インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    福岡7泊、名古屋3泊、東京5泊の半月に及ぶ旅を終えて、バンガロールに戻ってきた。久しぶりの一人旅は、日本発見の旅だった。旅を始める数日前に「日本の着物」に目覚めたことで、今回は「新しい目」を授かったような日々だった。

    福岡、名古屋、そして銀座……。自分でも呆れるほどに、「呉服関係」の店舗や催しに足を運び、着物に関わる人々と言葉を交わした。今回はあまり使うことはないだろうと思っていた名刺を、すべて使い切ってしまうほどに。

    書きたいことは募るが時間の余裕もない。とはいえ、インドに戻るとたちまち日常。実は半年前の銀座での経験も、書き残さないまま写真だけが眠っている。ゆえに、せめて備忘録として、記憶に残る写真をできるだけ残しておこうと思う。

    🗽

    10月21日の午前中は、インド関連の仕事の打ち合わせがあったので、サリーを着て出かけた。ちょうど銀座の中央通りは歩行者天国になっており。お気に入りの一張羅、オリッサ州のイカット(絣)のサリーを着用。写真は、映える撮影が上手そうな東アジア系旅行者の女子に撮ってもらったもの。

    12年前、当時20代だった若き職人が1年半もかけて織ったサリー。インドテキスタイル省からの受賞作品でもある。詳細は以下のブログに記録を残している。あのとき「地味?」と思ったがしかし、買っておいてよかったとつくづく思う。

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    午後は、やはり銀座で開催されていた「Saul Leiter ソール・ライター」にまつわるトークイヴェントに赴いた。ソール・ライター(1923〜2013)は、ニューヨークのイーストヴィレッジを拠点に活動していたジューイッシュ(ユダヤ系米国人)のアーティスト。自分の生活拠点から定点観測するかの如く、マンハッタンの情景をカメラで捉えた。カラーフィルムの黎明期にパイオニアとして活動したフォトグラファーとして知られているようだ。彼はまた、水彩画の画家でもあった。

    実は、わたしはソール・ライターのことを知らなかった。半年前の銀座で、ニューヨーク在住時の友人でエメラルド作家のHONOKAさんの展示会に足を運んだのだが、その会場となっていた森岡書店を経営する森岡督行氏のソーシャルメディアの投稿で知ったのだった。

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    『Saul Leiter The Centennial Retrospective』(青幻舎)の出版を記念してトークイベントを開催します。本書にソール・ライターの絵画についてテキストを執筆した平松麻さんと、「ソール・ライターの原点 ニューヨークの色」展を企画したコンタクト代表の佐藤正子さんをお迎えして、ソール・ライターの絵画と写真の特徴や、その現代性について、スライドを交えてお話しいただきます。

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    本来ならば、少しはソール・ライターについて予習をして訪れるべきところ、ほぼ下調べをせずに会場へ向かった。ただ、「ニューヨーク」というキーワードに導かれるように。ゆえに、スクリーンに映される彼の作品 〜水彩画および写真〜 はどれも初めて目にするものばかりだ。

    ピッツバーグの敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれ育ち、ラビ(祭司)への道を望まれていた彼が、神学校を去り、アーティストを目指してニューヨークへ移り住んだという彼のライフの背景を聞きながらスライドを眺める。

    「部屋に飾りたくなるような」穏やかな色彩を湛えた水彩画や、マンハッタンの「ガラス越し」あるいは「雪や雨に降られて」ぼやけて柔らかな色彩の詩的な情景写真の数々……。敢えて曖昧に、絵画に寄せたような写真は、ニューヨーク情景を彷彿とさせて、懐かしい。

    絵画はライフワーク、写真は趣味でありテーマ……。などと、勝手な印象を抱きつつ思うところ尽きず。昔日のマンハッタンが恋しい。
    イヴェントの終わりに「くじびき」が行われた。ソール・ライターのイラスト入りバッグと、彼が好きだった「コーヒー」と「日本文化」に因んでの「珈琲どら焼き」。……欲しい! と念じていたら、当選者4名のうちに見事、選ばれた。とてもうれしかった。

    会場を出たら急にコーヒーが飲みたくなり、近くのスターバックスに入った。……と目に飛び込む「1996」の文字。そこは、スターバックスの日本1号店らしき銀座松屋通り店であった。わたしと夫がマンハッタンのスターバックスで出会った1996年七夕の1カ月後にオープンしたらしい。今回の銀座では、つくづく、我がニューヨークの初心を思い出す。夫と出会ったばかりのころのことを、思い出しなさいということかもしれない。Well….

    [🇯🇵DAY 19−2 TOKYO] 一冊の本を慈しむ森岡書店で20年ぶりの再会! 婚約指輪とエメラルドと天然真珠のご縁。(2023/04/24)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/04/jpn19-2.html

    🇮🇳インドの伝統工芸と職人たちを支援し続けるDASTKARの創始者、Lailaを訪ねる朝。(2022/10/31)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2022/10/dastkar.html

    🇮🇳熟考の末、オリッサの絣、マスターピースを求む。(2011/08/12)
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2011/08/ikat.html

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    本日未明のフライトで、バンガロールに戻ってきた。

    「おかえり」と言ってくれる人のいる場所があることの幸せ。

    夜中の1時、空港に迎えにきてくれるドライヴァー。

    そして2時ごろまで、寝ぼけ眼で、頑張って起きていた夫。

    新居の方が空港に近いが、まだ猫らは旧居に暮らしているがゆえ、時間はかかるが市街に戻った。

    🐈‍⬛

    「ただいま〜」と庭に通ずるドアを開ければ、みな一斉に「逃げる」我が家の、安定して感じの悪い猫ズ。

    それでもかわいいのだ。

    追いかけると逃げるので、知らんふりをしていると、「なぁ〜」と言いながら、擦り寄ってくるところなど。

    🐈‍⬛

    久しぶりの、一人での、日本旅は、本当に豊かだった。毎日毎日、新しい出会いがあって、いろいろな人と言葉を交わして、楽しかったな。

    旅の余韻に浸る間もなく、今日からインドの日常が渦巻く。

    現在のインドは怒涛ホリデーシーズンで、祝祭やパーティ、イヴェントが目白押し。

    毎年、暦によって日が変わるから覚えるのも困難。ともかくは、これからインドは週休5、6日制につき。

    さて今日は、荷を解き、できるだけ残る旅の記録を残し、マッサージに来てもらい、リラックスしよう。

    🐈‍⬛

    NORA姉さん、安定の風格につき。

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    半年前、夫とともに一時帰国した際、白馬村で3泊4日を過ごしたことは、克明に記録したので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。

    一時期、バンガロールに駐在されていた村田さんと、この日はランチの約束をしていた。彼は帰国後ほどなくして転職。幼馴染と3人で、故郷の白馬村にブリュワリー「HAKUBA CRAFT」を創設している。わたしは、彼らの志に共感し、クラウドファンディングを通して支援するなど、ささやかながらも繋がりがある。

    半年前の白馬村では、夫婦共々、本当にいい時間を過ごした。スキーシーズン以外にも魅力溢れる白馬村。もっと活性化して不思議ではないとも痛感した。関心のある方はぜひ、下記のブログをご覧いただければと思う。

    「HAKUBA CRAFT」を広めるべく、東京でも営業をしている村田さんは、食のトレンドにも敏感だ。この日の店選びも彼に任せたのだった。待ち合わせの場所は、有楽町にある6th by ORIENTAL HOTEL。神戸にある日本最古の由緒あるホテル「ORIENTAL HOTEL」が由縁だという。

    神戸のオリエンタルホテルには、2017年、武庫川女子大にての講演を依頼された際、1泊した。最上階のロビーやダイニングからの見晴らしがすばらしく、客室もゆとりがあって快適、いいホテルだった。

    予約が取れず、ランチも混み合う可能性があるというので、正午より少し前に待ち合わせた。すると店の前には長蛇の列! なんでも「映えるパンケーキ」が大人気らしい。しかしながら、店の雰囲気は、またしてもニューヨークにあるビストロを彷彿とさせる。

    まず、ビルを一目見て「天神ビルみたい!」と思った。天神ビルの外観は茶色だが、曲線が個性的な窓枠のアール・デコ風デザインがよく似ているのだ。

    調べてみると、天神ビルは1960年に完成。窓枠にはステンレスを、外壁には茶褐色の有田焼窯変小口タイルが採用されているとのこと。高度経済成長期の天神を象徴するこのビルディング。半世紀ほども前の話だが、家族と「天神へお出かけ」したときには、1階のサンビームというカフェで、ソフトクリームを食べたものである。当時、ソフトクリームは「ハイカラ」な食べ物だったのだ。

    さて、長蛇の列に圧倒されつつ、これは別の店に行くしかないな……と思っていたら、村田さん登場。店の奥に鉄板焼きのコーナーがあり、そこには、すぐに通してもらえるという。なんでも、このすてきなビルディング、まもなく取り壊されるということで、この店も移転が決まっているとのこと。2日後に閉店するということで、最後に駆け込む人たちも多かったのだろう。

    店内に入れば、またしても、ニューヨークの空気。刹那、かつてユニオンスクエアにあったビストロ、そこで食べたコブ・サラダを思い出す。

    ハンバーグ定食的なランチを楽しんだ後、村田さんの案内で、有楽町のガード下の再開発エリアを歩く。この雰囲気がまた、昨日記したサラベスの店があった「チェルシー・マーケット」を彷彿とさせる。本当に、今回の銀座ではニューヨークを思い出す。

    彼が教えてくれた「ヒメホワイト」というビールを試飲するために、「伊勢角屋」へ。関心を持った理由は、同社の社長自らが、伊勢の杜に赴いて見つけ出した野生酵母「KADOYA1」を使って醸造していると聞いたから。それは、ベルギーのホワイトビール風、爽やかな口当たりがおいしい。インドのビール、BIRA91のホワイトビール・シトラスにもよく似た味わいだ。

    食べながら、歩きながら、飲みながら、記憶と情報が芋づる式で、間断なく話し続ける我。ビールのビジネスをやるのならば、ベルギー(ビールの銘柄や種類が途轍もなく多い)やチェコ(1人当たりのビール消費量が世界一)に行くべし! と力説する。1990年、ドライヴ旅行情報誌の仕事でベルギーを訪れ、同国を一周ドライヴ取材した。自然の景観の麗しさはもちろんのこと、芸術、建築、食……と、小さい国の中にぎっしりと詰め込まれた魅力に圧倒されたものだ。

    ゆえに、アルヴィンドと出会った直後、1998年にも、二人でベルギーをドライヴで一周した。思い出が尽きなさすぎるので、割愛。

    ともあれ、有楽町界隈を歩いていると、日本各地の物産店が随所に見られ、中にはモダンに洗練された店も見られ、伝統工芸品なども販売されているなど目を引くところも多かった。これからの東京には、こういう店がどんどん増えるのかもしれない。

    パンデミックが開け、インバウンドの旅行者が劇的に増えている日本。今こそ、ツーリズムに力を入れ、「日本の魅力」を世界に発信すべきと、今回の旅では切に思う。

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    🥞6th by ORIENTAL HOTEL
    https://www.6thbyorientalhotel.com/

    🍺新たな息吹! 白馬村のブリュワリー(2022年6月)
    https://museindia.typepad.jp/2022/2022/06/jpn20-3.html

    🍺故郷の白馬村で新たな試み。幼なじみの3人の青年が立ち上げたブリュワリー。(2023年4月)
    https://museindia.typepad.jp/2023/2023/04/jpn16-2.html

    ✈︎その他の写真はInstagramにて
    https://www.instagram.com/mihosakatamalhan/

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    東京とは、なんと広い都市だろうと思う。東京に住んでいたころは、これが当たり前で、他国の首都と比較する術がなかった。しかし、異国を旅し体験するにつけ、東京の鉄道網の複雑な混沌を実感する。

    皇居を中心に、込み入った曼荼羅のように広がる都市。その随所へ足を延ばすことなくこのごろは、銀座滞在だけで、東京旅が完結してしまう。無論、今日で銀座滞在3日目だが、銀座においてだけでも、行きたいところが尽きない。実に濃い。

    2日目はサラベスを離れたあと、中央通りを歩き、お気に入りの店、鳩居堂へ赴く。最近では、ここでインドの友人たちへのお土産を調達するのが定番だ。かさばらない和の紙製品は、日本の情趣に満ちていて喜ばれる。また、昨今、ニーズの高い「日本関係のイヴェント」において、千代紙を使う機会が増えているので、良質の京友禅和紙なども購入。

    そして、いつも通り、2階へ行き、お香や書道具を眺める……。と、改めて、硯箱や文鎮などの美しさに感嘆する。これまでは、時間が限られていることもあり、じっくり見ることなく去るのだが、この日は夜まで約束がなかった。

    見れば見るほど、漆塗りの硯箱が美しい。

    書道。わたしは、子ども時代に4年ほど習ったきりとはいえ、そこそこにできる。茶道や華道は難しいが、書道ならば、デモンストレーションも自信を持ってできる。
    ジャパン・ハッバ(日本祭り)や、友人たちへのギフトを通して、「書道短冊」がどれほど喜ばれるかは、これまでも幾度となく記してきた。これまでは筆ペンで小さめの文字を記すのがメインだった。

    しかし、それとは別に、着物を着て、墨を摺り、筆でしっかりと文字を書く様子を披露するだけでも、日本の伝統文化の一端を紹介できるのではないか、と思った。さすれば、硯箱や硯、筆、文鎮、水差し……きちんと揃えることにも意味がある。道具にまつわる物語を通して、日本の伝統文化の一端を語ることができる。
    かくなる次第で、店員さんに手伝ってもらいつつ、1時間以上、あれこれと吟味して、書道セットを購入したのだった。

    墨ひとつをとっても、石油系の廉価なものから、ごま油ほか、天然の油を使ったものなどピンからきりまで。香りを嗅ぎつつ、品定めをする。墨を摺るひとときは、心を鎮める瞑想のようなものでもあり。般若心経もこれまでは筆ペンで書いていたが、きちんと筆でしたためれば、心により、よさそうな気がする。

    自分の「日本の伝統を継承したい度数」が上昇中の昨今。能動的に対象を見つめ続けていれば、自ずと審美眼が養われるものだということも学ぶ。若者対象のセミナーでは「本物を知ろう」と語っているが、その「本物」とは何なのか。改めて自分に問うている。

    🥂

    そして夜。ミューズ・クリエイションの同窓会で銀座のレストランへ。店内に入るなり「バブル時代、ディスコだった?」と思わせる内装。聞けばディスコではなくキャバレーだったそう。そこがおしゃれなフレンチレストランになっていて、一隅の個室に通される。

    ミューズ・クリエイション「中期」から「後期」のメンバー8名が集ってのひととき。「初めまして」のメンバー同士もいることから、まずは一人5分ずつ自己紹介&近況報告タイム。みなさんお元気そうでなによりだ。

    もっと大々的に同窓会を……との声もあるのだが、正直、じっくり話せるのは最大で8名〜10名程度。この夜お会いしたのは、たまたまわたしのソーシャルメディアを見て気づいてくれた人と、その方が連絡先を知っているメンバーという構成である。正直、わたしはその「ご縁」だけで、十分にうれしい。

    歳を重ねれば出会いも増えて、会いたい人も増えてくる。しかし、限られた日数の一時帰国で、みんなに会うのは困難だ。ひとりの自由な時間を作っておいたおかげで、今回の旅、本当に実り豊かな出来事も多々あった。

    尤も、元メンバー同士での交流の輪は、バンガロールの在住時期が重ならないひと同士でさえ、かつでの同窓会で知り合って……という感じで、随所に広がっている。わたしの一時帰国時に集っていただけるのはもちろんうれしいが、普段から折に触れて集まられているという話を聞くだけでも、ミューズ・クリエイションが存在した意味があったと思えて、わたしはうれしい。

    ……というわけで、大同窓会に関しては、みなさんバンガロールでやりましょう!

    🇮🇳ここをご覧の関係者各位。2年後の8月下旬から9月初旬にかけて、坂田の還暦パーティを盛大に開催するので、バンガロール旅を計画に入れておいてください! ドレスコードは「白」です🇯🇵

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    🗽ホテルを出て、朝日に眩く照らされるビルディングを眺めながら歩く。やはりマンハッタンを思い出す。東京で最初の約束は、元ミューズ・クリエイションのメンバーだった陽子さんとかす美さんとのブランチだ。

    2012年から2020年にロックダウンになるまでの8年間、のべ228名が在籍し、ともに活動した。大半のメンバーとは、音信が途絶えてしまったが、今でも折に触れて連絡を取り合う人たちや、わたしのソーシャルメディアでの発信を読み、近況を知ってくれている人もいる。

    二人とは、去年の一時帰国時にも、上野でご家族共に会うことができた。しかし今回は、二人とも「単身」。待ち合わせの場所は東京駅前のサラベスだ。陽子さんが候補で選んでくれた店から、わたしがここをリクエストした。サラベスは、我がニューヨーク時代を思い出させてくれる愛着のある店のひとつなのだ。

    🗽今回の我が一人旅は、まさに「羽根が生えたような気分」で身軽に動いている。夫との旅には、ふたり旅のよさがある。しかし、四六時中、行動をともにするのは、普段から「自分のスペース」を尊重しているわたしにとってタフでもあり。

    ゆえに今回は「筋肉養成ギプスを外したあと」のような軽やかさなのだ。それは、陽子さんとかす美さんもそうだった。陽子さんは双子のお嬢さん、そしてかす美さんも、二人のお嬢さんがいる。しかし、こうして身軽な姿で会うと、彼女たちが「お母さんになっている」ことを忘れ、初めて会った日のことを鮮明に思い出す。

    かす美さんいわく、「ちょうど、10年前の今日、わたしインドに行ったんです!」とのこと。

    ……10年! 

    ミューズ・クリエイションのメンバーとしては当時、最若手な新婚さんだったかす美さん。メンバーそれぞれの「出会った当初」の印象が強く脳裏に刻まれていて、歳月の流れを感じさせない。近況などを語り合い、ふたりはきらきらと美しく、元気な様子がうれしい。

    ところで、二人が注文したのは、サラベスの人気メニューのひとつであるエッグ・ベネディクト。約25年前、ニューヨークで初めて食べた時の感動を思い出す。ちなみにわたしは、ヘルシー系なブッダ・サラダ🥗を注文。話は尽きず、時間は瞬く間に流れ、また来年の再会を約束して、手を振ったのだった。

    🗽わたしが個人的にサラベスへの思い入れが強い理由は、1998年、日本の雑誌の仕事で創始者であるサラベス・レヴィーンご自身を取材したことがあるからだ。1996年にニューヨークへ移住し、数カ月後にアルヴィンドと付き合い始め、1997年に同棲開始。わたしは日系の出版社で現地採用として働く傍ら、Muse Publishing, Inc.を起業した。

    1998年、最初に受けた日本からの仕事が、このJCBカード情報誌「CARDAGE」のニューヨーク特集だった。当時、アッパーウエストサイドのブランチ店が人気で、“Good Enough to Eat” や、この“Sarabeth’s”ほかパンケーキ専門店などは、週末の朝、長蛇の列ができていた。

    わたしの生活拠点もまた、アッパーウエストサイドだった。アルヴィンドとは、フレンチトーストやエッグベネディクト、ワッフルなどを食べに、人気店へよく出かけたものである。

    🗽“Sarabeth’s”は、そもそも「オレンジ・アプリコット・マーマレード」を売る店として1980年代に開業していた。サラベスが祖母から受け継いだレシピで作ったジャムだ。これが本当においしくて、かつてはニューヨークへ行くたびに買っていた。

    やがて、“Sarabeth’s”は、料理も提供するようになり、人気店に成長した。

    “Sarabeth’s”が飛躍的に成長する契機になったのは、ちょうどわたしがこの雑誌を取材した1998年ごろだ。オープンしたばかりの「チェルシー・マーケット」店にて、オープンキッチンとカフェを開店。写真はそこで撮影したものだ。元ナビスコのビスケット工場を改築して作られた「チェルシー・マーケット」は、当時、画期的なコンセプトで話題を集めた。

    彼女は仕事に対して真摯に厳しい人だった。「おばあさんのレシピ」といえば、ほんわかした印象だが、全く違う。キッチンで働く人たちへの厳しい指示、睡眠時間を最低限にして激務に徹する彼女は、タフなビジネスウーマンだった。

    一方で、彼女は「祖母から受け継いだ」という小さなメモ帳をパラパラとめくりながら、レシピの確認をする。モダンなキッチンと、小麦粉のついたメモ帳とのギャップが、印象深く心に残っている。

    🗽現在80歳のサラベス。きっと今でもお元気で、キッチンに立っていらっしゃることだろう。

    ……と気になって、今調べたところ、なんと!

    今月初旬に来日され、この東京店にて開催されたイヴェントに出席されたとのこと! いやはや。お元気そうで本当にうれしい。

    ああ、New York In My Mind…..!!

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    🇯🇵福岡、名古屋を経て、わずか三都市目にも関わらず、久しく旅をしてきた感ありの今回。東京駅に到着し、タクシー乗り場で夜空を仰いだとき、なんだかホッとした。そして、ホッとする自分に驚いた。

    2002年にポプラ社より発行された拙著『街の灯(まちのひ)』でも描写しているが、20代を過ごした東京は、わたしにとって、タフな都市だった。自分のキャリアの基礎を構築した大切な地である一方で、辛いことも多すぎた。

    だからこそ、1996年の春、30歳で語学留学目的で渡米、1年で帰国するつもりが、もう、戻らないと決めて、今日に至る。

    あれから幾星霜。かつては一時帰国で東京へ来るたびに、一抹の、胸を締め付けられるような感傷に苛まれる瞬間があった。しかし、10年ほど前から、そのような思いをすることがなくなった。歳月が流れたせいだろう。

    一時帰国で滞在する場所も、品川、六本木、銀座……などと都度、変わってきた。しかしここ10年は、ほとんど銀座だ。銀座が落ち着く。一方で、東京在住時には好んで訪れていた表参道にはもう、何年も足を運んでいない。

    🇺🇸わたしにとって、かけがえのない街、ニューヨーク。1996年から2001年までの5年間を暮らした。そして2002年にワシントンD.C.に移ってからも、頻繁に出かけていたし、インドに移住してからも、年に一度は必ず訪れていた。永住権(グリーンカード)を維持することも、目的のひとつだったし、何より、マンハッタンが好きで、年に一度は行きたいと思っていたからだ。

    5月のマンハッタン、10月の日本が、インドに移住して以来の、毎年の恒例旅だった。しかしながら、2019年の5月を最後に、COVID-19パンデミックでその年中行事は終止符を打った。永住権も、諦めた。もう4年間も、マンハッタンの土を踏んでいない。

    これもまた、我が人生のおける変化なのだろう。サイクルは、連続すればいいというものではなく。パンデミックが契機となって、新たに開けた視座も多いのだから。

    今は「インドと日本」の2カ国間の仕事や個人的な学びが楽しい。もちろん、別の国を旅したい気持ちもあるが、身体はひとつにつき。

    🇯🇵タクシーの車窓から、夜景を見ながら、銀座がマンハッタンに見える瞬間がある。「マンハッタンに寄せてるよね?」と思えるビルディングも増えている気がする。気のせいだろうか。銀座通りが五番街、今回滞在するホテルがある昭和通りがパーク・アヴェニューに見えてくるからおかしい。

    🥂夜は軽めにすませるつもりが、ホテルのそばにあった「俺のフレンチ・イタリアン」に吸い込まれ、カウンター席へ。スパークリングワインを注文し、一人旅に乾杯🥂。そしてハーフのサラダと「しらすのパスタ」を注文。これがなかなかにおいしくて、完食したのだった。ほんと、食べすぎるが幸せ。

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    明治初期創業の貿易会社「森村組」が、ニューヨークを舞台に一世を風靡したのが黎明。

    ノリタケミュージアムでは、明治時代の創業当初の背景、森村兄弟のストーリーに、強い感銘を受けた。それは以前、倉敷にて「倉紡記念館」を訪れた時の感慨と似ている。明治時代の若き青年らの、野心の輝き。

    和製マジョリカタイルを作り、中華圏やインドに輸出した青年らの未来展望とも共通する。明治時代には、海の向こうを見晴るかす若者らが、大勢いたに違いない。

    ノリタケの歴史をここに整理してまとめたい衝動に駆られるが、そんな余裕もないので、創業者である森村市左衛門について、ホームページからオリジンとなる描写を要約する。

    「江戸湾浦賀に黒船来航する14年前の1839年、武具商の長男としてノリタケの創業者、森村市左衛門は江戸京橋に誕生。1859年、市左衛門は20歳のとき、海外貿易を志した。家業を継ぎ御用商人として活躍していた市左衛門は武具や袋物を扱っていたが、横浜港開港に伴い唐物(舶来品)を仕入れて徳川の旗本や藩邸などに販売。やがて貿易商を志すようになる。好奇心旺盛で新たな文化の吸収に積極的だった彼の目は、明治維新以前から、海外に向いていた……」

    そして1876年、市左衛門が37歳の時、彼は銀座に貿易会社「森村組」を創業。当時22歳だった弟の豊をニューヨークに送り、日本の陶磁器製品を販売した。それは、森村組が瀬戸で作らせた生地に、東京や京都で絵を施した花瓶や飾り皿、壺など「ファンシーウエア」と呼ばれるものだった。

    それらこそが、「オールドノリタケ」と呼ばれ、このノリタケミュージアムの最上階にて展示されている艶やかに麗しい作品の数々だ。思わず「ほえぇ〜」と嘆息が漏れてしまう、美しいファンシーウエアの数々……。

    現在のノリタケに連なるビジネスは、1904年に作られた1枚のディナープレートから始まる。前回の投稿で写真を載せているそれだ。商売の拡大のため、日本で食器を作り輸出することを決め、同年「日本陶器合名会社(現在のノリタケ)」が創設されたという。ちなみに東洋陶器(TOTO)も、母体は森村グループだ。

    今回の名古屋旅。建築、陶器、布、職人技……と、多岐にわたる我が関心が渾然一体となって引き寄せられて、本当に豊かだった。3泊4日の短い間にも、ここには書ききれないたくさんの学びと、発見の連続だった。

    そして、改めて思う。森村ブラザーズが持っていたような、視点と挑戦。現代にも通用するに違いないと。日本で育まれてきた伝統工芸が廃れてしまう前に、なんとか継承し続けられないものか。不易流行……。

    ともあれ、久しぶりの一人旅。自由に羽根を伸ばして、行きたいところへ行けるのが本当によかった。まだもう一箇所、実は名古屋でどうしても行っておきたい場所があった。次回の日本旅……他の土地にも足を運びたく、さて、どうなることだろう。

    ともあれ、名古屋、楽しい時間をありがとうございました。

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    🇯🇵[日本旅 Day 08 倉敷] ひとり旅最高!美観地区で工芸品と芸術に触れる1日(2018/11/08)
    https://museindia.typepad.jp/2018/2018/11/jpn08.html

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    名古屋駅新幹線口を出て、ホテルへの道すがら。交通標識の地名に「則武」の文字が見えた。ノリタケ……。ノリタケって、地名だったのか! と、ハッとした。

    名古屋が陶磁器メーカーであるノリタケの故郷であることは知っていたし、ミュージアムやショップを擁する「ノリタケの森」の存在も知っていた。しかし、今回の旅で立ち寄る予定はなかった。一方で、『明治村』のギフトショップで「フランク・ロイド・ライト」デザインによるノリタケ作のカップを目にした時、これは最終日に買いに行くべきか……とも思った。

    有松巡りを昼過ぎに切り上げ、名古屋駅へ戻り、徒歩で「ノリタケの森」を目指す。ご記憶の方もいらっしゃるかもしれないが、わたしは今年2023年5月、インドのノリタケの仕事で、ムンバイへ出張した。ノリタケの購買層に該当する富裕層が暮らす高級高層アパートメントのバンケットルームにて、日本の陶磁器の歴史と欧州へ与えた影響などをプレゼンテーションしたのだ。そのときの記録も下記のブログに残している。

    1904年、愛知県に誕生したノリタケ。インドの隣国スリランカにも工場を持っているという背景もあってか、インドにおける認知度も高い。友人らの家でもティーセットを見かける。親日派の老婦人は、オールド・ノリタケのティーセットが宝物のひとつだと語っていた。

    やはり、行くしかあるまい。

    まずは多彩な食器やインテリア用品などを扱う「ノリタケスクエア」へ。ここのカフェで軽くランチをすませたあと、お目当の「フランク・ロイド・ライト」によるコーヒーカップ「インペリアル」(帝国ホテルで使われていた食器の復刻)をペアで購入。これは犬山で買った「犬山焼き」の一輪挿しと並んで、名古屋旅のいい思い出になる。また、アウトレットコーナーでは、驚くほど廉価で販売されているすてきなマグカップを2つ、購入したのだった。

    ショップでは、わたしが好きなニューヨークのブランドMACKENZiE-CHiLDSのケトルやカップ類もある。大胆な黒と白のストライプや艶やかな花柄が印象的ですてきなのだ。なぜノリタケにニューヨーク? と思いつつ……。

    ノリタケミュージアムで目にした「オールド・ノリタケ」のすばらしい作品(商品というよりは作品)については、次に綴る。「名古屋情景」が終わらない。

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    ☕️インドの人々に、日本の伝統工芸と陶磁器の歴史を語る午後
    ~ JAPANESE CUTURE SALON by 25 SOUTH & NORITAKE ~
    https://museindia.typepad.jp/fashion/2023/05/noritake.html

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    今回の旅。動くほどに、大小のトラブルにも直面した。名鉄線では駅員さんから信じがたい対応を受けて、不愉快な思いもした。空港から出発し、いくつもの観光地を結ぶ名鉄の路線で、重いスーツケースを携えた人間に対し、思いやりのかけらもない駅員がいることにも驚いた。

    エレベーターもエスカレーターもない犬山遊園駅。重いスーツケースを携え、階段を降りて上って疲労困憊。車内に運び込み、ようやく座った矢先のこと。結論からいうと、ガラガラの車内で、立たされ続けた。「日本の魅力」と、「日本の旅のしにくさ」のせめぎ合いは、一時帰国のたびに発生する。この件については、また別途、記したい。

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    名古屋駅前に到着後、常滑へ向かう前に、荷物をホテルに預けることにしていた。駅前といえども、実際に歩くとなると遠い!工事中で迂回などもあり、その一つ一つが体力を消耗させる。駅の中にあるホテルを探すべきだったと後悔するも、結果的には、このホテル、悪くなかった。

    こんな体力勝負の旅は、あと何年できるだろう……体力は備えておかねばと思いつつ、大小二つのスーツケースをごろごろと押しながら、引っ張りながら、福岡で予約した「リッチモンド・ホテル」に向かう。

    そこは、小さいながらも清潔で、使い勝手のいい新しいホテルだった。スタッフの対応も非常にいい。最近のビジネスホテルは、狭い空間を有効利用しての工夫されたレイアウトにつき、昔とは印象が違う。狭いながらも浴槽があるのもよい。

    夜は、近所をふらりと歩いて見つけた「焼肉屋」で一人焼肉を楽しんだ。お客は少なく、一人でも焼かせてくれたのはよかった。非常においしい料理と日本酒で至福の夜。

    翌朝、ホテルの朝食ブッフェの充実にも驚いた。女性のスタッフたちがきびきびと働いている。名古屋の郷土料理などもさまざまにあり、またしても、朝から食べすぎてしまう。

    その場を仕切っていらしたスタッフの方に「お料理、おいしいですね。ここで作っていらっしゃるんですか?」と尋ねたところ、「はい。ここで作っているもののほかに、ロイヤルからも届きます」とのこと。

    ロイヤル……?! このリッチモンドホテル、ロイヤルホストでおなじみのロイヤルホールディングスによるホテルチェーンらしい。

    ロイヤルといえば福岡が拠点。個人的に思い出の尽きない店だ。高度経済成長期、創業者の江頭匡一氏が、日本で最初にセントラルキッチンをを導入。機内食を作り、ファミリーレストランの黎明期を支えたロイヤル……。実はわたしが初めてアルバイトをしたのもロイヤルホストだった……というわけで、またしても思い出が尽きない。ロイヤルの話題だけでも、バブル時代の外食産業の一端を延々と書けるので大幅割愛。

    さて、朝食のあとは、荷物をフロントに預けて、近鉄線に乗り、今度は南方面の有松へ向かったのだった。そして午後、東京へ向かう前に、もう一つ、立ち寄った場所があった。まだ続く名古屋の話題😅

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  • D5

    More than 100 types of Shibori and dyeing techniques.

    ●World Shibori Network Foundation

    https://shibori.org/

    International Shibori SymposiumThis exhibition looks back at the 30-year history of the International Shibori Conference, which began with the first conference held in 1992 in the areas of Arimatsu and Narumi, where shibori was introduced to the world. The exhibition introduces the historical background of Arimatsu and Narumi shibori as a culture, tradition, and industry.

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