濃密な日々が過ぎていく。旧居から新居へ、書棚などの運び出し。それに伴う荷造り。
バンガロールの老舗取材。
久しぶりの友人らとの再会。
毎月の定例ミーティング……。
日々、書き留めておきたいことが募るが、しっかりと睡眠時間を取ることが優先だ。COVID-19に感染してからは、夜更かしせず、体調を慮っている。それに伴い、写真のホルダーにはアップロードしておきたい写真がたくさん。
備忘録も兼ねて、10枚を。
天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信
“The grown-ups are certainly very odd”, he said to himself, as he continued on his journey.
1984年から、欠かさず毎年、購入し続けてきたジャーナル。プランナー。スケジュール帳。38年分。
大学時代からの自分。何年の何月何日に、自分が何をしていたかは、書棚に手を伸ばしてページをめくれば、すぐわかる。
「記録」が、わたしを育んでくれている。ゆえに、欠かせない。
2022年のジャーナルは日本製。ここ数年、気に入って使っていたインド製が、体裁を変えてしまったのが理由。
しかし、この日本製、インクの裏写りがひどいのだ。
記録を尊ぶライターだというのに、これまでチープなペンを使ってきたから、これからは思い入れのあるいいペンを使おうと、昨年、モンブランで購入したファインライナーのペン。
リミテッド・エディションのそれは、オレンジと黒の大理石に、蛇のモチーフが印象的な、相当に個性的なもの。しかし巳年であるだけでなく、蛇や龍にご縁のあるわたしにはぴったりだ。
確かに、このペンのインクは強い。何年経っても文字が消えないようにとの目的もあるからだろう。しかし、去年のジャーナルは裏移りしなかったから、今年のジャーナルの紙が薄すぎるのだと思う。
残る5、6カ月を我慢するか。他のペンを使うか。迷いつつ、インドや日本のアマゾンをチェック。9月始まりがあるはずだからそれを買おうかと思っていたところ……。MOLESKINEに2022年7月始まり2023年12月終わりという変化球なジャーナルがあった。しかも、星の王子さまヴァージョンもある。
これは、買うしかない。日本のアマゾンで見つけたので、他の書籍とともに購入、数日前に到着したのだった。
MOLESKINEのジャーナルは、ムンバイとバンガロールの二都市生活をしていた2008年、2009年、そして2010年の3年に亘り使っていた。使い勝手はよかったが、その翌年は別のブランドを試して以降、戻ることはなかった。
残念なことに、巻頭の年間カレンダーが、かつてと体裁が変わっていて、わたしの好みではなくなっていた。かつ、やはり少し裏写りがする。しかし、せっかく購入したのだ。星の王子様は愛おしく、彼の言葉には共感する。早速8月1日、今日から使い始めた。
🌟
「大人というのは、本当に、変わってる」。
彼は、そう独り言を言いながら、旅を続けた。
……旅を再開したい。9月あたりから、このジャーナルに、旅先が記録できることを願う。
◉新たな息吹。手書き回帰の記念に蛇。ひとりミューズ・クリエイションにClubhouse.
➡︎https://museindia.typepad.jp/2021/2021/02/kaze.html
◉人生を創るNOTE/「手書き」を語り合う。ミューズ座談会シリーズ ⑤https://youtu.be/zMGgH5VXK_U
モンスーンは、明けたのだろうか。青空と陽光と涼風がうれしい。
昔日のガーデンシティが偲ばれる日。バンガロールの「古き良き場所」がよく似合う。
友人のBarkha(写真中央)が主催するファッションバザールをチェックしに、Taj West Endへ。
艶やかで華やかな数十のブティックが一堂に会している。そんな中、なじみのココナッツ製品店や、アクシャヤ・パトラなどNGOの出店も見られ、挨拶を交わす。
そのあとは、いつものRain Treeを一巡。
帰路、久しぶりに、カニンガム・ロードのHatworks Boulevardへ。2005年から2006年にかけての移住当初、わたしたちはこの通り沿いに住んでいて、夫のオフィスもまた、この隣だった。
ちょうどそのころ、この昔ながらのバンガロー(平屋一戸建ての邸宅)が、ブティック群に改築されたばかりだったこともあり、よく足を運んだものだ。
17年の間にも、擁する店舗は次々に変わったが、外観や独特の風情は、遠い昔、帽子屋さんだったころから、多分変わらない。
床のタイルに零れ落ちる光の具合も美しく。
併設のレストランの料理もおいしく。
束の間の時間旅行を楽しむランチタイム。
🖋2006年2月の記録
https://museindia.typepad.jp/blog/2006/02/post_f3bb.html
👋バンガロールに暮らして17年。実に多くの日本人に出会い、見送ってきた。
今年でミューズ・クリエイションは10周年。パンデミックに入る前の8年間、共に活動してきたメンバーは、のべ228名。歳月を経てなお、連絡を取り合う人。ソーシャル・メディアで辛うじてつながっている人。消息のわからない人……。みな元気でいてくれたらと思う。
さて、数日前のこと。メンバーの一人だった吉田宗洋さんを見送った。
彼と初めて出会ったのは、2018年5月。わたしがナーグプルを訪れ佐々井秀嶺上人にお会いした直後に実施した『インドの中心で仏教を叫ぶ』というテーマの勉強会に、共通の友人である村田さん(先日、東京で再会)に誘われて、参加したのだった。
高校を卒業したばかりの18歳だった彼は、我が家の近くにある語学学校に通っていた。そこで英語力をつけてバンガロールの大学に進むのだという。その後、バンガロールの名門大学に合格し、市街南部のコラマンガラに居を移していた。
学校に通いつつも、ミューズ・クリエイションのバザールやイヴェント、慈善団体訪問などに積極的に参加するほか、わたしが実施するセミナー(及びその後の宴会)、バンガロール九州沖縄県人会などにも参加していた。
COVID-19の感染が広がったあとは、1年以上、日本に帰国していたが、昨年末、再びバンガロールへ。学業を締めくくり、就職も決まり、今回無事に卒業を果たしたというわけだ。
彼の帰国の前日、バンガロール・クラブでランチを共にした。23歳になった彼は、すっかり大人の雰囲気だ。
当初、我が家のパーティでは、皆がアルコールを楽しむ中、ジュースを飲んでいた彼。折しも、慈善団体ニューアーク・ミッションを訪れた日が、彼の20歳の誕生日だったこともあり、ビールで乾杯したものだ。
iPhoneやiMacに搭載されている「写真」の「ピープル」機能を使うと、探している人物の写った写真が一気に表示される。それを使って、彼の写真を探した。すると、出てくる出てくる! 他のミューズ・クリエイションのメンバーに比べたら、圧倒的に写真を撮っている回数が少ないはずの彼なのに、あっちこっちで写っている。
ポットラックパーティのとき、学校を終えてご飯を食べにきたときの写真なども出てきて、微笑ましい。我が家の猫らとも、よく遊んでいた。ISKCON TEMPLEでの宗教行事に招待されたときにも、彼は同行。ジャパン・ハッバ(日本祭り)にクリスマス・バザール……。当時の記憶がたちまち蘇る。
ネットの海に沈む、無尽蔵の宝のような数多の写真。最初は、吉田さんの写真を何枚かピックアップしようと思っていたが、取り巻く人たちの笑顔もまた、懐かしく、どの瞬間も愛おしい。というわけで、たっぷりと発掘した。
バンガロールで少年から青年に成長した彼の前途を祝する。Good luck!!
🕰インドのいいところ。利便性や最新を追求するだけではない、古き良きものが身近にあって、それらを手入れしたり、修繕したりしながら、慈しみ使えること。
特に英国統治時代の名残が色濃く残るバンガロールは、「インドらしいもの」だけではなく、欧州ほか、世界各地の骨董品が町中に眠っている。誰かのお宅に。あるいは骨董品店に。
中には日本製もある。たとえば2006年にコマーシャルストリートで見つけた我が家の掛け時計。これは明治時代に作られたSEIKO (SEIKOSHA精工舎)の時計だ。店頭に飾られているときには動かなかったが、修理に出して息を吹き返した。
ジョイントファミリー、すなわち両親を筆頭に息子家族が共に暮らす「大家族」が一般的でもあったインド。しかし、過去20年の間にも、核家族が徐々に増え始め、アパートメント・ビルディングなどの間取りは狭くなりつつある。
ゆえに、先祖の思い出が滲む重厚な家具を引き継ぐ世代は減り、古くも味わい深い家具は、売られることになる。
インド移住当初の2005年、わたしは市街のあちこちを巡っては、そういう家具調度品を発掘して、迎え入れてきた。そして去年からまた改めて、新居のための諸々を調達してきた。もちろん、新しい家具もあるのだが、新旧の調和をイメージしながら買い集めた。
昔ながらの家具は、ソリッドウッド(天然木)だということもあり、重く大きいものが多い。決して使い勝手がいいとは言えない。しかし、軽く百年を超える家具には、それぞれが紡いできた物語が滲んでいる。独特の温もりがある。
🕰壊れていた鳩時計を修理してもらうために、コマーシャルストリートの古時計の修理専門店へ赴いた。日本語では「鳩時計」だが、英語だと「Cuchoo Clock」、すなわち「カッコウ時計」につき、以下、カッコウ時計と呼ぶ。
ワシントンD.C.在住時の2003年に欧州を旅した際、スイスのインターラーケンで買った。夫が欲しがったのだ。彼が12歳の時、家族で初めてスイスを訪れた。その際、夫はカッコウ時計に心を奪われ、ロメイシュ・パパに買ってくれと懇願したものの、却下されたという。そのときの記憶が脳裏に深く刻まれていた模様。
そもそも物欲があまりない我が夫ゆえ、よほど欲しかったのだろうと察した。わたしたちは、数軒を巡った結果、スイス製ではなく、カッコウ時計の元祖であるドイツ製(黒い森/シュヴァルツヴァルト時計)の時計を選んだ。
数年前、ちょっとしたアクシデントで壊れていたのを、夫に急かされつつも放置したままだった。今回、新居の夫の書斎に移すべく、ようやく修理に赴いたのだった。
バンガロールの時計修理工としては有名な、時計をこよなく愛するShaik氏の店。彼のことは、ホームページや新聞記事を読んで知っていた。コマーシャルストリートの路地を入り、細い階段をのぼった先で、美しい置き時計を修理する彼の姿があった。
時を刻む無数の時計に囲まれ、しかしまるで時の流れが止まったかのような空間で黙々と時計に向き合う彼。わたしが持ち込んだカッコウ時計を入念に点検し、修理を引き受けてくれた。
「今から19年前に、スイスで買ったんです」と告げたら、
「だいぶ、古いのですね」と返された。
そうか。
自分の中では、ついこの間、買ったばかりのような気がしていたが、思えばすっかり、古いのだ。このコマーシャル・ストリートに初めて足を踏み入れたのも、今から19年前のこと。きれいに舗装された歩道を歩きながら、脳裏で過去の情景を回想する。
インド生活も、すっかり長くなってしまった。
🕰Shaik’s Vintage Times
http://shaiksvintagetimes.com/
瞬く間に歳月は流れる。気がつけば、COVID-19に感染していたことを忘れてしまうほど、体調も戻った。味覚と嗅覚が戻らなかった数日間は、どうなることかと心配したが、徐々に回復した。
世の中は巡り、日本からの仕事も少しずつ入り、外出も増え始めているが、無理をせぬようにと気をつけている。
生活環境を、ゆっくりと整えている郊外の別宅。週末をここで過ごすのは、いい気分転換になり楽しい。猫らに会えないのが寂しいけれど。
先週末は、友人のJayaと、彼女の夫のHemuが遊びに来てくれた。画家である彼女から、3つの絵画を購入し、飾っている。リヴィングルームの2枚は、カルナータカ州の世界遺産ハンピの情景を描いたもの。ソファーに座って眺めていると、絵の中に吸い込まれるような気分だ。事実、わたしは昨年、ハンピを訪れた際、絵画に溶け込んだ。
ハンピにて、絵画と似たような光景を目にした。このような建築物は、ハンピにいくつもあるから、彼女が描いたのは異なる場所だろうとは思ったが、その日は偶然にもわたしは赤い服を着ていた。絵画と同じような状況で写真を撮りたいと思い、居合わせたフォトグラファーに絵の写真を見せて、同じように撮ってくれと頼んだ。
とても似ているでしょ?
回廊の1枚は、ガンジス川を望むヴァラナシの光景。まだ見ぬ聖地に思いを馳せつつ、この絵は旅情をかきたててくれる。
必要最低限は揃っているキッチンにて、ヘルシーな軽食やスナック、そしてLavonneの美味なティラミスを準備。久しぶりにアルコールを楽しみ、語り合う午後。
現在の家も、千客万来。ゲストは長居を楽しむ空間なのだが、新居はよりいっそう、時間を忘れる。
時を忘れて、時間旅行をしているような心持ちのひとときだった。
🎨JAYA JAVERI インドの自然や情景、歴史を刻む建築物……。やさしく慈しむように描く画家、ジャヤ・ジャヴェリの世界。
🎨JAYA JAVERI/ Homepage
彼女は「デスクに飾れるサイズ」の、小作品も創作し、販売している。インドの情景や伝統を映した作品も多いうえ、リクエストに応じて描いてもくれる。
➡︎https://jayajaveri.com/
A single photo that appeared on Facebook brought me back past trips.(日本語は下に)
When I was a freelance writer and editor in Tokyo. From April to June 1994, I traveled by train through Europe. My journey began in Paris. The last stop was Barcelona. I traveled clockwise through France, Germany, Austria, Czech Republic, Hungary, Italy and Spain …….
It was a time of chaos due to the integration of East and West Europe. In Budapest, Hungary, I was approached at the train station by a lady who had come to solicit guests for a homestay. We both spoke poor English, but I listened to her talk about the lifestyle of the time. The most memorable place in Budapest was the New York Café. I visited there twice by myself and enjoyed the luxurious atmosphere and food. At the time, I had no idea that I would be living in New York two years later.
🇯🇵Facebookに現れた一枚の写真に、遠い旅路が蘇る。
わたしが東京でフリーランスのライターや編集者をしていたころ。年に3カ月は休暇を取って旅をすると決めていた。1994年4月から6月にかけて、わたしは欧州を列車で旅していた。旅の起点はパリ。終点はバルセロナ。フランス、ドイツ、オーストリア、チェコ、ハンガリー、イタリア……と、時計回りに旅した。
東西欧州の統合で混沌としていた時代。ハンガリーのブダペストでは、わたしは駅で宿泊客を勧誘しにきていたご婦人に声をかけられ、ホームステイをした。わたしたちは、二人とも、拙い英語ながら、当時の暮らしぶりについて、わたしは話を聞いた。ブダペストで最も心に残っているのが、このニューヨーク・カフェ。一人で2度、訪れて、店内の豪奢な雰囲気と食事を楽しんだ。このときは、自分がその2年後に、ニューヨークで暮らすことになろうとは、思いもしなかった。