インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  •  

    超濃厚な5日間だった。

    千葉県で『巡るインド』というインド料理店を営むKAORUさん、そして、健康志向なダイエットサロンを運営する妻のSAKIさんが、バンガロールに来訪していた。

    土曜日に実施した慈善団体訪問は、実は二人の要望で設定したもの。せっかくなので他の方々にも声をかけ、実り豊かな時間を過ごした。参加者各位からの感想も届いている。慈善団体訪問の記録は改めてしっかりと残したい。

    ミューズ・クリエイションの慈善団体訪問は、寄付をするだけではなく、施設にいる人たちと交流を図ることが目的。なかでも「言葉のいらない」ダンスやスポーツ、歌は、コミュニケーションを図るのにとてもいい。

    ヒップホップのダンサーでもあるSAKIさんと、「子どもたちと一緒に踊ろう」と計画。振り付けを考えてもらっていた。

    今回、ヒップホップ初挑戦の我。ボリウッド・ダンスも好きだけど、実はヒップホップに憧れていたのだ。うれしい。即席ながらもSAKIさんに、的確なご指導をいただき、それっぽく踊れるようになった。

    ユニット名はThe Foresight。昨日の朝、この音楽Soul Flower (Remix) のミュージシャン、The Pharcydeにかけた、いい名前を……とみなで考えていた時、我が夫が提案してくれた。

    ちなみにわたしがニューヨークで起業し会社名を考えていたとき、夫が出してくれたアイデアのひとつがMUSEだった。そしてMuse Publishing, Inc.という社名に決めたのだった。

    というわけで、今後もHIP HOP、踊る予定。日曜の朝、張り切って踊った余韻が、全身の筋肉痛になって蘇る今朝。マッサージ、受けたい。

     

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    バンガロール旅行中の薫さんと早紀さん。現在、我が家に滞在中。お二人との出会いは、2021年前半、瞬間的に流行ったClubhouseを通して。多くの方と言葉を交わした。直接、メッセージをやりとりした方も少なくない。

    しかし、この束の間のご縁が、のちのち続くことのほうが、稀有だ。お二人との出会いは、未来につながるであろうご縁。

    今日はこれから、慈善団体訪問につき、お二人のことはまた改めて記そうと思う。

    昨日は、わたしの好きな場所をご案内。Taj West End, Rain Tree, Good Earth…..。

    青空眩く、緑瑞々しく、光が美しい午後だった。

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    ☕️「貧困の根絶」を使命に社会貢献型ビジネスを具現化。ARAKU COFFEEの足跡と背景
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/11/araku.html

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    🎂バンガロールの本気製菓学校。LAVONNE
    https://museindia.typepad.jp/eat/2018/05/lavonne.html

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    まだ米国に暮らしていたころ、2003年12月に、初めてバンガロールを訪れた。あれから約20年。当時の面影がそのまま残る場所と、著しく表情を変えた場所とが、モザイクのように混在している。

    ライフスタイルの変貌ぶりを一つ一つを説明すれば、枚挙に暇(いとま)がない。外食産業もまたそのひとつ。特にCOVID-19後の変化には目を見張るばかり。数カ月、いや数週間単位で、栄枯盛衰が展開されている。

    移住当初は、さまざまな分野で市場調査の仕事をしていたが、今はもう、一つのジャンルを追うだけでも膨大な情報量となってしまう。「自ら足を運んで体験する」ことを基本的な指針としている身としては、一人ではとても調査しきれない状況だ。

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    昨日は、YPO(グローバル組織)が主催するヴァレンタインズ・ディナーに参加した。会場は数週間前、MGロード沿いにオープンしたばかりの話題のレストランLupa。バンガロールで古くから人気のあるレストランOlive Beachとその系列店で腕を振るってきた名シェフのManu Chandraが手がける店だ。

    店名のLupaは、ローマの創始者であるロムルスとレムスを育てた雌のオオカミ「ルパ・ロマーナ」から取られており、それがアイコンとなっている。

    MGロードから一歩、敷地内に入り込むと、そこには別世界が広がる。地中海沿岸の都市を彷彿とさせる開放的なテラス席。一方、店内に入れば、高い天井、広々とした空間に、アールデコのテイストが散りばめられている。

    同店を取材した建築誌「AD (Architectural Digest)」の記事によると、「インドの大理石や花崗岩、レンガ、テラコッタ、木材などを使用」しつつ、「ニューヨークの1920年代のアールデコを取り入れたトスカーナ風の内装」だという。

    ニューヨークといい、トスカーナといい、高い天井といい、個人的に好きなテイスト。しかしながら、わたしが初めて店内に入ったときの印象は「バルセロナ!」だった。

    もうしばらく訪れていない欧州に思いを馳せる。

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    さて、先日「敗者復活ファッション」について記したが、今日は中でも「最古級」の服を引っ張り出してきた。ジャケットもスカートも、1996年にニューヨークで買ったものだ。昨今のインド女性は、露出度も高く、世代を問わず、ミニスカートを履く女性も珍しくない。

    レザースカートは夫が気に入っていたこともあり、捨てられずにいた。取っててよかった😁

    同席になった親しい友人夫妻と話をしているうちに、彼らもまた1996年に出会い、2001年に結婚したとのこと。偶然の歳月の重なりにご縁を感じる。

    💕

    ワインも料理も、なかなかに美味。今回は決められたコース料理だったので、今度は自然光が楽しめるランチタイムに、改めて訪れたいと思う。

    💕

    ところで、デザートで出されたチョコレート・スフレを一口食べて、記憶が瞬時、バルセロナに飛んだ。1989年、わたしが旅行ガイドブック『スペイン・ポルトガルの本』の取材で訪れた時に気に入った店、Ca l’Isidre。その後、1998年に夫と地中海沿岸を旅したとき、この店に連れて行った。

    そこで食べたチョコレート・スフレは、我々夫婦にとって、未だに「史上最高の味」なのだが、その味を、思い出したのだ。

    夫も、「Ca l’Isidreみたい!」と目を輝かせて食べていた。

    やはり、バルセロナ、だった。

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    ミューズ・クリエイションでは、グループによる慈善団体活動を再開します。今月の訪問は以下の通りです。まだ参加を受け付けておりますので、関心のある方は、坂田マルハン美穂まで、直接お問合せください。(WhatsApp 99458-45155)

    ◉日時/2023年2月18日(土)午前11時、現地集合。2時間程度。

    ◉訪問先/NEW ARK MISSION ~HOME OF HOPE~

    ◉場所/バンガロール北部 
    https://goo.gl/maps/1GE7kSE4bKZrNsQa8

    ◉寄付/同団体では常時、寄付金や寄付の品々を募っています。寄付金は同団体のホームページから送金できます。小麦粉や米、豆類などの食料品、シーツやタオル、衣類などの寄付が受け付けられています。衣類などは古いものでも構いませんが、洗濯がされており、コンデイションの整ったものを寄付してください。ボタンが取れていたり、ジッパーが壊れていたりというものは、修繕した上で寄付してください。

    ★同団体に関する情報や過去の訪問記録は、このページからご覧いただけます。
    https://museindia.typepad.jp/mss/2023/02/newark.html

    ★同団体のホームページ
    https://newarkmission.org/ 

    ミューズ・クリエイションでは2012年以来(坂田個人では2007年以来)、バンガロールにある数々の慈善団体を訪れてきました。盲学校、孤児院、スラム街の託児所や学校、ホスピス、HIV罹患者のホーム、動物病院、給食センター、貧困層女性支援施設……と、その訪問先は多岐に渡ります。

    なかでも、訪問頻度が最も高いのは、New Ark Missionと呼ばれる施設です。1997年、オートリクショーのドライヴァーだったラジャという男性が、路上で瀕死の状態の人々を自宅に引き取り、世話をしはじめたのが端緒です。

    彼自身、ストリートチルドレンの出自で、窃盗をして生きていた時期がありました。そんな彼が投獄中に改心し、世の中で虐げられた人々を救済すべく自ら活動を開始。以来、無数の命を引き受け、手当てし、最期の時を過ごす場を提供し続けています。

    New Ark Missionでは、路上に打ち捨てられ、記憶を失った、半ば恍惚の人々が、子供たちを含め700名以上、暮らしています。毎日、誰かが拾われてきて、毎日、誰かが死んでゆく……。人間の生き死にが日常の場所です。毎日の食事の準備、入居者の入浴、掃除だけでも、大変な労働力が要されますが、行政支援はありません。すべてが個人あるいは企業の寄附や支援から成り立っています。

    バンガロールにある慈善団体の中では、最も金銭的、物理的支援が望まれている場所の一つだと思われることから、ミューズ・クリエイションでは、これまでもしばしば訪問してきました。

    寄付金や寄付の品をお渡しすると同時に、施設の見学をさせていただき、子どもたちと遊びます。具体的にどのようなことを行ってきたかについては、過去の訪問記録をすべて、ミューズ・クリエイションの専用ブログに残していますので、詳細をご覧ください。そのときどきの参加者の感想文も記載しています。

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    ✈︎バンガロール(ベンガルール)は一般にIT産業が盛んな都市として知られているが、インドにおける航空宇宙産業の中心地でもある。

    英国統治時代からの名残で、軍需産業に関わる複数の企業が当地に本社を据えている。また、1972年に宇宙省のもと、インド宇宙研究機関(ISRO)が設立され、宇宙産業の拠点としても知られる。インドの宇宙産業については、これまで折に触れて記してきたし、改めて綴りたいことがたくさんあるのだが、今日のところは割愛。

    バンガロールでは2年に一度、2月にアジア最大規模の航空ショー「AERO INDIA」が開催される。これはインドの防衛省が主催する国際的な航空防衛見本市で、インドだけでなく、世界の航空宇宙産業が出展する一大イヴェントだ。

    かつては、航空ショーが開催されるたび、タタ財閥の元CEO、ラタン・タタが、自ら操艦を握って空を飛ぶということで、話題を集めたものである。掲載している新聞記事は、2011年、ブログに掲載したもの。当時73歳だった彼は、副操縦士として、45分ほど、空を舞ったと記録している。

    日本であれば、周辺の重役が、「会長、そんな危険な! おやめください!!」とでも言いそうなところだが、そうでないところがインド。……なのか?

    さて、我々の新居は、会場となるヤラハンカの空軍基地にほど近い。普段から、折に触れて軍用ヘリコプターの飛来する音などが聞こえるが、正直、それはさほど、気にならない。

    しかし! 来週の航空ショーに向けて、昨日からリハーサルが開始され、ちょくちょく戦闘機が飛んでいるのだが、これがもう、すごい。「大気をつんざく」という言葉がぴったり。トップガン感、満点!

    外に出ると、心臓がバクバクするような轟音なのだ。そもそも大音量が苦手なわたしには、かなりタフな状況だが、見ている分にはエキサイティングだ。

    普段より、トンビらの姿も多く見られて(競争心?)、ぱっと見、どこに飛行機が飛んでいるのかわからない。なにしろ、遠く彼方を飛んでいても、ものすごい音なのだ。

    なお、このエアロ・ショーの開催に伴い、ベンガルール国際空港のフライトは制限される。早朝と夜しか飛行機が飛ばない。

    平日は、基本、街中の旧居にいるのだが、今週は諸事情あって、うるさい新居で過ごしている。全く落ち着いて仕事ができないが、2年に一度のこと。楽しもうと思う。

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    😸実はROCKY、子どものころから「名画に寄せるネコ」だったのだ。あたかもグレコが描くイノセントな表情をそのままに。

    下の2枚は、2015年の写真。似てない? 気のせい?

    猫らが子どもの頃は、猫専用ブログも作り楽しんでいたものだ。

    それにしても、幼少時のROCKYの、なんとかわいらしいことだろう!

    https://museindia.typepad.jp/alice/

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    インド移住当初は、パーティなどの席で比較的頻繁にサリーを着ていた。しかし、インド人の友人らが着ていないのに、日本人の自分がサリーを着ていることに居心地が悪くなり、10年以上、ほぼタンスの肥やしとなっていた。

    再び積極的にサリーを着るようになったのは、パンデミックの最中、2021年8月の誕生日あたりからだ。すると、インドの友人知人の間では「サリーをよく着ている日本人」との印象が強まった。ゆえに、洋装だと「今日はサリーじゃないの?」と尋ねられる。

    昨日のパーティでも、「今日はサリーじゃないのね」と何人もから、尋ねられた。こうなると、「サリー=ユニフォーム」のような感覚になってしまう。

    👗昨日は、10数年前にニューヨークで購入したドレスを引っ張り出して久々に着用。昨今「敗者復活ファッション」が、わたしの中でトレンドである。実は昨年の3月ごろ、史上最高体重を記録した。それだけでなく、夫がかなり絞ったことで、わたしとの体重差が近くなってしまった。

    世間からは、夫より、わたしの方が身長が高いと思われがちだが、実は彼の方が少し高い。にも関わらず、わたしの体重に迫られては困る。このままではまずい、と一念発起して、「1カ月1キロ」のペースで減量した。

    それまでは、「更年期だから仕方ない」と諦めていたのだが、この考えこそがいけないのだと改めた。少し食べる量を減らし、アルコールなども控えめにした。結果、少々リバウンドを繰り返したものの、現在、最デブ時から3〜4キロの減量状態を維持している。

    本当はあと3キロほど落としたいが、今のところは様子見だ。おいしいものをしっかり食べたいし、お酒だって飲みたい。油断するとすぐに増量するので、日々「ホメオスタシス」を尊重しつつ、無理のない範囲で、健康体重を維持する努力をしている。

    というわけで、10年以上前に買ったものの、着れなくなり、しかし捨てられなかった服が、今また、「敗者復活」しているという次第である。

    にも関わらず、昨日は、フォーシーズンズホテルで開かれたパーティの料理がおいしくて、食が進んだ。南北インドの料理にコンチネンタルと、ヴァラエティ豊かな料理が並ぶ。

    ケララ旅で散々、食べてきたばかりなのに、アッパム(米粉のパンケーキ)もおかわり。そして最後は、超絶高カロリーなインドで人気のお菓子「ジャレビ」で締めくくる。

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    インドのお菓子といえば、丸い揚げ団子のシロップ漬け「グラブジャムン」が有名どころだろう。超絶に甘いことで知られるが、わたしはジャレビの方が罪深いと思っている。

    小麦粉を多めの水で溶いたものをクルクルと回しながら油に流し入れて揚げ、それをどっぷりとシロップに浸す。油と砂糖で満たされたその上に、さらに甘いミルキーな液体をかける。もう、歯に染み入りそうな、鬼の甘さである。しかしながら、この揚げたては、おいしいのだ。

    そんな見るからに強烈なジャレビを、わたしはかつて、避けていた。

    しかし、15年ほどまえ、夫の家族とオールドデリーに行った時のこと。実は夫は行ったことがなく、行きたがらなかったことから、夫の両親が同行すると申し出てくれた。結局は夫も一緒に4人で出かけた。

    ローカルで人気の店でランチを食べ、その後、ロメイシュ・パパが露店でジャレビを買い、わけてくれた。それが、本当においしかった。

    最後の写真は、そのときのもの。パパの手にジャレビ。それを取る夫の手。

    あれほどのおいしいジャレビには、あれ以来、まだ出合っていない。

    🌀

    そんな次第で、今年もキーワードはホメオスタシス。適度におやつも食しつつ、無理なく、しっかり、健康体重を維持するよう心がけたい。

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    (日本語は下部に)
    ✡️“The first Jews arrived in India, in Muziris, from the Middle East. These ‘Dark Jews’ or ‘Malabari Jews’ as they are called to date, were granted the rights to flourish as a community by the local rajah, offering permission to trade, build synagogues and build houses. The ‘White Jews’ arrived much later; Historian MGS Narayanan says they came from Spain and Portugal in the 15th and 16th centuries’ The Jews thrived here for many years, making Muziris and the surrounding regions their home. However, in the 16th century, because of Portuguese tyranny, many of them fled to Cochin (obtaining protection from its rajah) and other surrounding regions. In Jew Town, in Mattancherry, they cultivated their faith and culture on a few streets; the Paradesi Synagogue (Parades’ meaning foreigner, referring to the ‘White Jews’) and the Clock Tower were both built in the 16th century next to the Cochin rajah’s temple and palace. […] most of them having left after the formation of the State of Israel in 1948 ” (Eating with History ~Ancient Trade-Influenced Cuisines of Kerala~, Tanya Abraham)

    ✡️“A legendary port, the heart of the historic Spice Route, vanished off the grid over 3000 years ago. Historians and archaeologists hunted far and wide in search of it but to no avail. Then, one day, it rained in Pattanam, a small town in Kerala. The rains unearthed and revealed to mankind remnants of a legacy. The legacy of the lost port, Muziris […] The ancient world’s greatest trading centre in the East, this legendary seaport traded in everything from spices to precious stones with the Greeks, Romans and the rest of the world. The Muziris Heritage Project will revive that lost legacy to conserve and showcase a culture of 3000 years or more for posterity […] Once the doorway to India for varied cultures and races including Buddhists, Arabs, Chinese, Jews, Romans, Portuguese, Dutch and even the British, Muziris has stood witness to civilisations being born, wars being waged and history being written.” (https://www.muzirisheritage.org/)

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    ✡️4泊5日のコチ滞在。最初の3泊は、フォート・コチに滞在したが、最後の1泊はマッタンチェリーというエリアにあるホテルに移動した。ここは、はるか数千年前、古代のアラブ商人たちが行き交ったであろうスパイス街の名残があり、ポルトガル植民地時代に建てられ、その後オランダ人によって改築されたパレスがある。パレスは前回の訪問時に見学したので立ち寄らず、今回は、ホテルにほど近いシナゴーグ(ユダヤ教会)に足を運んだ。

    コチにはかつて、ユダヤ人コミュニティがあった。最初のユダヤ人は、中東からインドのムジリスに到着した。そう。今回の旅で幾度となく記してきた「コチ=ムジリス・ビエンナーレ」の「ムジリス」である。ムジリス (Muziris)。どこかしら、魅惑的な響きを持つこの地名を持つ土地は、今は存在しない。なぜなら1341年に発生した洪水で、消滅してしまったからだ。

    ムジリスの物語は、紀元前3000年ごろ、バビロニア人、アッシリア人、エジプト人が香辛料を求めて、アラビア海に面した、このマラバル海岸に到来したことに始まる。以来、ムジリスは世界で最も古い港湾都市の一つとして栄えた。胡椒と交換するための「金/ゴールド」を積んだローマ船が来航した記録も残されているという。香辛料だけでなく、宝石その他、さまざまなものが流通する東洋一の貿易拠点だった。

    また、アラブ人、仏教徒、中国人、ユダヤ人、ローマ人、ポルトガル人、オランダ人、そしてイギリス人……と、多様な民族や、文化、宗教の、インドへの玄関口でもあった。

    ムジリスはまた、かつて「ムラチパッタナム」とも呼ばれており、インドの神話『ラーマーヤナ』では、さらわれたシータ姫を探すために、猿の王様スグリーヴァがムラチパッタナムに立ち寄ったという記述もあるらしい。

    歴史が古いだけに、逸話が尽きないスパイス・ルートの中心だった伝説の港ムジリスは、しかし1341年、マラバル(マラバー)海岸を襲った洪水と地震により地図から消えた。一方、ムジリスの歴史を発掘するヘリテージ・プロジェクトなどもあり、サイトを開けば、これもまた非常に興味深く、関心をそそられる……。

    ✡️話をユダヤ人コミュニティに戻す。中東からムジリスに上陸したユダヤ人は「ダーク・ジュウズ」あるいは「マラバリ・ジュウズ」と呼ばれ、地元の君主からコミュニティを構築する権利を与えられ、貿易やシナゴーグ(ユダヤ教会)、家屋の建築を許可された。

    その後、15~16世紀にかけて、スペインやポルトガルからやってきた「ホワイト・ジュウズ」たちは、ムジリスとその周辺地域を拠点に、長い間この地で繁栄してきた。しかし16世紀に入ると、ポルトガルの圧制を受け、彼らの多くは、ここコチ(旧コーチン)をはじめとする周辺地域に逃れた。そのころから、このマッタンチェリーにユダヤ人街が構築されてきたというわけだ。

    この「パラデシ・シナゴーグ」(パラデシとは外国人、ここではホワイト・ジュウズを意味する)は1568年に建立された。その後、1760年に時計台が設置され1930年までは動いていたという。ちなみに時計は四方に向けて4つ設置されており、文字盤には地元のマラヤーラム語、ヘブライ語、ラテン語で数字が書かれているという。

    1948年にイスラエルが建国されたあとは、大半のユダヤ人がケララを去りイスラエルに移住した。彼らは今なお、ケララの先祖の文化を残す料理や習慣を伝承しているようだ。

    なお、わたしたちが前回訪れた2017年には、シナゴーグに入ることはできたが、内部の写真撮影はできなかった。しかし、今回は可能であった。なぜだろうと確認したところ、2019年8月に、この地の最後のユダヤ人だったサラ・コーヘンという女性が他界したという。つまり、このシナゴーグが宗教儀礼を行わなくなったため、聖なる場所の意味合いがなくなり、写真撮影も可能になったのだろう。

    一体、何人が踏みしめてきたのだろう、数百年前に敷き詰められた中国のタイル。足の裏からも、歴史を感じる。入り口には「紙芝居」よろしく、この地のユダヤ人の歴史が絵画と共に記されている。

    ……まだまだ書きたいことは尽きぬが、この辺で。

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