろうとしている今も、新鮮な気持ちで刺激を与え合い、啓発し合える関係を続けられていることは、切にありがたい。YPOのフォーラムのメソッドが優れているということもあるだろうが、わたしたちの「ケミストリー」が、ポジティヴに作用しているのだと思う。

    いつもは午前の開始でランチ休憩を挟むのだが、昨日は「ディナーを一緒に」ということだったので、午後からのミーティング。みな、すでにランチを済ませているはずなのに、コーヒーブレイクに出てくるのは、巻き寿司やらフムスやら、前菜各種やら……。さらには、4月が誕生日の2人の友のためのチョコレートムースケーキ、それにインド菓子……と、ミーティングの合間のおやつの話題だけでも、1000文字は軽くかける勢いだが、控えめに。

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    ☝︎各地で、若者らによるファッションブランドが誕生しているインド。10年ほど前はファスト・ファッションが急激に市場を席巻したが、5、6年前からはファッション業界も「不易流行」のトレンドが顕著。

    綿や絹、麻や竹、樹木などの天然繊維を用い、伝統工芸の意匠を取り込みつつ、モダンなデザインに進化させたブランドが次々に誕生している。2015年ムンバイに誕生したCORD STUDIOもその一つ。サイトを一目見て引き込まれた。オンラインでの購入はチャレンジング。サイズが合わずに一度交換してもらったが、とても気に入り早速着用。

    と、友人のアンジュムもまた、同じようなデザインのドレスを着ている。これは、NOTEBOOK.というブランド。デリー在住の若き女性によって2018年に創業されたブランド。スポーティでミニマリストながらも、独特のシェイプがすてき。綿を中心とした素材を使用しているのも魅力だ。「インドはステキなものであふれている」=「インステ」のネタは尽きず、動画をどんどん撮りたいと思いつつ、このごろは瞬く間に時間がすぎる。
    https://www.cordstudio.in/
    https://thenotebookstudio.com/

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    ☝︎ミーティングの途中で出された舟盛り! の巻き寿司と、フムス。このほかにもまだ数種類あった。おやつの領域を超えている。みんなね、よく食べるのよ。

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    ☝︎ホーム・ベーキングのビジネスも加速するインド都市部。友人らの友によるチョコレート・ムースケーキ(奥)がまた、美味。しかし昨日感動したのは、手前のお菓子。ここ数年、インドの「ミタイ(Mithai)」と呼ばれる伝統菓子世界にも、新風が吹き荒れている。ミルクや砂糖、ドライフルーツなどがふんだんに使われた甘いお菓子。日本における和菓子のような存在感だ。このミタイが、見た目もおしゃれに、ギフト菓子として変化しているのである。見た目がかわいいだけでなく、味もいい! しかも甘さ控えめで、うっかり二つも食べてしまった。飾りの部分も、マカダミアナッツやカシューナッツ、アーモンドやピスタチオなどが使われていて、香ばしさもある。

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    ☝︎バンガロール市街、かつてUnited Breweriesのキングフィッシャービールの工場があった場所に、2008年に誕生したUBシティ。隣接するキングフィッシャータワーには友人たちも暮らしている。たいへん豪奢な住宅ビルディングである。

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    ☝︎夕食は、わたしがバンガロールに移住した当初からあるOLIVE BEACH。老舗の「安心感」に加え、最近は料理の味も洗練されて居心地がいい。久しぶりにマティーニを注文。昨日は迷わず「ジンベース」で。わたしにとって、マティーニといえば、30代のニューヨーク。一口飲めば、もう2年以上も訪れていないマンハッタンが、全身を駆け巡る。吠えたくなる。ところでわたしはあとにも先にも、インドで食あたりになったのは一度だけ。移住当初、この店のサンデーブランチで「怪しげな生牡蠣」を食べたときだ。どこが安心感だ。生牡蠣はまあ、どんな店のものでも、当たるときは当たるので、仕方ない。

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    平たい顔族の中でも、際立って顔がでかいのに。彫りが深い上に小顔で美形なインド友らと一緒だと、いっそう際立つ。自意識過剰はわかっているが、グラスでカモフラージュする技を使ってみた。ほぼ、効果はない。

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    君たちにとっては、不都合のない毎日。きっと違いはわからないだろうけれど。

    ヒトの世界は、混沌だよ。まいにちまいにち世界中、いやなニュースばかりなの。

    自業自得。身から出た錆。すべては、ヒトのしわざです。

    ヒト以外のいきものは、たぶん、誰も悪くない。

    ずっと太古の昔から、神に与えられた生き方で、今も生き続けている。

    なのにヒトときたら、まいにちまいにち絶えまなく、

    破壊して、とっちらかして、幾星霜。

    あげくのはてには、誰かを責めたり、叩いたり。

    100年先、どころか、10年先、のことさえも、見据えられない。

    地球はぼろぼろで、傷みきっていて、追い討ちをかけるように、毒を流し続ける。

    未来そのもの、の、子どもたちに、なにを残そうとしている?

    うちの子ども、よその子ども、そんなことは関係ない。

    子どもはあまねく、地球の未来だ。

    大人は指南する責任がある。道徳や倫理を、説く責任がある。

    自分が死んだあとのことは、知ったこっちゃない?

    きっとそういうことだろう。

    いったいどうすれば、いいんだろう。

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    昨年、ロックダウンに入ってからの1年間、放置したままだった『マルハン家の食卓』。我が家の食生活情報だけをまとめてきたブログに、この1年間、ソーシャル・メディアに記載した情報を転記して、昨日から再稼働することにした。

    自分の食生活に関する記録を読み返しながら、このコロナ禍の異様な歳月を振り返り、見つめ直している。同時にインドでの食生活の向上を再確認している。

    食を通して、この国の文化、ライフスタイルをの断片をうかがい知ることができる記録の数々。右側の「カテゴリー」の部分をご覧になれば、知りたい情報を得やすいかと思う。なお、ブログでも言及しているが、栄枯盛衰激しい土地柄につき、情報はたちまち古くなる可能性があることを、ご理解いただければと思う。

    ◉マルハン家の食卓
    〜インドで作る日常食&ときどき外食の記録〜 日々の食卓、おやつ、外食、食材の購入先など。

    https://museindia.typepad.jp/eat/

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    昨年、ロックダウンに入ってからというもの、深夜、ハードリカーを飲みながら日記を書いたり、映画を見たりするひとときが増えた。

    ウイスキー、ラム酒、ジンなど、これまで飲まないまま、バーカウンターに眠っていた酒類が、少しずつ消費されていった。

    ちなみに夫は、ロックダウン中、瞑想やらエクササイズやらに本気を出して、ほとんどアルコールを飲まなくなった。痩せた。

    一方の妻といったら。家にある9割方のアルコールを消費、運動不足で増量だ。

    毎日、最低8000歩、目標1万歩を心がけてはいるのだが、身体は重め。少し膝が痛んでもいた。

    アーユルヴェーダのドクターからも、「少し体重が増えただけでも膝に負担がかかる」と言われて、しょんぼりしている。

    ちなみに、日々、温めた生薬配合オイルで「温湿布」をし、回復傾向ではある。

    そんな矢先に知った、「ジンに浸したゴールデン・レーズンは関節炎に効く」という事実。については先日も記したので割愛する。

    ジン作りに不可欠なジュニパー・ベリーを使って、今日、残っていたウォッカを用いてのジン作り実験をした。

    オレンジだのアプリコットだの、すでに風味がついているウォッカが残っている。それらに、極めて適当に、家にあるスパイスをあれこれ入れてみる。

    シナモン、クローヴ、キュミン、サフラン、粒胡椒……。丸一日もすれば、できあがりだというお手軽さ。半日経過の現在、どれもそれなりに、いい味出してる。

    すでにインド産のクラフト・ジンがあれこれ販売されていることを知ったがゆえ、敢えて自分で作る必要もない気がしないでもないが、既製のジンに好みのスパイスを入れて飲むという手もありそうだ。

    健康によさげなアルコール。ということで、罪悪感なく、夜更けに飲むことができる。すばらしい。

    「絶妙な味わい」のクラフト・ジンができた暁には、改めて報告したい。

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    過去2カ月間、個人的に迷走しながらも続いている部活 (Clubhouse)。自分のクラブ「MUSE INDIA*インド発、世界」を立ち上げてはみたものの、いったい何からどう発信すればいいのか、そもそも記録に残せぬことを敢えて発信する意味はあるのか、迷走中である。

    今のところ、関心のあるテーマを語っている他所様の部屋にお邪魔する機会が多いのだが、昨日は思うところあり、「社会人一年生の取材の記憶」を紐解くことにした。またしても、衝動的に。開始2時間前に告知。なにしろ音声のみの発信。服を着替えたり化粧をしたりする必要もなく、思い立ったら気軽にはじめられるところが利点ではある。

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    初の海外取材は筆舌に尽くし難くタフだった。昨日も言及し損ねた体調不良があった。諸々、泣いた。しかし、この取材で学んだことは、実に多い。わたしが海外を旅するうえで、対象国の歴史や文化を知っておくに越したことがないと痛感したエピソードなども交えつつの90分。

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    ☝︎わたし(笑)IMG_4126
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    わたしは昭和最後の年、1988年に上京し、海外旅行ガイドブックの制作会社に就職した。初の海外取材先は台湾。以来、数々の土地を巡ってきた。旅の記録は印刷物やノートに残され、今も手元に残る。ページを開けば忽ち、記憶が鮮明すぎるほど鮮明に蘇る。自由に空を飛べぬ今、旅情を募らせつつ、昨日は、1988年11月、3週間の台湾取材の思い出を紐解いた。

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    ロックダウン直後の昨年4月、個人のYoutubeチャンネルを立ち上げた当初、『世界を旅し海外に暮らし働く』という坂田の半生を語るシリーズをアップロードした。台湾取材の経緯についても、結構、具体的に語っている。

    当該の動画は、現在、メインとして利用している【STUDIO MUSE スタジオ・ミューズ】のチャンネルに転載したので、関心のある方は、以下をご覧いただければと思う。ちなみにこのシリーズ、「35歳で結婚@デリー」直前で終わっている。

    思えば今年は結婚20周年。早いところ、残り20年分も、一旦、まとめたいところだ。

    どんな人間の人生にも、それなりのドラマがあり示唆がある。途上の我が半生にも、参考になる点もあろうかと、この動画では、過去、母校での講演や、若者向けセミナーで語ってきた内容を整理している。現在①〜③までアップロード済み。

    【インド発、世界】 🇮🇳🇯🇵世界を旅し、海外に暮らし働く② 
    ◉東京での旅行誌編集者&ライター時代
    バブル期の極貧生活、旅の日々、歴史を学ぶ重要性、フリーランス独立の経緯

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    【わずか3回で挫折した『異郷の食を巡る記憶〜Since 1985〜』ブログより転載】

    《002》生まれて初めて食べた小籠包@鼎泰豊 Taipei, Taiwan (November 1988)

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    大学2年の夏、米国西海岸で経験した1カ月のホームステイ留学を契機に、地元福岡で国語の高校教師になるという進路を見直した。就職情報が乏しい時代。資料を集めて読み漁り、検討した結果、東京の出版社を目指すことにした。就職活動が解禁になった大学4年の夏。東京のウイークリーマンションに1カ月間、部屋を借りた。

    インターネットのない時代。願書などは「郵便」でのやりとりだったゆえ、受験できる会社も10社が限界だった。東京に住んでいたボーイフレンドの助けを借りつつ東奔西走したが、結果は全滅。しかし世はバブル経済にわいている。一旦、東京に出てアルバイトをしながら、就職先を探そうと決めた。

    1988年3月。大学の卒業式の謝恩会で、お世話になった大学教授にその旨を話したら、大いに呆れられた。見かねた教授は、東京に住む大学時代の友人のつてで、旅行ガイドブックを作る編集プロダクションを紹介してくれ、面接にまで同行してくれたのだった。教授の計らいで職を得られたことは切にありがたかったが、労働条件は過酷だった。

    手取り11万円の薄給ゆえ、住まいは千葉県柏市の礼金敷金なしの安アパート。通勤には片道1時間半〜2時間かかる。華やかなバブル景気とは裏腹な、極貧生活が始まった。コンピュータはおろか、ワープロさえないオフィスには、常に紫煙が漂っている。書籍や資料で埋め尽くされた社員らのデスク。灰皿やゴミ箱、流しやトイレを掃除するのも新入社員の仕事だった。

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    その編集プロダクションでは、大手旅行会社が発行する国内外の各種旅行ガイドブックや情報誌の制作を行っていた。ページネーション作りにはじまり、外部ライターへの原稿の発注、文字校正、写真選び、デザイン発注、写植入稿、印刷所への版下入稿など、コンピュータによるDTP(デスクトップパブリッシング)が主流となった現在では想像を絶するような「アナログ」な編集工程を、先輩の作業を見ながら学んだ。労働環境は、今でいう「ブラック」の極みだ。

    入社間もないころから、関東近辺の取材を命じられた。初取材とて一人。見かねた外部のカメラマンに取材の流儀を教わることもあった。一事が万事、極めて雑なOJT(On-the-Job Training)だった。

    とある温泉地へ取材へ赴く前、先輩編集者から「モデル」もやるよう命じられた。もちろん嫌だった。ボーイフレンドも反対した。しかし、逆らうという選択肢はなかった。今のわたしなら当然断る。尤も、今のわたしに誰も脱げとは言うまいが。モデルでもないのに、半裸でカメラマンの前に現れねばならぬという苦行。

    しかし、その一部始終に一番驚いていたのは、ほかでもない取材先の温泉宿の女将だった。それまで宿について質問をしては、メモを取っていた、色気もくそもない編集者が、突然服を脱ぎ、眼鏡を外し、手ぬぐい一枚で現れるのだから。

    だから挙げ句の果てに、仕上がった写真を見た先輩編集者から、「坂ちゃん、二の腕が太い! この写真、使えない!」と言われた時には拳が震えた。時代が時代なら、#MeTooものである。

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    一つ言えることは、わずか半年足らずで「旅行誌編集者」としての基本を徹底的に叩き込まれたということだ。そして入社して半年後、初めての海外取材を命じられた。行き先は、台湾だ。この台湾取材が、その後のわたしの「旅する人生」に大いなる影響を与えることになる。

    「異国を旅するに際しては、歴史を学ぶべし」ということだ。

    ●1895年、日清戦争に勝利した日本は台湾統治を開始。以降、1945年に日本が敗戦するまでの50年間に亘り、台湾は日本だった。この間、台湾で生まれた人は、日本名を受け、日本語を話す、日本人だった。

    ●1949年、中国における「国共内戦」の結果、毛沢東率いる共産党が「中華人民共和国」を建国。一方、蒋介石総統率いる国民党政府であるところの「中華民国」は、その拠点を喪失したことから、臨時首都を台北に移転。戒厳体制が発布される。台湾では「犬(日本)が去って猿(中国)が来た」と形容される。

    ●1987年、米国からの圧力、及びソ連ゴルバチョフ政権の「ペレストロイカ」による緊張緩和政策の影響などにより、38年に亘る戒厳令が解かれる。

    ●1988年1月、蒋介石の息子、蒋経国総統が死去。李登輝が総統に。

    このような歴史的変化が起こった直後の1988年11月、海外からの旅行者を受け入れるべき台湾が門戸を開いたこともあり、ガイドブックの取材対象国となった次第である。歴史的背景を学ぶこともないまま、自分と同じ23歳の先輩編集者二人と、外部のカメラマン二人とで、台北へと飛び、2班に分かれての取材となった。240ページのガイドブックを制作すべく、台北、高雄、台中、台南、花蓮、墾丁などを3週間かけて巡る強行スケジュールだ。

    なにしろ、「手書き」の時代である。バックパックに山ほどの資料を詰め込んで、連日、レストラン、店舗、観光地、ホテルなどを何十件も取材する。通訳は、日本統治時代に生まれ育ったおじいさんゆえ、彼には随所で休憩してもらい、どうしても通訳な必要なところだけ、同行してもらった。

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    取材中は毎晩、資料整理に追われ、数時間しか眠ることができず、慢性的な疲労に襲われていたものの、初めて食する台湾の料理のおいしさには、目がさめる思いだった。蒋介石が臨時政府を樹立する際、中国本土各地の名シェフを連れてきたというだけあり、台湾では、北京、広東、四川、上海、湖南……と、中国各地の料理が揃っていた。

    また、茶藝館では、得も言われぬ芳しい香りを放つ黄金色した凍頂烏龍茶のおいしさに衝撃を受けた。日本で飲んでいたあの茶色い飲み物はいったいなんだったのか、と思わせられる、別世界の味覚だった。

    東京では、極貧生活ゆえ、ろくなものを食べていなかったわたしにとって、それらの料理は、たとえ写真撮影を終えたあとの冷めたものであっても、おいしすぎた。疲労でお腹の調子が悪かったにもかかわらず、毎日毎日、よく食べた。満腹のあと、しかし胃腸を整えてくれる「高雄牛乳大王」の濃厚なパパイヤミルクを何杯飲んだことだろう。

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    数ある食の記憶の中でも、突出している店がある。そのひとつが、鼎泰豊だ。繁華街沿いの、古びた3階建てのその食堂は、しかし早朝の開店時からお客でいっぱいだった。店頭では、何人もの従業員が、小さな小さな小籠包をせっせと包んでいる。

    「小籠包(しょうろんぽう)」という言葉さえ、日本にはまだ届いていなかった時代。テーブルには、シンプルな豚挽肉の小籠包をはじめ、蟹味噌入り、青菜入り、あんこ入りと、次々に蒸籠が供される。蓋を開ければ、立ち上る湯気と芳香! このときほど、写真撮影の時間が長く感じたことはない。

    やや冷めてしまったものの、その肉汁たっぷり、風味濃厚な小籠包のおいしさたるや、筆舌に尽くし難く、疲労困憊の五臓六腑に染み渡る滋味であった。その後、同店は世界的に有名になり、わたしもシンガポールや香港の店に立ち寄った。もちろん、おいしい。おいしいが、あの台北の本店で食べた時の衝撃は、唯一無二だ。

    社会人として初の海外取材先となった台湾では、各地で日本統治時代の残像を目にし、未知なる世界の入り口を目の当たりにした。この取材は、わたしにとっての「世界を見る目」を開く、契機となったのだった。

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    *取材時、カメラマンが撮ったポジティヴ・フィルムに残された23歳のわたし。疲労困憊でやつれている割に、ばっちりとメイクをしているところが涙ぐましい。時代を映す真紅の口紅。エスニック雑貨店で買ったストールは、今見るに、インドもの。(2019/01/13)

    【その他、話題に出た情報の関連サイトなど】

    *1988年の取材当時、台湾の原住民は「九族」とされていた。当時、政府によって分けられていた九部族の生活を知ることができる「九族文化村」(1986年創業)が、南投県にあった。同施設は今でも存在しているようだ。なお、台湾政府が現在、認定している原住民族は、計16族だとのこと。
    ●台湾原住民 https://ja.wikipedia.org/wiki/台湾原住民
    ●順益台湾原住民博物館 http://www.museum.org.tw/symm_jp/08.htm

    *高雄牛乳大王 https://tabelog.com/taiwan/A5402/A540201/54000043/
    *思い出の湖南料理店 https://www.pengyuan.com.tw/branch/linsen

    【以下、1993年、母と妹と共に台北を再訪したときの写真より】

    取材から5年後の1993年の再訪時に撮影した写真(ポジティヴ・フィルム)を発掘し、28年ぶりに光を当てた。ポジの画像を取り込む機材がないので、ぼやけた写真ではあるが、むしろ歳月の流れが感じられるかと思う。

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    ☝︎故宮博物院の入り口にて。青天白日満地紅旗。中華民国の国旗。

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    ☝︎当時はまだ日本統治時代の建築物が随所に残っていた西門町。その中心部にあった西門市場は、我が子ども時代(昭和40年代前半)、近所にあった市場を思わせる「懐かしさ」が漂っていた。

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    ☝︎屋台で売られていた大振りの大学芋。本当においしかった。
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    ☝︎母と妹。

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    ☝︎マンハッタンを思わせる(!)イエローキャブが道路を埋め尽くしていた。

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    2度目の旅は、折しも台湾光復節。当時、台湾の独立を叫ぶ運動が展開されていた。ちなみに10月25日の台湾光復節は、中華民国の記念日。台湾における日本の統治が1945年10月25日に終焉を迎えた日。
    ◉台湾光復節 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%85%89%E5%BE%A9%E7%AF%80
    ◉台湾共和国 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

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    ☝︎国立故宮博物院の歴史には、日本も大きく関わっている。日本軍による戦火を逃れ、毛沢東による文化大革命における文化財の組織的破壊から逃れた、すべての所蔵品が、数奇な歴史を背負っている。

    ああ、今一度、見に行きたい!!

    ……わずか90分では到底語り得ない、台湾旅の思い出。ガイドブックのページをめくれば、当時の記憶が次々に蘇り、旅情エンドレス。インドですら、未踏の地だらけなのに、さらに旅情を刺激するようなことをして、わたしはいったい、どうするつもりなのだろう。

    * * *

    🙏李登輝「台湾に生まれた悲哀」で貫いた奉仕人生/どんなに大変でも台湾の為に次の世代の為に
    2020年7月に他界された李登輝元首相に関する記事。
    https://toyokeizai.net/articles/-/366393?fbclid=IwAR3stq1UdWDayYuRcoVuhcWvCcQZTIo0cusOBMqt6ehIxeOOc1FWCcMhUgY

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    先日購入した「ゴールデン・ミルク・マサラ」を試してみた。マサラチャイをおいしく仕上げるコツは、スパイスのバランスもさることながら、「牛乳のクオリティ」による。以前は近所の商店で購入していたが、昨年からは、オンライン・スーパーマーケットのBigBasket.comが、毎朝、決まった商品を宅配してくれるBBDailyというアプリによるサーヴィスを利用している。

    前日の夜10時までに予約すれば、翌朝届けられる。取り扱う牛乳の種類も豊富で、オーガニック、A2タイプ(お腹がゴロゴロしない)、スキムミルク、バターミルクなどさまざま。

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    最近でこそ、ボトル入りで殺菌済みの牛乳も普及しはじめているが、インドの牛乳の主流は「ビニル袋入り」で、自宅で煮沸が必要。煮沸するのは面倒だが、個人的には、こちらの方が断然おいしいと思う。チャイやミルクコーヒーはもちろん、プリンやムースを作ったり、シチューを作るにも、濃厚な牛乳はいい味を出してくれる。

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    写真の鍋は、ミルク煮沸用。二層式になっていて、注ぎ口から水を入れ、本体に牛乳を注ぐ。外側の水が沸騰すると、その際にホイッスルが鳴るので、吹きこぼれを防ぐことができるという優れものだ。

    防腐剤が使われていない牛乳なので、購入したらすぐ煮沸し、一両日中に消費するのが理想的。最初はほの甘くておいしい牛乳が、日を重ねるにつれ、風味が落ち、やがて苦味が出て、腐敗……というプロセスをたどる。

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    なお、暑い季節は腐敗が早く、加熱したときに、ヨーグルトのように分離する場合がある。それは明らかに腐敗している証拠なので、処分されたし。なおBBDailyは、カスタマーセンターにメッセージを送ると、即返事がきて払い戻ししてくれる。仕事が異様に早い(写真参照)。

    かつてBigBasketの創業者夫妻とパーティで話をしたが、彼らがカスタマーセンターに重きをおいていることなど聞いていたこともあり、納得のサーヴィスだ。BBDailyは、野菜や果物、パン、スナック菓子のほか、インドらしくプージャ(儀礼)の際に使う線香や花なども販売している。

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    *ヨーグルト(CURD)もビニル袋に入っているものがあるので、牛乳と間違えないよう要注意。写真の赤いパックは、素焼きポット入りともどもヨーグルト。

    ところで、インドの乳業を語る時に欠かせないのは、乳製品大手Amulの存在。印パ分離独立の前年、1946年に、グジャラート州アナンドにて創業された。アナンドは、英国統治時代のムンバイに生乳を供給する一大酪農地だったが、当時の植民地政府は、私的独占企業に集乳権を許可していたことから、酪農家たちは不当に搾取されていた。

    諸々の経緯を経て、当時、グジャラート州の地方政治家だったT. パテールの尽力などもあり、アナンドの酪農家たちによる酪農協同組合が組織された(白い革命)。

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    個人的にはインド移住当初から、Amulガールが主役のアムールの広告が大好きだ。特にムンバイに住んでいたころは、週に一度、水曜日に刷新されるアムールのビルボード(看板広告)を見るのが楽しみであった。

    インドだけでなく、世界の時事、トレンドを素早すぎるほど素早くキャッチして、広告にするのである。ダジャレ風コピーもウィットに富んでいて、面白い。尤も、ヒンディー語がわからないわたしには、解説をしてもらう必要がある広告も多々あるのだが、それでもなお、楽しめる。

    この本は、2012年に販売されたもの。アムールの50年に亘る広告史のダイジェスト版である。この本をめくれば、インドのトレンドや時事問題が垣間みられて非常に面白い。仕事でも活用させてもらってきた。現在では、インスタグラムやFacebookなどソーシャルメディアで、アムール・ガールに出会うことができる。

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    写真のドーナッツは、先日記した老舗トムズ・ベーカリーの定番。インドにいながらにして、「昭和の懐かしい味」がするドーナッツ。過去8年間、毎週金曜日に拙宅をオープンしてミューズ・クリエイションのメンバーが集っていたが、お茶の時間は毎週のようにお菓子を作っていた。しかし、多忙な時などは、このドーナッツや、ムンバイはJUHU初のNATURALのアイスクリームを出したものだ。

    このドーナッツ。10年以上前は1つ10ルピーだったのが、今は15ルピー。物価高騰著しいインドにおいて、未だ15ルピーはいかにもお安い。トレンドに流されない、地に足がついた商売だなと思う。夕方になると、学校帰りの制服姿の子どもたちが、おやつを買いに来るのもこの店。ほかにもマフィンやパウンドケーキ、サモサなどスナックやサンドイッチなどもたくさんあって、庶民のニーズに応えている。

    チャイとドーナッツのことを書きたかっただけなのに、付随するあれこれが多すぎて、今日も今日とて記録が長い。後日、この記録は追加情報も併せてブログに転載する。関心のある方は、後日ご覧いただければと思う。
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    北部郊外にある友人のファームハウス(別荘)で、別の友人の誕生日パーティが開かれた。郊外といっても、拙宅から車で20分程度。ミューズ・クリエイションがしばしば訪れている慈善団体、ニューアーク・ミッションのすぐ近くだ。

    この界隈は、かつては閑散と見通しのいい場所だった。20年以上前は土地も廉価で、慈善団体などもこのあたりにいくつも点在していた。しかし、わたしが知る過去15年の間にも、次々にアパートメント・コンプレックスなど大小の建築物が誕生してきた。2008年に市街北部に新国際空港が誕生してからは、道路の拡張工事なども進み、このエリアに限ったことではないが、都市化が加速している。

    とはいえ、大通りを外れると、未だに牧歌的な光景も広がっていて、友人のファームハウスも通りの喧騒とは裏腹の穏やかさだ。

    顔なじみの友人らと、グラスを片手に語り合い、ケータリングのおいしい食事を楽しむひととき。大人数のパーティでは、カジュアルな会話が中心で、じっくりと語り合う時間は少ない。しかし昨日はゲストが少なめだったこともあり、「顔見知り」ではあるものの、あまり話す機会のなかった人たちと、少し深く語り合うことができて、味わい深い時間だった。

    なかでも、写真家であり画家でもある若き女性アーティストの作品を、インスタグラムで見せてもらった瞬間、ハートを射抜かれた。旅に出られぬ日々が続いている昨今。ここ1年は、遠い日々の旅の経験と、それに伴う記録と、現在進行形の旅情とが渾然と心中を渦巻いている。

    彼女の作品の中に、スペインのカダケスの海と、フランドル地方の空が見えた。

    ゆえに、サルバドール・ダリが住んでいたカダケスと海と、ルネ・マグリットの故国ベルギーが、思い起こされた旨を伝えたら、彼女もまた、ダリやマグリットが好きなのだという。ダリの作品から着想を得たという他の作品も見せてもらい、束の間、魂が欧州の空を飛び回る。

    近々、彼女のギャラリーを訪問させてもらうことになった。とても楽しみだ。

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    これまでわたしは、「ジン」に興味がなかったのだが、先日、105歳の女性が新型コロナウイルス感染から回復したとのニュースを目にしてから、俄然、ジンに興味を持ちはじめた。先日も記したが、彼女は健康の秘訣として「日々の祈り」、「ジャンクフードを避ける」そして「ジンに9日間漬けたレーズンを毎朝9粒食べ続ける」というのがあったのだ。

    ジンはそもそも「薬」だったということは知っていたが、それにゴールデン・レーズンをつけると、なにかしらの化学反応が起こるのか、「関節炎」などにいいらしい。2週間ほど前から早速実施しているが、効果のほどはまだわからない。ともあれ、「おいしくて健康によい」いいのだから、続けるつもりだ。

    ジンとは、スパイスやハーブを漬け込んだ蒸留酒で、基本となるのはジュニパーベリー。ジュニパーベリーさえ入っていれば、あとは好きなスパイスを投入していい模様。なんとも、インド向きなハードリカーなのだ。調べたところ、昨今ではインドでも「クラフトジン」が流行っている模様。
    以来、パーティのたびに、バーカウンターでジンのボトルをチェックしては味見をさせてもらうようになった。昨日もまた3本ほど。実は自分で作ってみようとジュニパーベリーを購入したのだが、自分で作らずとも、いろいろな種類のジンがすでに市井に出回っている模様。

    インド産のワイン・テイスティングならぬ、クラフトジン・テイスティングもやってみたいものだ。

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