インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

  • 314317499_10226038142037257_1673250302799973642_n

    I am a victim of the auto-translation feature.

    I don’t know how much my pride as a writer (in Japanese) has been hurt by the automatic translation functions of Facebook and Instagram.

    Yesterday, my husband asked me, “Miho, what does this mean?” He showed me his iPhone. I was speechless.

    The Japanese title was🙂…… through the stories of people close to me, I think about the relationship between Japan and India.

    However, the auto-translation said😱…… think about the relationship with nipples through the stories of those close to us.

    How did Japan and India become nipples?

    In Japanese, names of countries are sometimes shortened using kanji characters. For example, Nihon (Japan) is “Nichi”, India is “In”, and so on.

    We sometimes put them together and write Nichi-In. Newspapers and other media often use short names in order to reduce the amount of text.

    The auto-translation function did not understand the kanji “Nichi-In” and translated it as Chikubi (Nipple).
    I have used the term “Nichi-In” many times in the past. Each time, has it been converted to “nipple”? Help me!!

    There have been many similar cases in the past.

    Very, very annoying!

    🇯🇵自動翻訳、やめてくれ! FacebookやInstagramの自動翻訳機能に、わたしはどれほど、悩まされてきたかわからない。

    このことについては、先日も記したが、今回もまた、盛大な誤訳をやらかしてくれた。自分のiPhoneで、わたしのFacebook投稿を見た夫から、「ミホ、これどういうこと?」と言われた。絶句。

    日本語のタイトルは、こうだった。

    🙂……身近な人の話を通して、日印の関わりを思う。

    ところが、自動翻訳では、

    😱……身近な人の話から、乳首との関わりを考える。

    乳首?!

    ねえ。どうして日印が乳首になるの?

    FacebookもInstagram、どちらも日印が乳首になっている。今、「日本とインド」と書き直したが、これまでいったい、何度「日印」と記してきたか。

    その度に、「乳首」と変換されてきたのか。だとしたら、わたしはどれだけ、乳首関係に熱心なのか。

    ああもういや。こういう例はたくさんある。本当に、無能力な自動翻訳機能をやめてほしい。せめてDeeplを備えてもらえないものか。

    「日印」というワードを使う頻度の高い各位、お互い気をつけましょう。

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 314421060_10226037995033582_2407572851386855382_n

    1週間のデリー旅を経て、昨夜バンガロールに戻った。まだ書き留めきれていないことも多々あり、魂は半分、デリーに残っているが、ともあれ身体は戻ってきた。

    久々に4猫と再会。このごろは、週末を新居で過ごすことから、彼らとの時間が短い。週末より数日長かっただけなのに、みな、とても甘えてくる。

    もともと全員が野良体質でワイルドで、ベタベタしない猫らだった。ただ、ロックダウンの時期に四六時中、我々と過ごしたことで、少し、親密になった。

    夫の書斎で過ごす時間が長いNORA姉さんと長男ROCKYは、しばしば、夫の膝のうえに乗りに来ていた。

    一方、わたしの膝には誰も寄り付かない。わたしの場合、立ったり座ったりが多く、猫らが落ち着ける場所ではないからだろうこともある。

    JACK青年(そろそろ中年)は、わたしの部屋で過ごすことが多い。しかし、わたしの膝に乗ってくることはなかった。

    ところが!

    昨日、わたしがコンピュータに向かっていたら、JACKが自ら、膝の上に乗り、すやすやと寝始めたのだ!

    ひゃ〜〜! か、かわいい……!

    こんな幸福が、ほかにあるだろうか。いや、ない。というくらいの幸福感だ。

    2014年にNORA姉さんが我が家を住処と決めてから8年。次第に兄弟姉妹が増え、4匹となったが、誰1匹、わが膝に乗ってくれなかった。

    猫らに愛されていた夫が羨ましかった。わたしがご飯を作ってるのに、与えているのは彼だからな。

    などと思っていたが、もうそんなことはどうでもいい。

    人生初、猫に自ら膝に乗りにこられた幸せを記憶すべく、俵万智の「サラダ記念日」よろしく、昨日は、お膝記念日。😹

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • IMG_9876

    IMG_9876

    IMG_9876

    IMG_9876

    IMG_9866

    IMG_9866

    IMG_9866

    前回の記録に記した夫の母方の祖父は、晩年をデリー近郊のファリダバードで暮らしていた。心臓病を患っていた祖母は、ロンドンの病院で、すでに他界していた。「死ぬときには、妻の近くで死にたい」と言っていた祖父は、ロンドン旅行中、「見事な死」を遂げる。ドラマティックな祖父の物語の一部は、下記の長大なブログに記している。

    さて、そのファリダバードの邸宅もまた、夫が受け継ぎ管理してきた。しかし30年近く、管理人を雇い続けたまま放置されてきたその家。そろそろ売却することを考え、数日前、夫は様子を見に行った。わたしも同行したかったが、別件が入っていたの彼に任せた。

    かつてわたしが訪れたときには、備え付けのクローゼットがあるばかりで、すべての家具や調度品は撤去されていた。だから、特にわたしが訪れることもないだろうと思っていた。

    さて、一昨日、伯父をインタヴューするに際し、わたしがどうしても見たかったのは、「家族の写真」だった。父方(マルハン家)のアルバムは、この家の古いクローゼットに雑然と整理されていたのを、今回の旅で発掘した。管理する人のないまま朽ちていたアルバムを取り出し、黙々と、埃を拭き取る。

    母方(プリ家)の写真はほとんどないので、すべて伯父や従兄弟が持っているのだろうと思っていた。

    ところが! ファリダバードから戻った夫が、山ほどの古いアルバムや書籍を抱えているではないか!

    ラホールの最高裁にて弁護士だった曽祖父の肖像写真。彼が、のちに「パキスタンの父」となるジンナーと法廷で闘った時の記録。パンジャブ銀行や新聞社の創設メンバーでもあった曽祖父のこと記した、祖父による出版物。

    印パ分離独立後、祖父がパンジャブ/ハリヤナ、デリー商工会会長を務めていたときの写真やスピーチのノート。ラタン・タタ(タタ・グループ元会長)の父であるナヴァル・タタと隣席で会議に臨む写真も、複数枚ある。

    当時、会議の主催者から送られたらしき、キャプションが添えられた写真は、議会の様子を如実に伝えてくれる。

    一般に、これらは「過去の遺物」とみなされるだろう。しかし、わたしにとっては、お金では決して買うことができない宝の山だ。それらが30年もの眠りを経て、わたしの手に触れることになったこともまた、感慨深い。

    祖父は政治やビジネスの世界に身を置きながら、一方で文学者であり、スピリチャルな考えを持つ人物でもあった。タゴールを敬愛し、ポンディシェリのシュリ・オーロヴォンドとも関わりが深い。

    そんな話をしていた矢先、わたしは再来週、図らずもポンディシェリへ赴くことになった。ずっと行きたいと思いながら機会を得られなかった場所。これもまた、定められたレールの上にて。

    夫の母が慢性白血病で余命数カ月を言い渡されたとき、米国ボストンに渡り、ドナーが見つからずに途方に暮れていたときに出会ったライフスタイル改善のメソッド。

    祖父が提供した農地でオーガニック野菜を作り、味噌などを作り、生命を伸ばした際の記録……。なにもかもが、興味深い記録で、ため息が漏れるばかり。再び眠らせるには惜しく、しかし、わたしひとりの手には負えない。

    どなたか、インド近代史に関心のある方に、ぜひ見ていただきたいものばかりだ。特に、祖父の商工会会長時代のスピーチ原稿などは、インド独立直後の産業の背景を知るのに、非常に興味深い。こうして綴り、ネットの海に沈ませておけば、誰かがいつか、拾い上げてくれるかもしれない……。

    ここでは夫の母方プリ家のことばかりを記しているが、父方マルハン家の祖父は官僚だったこともあり、ネルー首相の間近で働き、海外からの国賓を招聘する責務を担っていた模様。インド外交の様子を残す写真もたくさんあり、こちらもまた改めて紹介いたいところだ。

    というわけで、本日バンガロールへ戻ることから、フライト前に過去を一旦、クローズしたく、記しておく。関連ブログも記載しておく。長過ぎて読み手が少ないのは承知の上。

    誰かの目に触れることを願いつつ……!🙏

    そんな家族の写真の中に紛れる我々夫婦の、21年を経てなお色鮮やかな、結婚式の写真。なんとも言えず、奇妙な気分だ。

    🇮🇳🇯🇵弁財天とサラスヴァティーとミューズ。ラジャ・ラヴィ・バルマと和製マジョリカ・タイル。そして夫の祖父。
    https://museindia.typepad.jp/library/2022/02/saraswathi.html

    🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。印パ分離独立を巡る家族の物語など。
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html

    🇮🇳[Memories with Papa 05] 散骨の長距離ドライヴ。家族のルーツを辿る旅
    https://museindia.typepad.jp/2020/2020/01/papa05.html

    IMG_9876

    IMG_9913

    IMG_9913

    IMG_9913

    IMG_9913

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 314184687_10226022509646457_2713834960276658892_n

    314184687_10226022509646457_2713834960276658892_n

    一昨日は、改めて伯父(夫の亡母の兄)の家を訪れた。パンジャブ地方、現パキスタンのラホールを出自とする、夫の母方の歴史を取材するためだ。これまでも、英国統治時代から、インド・パキスタン分離独立を経て、インドで事業を起こし、政治や経済に関わってきた曽祖父や祖父の偉業を聞いてきた。聞くにつけ、関心は深まった。

    夫の親族は少ない。伯父の一人息子はもちろん、家族の歴史を知っているだろうが、わたしたち夫婦も、引き継ぐ子供たちがいないとはいえ、話を聞き、記録にとどめておきたい。そう思い続けてきた。
    * * *
    若いころのわたしは、あたかも自分の力で未来を選択し、それなりに努力をし、人生を歩んでいると自負していた。しかし、50歳を過ぎたころから「わたしは、絶大なる力を持つ存在により、定められたレール(運命)の上を歩いてきたに過ぎない」と思うようになった。

    さらに、パンデミックで外出ができない日々、自分史動画などを作るために資料を整理する中、その思いを新たにした。

    記憶を遡れば、小学校の入学式の日。担任の先生が黒板に堂々と「引頭裕子」と書いた時から。

    「みなさん、はじめまして。わたしは”いんどう・ゆうこ”です。でも、インド人ではありません。」

    その言葉に、クラスがどっと笑った。緊張がほぐれた。

    のちに思い返せば少し肌色が浅黒く、目鼻立ちがはっきりしていた引頭先生は、思い返すにインド人女性のようだった。

    1990年、地名の語源が「ヨガ」である世田谷区の「用賀」に移った。

    1994年、まだインド人が誰も住んでいなかった西葛西に引っ越した。

    1996年、ニューヨークへ渡り、数カ月後にインド人男性とカフェでテーブルをシェアした。

    2001年、夫の故郷、デリーで結婚をした。

    以来、我が人生のレールは、まだ見ぬインドへとまっすぐに伸びていた。自分なりに懸命に、切磋琢磨してて生きているつもりだが、それらは自分だけの力ではない。そうとも、思う。

    動画を撮りながら、伯父の話を聞く。デリーに身を置いて話を聞くのは、バンガロールで話を聞くのとは全く異なる、この街の、過去と現実がせめぎあいながら共存する、空気の中にあっては、独特の臨場感とリアリティがある。

    世界史の、インド史の中に揺蕩うような、奇妙な感覚を覚えながら、話を聞く。今、それらをどう整理すべきかはわからない。今後また、取材を重ねたいとの思いが強まった。

    先日も記した通り、祖父が創業し、伯父、従兄弟へと引き継がれた製糖会社と鉄鋼会社。中でも鉄鋼会社は祖父の時代から川崎に幾度も訪れるなど、日本との関わりも深い。

    最近では、2012年の日立造船との合弁会社設立。伯父と従兄弟は、日立造船の有明工場にも幾度か訪れている。我が生まれ故郷の熊本だ。

    このあたりをご縁を書き始めると尽きぬが、ともあれ、わたしたち夫婦にとって、伯父は非常に大切な存在だということを、記しておきたい。

    さて、わたしとの出会いから4年以上が経過してなお、結婚に踏み切れなかった夫。今なら、わたしよりもかなり若く、まだ20代だった彼の迷いもわかる。しかしわたしとて、30代半ばとなり、将来の身の振り方を定めたいところ。

    そんな時期、米国出張に来ていた伯父と会い、3人で食事をした。その後、伯父が夫と二人になったときに、わたしとの結婚を後押ししたということを、夫の口からつい数年前に聞いていた。取材の最後に、そのことを伯父に確認してみた。

    「そう。あのとき僕は、アルヴィンドに言ったんだよ。彼女を、手離してはいけないってね。本当に彼女を必要とするのならば、すぐに結婚すべきだと」

    結局はそれからも、「僕はまだ若い」といい続けて煮え切らない夫に、わたしは業を煮やした。

    2001年になってまもなく、「結婚するか別れるか、どっちかはっきりしろ」と詰め寄り、婚約するに至ったのだが、伯父の言葉が大きな後押しとなったことは間違いない。

    たくさんのエピソードを聞いたが、この日のハイライトは、「彼女を手離すな!」であった。

    314184687_10226022509646457_2713834960276658892_n

    314184687_10226022509646457_2713834960276658892_n

    314184687_10226022509646457_2713834960276658892_n

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • IMG_9609

    IMG_9609

    IMG_9609

    IMG_9609

    IMG_9609

    瞬く間に2年8カ月ぶりのデリー滞在が終盤だ。動くほどに、留めておきたい出来事は増える。自身の経験や思いを、InstagramやFacebookなど、ソーシャル・メディアに残しブログに整理する理由はいくつもある。「人との出会いの契機になる」というのも、その理由のひとつだ。

    今回、わたしの投稿を契機に、楽しい未来につながる新たな出会いも生まれた。わたしの記録の読者は決して多くはない。さらには、声をかけてくれる人は少数なので、むしろ丁寧な関係を育みやすい。

    人間、ひとりひとりと言葉を交わし、真摯に関われる他者の数は、限られている。故に、出会った人とはなるたけ楽しく有意義な時間を送りたいと常々考えている。

    ……と漠然としたことを書いているが、このテーマについては、いつかきちんと考えを整理して文字にしたいところだ。不本意ながら、出会いを雑に扱われることも少なくないからこそ、他者に対しては、真摯でありたいとも思う。

    インドの家族や親戚を訪ねたり、道中で、デリー在住の方からTwitter経由でオススメされたカフェを訪れたり、あるいは10年ほど前に創業した革製品店で小さい財布を買ったり、全時代的に戻ったデリーの酒店(政府運営に移行?)で選択肢少ない中からワインやビールを購入したり……。

    そもそもは外食予定だった日本人の友人らを、結局は自宅に招いてのディナーを二晩連続開催。マルハン家に勤続30年のドライヴァーが自らキッチンに立って作るマイルドなインド料理を供する。夫も亡義父も辛いものが苦手。ゆえに、唐辛子皆無の料理なのだ。

    一昨日は、柴田氏と、インド旅行中の彼の後輩、チカさんをお招きした。柴田氏経由で携わることになった京友禅サリーのプロジェクト。友禅に限らず京都全体について、これから知見を深めたいと思っているところだが、チカさんも京都ご出身だとのこと。京都のおいしいお菓子(栗入りの濃厚なパウンドケーキ)などをお土産にいただいた。写真を撮り忘れた。非常においしかった。

    そして夕べは、約3年ぶりに、繁田女史と再会。彼女の好きなナシック(マハラシュトラ州のワインの産地)のワイナリーの赤ワインを持参してきてくれた。彼女とは、15年前に仕事を通して知り合った。以来、折に触れて会ってきたが、最もインパクトがあったのは、KRSMAワイナリーを求めてのハンピ弾丸旅だろう。

    あの旅が契機となり、わたしは『破天』を読み、佐々井秀嶺上人と出会うことになった。

    そして先日、彼女はダラムサラで剃髪している。わたしが詳細を言及するのは避けるが、「ゆるい出家」をした模様。彼女と行動を共にしていた「ゆるめ出家仲間」の男性二人とも、今回、『深海ライブラリ』ブログにまとめたナーグプルの記録のご縁で連絡を受け、オンラインでお会いした。

    ネットの深海に眠るブログの記事が契機となり、事態が動くことがある。それは、自分のためだけでなく、誰かのためにも、なる。記録は財産だと改めて思う。

    ところで、わたしが17年間使い続けている米Typepadのブログサーヴィスが、この1カ月ほど、大規模移行に失敗し続けている。しばしばサーヴァーがダウンしている。昔ながらの利用者が、twitter上で吠えている。ビジネスに直結している人には大打撃だ。わたしも移行を検討中である。

    時代の趨勢に対応しつつ、未来、記録は残し続けようと、思いを新たにしている。

    ✊インド国憲法草案者アンベードカルとインド仏教。そして日本人僧侶、佐々井秀嶺上人を巡る記録
    https://museindia.typepad.jp/library/2021/12/unity.html

    IMG_9725

    IMG_9725

    IMG_9725

    IMG_9734

    IMG_9734

    IMG_9734

    IMG_9734

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • IMG_9473

    IMG_9473

    IMG_9473
    (日本語は下部に)
    スクリーンショット 2022-11-20 午後2.47.17

    I met Laila Tyabji yesterday, one of the founders of Dastkar. I was very happy to have my wish come true!! I had the opportunity to interview her about her relationship with Japan and the background of the founding of Dastkar. I will soon be editing the video and uploading it to my YouTube channel. I will announce it again, so please watch it then.

    “Dastkar is a private not-for-profit NGO established in 1981, working to support traditional Indian craftspeople, many of them women and village based, with the objective of helping craftspeople regain their place in the economic mainstream, in a country where the craft sector is second only to agriculture in providing employment.” (https://www.dastkar.org/)

    Immediately after I got an appointment to meet with her, I officially became the promoter of the Kyoto Yuzen Saree. I thought this was excellent timing, so I brought two Kyoto Yuzen sarees which reflected Japanese craftsmanship. I asked her to wear one of them. She wore it over the saree she was already wearing, and the colors were perfectly matched!! She is very beautiful….

    I was wearing an ikat (kasuri kasuri) saree from Orissa, which I purchased more than 10 years ago in Dastkar! It is an artistic piece of clothing created by highly skilled craftsman. In fact, Laila is also wearing an ikat from Orissa.

    She immediately uploaded my visit to her social media. I am truly grateful to have met her! Thank you!🙏

    🇯🇵デリーを拠点に、ムンバイやバンガロール、チェンナイなどの都市で、「ネイチャー・バザール」と呼ばれる大規模な展示会を開催し続けているDASTKAR。インドの伝統的な手工芸を手がける職人たちが、消費者と直接関われる貴重な場でもある。わたしはインド移住以来、毎年必ず、このバザールに足を運んできた。

    バンガロールでの開催が決まるとすぐに、ミューズ・クリエイションのメンバーにも告知し、買い物ツアーなどを企画したものだ。

    友人のDevikaからも、創始者の一人であるLailaの人となりをお聞きしていて、いつかお会いしたいと思っていた。今回、デリー旅行の日程が決まった直後にDevikaに連絡をし、Lailaとつないでもらったのだった。念願が叶い、本当にうれしい朝だった。

    彼女とお会いすることが決まった直後、わたしは、正式に、京都友禅サリーのプロモーターになった。これは絶好のタイミングだと思い、日本の職人の技術が息づく、2枚のサリーをお持ちした。その1枚を彼女に着てもらった。すでに着ていらしたサリーの上からまとっていただいたのだが、色合いもぴったり。本当にお似合いだ。

    わたしが着ているのは、10年以上前にDASTKARのネイチャー・バザールで購入した、オリッサ州のイカット(絣かすり)。高度な職人の技によって生まれた、芸術的な一張羅だ。ライラもまた、意匠は異なるものの、オリッサ州のイカットのサリーを着ていらした。

    ライラのお父様は、かつてインド大使だった。折しもわたしの生年である1965年から約2年間、一家は東京にお住まいだった。当時ティーンエージャーだった彼女は、東京で開催されていた伝統工芸展で、とある男性に声をかけられる。著名な版画家の吉田遠志だ。彼の父親である吉田博(福岡県久留米出身)は、欧米で芸術活動を展開、インドのシャンティニケタンにも滞在していたことがあり、タゴールとも親交があったという。

    そもそも芸術や工芸に関心のあったライラは、その出会いを契機に、吉田遠志のもとで版画を学び、それが彼女の芸術家としての人生にも大きな影響を与えているようだ。

    ……書き始めると、尽きない。

    昨日、お会いして数時間も経たないうちに、彼女はご自身のソーシャルメディアに写真と真摯な文章をアップロードしてくださった。京友禅サリーに関しても、忌憚のない意見を述べてくださると同時に、コラボレーションを提案してくださった。来年には、DASTKARの会場でのイヴェントも実現できそうだ。

    まずは12月初旬、バンガロールでの展示会を端緒に、来年から少しずつ、積極的なプロモーションを始めたいと思う。

    彼女と日本との関わりや、DASTKAR創設の背景などをインタビューさせていただいた。近々、ビデオの編集作業をしてユーチューブにアップロードする予定だ。また、昨年、ネイチャー・バザールでインスタライブを行った動画をアップロードしている。こちらで会場の雰囲気や臨場感を楽しんでもらえると思う。ぜひご覧ください。

    ◉インド各地から108のヴェンダーが集結。手工芸品バザールDASTKARをレポート
    https://youtu.be/JLE93Mqbkrs

    ◉Laila Tyabji
    https://en.wikipedia.org/wiki/Laila_Tyabji

    ◉DASTKAR
    https://www.dastkar.org/

    IMG_9573

    IMG_9573

    IMG_9573

    IMG_9573

    IMG_9573

    IMG_9573

    IMG_9573

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 313905696_10225987185243369_3053243263441446294_n

    313905696_10225987185243369_3053243263441446294_n

    313905696_10225987185243369_3053243263441446294_n
    1週間は短い。しかし、ホリデーシーズンの合間を縫うように、今回デリーを訪れて、本当によかったと思う。忘れたくない出会いや出来事が続く。その一つ一つが繋がっていると思うと、どれも大切に記録を残しておきたいとも思う。

    少し家の片付けをしようとも思っていたが、そんな隙間はほとんどない。今回は、人にお会いすることを優先し、片付けは後回しだ。

    昨日は、パパの他界後、ここがわたしたち夫婦の家となって初めての、日本人のゲストがいらした。報道カメラマン/ジャーナリストである森下氏。彼と初めて言葉を交わしたのは、2020年にインドがロックダウンに突入した数カ月後のことだ。

    森下氏は、わたしがFacebook上で情報シェアのために作っていた「COVID-19共生ポータルサイト」をフォローされていた。あるとき、情報交換のZoomミーティングを開催した際、参加してくださったのだった。

    また、昨年初旬、一時的に大流行したClubhouseを通しても、何度か言葉を交わしたことがあった。しかし、実際にお目にかかるのは昨日が初めてだった。職種やキャリアは異なるとはいえ、「インドを日本に伝える」仕事に携わっている者同士、共通の関心時も多く、話が弾む。そして気づけば、日が暮れかかり……。

    バンガロールでも、デリーでも、我が家は、ゲストが「長居しがち」な、快適空間だ。

    夜は、デリー宅の階下に暮らすテナントのご夫婦と夕食を共にした。デリー宅は4階建てで、わたしたちは2階に暮らしているが、1階は彼ら一家が15年ほども暮らしているのだ。これまでは、軽く挨拶をする程度だったが、パパが他界して初めて、このたびは親しく話す機会を得られた。ここでも驚くようなご縁が発覚し、世間は狭いとつくづく思う。

    今年はまだ、バンガロールの新居を整えるので手一杯だが、来年はデリー宅へ訪れる頻度を増やし、公私に亘って活動の拠点としての環境づくりを始めようと思う。バンガロールでも、福岡でも、デリーでも、やたらと片付けばかりしている気がする。

    それもまた、わたしの使命であろう。

    このデリーの家もまた、やがては千客万来の場として賑わうことだろう。

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • IMG_9290

    IMG_9290

    IMG_9290

    インダス文明の時代から、サリーはインド亜大陸に暮らす女性たちの身を包んできた。その土地その土地、独自の様式による染色や織りなどの技法が用いられた約5メートルの一枚布は、以来4000年以上、変容を続けながら衣類としての歴史を刻んでいる。

    刺繍や絞り染め、筆画……と、布を彩る無数の技。中でも、インド移住以来、わたしが最も好きなのは、パールシー刺繍のサリー。パールシーとはゾロアスター教徒のこと。歴史的背景を記したいところだが、時間に余裕がないので、今日のところは大きく割愛。

    わたしは十年以上前のムンバイ在住時に数枚のパールシー刺繍のサリーを購入した。お気に入りのそれらは、以来、幾度も繰り返し着用している。
    さて、インドのEコマース(オンラインショッピング)黎明期は今から約10年ほど前。パイオニアであるFlipkartが創業後、さまざまなサイトが誕生したが、中でもわたしが気に入っていたのは、インド各地の「洗練された」伝統工芸が購入できるポータル・ショッピングサイトのJayporeだった。

    創業は2012年。当初はそのサイトを通して、インド各地の工芸品やファッション、インテリアなどを目にし、楽しんでいたものだ。

    わたしがAshdeenのあまりにも精緻で美しいサリーを初めて目にしたのは、このJayporeだった。同じ2012年にパールシー男性であるAshdeenによって創業されたブランド。伝統的なパールシー・ガラと呼ばれる技法を用い、現代のトレンドを映した仕上がりを目指している。以下、サイトからの一文。

    “Our creations amalgamate traditional Parsi Gara aesthetic with a contemporary look. We offer unique and distinctive bespoke designs to suit individual customer tastes and requirements.”

    好みに応じたデザインをも検討してくれる、芸術品のような衣類を販売している。わたしは一度、スカーフを購入した。実は、7、8年前にJaypore経由で鶴が刺繍されたサリーを「着払い」で注文したのだが、配送途中で紛失、警察から問い合わせが来た事件があった。

    たまたま先日、ディワリのパーティで同じような赤いサリーで出席していた、好みが似ているパールシーの友人にその話をしたら、彼女はそれと同じサリーを入手していた模様。さらには、Ashdeenは彼の夫の従兄弟だとのこと。重なる偶然。

    以前から本店を訪れたいと思いつつ、機を逸してきたが、今回、足を運ぶことができた。中国の刺繍に影響を受けたパールシー刺繍は、オリエンタルなモチーフが特徴。どれを見ても、ため息が出る。Ashdeenがデザインした作品は、100人を超える職人たちの手によって、丁寧に丁寧に仕上げられていく。

    最近、販売開始されたインテリア用のスクリーンがまた、圧巻。立体的な鶴の刺繍が、なんとも華麗で美しい。

    まるでアートギャラリーを訪れたあとのような充足感だ。次回はひとりで、ゆっくりと訪れよう。

    次なる我が人生ハレの日……。還暦の誕生日の前には、ここで赤いサリーを注文したい。

    ◉Jaypore
    https://www.jaypore.com/

    ◉Ashdeen
    https://ashdeen.com/

    IMG_9282

    IMG_9282

    IMG_9282

    IMG_9282

    IMG_9282

    IMG_9282

    IMG_9289

    IMG_9289

    IMG_9289

    IMG_9289

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • 35d3530b-ebef-4492-8bf8-9f700cf81478

    35d3530b-ebef-4492-8bf8-9f700cf81478

    遥か遠い過去から、歴代王朝の首都として栄えてきたデリー。この都市には、今なお千年単位での古い遺跡が、現代に溶け込みながら、歳月の流れを刻んでいる。中でもムガール帝国時代の面影を残すイスラム建築は、デリー市内の随所に点在し、地元の人々の憩いの場として、あるいは観光名所として賑わっている。

    さて、アートギャラリーを訪問した後、隣接するロディ(ローディー)ガーデンへ立ち寄った。15世紀後半から16世紀前半にかけて北インドを支配したというイスラムのロディ王朝。広大な公園の中程に、その王朝の君主の壮麗な霊廟が立つ。

    日本であれば、恭しく柵などが施され、立ち入り禁止エリアが定められ、丁寧に保護されるであろう歴史的な遺産が、インドは国内の随所にゴロゴロしている。ゴロゴロしていることもあり、扱いも極めて雑だ。無論、わたしが初めてインドを訪れた20年前に比べれば、観光資源としての整備が整った場所も多いが、それでも野放図な情景が一般的である。

    仰ぎ見れば、アラベスク紋様が刻まれた建築。入場料も、心構えも、ない。公園を歩きつつの日常の中に突如、流れ込んでくる過去に鳥肌が立つ。
    剥がれ落ちた壁もまた、歳月の流れを物語り、得もいわれぬ情趣が漂う。その一隅に、乱暴な落書きなども見られて残念に思うも、しかし一方で、これもまた数百年の歴史の流れを刻む過程での「一つの証」とも思える。

    かつては、インドの遺跡を訪れるたび、「もっときちんと管理をすればいいのに……」と思っていたのだが、アジャンタ・エローラ遺跡を巡った時に、少しその考えが変わった。エローラ遺跡は、中央にヒンドゥー教石窟、左にジャイナ教石窟、右に仏教石窟……と3つの宗教が共在した、とてつもなく壮大な石窟群だ。この仏教石窟で仏像を見たときのこと。

    訪れたインド人観光客が、仏像のたもとに触れながら、真剣に、祈りを捧げていた。その様子を見たときに、はっとした。ここは観光地ではない。
    1000年以上前から営々と、ここは人々の祈りの場なのだ、ということを。

    インドに暮らす日々においては、自分が数千年の歴史の流れの中の一点に、ぽつんと立っている……というイメージに陥りやすい。時空を超える旅が、日常だ。無限に繰り返される日昇と日没の渦の中の、我は儚きひとつの泡沫。この刹那の泡沫が、弾ける前に、やりたいことはまだ尽きぬ。

    IMG_9253

    IMG_9253

    IMG_9253

    IMG_9245

    IMG_9245

    IMG_9245

    IMG_9245

    IMG_9245

    IMG_9245

    IMG_9245

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ

  • IMG_9175

    IMG_9175

    IMG_9175

    IMG_9175

    インドの伝統的な手工芸世界について、多くの示唆を与え続けてくれる我が友人Devika。2枚目の写真は、先日、彼女のFacebook投稿で目に止まった絵画だ。バイクの周辺に散らばる赤い模様は、ディワリなどで使われる爆竹。Madan Meenaの作品で、タイトルはChildhood Memories – BULLET CHAAP PATAKHA とある。

    他の作品も見たくなり、Madan Meena氏のページに遡った。折しも現在、彼がデリーのインド国際センターで展示会をしていることを知り、足を運んだのだった。

    アーティストであり研究家、キュレーターでもあるラジャスターン州出身の彼。故郷コタをはじめとする農村の人々や遊牧民、部族のコミュニティと幅広く関わり、調査を続けているという。彼らのアイデンティティや伝統を守るべく記録を残し、書籍も出版するなど、幅広い活動をされている。

    ギャラリーを訪れたところ、幸いにもご本人がいらした。話を伺いつつ、作品を眺める。

    今回のエキシビションのタイトルは、「Wondering Connections」。不思議なつながり。数奇な縁。

    たとえば、アジュラークと呼ばれるインドでも最も古いハンドブロック・プリント。16世紀の大航海時代以降、日本に伝わった「インド更紗」のひとつでもある。そのアジュラーク発祥と伝播を伝える「地図」を絵画的に仕上げた作品や、ジャイプールの、やはり「地図」をモチーフにして、伝統工芸発祥の地をポイントしたものなどは、極めて興味深い。

    あるいは、故郷を彩る無数の樹木を丁寧に描き、細密画のアーティストとのコラボレーションで一つの作品に仕上げたものなども、絵画に込められたメッセージがストレートに伝わってきて楽しい。

    劇的に変容する現代社会の中で、自然や動物、あるいは古来からのテキスタイルや地図をモチーフにしながら、ノスタルジアを「モダンな手法で」具現化する。これもまた、不易流行。人々の心に眠る「ヒラエスHiraeth(ウェールズ語で「望郷」「郷愁」「憧れ」「もう帰ることができない懐かしいもの」を意味する)を刺激する。

    これまでは、インドの伝統工芸の世界を眺めるとき、あくまでも「個人的な趣味と関心」で完結していた。しかし、「京友禅サリー」のプロモーターを引き受けたことで、日本とインドが共通して抱える課題(麗しき伝統の継承)について、より深く捉え、能動的に未来へのアプローチを考えねばと思うようになった。世界は示唆に満ちている。

    書きたいことは募るのだが、時は迫る。

    昨今ではインドにも店舗を持つMUJI(無印)のノートに、手描きの絵画が施されたものを1冊購入した。大切な記録を残すノートにしようと思う。氏のインスタグラムをぜひご覧ください。

    さらには、関連する情報がたっぷりの下記動画も、ぜひご覧ください。

    Madan Meena

    https://www.instagram.com/madan4meena/
    https://kynkyny.com/madan-meena-biography/
    http://www.kotaheritagesociety.in/

    【インド発、世界】 🇮🇳🇯🇵数千年の歴史あるテキスタイルが新たな感性で蘇る。 若手が担うインドの伝統的な手工芸。絣(かすり)や絞り染めなど、日印に共通する技術も。

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    IMG_9186

    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ