インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    「我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮城へ行け。南天竜宮城は我が法城なり。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り。」

    1967年8月、龍樹の啓示を受けた佐々井秀嶺上人は、日本帰国を取りやめて、ナーグプル行きの列車に飛び乗った。未知なる土地で仏教寺院を探し、インド憲法の創案者であるアンベードカル博士の存在を知り、仏教の布教を始めた。

    それと同時に、お告げにあった「南天鉄塔」の所在を見出すべく、界隈を調査。ここだと思われる土地を購入し、1994年ごろから本格的に発掘調査を開始したという。歴史的背景を調べるほどに、佐々井上人の行動力やリーダーシップはもちろんのこと、考古学的な知見にも敬服させられる。なお、佐々井上人はナーグプルだけではなく、インド国内の他の土地においても、「インド仏教」において非常に重要な発掘作業にも関わられてきたが、話が尽きないのでここでは触れない。

    インドは仏教発祥の地である。忘却された時代が長かったとはいえ、紀元前数百年の間は、仏教徒に改宗したアショカ王が、国教を仏教と定めた時期もあるなど、仏教はインド全土で信仰されていた。その名残は、アジャンタやエローラなど、世界遺産になっている有名な遺跡にも見られる。また、南インドのアンドラ・プラデーシュ州にも、随所に仏教遺跡が残っているようだ。ツーリストが赴くのは、ブッダが悟りを開いたとされる北インドのブッダガヤなどが主であるが、このマンセル遺跡を含め、1500年以上を遡る遺跡が、インドの随所に眠っている。

    歳月の経過に伴い、仏教にまつわる遺跡や仏像などが、ヒンドゥー教の聖像に変換されるなどの歴史的背景があることから、世に知れ渡る機会がないものと思われる。

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    さて、龍樹が言う「南天鉄塔」とは、何なのか。それは「大日如来」の教えが収められた場所だとされる。では「大日如来」とは誰なのか。それは、真言宗において「最高の仏」とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象が収まっているともいわれるという。こうして書きながら、何が何だかわからない存在感だ。

    最後の3枚の写真は、マンセル遺跡のたもとにある「文殊師利菩薩大寺」の展示室(現在は閉鎖)にある写真。今回、竜亀さんが数年前に撮影したものをシェアしていただいた。

    遺跡発掘作業の際に出土した仏像や当時の写真などが、かつてはここに展示されていたという。出土品は、紀元前700年から200年ごろのもの、すなわち2,000年以上前の遥かなる過去に遡る。考古学的にも極めて重要なものであるに違いない。現在、マンセル遺跡は、インド文科省のインド考古調査局(Archaeological Survey of India)によって管理されており、出土品はインド各地のミュージアムなどにて保管されているとのことだ。

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    マンセル遺跡は、大きく二つのエリア「南天鉄塔」と「仏教僧院の跡」とに分かれている。以下②のブログを開いていただくと、セミナー動画を作った際に使用したプレゼンテーションの資料があり、上空からの地図を見ることができるので、ぜひ確認を。

    今回は、竜亀さんが「文殊師利菩薩大寺」の仏舎利塔の工事現場監督をされている間、わたしはドライヴァー氏と共に、マンセル遺跡を訪れた。まずは奥手にある「南天鉄塔」があったであろう場所へ。丘の上に立てば、「文殊師利菩薩大寺」や、湖が眺められる絶景が広がる。

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    なお、わたしが2018年に撮影した「龍樹の片足」の写真。この足を見た時の衝撃は忘れられない。これを目にした瞬間、心臓を掴まれた。「出してくれ!」という声が、聞こえてくるようだった。いや、「出しなさい!」という声か。

    もう、見なかった過去には戻れない……と思った。しかし今回は、その足が跡形もなく破壊されていた。帰宅後、かつて購入していた専門書 ( “Discovery of Nagarjina and Mansar-Ramtek” by Dr. Anil Kumar Gaikwad)の写真や竜亀さんから送ってもらった写真を検証した結果、わたしが撮影した「完全すぎる足」は、発掘後に修復されたものだとわかった。(次の投稿につづく)

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    ✊②インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
    https://museindia.typepad.jp/libra

    ✊①インドの中心で仏教を叫ぶ。佐々井秀嶺上人を訪ねて。(2018/05/27)
    前回の旅の記録/リアルタイムでの描写
    https://museindia.typepad.jp/2018/2018/05/nagpur.html

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    👟竜樹連峰に上り、丘の上からの景観を楽しんだ後は、足腰に気をつけながら、階段を降りる。その後、登山口に面した場所に立つ「竜樹菩薩大寺」を訪れる。前回、ここに立ち寄った際に、竜樹連峰を仰ぎみて、「次回は必ず登りたい」と思ったのだ。6年越しながらも、実現できてよかった。そして思う。次回は、この場所に関心のある人たちと訪れ、案内をしたいと。どんなに言葉を尽くしても、伝えられない。百聞は一見にしかず。

    👟ところでこの日、竜樹連峰に登った後、マンセル遺跡にも訪れた。その記録は次に記すが、ここではスニーカーへの感謝を。わたしはASICSのスニーカー2足持っているのだが、そのうちの1足は、去年、拙宅へデリーから遊びにいらしたASICSの駐在員、山岸氏からいただいたものだ。このスニーカーの履き心地が、最高によい。最後の写真は去年9月、いただいたときのもの。

    わたしは、若いころにバスケットボールで腰を痛め、インドに来るまでの20代、30代と、年々、痛みが悪化していた。カイロプラクティックや鍼など、あれこれ試したが効かず。ところが40歳でインドに移り、アーユルヴェーダのトリートメントを受けたことで、半年もせぬうちにほぼ、治っていた。

    しかしながら、昨年後半から、昔ほどではないのだが、時折、腰が痛むようになっていた。痛みの由来は、以前とは別の箇所ゆえに、1月はアーユルヴェーダの集中治療を受けるなどして、対策を講じていた。

    今も、ふとした弾みにビビッと来るので気をつけている。これも「調子に乗るな」との戒めだろうと慎んで受け止めて、無理をせぬようにしている。とはいえ、連峰には上りたい。ゆえに、愛用のスニーカーで出かけたのだが……これが本当にすばらしい! なかなかに急勾配の山道を、腰に痛みを感じることなく昇降できた。のちに痛みがくるのではないかと懸念したが、現在もノープロブレムだ。
    この靴底を使ったチャッパル(ツッカケ)とかサンダル的なものを作ってほしいと切に思う。ビルケンシュトック(BIRKENSTOCK)に並んで愛用する。インドの人々の需要もあるはず。

    [DAY4-02] 超満月の夜。巡礼者に紛れて、霊山一周14㎞を再び。誕生日ありがとう🙏
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/08/walk.html

    🏃‍♀️ASICS “Anima Sana In Corpore Sano” 「健全な身体に健全な精神があれかし」
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/09/asics.html

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    佐々井秀嶺上人の生きざま。わたしが知るのは本当に、氷山の「一滴」にも満たず、前回も、今回も、書き進めながら、もどかしさが募る。なにしろ仏教の背景や、インド社会の問題を知らなければ、その実情を理解してもらうのは非常に困難。それでも、自分の経験した限りを少しでも残したく、今日も綴る。

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    2世紀に生まれたインド仏教の僧侶、龍樹(ナーガルジュナ)。大乗仏教の基盤となる「般若経」における「空(くう)」の理論を大成した偉大なる高僧だ。日本では大乗仏教八宗(すべての大乗仏教の宗旨、宗派)の祖師とされ、特に真言密教において重要な人物である。

    その龍樹(と思われる老人)が、若き佐々井秀嶺上人の枕元に立たれた。

    1967年8月、満月の夜、ラージキルの日本山妙法寺。翌日に日本への帰国を控えた深夜、布団に横たわっていた彼の目の前に、白髪に白いひげをたたえ、白衣をまとった大柄の老人が現れた。右手に杖、左手に巻物を持っている。

    「我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮城へ行け。南天竜宮城は我が法城なり。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り。」

    佐々井上人は驚き、寺を司る八木上人を起こし、興奮して啓示を授かったことを伝えた。八木上人は、一旦、佐々井上人を眠らせ、翌朝、地図などを広げつつ、「南天竜宮」とは南天竺、中央インドにある「ナグ(龍)プール(宮)」ではないかと話した。

    佐々井上人は「龍樹」と名乗る老人の啓示ばに従い、単身ナグプール行きの列車に乗った。その経緯、その後の活動のすさまじさは、山際素男著の『破天』に詳しい。

    佐々井上人は、ナーグプルでの仏教の布教活動を始める傍ら、古代仏教遺跡の発掘をも開始した。前回のナーグプル旅を終えた後、わたしは資料を作るために、Googleマップをサテライト表示にして見た。すると、ラムテク (Ramtek) という村の東部に、まさに龍(もしくは蛇)のような形をした山脈が横たわっている。これこそが「竜樹(ナーガルジュナ)連峰」だ。龍の尻尾に近いあたりに、「ナーガルジュナ寺院」という名のヒンドゥー教寺院がある。

    ナーグプルに暮らし始めて数年後の佐々井上人は、ここが龍樹ゆかりの地であることを確信し、その山脈の西側に広がるマンセル (Mansar) の小高い丘の発掘を開始する。果たしてそこには、大いなる仏教遺跡が眠っていた。それこそが、マンセル遺跡である。

    その写真は、次の投稿に掲載する。

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    前回、2018年の旅の際は、時間的な余裕がなく、この竜樹連峰に上ることができなかった。次回は必ず……と願っていたことを実現すべく、本当は一人で登ろうと思っていた。近々日本へ一時帰国予定の竜亀さんは、工事現場の監督などのお仕事がおありなので、お邪魔をしたくはなかった。しかし、同行してくださり、ドライヴァー氏と3人で、昼の太陽が照りつける中、山頂を目指したのだった。

    かなり傾斜のきつい斜面に、ほぼ直線で階段が作られている。ゆえに、1段1段がかなり高い。前のめりに、這いつくばるような感じで石段を踏みしめ上る。日差しを遮るものがないから、休憩するにも暑い。息を切らしながら、上る。

    山の高さはどれくらいだろう。150〜200メートルほどだろうか。2枚目の写真は、参道(山道)の麓に立つ竜樹菩薩大寺から撮影したものだ。山頂近くにヒンドゥー教のナーガルジュナ寺院があり、丘の上の近くに、やはりヒンドゥー教の祠があった。竜亀さんとドライヴァーが立っている写真。このあたりに、龍樹にまつわる大切な何かがあったはずだと、佐々井上人は話されているという。

    これまでの佐々井上人の偉大なる業績を鑑みるに、考古学的な側面からも、その推察は間違いないだろうと察せられる。

    そして山頂まで到達すると、連峰の向こうに広がる絶景! Khindsi Lakeと呼ばれる湖が横たわっている。ここでは、ボートなどのウォータースポーツが楽しめるようだ。やや空気が霞んでいるが、澄んだ空気の折には、格別の景色が望めることだろう。日昇、日没のころも、きっとすばらしい景観が望めるに違いない。

    宗教的なことはさておいても、お弁当を持参してこの山(丘)に登り、ここでピクニックをするのは楽しそうだと思う。昨年、2度訪れた霊山、アルナーチャラと同様、いやわたしにとってはそれ以上の磁力を感じさせるこのあたり。今回の旅の目的のひとつを果たせて、本当にうれしい。今度は湖畔のあたりを訪れてみたい。

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    ※詳細は以下のブログ、及び動画にて言及している。

    ✊インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/unity.html

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    2018年の訪問時と同様、昨日も、お弟子の竜亀さんのお世話になった。はじめてお会いしたとき、彼はナーグプル在住歴2年だった。その後、折に触れてご連絡を取り合っていた。今回、久しぶりにお会いして、僭越ながら、ずいぶん風格が調われたとの印象をお受けした。

    8年もの歳月、佐々井上人のおそばで過ごされている。ただ普通に日常を送るだけでも、日本に比すれば難易度の高いインド。厳しい衣食住環境の中、社会構造の下部でせめぎ合う人々を救うべく、身を賭しておられる佐々井上人とともに生きることのタフさ。
    特にCOVID-19のころには、多くの人々がバタバタと倒れ、落命した。あの混沌の中で、日々を紡ぐだけでも精一杯であったとお察しする。同時に、こうして再会できたことをうれしく思う。

    今回の旅の目的は、佐々井秀嶺上人にお会いすること、そして竜樹連峰に登ること、マンセル遺跡を再訪することであった。もちろん、竜亀さんにお会いしたく、彼が一時帰国される前ということで、この3泊4日を選んだのだった。

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    朝、7時30分すぎ、佐々井秀嶺上人のもとを訪れ、ご挨拶をすませたあと、竜亀さんが、このところマンセル遺跡のたもと、文殊師利菩薩大寺の工事現場に日参されているとのことだったので、同行させていただくことにした。ナーグプルから北へ車を走らせること約1時間。途中、前回の記録に写真を掲載した病院に立ち寄った後、文殊師利菩薩大寺へ赴く。

    敷地内には、アンベードカル像や佐々井秀嶺の伝記『破天』の著者、山際素男氏の像、東日本大震災の慰霊碑も建つ。そこに現在、仏舎利塔(ストゥーパ)が新たに建立されている。私事だが、建設会社だった我が父も、福岡県久山の仏舎利塔建立に関わった。わたしの父方の祖母と日蓮宗、藤井日達上人、ムンバイ日本山妙法寺との数奇なご縁についても、ブログに記録を残している。

    わたし自身の私的な背景も絡んだ、摩訶不思議とも思える、時空を超えた物語を、端的に綴ることは難しく。読み手の理解と好奇心なしには伝わらないことを承知で、繰り返し書き残す。

    以下、前回同様、セミナー動画で使ったプレゼンテーションの資料から、ポイントを抜粋する。関心を持たれた方は、どうぞブログをご覧ください。

    ◉南天龍宮城へ行け。佐々井秀嶺上人、龍樹のお告げを受ける

    ・ラージキルの王舎城で日本帰国の準備を整えた1967年8月、満月の夜
    ・就寝時、突然目の前に現れた龍樹(ナーガルジュナ)からお告げを受ける
    ・我は龍樹なり。汝速やかに南天竜宮へ行け。汝の法城は我が法城。我が法城は汝が法城なり。南天鉄塔もまたそこに在り
    ・師匠曰く「ナーグ(蛇、竜)」「プル(城、平野)」即ちナーグプルへ

    ◉龍樹(ナーガルジュナ)とは?

    ・2世紀に生まれたインド仏教の僧侶。ナーガルジュナはサンスクリット語
    ・日本では大乗仏教八宗(すべての大乗仏教の宗旨、宗派)の祖師とされる
    ・大乗仏教の基盤となる「般若経」における「空」の理論を大成。特に真言密教において重要な人物
    ・若き日の龍樹は才能に恵まれる一方、快楽に走る。愛欲から逃れるべく出家

    ◉大日如来とは?

    ・大日如来は、『大日経』や『金剛頂経』などに説かれる仏。「摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)仏」「毘盧遮那(ビルシャナ)仏」、あるいは「遍照如来」ともいわれる
    ・真言宗では、大宇宙の数え切れない仏の中の最高の仏とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象が収まっているともいわれる

    ◉南天鉄塔とは、大日如来の教えが収められた場所

    ・大日如来(真言密教の教主)の教えは非常に難しく、理解できない
    ・紀元前500年ごろ、金剛薩埵が南天鉄塔に収めた。龍樹が現れると予言
    ・予言通り、龍樹登場。南天鉄塔を開いて、教えを経典にまとめあげた
    ・龍智→金剛智三蔵→不空三蔵(中国)→恵果和尚(中国)→空海(日本)

    ※詳細は以下のブログ、及び動画にて言及している。

    ✊インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/unity.html

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    昨日は、長い1日だった。シャワーを浴び、夕飯を食べ、少し活字に目を通したものの睡魔に襲われ、午後10時過ぎにはベッドに倒れこんだ。今朝は、なかなかの筋肉痛に襲われている。

    わたしがなぜ、ナーグプルにいるのか。その背景を説明するのは難しい。関心のある方には、以下のブログに記した記録を読んでほしい……ですませたいところだが、関心のない方にも知っていただきたく、要点をまとめてみる。

    ここで掲載している写真。昨日、ホテルから見た朝日、佐々井上人がお住いのインドラ寺、佐々井上人が管理されている病院とその周辺。

    【インド仏教🌳】

    ・仏陀により、紀元前450年ごろ(約2500年前)のインドで説かれた教え
    ・開祖である仏陀は、ゴーダマ・シッダールタ、釈迦、釈尊とも呼ばれる
    ・自然崇拝や民族宗教などの「原始宗教」をルーツに持たない
    ・仏教は発生後、紀元前5世紀前後から着実に成長
    ・紀元前3世紀、アショカ王が仏教に帰依。マウリヤ朝で国家宗教に。インドの国章である「獅子像」は当時のもの。数世紀に亘って繁栄し、中央アジア、中国を経て広まったが、ヒンドゥー教の席巻とイスラム教による迫害を受けるなどして、徐々に衰退
    ・仏教寺院、仏教遺跡、仏陀の彫像などがヒンドゥー教の聖像に変換され、仏教徒の礼拝が禁じられた(インド各地に仏教遺跡の名残がある)
    ・1891年、インドに来訪したスリランカの仏教指導者アナガーリカ・ダルマパーラは、ブッダガヤ大菩提寺がヒンドゥー教徒の管理下にあることを知り衝撃を受ける。
    ・1950年代、アンベードカルが、インド仏教の復興を目指し、自ら仏教徒に
    ・1992年、佐々井秀嶺により、ブッダガヤの大菩提寺返還運動開始

    【アンベードカル👓】ビームラオ・アンベードカル Bhimrao Ramji Ambedkar

    インド仏教徒が挨拶の際に口にする「Jai Bhim!」とは、彼の名が由来。Jaiとは「万歳」にも似た、対象を讃える言葉。

    ・1891年4月14日~1956年12月6日
    ・インドの政治家(ネルー内閣法務大臣)、思想家
    ・インド憲法(1950年1月26日施行)の草案者
    ・反カースト(不可触民/ダリット改革)運動の指導者
    ・インド仏教の復興を目指し、自ら仏教徒となり大改宗式を行う
    ・コンカン地方、ダリットのマハール族出自。14人兄弟の末っ子として誕生
    ・学問重視の父親。勉学に長け、不可触民として初めて大学入試に合格
    ・ボンベイ大学エルフィンストーン・カレッジで政治学と経済学
    ・NYコロンビア大学で経済学、社会学、歴史学、政治学、人類学、哲学を研究
    ・ロンドンの大学で更に学業研鑽。ドイツのボン大学に3カ月留学し経済学
    ・ボンベイで上級法廷弁護士として開業。大学教授として若者指導
    ・多彩な政治活動を開始。理不尽で残酷な不可触民制度との戦い
    ・貯水池、井戸利用の主張。反バラモン運動。ヒンドゥー寺院開放運動

    ◉インド国憲法の草案を作成(ネルー内閣法務大臣)

    ・信教の自由、被差別カースト制廃止、農業投資重視、税制改革、貨幣制度整備
    ・労使問題の近代化、女性の地位向上(避妊や家族計画)

    ◉仏教への改宗

    ・不可触民がヒンドゥー教にとどまる限り、地位の向上はないと判断、仏教を学ぶ。結果、1956年、30万人(50万人ともいわれる)のダリットとともに、「ナーグプル」にて仏教に改宗。インド仏教復興の基盤を構築

    【ナーグプル🍊】

    ・マハラーシュトラ州の都市。英国統治時代、インドの中心とされ、市内中心地にインドの中心点を示すゼロマイル・ストーンがある。みかんの名産地
    ・ナーグプルとは、「ナーガの都市(プル)」を意味する。ナーガとは、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神を指す
    ・インド全体における仏教徒の比率は、約0.7%だが、ナーグプルは、ヒンドゥー教に次ぐ15.57%

    【佐々井秀嶺✊】

    ◉インド仏教の復興、布教活動。啓蒙と教育
    ◉アンベードカルの遺志を継ぎ、元ダリット(不可触民)の仏教改宗
    ◉仏教寺院、福祉施設の建設および運営
    ◉仏教遺跡の発掘(マンセル遺跡、シルプル遺跡)
    ◉インド政府少数派委員会(マイノリティ・コミッション)仏教代表
    ◉ブッダガヤの「大菩提寺」管理権返還運動
    ◉2009年以降、ほぼ毎年、日本へ帰国。全国を行脚など

    ・1935年(昭和10年)生まれ。紆余曲折を経て高尾山薬王院で仏門に入ったのち、タイへ留学

    ・1967年(32歳)、インドのラージギル日本山妙法寺へ。翌年、日本帰国の前夜、ラージキルの多宝山上にて、龍樹菩薩より「汝、速やかに南天竜宮城へ行け」との霊告を受ける。南天竜宮とは、「ナーグプル」のことであろうとして、翌日、日本へ帰国するかわりに、訳も分からぬまま、南天竺を目指す

    詳細は以下のブログ、及び動画にて言及している。

    ✊インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
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    インドのちょうど中心に位置するナーグプル。この地で1967年以来、57年間に亘り、仏教復興運動に身を賭す日本人僧侶、佐々井秀嶺上人。

    2018年4月、佐々井秀嶺上人の人生を描いた『破天』(山際素男著)を読んでいる最中、わたしは発作的に、「ナーグプルへ行かねば!」と思った。本を閉じ、ネットで連絡先を探した。そして幸いにもご連絡を取ることができ、翌5月の終わり、わたしはナーグプルヘと飛んだのだった。

    図らずも「仏陀聖誕祭」に重なり、佐々井秀嶺上人と、お弟子の竜亀さんと、行動を共にさせていただいたのは稀有なる僥倖。また、同年の一時帰国時、東京から福島の原発事故後の様子を見に行くつもりで唯一開けていた日。折しも佐々井秀嶺上人がブッダガヤ大菩提寺の返還運動のため来日されていることを知り、急遽、増上寺での集会に赴いた。

    この6年間、COVID-19パンデミックの影響で、2度、旅をキャンセルしていた。今回ようやくの実現。わずか3泊4日なれど、「辰年」の今年こそは、なんとしても訪れたかった。佐々井上人にお会いし、マンセル遺跡を再訪し、竜樹菩薩大寺を訪れ、願わくば、竜樹連峰に登りたい。

    ……明日は早起きだ。

    巡り巡る思いを、ひとまずは消去して、真なる「日記」を記して、今日は早めに寝よう。

    詳しくは、以下の記録をご覧ください。

    * * *

    ✊インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/unity.html

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    人生3度目のジャイプル旅。あれほど印象深い時間だったにも関わらず、南インドの日常に戻れば、遠い記憶の箱の中。

    2020年3月、インドがCOVID-19のロックダウンに突入した後、わたしは動画作りを始めた。さまざまなジャンルの動画を作ったが、中でもセミナー動画や自分史動画の制作は、個人的に極めて有意義な作業だった。

    特に「自分史」を語り、編集するに際しては、「わたしは、なぜインドに導かれたのか」ということを、考えざるを得ず。ニューヨークで英語の勉強をするはずが、数カ月後の七夕の夜に、インド人男性とスターバックス・カフェで相席になった。

    20代のころ、公私に亘って数々の土地を旅してきたにも関わらず、インドは未踏の地だった。思うところあり、敢えて避けていたともいえるその国の出自の男性と出会い、やがて婚姻し、自ら住みに来た。あの異様な衝動は、自分の意思とは離れた場所から生まれたもののように感じてきた。

    自分史動画を編集しながら、「使命」とか「宿命」といった言葉が脳裏を駆け巡った。しかし、それでもまだ、しっくりとこないままだった。

    * * *

    すでに定め敷かれたレールの上を進んでいる。日本発、米国経由、インド。

    時に走り、時に歩き、時に止まりながら。車窓のカーテンを閉じることもあれば、窓を開け放ちて風景を楽しむこともある。

    途中下車をしてもなお、再び同じ列車に乗り込み進む。

    時に気が急いて、列車の中を走り回る……無意味。時に不安で、重たい荷物を抱えてみる……無意味。

    * * *

    Amrapaliミュージアムの訪問を終えてのち、いただいたギフト。ミュージアムの外観が描かれたバッグと、ミュージアムの目録と、小さな箱。

    箱を開ければ、小さなペンダントが入っている。これは、なんと読むのか……? 夫に尋ねた。

    「कर्म(カルマ)」

    その言葉を聞いた瞬間、はっと覚醒するような感覚に囚われた。それだ。カルマだ! 

    腑に落ちた。

    ペンダントを握りしめる。このたびのジャイプルにて、この言葉を授かったこともまた、意義深いことであった。

    【以下、weblio辞書を整理して転載】

    「カルマ」とは、インド哲学や宗教において、個人の行為や意識が生み出す善悪の実体であり、それが次の生に影響を与えるとされる概念である。カルマは、人間の行いや心の働きが宇宙の法則によって報いられるという考え方に基づいている。具体的には、善行を積めば幸福な生活や良い転生が得られるとされ、逆に悪行を積むと苦難や悪い転生が訪れるとされている。

    ◉「カルマ」の語源

    「カルマ」の語源は、サンスクリット語の「कर्म」(karma)であり、「行為」や「業(ごう)」を意味する。この言葉は、インドの古典語であるサンスクリット語に由来し、インド哲学や宗教において重要な概念として扱われている。また、カルマの概念は、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教などのインド起源の宗教に共通して見られる。

    ◉「カルマ」に関連する用語・知識

    *「カルマ」の梵語とは、「कर्म」(karma)であり、「行為」や「業」を意味する。梵語は、インドの古典語であり、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教などの聖典が記されている言語である。カルマの概念は、インド起源の宗教に共通して見られ、人間の行いや心の働きが宇宙の法則によって報いられるという考え方に基づいている。

    *仏教においては、「カルマ」は「業」とも呼ばれ、人間の行為が次の生に影響を与えるという考え方が基本である。仏教では、カルマが蓄積されることで輪廻転生が続くとされ、悟りを開いてカルマを断ち切ることで、輪廻から解脱し、涅槃に至ることができるとされている。

    *「業(カルマ)」とは、カルマの日本語訳であり、人間の行為や意識が生み出す善悪の実体を指す。業は、善業と悪業に分けられ、善業は幸福や良い転生をもたらし、悪業は苦難や悪い転生をもたらすとされている。業は、インド哲学や宗教において重要な概念であり、人間の行いや心の働きが宇宙の法則によって報いられるという考え方に基づいている。

    *スピリチュアルな観点からの「カルマ」は、人間の魂が持つエネルギーの総体として捉えられることが多い。スピリチュアルな世界では、カルマは前世や今世、来世にわたって影響を及ぼすとされ、自分自身のカルマを浄化することで、より良い人生や魂の成長が促されると考えられている。

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    睦月如月忽ち流れ

    デカン高原空高く

    故国桜花の如き花

    咲かせし樹木テコマ随所に

    この国で19回目の春

    群衆に手を振るネルー

    その指先に留まりし鳥

    指南するアンベードカル

    左腕にインド憲法

    この国で19回目の春

    清濁併せ飲む日々は

    広大無辺に途方に暮れて

    昨日もまた日が落ちる

    今日もまた日が落ちる

    明日もまた日が落ちる

    この国で19回目の春

    憂うなかれと空がいう

    嘆くなかれと風がいう

    笑いなさいと月がいう

    あなたは概ね自由なのだ

    飛べ。

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    先日、動画を作ってシェアしたが、改めて別の写真も含め、ここに載せておく。特に、わたしが着用したサリーのブランド、The NOMI – Weavers Nestのブランド紹介には、目を通していただけたらと思う。

    北東インドのアッサム州に暮らし、北東インドのテキスタイルをはじめとする伝統工芸品をライフワークにしたいと願っていたNOMI。彼女の他界後、兄弟のSusantが、自分の仕事を辞めて、彼女の遺志を引き継いだのだという。……帰宅後、この写真の文章を読み、胸を打たれた。

    わたしはこの日、アッサムの伝統工芸の一つであるガラスのビーズで作られたネックレスを買った。普段、こういうアクセサリーは身につけないが、ジャイプル旅を経てTribe(民族)のエスニック・ファッションに対する関心も高まった。柄に柄、色に色を重ねたファッションも楽しみたい。

    思えば、ムンバイ在住のデザイナー、Joy Bimal Royも、他界した妹のサリーが契機となり、アップサイクルのサリー・ブランドを立ち上げた。家族愛が、滲み出る。ちなみに彼の父はベンガル映画監督として国際的に著名なBimal Roy。母はインドにおける女性写真家の先駆けでもあるManobina Royだ。

    今回の、我が着物の展示会にしても然り。祖母や母と関わりながら受け継がれた「伝統的な衣」は、単なる「衣類」という範疇を超えて、自分の出自に思いを馳せる契機ともなった。遙かなる歴史を映すテキスタイル。

    深淵。

    🥻過去の布。現在の布。パズルのように組み合わせて創る、唯一無二の芸術。(2022)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2022/11/joy.html

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    🥻👘 Finally, I debuted as a fashion model!😂 (日本語は下に)

    Thank you for giving me this unique opportunity, Mala and Prasad! The saree, traditionally crafted by the artisan of Assam, and the Japanese Shibori jacket (Haori) were a great combination💝

    It was a really fun experience to walk amongst the fashion models and NIFT (The National Institute of Fashion Technology) students. Thank you!

    インド各地の手工芸品が一堂に会するA HUNDRED HANDSのバザールが、7日から11日まで開催されている。ミューズ・クリエイションは、最初の2日間、「着物とサリーの比較展示会」と書道、折り紙のデモンストレーションで参加した。詳細は後ほど記録に残したい。

    ところで、開催の数日前に、主催者のMalaから「Prasadが、アルチザンの衣類によるファッションショーをやるから、ミホも歩かない?」とメッセージが届いた。老若男女が入り混じっての催しなのだろう、楽しそうだと思い、二つ返事で引き受けた。Prasadは、バンガロール在住の著名なファッション・リーダー。プロフェッショナルなモデル育成もしており、さまざまなファッションショーの開催にも関わっている。わたしも、個人的に面識がある人物だ。

    彼に指定されたヴェンダー「THE NOMI」で着たいサリーをアクセサリーを選ばせてもらい、同系色の絞りの羽織を着た。サリーのブラウスは持ってきていなかったので、昨日たまたま着ていた京友禅柄のお気に入りブランド、Pagongのシャツを合わせる。柄に柄に柄を合わせる楽しさ!

    蓋を開けてみれば、参加者はプロのモデルとNIFTの学生たち。そこになぜか一人紛れる平たい顔族のauntie。「あなたも歩くの?」などと学生たちに声をかけられながら、よくわからんが、溶け込んで列に並ぶ。

    実は、庭を散歩する時、たまに「モデル歩きの真似」、などをしていたお陰で(なんの練習だ😸)、着ていた羽織を脱いで振り回したり、ターンをしてサリーの後ろの部分を見せるなどする余裕もあった。歓声、いただけました!😂
    なんでも、練習しておくものだな。

    それにしても、モデルの若者らの、リアルなバービーっぷりといったら! 人種が違う……の領域を超えている。もはや、異なる「種(しゅ)」の生物のようである。ちなみにわたしの身長は166センチだが、彼らに紛れると小さくて丸っこい。
    いろいろ、楽しい経験だった。

    [総括]

    2012年、バンガロールに誕生した、インドの手工芸品、アルチザン支援の非営利団体、A Hundred Hands。創業者は、Mala と Soniaの二姉妹だ。わたしは、デリー拠点のバザール、DASTKARがバンガロールで開催されるたびに訪れてきたが、ここにも同様に足を運んできた。我が家を彩る調度品や絵画の多くは、伝統工芸の意匠を映した手工芸品が販売されている、このようなバザールで調達してきた。

    かつては、個人的に気に入ったヴェンダーに声をかけ、COVID-19パンデミック以前に毎年実施していた『ミューズ・チャリティバザール』に出店してもらうなど、繋がりが生まれた場所でもある。たとえばTulika Booksや、マドゥヴァニ と呼ばれる絵画のアーティスト、Vidushiniもそうだ。双方とも、パンデミック時代に、Studio Muse のYoutube動画制作に協力をしてもらったので、ぜひご覧いただきたい。

    さて今回の会場は、バンガロール南東部郊外に位置するファッション専門学校 NIFT (National Institute of Fashion Technology) 。先月、拙宅で開催した『着物とサリーの比較展示会/旅するテキスタイル』に来てくれたMalaから連絡があり、着物を展示しないかと声をかけてもらった。地理的にも時間的にも、全5日間の展示は難しいが、2日程度ならばと参加させていただくことにした。

    せっかくの機会。他の日本の方々にも協力してほしい。ミューズ・クリエイションのWhatsAppコミュニティにて有志を募ったところ、1日目に5名、2日目に2名が参加可能ということだったので、書道や折り紙のデモンストレーションも実施することにした。着物を展示する都合上、外のテントではなく、できれば建物内で……とお願いしたのが幸いした。Mala の計らいにより、広めのスペースを提供していただけたので、マネキン・ガールズ2名、およびポールなども準備する。テキスタイルの展示は「立体的」な方が人目をひくがゆえ。

    わたしはといえば、デリー&ジャイプル旅から戻っての3日後と、スケジュール的にはやや厳し目だったが、旅の翌日は旧居で猫らと休養。英気を養って翌日、新居へ移動し、スーツケース2つ分の着物や羽織、サリー、その他諸々の備品を、車いっぱいに詰め込んで準備を整えた。

    1日目の写真は、すでに先日シェアした通り。浴衣をお持ちの方には、浴衣姿で参加してもらった。それだけで、場が華やぐ。わたしは、久留米絣の浴衣を着用。先月のイヴェントで、着物の着付けに悪戦苦闘したせいか、浴衣は簡単に着付けられるようになった。成長した。

    ここで紹介しているのは2日目の写真。この日は、高校時代(!)の体育祭での「盆踊り」のために購入した浴衣を着用。子どものころから椿が好きだったこともあり(渋い)、これもまた椿柄だ。今、着てみるに、青とピンクのコントラストも美しく、すてきな絵柄だなと思う。

    2日目は、ファッションを学ぶNIFTの学生たちが次々に来訪。興味津々に着物を眺め、質問をしてくる。彼らの母親世代が、すでに「サリー離れ」が進んでいることもあり、インドの伝統的なテキスタイルに触れ合う機会が少ないようだ。聞けば学校で、伝統的なテキスタイルのことも積極的に勉強しているという。学生グループに、インド起源のテキスタイルが日本の衣類に及ぼした影響についてなど、着物を見せながら語ることを繰り返す。

    すべて展示品であり、販売はしていないことから、さらっと一瞥して去る人も少なくない中、強い関心を示す若者らに語るのは、非常に有意義であり、手応えを感じる。わたしのもとで、インターンをさせてほしいという学生も数名いた。思えば、わたしにとって最初のインターン生はインドの女子大生だったことを思い出す。国籍問わず、若い世代には、わたしの知り得る多くを、なるたけ伝えたいとも思う。

    模写が好きだという女子大生は、マネキンガールズを熱心に描き、それをわたしにくれた。折しも、横尾忠則のエッセイで、彼が子どもの頃、ひたすら模写をしていたとのくだりを読んだばかりだったこともあり、思うところ多く。

    書道と折り紙のデモンストレーションは、いつものように人気を集める。今回は、希望する学生たちに書道体験もしてもらった。筋のいい人もいて、驚かされる。

    ところで、NIFTとは、1986年にインド政府の「テキスタイル省 (Ministry of Textiles) 」により、デリーにて開校された。バンガロール校は1996年に開校。現在、全国に18校を擁する。2006年に法定機関として認可され、独自の学位を授与する権限を与えられたとのこと。1年前、デリー宅にて「京友禅サリー展示会」を実施した際、NIFTデリー校の教授と生徒たちが見に来てくれたことを思い出す。

    今回、キャンパスを巡りつつ、聴講生として勉強させてもらいたい……との思いに駆られた。書きたいことは尽きぬ。

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    🎨『どうして水玉模様なの?」インド先住民族ビル族に伝わる絵画の起源を伝えるアニメーション(必見!)
    https://youtu.be/VIRSBTjQ15Y?si=gowG18B-uA0yCfgX

    🎨自然を讃え、愛と豊穣を描く。インド伝統絵画「マドゥバニ・アート(ミティラ・アート)」の世界/画家ヴィドシニによる撮り下ろし
    https://youtu.be/UR4nbZrLvGE?si=_mw6MhZqzjKnJb9P

    👋インド各地の洗練された手工芸品が一堂に。COVID-19禍の職人たちを支援して実現したバザール
    https://youtu.be/jmJX_IdOlBY?si=uAGAWJsr9BXpzWge

    👋ミューズ・クリエイションも参加。素晴らしき、インド手工芸のバザール(1)
    https://museindia.typepad.jp/mss/2019/11/100-1.html

    👋ミューズ・クリエイションも参加。素晴らしき、インド手工芸のバザール(2)
    https://museindia.typepad.jp/mss/2019/11/100-2.html

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