インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    観衆の代わりに、無数の星条旗が翻っている。波乱の末に誕生した新政権。2000年。ブッシュ対ゴアの選挙時を、さらに上回る混沌だった。20年前は、まだソーシャル・メディアが誕生していない。今思えば「牧歌的」でさえあった。

    アメリカ合衆国の、新たな章のはじまり。大小の諍い少なく、平和的協調が増え、子どもたちが未来に希望が抱けるような世界に導いて欲しいと、切望する。

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    まるで昨日、印刷所から刷り上がりが届いたばかりのような新鮮さで、わたしの目の前にある、『muse new york』2001年春号、ワシントンD.C.特集。

    ちょうど20年前の今ごろ、取材、編集をしたものだ。

    1年間の語学留学予定で1996年4月にニューヨークへ渡った。3カ月後の七夕にアルヴィンドと出会い、その後、現地採用で日系出版社に就職し広告営業をした。

    そのうちにも、ニューヨークで独立して働きたくなった。就労ヴィザを自給自足するために、1997年7月、Muse Publishing, Inc.を起業。その年の終わりに晴れてH1Bヴィザを獲得し、1998年から始動した。

    ビジネスが軌道に乗り始めたのを機に、当時は数少なかったフリーペーパーを発行開始した。1999年。DTP(デスクトップ・パブリッシング)黎明期のことだ。思い切って投資したパソコン環境。Macの、確かPowerPCの4Gか5Gだった。

    日本語環境にするのも大仕事。クオークエクスプレス、フォトショップ、イラストレータをインストール。すべて独学だった。3号目まではまだデジタルカメラを持っておらず、紙焼きをスキャンして入稿していた。

    写真、文、広告営業、デザイン、印刷手配、そして配達……。計10,000部。20箱近くの段ボールをレンタカーのトランクに詰め込み、自分で配達した。マンハッタン及びニュージャージー、コネチカットのスーパーマーケットや日本食料品店、レストランなど。

    あのころの、坂田美穂の情熱の源はなんだったろう。このフリーペーパー。利益はなかったのだ。ないどころか、最初は赤字だった。

    「利益の上がる仕事の合間」に「趣味」で作っていた。後半でこそ、広告費で印刷費が賄えるくらいになっていたけれど。

    それでも、作りたかったのは、損得勘定を超越したところにある、仕事では得られない自己実現の場を、持っていたかったからだ。計20ページの薄い冊子ながらも、表紙から裏表紙、隅から隅まで、丁寧に、編集されている。「雛形」などない。時間はかかるけれど、間違いなく、自分の中の創造力が鍛えられた。

    ともかく、編集作業が、楽しかった。

    30代前半までの、東京、そしてニューヨークでの日々は、わたしにとっては「筋肉養成ギプス」を装着していたようなものだろう。

    だから今、何をやっても達成感浅く、いつまでも模索が続いている。吟味することなく、なんでも簡単に発信できるようになった世界の、利便性をありがたく思う一方で、何かが違う……という思いが拭えない。手書きに戻りたくなる自分の心境には理由がある。

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    アメリカ合衆国あっての、今のわたしの人生だ。

    1985年。大学2年の夏、初めて日本を飛び立ち、ロサンゼルス郊外で1カ月間ホームステイをしていなければ、わたしは福岡で、高校の国語の先生をしていただろう。

    この2001年春号を出版したとき、わたしはニューヨーク、夫はワシントンD.C.に暮らしていた。二都市生活の最中だった。この数カ月後、6月に米国で結婚し、7月、初めてインドの土を踏んで、彼の故郷ニューデリーで結婚式を挙げた。そして、2カ月後の9月、米国同時多発テロ。わたしのD.C.への移住……。

    今思えば短い間に、本当にいろんなことが起こった。あくまでも自分比だが、若いころの1、2年は、本当に、濃くて意義深い。今では考えられないほどの充実と進化を得られる。

    20代、30代の人たちには特に、この先行き不透明な世界でも、前向きにエネルギーを発揮してほしいと、切に思う。

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    子どものころからずっと抱え続けてきた違和感を拭うための、自分なりの解決法を、今日、はじめて「言語化」できた。

    昨日、とある映画を見ている時に、いろいろなことが、腑に落ちた。そして、この言葉が浮かんだ。

    自分が心がけてきたこと、やってきたことの多くを、ひとまとめにできる、わかりやすい「指針」が生まれた。ひとつの方向性。これから少しずつ、整理していこう。

    In the coming era, we should improve not only IQ (Intelligence Quotient) but also WQ (Wisdom Quotient).

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    年が明けても、まだ自由に空を飛べない日々が続く中、自分の中の旅情がピークに達している。昨日は、ここバンガロールの好天を有難がっていたが、しかし「高原の気候のよさ」を満喫するにも限度がある。

    頬を突き刺す冷風に吹かれたい。

    灼熱の太陽に、汗を流したい。

    新年早々、若いころの記録を紐解いた。そこには「無謀」で「リスクの高い」ことばかりをしていた自分の本質が眠っていた。思えばあのころ、「リスク」なんて言葉を使ってもいなかった。前例のないことばかり、していた。

    人に相談など、ほとんどしなかった。たまに相談したら、反対されるばかりだったから。学生時代、父親と、どれほど言い争ってきたことか。なぜあんなに悉く、反対されていたのだろう。いまだによくわからない。

    実は昨日、とある場所へ国内一人旅を決めていた。夫の同意を得たので、フライトやホテルを予約した。しかし、夜になって気が変わったのか、反対してきた。ワクチンを打ってからにしなさいと。「緊急ではない旅」でないのなら、やる必要はない。夫の言うことには一理ある。

    でも、それを言うなら、命に関わること以外の旅は、なにもかも、緊急じゃないのでは? 世間はこんなに、動いているじゃない!

    インドの感染者状況を見るに、わたしは、大丈夫だと思っている。夫が引き留めなければ100%決行していた。しかし、彼の反対を押し切ってまで、出かける理由もない。わたしの感情レベルでは、「緊急」なのだが、それを言っては大人げない。

    今朝、キャンセルの手続きをしながら、果てしなく深いため息が出た。悩みに贅沢もなにもない。人それぞれに、人それぞれの衝動。どんなに家が快適で、夫がいて、猫がいて、おいしいもん食べられて、自由に過ごせても、それは理想ではない。

    非日常の不自由な場所を彷徨い歩き、見たこともないものを見、会ったことのない人と会い、聞いたことのない話を聞き、それを記録することが、この上なく楽しいのだ。……ということを、再認識した朝である。

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    それはさておき、亡父の形見の万年筆で、手漉き紙に記録を書き始めてから、その書き辛さを超えて、ここ数日は、本当に心地がよくなってきた。こうして写真に撮っているページ以外にも、あれこれと書き留めるのに、昨今ではパソコン上で入力していたことを、手書きにするようになって、明らかに思考回路に変化が見られる。

    万年筆のインクの補充にも慣れてきた。

    先日ちらりと言及した、高校時代の「新倫理・社会」の教科書。年明けから書き続けていることの根底は、すべてが共通している。自分の中でそれを整理できていないので、備忘録も兼ねて、こうして要所要所をソーシャル・メディアに公開している。

    教科書の導入にある、このシンプルな「大切な3点」。簡単そうに思えるけれど、自分のライフに反映させるのは簡単ではない。

    ・自ら考えること。
    ・先人に学ぶこと。
    ・多くの人と話し合うこと。

    心に刻もう。

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    南天竺デカン高原南、標高九百メートル超、バンガロール。

    夢のような好天。

    にもかかわらず、脳内ぐるぐる無為に夢想する、落ち着きのない人間。

    小径を歩いて歩いて、往復しながら気持ちを鎮める。

    ヤシの葉越しに陽光降り注ぐ庭に出れば、猫らの愛らしく。

    いっそ猫になって、日がな一日、ゴロゴロとしていようか。

    カゴの中でまどろむ弟JACK。それを覗き込むROCKY兄さん。

    愛らしい情景……と思うやいなや。

    「ぼくに近寄るな」と、すごい剣幕で憤慨するJACK。

    アマゾン箱に退散して、しょんぼりとするROCKY兄さん。

    少年時代は、いつもくっついて仲良く寝ていたというのに。

    猫は猫で、複雑な猫模様。

    生きとし生けるもの、みなそれぞれに事情あり。

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    1990年前後、ペレストロイカの影響で、世界地図が大きく塗り替えられた時代に、日本で20代を過ごし、公私にわたって世界各地を旅することができた身の上が、いかに幸運だったか。

    1974年発行のブリタニカ国際地図。この地図を広げて、旅先を決めた時代があった。

    日曜の夕暮れどき。スパークリングワインを飲みながら、昔日の地球を追う至福。

    砂漠が見たくて、しかしサハラ砂漠は遠くて予算が足りないからと、近場のゴビ砂漠行きを決めた。この地図を見て、「鉄道が走っているから行けるはず」と、点ではなく線の旅を選んだあのころの自分を褒めたい。つくづく、無謀だけど。

    最低限の衣類と、寝袋と、カメラとフィルム、そして筆記具だけを携えて旅した。

    旅をしたのは1992年9月。インドと同様、ソ連と近く、社会主義政策を取っていたモンゴルは、その年の1月、イデオロギーを転換し、民主主義の国「モンゴル国」として生まれ変わったばかりだった。ちなみにインドはその前年1991年に市場を開放している。

    ゴルバチョフが世界に与えた影響の大きさは、計り知れない。

    あの寂寥としたウランバートルの街……。これもまた、前世の記憶のようあり、つい最近のことのようでもあり。

    ……旅がしたい。

    ●モンゴル旅日記(ネットの海に沈んでいます)

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    今年は積極的にデジタル・デトックスすべく、インターネットの接続時間を減らそうと考えている……と言っている先から、「映画は別」とばかり、昨日は昼間からワインを飲みつつ、NETFLIX鑑賞。過去10数年のインド映画は、「歌って踊って」以外の味わい深いものが急増している。また、「インターミッション(途中休憩)」がない1時間半程度の「短いもの」も出てきており、ありがたい。

    昨日は、『Tribhanga(トリバンガ)』と『Is Love Enough? Sir』を見た。どちらも、10年以上前であれば決して描かれなかったであろう「今のインド」が描写されている。インドのジェネレーション別、志向/思考/嗜好の変化が随所で見てとれて、どちらも興味深かった。詳細を語りたいところだが、割愛。近々公開される『ホワイト・タイガー』を見るのが楽しみだ。

    2本も映画を見たので、夕方からは、パソコンを離れ、歴史を概観することにした。10年ほど前から、若者向けセミナーで語っている「提言」の一つに、せめて「明治維新以降の歴史を学ぼう」というものがある(写真4)。

    昨年から折に触れ記しているが、個人的にこのパンデミックは、時代の大きな転換期のように感じている。なぜそう感じるのかを、「視覚的に確認」したく、あくまでも個人的な視点から「大切だ」と感じる史実を書き出してみた。これが楽しい。後半になると、自分が生まれているから、「自分史」さえも織り交ぜて書いていく。

    学生時代はほとんど興味もなく、楽しいと思ったことのない世界史の授業だったが、社会人になり、自分が世界各地を旅し、経験を重ねたことにより、あらゆる事象が興味深く思える。数年前に購入していた山川出版社の書籍を見ながらも、より知りたい項目はネットで検索。便利な世の中だ。

    「経験を重ねる」ということが、どれほど関心を高めさせ、好奇心を刺激してくれるか。学生のときは、苦痛でしかなかった勉強。今、こうして、ノートに手書きで史実を書き連ねつつ、時間を忘れて没頭していることに気づいて驚く。人生は、短いようで、長くもある。復習するに、今からでも遅くはないということを、実感する。

    なお、日印の歴史については、セミナーの資料から写真を転載した(写真6&7)。日本とインドの歴史に少しでも関心のある方は、ぜひセミナーの動画を見て欲しいと改めて思う。わたしは専門家ではないが、編集者として、なるたけわかりやすく、資料を作っている。セミナー内ですべての資料を表示しているので、参考になる点は多いと思う。

    7枚目の写真は、高校の時の教科書だ。ほとんどの教科書は処分してきたのに、国語と社会だけは、ずっと捨てずに今に至るまでとっておいたことには、たぶん何か、意味があるのだろう。

    世界史の教科書は、1982年発行につき、それ以降のことがわからず、あまり実践的ではない。しかし、最後のページを見て、心を射抜かれた(写真8)。歴史を把握した上で、互いに憎み合うのではなく、明るい未来を目指して協調することが、どれほど大切か。印パ関係にしても然り。人類が太刀打ちできないパンデミック下においては、人類同士が戦っている余裕などない。無駄でしかない。

    さらに先日、「新倫理・社会」の教科書を開いて、衝撃を受けた。これがすばらしく、いいのだ。この本を読み込んで、授業をしたいくらいである。この本は間違いなく、「人間としての生き方」を学ぶ上での端緒となる名作だ。子どもたちには、具体的な事例を織り交ぜつつ、わかりやすく伝えたい……ということは、また別の機会に記そう。

    手元にこの教科書をお持ちの方、再読をお勧めします!

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    ①CANDYのカゴでくつろぐROCKY兄さんの愛らしさ 

    ②そこはわたしの場所ですと抗議する妹CANDY 

    ③毛深いもの同士でくつろぐ男子(ARVIND&JACK) 

    ④毎度、人間の目をしたNORA姉さん。夫が在宅勤務になって以降、NORAとの関係が密。そもそもワイルドな野良猫だったNORAは、膝の上に乗ってくることなどなかったのだが……。このごろは自ら、夫の膝へくつろぎにいっている模様。しかし、わたしがドアを開けると、ハッと我に返ったように即座にジャンプして、膝から離れる。「夫の浮気現場に遭遇した妻」みたいな気分にさせられるので、むしろ普通に、くつろいでいてほしい。

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    いくらなんでも、外出しなさすぎた2020年。

    旅が好きだ……という一方で、出不精の側面もあるわたしは、家で過ごすことに、あまり抵抗がない。昨年3月下旬からのロックダウン以降、空に飛べないのであれば、制限の多い中、近所をうろうろしても、さほど楽しくない……と思っていたが、今年に入って、危機感を覚えた。

    頭の回転が悪くなっている。記憶力が低下している。猫らと戯れている場合ではない。刺激を与えねば。

    ……かくなる次第で、昨日は、約10カ月ぶりに、インディラナガールへ出かけた。自宅から5〜6キロのご近所、バンガロール市街東部。30年くらい前までは、閑散とした住宅街だったが、今は「ちょっとした繁華街」だ。

    南北に横たわる目抜き通り、100フィートロードは、無理やり例えるなら、東京の表参道、福岡の天神西通り、といった位置づけか。
    100フィートロードに交差するCMHロードや12th Mainロードにも、ブティックや飲食店が軒を連ねる。過去16年を振り返るだけでも、栄枯盛衰は著しい。10カ月も足を運ばなかったのは初めてのこと。潰れた店が多いだろうと、覚悟はしていた。

    祝日とあって交通量は少なく、速やかに流れる車。車窓からの光景は、さほどの変化なく、人々の往来もある。

    行ったことのない店でランチをとろうと調べていたら、天井が高くて雰囲気の良さそうな東アジア料理の店を見つけた。開放的な空間が好きだという理由だけで決めた。

    そこは、「アムステルダムの運河沿いの家」並みに、間口が狭くて奥行きのある構造だった。ちなみにアムステルダムの間口が狭いのは、輸送に使われる運河に面している家は、その長さに応じて「間口税」が課せられていたため、狭く建築される傾向となった。

    メニューを見て選択肢に悩む。MSG(化学調味料)不使用ということなので、珍しくラーメンを頼んでみた。決して「おいしい!」とは言えなかったが、海鮮スープがいい味だった。が、もう来ることはないだろう。

    その後、Nature’s Basketへ。この店は、2005年、ムンバイ拠点のゴドレージ財閥のCEO夫人が立ち上げた高級スーパーマーケット。輸入食材を扱うスーパーマーケットのパイオニアだ。ムンバイと二都市生活をしていたころ、我々夫婦の住まいは、南ムンバイのカフパレードだった。道路を挟んで目の前にワールドトレードセンターがあり、そのグランドフロアにオープンしたばかりのNature’s Basketがあった。ずいぶんお世話になったものだ。

    ちなみに、Nature’s Basketは、2019年、RPサンジヴ・ゴエンカ・グループの小売事業部門であるスペンサーズ・リテールに買収されている。

    昨日はあちこちの店を回る予定だったのに、この店で、ずいぶん長い時間を過ごした。商品を手にとって吟味することの大切さを、久しぶりに思い出す。

    利便性を追求しすぎると人間はダメになる的なことを、あれほどガンディ先輩から口酸っぱく言われていて、それをさらには、自ら若い世代に伝え続けているにも関わらず。衛生面には気をつけつつも、外に出ねばならぬと痛感する。

    店内をじっくり眺めつつ、お気に入りのスナック菓子(ムンバイの老舗)やバンガロール郊外で製造されている本気ポークソーセージ、先日「歯」の動画で紹介した高品質ケララ産チョコレート、引きこもりライフで不可欠となったバンガロール産シングル・モルトのAMRUT FUSIONなど、あれこれと買い込む。

    そして、お気に入りのカフェ、LAVONNEへ。ここは、バンガロールに古くからある製菓学校に付属するカフェで、フランス風の焼き菓子やパンなどが楽しめるのだ。

    義父の命日に買ったのと同じ白い菊が上品に飾られた、大きなテーブルに席を取る。久しぶりにスイーツを味わい、カフェラテを飲む。傾き始めた日差しの眺めも心地よく、旅をしているような気分になる。すいぶん、長居をした。夫の好物、エクレアとチーズケーキをお土産に買った。

    他に、ブティックなどを巡るつもりが、ランチと買い物、そしてカフェで終了してしまった。遠くへ旅に出られずとも、身近にある魅力的な場所を、これからは彷徨ってみようと思う。

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    🔥今日、インドは冬至の祝祭日。デリーはじめパンジャーブ地方など北インドでは「ローリー」、アンドラ・プラデーシュ州では「マカル・サンクランティ」と呼ばれ、焚き火を焚いて、火の神様に収穫を祈る。

    ここ南インドでは、お隣タミル・ナドゥ州を中心に「ポンガル」と呼ばれる収穫祭が盛大に行われる。豆と米を炊いた甘いおかゆ(その名も「ポンガル」)を炊いて食べる……というのが、慣わしだ。街角でヤシの幼木が門松さながらに立てられたり、玄関にコーラム(ランゴリとも呼ばれる。吉祥紋)が描かれる。

    運気が好転することを祈りつつ……。今夜はお粥にしようかしらん。(手抜き)

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    昨夜、気がついたら「ものもらい」ができていた。ロメイシュ・パパを思い出して泣きすぎて、適当に目を拭ってしまったせいだ。

    本来なら専用目薬を点眼すべきところ、手元にないのでインド目薬の定番「ITONE」(アイトーン)をさした。ちなみにわたしは、いつも心のなかで「い~とね?(博多弁)」と呼んでいる。今朝は少し、腫れが引いているようだ。

    ものもらいで思い出すのは、数年前の出来事。

    「なんだか目が変だから見て!」と帰宅するなり夫。ものもらいができている。「ものもらいだよ、それ。なんで目薬買わなかったの?」と問えば、なったことがないから知らなかったとのこと。早速薬局に電話をし、配達を依頼する夫。

    「Monomoraiの目薬が必要なんだけど」。

    夫よ、それは日本語だ。

    以来、わたしまで、「ものもらい」の「ら」を、ちょっと巻き舌で発音してしまう。

    *英語でものもらいは、「sty/ stye」です。あと、専用の目薬を買ったほうがいいです。多分。

    *写真の猫は次男JACK。ロックダウン以降、わたしの書斎と化しているダイニングルームのとっちらかった一隅で就寝後、目覚めた直後。人間と動物とぬいぐるみと神の距離感が近い。その渾然一体もインド。