インド百景 2021-2025

天竺の、風に吹かれて幾星霜。ライター坂田マルハン美穂が、南インドのバンガロール(ベンガルール)から発信

MUSE INDIA / HOMEPAGE

✈︎ 過去ブログ/2005〜2025

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    デリーやムンバイを皮切りに、インド各都市で開催されているVan Gogh 360°。300点を超えるゴッホの代表作をモチーフに、動きある映像を作り上げ、広大なホールの壁やフロアに投影するものだ。ここバンガロールでは9月3日まで開催されている。
    わたしは今日、体験してきた。最高だった!

    わたしは三半規管が弱いので、このような映像は気持ちが悪くなるかも……と少し懸念したが、ノープロブレムだった。緩やかに、平穏に、しかしダイナミックに、全身でゴッホの絵画世界に浸れる。多分、大人も子供も一緒に楽しめる、独特の空間だ。

    なお会場は、バンガロール北部、新しくできた(未完成)のショッピングモールの敷地内に、特設の空間が設置されている。

    🌻子ども時代、西洋絵画集を眺めて、親しんできたフィンセント・ファン・ゴッホの作品。大人になってからは、世界各地のミュージアムで、彼の作品を目にしてきた。『ひまわり』はじめ、『星月夜』 『(アルルの)寝室』『刑務所の中庭』『夜のカフェテラス』『タンギー爺さん』『糸杉』『花咲くアーモンドの木の枝』『ローヌ川の星月夜』など、個人的に思い入れのある作品も少なくない。

    一番最後に彼の作品を見たのは、2019年のロンドン。折りしも、TATE BRITAINでゴッホ展が開催されていた。彼の人生を追う形で作品が展示されていたことから、彼の生き様をよく知らない人にも世界観を理解できる展示だった。以下のブログ記事には、かなり詳細を書き残しているので、背景を知る参考になるかと思う。

    ちなみに、このVan Gogh 360°も、エントランスを入ってすぐのエリアにて、ゴッホの概要を学べる展示がある。彼の生き様を知ったうえで作品を眺めるほうが、より深く楽しく、作品を堪能できる。

    ところで日本に印象派をはじめとする欧州絵画をもたらしたのは、倉敷紡績経営者である大原孫三郎の尽力だ。「日本初の西洋美術を公開展示する美術館」として誕生した「大原美術館」とその背景についても、5年前の倉敷旅の記録に残している。加えて明治時代創業当初の、倉紡の企業理念が印象的だった。労働理想と社会事業を実現した様子を伝える「倉紡記念館」では、強い感銘を受けたものだ。

    倉敷に行く予定がある方は、ぜひ「大原美術館」「倉紡記念館」へも足を運ばれることをお勧めする。……また行きたい。

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    😸ところで最後の写真は、新居のゲストルーム。少し『(アルルの)寝室』を思わせる、黄色い部屋だ。

    🌻Van Gogh 360°
    https://vangogh360.in/

    🌻TATE BRITAINでゴッホ展を楽しむ(2019/06/06)
    https://museindia.typepad.jp/2019/2019/06/london02.html

    🎨ひとり旅最高!倉敷の美観地区で工芸品と芸術に触れる1日(2018/11/08)
    https://museindia.typepad.jp/2018/2018/11/jpn08.html

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    1947年、インドが独立した時、欧米の有識者の誰一人として、この国が民主主義国家として存続することを予測しなかった。多様性の極み。紆余曲折の歴史。著しい貧富の差……。無尽蔵の魅力を湛えるこの国は、同時に底なしの社会問題を抱えてきた。

    問題解決を政府に委ねていたのでは、とても社会は成立しない。だからこそ、この広大な国土の随所で、「心と力と使命感」のある人たちが、身を賭している。そんな篤志家、ソーシャルアントレプレナー、フィランソロピーの現場を、わたしはこの18年間、この国の随所で目撃してきた。

    独立記念日の昨日。バンガロールにて伝統工芸や職人を支援するブティックAmbaraのオーナーであるJayaに招かれて、午後、Ambaraへ足を運んだ。「Kumbaya」というブランドの、ドキュメンタリー上映会に参加するためだ。

    Kumbayaは、1995年、Niveditaという女性によって非営利の社会的企業として誕生した。活動の地は、インドでも極めて後進的な地域のひとつであるマディヤ・プラデーシュ州の村だ。土や岩などを、素手、素足で運ぶ肉体労働を強いられてきた女性たちを支援し続けている。

    Niveditaはまた、女性のエンパワーメントや、生活インフラストラクチャーの安全保障に取り組むインド最大の草の根活動のひとつであるSamaj Pragati Sahayogの創設者でもある。「Kumbaya」においても、女性たちの経済的自立を支援すべく、「足踏みミシン」を購入して技術指導するなど、ゼロから貧困層の女性たちを支援してきた。

    「Kumbaya」のある村は、そもそも市場性のある伝統工芸品や製造業の歴史がない地域。ゆえに、この地に新たな独自の伝統を構築すべく、女性や障がい者に新たなスキルを教育してきた。過去28年間の紆余曲折の断片を聞くだけでも、その絶大なる労力と情熱に感嘆する。

    最もコストのかからない「端切れ」をつなぎ合わせ、パッチワークの製品を生み出すことから始まったKumbayaの活動。現在は、天然素材を用いた着心地よくデザイン性が高い衣類やバッグなどの小物類が販売されている。わたしもAmbaraでKumbayaの商品を買ったことがある。アウトドア向けのカーキ色のバッグがそれだ。

    Kumbayaによって劇的に変化した女性たちのライフ。周囲の環境など具体的な特筆すべきことは尽きぬが、そろそろ出かけねばならない。

    ちなみに昨日は、インド独立記念日につき、わたしはインドの旗を思わせる色合いのサリーを着た。なお、「Kumbaya」の展示販売会は8月19日まで開催されている。どうぞお立ち寄り下さい。

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    【Ambara、Kumbayaそしてサリーや国旗についての関連情報】

    🌺AMBARA
    https://www.instagram.com/ambara.bangalore/

    🇮🇳KUMBAYA(ぜひサイトをご覧ください)
    https://www.kumbaya.co.in/

    🇯🇵日印の「縁」が強すぎる。サリーとテキスタイルの世界ひとつをとっても。
    https://museindia.typepad.jp/2021/2021/08/ambara.html

    🇯🇵数千年の歴史あるテキスタイルが新たな感性で蘇る。 若手が担うインドの伝統的な手工芸。絣(かすり)や絞り染めなど、日印に共通する技術も。

    🇯🇵ミューズ・クリエイションの小さなクリスマス・チャリティバザール@Ambara
    https://museindia.typepad.jp/2021/2021/12/xmas.html

    🇯🇵坂田着用のサリーについて
    https://museindia.typepad.jp/2021/2021/08/saree.html

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    今日は、8月15日。日本に生まれ、インドを終の住処とするわたしにとって、この日は国家間の争いと、その虚しさに思いを馳せる日だ。

    1947年の8月15日、インド(ヒンドゥー教主体の国家)とパキスタン(イスラム教主体の国家)は、分離して独立した。インド人の多くはこのことをして、「パーティション」と呼ぶ。独立は同時に、分断を意味した。現在のパキスタン、ラホールが故郷であるわたしの夫の母方家族は、パーティションによって多くを失い、インドへ「難民」として移住した。

    だから手放しで、この日を「おめでたい日」とは言い難い。マハトマ・ガンディは「ひとつのインドの独立」が実現し得なかった悲しみに打ちひしがれた。

    この印パ分離独立の日から遡ること2年。1945年の8月15日、日本は敗戦した。この「2つの8月15日」が同じであることは、偶然ではない。意図されたつながりがある。

    日本軍に強い恨みを持っていたイギリス領インド帝国最後の総督マウントバッテン卿。彼にとって日本が降伏した8月15日は「めでたい日」であり、そこに自身が関わったインド独立という「ハレの日」を、重ねたという背景がある。その詳細を含め、第二次世界大戦を巡る日本とインドの歴史について、以下のブログにまとめている。

    なお、添付の英文資料は、今年より「日本人以外」の人たちに、日本とインドの関係史をプレゼンテーションするために作った膨大な資料のうちの、一部だ。まだまだ今後も厚みを増す予定。

    以下、①~③を読むだけでも、歴史の概要がつかめるかと思う。

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    🇮🇳🇯🇵8月15日。インドの独立記念日と日本の終戦記念日が同じ日なのは偶然ではない。インド・パキスタン分離独立を巡る歴史と、わがインド家族の物語など。

    https://museindia.typepad.jp/library/2021/08/815.html

    CONTENTS

    ①「8月15日」が日印の歴史にとって共通して重要な日となった背景/2017年
    ②モディ政権発足直前、情報誌『シバンス』に寄稿した記事/2014年4月
    ③印パ分離独立を巡る、ドラマティックな祖父の人生 /2020年2月
    ④日本を訪れていた祖父。「名言」に影響を受けていた我が夫/2020年2月
    ⑤義兄は日本軍の攻撃で戦死。自らの死もドラマのようだった祖父/2020年2月
    ⑥映画『英国総督 最後の家』で知る印パ分離独立の背景/2017年12月
    ⑦歴史を知れば今が見える。セミナー実施の記録/2014年4月
    ⑧極東国際軍事裁判を描いたNHKドラマ『東京裁判』を見て/2016年12月
    ⑨広島に原爆を落とした戦闘機「エノラ・ゲイ」を、この目で見たときのこと。
    ⑩パラレルワールドが共在するインドを紐解く/セミナー動画

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    金曜日の夕方、バンガロールを離れ、ゴアを旅していたAsamiさんとYuiさんが、旧居へやってきた。ここでは2012年から2020年のロックダウンに入るまで8年間、毎週金曜日をオープンハウスにし、ミューズ・クリエイションの活動をしてきた。だからメンバーにとっては、懐かしい「ただいま」「おかえり」の場所でもある。

    Yuiさんは、全く人懐っこくない我が家の4猫らに興味津々。NORA姉さんにROCKY、JACK、CANDYと、誰1匹として擦り寄ったり甘えたりしてくれないのだが、楽しかったようだ。Asamiさんにとっては、里帰りのようなバンガロール旅でもあり。旧居に1泊して翌朝、空港へ。二人とも、体調を崩したり、トラブルに遭うこともなく、無事に帰宅されたようで安心した。またおいでね。

    そして土曜の夜は、新居にご夫婦&3姉妹のファミリーが遊びに来た。コミュニティを散策したあと、夕食を食べ、大人は飲みながら語り合い、子どもたちは「月光ライブラリ」で読書……。そのうち、一人、二人と、寝入ってしまい、ソファーに横たわる姿の愛らしく。

    子どもも大人も楽しめる「月光ライブラリ」。最高。

    今、ミューズ・クリエイションの本格再始動の準備をしているのだが、人々と語り合うことで、わたし自身がやるべき方向性が、浮かび上がってくる。

    このところ増えているインド進出を考えている人たちの相談を受けたり、先日の日印フォーラムに参加したりするうちにも、自分が培ってきた知見や経験を生かさねば……との思いを新たにさせられた。自分を有効活用しなければ、との思い。

    パンデミック明けから、ミューズ・クリエイションの元メンバーや、それ以前にバンガロールに住んでいた人たちと再会し、言葉を交わすうちにも、わたしにできることはまだまだたくさんあると、実感させられたこともあり。

    これからが、始まりなのだという思い。

    これまでは、ミューズ・クリエイションはNGOとして本業の傍ら……のという位置付けで、わたしは関わってきたつもりだったが、世間からは「NGOの人」と見られがちだった。

    ゆえに、今後は本業もしっかりやっていることを明確化するために、夫とビジネスを立ち上げることにした。その会社名も、ようやく先ほど、決まった。1枚目の写真は、それを祝しての、乾杯。

    なんだか、ようやく、見え始めた。がんばろ。

    現在、少し酩酊中。🍶 文章がなにかしら支離滅裂だが、まあ、ときにはいいだろう。

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    先日のデリー旅から戻った翌々日は、ほぼ毎週火曜日開かれている、わたしが所属する「女性の勉強会」の会合の日だった。この日は、わたしがお招きしたスピーカーに登壇していただくこともあり、ヤラハンカの新居を会場にして実施した。

    以前から、個人的にお聞きしたかった、とても大切なテーマにつき、ゆっくりと記録を残したいと思いつつ……歳月は瞬く間に流れる。

    スピーカーは、チベット系インド人である我が友人Dekyiと、その父君のT T Khangsarだ。

    わたしがDekyiと出会ったのは2017年。夫同士はすでに知り合っていたが、わたしとDekyiがゆっくり言葉を交わしたのは、4人で日本料理を食べに行った時のことだった。わたしはそのとき、チベット系インド人であるDekyiのバックグラウンドを聞き、強い衝撃を受けた。

    わたしが2019年、ダラムサラを訪れ、ダライ・ラマ法王14世にお会いすることができたのは、すべて彼らのおかげである。その旅記録も克明に残しているので、関心のある方はぜひ、下記リンク『深海ライブラリ』ブログをご覧いただければと思う。

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    Dekyiは、ここカルナータカ州のマイソールで生まれ、バンガロールに育った。しかし、チベットの貴族の家系に生まれた父T T Khangsarやその両親の物語は、波乱に満ちたものだった。中国によるチベット侵攻によって、彼らのライフは、他のチベット人と同様、翻弄された。

    緑豊かで自然美にあふれるチベット東部のトンコール・カムで、貴族の家系に生まれたKhangsar。6歳でチベット仏教に身を捧げ、修道生活を始める。子ども時代の平和な暮らしは、しかし1959年の、中国によるチベットに侵攻で破壊される。Khangsarの家族は、高貴な身分だったことから、彼は父親を目の前で惨殺されるなどの悲劇に直面した。

    その後、彼は残された家族と共に、14歳で祖国を脱出、危険な山々を越えてインド北部に避難した。インドのカリンポンで、ゲルク派のタントラ僧院大学を卒業した後、南インドのポンディシェリで哲学とサンスクリット語を研究。その後、オランダの大学に進み、MBAを取得した。当初は、大学レベルの科目はほとんど理解できなかったにもかかわらず、絶大なる努力の結果、優秀な成績で卒業。勉強だけでなく、ラグビーにも熱中し、心身ともに精力的で活発な青年だった。

    1970年、彼はダライ・ラマ法王14世とチベット亡命政府により、インド政府との連絡役を任される。さらには、南インド最大のチベット人居住区「バイラクッペ(バイラクーペ)」の設立支援を命じられる。以降、彼は、チベット人コミュニティのために尽力し続けており、Dekyiもまた、父の偉業を受け継ぎながら、貢献活動を続けている。

    🇮🇳

    勉強会の日、上記の概要に沿いながら、Dekyiの補足説明と共に、父君が半生を語ってくださった。悲喜交々のエピソードの、ひとつひとつが、心に染み入る。いつも朗らかでやさしく、穏やかな笑顔で接してくださる父君に、改めて深い敬意を抱いた。

    国家間の軋轢によって祖国を失った人の気持ちは、思いを馳せるに到底、理解が難しい。

    インドの多様性と寛容と、個人の尽力の偉大な影響力などに思いつつ、書き残したいことは尽きぬ。以下、関連情報をシェアしたい。

    【関連情報】

    🙏ダライ・ラマ法王14世にお会いした2019年のダラムサラ紀行を紐解く(2021/12/03)

    🙏遠く故国を離れて。南インド。チベットの人々が暮らす場所。(2010/6/9)

    🇺🇸[コチ=ムジリス・ビエンナーレ]CIAが関与した知られざるゲリラ戦。中国に寝返った米国。祖国奪還を目指して戦ったチベット人兵士たちの悲痛な末路……(2023/02/03)

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    Born into an aristocratic lineage of Tongkhor Kham, in the eastern region of Tibet, T T Khangsar was chosen for a spiritual path at the tender age of six. Devoting himself to Buddhist scriptures, he embarked on a monastic life in adherence to Tibetan tradition.

    This peaceful existence was violently disrupted in 1959 when China invaded Tibet. Because of their noble status, Khangsar’s family faced dire consequences, including the brutal loss of his father. At the tender age of 14, Khangsar had to flee his homeland, undertaking a perilous journey through treacherous mountains to find refuge in northern India.

    Here in India, Khangsar initially studied at Kalimpong and then graduated from the Gelugpa Tantric Monastic University before heading to Pondicherry, South India. He furthered his studies there, delving into philosophy and Sanskrit.

    But Khangsar’s academic journey didn’t stop there. He moved to the Netherlands in 1968 to pursue an MBA at Nyenrode University. Despite starting with a limited understanding of college-level subjects, Khangsar’s relentless dedication led him to graduate with honors. Apart from academics, he also developed a love for rugby, demonstrating his vigor both on the field and in the classroom.

    In 1970, Khangsar’s academic accomplishments led His Holiness the Dalai Lama and the Tibetan government-in-exile to personally invite him to assist in liaising with the Indian government. His task was to help set up the largest Tibetan settlements in South India, a critical mission that Khangsar undertook with commitment. With his international degree and deep-rooted determination, this resilient scholar from a Tibetan aristocratic family committed himself to serve his community and contribute positively to their future.

     

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    わたしが初めて『366日』を聴いたのは、HYのオリジナルではなく、上白石萌歌がカヴァーした、キリン「午後の紅茶」のメイキング動画だった。熊本を舞台にした高校生の恋物語。見た瞬間、歌声と情景に引き込まれた。この曲を聴いていると、自分の高校時代を、ついこの間のことのように思い出す。

    わたしは熊本県荒尾市に生まれた。1歳で福岡市内に引っ越したため、当時の記憶は断片を残すだけだが、出生地は人生にとって大きな意味を持つ場所だ。たとえばインドの占星術にとっても。自分の誕生石を割り出すときにも、生年月日と時間、そして誕生地の緯度経度が参考になる。

    ちなみにわたしは、天然真珠とエメラルド。ということは、先日も記した。

    さて、今朝は、FM熊本のラジオ収録のため、6時に起床。2007年から今日に至るまで、月に一度、インドを語り続けている。そんな今日、Asamiさんと一緒に仕上げた『366日』をアップロードしたので、シェアしたい。

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    『366日』は、いつかSAREESでやりたいと思っていた。今回、Asamiさんがバンガロールに来るに際し、選曲を考えていた際、お嬢さんのYuiさんとは『ともだちになるために』を、そしてAsamiさんとは『366日』をやろうと決めた。ピアノ伴奏は、上白石萌歌のヴァージョンに寄せて、アレンジしてくれた。いつか、ヴァイオリンのEmikoさんと3人で、一緒にやりたい。

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    ちなみに、この撮影。わたしのiPhoneを使っての、ほぼぶっつけ本番なのだが、よりによって……なトラブル発生。本当は、「ファーストテイク(一発撮り)」で行くつもりが、なんと途中でiPhoneのストレージが満杯に! このごろは、長時間の動画を撮っていなかったので、ストレージの残量をチェックしていなかった。

    それにしても、どうでもいい猫の動画などを撮っているときに満杯になってくれればいいものを、わずか5分足らずの撮影の、しかもサビの部分でなぜ満杯?!

    慌ててデータを減らすが、なぜかすぐには反応せず。Asamiさんは外出の予定がある。さらには、撮影場所の新居界隈はまだ工事をやっているから、平日は朝から槌音がうるさい。スーパーバイザーに連絡して、「10時半から11時半まで、重要なレコーディングがあるため、騒音の出る工事はストップして!😁」と依頼していたのだが、まもなく11時半になる!

    最初からやり直している余裕がなかったので、結局、最後の方だけ別に撮影し、2本を1本につないだ。そして極力、「つなぎ目」がわからないように、編集したのだった。しかしながら、最後、Asamiさんの独奏のところで、かすかに工事の音が入っている。11時28分。フライングで工事を再開していた😂

    なにしろ機材はiPhone14のみ。地下の多目的すぎるホールはエコーが響くので、ピアノとの音調整は必要だったが、それなりに味わい深い仕上がりになったと思う。ドタバタながらも楽しかった!

    映像に加えた古い写真は、Asamiさんがミューズ・クリエイションで活動していた2013年から2017年までのもの。懐かしくて、写真選びもまた、楽しかった。

    いい時間だった。

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    🇮🇳We have celebrated your birthday together every year since 1996. And hopefully, we will continue to do so.

    🇯🇵1996年以来、わたしたちは毎年一緒に、あなたの誕生日を祝ってきましたね。そして、願わくば、これからも。

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    バンガロールは、モンスーンを経て、このところ蚊が増えている。当地に限らず、インド各地でデング熱が流行り始めているようだ。
    我々夫婦は、2015年に罹患した。その年は、我が家界隈に「デング熱ウイルスを持つ蚊」が大量発生していたようで、ご近所さんも複数名、入院した。我々夫婦は軽症ですんだ。デング熱に関しては、予備知識がないと、症状を悪化させる可能性が高い。ぜひとも下記のブログをあらかじめ、読んでおいていただきたい。インドにお住まいの方々にもシェアしてほしい。なお、肝心な部分だけ、以下、転載する。

    【坂田がデング熱に罹った際に気づいたポイント】

    *発熱した当初は、まさかデング熱だとは思わなかったが、薬を飲まなかったこと、ココナツウォーターやエレクトラルなど、大量の水分を摂取していたことが、軽症の理由のひとつかもしれない。

    *デング熱は、風邪やインフルエンザとは異なり、咳や喉の痛み、下痢などの症状がない。つまり、高熱が数日続いているにもかかわらず、喉の痛みや咳、鼻水などがない場合、デング熱の可能性あり。

    *アスピリンや日本のロキソニンに含まれる解熱剤の成分は、デング熱の症状を悪化させるので要注意。

    *高熱が出た際は、最初の対応が重要。すぐに解熱剤を飲むのではなく、まずは大量の水分(ココナツウォーターやエレクトラル、新鮮な果汁など)を摂取して安静に。熱が2、3日以上続く場合は、病院へ。食欲がなくても、滋養のあるチキンスープ、バナナやリンゴなどの果実、ヨーグルトなどを食べて体力が落ちるのを防ぐ。

    *デング熱は数日発熱が続いたあと、一旦、平熱に戻る時間帯がある。治ったと油断させておいて再び発熱するのが紛らわしい。

    *デング熱を発症すると、血小板の数値が下がる。血小板数値は平常が13万から35万程度。10万以下になると血が止まりにくくなる。5万を切ると自然に鼻血が出たり皮下出血が始まって紫色の斑点が出たりする。3万以下では腸内出血や血尿、2万以下になると生命も危険になることから、輸血が施される場合もあるという。坂田は5.5万程度でとどまった。

    *血小板の数値を上げるらしいとドクターに教わったものは、キウイ、ザクロ、パパイヤの葉のジュース。最近ではパパイヤの葉のサプリメントも販売されている。上の写真は、我が家のパパイヤ。

    🤒「デング熱」に注意! 解熱剤が症状を悪化させることもあります!⬇︎必読!
    https://museindia.typepad.jp/library/2023/08/dengie.html

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    2004年2月、当時、ワシントンD.C.に住んでいたわたしは、完成してまもないスミソニアン航空博物館(スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センター)を訪れた。スミソニアンの博物館群は、ワシントンD.C.市内にあるが、2003年12月、この別館が、ワシントン・ダレス国際空港の近くに新設されたのだ。

    特に航空機に関心があるわけでもないわたしが、オープンしたばかりのそこに足を運んだのには、理由があった。

    エノラ・ゲイを、見たかったのだ。レプリカではない。広島に原子爆弾「リトルボーイ」を運び、投下したB-29、エノラ・ゲイの「実物」だ。あの日、目にした光景。受けた衝撃と巡る感情は、今でも鮮明に蘇る。

    2年前に保存版ブログ『深海ライブラリ』を作り、大切な記録は、そこに残すことにした。以下の記録を、ぜひご覧いただければと思う。

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    🌏広島に原爆を落とした戦闘機「エノラ・ゲイ」を、この目で見たときのこと。

    ●エノラ・ゲイ (FEBRUARY 27, 2004) 

    思いがけぬほど、その飛行機は大きく、そして美しかった。
    そうして、醜くも、忌々しくもなかった。
    そのことが、何よりも、衝撃だった。
    澄み渡った青空のただ中を、太陽の光をキラキラと反射させながら、この銀色の飛行機は、飛んだだろう。
    そうして、胴体をぽっかりと開いて、新しい爆弾を落とし、
    そうして、夥しい数の人々を、燃やしただろう。
    あの朝の、空の下の風景を、ここでは知る術もなく、
    多分知ろうとする人もなく。
    ただ、この飛行機は、半世紀を経て、ナチスの戦闘機や、
    日本の戦闘機を睥睨するように。
    愛らしいほどの、神風特攻隊の、小さな戦闘機などを。

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