インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    👘一昨日、新天町で購入した着物を嬉々として持ち帰り、母に見せたところ、「そういえば、クローゼットの中に、昔の着物があるよ。スーツケースの中に入っているから、明日、見てみたら」と母。

    母が昔、着物を持っていたことは知っていた。しかし、着物姿の母を見たのは、数えるほどしかない。そもそも洋装が好きだった母は、着物にはほとんど関心がなかったという。ところが、父方の祖母(母にとっては義母)には「着道楽」なところがあり、母にも購入を勧めていたようだ。

    わたしの父は、存命中、建設会社を営んでいた。わたしが生まれたころに、トラック1台で起業し、高度経済成長と並行するように、会社も成長していた。しかしながら、バブル最盛期に事業が陰り始め、当時住んでいた家を売却するなどの波乱があった。最終的には、バブル経済崩壊と重なるように、会社も倒産した。

    そのときに、母の着物類も、着ることがないのだからと処分されたのだろうと思っていた。というよりは、これまで母の着物について、思いを巡らすこともなかった。

    👘そして昨日。本当は、もう一度、天神で買い物をしに行く予定だったのだが、クローゼットの着物が気になって、大きな2つのスーツケースを開いた。たとう紙の紐をほどいて、開いていけば……。

    なんてこったい! 

    京友禅の、久留米絣の着物! 総絞りの羽織! 西陣織の帯! わたし好みの派手めな色合いのものから、しっとりと落ち着いた風情のものまで、次から次へと、ヴァラエティ豊かに魅惑的な布が現れるではないか……!!

    しかも、まだ仕付け糸がついたまま、一度も袖を通されていないものもある。帯も多分、ほとんど結ばれたことがないものばかりだろう。

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    👘わたしが子ども時代を過ごした福岡市東区名島汐見町(現在は千早)の家。その隣に、1968年ごろから1974年ごろにかけて、祖父母が暮らしていた。つまり、その期間に買われた着物だから、約50年前、半世紀も経っていることになる。

    当時、呉服屋さんが祖母の家に着物を持ち込み、母は祖母に呼ばれて、購入を促されていた様子。日本の呉服産業の最盛期が1975年あたりらしいので、まさにピークの時代だったのだろう。

    着物を広げ、愛でながら、祖父母や父のことを思い返す。この不思議な時間……。

    中には、わたしが中学のときに仕立ててもらい、1度だけきたことのある絣のアンサンブルも出てきた。当時は「地味でババくさい着物」と思い、全くありがたみを感じていなかったが、今見ると、本当にいい! 本当にいいと思うまで50年も経っちまった。

    着物の知識が皆無だったわたしが、インドのサリーを通してテキスタイルに惹かれ、そして母国の着物に還っていく……。

    まさに、「お帰り/お還り」だ。

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    👘わたしは、着物に縁遠い人生を送ってきた。子どものころ、七五三やお正月などに着物を着たり、夏祭りに浴衣を着たことはあったが、それは数える程。もちろん、着物の布の種類や品質について、思いを馳せるようなことはなかった。

    わたしが成人式を迎えたバブル経済の時代、数百万円もする豪華な振袖を着る人が大半だったが、わたしは「振袖はいらないから、米国に1カ月、語学留学するための資金援助をしてほしい」と親に頼んだ。1ドルが250円以上だった時代。アルバイトをしても、自分で留学費用を捻出することはできなかったのだ。

    先日も記した通り、浴衣でさえ滅多に着ておらず、タンスの肥やしになっていた。しかし、一時帰国の前の日本のイヴェントで、浴衣を着たときに周囲に褒められ、非常に気を良くした。

    インド人に対して日本を伝える機会が増えている昨今。浴衣のヴァリエーションを増やしたいと思い、今回の帰国時には購入しようと決めていた。

    とはいえ、今は浴衣が売られている季節ではない。一昨日、一年中、浴衣販売をしている中洲川端の店に赴いたが、あいにく定休日だったことはすでに記した。しかし、どうしても諦めきれず、昨日は、福岡市内の天神にある、昔ながらの繁華街である「新天町」へと赴いたのだった。

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    👘新天町にある老舗、まるきん呉服店「今昔きもの 緊縮屋」。この店の前は、これまで何度となく通過したことがある。しかし、店内に入るのは、今回が初めてだった。

    店に入った瞬間、「なんという宝の山だ!」と、心が沸き立った。

    ホームページの案内を抜粋するに、「加賀友禅や本場結城紬、本場大島紬などのきものを着用・未着用にかかわらず、驚きの価格で販売しております。」とある。

    インドでサリーに出会って20年余り。これまで、数えきれないほどの店を訪れ、数えきれないほどのサリー(布)と触れ合ってきた。眺め、触れ、纏い、布の魅力を吟味する。知らず知らずのうちに、布に対する審美眼が養われていた。

    日本の絞りや紬、織り、染め……さまざまなテキスタイルの伝統的な技法が、インドから中国大陸や朝鮮半島を経て、日本にもたらされた。仏教とともに伝来した布の歴史もまた深く、綴るに尽きない。

    👘思い返せば、先日の日本食のイヴェントの前日、運営に関わっていた友人のYashoからの電話がきっかけで、わたしは浴衣を着ることにしたのだった。実は、イヴェントの前に他のミーティングが入っていたので、普通の服で出席するつもりだった。

    しかし、Yashoが、買ったばかりの日本の羽織(総絞り)を着るから、美穂も日本ぽいサリーを着たら? と勧められた。しかし、サリーはすべて新居においていて、そのとき旧居にいたわたしは、取りに行く余裕がなかった。そのとき、閃いたのだ。「浴衣を着よう!」と。

    それから、久々に浴衣を取り出し、Youtubeで着付けを復習し、帯の結び方を覚えた。そしてあの日は、ミーティングを終えた後、自宅に戻る時間の余裕がなかったので、ホテル内の広めのトイレで(幸い鏡も付いていた)、浴衣を着たのだった。

    そのYashoから、もしも日本でヴィンテージの羽織があれば、わたしの分も買ってきてと頼まれていた。

    👘絞りや京友禅の羽織が、信じられないような値段で販売されている。まずはそれらを3枚購入。浴衣はないとのことだったので、どうしたものかと迷ったが、お店の女性が「浴衣をきちんと着られるならば、帯の結び方を練習すればいいだけだから、着物も大丈夫ですよ」と気軽に言ってくださる。

    これはもう、「着物を着なさい」という神の啓示だと思い、着物を買おうと決めた。すんばらしい総絞りの着物や、友禅の留袖などが、「いいんですか?!」というような値段で売られている。幸い、身長166センチのわたしにもちょうどいいサイズのものがあった。

    帯もまた、よりどりみどり! しかも全体に値段がお手頃。しかし、その玉石混交に、とてつもなく豪華な西陣織の「玉」が紛れていて、興奮が高まる! その場でYashoにヴィデオ・コールし、写真を送る。彼女も非常に興味を持っていて、今すぐにも飛んできたいような情熱だ。

    帯の長さは4メートル。半分に切って、テーブルのセンターランナーにも使える。贅沢すぎる使い方だが、タンスの中にあるよりは、愛でられる方がはるかにいいだろう。

    わたしが何枚か送った写真の中から、彼女が選んだのは、そこにある中でも最高級クラスの帯。さすがYasho。写真越しでもそのクオリティの高さを見抜くことができるとは敬服だ。

    わたし自身、サリー選びで培った審美眼が、着物選びに役立った。さらには去年、「京友禅サリー」のプロモーターを務めたことで、京友禅の世界を学び、半年前の京都では、西陣織を目にし学ぶ機会もあった。そんな経験すべてが、役立っているようでうれしい。

    かくなる次第で、着物2枚、帯3枚、羽織3枚。それらを、信じられないような価格で、購入できた。これらは、インドのテキスタイルとサリー講座をする際に、「インド発祥だが、日本にて昇華した芸術」として紹介できる。

    重い着物を携えつつも、心は浮き立つ。さて、今後はYoutubeで「着付け特訓」をせねばと思いつつ、帰路に着いた。
    ……そして着物にまつわる話は、ここでは終わらない。先ほど、衝撃的な発見があった。それはまた、次回、記す。

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    昨日は、櫛田神社界隈を散策した後、『博多本』をパラパラとめくり、最寄りの気になる場所を訪れた。「博多旧市街」との名称で観光客向けに整備が進められているらしき界隈。日本人よりも、外国人観光客の姿が目立つ。

    真言密教の祖である空海が「日本で最初に」建立したという「東長寺」へ。「九州八十八ケ所第一番霊場」の文字が目を引く。その歴史は古い一方、まだ新しい2011年建立の五重の塔が美しい。ふらりと境内を歩いていたら「福岡大仏」の文字。初めて知ったな~。入場料50円。安いな~。と、非常に軽い気持ちで、階段を上る。

    入り口で、箱の中に50円を入れて中に入ろうと正面を見たら……!

    思わず「オーマイガー!!」と声が漏れた。

    もうね、びっくりですよ。それはそれは大きな、木造の大仏さまが、傾き始めた日差しを浴びて、神々しく鎮座されている。大きいだけではない、なんともお優しく威風堂々のたたずまい。こんなにもダイナミックな大仏さまがいらしたとは! 
    今、サイトで調べたところ、以下の一文が。

    「五重塔が有名な東長寺ですが,実は日本最大級の大きさを誇る木造座像の大仏があるのをご存知ですか。」

    知らん、知らんかったよ!

    受付の女性に「すごいですね、ここ!」と話しかけずにはいられない。聞けば7割以上が外国人客だとか。知名度が低いのは、1988年(昭和63年)に作られた比較的新しい仏像だからだろうか。

    写真撮影ができなかったので、様子をお伝えすることはできないが、看板の写真からは想像のつかない迫力だ。しかも、写真にはない、「黄金色の法輪」をお持ちでいらした。それが木造の御神体に映えて、とても美しかった。調べたところ、2022年11月に納められたばかりとのこと。コロナ禍や戦争で「苦しみ悩む人々を少しでも救えれば」(藤田紫雲名誉住職)との願いが込められているらしい。

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    さて、東長寺から数分ほどの至近にあるお寺へ。

    臨済宗の祖であり、栄西禅師が「日本で最初に」開山した禅寺「聖福寺」へ。なお栄西禅師は、宋での留学を経て、臨済禅とともに「茶の種」と「喫茶法」も持ち帰っている。

    ひっそりと、ひと気のない境内。池や禅寺を眺めつつ、黒猫としばらく過ごして仏殿へ。すると、仏殿前の柱(回向柱)に目が止まった。説明を読めば、この回向柱から伸びる「善の綱」は、ご本尊「釈迦、弥陀、弥勒」それぞれの右の御手に結ばれた金糸と繋がっているという。

    つまり、回向柱に触れることで、仏様に触れることになるという。

    これを読んだ後、心を鎮めて、両手のひらを回向柱に当てた瞬間、図らずも、涙が溢れてきた。しばし静かに世の安寧を願い、手を離した。なんという有難さか……。

    満たされた思いでいたところ、外国人のご夫婦がいらした。この説明をして差し上げると、早速、回向柱に触れられていた。

    実は昨日、博多町家でも、東長寺の地獄極楽巡りでも、居合わせた外国人観光客に対し、英語で説明をして喜ばれた。これは、夫と旅をしてわかったことだが、京都でも英語のツアーガイドの需要は極めて高く、特に知識豊富な人はひっぱりだこで、高額でもある。

    福岡で数カ所巡りつつ、わたしが自分で勉強をして、案内をしたいくらいだと思った。米国やインドで視察コーディネーションなどをやり続けて来た身。日本の案内も、もちろんできる。

    ……が、わたしがやるのではなく。

    世界を舞台に生きたい若者たち! いずれ海外に行きたい若者たち! 日本にいながらにして、グローバルな感性を育みたい若者たち!

    地元のことを勉強し、まずはヴォランティアで、外国人旅行者のツアーガイドを始めてみてはどうだろう。

    海外に出ると、「日本人である自分」を意識する機会が圧倒的に増える。母国を知っておくと、あらゆる面で役立つし、自分の人生が豊かになる。

    ①英語の勉強 
    ②日本のことを学ぶ機会 
    ③日本にいて異文化に接する 
    ④海外に知り合いができる 
    ⑤収入源にもなる

    ……一石二鳥どころか、一石二三四五鳥である。

    なんども記しているが、わたしのインド友人の多くが、日本旅をしている。都度、諸々の情報を尋ねられる。観光地の情報はもちろんのこと、お勧めの食のスポット、あるいは伝統工芸など日本らしいものの「良質なもの」がどこで買えるかなど。

    それらを自分なりに整理して友人らにシェアしようと思うが至らず。わたしも勧められるサイトなどをリサーチせねばと思いつつ、歳月が流れる。

    英語でのツアーガイド。もちろん英語だけでなく、韓国語でも中国語でも……。

    訪れる人たちに、日本のことをより深く知ってもらうために。

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    福岡を離れてちょうど40年。今になって、この土地の歴史や文化の深さについて、思いを馳せずにはいられない。

    高校を卒業後、福岡を離れ、山口県下関市の大学に進んだ。それからは、東京、米国、インドと暮らし、久しく福岡に親しむ機会はなかった。しかしながら、年齢を重ねるにつれ、福岡だけでない、日本の伝統文化や歴史に対する関心が高まった。特にインド移住後、インドの伝統工芸に心惹かれ始めたことに並行して、日本のそれにも興味がわいてきた。

    今年の4月は夫と日本を旅し、特に京都には6泊するなど比較的長く滞在したが、しかし全く時間が足りず。1カ月程度はじっくりと巡りたいと思わされるほどに、そこは魅惑的な世界だった。人間は、経験を蓄積しながら生きるから、若いころと今とでは感性も関心も変化する。

    たとえ同じ土地でも、訪れるたびに新たな発見があるのは、当然のことだ。ゆえに、旅する人生は豊かにも短い。先送りせず、できる限り、行きたいと思う場所には行こうと思う。また、アルヴィンドと出会ったことで、一人では持ち得ない「外国人視点」から祖国を眺めるも楽しく、世界が広がっているのも事実だ。

    さて昨日は、所用をすませたあと、中洲川端通りで浴衣を買うつもりだった。しかし、目星をつけていた店があいにくの定休日。仕方ないので諦めて、キャナルシティまで歩いて遅めのランチ。

    その後、「櫛田神社」を参拝し、山笠を眺め、樹齢千年、博多一古い「不老長寿のご神木」である銀杏の大木を仰ぎ、いつものルートで「博多町家ふるさと館」へ。

    ここは夫とも、幾度か訪れたことのある場所。夫は張り子のトラが気に入って購入した。今回は、友人らの土産に、博多織の小さなポーチ、それに自分のペンケースなどを買った。そして館内にて、博多の歴史や工芸品の背景などを改めて学ぶ。

    昨日は、「博多曲げ物」の展示が興味深かった。また、福岡県無形文化財指定「筑前博多独楽」の絵付け実演をされている女性のお話を聞き、初めて「博多独楽」による曲芸や、その470年以上にも及ぶ長き歴史についてを知った。筑前博多独楽を正統に伝統を受け継いでいるのは、絵付けをされている女性のご主人、筑紫珠楽氏だという。彼女とご子息も、舞台に立たれるとのこと。

    先ほどYoutubeで動画を見たところ、子ども時代にテレビなどで見たことがある記憶が蘇った。

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    帰り際、受付に置かれている資料類をピックアップする。日本語だけでなく、英語、中国語、韓国語などが併記されているものも少なくない。COVID-19パンデミックを経て、外国人観光客が激増しているらしき日本各地の観光地。福岡市もまた、例外ではないようで、すでに多くの外国人観光客を目にする。

    博多区企画振興課による「博多の魅力発信会議」が発行している『博多本』という小冊子の編集が洗練されていて、とても読みやすく理解を促す。冒頭の漫画「博多ものがたり」(長谷川法世)も、この地の歴史的背景が端的に描かれていて興味をそそる。

    灯台下暗し。福岡に住んでいる人もきっと、知らないことがたくさんあるに違いない。十数年前、夫と太宰府を訪れた時に、彼のリサーチにより「観世音寺」を知り、その大仏の圧倒的な存在感とすばらしさに言葉を失ったことを思い出す。
    観世音寺に行ったことのない福岡の民、少なくないはずだ。太宰府に行かれた折にはぜひ、立ち寄られたい。

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    ①天神大丸のエルガーラ、パッセージ広場。コスモスの花が秋の風情を醸し出す。

    今年の日本は猛暑だったらしいが、今は季節の変わり目。うろこ雲や涼風が、秋の訪れを教えてくれる。一時帰国では、どうしても予定を詰め込みがちで、のんびりと世界を眺める時間が少なくなる。半年前は夫と一緒だったこともあり、気ままな行動ができなかった。ゆえに今回は、母と過ごす時間も確保し、極力ゆとりを作りたく、福岡では人と会う約束を入れていない。

    本当は、FM熊本の収録のため、日帰りで熊本に行こうかとも考えたが、9時からの生放送となると、どう考えてもリスクが高い。2007年から、毎月インドを伝え続けて15年。当時、一度、スタジオを訪問したきりだ。いつか、せめて前夜入りして、観光も兼ねて出かけたいものだ。

    さて、ちょっとした買い物や、ヘアカットのために近所の千早あたりまで出かけたり、母と天神へふらりと出かけたりしているうちにも、瞬く間に時間は過ぎる。写真を拾い集める。

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    ②AUX BACCHANALESで軽食。オムレツの他にクロックムッシュを頼んだ。チーズふわふわでおいしかった。

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    ③④木工用ボンドで描くアーティスト「冨永ボンド」のアートがファンキーで楽しかった。

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    ⑤20代の東京在住時、麗しさに憧れていたAoyama Flower Marketの天神地下街店。当時のわたしには、まさに「高嶺の花」だった。

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    ⑥香椎操作場と千早陸橋の名残。町の様子はすっかり変わってしまった。この界隈で変わらないのは、母校、千早小学校くらいだ。

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    ⑦千早のスーパーマーケットで買った刺身&寿司。ごく普通のスーパーでこのクオリティが福岡の魅力のひとつ。

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    ⑧このごろは、夫婦揃ってワインよりも日本酒が好き。テイスティングとばかりに、スーパーに並ぶ小瓶を3本ほど購入。幸せ。

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    ⑨バンガロールからのお土産の一部。先日記したANANDのビスケットがおいしいのだ。そして重いのだ。

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    ⑩福岡ではおはぎで有名な「十勝あんこのサザエ」で買った、よもぎ饅頭ときな粉饅頭。もちろん、おはぎも買った。おいしい。

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    昨日、半年ぶりの実家で朝食をすませ、美しい百合の花とともに、母の写真を撮影していたら、電話が鳴った。愛知県に暮らす2歳上の従兄弟のY兄ちゃんからだった。Y兄ちゃんと最後に会ったのは、30年以上前のこと。子ども時代は、祖母が暮らす嘉穂郡で、夏休みに会っていた。わたしが愛知まで遊びに行ったこともある。

    「おそらく……」と予感した通り、それは伯父、つまりY兄ちゃんの父親であり、母の兄の訃報だった。88歳の大往生。歳月は流れど、やさしかったY兄ちゃんは、「Youtube、見たよ」「元気そうやね」と、笑いながら、昔のままの温もりある声で、妹に接するかのように話しかけてくれる。お悔やみを伝え、「いつかご家族で、インドにも遊びに来てね」と言って、電話を切った。

    その刹那、わたしの最も古い記憶の一つ、2歳の夏の夜の思い出が蘇った。わたしは幼少期の記憶と心情が鮮明に残っている方だが、この記憶は格別に鮮やかだ。

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    我が両親の故郷は、かつて炭鉱で栄えた福岡の筑豊地方。飯塚や嘉穂郡界隈だ。室町時代に遡る筑豊の炭鉱の歴史。明治時代には「殖産興業」を背景に八幡製鐵所が創業したことで、財閥や大手企業が相次いで出資。筑豊の炭鉱は隆盛を極めた。しかし繁栄の裏側には、過酷で劣悪、危険な労働環境に喘ぐ坑夫やその家族の物語もある。

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    1963年(昭和38年)、「三井三池三川炭鉱爆発」という戦後最悪の炭鉱事故が起こった。その2年後の1965年6月1日、わたしが生まれる約3カ月前に、三井山野炭鉱で大規模なガス爆発事故が発生し、237名の死者が出た。この事故の日か翌日に、運悪く、当時まだ3歳だったわたしの従兄弟が、バイク事故で重傷を負った。彼は病院に運び込まれるも、そこは炭鉱事故の被害者で溢れかえっており……。

    彼は手当を受けることなく、6月3日に、息を引き取った。

    小学生のころ、彼の弟にあたる従兄弟から、古い写真を数枚、見せられた。家の中で探し物をしていたときに見つけたというモノクロの写真。血の滲む包帯でぐるぐる巻きにされた幼い子ども。抱きかかえる祖母の絶望的な表情。当時は、痛ましくも恐怖心が心を覆ったが、それもまた、炭鉱の悲劇のひとつであった。

    戦後の高度経済成長に伴い、次々に炭鉱は閉山。上記の事故なども閉山に拍車をかけた。筑豊は、長屋、校舎、銭湯などの廃屋をひとつひとつ残しながら、静かに廃れていった。

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    1965年(昭和40年)、東京オリンピックが開催された翌年に生まれたわたしは、不便で汚くて貧しかった日本の片鱗を体験した、最後の世代かもしれない。

    なにしろ福岡市東区の自宅でさえ、お風呂にガスが通ったのは1968年あたり。3歳の頃だったと思う。それまでは、薪を焚いていた。近所の山に、祖母と薪を拾いに行ったことも覚えている。

    砂利道が舗装され、海が埋め立てられ、山が造成され、団地が次々に生まれるのを目撃してきた。

    翻って筑豊。

    石炭の採掘の過程で積み上げられた「ボタ山」には、やがて緑が芽生えた。そんなボタ山で遊んだり、廃屋となった銭湯を探検したり、祖母が住む長屋で花火をしたり、虫かごを携えてセミ取りをしたり、赤とんぼやほおずきを愛でたり、界隈を流れる川で精霊流しをしたり……。

    夏ごとに廃れ、徐々に再生する炭鉱町の情景が、わたしの原風景の一つとなっている。

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    前述の「2歳の記憶」というのは、伯父夫婦やY兄ちゃんをはじめとする親戚らが、炭鉱の町を離れて愛知県の豊田市へ引っ越した夜のことだ。当時、多くの炭鉱関係者が、仕事を求めて故郷を離れた。愛知県豊田市はまた、その目的地のひとつだったと思う。

    あれは、夏の夜だった。どの駅だったのだろうか。薄暗く小さなターミナルの売店の裸電球が、店先の虫取り網と虫かごを照らしている。わたしは片手にチョコボールを持っていた。それをひとつ、ふたつと食べながら、大荷物を抱えた親類たちを眺めている。

    やがて、ホームにSL(蒸気機関車)が轟音とともに入ってきた。伯父や伯母、従兄弟たちが乗り込む。ほどなくしてSLは、凄まじい蒸気を上げ、悲鳴のような汽笛を上げながら、ゆっくりと動き出す。その列車を、穏やかで静かだった祖父が、泣きながら手を掲げ、追いかけ走った……。

    夜の駅。チョコボール。SL。取り乱す祖父……。忘れ得ぬ記憶。祖父はその翌年あたりだったか、60代で静かに他界した。

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    電話を切ったあと、実家の袋戸棚からアルバムなどを取り出す。若かりし頃の、母と父。母のアルバムの1枚目には、他界した伯父と母の幼少時の写真。幼い頃、美形だった母は、写真愛好家のモデルもやっていたようで、雰囲気のよい写真も少なくない。

    父の中学時代のアルバムもまた、往時を偲ばせる。父は中学時代から野球や柔道に専心していた。その名残の品々もまた、味わい深い。父は、嘉穂高校を卒業後、やはり炭鉱のひとつである日鉄鉱業二瀬鉱業所硬式野球部(通称日鉄二瀬)でキャッチャーをしていた。日本のプロ野球で活躍された江藤慎一氏や古葉竹識氏とは、親しい仲間だった。

    わたしが生まれた熊本県荒尾市もまた、三池炭鉱の町だった。伯父の訃報に自分の出自を再認識する朝だった。

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    ✈︎「スケジューリングの女王(わたし)」の鉄則は「立て込む時こそ余白を作る」であるということを、つい先日記したかと思う。この2週間は、その掟を遵守しておいて本当によかった。予測していなかったバンド(ジェネラル・ストライキ的なもの)が2度も起こり、予定変更を余儀なくされ、確かにバタバタはしたけれど。

    きちんと旅の準備をし、しっかりと睡眠をとり、出発前日にはマッサージも受けてリラックスし、土曜の夜は、かなり早めに空港入りした。やり残したことはあるが、それはそれ。無理して拙速するよりは後回しだ。

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    さて、先日来、記してきたベンガルール新空港ターミナル2。国内線は、すでに利用したが、国際線は今回が初めてだった。こちらもまだ、完成はしておらず、店舗やレストランなどは半分以上が機能していないが、十分によい雰囲気は味わえた。

    ターミナル2取材のレポートは、この日本旅を終えてから、日本語および英語でも残そうと思う(自分にプレッシャーをかけている😆)。

    さて、出国手続きを終えた先、まずは免税店のゲートに出迎えられる。ここにはグローバル・ブランドはもちろんのこと、インド(特に南インド)ブランドの嗜好品が見られたのはうれしかった。これまで何度も紹介してきたバンガロール拠点のシングルモルト・ウイスキー「Amrut」や南インド産のARAKU COFFEE、やはり南インド産のカカオを使ったチョコレートなど。

    また、バンガロール発のチョコレートブランドSMOORやインド菓子のANANDもお勧め。ANANDのクッキーは日本の家族や友人にも人気だったので、今回、SWIGGY(フードデリヴァリーサーヴィス)で大量に注文してスーツケースに詰め込んだが、重すぎた。しかし喜ばれる。家族ほか、母が日頃からお世話になっているご近所さんに配布する。

    バンガロールと成田を結ぶ日本航空の直行便が出たのはうれしいが、出発が深夜3時近いのは、なかなかにタフ。眠たい目をこすりつつ、搭乗口で待っていたら、ほんのりと顔なじみの女性(AKさん)から声をかけられた。

    💃2021年5月ごろ、インドがCOVID-19デルタ株の第2波で多数の死者が出ていたロックダウンの時期。わたしは、オンラインでBOLLYQUEによるボリウッドダンスのレッスンに参加していた。AKさんとは、束の間、クラスメイトだった模様。ちなみに彼女は今でも、レッスンを受け続けていらっしゃる。

    BOLLYQUE主催者の女性たちは、その後、バンガロールを訪れ拙宅に滞在。京友禅サリーを着て踊ってもらうなど、いろいろと楽しい時間を過ごした。彼女たちの動画などを通しても、AKさんは、わたしのことを知っていてくれたようだ。

    というわけで、1枚目の2ショットはAKさんとわたし。今回、仕事でバンガロール出張されているAKさん。偶然にも同じフライトでのご帰国だった。わたしの猫Tシャツはさておき、彼女が着ているTシャツ。ビール好きなインド在住者ならば、誰もが知っているであろうBIRAのデザインだ。

    🍻BIRAは、ニューデリーを拠点に創業したB9(ビーナイン)ビバレッジズのビール・ブランド。2015年にビールの販売を開始した。従来、キングフィッシャーの独壇場だったインドのビール業界に、新風を吹き込んだブランドだ。無論、バンガロールでは、2012年に4つのブリュワリーが誕生したのを契機に、クラフト・ビールのブリュワリーブームが巻き起こった。

    ちなみにバンガロールはキングフィッシャーの拠点で、市街中心にあるUB(United Breweries) シティは、かつてビール工場があった場所。その歴史は英国統治時代に遡り、アルコール自由度がインドで最も高い「パブ・シティ」でもあった……と、毎度、いちいち、書き始めるとエンドレスなので割愛。

    ところで、日本のキリンホールディングスが、2021年、B9(ビーナイン)ビバレッジズに1500万ドル出資し、2022年11月には7000万ドルを追加出資している模様。最近では、ベルギー王国のビールを彷彿とさせるフレイヴァーものにも力を入れているようで、シトラス風味なども爽やかに美味。創業当初から、ポップな関連商品も多彩で、華やかなマーケティングだ。

    話が長くなってしまったが、AKさんはキリンホールディングスに勤務されおり、その関係で、BIRAのTシャツ。この件、当方のソーシャルメディアにて言及することは確認済み。

    BIRAについては、5年前に食のブログにても紹介している。当時のマーケティングがインド的には斬新で興味深かったので、そのことにも言及している。参考までに。

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    🍺インドのビール業界における風雲児、BIRA (2018/04/10)
    https://museindia.typepad.jp/eat/2018/04/bira.html

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    一昨日の「浴衣 (Yukata)」を、いろいろな方から褒めていただき、大変うれしい。今回の日本にて、季節外れかもしれないが、もしも入手できれば新しい浴衣を買いたい。なにしろ、持っているのはこの1枚と、あとは高校時代(!)の体育祭で盆踊りを踊るために仕立ててもらった40年ものが1枚あるのみ。「ヴィンテージ浴衣」として、これも別の機会に着ようと思う。

    さて、オベロイホテルのWABI SABIという日本料理店を貸し切って開催された一昨日のイヴェント。今回も、グローバルな実業家たちのグループ、YPOが主催するもので、親しい友人が幹事だったこともあり、手伝うことになった次第。実は2年前にも、YPO主催の日本に関するイヴェントをサポートしたことがある。

    そのときには、わずか1週間足らずの準備期間で、参加者40名の浴衣を仕立てたり、日本風の会場を手配したり、驚くべき速度で「ジャパン・ナイト」が実現した。パンデミックが明けて以降、日本を旅するインドの友人らが急増し、各方面から日本についてを尋ねられる。彼らの好奇心を満たすべく、日本の魅力を引き出すアイデアは数々、湧き出るのだが、わたしの身一つでは足りず。ひとまずは、一人で動けるところから……と、動いている次第。

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    この日のわたしの役割は、日本料理の概要を説明すること。当初は、主催者の要望もあり、ヴェジタリアンの人が、いかに日本で食事を楽しむかを話すつもりだったが、それだけでは当然ながら日本料理の魅力が伝わらない。

    ヴェジタリアンは精進料理との関わり、「禅」の教え、店の名前にもなっている「侘び寂び」についての説明をしつつ、インドにおけるサトヴィック料理との共通性などを説明。それ以外は、肉や魚などを含む、日本食の歴史や基本的なメニュー、諸々の背景などについて語った。日本人の国民食としてのカレーの説明や、インド独立の革命家らによって育まれた中村屋のカレーや銀座ナイルレストランのカレーについても言及するなど、そこそこに深い。

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    ところで、友人のYashoが着ているのは、バンガロールのブティックで購入したという日本の羽織(はおり)。実は海外で、日本の羽織風をデザインし「キモノ」と称して販売しているケースは少なくない。こういう着こなしも素敵だ。

    デザインによっては、サリーの上に羽織を着るというのもありだと思う。南はともかく北インドは冬場寒くなる。サリーの上にカーディガンやパシュミナのストールなどを羽織るのが一般的だが、羽織ならば、ゆとりがあるので、サリーの上からでも着やすいし、美しい。日本で仕入れてこようかしらとも思う。

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    シェフによるクッキングのデモンストレーション、そしてわたしのレクチャー、食事……と豊かなプログラムだった。わたしからは、コンプリメントでギフトを準備。毎度のように、参加者の名前を「いい感じの漢字」の当て字で記し、京友禅柄のかわいらしい千代紙で鶴を折った。千代紙の美しさも、本当に格別。ミューズ・クリエイションの活動でも使ってきた千代紙。このごろは、一時帰国のたびに、上質なものを入手し、ギフトにアレンジして使っている。

    筆ペンと紙と千代紙さえあれば、日本風の世界が表現でき、特別なギフトになるのがいい。ちなみに、幹事が準備したギフトは、著作権フリーの写真をプリントしての日本風の箱、そして名入りの夫婦箸、寿司などを盛り付けるのに好適な黒い石製のお皿。WhatsAppで情報交換しつつ、彼らは瞬く間に、業者に頼んで準備してくれる。

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    わたしが、インドの富裕層やアカデミック層、社会的な影響力を持つグローバルなコミュニティの実態について、折に触れて克明に記すのは、この国の強さの理由のひとつを、日本の人たちにも知ってほしいからだ。インドに対して「新興国」と下に見る人が多いからこそ、敢えて。思いは募るが今日もまた、拙速ながらも経験を記す。

    🇯🇵わずか1週間で準備完了! 日本がテーマのヴァレンタインズ・デー(2021年2月)
    https://museindia.typepad.jp/2021/2021/02/valentines.html

    🇯🇵日本の酒と日本のお茶。日本の味覚でインドの友人知人をもてなす夜。(2022年9月)
    https://museindia.typepad.jp/2022/2022/09/japan.html

    🇯🇵YPOフォーラム/ドキュメンタリー動画 久しぶりに集った盟友8人。(2020年12月)
    親日派の彼女たちに聞く日本旅のエピソード。日本の文化やライフスタイルに対する印象
    https://youtu.be/7ZmPZQIHuuk

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  • W1

    オベロイ・ホテルの高級日本料理店WABI SABIにて。あたかも「ここで働き始めた?」かのような「いらっしゃいませ」な雰囲気を漂わせていた今日の我。

    今日は、長い1日だった。無事に諸々のミッションが終わって、ほっとした。これで心おきなく、日本に一時帰国できる。

    今日は、月例ミーティングを終えた後、出先で「浴衣」に着替えて、オベロイへ。日本をテーマにしたイヴェントで、プレゼンテーションをすることになり、せっかくならばと浴衣を着ることにしたのだった。

    実は、インドに移住して以来、きちんとした浴衣を着るのはこれで2度目。わたしは和装に縁遠い人生を送ってきた。七五三を除き、大人になって着物を着た経験は、妹の結婚式で一度だけ。浴衣も、人生で10回程度しか着たことがない。つまり、慣れていない。

    数年前、この浴衣を福岡の中洲川端にて購入した後、バンガロールで着たことがあった。しかし、同席していた日本人女性たちから、諸々突っ込まれた。襦袢を着たり、帯紐を結ぶときには、足袋を履かねばならないとかなんとか。しかし調べてみるに昨今は、かなり自由に楽しんでいる人もいる様子なので、もう、これでいいだろうという結論。

    気をつけるべきは、歩き方。立ち居振る舞いが日本人的清楚さに欠けていた模様。何しろ普段は、大股でスタスタと歩くことに慣れている。しかし、着物を着ると、内股で、小刻みに歩かねばならない。自分では意識しているつもりだったが、そこも指摘された。なんだか面倒になって、浴衣を敬遠していたのだった。

    しかし、過去の経験を教訓に、今日は頑張った。昨夜、Youtubeで着方の復習をし、鏡の前で立ち方なども練習し、なんとか、それらしくなった。

    この頃は、インド人の前で日本を語る機会が増えている。着物を着付けるのはたいへんだが、浴衣ならなんとかなると今日、実感した。今の季節、日本で浴衣が販売されているかどうか不明だが、今後、少しずつ浴衣コレクションを増やしてもいいかもしれないと思う。

    ちなみにこの浴衣は「久留米絣」。椿柄がとても気に入っている。インド起源で日本で育まれた伝統的なテキスタイルが反映されているから、物語性もある。今度はもっと、派手目の浴衣を探してみたい。

    今日の様子はまた後日、記録を残そうと思う。今日は、日本酒で少々酔っているので、寝ます。🍶

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  • M3

    これまで、日本への一時帰国は「1年に一度」だった。しかし、今年の4月の帰国時には、夫が同行。ひとりでじっくりと日本を経験できなかったので、今年は2度、帰国することにした。まもなく誕生日を迎える母。今年で85歳。母は一人暮らしながらも、今は幸い元気だし、これからも多分、かなり元気でい続けてくれる気がするが、それでも共に過ごす時間は大切だ。

    今回は福岡7泊、名古屋の犬山城界隈2泊、東京6泊というスケジュール。長そうに見えて、これが本当にあっという間なのだ。前回は京都に6泊したはずなのに、まだまだ見たかったところ、行きたかったところも尽きず。

    こうして人生は「やりたい」ことを消化できないまま流れていくのだろう。

    経済的に困窮していながらも、「まだ見ぬ世界を見たい」との思いで、あちこちを放浪し続けた過去の自分に、ありがとうと言いたい。若き日々の情熱、体力、柔軟性、吸収力……。過去の旅の記録をめくれば、なんと濃厚な紀行だろうかと、我がことながら、目を見張る。

    ゆえに若き人々よ! ぎりぎり生きていける経済力があるのならば、旅への情念は先延ばしにせず、今すぐ動くことをお勧めする。「もう少しお金が溜まってから」とか「将来、時間の余裕ができてから」なんて言っていては、実現は儚い。

    経済的や時間に余裕ができたときには、熱情が翳っていることもある。

    『書を捨てよ、町へ出よう』 by 寺山修司

    『スマートフォンを捨てよ、旅へ出よう』 by わたし

    いや、スマートフォンは捨てなくてもいいけどね。小さな画面から覗く世界もまた、今の時代、多くの示唆を与えてくれるが、五感がフル回転する360°のリアルな旅は、ライフの糧。人生の財産だ。

    ……話が逸れた。

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    ✈︎明後日の深夜便で成田へ飛ぶ。「ターミナル2」の国際線から日本へ飛ぶのは初めてだ。とても楽しみ。

    さて、今日はこれから、月に一度のミーティング。その後は、インドの人々に向けて「日本の食生活」を語るというミッション。ここ数日は、その資料作りにも専心していた。このごろは、インドの人々に日本を語る機会が増えているので、プレゼン資料の種類もどんどん増えている。プロジェクターさえあれば、いつでもどこでも、プレゼンができる。

    非日本人に日本を伝えるために、自分が日本を学ぶことは、非常に有意義な勉強だ。茶懐石とは。精進料理とは……。

    その背景にある物語に、仏教や禅、インドとの結びつきも見え隠れする。あまり熱くなりすぎないように、ほどほどに、今日も楽しみつつ、やろう。

    プレゼンのあとは、日本料理や日本酒が待っている🍶 日本帰国前のウォームアップだ😁

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