インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    実質9日間のエジプト旅。今回は主に観光名所を訪れるにとどまったが、本来であれば、ゆっくりとカイロの街を散策したかった。ガイドツアーを終えて夕刻。ホテルで一息ついた後、夕食までのひととき、カイロ市外の西、ザマーレク (Zamalek) を歩いた。

    友人に勧められたブティックで綿製品を購入したり、ふと目にとまった老舗の菓子店でお土産を買ったり、書店でヒエログリフやコプトに関する本を買ったり……。

    雑な道路交通事情や、荒れた工事の様子などが、住み慣れたインドのそれと酷似していて違和感がない。

    そしてエジプト旅、最後の晩餐はエジプト料理。実は、旅を共にした友人らが、フォーシーズンズ・ホテルの中国料理店で食事をするとのことで誘われたのだが、どう考えても、チャイニーズよりエジプト料理が食べたかったので辞退。夫と二人で、人気店らしき店を訪れたのだった。

    エジプト最古のピラミッドSAKARA (SAKKARA)の名を冠したビールを注文。ほぼSAKATAで、まるでわたしのビール状態だ🍺😂

    レストランで料理を待っている間、夫の背後に見覚えのある顔の男性が……と思ったら、YPOツアーでボディガードを務めていた人だった。今回は、このツアーに参加したお陰で、本当にプライスレスな経験ができたと、改めて感じ入る。

    夫もわたしも、エジプト料理が口に合ったのは幸いだった。特にわたしにとっては、日本米を起源とするエジプトのお米がおいしかったことで、胃袋が安定していたように思う。

    この日、購入した綿製品や書籍のこと、更には実際に味わったエジプト料理についても、詳しく記録を残したいところだ。またホテルやクルーズ船の様子も書いておきたいし、オベリスクやベンベン(!)についても記したい。尽きない。

    が、1週間後のイヴェントに向けての資料作りやら、2週間後の一時帰国に向けての準備やらがあり、いつまでもエジプトに浸っているわけにもいかない。

    ひとまずは、次の[Egypt 42] で、一旦エジプト紀行は締めくくり、後日、時間の合間を縫って、エジプト関連の話題を綴ろうと思う。

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    壮大なるガーマ(モスク)でコーランの響きに聞き入ったあと、今度はしばし車を走らせて、別のガーマへ。道中の光景が、まだ高層ビルディングの少なかったころのムンバイのそれに酷似していて見入る。ムンバイを知っている人なら、納得されることだろう。

    さて、次にガイド女性が案内してくれたのは、エジプトのイスラム教徒の8割以上を占める「スンニ(スンナ)派」の教育機関でもあるガーマ・アズハル (Al-Azhar Mosque)だ。

    ここは970年に創建の、カイロ最も古いガーマのひとつ。アル・アズハル大学を併設しており、スンニ派の神学やイスラム法を研究する機関としては、イスラム世界随一だという。現在、同大学は国有化され、正式に独立した大学になっている。

    ガーマの入り口で、丈の長いスカートを借りて着用し、中へ入る。広々としたホールに入れば、読書をする人、祈る人、微睡む人、先生から教えを受ける子供たち、勉強する女性たち……と、さまざまな情景が見られる。

    ガイド女性の恩師だという老紳士に案内してもらい、ガーマ内を巡る。エジプト旅を始める前までは知らなかったことを、次々に教わり、脳みそはフル回転だ。

    これで、今回の「エジプト観光」は終了。疲れたが、達成感を覚えつつ、ホテルへと戻った。夕刻からは、夫と二人で、ホテルからほど近い繁華街を歩き、夕食をとることにした。

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    イスラム教徒が大多数を占めるエジプト。当然のことながら、街の随所にガーマが見られる。午前中に訪れたコプト地区と同様、カイロのイスラム地区にある建築群もまた、その多くが世界遺産に指定されている。

    時間的にも体力的にも、多くを巡る余裕はなかったので、ガイドの案内に従い2箇所のモスクを訪れた。最初に訪れたのが、ここガーマ・リファーイー (Al-Rifa’i Mosque)。

    奥の間に通され、コーランをその場で聞かせていただいた。何とも言えぬ、五臓六腑に染み渡る……声! 

    得難い思い出となった。

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    4月30日の最終日は、コプト地区で教会を訪問した後、今度はイスラム地区へ赴き、ガーマ(モスク)を訪れた。その記録を残す前に、気分を変えて、ヒエログリフの話題を。

    ヒエログリフとは、古代エジプト語の象形文字(アルファベット)のこと。ギリシア語で「神聖」を意味するヒエロスと、「刻む」を意味するグリュペインが語源だという。ナポレオンがエジプトに遠征した際にロゼッタ・ストーンを発見、1822年にフランス人のシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功した。

    アスワンを起点に、ルクソール、カイロ近郊と、短い間にも複数の遺跡を訪れるなか、神殿や墓、石碑や彫像などに刻まれた大小さまざまなヒエログリフを目にしてきた。

    ヒエログリフは「記すと力を持つ」とされているという記述を目にして、俄然、興味が高まった。カイロの書店で本を購入し、とりあえず自分や夫の名前を書く練習をしてみた。これが楽しいし、気分転換になる。

    もちろん、ヒエログリフだけでなく、石に刻まれたレリーフの絵画や記号なども興味深く、ゆっくりと眺めたいと思わされるものがたくさんあった。

    ところで、神々やファラオの名など、聖なる名前は「カルトゥーシュ(cartouche)」という囲みが施されている。最後の写真がそれだ。これはアスワンのコム・オンボ神殿 (Kom Ombo Temple)にて撮影したもの(詳しくは、[Egypt 13]参照)。カルトゥーシュは小銃の弾薬筒を意味するフランス語で、英語ではカートリッジ (cartridge) に該当する。

    このカルトゥーシュを模したペンダントを、ホテルのジュエリーショップで購入。当初は、カジュアルなシルヴァー製にしようと思っていたが、友人らが購入していた18金のそれが、とてもすてきだったので、ついつい影響され😅、奮発した。

    一面はMIHOのヒエログリフ。一面は、わたしが気に入った記号のうちの4つを選んだ。上から生命の鍵(Ankh)、古代エジプトで太陽神の象徴とされた聖なる昆虫スカラベ(scarab)、エジプトの国花スイレン、そして最後はハヤブサの頭をした神ホルスの左目。

    指輪も、ホルスとホルスの左目が施されているものを見つけ、そのデザインがとても気に入ったので購入した。これらはお守りがわりのジュエリーとして、大切に身につけようと思う。

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    🇪🇬ヒエログリフを解読「エジプト学の父」の功績(日本経済新聞)
    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOLM210MW0R21C22A1000000/

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    1枚目の写真は、聖ジョージ教会の外観。2枚目以降は引き続き、聖セルジウス教会(アブ・サルガ)の写真。

    なお、コプト地区では、シナゴーグ(ユダヤ教会)などにも立ち寄った。最後の写真がその入り口あたり。シナゴーグ内部の写真は撮影禁止だったが、そこもまた、非常に見応えのある場所であった。

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    エル・ムアッラカ教会を訪れたあとは、徒歩圏内にある聖セルジウス教会(アブ・サルガ)へ。5世紀創建の、エジプトで最も古いコプト教会の一つだ。ローマ帝国マクシミヌス帝の治世下、303年にシリアで殉教した聖セルジウスと聖バッカスに捧げられた教会だという。

    この教会が立つ場所は、聖家族と深い関わりを持っている。地下の洞窟は、ヘロデ王の迫害から逃れるべくエジプトに逃れてきたヨセフと聖母マリア、赤ん坊だったイエス・キリストが数週間(資料によって期間はまちまち)滞在した洞窟があるのだ。

    わたしも夫も、クリスチャンではないにも関わらず、その場所へ行ってみたかった。

    地下の洞窟には、聖家族が水を飲んだ井戸、幼子イエスが横たえられた洞窟などがある。観光客が少なかったこともあり、夫としばらく、洞窟の静寂の中に身を置いた。

    写真で見る限りは、特にインパクトのある場所ではない。しかし、写真では伝わらない独特の空気を経験したということを残すためにも、2回にわけて、写真を残しておく。

    3枚目の写真は、聖家族のエジプト逃避ルートを示した地図。

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    コプト地区で最も有名なエル・ムアッラカ教会。ローマ時代に建造されたバビロン城の南門の上に建立されていることから「吊るされた」という意味のアラビア語「ムアッラカ」と呼ばれるようになったという。英語名はハンギング・チャーチ。7世紀に創建されたのち、破壊、再建、改修を繰り返したとのことで、かなり複雑な構造の教会だ。

    陽光降り注ぐ中庭の壁を彩る何枚かのモザイク画。3枚目の写真は、ヨセフが啓示を受けている場面、4枚目は聖家族がエジプトへ逃避している様子だ。ピラミッドが、目的地がエジプトであることを教えてくれる。このストーリーを理解するには、『新約聖書』中の「マタイによる福音書」(2章13-15) で描かれている世界を知る必要がある。以下、引用しているので、参考までに。

    欧州の教会を彩るステンドグラスや絵画、またキリスト教絵画において、しばしば描かれている主題でもあり。わたし自身、若いころ欧州各地を旅し、放浪し、無数の教会や美術館に立ち寄ってきた。さまざまな土地の、さまざまな時代、さまざまな画家によって描かれたその世界を、眺めてきた。

    ゆえに、その舞台が現実に、ここに在ったのだということが、とても興味深い。

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    「ユダヤ人の王」(イエス・キリスト)の誕生を知ったヘロデ王は、自らの王位が脅かされることを恐れ、イエスの殺害を企てる。しかし、イエスの養父であるヨセフに危険が伝えられ(啓示)、彼は幼子イエスとマリアを伴い、エジプトへ避難し、殺害を免れた。

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    2:13 彼らが帰って行ったとき、見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。「立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。」
    2:14 そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、
    2:15 ヘロデが死ぬまでそこにいた。これは、主が預言者を通して、「わたしはエジプトから、わたしの子を呼び出した。」と言われた事が成就するためであった。
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    この聖家族の「エジプト逃避」から、「幼児虐殺」は、一連の流れの中で記されている。幼児虐殺とは、ユダヤ人の王がベツレヘムに誕生したと知ったヘロデ王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた出来事だ。その残酷なシーンを描いた絵画もまた、数多くある。

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    エル・ムアッラカ教会の内部に入れば、その独特な重厚感に引き込まれる。天井を仰ぎ見れば、木造の屋根。これはノアの箱舟を模しているのだという。9枚目の写真、床のガラス窓をのぞくと、バビロン城の南門だった部分に3本の古い梁が施されているのが見える。窓の外には、やはりバビロン城の遺構が見下ろせる。

    最後の写真は、教会内に所蔵されている110点のイコン(聖像画)の中でも最も古いもの。8世紀ごろに描かれた聖家族。

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    4月30日。グループツアーの5日目にして最終日でもあった。ナイル川を挟んで首都カイロの西側に隣接するギザの町にあるピラミッドやスフィンクスを見学したあと、ホテルに戻る。

    友人らとともに、ホテルのジュエリーショップで買い物などをし(この話題は別途記す)、最後のパーティで主催者やスタッフらを労い、またしても賑やかな夜。

    すでにこの日の便で帰国した人もいれば、数日間延泊する人、他の国を経由して帰る人などさまざまだ。わたしたちはもう1泊、予約を入れていたのでホテルでのんびりと……と言いたいところだが、最後の最後まで、予定を入れていた。

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    5月1日午前10時。夫が旅の前にあらかじめ予約していたツアーガイドの女性とホテルのロビーで待ち合わせ、オールド・カイロへ赴く。もう、エジプトのなにもかもがオールドすぎて、このオールド・カイロがどの程度のオールドなのかが訳がわからないのだが、古代エジプトよりは新しい、古代ローマの面影を残す世界が広がっている。

    ここでわたしたちが訪れたかったのは、コプト地区にある教会。中でも、イエス・キリストの家族が数カ月滞在したとされる教会を訪れるのが主目的だった。

    コプト教とは、西暦42年ごろ、当時のエジプトの首都アレクサンドリアに立てられた「アレクサンドリア教会」が起源だという。創建者は、聖マルコ(「マルコによる福音書」を、西暦70年頃に記述した福音書記者)。

    インドのケララ州に、聖トマスによってキリスト教(シリア正教/シリアン・クリスチャン)がもたらされたのは西暦52年ごろ。エジプトから遅れることわずか10年後と、非常に近い時期にキリスト教が伝播している。今回の旅を通して知っただけでも、インドとエジプトの共通項は多々あって、その点においても興味深さが尽きないのだが、言及していると「研究」になってしまうほどの深みなので、割愛。

    エジプトは9割がイスラム教徒、1割がキリスト教徒とされているようだが、それはあくまでも公称。アスワン、そしてカイロでのガイドの話を聞くに、実際にはキリスト教の信仰者はもっと多いのではないかと察せられる。

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    見どころのインパクトとしてはピラミッドやスフィンクスの方が大きいが、写真が擁する情報量は圧倒的にオールド・カイロが多い。のちに振り返りたいものが多いので、なるたけ多めに残そうと思う。

    ②③マル・ギルギス(Mari Gerges)の駅の前にあるローマ時代のバビロン城塞(Fortress of Babylon)。崩壊しつつもその姿を残すバビロンの塔。1世紀に建立。

    ④⑤カイロ発祥の地、オールド・カイロ。夫とガイド女性、そして猫が立っているのが、エジプトで最も古い道だというマル・ギルギス通り。この周辺に複数の教会をはじめ、コプト博物館、シナゴーク(ユダヤ教会)などがある。

    ⑥猫が覗き込んでいる深みが、建設された当時の地上の高さ、だったとのこと。

    ⑦⑧途中で休憩したカフェ。ターキッシュ・コーヒーがおいしかった。

    ①⑨⑩オールド・カイロの情景

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    実質わずか9日間のエジプト旅なのに、すでに33回目の投稿。そしてまだ、あと10回以上は続きそうな勢いだ。時間的な制約もあり、わたしにしては文章量をかなり抑えて記しているが、本当は掘り下げて調べ綴りたいことが無尽蔵。なにしろ歴史が濃すぎる深すぎる!

    旅の数日前までは、エジプトのことをほとんど知らなかったのに、扉を開いた今、あまりの魅力に目が眩む思いだ。これからインド国内の旅を増やして諸々を発掘して行こうと思っていた矢先、いったいどうしてくれよう……という心境だ。

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    サッカラの階段ピラミッドやマスタバ(墳墓)の見学を終えたわたしたちは、再びバスに乗り込み北上。まずはピラミッドを見晴るかす眺めのいいレストランでランチを楽しんだ後、ピラミッドを目指す。ここでわたしは、かなり悩んだ。クフ王の大ピラミッド内部に入るか否か。一応、わたしは参加表明をしていたのだが、この暑い中、中腰で細い通路を延々と歩く自信がなくなっていた。すでに連日の濃密なスケジュールで体力を消耗している。直前まで悩んで諦めた。次回は涼しい時期に訪れて、潜りたいと思う。ちなみに2枚目の写真に見られる穴が、内部通路への入り口だ。

    さて、グループ行動につき、自由時間は限られている。内部に入る人たちは早めに到着。一足遅れて大ピラミッドの前でバスを降りたわたしたちに与えられた時間は、わずか30分足らず。他の人たちは正面から写真を撮るなどしていたが、わたしはどうしても全容を眺めたく、夫を促し、ひとまずクフ王の大ピラミッドを時計回りに一周することにした。ここからは、2番目に大きい「カフラーのピラミッド」を見ることもできる。5枚目の写真がそれ。

    丈夫に残っている化粧板は、良質の白色石灰岩だという。本来、ピラミッドはこの石灰岩に覆われていて、表面がすべすべと滑らかだったようだ。しかし、後世、剥がされたり剥がれたりして、現在の姿になったという。

    今となっては、エジプトのイメージは全体に「黄土色」だが、古代エジプトの都市は、煌びやかにカラフルで、神々しい場所が多々あったに違いないと夢想する。さぞかし、美しかったことだろう。翻って現代。この先、数千年も残り続ける建築物は、果たしてどれほど建立されているだろう。

    人間の営みの、強さと儚さ。

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    ところで1枚目の写真は、バランスの悪い夫婦関係を象徴しているかのような一枚😂 何がしたかったんだ我々!

    ★ピラミッドを眺めながら、脳裏を巡り口ずさむ音楽は『タイムトラベル』by 原田真二。松本隆の歌詞、原田真二の作曲。「時間旅行のツアーはいかが?」懐かしすぎる名曲。時は1978年。わたしは中学1年で、『ザ・ベストテン』を見ては、一緒に歌っていた。

    ★さらに思い浮かぶは、横尾忠則のアートによる『ムー一族』(テレビドラマ)のタイトルバック。こちらも1978年ごろ。
    https://www.facebook.com/watch/?v=640387823359957

    ★ムー一族のオープニングで郷ひろみと樹木希林がピラミッドに登っている映像!

    ★郷ひろみと樹木希林の「林檎殺人事件」@エジプト。スフィンクスの前でライブ
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm4686737

    1970年代、ニューエイジ運動に伴って、ヒッピー文化やスピリチャル、精神世界が若者らの関心を集めた。エジプトやインドは、その舞台にもなっており、多くの著名人らも影響を受けてきた。それにしても、破天荒な番組だった。もう一度、すべて見たい。恐るべし、昭和……!!

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    サッカラには、ジェセルの階段ピラミッドの周辺に複数の遺跡が点在している。中には、腰を屈めて歩かなければ頭をぶつけてしまう低い通路もある。腰痛を気にしつつも、さほど長い距離ではないので、潜ってみる。得も言われぬ地球のエナジーが、しんしんと、静かに染み渡ってくるような石の静謐。

    中でも印象的だったのは、テティ王(2345–2323 BC)のピラミッドの北にあるメルエルカのマスタバ(墳墓)の壁画。当時の漁業や農業、屠殺の様子までもがリアルに描かれている。籠の具合や、魚の種類さえもわかるくらいのディテールなど、その生き生きと精緻な様子に見入った。まだまだたくさんの写真を載せたいところだが……尽きないのでこの辺にしておく。

    ところで今、サッカラのことについて調べているとき、偶然にも半年前に訪れた名古屋のINAXタイルミュージアムの記事が出てきた。開いてみたところ、ジェセルの階段ピラミッドにあったとされる「王のための魂の扉」のレプリカの写真が目に飛び込んできた。これは見覚えがある……と写真のファイルを遡ったところ、撮影していた! 最後の写真がそれだ。数あるタイルの展示物の中でも、特に印象的だったので撮っていたのだ。

    ジェセル王がエジプトに君臨するに相応しい人物だということがヒエログリフで刻まれているという。あたかも宝石のように見えるターコイズブルーのタイル。ちなみにピラミッド内部のタイルは剥ぎ取られ、世界中に散らばっているとのこと。ニューヨークのメトロポリンタン美術館に、その一部が展示されているようだ。

    🇯🇵【名古屋情景⑦】陶器の里、常滑がツボすぎた! フランク・ロイド・ライト/近代日本の基盤を支えた「土管」/和製マジョリカ・タイル/ガウディのひまわりタイル!(2023/10/18)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/10/dr.html

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