絶望と希望が、交互に去来する歳月。
今日の空も底抜けに青い。
上を向いて歩こう。
天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信
自分は今、呼吸をしている。その呼吸を「意識」するだけでいい。
自分は今、音を聞いている。その音を「意識」するだけでいい。
瞑想をするに際して、「無」になることも「空」になる必要もない。そもそも、「考えまい」とすればするほど、考えてしまうものなのだ。
1日のうち、どんな時間でも、どこででも、数分間でもいい。生きている自分を意識するだけで、それが瞑想になる。
ネパールのカトマンズを拠点として活動する僧侶、ミンギュル・リンポチェ(Mingyur Rinpoch)に、それを教わる好機を得た。一昨日のことだ。
その話を聞いた時、わたしはひどく、楽になった気がした。瞑想をするには、なにかしらの心理的な準備や静寂という環境が要され、静かに、「空」であらねばとの先入観があったからだ。
しかし、そうではない。昨日も記した通り、わたしは「わたしらしいやり方」で、自分を意識すればよい。それが心の平穏に結びつくのだということを、再確認できた。
自分の心を鎮めるためにやってきたこと。それらの「不完全だった部分」を、指導者にきちんと言葉にて、補っていただけた気がした。
わたしは、パンデミックの最中「手書きの大切さ」を再認識した。ノートとペンは常にわたしのそばにあった。しかしパンデミック以降は、それらが「筆記具」という存在を超えて、意味を持つ道具になった。
「不易流行」を自らのライフのスローガンの一つに定めたこともまた、すべて同じ線上に在る。
🙏
人間が、浮世で生きるに際しては。喜怒哀楽は常にあり。
「喜楽」ばかりじゃない。「怒哀」に苛まれるもまた、人生。
人生は陰陽。陰があるからこそ、光が見える。囚われちゃだめだ。日々を慈しみ生きよ。
……そうは思っても、心は軽やかに、負に囚われやすい。
苦しみ、悲しみ、怒り、焦燥、混乱、不安、嫉妬、尽きぬ欲……。
人間の脳みその処理能力や、人間の身体の運動能力は、人類誕生以来、さほどかわっていないはずなのに。
産業革命〜テクノロジーの変革〜を経て数百年。ことにここ数十年の、人間のライフスタイルは、かつてない速度で変貌し続け、人類の脳みそも、感情も、多分、追いつけていない。
特には、約30年前に、ソビエト連邦でペレストロイカが起こり、社会主義が崩壊し、世界が資本主義的価値観に席巻され始めてからというもの。
わたしたちは、経済的な側面から、人生に「勝ち負け」をつけるようになった。国々に「先進/後進」あるいは「先進/新興」をつけるようになった。
1996年に日本を離れ、ニューヨークに暮らし始めた直後から抱き続けてきた違和感。2001年9月11日の米国同時多発テロ、それ以降の資本主義世界の動きをぼんやり眺めながら、わたしの違和感は頂点に達していた。
アルンダティ・ロイ (Arundhati Roy)の著書『帝国を壊すために―戦争と正義をめぐるエッセイ― 』 (War Talk)にも、少し通じる。
諸々の要素が絡み合って、わたしはインドに移住したいと切望した。
そして、この国に暮らして17年。17年間、そこそこに高感度のアンテナを張り、この国の断片を感受しながら生きているが、まだまだ序の口を否めない。そんな、歴史深く尽きぬ世界に浸る中で、違和感は続くのだ。
このインド世界が「新興」ですか?
🙏
わたしたちは、軽薄な価値観に自分を嵌め込み、流れに乗れないが故の苦しみに囚われる。自分が見えない。自分の軸がわからない。
だから、病みやすい。特にCovid-19が地球を席巻してからは、心が不安定になった人が増えた。わたしもまた、その一人であった。
だから、人は「瞑想 (Meditation)」や、「マインドフルネス」に関心を持ち、救いを求める。
🙏
ミンギュル・リンポチェ。彼は1972年、ネパールに生まれた。父親のトゥルク・ウゲン・リンポチェは、チベットから亡命後、欧米にチベット仏教の教えを伝えた第一世代で、著名な瞑想指導者でもある。
ミンギュル・リンポチェは、幼少期、パニック発作に苛まれていたが、父の指導による瞑想で克服した経験を持つ。
彼は子ども時代から、僧院で仏教を学び、やがて北インドやネパールで僧院を開設。多くの人々を導き救済するための活動を行ってきた。
今から約10年前の2011年、彼は約4年間「身一つ」で僧院を出、放浪のヨギとして、4年間を過ごした。放浪の序盤、彼は「施された食事」を食べたことによって重度の食中毒となり、臨死体験をする。
瀕死状態の彼の姿を見た旅行者が、彼を病院に運んだ。その旅行者がいなければ、自分は生きてはいなかっただろうとのことだった。その臨死体験は、その後の彼の人生に、大きな影響を与えた。
彼の話し方は非常にカジュアルでフレンドリー、笑顔も絶やさず、朗らかなお人柄を感じさせてくれた。
ミンギュル・リンポチェの最初の著書『The Joy of Living』は20カ国語以上に翻訳されているという。日本語版は『今、ここを生きる──新世代のチベット僧が説くマインドフルネスへの道』として出版されている。
また昨年、彼はミンギュル・リンポチェはNetflixのシリーズの『The Mind, Explained』に出演、マインドフルネスの利点に関するエピソードを紹介している。今週末、わたしも見てみようと思っている。
「空」
わたしが、わたしに向き合い、
自分自身を無意識に意識している時間は、
日記を書いているひととき。
庭を歩いているひととき。
車窓越しに世界を眺めているとき。
朝、熱いシャワーで髪を洗っているとき。
無心で部屋の掃除をしているとき。
野菜や果物を切っているとき。
自分の顔を、鏡に映しているとき……。
日々の行いの随所に、そのひとときはある。
それはわたしにとって、瞑想 (Meditation) のようでもある……と、常々思ってきた。
昨日、有難い話を聞く機会があった。
瞑想 (Meditation) 。Awareness。それを「意識」しながら行うことについて。
お話を通して、わたしなりに、もう少し「意識的に」瞑想をしてみようと思った。
わたしは今、呼吸をしている……と意識しながら、しばし静かに呼吸をすることも、その一つ。
今朝は、普段の「書くこと」から一歩踏み込んで、写経をしてみた。
昨日のお話で、わたしは「漢字」の偉大さを、痛感する瞬間があった。
「空」
という一つの漢字が表す意味のたいせつさに、思いを馳せる瞬間があったのだ。
それを思った時、わずか260文字余りの中に仏教の教えが託された「般若心経」の偉大さを、再認識した。
朝。先日、ポンディシェリで購入した手漉きのノートを一冊取り出して、筆ペンを片手に、書き始める。
2009年、ムンバイ在住だったころ。諸々、心が乱れることがあり、折に触れてはノートに写経していた。一時は全部、覚えていたが、今ではすっかり忘れていた。
今朝、改めて10数年ぶりに文字に綴ってみて、新たな発見があった。仏教的な解釈を、わたしはよく知らない。
しかし、自分がこれまで生きてきた中で学んだ「知恵」のようなものと、仏教の教えとが、うっすらと繋がるような部分が見えた。
般若心経が、かつてとは異なる現実味を伴って、心に沁みた。
漢字って、すごい。
漢字を理解できる日本人である自分が、仕合わせだとさえ、思えた。
これはまた、漢字を使わない国に暮らし続けてきたからこそ、敢えて感じることでもある。
わずか十数分、走り書きする間にも、心が整う気がしてくる。
明日はもう少し、丁寧に書こう。
瞑想のあり方を、一つに絞り込む必要はないのだということも昨日教わったこと。
自分に合った、自分の見つめ方。
わたしにとっての瞑想 (Meditation) のひとつに、写経を加えようと思う。
昨日のことについては、また後ほど、記そうと思う。
🥐所用があり、平日ながら、昨夜は一人で新居に滞在。夜、急にクロワッサンが食べたくなった。
朝、9時の開店と同時に、Swiggyで注文。すると、30分後には、温かくも香ばしい、バタークロワッサンが届いた。
挽きたて、淹れたての南インド産コーヒー「モンスーン・マラバー」と共に、「朝食第2」を味わう。至福。
インドで。
バンガロールで。
しかも中心部から外れた北バンガロールで。
こんなにもおいしいクロワッサンが、30分で入手できるなど、5年前には想像できなかった。
ちなみに「朝食第1」はヨーグルトに、バナナやざくろ、ブルーベリーなどの各種フルーツに、シリアル&ハチミツなどを加えてミックスしたもの。
第1、第2。毎朝、しっかり、食べてます。
☔️昨夜からずっと、雨が降り続いている。日中に雨が降り続くことは滅多になかったのだが、今年はよく降る。
しかも冬の雨。四季の移ろいが緩やかで、年中、過ごしやすいバンガロール。18℃程度で寒がるとは、わたしもすっかり、軟弱になってしまった。
氷点下のニューヨークの冬を思い出し、この程度で寒がるな、と自分を鼓舞する。
午後になり、しかし気温は上がらず、あまりの寒さに、パーカーを取り出す。週末は新居で過ごす予定だったが、猫らと離れるのが寂しい。猫らで暖を取りたくて、今週は旧居で過ごすことにした。寒い日は殊更に、猫らの存在が愛おしい。
ちなみに新居は冷暖房完備だが、旧居は天井のファンのみ。これまで暖房が必要だと感じたことはなかった。
パーカー姿のわたしに、鋭い視線を送るNORA姉さん。
夫の膝で、夫と暖め合いながら、つぶらな瞳のROCKY兄さん。
明日もまた、雨模様。やれやれ寒いだけで、動きが鈍ってしまう自分。心なしか、昔の持病の腰痛が微かに。いかにバンガロールの気候が、わたしを年中、元気でいさせてくれているかを、再認識せずにはいられない。
🧥ちなみにこの旅行用パーカー(Travel Hoodie)、旅行に便利な「秘密兵器」が装備された、便利で楽しい商品なのだ。ロックダウンの最中、旅情が極まって、なぜか買ってしまった。しかし、着る機会がほとんどなく、今日、初めて大活躍。
このミュージアムの構想を初めて知ったのは、2019年11月。JAL機内誌”SKYWARD”の取材のため、ブティックのCinnamonを訪れ、オーナーのRadhikaから聞いて以来、その開業を楽しみにしていた。
パンデミックにより遅れていたが、遂に来年2月には一般公開されるという。昨日は、開業に先駆けてのオープニング・イヴェント、およびディナー・パーティに出席した。
バンガロール中心部。UBシティに程近い場所に位置するミュージアムは、想像を超えてすばらしい空間だった。最上階のカフェテラスも心地よい空間で、通いたいと思える場所。また2月のオープニング後に再訪し、詳細をレポートしたい。
Radhikaの夫であるAbhishek Poddarは、インドで最も著名なアート蒐集家のひとり。美術品、写真、テキスタイルなど、彼の幅広いコレクションがMAPの中核を成している。世界各地の美術館を訪れた彼は、バンガロールに、市民らが集う文化的な場所の構築を切望。WiproやBiocon、Infosys、TCSといった大企業のCSR、篤志家からの支援を背景に、フィランソロピーの理念に沿ったプロジェクトで、ミュージアムの具現化に漕ぎ着けた。
パンデミックでミュージアムの開業が遅れていたなか、MAPは2020年12月から、インド初のデジタル美術館を稼働。わたしも登録し、これまでいくつかのオンライン・イヴェントを体験してきた。MAPはインドの豊かな芸術的遺産を保護し、偉大なる芸術品を次世代に継承することを重視しており、多くの若い世代が、ミュージアム運営に関わる。昨日もミュージアム館内には若者たちが随所で働く姿が見られ、新しい息吹を感じさせられた。
ミュージアムを見学した後は、至近距離にあるTaj West Endへ。マリーゴールドでアーティスティックに彩られた幻想的な会場。伝統的な音楽……。インドの魅力を再確認する夜だった。
家族や親戚が少ない我が家でさえも、イヴェントが続くインドの年の瀬。パンデミック明けの結婚式シーズンは、例年に増して華やいでいる。一日に複数の催しに出席する友人も少なくなく、話を聞くだけでもたいへんそうだ。
さて、昨日は来週開催されるイヴェント会場の下見をし、料理の試食をさせてもらう。夜は、某所でディナー・パーティ。
昨日もまた、新たな出会いや語らいがあった。
インドに移住して18年目に入った昨今。米国からバンガロールに住みに来たことを、「ついこの間」のことのように思い出すけれど、取り巻く世界の変貌ぶりは著しく、隔世の感を強くする。
特に、2年間の静寂のあとの賑わいには、時間の流れを痛感させられる。
「いつか行こう」「いつか会おう」の「いつか」は、弾みをつけて踏み出さねば、決して来ない。
行きたい場所、見たいものが尽きないライフ。旅の少なかった日々を経て、来年からは、もっと旅をしよう。
📻昨日は早朝起床でFM熊本のラジオ収録。月に一度のレポートは、かれこれ15年以上も続いている。先月、そして今月の話題は、日本とインドのテキスタイルの伝統と、京友禅サリーについて。書くことも、語ることも多い、尽きないインドライフ。
🍳朝のうちは、4猫らの向こう1カ月分のご飯を大量仕込み。大鍋に肉や魚や野菜や穀物を放り込んで、ぐつぐつ煮込んで粉砕。キッチンが「給食センター」のような風情になる。なんにしても、体力勝負。
😼このところ、新居での滞在が続いていたので、すっかり「猫不足」だった。本当は、4猫みんなと一緒に、新居と旧居を行き来したい。
しかし猫は犬と違って、移動を嫌うし、脱走も憚らない。
新居の周辺は、まだ工事中。当面は、ウイークエンドハウスとして週末だけの滞在が続きそう。猫らに会えないこと以外は、特に不便はないのだけれど。試しに1匹ずつ、週末に連れ出そうかな……。
さて、気がつけば師走も本格化。諸々イヴェントが続くけれど、よく食べ、よく働き、よく遊び、よく寝よう。🏃♀️🚶♀️
2日間に亘る京友禅サリー展示会。つつがなく、楽しく、無事に終えることができて本当によかった。報告書をまとめたり、今後の展開を考えたりと、諸々課題はあるけれど、とりあえずはひと段落だ。
京友禅サリーの販売価格など、具体的なことは、展示会を終えてから公開するつもりでいた。言うまでもなく、京友禅は芸術的で美術性の高い商品。熟練の技を持つ職人が、時間をかけて丁寧に創り上げる作品ゆえ、その価格もまた、極めて高価だ。
わたしが「京友禅サリーのプロモーター」の任をお受けしてから、まだ2カ月足らず。わたし自身、2枚のサンプルをお預かりしていた以外、他のサリーを目にしていなかった。
完成したサリーを実際に見て触れた上で、わたし自身も方針を考える必要があった。サリーの意匠に関してはもちろんこと、サリー以外の商品展開についても、制作側への提案事項は数多ある。販売のターゲットとなる富裕層のライフスタイルや消費傾向、ファッショントレンドの変遷など、多様性の国、インドにつき、枚挙に暇がない。
展示会に招いた友人知人からの忌憚のないコメントは、京友禅サリーに限らず、日本の伝統工芸品や食料品、嗜好品などをインド市場に展開するうえで、極めて有効な情報源となるだろう。
🇮🇳
さて、昨日は、今回の展示会のために京都からバンガロールにいらした竹鼻ご夫妻にとってバンガロール滞在の最終日だった。2日間の展示会では、ずっと立ちっぱなし。お疲れだろうとは思ったけれど、お二人は食欲も旺盛。とてもお元気だったので、視察にご案内することにした。
店舗などを巡るのもいいが、富裕層のライフスタイルを直接、見てもらうのが一番だ。時間があれば、数軒のお宅を視察させていただきたいところだが、今回はあくまでも、展示会がメインだったことから、特に予定を入れていなかった。
しかし、せっかくの機会なので、盟友Dekyiに連絡したところ、快く歓迎してくれた。午前中、バンガロールの中心部、UBシティに隣接するキングフィッシャー・タワーへ。
インドは今、結婚&ホリデーシーズン。海外に暮らすインド人(NRI/ Non Resident Indian)も帰省して、家族親戚友人たちが飛び交う時期でもある。昨日も、Dekyiのご両親や、スイス在住のファミリーフレンドが来訪されていて、ランチ・パーティを開かれるとのことだった。
そんな中、少し時間をいただいて訪問したのだった。
チベット系インド人のDekyiのことは、これまでも幾度となく記した。チベットに生まれ、中国によるチベット弾圧の歴史と深く関わるDekyiのご家族やファミリーフレンド。簡単に記すには憚られるほど、大いなる歴史の生き証人でいらっしゃる。わたしたちが、2019年にダラムサラにて、ダライ・ラマ14世にお目にかかれたのは、このご家族のおかげである。
関心のある方はぜひ、下記のブログに目を通してほしい。
Dekyiのお父様は、インドに亡命したチベット人たちの暮らしを築き上げるのに、尽力されてきた。カルナータカ州のバイラクッペをチベット人の居住区に整えるに際しても、多大な貢献をされた。
また、Dekyiが子供のころ。お父様は中国の手に渡ったチベットを訪れたところ、3年間も拘留されたという。ご家族の、そのときの苦悩を思うと言葉がない。
スイスからお越しの、彼らのファミリーフレンドは、ドクターであり、篤志家でもある。複数のチベット自治区に病院や、孤児院 (orphanages)を設立。毎年数カ月は自ら赴き、病院で、無償の診断をしていらしたという。
年長の方々から、いろいろなお話を聞きたいと切に思う。しかし、Dekyiのお父様がモンゴルに関心をお持ちということで、なぜかわたしが、1992年のモンゴル一人旅のことをお話しすることに。写真は、わたしが北京からウランバートルまで、無謀な鉄道旅をしたときのエピソードを熱く語っているところ。
次回は、ぜひ、彼女のご両親のお話を伺いたい。
Dekyiには、高級ホテルを超える設備とサーヴィスを整えたキングフィッシャー・タワーを案内してもらう。日本ではなかなか報道されないインドの一面に、竹鼻夫妻も感嘆されていた。
ここ数年で、びっくりするほど大人っぽくなったDekyiの息子が着ていたTシャツに目が釘付け。日本料理が大好きな彼だが、日本語は読めない。にも関わらず、アンディ・ウォーホル・キョウト。なんてステキな偶然だこと。
我々夫婦も、ニューヨークに行くたびに、五番街のユニクロで購入していたTシャツ。ああ、ニューヨークにも行きたい……!